友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

一番ややこしいのは心のこと

2009年03月06日 19時31分50秒 | Weblog
 朝起きてみると、やっぱり右手首と腰がパンパンに張っている。右手が思うように動かなくなって、そうかやはり障害者だったと思い知った。

 32歳の時、事件に巻き込まれて頭と両手と左足に大怪我を負った。両手と左足は骨折で、再びもとの状態には戻らなかった。左足の膝は45度ほどしか曲がらないし、左手は手首が曲がらず握力も弱い。右手は手首はよかったが甲の骨折で指がいびつだ。握力は右手の方があるけれど、5本の指で正常につかんでいないから、力を入れて長い時間持ち続けることができない。

 事件の後は落ち込んだ。教師も辞め、主夫業で暮らそうと思った。しかし、主夫業は社会とのつながりがなく、したがって評価もない。自分でできることはないか、それでたまたま図書館で地域新聞を見て、これならば自分でも作れるのではないか、そう思って地域新聞づくりを始めた。

 始めてみると自分に障害があることなど忘れてしまった。気のいい人々にたくさん出会い、友だちの輪がどんどん膨らんだ。絵を描くには手が震えたのに、文字を書くことは以前と変わらないくらいにできた。確かに、走ることはできなかったし、正座することはできなかったけれど、地域新聞づくりには全く差し障りなかった。

 高校生の時は、新聞記者か映画監督になりたいと思っていた。地域新聞といえども全国紙に負けないものを作ろう。そう思って記事を書き、割付をした。5年間は1人で作ってきた。いいスタッフに恵まれ、生涯学習大学公開講座や小冊子の発行、弊社主催のバス旅行など、新聞以外の事業を行うこともできた。

 教員も地域新聞づくりもその後の地方議会議員も私には楽しかったし生き甲斐だった。自分に適した好きなことばかりを仕事にしてきた。だから障害のことはすっかり忘れていた。右手が使えないなら左手でと思ったが、左手はもっと使えなかった。足が曲がらないことは不便だと思ったけれど、手が使えないことはさらに不便なことがよくわかった。

 人間の身体はよくできている。どこが悪くてもうまく、というのは普通の人と同じように、生活は出来ない。外科的なことは見た目にもわかる。内科的なことでも気力そのものが失われてしまう。友だちがアキレス腱を切断してやっと回復したけれど、歩いていると他人が追い抜いていくと嘆いていた。大丈夫だ、私の経験からするとそのうち普通の人たちと変わらないように歩いている自分がいるはずだ。

 でも一番ややこしいのは、心の病だ。健康で身体の障害もなく何の不満もない生活ができているのに、心が何かを求めている。子どもであれば何々症候群とレッテルを張られそうだけれど、そんな風に診断しても、果たしてそれでいいのかなと思ってしまう。
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