友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

無事に茨城に着きました

2010年04月30日 19時28分17秒 | Weblog
 茨城県の次女夫婦のところへ無事に到着した。「茨城は田舎ですから」と茨城から愛知に移り住んだ人からそう聞いていたけれど、次女たちが住む街は結構大きく派手な造りだった。久しぶりに次女と話していたら、何かの話か定かではないけれど、お財布を拾った話になった。

 「本当に慌てん坊なんだから」とカミさんは言う。丁度、長女夫婦が私の誕生祝いを行ってくれた日、お財布を拾った。財布を落としたことがある私は、何よりも早く本人に届けることだと思った。カミさんは「警察の方がいいのでは」と言うが、警察では遅くなってしまう。落とした本人は一刻も早く財布が見つかって欲しいと思っているはずだ。

 そこがどうも私の早とちりというか、思い込みというか、勝手な解釈だったようだ。私は財布の中にあった診察券から家がわかったので、そこへ届けに行った。ところが留守だった。どうしようか、物が財布だけにきちんと届けておかなくてはと考えた。家に戻って、手書きを書き、郵便受けから家の中に入れておいた。

 それがいけなかった。誰もが朝には新聞を読むと勝手に思い込んでいた。全く気が付かれないままに10日余りが過ぎてしまったのだ。申し訳ないことをしてしまった。

 おっと、ここで次女のダンナのお帰りである。今日はここまで。
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こちらも不安である

2010年04月28日 19時19分08秒 | Weblog
 明日から次女夫婦が住む茨城県へ行くことになった。何もこんなゴールデンウィーク中に行くこともないのにと思うけれど、「高速道路が1千円で行けるうちにいかないと」と言われてしまった。高速道路の無料化をマニフェストに掲げた民主党は政権を取ると、「道路建設は地方から強く求められている」と小沢幹事長に要請された。高速道路を2千円にする案を出すと、「無料化を掲げたのに逆行する」とまたしても小沢幹事長からクレームが付けられた。そんなことが報道され、全く民主党は何をやっているのだと憤っていたけれど、カミさんはもっと現実的な解釈に出たのだ。

 次女夫婦がバンコクに居た時は、観光旅行を兼ねて出かけて行った。「政情不安が大きくなる前に帰国できてよかったね」と話していたが、今度は「作った喪服を持っていくから」と話している。母親というのはいつまでも子どものことが気にかかるようだ。一方的なおせっかいならいいけれど、そのうち子どもに世話になる時が来ると思って、その下ごしらえをしているのであれば母親の愛も打算的な面もあるということなのか。

 検察審査会が小沢一郎氏を「起訴相当」と議決したが、本人は「与えられた職務を淡々と全力でこなしていく」と語り、幹事長を辞任する考えのないことを明らかにした。職務を与えた鳩山総理は「続投をお願いしている」と言う。何と情けない指導者が国政を司る国なのか。ガッカリするとともに腹が立つ。自民党も民主党もダメだと新政党が雨後のタケノコのように生まれてきた。「みんなの党」「立ち上がれ日本」「新党改革」「日本創新党」など、タケノコだから根は一緒なのかも知れないが、どれも代わり映えはしない。「立ち枯れ」や「喪心」や「心頭カネカネ」のイメージすら浮ぶ。

 「やりきれない国になってしまった」と嘆いていると、河村名古屋市長が「減税日本」なる地域政党を立ち上げ、市議会で多数を取ると息巻いている。元気なのはいいけれど、ちょっと私には受け入れがたい。8月に「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」が『地方議員年金の廃止アクション』と題してシンポジウムを計画している。河村市長はその大事なゲストだから、ヘソを曲げられるようなことは言いたくないので、ここまでに止めておこう。ただ、国も地方も大きな転換点にあることは確かだ。

 連休の初日にどこまで行けるのかと不安である。東名は渋滞して動かないだろうから中央道で行く計画だ。山梨県の石和温泉で泊まるつもりだったけれど、ビジネスホテルしか空いていなかった。さてさて無事に茨城へ辿り着けるかな。2日には帰る予定なのだが、帰路はどこにも泊まらずひたすら走る計画というのも酷な気がする。そんなわけで明日からブログはお休みです。誕生日に長女夫婦からプレゼントされたデジタルメモ「ポメラ」を持って行き、思いついたことはメモしておこう。そう思っているけれど、実はまだ使い方も知らない。出来るのかなぁー?こちらも不安である。
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それでいいじゃないか

2010年04月27日 20時08分46秒 | Weblog
 5月の連休明けの日曜日に、小学校と中学校のクラス会が連続してある。連続してあっても別に問題はないけれど、2つとも幹事になっているので、その事務に追われている。小学校のクラス会は長い間、開かれなかった。小学校を卒業しても中学校が同じなら、中学校のクラス会で済ませてしまうのだろうけれど、私たちの小学校からは2つの中学校へ進む。だから中学生になったばかりの時に第1回のクラス会を開いている。あれからもう、すっかり忘れていたところ、50代になってだったと思うけれど、クラス会の案内が来た。

 市役所に勤めていた同級生が中心になって開いてくれたものだ。故郷を離れた私にはわからないけれど、町に残った者たちは厄年をきっかけによく集まるようになったそうだ。小学校は5年と6年が同じ組だったので、5年と6年の担任を招待して行なっている。5年の担任は20代半ばのきれいで溌剌とした女の先生で、6年は大学を出たばかりの男の先生だった。おふたりとも健在だが、残念ながら年齢からくる病気が顕著になってきているようだ。それで男の先生から出席できないという連絡があったけれど、女の先生は娘さんと一緒に来てくださる。

 クラスの男性で、まだ返事が来ない何人かに電話してみた。その最初で、「あら、ごめんなさい。ハガキが来ていたのは知っていたんですが」と女性の声。昨年の12月に同級生は突然死していた。そんな話を聞かされると、次に電話をかけることが億劫になる。気を取り直してまた、電話をしてみる。続く3人は本人が電話口に出てくれたので、ほっとした。けれども予定があったり、まだ現役で働いていたりして、クラス会への出席は無理だった。

 それでも話していると、確かに昔もこんな口調だったと思い出された。「悪いね。次回は必ず出席する」と言ってくれるから、余計に切なくなる。「ああ、僕らもだんだん少なくなるばかりだから頼むよ。それまでは健康に気をつけて、頑張ってね」と話す。確かにこのところ物故者は増えた。私が自分を変えようとした時、なぜか一緒に「やろう」と言ってくれた坂田英行君はもういない。高校でも一緒だったように思っていたけれど、高校のアルバムには載っていないから同じ高校ではなかったのだろう。あいつはどんな人生を送ったのだろう。

 昔のことを少しの間違いもなく覚えている人がいるが、私はどんどん忘れている。思い出そうとする気がない。必要なら日記を見ればよいのかもしれないが、もう見る気もしない。自分を分析する時の資料にと思って残しておいたけれど、そんなものは何の役にも立たないとこの歳になってよくわかった。自分が生きてきたその間に出会った人に再会することは面白いものだ。自分がどんな風だったか、他人の目から自分が見えるように思う。

 中学からの友だちのひとりがクラス会について、「そんな昔のことを話して何になる」とよく言う。別に何かの役に立たせようとか、これから先に何かをみんなでやろうというか、そんなことではなく、ただ顔を見て懐かしいなと言葉を交わすだけだけれど、それでいいじゃないかと思う。
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どうだろうか、鳩山さん

2010年04月26日 21時23分46秒 | Weblog
 沖縄で、米軍の普天間基地の県外、国外への移設を求める県民集会が開かれたと新聞やテレビが報じていた。沖縄の人は「県外移設では同じ苦しみを与えることになるから、国外に移すべきだ」と話していた。政府の腹案といわれていた鹿児島県の徳之島では大規模な移設反対の島民集会が開かれ、鳩山政権の迷走振りがますますハッキリしてしまった。

 軍事基地を「受け入れましょう」と言うところがあるはずがない。軍人による犯罪被害ばかりでなく、軍事基地なのだから有事の際には当然攻撃の対象になる。命を捨てて基地を受け入れる人はいない。誰もがそう思っているのだから軍事基地など無くせばいいではないか。沖縄も鹿児島もいや日本中が受け入れできないのだから、鳩山政権はハッキリ「出て行ってもらいたい」と言うべきだろう。それで日米安保条約が破綻ということになれば、それはそれで仕方ないだろう。

 みんなが死の恐怖に怯えながら、軍事基地を維持することは馬鹿げている。我が国の借金はもうすぐ1千兆円なると言う。財務省の予測ではこの後の3年間も毎年50兆円を超える税収不足が続くらしい。世界中で税収よりも支出が上回る国家が生まれている。財政破綻国家が続出する勢いだ。食い止めるには支出を減らして、「入るを持って出を制す」という行政の基本に帰らなくてはならないだろう。もう戦争などやっている余裕はないのだから、まず軍事費を無くすことだ。

 それでも財政破綻が続くようなら、1)増税、2)通貨単位の変更(デノミ)、3)ハイパーインフレ(物価の急騰)と、続くようだ。増税や通貨単位の変更は国策として行なうことがあるけれど、それでどうなるかという正確な予想は誰も立てられないようだ。ハイパーインフレも国策と言うよりは経済現象なのかもしれない。いずれにしても、政府の失敗を国民が尻拭いすることになるわけであるし、収入が乏しい人がいっそう苦しい生活を強いられることになる。

 私は、いっそのこと鎌倉時代のように「徳政令」で、借金は全てないものにするというのはどうだろうかと思っている。国債はお金に余裕のある人が買っているのだから、「国債は今日、ただの紙になりました」と決めても、怒る人はいても生活に困るほどではないだろう。ところが、やはり上手をいく人はいるようで、財政破綻したギリシャでは、お金持ちはいち早く国外に脱出したり、保護策を要求したそうだ。そんなことを考えると、数が多い貧しい人々に犠牲を求める方が手っ取り早いと政治家は構想しているのだろうか。

 毎月1,500万円ものお金を受け取っていたのに、「知らなかった」鳩山さんではどう考えても財政破綻を建て直すことは出来ないだろうなと思えてしまう。かくなる上は普天間問題で、「アメリカ軍は出て行っていただきます」ということくらいは言わないと、鳩山政権は何だったのかということになってしまう。どうだろうか、鳩山さん。
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「八重桜を愛でる会」

2010年04月25日 19時53分31秒 | Weblog
 今朝、友だちのブログを見ていて、続いて自分のブログを見て、あれっやっぱり書いていないと気が付いた。私としてはパソコンに向かったような気がしていたけれど、あれは夢だったのかと今になって思う。中学からの友だちと毎日必ず書こうと約束しながら、このところ書いていない日があることが気になっていた。4月18日が投票日だったから、それまでは何かと忙しく、じっくりパソコンに向かい時間がなかった。短歌教室の7首投稿も結局出来なかった。

 やはり、ボーッとしているようでもパソコンに向かって何かひらめかないと文章も短歌も生まれてこない。適当に何か、新聞やテレビをヒントに書き出せばよいのだろうけれど、その新聞やテレビを見る時間がない時はネタに困る。それでもふと、何気ない時に思いつくことがあるのだけれど、そんな時に限ってメモ用紙が見つからなくて、後から思い出そうとしても全く思い出せないものである。

 昨夜は朝から井戸掘りだった。3月に掘った家なのだが、水量は豊富なのに、水を貯めておくと嫌な臭いがするというので、もう一度場所を変えて掘ることにしたのだ。10メートル近くまで掘って、強い水脈と思われる場所に到達した。水は透明で水量も豊富だ。水質を調べてみると鉄分が多い。やはりこのまま放っておくと鉄の臭いがするかもしれない。とりあえず水を出しっぱなしにして様子を見ることにする。私はこの後、「八重桜を愛でる会」に行かなくてはならなかったので、午後2時半までに一区切りついてよかったと思った。

 「八重桜を愛でる会」は、長女のダンナの姉の家で行なわれた。義姉夫婦が住むマンションの前に、幅1.5メートルほどの用水があり、その両岸に八重桜が何十本と植えられていて、それは見事だった。1週間前には町内の桜祭りも行なわれたそうだが、その時はまだ3分咲きだったという。桜は誰が植えたものなのか、調べたならばその歴史は面白いかもしれない。よく見ると枝が重なり合っていて余り手入れはしていないようだ。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言い伝えはあるけれど、ソメイヨシノのように外に広がっていないので枝同士がぶつかり合っていて可哀想だ。

 ライトアップこそなかったけれど、マンションの窓いっぱいに八重桜が見え、これを肴にお酒をいただくには充分すぎた。男たちはビールや日本酒の後、北朝鮮からのビールとか韓国の焼酎とか世界のお酒を飲みながら、グローバルに話が弾んでいた。女たちは、せっせと料理をするやらお酒を味わうやらもっぱら料理を堪能するやらと、バラエティーに富んでいた。義姉のダンナは茨城県の出身で、居酒屋友だちという人は青森県の出身、しかもふたりは化学が専攻なのか、日本酒を傾けながら「化学談義」も行なっている。

 家族が増えるとこうしたつながりもでき、私もいい気になってお酒をいただき、分かったような口を利いていた。家に帰ってパソコンに向かったはずなのに、実際はそのままバタンキュッだったのかもしれない。
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新緑の世界はもうすぐ手前まで来ている。

2010年04月23日 22時26分58秒 | Weblog
 友だちに誘われて、松坂屋美術館で行なわれている『春の院展』を観てきた。日本画の秀作がずらりと並ぶのだから見ごたえがある。入場者も多くてビックリした。日展と同様にそれだけたくさんの愛好家がいるということなのだろう。作品を観ているとそのテーマや技法から、若い人が描いたものだろうと思われるものが多くあった。そうか、それだけ私は歳を取ってしまった。

 7階のロビーから下の久屋大通りを見ると、クスノキが若々しい葉をいっぱいに広げていた。もう新緑の季節である。大通りを行き交う車も人の群れも、雨の中にもかかわらず、なんとなく春めいて見えるのは気のせいだろうか。若い人たちはピチピチと動き、お年寄りの顔もなにやら元気そうだ。新緑の季節は人々を活き活きとさせている。

 近頃の世界各国の指導者を眺めても、私よりもはるかに若い人が多い。いつの間にか追い越されてしまった。今日、カミさんはゴルフの大会で出かけたので、車はあったのに遠出をすることもなく、溜まっていた片づけ仕事で一日過ごすことになった。こういう日がないと、後回しにしていた雑務を処理する機会がつくれないから、結果的にはありがたい一日だった。

 今年の8月21日(土)に愛知県産業労働センター(昔の中小企業センター)で、「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワークが行なう『地方議員年金の廃止アクション!』の会場費の振込みのために郵便局へ出かけた。郵便局からの振込みは始めてであったので、いつもそうなのだが、久しぶりだとすっかり以前のことを忘れている。職員から書き込みの仕方を教えられたのに、以前はこうだったと反発して言ってしまった。家に帰って以前の用紙を見ると、指摘されたとおりであった。いや申し訳ない。

 なかなか覚えきれないのか、思い込みが激しいのか、はたまた注意力が足りず学習能力が欠如しているのか、恥ずかしくなった。それでも職員の人は、初めは少しつっけんどんであったけれど、次第に同情してくれたのか親切に対応してくれた。わけの分からないことを言う年寄りではなく、本当に困っているんですということが職員に伝わったのかもしれない。

 『地方議員年金の廃止アクション!』に、ぜひ河村名古屋市長に出席してもらい、名古屋から議員年金廃止を全国に発信する運動を展開しようと提案者は考えていた。そこで昨夜、一緒に河村事務所にお邪魔した。話している時にふと、若い人は血気盛んだなと感じた。一生懸命さはよくわかるけれど、人を説得するためには相手の気持ちを考えなくてはならない。こちらはお願いする方だから、下手にあるのだけれど、へりくだっているもののこの提案は価値があることを認めさせなくてはならない。

 年齢を重ねるとその辺りの話し合いが、駆け引きではなくスムーズに出来るようになる。それは良いことなのかそれとも老獪になったということなのか。正直でありたいと思うけれど、馬鹿正直でない方がよい場合がある。難しいけれど、それが生きるということなのかと思う。
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交差点に春風が吹いて

2010年04月22日 22時53分01秒 | Weblog
 雨が激しく降っている。朝の気温よりもお昼過ぎからの気温の方が低くなるという。昨日とは15度も気温差があるらしい。昨日はポカポカ陽気で、初夏のような一日だった。目の前を長い髪を風になびかせて、半そでに超ミニスカートの女の子が自転車で通り過ぎて行った。女の子と思ったがよく見ると30代の女性だった。白い太ももがむき出しになっていて、思わず見とれてしまった。肌を露出しても気にならない季節がやってきたと思ったけれど、今日はまた一変して肌寒い一日となった。

 自転車で交差点を通り抜けようとしたお年寄りがいた。青信号で走り出した時、何かが落ちた気がした。同乗者に「あれ、あの人、何か落としたよね」と言ったけれど、私の隣の人は気がつかなかった。私は降りて教えてあげるべきかと迷ったけれど、その時、反対側から来たご婦人が、そのお年寄りに何か話し、お年寄りは引き返してきた。確かに自転車の前のかごから風呂敷包みが路上に転がり落ちたのだ。教えたご婦人は黙ってそのまま歩いていった。教えられたお年寄りもお礼を述べることもなく、交差点に立っていた。

 お年寄りはなぜ「ありがとう」と言わなかったのだろう。落としたものはたいしたものではなかったかもしれないが、教えてくださった人にお礼を言っても罰は当たらないだろう。そういえば、私も自分が住むマンションのエレベーターホールで財布を拾ったことがある。カミさんは「警察に届けたら」と言ったけれど、落とし主は今すぐにでも探しに来るかもしれない。おそらくマンションの住人なのだろうから、届けてあげた方がいいのではないか、そう思って、失礼ながら財布の中を見させてもらった。案の定、診察券が入っていてどこの部屋か分かったので、届に行った。しかし、ベルを鳴らしても不在だったので、手紙を書いて郵便箱から中に入れておいた。

 あれから何日も経ったけれど、「ありがとうございました」の連絡はない。私はお礼を言われたいと思ってはいなかったけれど、これだけ何の連絡もないと、黙って郵便箱に入れて本当に良かったのだろうかと不安になった。落とした人はどんな人なのだろう。娘たちと同じくらいの女性のように思ったけれど、私の子どもたちはキチンと挨拶が出来ているのだろうか。そんなことまでも考えるようになってしまった。太ももをさらけ出して自転車に乗っていないだろうか。人に助けてもらったのに、お礼が言えてないということはないだろうか。

 松坂屋で春の院展を観てきた。予想を上回る人出だった。日本画に対する興味は大きなものがあることを改めて知った。もちろん、ここでもご婦人が多かったけれど、マナーを乱すような人はいなかった。自分の好きな作品の前で熱心に見入っている人が多い。デパートから見る久屋大通りは新緑が美しかった。こんな風に自然は装いを変えていく。私は誰かとこの思いを共有したいと思った。
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原動力と破壊力

2010年04月21日 21時42分40秒 | Weblog
 どういうわけか、とても眠かった。夕方、我慢できずに横になって、30分ほど熟睡した。おかげで何かスッキリした。お昼ご飯の後、睡魔に襲われることはよくあるけれど、夕方になってもまだ睡魔が襲ってくるとは思わなかった。自然のリズムが少しおかしいように、私の身体のリズムもおかしいのだろうか。

 地球の異常現象、地震とか異常気象とかは太陽の活動によるものだと解説していた人がいた。なにやら科学的な説明で、説得力があった。太陽のどういう活動が地球にどういう影響を与えているのか、具体的なことは覚えていないが、なるほどそういうことだったのかと妙に納得できた。

 宇宙飛行士の山崎直子さんが15日間の宇宙の旅から無事に帰還した。「美しい地球の自然をこうしてまた感じることができて、とてもうれしい」と語っていたから、宇宙から見る地球はよほど美しかったのだろう。初めて宇宙から地球を眺めたガガーリンは「地球は青かった」とその美しさを表現していた。

 私は宇宙ステーション造りには興味も関心もない。どうしてそんなことに莫大なお金をかけるのかと思っている。それでも、宇宙から地球を眺めてみたいという気持ちは理解できる。宇宙と言ってもそこは地球からわずか400キロ離れた空間だ。東京から名古屋か大阪までの距離が、地球の様々な形を眺められる距離というのも不思議である。

 宇宙ステーションは地震や異常気象の予報などに役立つのだろうか。予報は出来ても、災害そのものを防ぐことは人間の力では無理だろう。確かに私たちの生活はわずか100年前とでは大違いである。便利になりすぎているし、豊かになってきている。寒さや暑さから身を守ることは充分にできる。食べ物も世界各地のものが手に入る。短時間にどこにでも行ける。医学はもうひとりの人間を作り出すほどに進歩した。

 けれど、その恩恵に充分満足している人々がいる反面、全く受けられない人々も多くいる。神はこの矛盾をどのように考えているのだろう。「そこが人間の罪なのだよ」ということなのかもしれないが、そうであるならば、人間はどうすることが出来るのだろう。山崎直子さんの帰還を一人娘の優希さんが一番喜んでいた。母親の存在は絶対的だ。

 ところで、2歳年下の夫の大地さんはどう思ったのだろう。抱きしめて熱い抱擁を交わしたのだろうか。彼は直子さんのために主夫業に徹する道を歩んだけれど、それで本当に納得できたのだろうか。私も主夫業でよいと思ったけれど、実際にやってみるとそれは虚しかった。社会とつながっていたい、社会から評価される人間でありたいと思うようになっていた。

 抱き合うだけでは埋められない何かがあることを、そしてまた抱き合うことで満たされる何かがあることを、私は思い知らされた。人間の欲は深くそして計り知れない。それは人間が生きてきた原動力ではあるけれど、同時に破壊力でもあるのかもしれない。
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寒かった

2010年04月20日 23時08分35秒 | Weblog
 寒い。夜になって北側の部屋にいると、ストーブが恋しくなる。桜はすっかりハザクラに変わろうとしている。チューリップもほとんど花は散ってしまった。街路樹のケヤキが芽吹いてきた。よく見ると、若葉が多くついている枝もあれば、まだ枯れたままのものもある。紅葉の色づきが違うように、若葉の出方も一様ではないようだ。確実に春は進んでいるのに、今夜は寒い。

 春だからと日ごとに暖かくなるわけではないし、樹木の芽吹きも同じ調子ではない。大自然でも細かく見たなら、個々に違いがあるのだから、ましてや人間はもっとたくさんの違いがある。昔から「人は様々」とよく言うけれど、本当にそのとおりだと思う。それぞれの違いを認め合えばきっとおおらかに生きていけるだろう。しかし、他人の個性についてはなかなか受け入れられないのがこれまた人間の「個性」なのかも知れない。

 他人を支配したがる人もいれば、そういう強い人のもとに身を置くことが好きな人もいる。とても誠実なのにほら吹きで、言っていることの辻褄が合わない人もいる。他人の言ったことを自分の意見のようにオウム返しに言う癖のある人もいる。「亭主元気でルスがいい」と言う人もいるけれど、「あの人とは一緒にいるのもイヤ。お墓も別にしたい」と言う人もいるし、「もう一度結婚するなら、やっぱりウチのヒトがいい」と言う人もいる。

 人はいろんなタイプがあるから面白い。お酒が飲める人も飲めない人も、いびきをかく人もかかない人も、グチばかり言う人も馬鹿みたいに楽天的な人も、人にはいろんなタイプがある。極端な例を挙げたけれど、極端ではないけれどどちらか言えばそうだよねという人もいる。人間をそう簡単に決め付けない方がいいと思う。長所は短所であり、逆もまた真である。私たちは不完全な存在だ。だからこそ生きている意味があると私は思っている。

 認知症にかかると何もかも判断できないと思っている人がいるけれど、他人が自分をどんな風に見ているかは感性で分かるようだ。馬鹿にしているとか大事に思っているとか、そういう微妙なことを汲み上げる感性は健在である。だから、嫌いとか楽しいとかの感じはよくわかるのだ。認知症は急速に進むことはないだろうけれど、周りが邪険に扱えばそれなりの方向へ行ってしまう。だからと大事にすれば、これまた現実離れした不思議な世界が地球を覆うことになるだろう。

 「愛は決して後悔しないことだ」とはテレビドラマのセリフである。なかなかしゃれたことを言うねと思った。愛したことを後悔するような恋ならば本物ではないだろう。そう書いてから、本物の恋とは何だろうと思った。命がけの恋は本物だろうけれど、命がけで恋をするのだろうかと疑問が浮んできた。

 今日はとても眠い。文字を見ているだけで深い睡魔に襲われる。16日に66回目の誕生日を迎え、昨夜は子どもたちや孫娘が祝ってくれた。自分にとっては余りにも長く生き過ぎたような気がしているけれど、こんなにも何もかも分からないままにこの世におさらばするには、まだ若すぎる気がしないでもない。要するに人は勝手なのだ。自分に都合の良いように解釈したがる。私はその典型だろう。
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投票基準はどこなのだろう

2010年04月19日 23時52分37秒 | Weblog
 選挙の結果は全く4年前と同じだった。現職は4年前には2万票の得票だったが、投票率が下がったために1千票減らした。今回の挑戦者の得票は前回の3人の合計とほぼ同数だから、現職の票はかなりしっかりと固まっている。ただ、4年前には無かった政権交代が実現し、たとえ民主党政権はもたもたしているとしても、その期待感はマグマのように残っているような気がする。こんな小さな自治体でも新しい風を期待する気持ちは広がっている。それが票にはっきり表れてくるのはもう4年後なのだろうか。

 市長選挙と市議選挙を一緒に行うのは、現職市長や多数派の市議には有利に働く。市長派と思われる市議候補者の得票数の合計から10%減らした数が現職市長の得票であることからも、市長選挙と市議選挙をセットで行うことの有利さが見えてくる。市長選だけで単独に行なうならば、かなり違う結果になったかもしれない。市議選では、ほとんど応援者が付かないで本人がひとりで奮闘していた人が何人かいたけれど、真面目に市政の問題点を取り上げて訴えた人は当選している。

 大勢の応援者を引き連れ、街宣車から怒鳴り散らさなくても、市議選ならば勝てることを証明している。自分の考えなどを書いたチラシも配らず、自転車で走り回るだけで、演説もしなかった人は当然ながら落選した。その彼は「ボランティアで選挙は出来ないでしょう」と言っていたけれど、ひとりでも確かに選挙運動は出来るけれど、何がしたいのか、どういう市議を目指しているのか、そういうことを訴えなければ有権者は判断のしようがない。「演説は苦手ですから」と言うのであれば、少し練習されておくべきだったと思う。

 選挙をやっていつも思うことは、どうして政策や人柄で判断されないのだろうかということだ。皆さんの投票基準はどこにあるのだろう。選挙の応援者を見ていても、主義主張よりも同学年とか同じ地域とかいったことで応援に回るケースが多い。候補者の思想や政策よりもそうした連帯感や一体感が選挙を支えている。選挙という「勝つか負けるかという勝負」は、運動会に共通するようなところがある。みんなで歯を食いしばって頑張る、そこから生まれる連帯感や一体感が参加した者には忘れられない気持ち良さとなるのだろう。

 まだまだ、この地域をどうするのか、あるいはこの国をどうしていくのか、そんなテーマについて首長や議員を選ぶ投票には至っていない。けれども、いつまでも地域エゴや団体のエゴが優先されるような選挙であっていいはずはない。有権者が候補者を厳格に見比べ選ぶ時代が必ずやって来るだろう。いやすでに、多くの国民はそうした目で候補者を選別しているはずだ。候補者を支え持ち上げてきた応援者は単に候補者のためのロボットではなく、ひとつの目標を同じくする同士であって欲しいと思う。
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