友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日の新聞に注目したい

2021年10月31日 17時32分47秒 | Weblog

 茨城に住む次女の娘の七五三のお祝いで、熱田神宮に参拝することになった。ダンナの兵庫県のご両親も来てくださるので、久しぶりにお会いできる。次女家族は4日に来て泊まり、5日は長島温泉に宿泊し、翌日は長女の一家も参加して、子どもたちはナガシマスパーランドで遊ぶ計画のようだ。

 次女の娘は、長女のふたりの娘に会うことが楽しくて仕方ないという様子である。長女の上の娘は結婚し、1っ歳になった男の子がいるが、長女の小6の娘も次女の小1の娘も、まるで弟のように可愛がっている。私たちの子どもの頃と違って、身近に赤子がいないからより絆を感じるのかも知れない。

 カミさんは大張り切りで、孫3人に揃いのパジャマを買って来たし、次女のダンナの「好きな飲み物を用意しなくては」と、もうその気になっている。面白かったのはカミさんが、小1の孫娘とやり取りしていたら、「ママちゃん、ちゃんとメモしておいてね」と先生口調で言われてしまい、カミさんの方がたまげていた。

 今日は総選挙の投票日。「この後で投票に行く」と長女に伝えると、「私のところはもう行って来た。小6の娘を投票所に連れて行って、どんな風に選挙が行われるのかを見せて来た」と言う。さすがは私の娘である。2016年に公選法が改正され、それまでは幼児なら連れて行けたが、18歳未満の子どもの同伴が認められることになった。

 18歳未満の子どもを持つ親が、子どもを連れて投票すれば、もっと投票率は上がるかも知れない。ただ、前にも書いたが、投票すれば終わりのような議会制民主主義で本当によいのかと思う。さて、今日の投票率はどうだったのか、明日の新聞に注目したい。

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先が見えてこないと気力も湧かない

2021年10月30日 17時36分27秒 | Weblog

 念願で難題の守山区の井戸掘りに出かけた。親子3人で掘り続けていて、鉄管を5メートル打ち込んであった。もうそろそろ水が出て来てもよいはずである。鉄管の中に吸管を入れ、エンジンポンプで汲み出してみるが、水は上がって来ない。

 メジャーで計ってみると、60センチくらいは水深がある。なのにどうして水が上がって来ないのか不思議だ。「船頭多くして、船、山に登る」の諺通り、ああでもない、こうでもないと自説を主張し、試してみる。けれど、水は出てこない。

 朝から夕方まで、立ちっぱなしの作業は年寄りには厳しい。こうすればいいという先が見えないから、余計に疲れる。ご近所にある井戸も深さは5メートルほどと言うから、水が出る深さまでは到達しているはずだ。それでも出ないのだから、やはりもう少し50センチ掘れたらと思う。

 明日は総選挙の投票日。「誰に入れたらいいのか」と、迷う人は多い。本当に自分の1票で政治が変わるのか、確信が持てないのだ。「コロナ対策が決め手」と言う人もいるが、与野党でそんなに違いが見えない。「金をくれる政党に入れる」と言う人もいるが、これも大差ない。

 けれど、自公政権がこれ以上長く続いては、ますます国民の政治離れは進むだろう。議会制民主主義とは、こんなにも政治を疎遠なものにしてしまうのか。小・中・高・大と1票を入れる練習はしてきたのに、入れるだけではダメで、入れた人は次に何かしなくてはいけないのに、何かが分からない。先が見えてこないと気力も湧かない。

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キンモクセイが再び花をつけた

2021年10月29日 17時20分48秒 | Weblog

 卒業生の女性から電話がかかってきて、「ベストをプレゼントするから、サイズを教えて」と言われた。「身長は縮んでしまったから162かな。体重は全く変わらなくて55」と答えると、「先生、変わっていないね。私は身長は同じでも、体重は60を超えてブヨブヨ」と言って笑う。

 高校生の時は、大柄だったが太ってはいなかった。色が白くてとてもキレイだった。ちょっと変わった雰囲気のある子だった。「高校の時は、みんなと馴染んでいなかった」と言うが、それなりに打ち解けていたように見えていたが、本人は意外に孤独だったのか。

 卒業を迎え、「これからどうするの?大学へはいかないの?」と訊いた。私は共働きでしか生活できないと思い込んでいたし、そのためには大学へいって欲しい、そんな気がしていた。彼女はそれを察知したのか、「先生はもっとふさわしい、良い人がいるでしょう」と言われた。

 どうしているのか気になっていたが、同じクラスの卒業生から、「自然と共に生活している」と聞いた。やっぱりどこか変わっている。電話の声はとても元気だった。はにかんだところが無くなり、たくましく生きている様子が伝わって来た。

 先日、リンゴと黒ニンニクとハーブ茶をいただいた。カミさんが健康オタクのようで、自家製だと言う。拘る人は徹底している。これが健康にいいとなると、自ら作ってしまうのだ。ナマケモノの私には出来ないことなので、有り難くいただいた。徹底できる人が羨ましい。

 キンモクセイが再び花をつけた。あの甘い匂いがしない。どういうことなんだろう。

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どういうことなんだろう

2021年10月28日 16時30分43秒 | Weblog

 風が強く吹いているが、青く澄んだ空から明るい陽射しが降り注いでいる。カミさんはゴルフに出かけたので、特にやることもなくのんびりとした一日。総選挙だというのに、余り街宣車は回ってこない。街宣車は最後の仕上げで、当落はこれまでにどれだけ積み上げてきたかにある。

 「この、ハゲ!」の暴言で衆院議員を辞めた豊田真由子さんが、『まいどなニュース』に選挙の厳しさを書いていた。支持者も知り合いもいない落下傘候補だったので、選挙の前は毎日、早朝の駅に立ち、知らない家を1軒1軒訪ねて歩いたそうだ。

 候補者がどういう人か、どういう考え、どういう政策を実現しようとしているのか、分かってもらえなければ支持も応援も得られない。ビラを作り、配布しながら話をする、そんな毎日の積み重ねが当落に結び付く。地方議員も国会議員も基本的には同じだ。

 ただ、地方議員はひとりでも活躍の場はある。けれど、国会議員は国の方針を決める役割だから、やはり数が要る。法案の提出も数が無ければ出来ない。政党の中で上にのし上がらなければ、自分の思いを実現できない。

 議員となった豊田真由子さんも、「当選した後も、いじめや脅迫が続いた」と述べている。自民党が特異なのかも知れないが、国づくりよりも地元への利益を持って来られる議員かで評価されるから、悩む議員も出てくるはずだ。

 今回の選挙で、大阪10区の立憲の辻元清美候補の応援に、自民党の山崎拓元副総裁が来ている。「辻元さんが当選するのは、日本のためである。小選挙区は辻元、比例区は自民」と演説したという。どういうことなんだろう。不思議だ。

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人と違うことを許さないためかも知れない

2021年10月27日 17時26分31秒 | Weblog

 小室圭さんと眞子さんの記者会見を見て、涙ぐんでしまったのは私だけだったのだろうか。「上から目線でものを言っている」とか、「本当に苦労したことが無いから、お金を借りていた人へのに感謝の気持ちが無い」とか、手厳しいことを言う人がいた。

 人の感情はそれぞれなんだと思い知らされた。私はおふたりが結婚することで、「ご迷惑をかけた」と言われたことが腑に落ちなかった。迷惑と誰が思っているのだろう。圭さんのお母さんにお金を貸した人も、「結婚に反対する気持ちは無い」と言っている。

 そもそも彼が週刊誌に、「金銭問題」を持ち込まなかったら、こんなことにはならなかったはずだ。婚約を発表したことは、秋篠宮も了解していたのだから、古式にのっとり結婚できたのに、何もかもぶち壊し非難さえ生んでしまった。どう見ても可哀そうなのは圭さんと眞子さんであろう。

 「結婚は孤独に耐えられない人がする」という。孤独でいられる人などいるのだろうか。男と女が求め合うのは本能なのだから、純愛であろうと不倫であろうと変わらない。結婚したなら、別の人に恋心を抱いてはいけないとキリストが言ったのは、別の人を好きになる場合があるからだ。

 人の感情は誠に計り知れない。頑なな人もいれば、奔放な人もいる。人に迷惑をかけなければ奔放でもよいと私は思うが、世間は決してそれを許さないだろう。自分が出来ないことを他人がすると、妬みの感情が生まれるのも、人と違うことを許さないためかも知れない。

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やっと肌と肌が触れ合えるというのに

2021年10月26日 17時13分26秒 | Weblog

 眞子さまと小室圭さんが結婚された。ふたりが見つめ合って婚約を発表された以後の4年間は、激しい妬みの渦巻きだった。マスコミは「ふたりの結婚に、賛成か反対か」とアンケートまで行った。今日もテレビは、「国民の全部が納得している訳ではありませんが、とりあえずはおめでとうございます」と報じていた。

 他人の結婚を、賛成か反対かと問う神経がどうかしている。皇族の結婚だからニュースにしているとしても、まるで幸せになる人を妬んでいるとしか思えない。皇族の令嬢を射止めた小室圭さんを恨んで母親のことを持ち出し、こんな人の子どもと結婚させていいのかと難癖をつけた。

 ふたりの記者会見は立派だった。眞子さまは「私にとって圭さんはかけがえのない存在です。私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」と言われた。圭さんは「私は眞子さんを愛しております。一度切りの人生を愛する人と共に過ごしたいと思っています」と、男らしい愛の告白だった。

 結婚はふたりの門出だから、大いに祝福したいのになぜか涙が流れた。娘にしろ息子にしろ、旅立って行くのを見送るのは辛いものだ。吉幾三が『娘に‥』を歌う時、自然に涙がこぼれるのは親の心境だからだろう。そう言えば、今朝、眞子さまを見送る秋篠宮の目も潤んでいた気がする。とにかく幸せになって欲しい。

 今晩、ふたりはホテルに泊まられるのかと思ったら、別々だという。下衆の勘繰りだが、ふたりの初夜は何時になるのだろう。やっと肌と肌が触れ合えるというのに。

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角を立てないことが秘訣のようだ

2021年10月25日 17時33分44秒 | Weblog

 友人がブログにカミさんとのやり取りを書いていた。彼のカミさんは出かける目的で、3つのバッグを使い分けている。ところがある日、「カードの入ったバッグが無い」と慌てていた。彼は即座に、「そのバックならこれでしょう」と当てたという。

 カミさんのクセを知り尽くしているのだろう。そのカミさんが「友だちとランチに行くので、お昼はひとりで食べてね。冷蔵庫の中に、温めれば食べられる物がいっぱいあるから」と言って出かけて行った。「昨日の残り物じゃーないか」と彼は嘆く。

 甘い物が好きな彼は、ひとりでの昼食となると、これ幸いとばかりにコンビニへ行って、クリームパンやレーズンパンやプリンなど甘い物をどっさりと買って来る。糖尿病なのにと心配した彼のカミさんの思いやりなのかも知れないのに、そこまで気が回らない。

 我が家でも似たようなことが結構ある。生協での買い物の中に、「頼んだのに入っていなかった物がある」というので、問い合わせの電話をしていたカミさんが、「分かりました。もう一度調べてみます」と言い、何やら探し出した。

 「こんな所にあるじゃーない。仕舞ったのはあなたね」と怒られた。カミさんと私では仕舞い方が違っていて、私は賞味期限の長い物は奥に、短い物は手前に置くようにしている。それが仇となって、カミさんは物が届いていないと思ってしまった。

 すれ違いはどこでも起きる。相手に原因があっても、非難せずに、「ごめん、ごめん」と謝っておかないと後に残る。年老いた夫婦が上手くやっていくには、角を立てないことが秘訣のようだ。

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「まさか、ねえー」と嘆く前に

2021年10月24日 17時30分10秒 | Weblog

 昨日の演劇で、「人生には3つの坂がある。何だかわかるか?」というセリフがあった。こういう言葉遊びは好きなので、思わず考えてしまった。「上り坂、下り坂」と、問われた側の役者が答える。「もう1つは?」と言われて考え込む。

 「マサカ」が出てくる。マサカは坂ではないから、まさか?であるが、東北大震災が演劇のテーマだから、重要な言葉だった。漢字で書けば、「真逆」となるようなので納得できる。パソコンで打つと、「真坂」と出てくるが、どういう坂なのだろう。

 「人生、山あり谷あり」ならば、誰もが実感できる。良い時もあれば悪い時もあるからだ。けれど、「真っ逆さま」となると愕然としてしまう。東北大震災を体験した人々にとって、確かに3つ目の坂は余りにも酷かった。それでも前を向いて生きていく姿に打たれた。

 人はどうしても断定しがちになる。生まれた家柄とか環境とかで、人の価値まで決めてしまう。キリストも釈迦も、人は何度でも変わることが出来ると説いた。自分が気付けば、そこから変わろうと努力する。「あの人はダメだ」と決めつける前に、自分を見つめることだと思う。

 「イジワルする人がいる」と聞いたが、私はそういう人は知らない。「気配りが出来ない人」はいるし、自己中心の人もいるが、わざわざイジワルする人が本当にいるだろうか。その人はきっと、係り合いが欲しいのに上手く表現が出来ないのだろう。

 世の中に、悪人で生まれてくる人はいないと思う。人生の3つの坂で、知らず知らずのうちに、追い込まれて、悪人になってしまったのだろう。誰かが手を差し出せば、悲劇にはならなかったかも知れない。「まさか、ねえー」と嘆く前に、誰かのために何かをしてあげられる人でありたい。

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演説の上手い候補者は誰なのか

2021年10月22日 17時25分39秒 | Weblog

 カミさんが朝早くからゴルフに出かけて行ったから、今日は一日中ひとりだった。お茶でもしようかと思った相手は不在で、結局はルーフバルコニーでの作業に徹した。大きな鉢のバラが3本枯れてしまったので、切り刻み燃えるゴミにして出した。

 根を掘り出してみると、全く張っていない。鉢から土を全部出せば、たくさんの幼虫がいるだろう。今日はそこまでは出来ないので、出来る限りの土を掘り出しが、案の定、幼虫がウジャウジャいる。虫も生きていくために根を食うのだから仕方ない。

 ミカンの木にもアゲハチョウの幼虫がいたが、先日、強風で床に落ちてウロウロしていた。捕まえてミカンの木の下の、風の強く当たらないところに置いたが、どこへ行ったのか見つけられなかった。冬が来る前にサナギになれば越冬できるだろう。

 総選挙が始まり、街宣車が時々やって来る。立憲の候補者本人が車を止めて街頭演説をしていたが、聞いていてもなかなかすっきりしない。コロナ対策は誰がやっても大きな差はないだろうし、分配なら自民も提唱している。政権交代の根拠が、「自公ではダメ」では弱すぎる。

 私も街頭演説を行ったことがあるが、下手だった。文章ならそこそこ書けるのに、演説となると相手の心に届かない。無党派市民派で勉強会はしたけれど、演説の練習はしなかった。今から思うと、同じテーマで演説して勉強すべきだった。

 「政治家は言葉が大事」というけれど、演説の訓練は必要である。演説の上手い候補者は誰なのか、これを見極めるのも有権者の務めかも知れない。明日はまた、演劇鑑賞のため出かけるのでブログは休みます。

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花のように規則正しくは生きられない

2021年10月21日 18時14分22秒 | Weblog

 秋は規則正しく花が咲く季節だ。9月の彼岸の頃には曼珠沙華が咲き、10月の運動会の頃には金木犀が咲く。名前を忘れてしまったが、友だちから貰った球根が咲いた。ヒガンバナと同じように、葉よりも先に花が咲く。赤だけでなくピンクもあったのだと、花を見て気が付いた。

 これから北風が強まるので、破れかけていた北の部屋の西側の日除け天幕を片付けた。窓が広くなったように感じる。人の感覚は不思議だ。自分に都合の良いように感じてしまう。夏の季節はミニスカートや短パンの女性が多かったのに、これからなそんな美脚が見られない。

 女性の脚に目がいくのは、年老いたからなのか。顔を見て、胸を見て、脚を見ると誰かが言っていたけど、女性に関心の無い男性はいないだろう。ところが最近、異性に関心の無い世代が生まれているらしい。本当はそうでは無いのに、そんな雰囲気があるのかも知れない。

 高校生の頃、私は生徒会活動に燃えていた。学校の教育にも不満や疑問を抱いていた。友だちもそういう類いが多かったが、全くそういうタイプとは違う友だちもいた。女性のヌード雑誌を持って来る奴、手作りのエロ小説を見せてくれる奴もいた。

 中には自慰をどうやってやるかを熱心に説く奴もいた。「交換日記」が流行り純愛に憧れながら、エロ写真を見てオナニーにふける、同時にそんなことができる奴が私には理解できなかった。成熟した女性に憧れる気持ちを「罪」と思い懺悔したのに、気持ちまでは払しょくできなかった。

 花のように規則正しくは生きられない。生きることの難しさを感じながら、ここまで生きてきてしまった。

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