友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

マジョリティにはなれなかった

2012年01月31日 21時04分44秒 | Weblog

 アメリカのオバマ大統領は、核開発が進むと見られるイランに対して軍事力を持ってこれを阻止すると演説していた。今年の秋の大統領選挙をにらんでいるのだろうが、あさはかとしか思えない。オバマ人気が落ちているのは、彼が支持者の期待したことに応えないからだ。アメリカも日本と同じねじれ国会で、野党を抱き込まなければ法案が通らないから、オバマ色はどんどん褪せていった。それに失望した支持者が離れるのは当然だろう。しかし、受けを狙うためにイランへの攻撃も辞さないとなれば、ブッシュ前大統領とどこに差があるのだろう。

 

 そもそもイランが核を持つのはダメで、アメリカはなぜよいのか、そこが私には分からない。大学1年の時に高校の同級生が私に会いに来た。彼は共産党の青年組織に入っていて、私にも入れと言いに来たのだ。私が新聞部で予備校のようになっている高校を批判したり、生徒会で学校とぶつかったりしていたから、当然入会するだろうと思っていたようだ。私はアメリカのベトナム攻撃には反対だったし、その頃問題になっていたアメリカ原子力潜水艦の寄港にも反対だった。でも、彼が「武力には悪いものとよいものがある」と言い、「ピストルも悪人が使えば凶器だが、善人が使えば防衛になる」と言うのには合点ができなかった。「殺し合えば同じことだ」と言ったために口論になった。

 

 「アメリカはベトナムを攻撃し、多くの人々を殺している。それは絶対に許されない。しかし、ソ連もハンガリーに進攻し、多くの人々を殺した。武力で人を押さえつける考えを否定できない反戦運動はインチキだ」。私がキリスト教会に通っていたことを彼は知らなかった。私は平等であること、公平であることを正しいと思っていた。愛が世界を変えると考えていた。神はなぜ戦争を許しているのかと疑問に思っていた。キリスト教の国アメリカはなぜ人殺しを是としているのかと憤っていた。私は、戦争はどんな理由でもダメだと考える原理主義者(そんな言葉はなかったけれど)だったのだ。

 

 私をオルグに来た彼は、私に向かって「お前のようなトロツキストは我々が革命を成し遂げた時は絶対に処刑してやる」と捨てセリフを残して帰って行った。私は自分が世界革命主義者だとは思ってはいなかったし、他人からそう決め付けられるほど確固とした考えの持ち主でもなかった。私はずぅーと悩んでいた。キリストの言葉は正しいと思っていたが、しかしなぜ神は人々が傷つけ合うことを、そればかりか殺し合うようなことまでも許すのかと疑問を抱いていた。私は罪深く決してキリスト者には成りきれないと感じていた。高校時代はおとなしくて居たかどうかも分からなかったような同級生に、いきなり「殺してやる」と言われて私は動揺した。なぜ、そんな風に憎まれなければならないのかと思った。

 

 けれども私の考えは変わらなかった。武力で平和が実現できるとは考えられなかったし、人の犠牲の上に成り立つ理想社会を認める気にはなれなかった。いつもマジョリティに属することは無かったけれど、間違っているとは思わなかった。今から思えば、キリスト者にはなれなかったのは私の考えが余りにもアナーキーだったからだろう。規則や決まりが無いところに自然と秩序は生まれてくる。そういう社会こそが自分の目指す社会だと思うのは余りにもアナーキーだった。無政府主義の国家は存在しないと誰かが言っていたけれど、国家そのものが無くなる社会なのだから当然のことだと私は思う。

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デビット・ピアフと孫娘

2012年01月30日 20時03分06秒 | Weblog

 高校2年の孫娘が学校帰りに我が家に寄って行った。土曜・日曜日と家族でスキーに出かけたが、泊まる宿が駐車場から歩いて2キロも奥にあって大変だったこと、湯浴みしている野生のサルを見たこと、13段飾りひな祭人形を見て来たことを話してくれた。「それで、スキーはどうだったの?」と聞くと、「だから時間が取れなくて、結局滑ることができなかった」と言う。「そうか、大学受験なら滑らなくてよかったと言うところだけど、それは残念だったね。ところで、ブログのネタになるような面白い話はない?」とたずねると、体育の時間の話を始めた。

 

 バスケットボールの試合をやったけれど全く勝てなかったと言う。孫娘が運よく入れたスリーポイントからの6点が唯一の得点なのだ。チームはくじ引きで決めるのだが、どういうわけか彼女のチームの5人は全員小柄で、平均身長は153か4センチしかない。ところが相手は170センチより大きな子がふたりもいて、平均身長は166か7センチもあるので、前で立ちふさがれると味方が見えない。パスしてもみんな取られてしまうし、ボールを持ってもすぐに取り囲まれて、味方へのパスが通らない。「私ともうひとり149センチの子はどういうわけかいつも同じチームで、何やっても勝てないのよね」としきりに嘆く。

 

 スポーツはどうしても身体の大きい方が有利だ。昨日の大阪国際女子マラソンでも優勝したのは168センチの重友梨佐選手だった。監督は「太っては故障しての繰り返しだった」と言うが、大きなピッチでグングン走る姿は「強い」と思った。マラソンは太っていては勝てないけれど、スタミナが無くても勝てない。大きな身体を充分に活かす走法が身につけばきっと成績も上がるだろう。我が家の家族はみな走ることは早いけれど身体は小さい。高校時代は陸上部で県大会にも出場している孫娘の母親も小柄だが。父親の方は男としては普通の体格で中距離の選手だったと聞いた。孫娘も走るのは速い、それだけに常にマークされ、つぶされてしまうのだろう。

 

 「あなたは何センチだった?」と孫娘に聞いてみた。「147センチ」と言う。小学校の時の水泳の練習が余りにも過度で、背が伸びなかったのだと思う。「147センチか、フランスの国民的歌手のデビット・ピアフといっしょだね」と話すがきょとんとしている。デビット・ピアフの名前など知るはずも無いのだ。私も子どもの頃に名前を聞いたことがあり、映画館のニュースで見たかなという程度だ。シャンソンと言えばピアフというくらいの代表格なのに、彼女の人生はすさまじいものがあった。映画にもなったが、昨夜のBSでも取り上げられていた。

 

 私が子どもだったからかも知れないが、ピアフが147センチの小さな女性だとは知らなかった。少し低い太目の声で舞台で歌う彼女は、画面だけ見ていると大きな女性に見えた。どんなに体調が悪くても舞台に立ち続けたという。女性としての性的な魅力は欠けていたけれど、彼女が歌いだすとまるで舞台と性交しているように艶かしかったと評論家が言っていたが確かにそんな気がした。ベッドをともにした男性も数多かったから、彼女は誰を本当に愛したのだろうかと一瞬考えてしまったが、すぐに愚問だと気が付いた。ピアフはみんな愛したのだ。彼女は愛さずにはいられなかったのだ。彼女に愛された男たちもまた同じだろう、きっと。

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男の涙

2012年01月29日 19時27分31秒 | Weblog

 目がかゆい。眠っている時にかゆくなるみたいで、眠りながらも自分で目をこするから、かゆくなって目が覚めてしまう。こんな寒い時に花粉症でもあるまいと思いながら、洗面所で目を洗う。その時、そういえば眼科でもらった目薬がまだ残っていることを思い出した。「アレルギー性眼炎ですね」と言われて出された目薬だ。袋を見ると昨年の1月18日と書かれている。こんな冬にと思ったけれど、やはり規則正しく同じ時期に罹っている。眼炎には心因性はないのかと、昨年の手帳を調べてみたけれど、楽しいことはあっても嫌なことはないようだから、やはり気持ちが病気の原因ではないらしい。当たり前のことか。

 

 眼炎には涙を流すのが一番よいと思っているわけではないけれど、最近は涙を流すことが多い。今日は日曜日で、『カーネーション』の放送はないが、その代わりに『のど自慢』でしっかり泣いてしまった。泣くと言ったけれど、オイオイと声を上げて泣いているわけではなく、ニコニコ笑っているのに涙が勝手にあふれ出てくるのだ。涙腺と鼻水はつながっているから始末が悪い。テッシュを目に当て続いて鼻をかむことを繰り返している。どういう場面になると涙が溢れてくるのかと振り返ってみると、大方は頑張っているなと思う時だ。何かを成し遂げようと努力している人、目的を達成した人、それを支えた人、こんなことに感動しているのは、もう自分にはそうしたことがないなあーと思うからなのかも知れない。

 

 女子ソフトボール日本代表の監督だった宇津木妙子さんは、「私は、人前で泣くことはほとんどありません」と述べていた。「トップの人間が仕事の場で、感情にまかせて泣くべきではない」とも言う。「悔しくて泣きたくなると、走りにいきました。涙は風が自然に拭いてくれます。そうやっていろんな思いも流します。泣きたいけれど、見せない。努めてそうするのはすごく孤独です」。政治家の鈴木宗男さんはよく泣く。「いいじゃないですか。うれし涙、悔し涙。涙は悲しい時だけ出るんじゃないんです。涙は人間の最高の感情表現なんです」と開き直っている。家族から「人前で泣かないで。男の中の男、強いところを見せて」と言われるそうだ。厚生労働省の村木厚子さんは決して泣かず無実を主張したが、事件を知った鈴木宗男さんは泣いた。「涙は重く、尊い。愚直で正直であることの証明でもあります」とも言う。

 

 鈴木宗男さんよりも4つ年上の私は、「男子厨房に入らず」と男の威厳を保つ中で育った。「男は泣く者ではない」と明治初期生まれの祖父はよく言っていた。母は感情的な人だったから喜んでも悲しんでも泣いたが、父は表情を見せない人だった。東京工業大学のロジャー・パルバースさんは日本文化の研究者で、「江戸時代までの日本の男はよく泣きました」と話す。それが明治になって西洋に追いつき追い越せと、「イギリスのビクトリア期の風潮をまねて、男は涙を見せるなとなった」と言う。ビクトリア期は大英帝国を維持するために、若い公務員や軍人を植民地に送って困難な生活に耐えさせる必要があった。寄宿舎のある学校で、自立を求め、体罰やいじめに耐えられる、泣かない男を理想としたのだ。「帝国主義が男から涙を奪った」と説く。

 

 アーン、アーン泣くのはみっともないが、ボロボロ泣くのはまあいいか。

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物事を極める人が昔から居た

2012年01月28日 19時05分10秒 | Weblog

 昨日の『モーツァルト 最後の3日間』は、1791年に亡くなったモーツァルトの死因についての物語だった。イタリア人の数学者が謎に包まれていた死因を丹念に調査し、解明していった本『撲殺されたモーツァルト』が日本で出版されたことを記念して企画された、演劇・朗読・アコーディオン演奏・独唱・合唱という盛りたくさんの会だった。友だちは最初の演劇と続く朗読に出演していた。モーツァルトの死については、妻のコンスタンツェが毒を飲ませたとか、彼が所属していた秘密結社フリーメーソンによる殺害とか、宿敵サリエーリによって毒殺されたとか、梅毒だったとかいろいろな説がある。モーツァルトを映画にした『アマデウス』は奇人のごとく描いていた。

 

 モーツァルトの死因を彼の友人フランツ・ホーフデーメルによる撲殺とこの数学者は解いている。たまたま酔っ払ったふたりが路上で出会い、勢い余ったフランツが杖で叩いたことが原因で亡くなったというのである。フランツは妻のピアノ教師であるモーツァルトが、妻を誘惑し妊娠させたと怒り狂ったのだ。友だちはこのフランツを演じていたけれど、酔っ払い振りも怒りの様も実にうまかった。声がとてもよく響き、大役を十二分に努めたと思う。それにしてもひとつのことにとことんこだわり、どこまでも解き明かしたいと思う人はいるものだと感心した。

 

 『旧約聖書』を読んでみようと思っていた時に、講談社の文庫本を見つけた。著者を見たらカトリックの宣教師で聖書学者とある。パラパラッとめくってみると半分は解説になっていたので、これなら読んでも分かるだろうと思って買った。旧約聖書の「創世の書」なのだが、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も原点となっている書ということが納得できた。人類が誕生したのはアフリカであることは間違いないようだけれど、どうしてそれが世界各地へと広がっていったのかは分からない。NHKテレビが『ヒューマン』という番組を制作しているが、人類が生き延びたのは協力することができたからだと解説していたけれど、「創世の書」は殺し合いや騙し合いばかりである。

 

 メソポタミアはチグリス川・ユーフラテス川が流れる肥沃な土地で、ノアの箱舟から降りた人類の祖先もこの地で暮らし始めた。ウルというところにいたアブラハムは彼が信仰する神に従い、北上しそこから西に進み、今度は南下して約束の地カナンにやってくる。現在のシリア・ヨルダン・イスラエルの辺りらしい。ウルでの生活はどういうものか分からないけれど、旅をするためには一箇所に固定する農業ではできないだろう。一族を引き連れていくことからも遊牧民と考えてもよいのかも知れない。行く先々で財産を増やしていくが、家畜や子どもが増えることを意味しているようだ。

 

 他の人々と争うことになっても、一族の数が多ければ圧倒的に有利であるし、数が多ければ世話をする家畜の数も増える。アブラハムはそれだけでなく、他の人々が尊敬するような風格とか知恵を持っていたようだ。メソポタミアの人々、あるいはカナンの人々はそれぞれに信仰する神を持っていたが、聖書だから当然なことだけれど、アブラハムが信仰する神が唯一の神になっていく。そうなると、たくさん居たいろんな人々はアブラハムの直系ではないが、アダムとイヴのそのまた子孫の枝分かれで、アブラハムの子孫がそれぞれの部族となったのだと書いている。こんな風に物事を極める人が昔から居た。なるほどとまた納得してみる。

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ドラマ3連発

2012年01月27日 16時06分39秒 | Weblog

 今朝のNHKテレビ『カーネーション』は、15分間同じ場面だった。主人公の糸子が親戚や隣近所から非難の集中砲火を浴びていた。糸子は戦争未亡人だが、好きになった周防は妻子持ちである。お互いに好きになって抱き合ったけれど、それ以上ではない。縫製職人の周防はこの店を去って暮らしていくとなれば大変な苦労を背負うことが目に見えている。彼の妻は原爆後遺症の身なのだ。事態を察して周防は店を辞めようかと言うけれど、糸子は引き止める。親戚や近所や従業員から有り余る非難を受け止め、それでも周防を追い出すことはできないと言う。「あんたはそれでいいかも知れないが、子どもが可哀想だ」と最後の切り札を突きつけられる。そこへ子ども3人がやってきて、「お母ちゃんは一度も間違ったことがない。お母ちゃんのやりたいようにやらせてください」と頭を下げる。

 

 昨日は映画『サルトルとボーヴォアール』を観て、夜はさらにテレビドラマ『最後から2つ目の恋』を観て、今朝はまた『カーネーション』を観て、余りにも男女の濃縮されたドラマを立て続けに味合った。男と女が好きになるのは自然なこと、好きになった男と女が別の人を好きになることも仕方のないこと。『最後から2つ目の恋』は小泉今日子と中井貴一のやり取りがとても面白いコメディだが、サルトルの時代からは70年経ているのだと思った。小泉今日子の扮するテレビ局のプロデューサーは「あれが来ないのよね」と言っていたから、閉経を迎えた45歳の独身女性で、男の経験はボーヴォアールほどではなくても普通にあったようだ。ひとり暮らしの彼女は、「寂しかったら抱いてあげる」と言うボランティアの若い男と一夜を過ごす。

 

 現代ならありそうな気もするし、小説の作られた世界とも言える。そうなると、『カーネーション』の方は実に現実的で、糸子と須藤はこれからどうなっていくのだろうとますますテレビに縛り付けられることになりそうだ。他人のことなど放っておけばいいのに、どうして人はこうしたドラマに嵌まるのだろう。自分には体験できない未知のもの、憧れてはいけないものだから余計見たいのだろうか。芝居や歌はかなり昔から存在した。そこで歌われるものや演じられるものは人々にとって関心の深いものなのに、現実に体験することはできない、危険なものなのであったに違いない。観たり聞いたりすることで、危険なものを受け入れて昇華したのだろう。

 

 国会では野田内閣の施政方針に対する質問が行われていた。新聞はそのやり取りの詳細を記載し、論評するだろうと思っていたが、小さな扱いであった。テレビニュースで見ても、かみ合わない議論で、「国会の場で正々堂々と議論をし」などと言うことが虚しく響く。自民党の谷垣さんは、野田首相が「マニフェストに書いたことは命を懸けてやる。書いてないことはやらない。これがルールだ」と演説しているのに、言っていることと違うではないかと追及していた。野田首相は一国会議員と政府では立場が違うと答えていた。何と言う鉄面皮か、誠意もなければ恥もない。野田さんや民主党の皆さんは『カーネーション』を観ていない。糸子のようにしっかりと非難を受け止めて欲しい。そうすれば子どもたちのように味方する人も出てくるだろうに。このままではもっと民主党支持は低落するだろう。

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サルトルとボーヴォワール

2012年01月26日 19時37分58秒 | Weblog

 名演小劇場で映画『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』を観てきた。私が学生の頃はブームで、サルトルやボーヴォワールを話題にすることが知識人への道のような風潮があった。ちょっと「革新的な」女性たちはボーヴォワールの『第2の性』を話題にし、男性優位の社会を批判していた。そんな時代だったから私もふたりの名前を知っているが、どうしたわけかふたりの著作は1冊も書棚にない。実存主義という言葉は知っていても、中身を知りたいという気持ちになったことがなかったのだろう。

 

 映画の中のサルトルは、写真で見たサルトルにそっくりだったけれど、偉大な哲学者というよりは身勝手な肉欲に生きた人のように描かれていた。サルトルを愛したボーヴォワールも女学校の教師であったけれど、教え子の学生と同性愛にふけったり、何人かの男性とベッドをともにしている。映画を製作するに当たり、ふたりの相続権を持つ人から中止の訴えもあったが、試写を観てもらい公開を了解してもらったというから、数多い関係はみな事実なのだろう。

 

 ふたりはソルボンヌ大学で知り合う。サルトルは学内一の秀才で、ボーヴォワールは聡明で美しい。サルトルは一方的にボーヴォワールに熱を上げる。田舎町にまで追いかけてきたサルトルに心を動かされたボーヴォワールはサルトルと一夜を共にする。そしてふたりの共同生活が始まるが、サルトルはボーヴォワールが思ってもみなかった提案をする。それが自由恋愛で、「僕たちの愛は必然的なものだ。でも、偶然の愛も知る必要がある」と言い、ボーヴォワール以外の女性と付き合うことを認めさせる。ボーヴォワールは驚くけれど、女も平等であることを条件に受け入れる。

 

 しかもふたりは隠し事をしないで報告することを約束したから、死ぬまで大変な嫉妬と苦痛が付きまとった。しかし世間はふたりの恋愛を理想的とか先進的ともてはやした。私の友だちもふたりを真似して同棲生活をしていた。サルトルは自らの哲学を現実の生活でも実践し、ボーヴォワールもまた男性に支配された性の解放を目指したのかも知れない。映画は第2次世界大戦が始まる前のパリ、そして戦後のジャズが流れるパリで、サルトルやボーヴォワールが時代に酔っている雰囲気を醸し出していた。

 

 映画の中に出てくる人物や言葉はなぜか懐かしかった。サルトルの学友であるポール・ニザンやメルロ・ポンティー。サルトルよりも年下のカミュも仲間だったのかと知った。アンガージュマンという言葉も学生時代によく口にしていた。社会参加とか政治参加と言う意味で使っていた言葉だ。映画の中で、アメリカに渡ったボーヴォワールに恋人のアメリカ人作家のネルソン・オルグレンがアメリカで話題の本だと言って、『キンゼイ・レポート』や『アメリカのジレンマ』を見せていた。

 

 私の隣の男性は途中からずっと眠っていたが、50人くらいしか入れない会場はいっぱいで、私と同年くらいの女性は身を乗り出してスクリーンを見つめていた。サルトルは75歳で亡くなったけれど、35歳年下の養女がいた。もちろん彼の愛人である。哲学よりもこちらの方が凄い。

 

 さて、明日は友だちが出演する『モーツァルトの最後の3日間』を観に行く。誰も一緒に行く人がなく、またひとりである

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地震と『女たちのジハード』

2012年01月25日 19時23分51秒 | Weblog

 先ほど高校2年の孫娘が来て、「懐中電灯は用意しておいた方がいい」と言う。太陽で大きな爆発があり、その影響が今晩11時ごろ地球に届くので、再び大規模な地震が起きる可能性があると言うのだ。その話は私も聞いたことがあるし、太陽の活動と地球の気候は連動していると言われているから、地球の内部への衝撃だって考えられる。孫娘は「寝る時は、家具のない部屋の方がいいし、ドアも開けておいた方がいい」と指示して行った。「何かあったら必ず連絡を取り合おうね」と答えておいたけれど、私はどちらか言えば楽観的で、地震が来るのなら来てから考えればいいと思っている。

 

 東北はずっと余震が続いていて、何かありそうな気はする。備えておくことは大事だろうけれど、おびえていることはない。今日だって、私は恥ずかしいくらい涙を流して演劇を観ていた。名演の今月の出し物は劇団朋友の『女たちのジハード』で、保険会社に勤める5人の女性の物語だった。短い時間の中で、5人もの人生を描くのはムリではないかと思ったけれど、舞台転換の仕方は斬新で、テンポもよかった。5人の女優の演技もそれぞれが持ち味をよく出していた。芝居は3人の女優が会社の更衣室で着替えをするところから始まった。いきなり下着姿を観衆に見せるわけだが、女優たちの意気込みを見せ付けられたと思った。

 

 頂いたチラシを見たら、原作も脚本も演出も女性だった。題名のジハードは聖戦と訳され、イスラム教徒が戦うことをいうが、この芝居では「奮闘する」とか「ある目的のために努力する」という意味のようだ。たとえば、高学歴で高収入で両親とは別居の男性と結婚することが女の幸せと考え、そんな条件を備えた男性を物色することに全力を捧げることも「目的達成のための努力」と言えるだろう。あるいは、女性が気兼ねなく生きられるための保険商品を提案するために「奮闘する」ことも、勉強してきたことを活かして翻訳家になろうとすることもジハードに違いない。

 

 前述の3人に比べると、残りの2人は自分から何かをしたいという意識は薄いようだった。一番若い女性は妊娠して結婚したけれど、家庭のことが出来なくてダンナから暴力を受ける。彼女がみんなのところに逃げ込んだ時、ダンナが連れ戻しに来るが、そのダンナのセリフが面白かった。「こんな何にもできない女をあなたたちは一生面倒みると言うのですか。結婚は両親も親戚も大反対だったけれど、私は妊娠の責任を取ったのです」と。それまで迷っていた彼女は「責任で結婚したの。愛してくれていたのではないの」と言い、「家には帰らない」と離婚を決意する。そして再婚し、今はダンナといっしょにパン屋をしている。

 

 もうひとりの女性はふとした出会いから、八ヶ岳のトマトの販売に力を入れるようになる。婚期を逃した彼女は、賞味期限の切れたトマトが捨てられるのはもったいないと思い売り込みをしたところ、それが生きがいになってきたのだ。「人が頑張るのは、自分の歩く力をつけるため」と言う。やることがある、だからそれに全力で取り組む。人は皆、そうやって生きている。それはどんなことでもいい。自分が欲することをすればいい。彼女たちは生き生きとそう語っていた。こんな素敵な女性たちがいつまでも生きられるように、そのためにも地震は来ないようにと祈りたい。

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古事記から1300年

2012年01月24日 19時36分35秒 | Weblog

 「今年は古事記の編纂から1300年になる」と長老が言う。私が「戦前に教育を受けた皆さんたちは、学校で古事記を勉強したのですか」とたずねると、「学校では古事記は教えないよ。日本書紀だね」と言ってニヤリと笑う。「日本の神話という子ども向けの本ではなくて、原本を読むとおもしろいよ。もっとも原本は存在せず、その写本だけどね」と言う。私は古事記を読んだ記憶はないけれど、それでも神様の名前、たとえばアマテラスオオミカミ、その弟のスサノオノミコト、イザナギノミコトとイザナミノミコト、神様ではないけれど因幡の白兎やヤマトタケルとその物語などは覚えている。

 

 「それで、日本列島を造ったのは?」と言うから、「イザナギノミコトとイザナミノミコトで、天から頂いた矛でどろどろとしたものをかき回し、その矛の先から滴り落ちたものが日本列島になったのでしたか」と答える。「それでどうした?」とさらに問われる。「イザナギノミコトとイザナミノミコトが地上に降りられ、家を構えられた」。「それで?」「子どもをつくられた」。「その時の会話が面白いが、知っているか?」「いや、正確には」。「日本では女の方が積極的だった」と長老が笑う。そんなやり取りがあったことを思い出した。

 

 イザナギノミコトがイザナミノミコトに「あなたの身体はどうなっている」と問い、それに答えて「私の身体は、成り成りて成り合わぬところがひとつある」と言う。イザナギノミコトは「私の身体は、成り成りて成り余れるところがひとつある。私の成り余れるところをもって、あなたの成り合わぬところをさし塞ぎて、国を生もうと思うが、どうだろう?」と言うと、イザナミノミコトは「それはいい」と答えた。余っているところと足りないところを合体させようというセックスの提案だけれど、実にあっけらかんとしている。

 

 イザナギノミコトとイザナミのミコトは兄と妹だという。漢字では「伊邪那岐命」と「伊邪那美命」と書く。「イザナ」は誘うの語源で、「ギ」は男を「ミ」は女を表しているというのは本居宣長の説だ。漢字の「岐」はやまの意味があるというから、「成り余れるところ」と一致すると思うし、「美」は肥えた羊で、うつくしいとかよいという意味である。近親相姦については世界中であった。チンパンジーの研究家が、サルの世界でも起きるので、群れを作り出て行く習慣があるのは近親相姦を避けるためだと述べていた。

 

 「日本は昔から性に関してはおおらかだったのだ」と長老は言う。古事記の男女はもちろんだけれど、その後の平安時代から、儒教が広がった江戸時代でも、日本人は性について難しいことは言わなかったようだ。奈良時代の歌垣という儀式は男女が集まって歌を歌って踊りを踊っているうちにふたりずつ消えていくというし、盆踊りは出会いの場であった。祭りは性を解放していたのだ。また、夜這いと言う習慣もあった。父親が誰なのか分からない子が生まれていいのかと今なら問題になるけれど、昔は村全体の子どもとして育てられた。なるべく血縁でない者との交わりを求めていたのだろうか。

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人々のためではなく、人々とともに

2012年01月23日 19時11分37秒 | Weblog

 フィリピンの子どもたちを支援する日本のNGOの女性から話を聞いた。話の始まりは、彼女が支援活動を行うようになった理由からだった。彼女は岐阜県の出身で、両親は公務員。海外旅行が好きで、いろんなところへ出かけた。マザー・テレサが活動しているインドのカルカッタへ行った時、路上でたくさんの人々が物乞いをしていた。はじめは嫌で避けて通っていたけれど、何日もいると当たり前の風景になったという。ある時、ひとりの路上生活者の老人に声をかけた。幸い老人は英語が話せたので、前を通る度に声をかけた。ところがある日、彼はその場で息絶えていた。多くの人が行き交うのに、誰も老人の死に関心を示さない。命の尊さは決して平等ではないと知らされた。

 

 同じ人間でありながら、全く見向きもされずに死んでいく人がいる。こんな悲しいことがあってもいいのだろうか。彼女はこの現状を変えたいと思った。そして、「INERNATIONAL CHILDRENS ACTION NETWORK」(ICAN=アイキャン)のメンバーとなった。現在は、フィリピンのマニラ郊外のゴミ捨て場の周りで暮らす人々の支援活動をしていると言う。写真を見せてもらったけれど、それはうずたかく積まれたゴミの山だった。そのゴミ山に入って、お金になるものを探すのである。素手・素足でゴミを漁るから、ガラスや金属で切ったり、有毒ガスを吸い込んだり、ゴミの山が崩れて下敷きになったり、それはとても危険な仕事である。

 

 なぜこんな危険な場所にいるのかといえば、他に行くところがないからだ。ゴミの山で食べられるものを探したり、売れるものを探せば、多少なりとも生きていける。じゃあなぜ、ここに来たのかといえば、ここに来た人々のほとんどは農民だった。ところが、農地は大型農業のために買い取られ、農場は少人数しか雇わないから、都会へ行くしかなかった。日本でフィリピンバナナが安いのは、こうした大型農業のおかげだが、その陰には農村から締め出された小作農の人々がいたのだ。農民は文字が読めない書けない、それに出生届を出すことも知らずにいたので、都会では働く場所がないのだ。

 

 NGOの彼女は、ここの女性たちを集めて、熊のぬいぐるみを作り、これを売ってお金にする支援を行ってきた。何とか自立する道を切り開こうとしているわけだが、そんなに簡単にはいかないだろう。大資本が来て農地を買い、大型農業を始めなければ、人々もささやかであっても幸せに暮らしていたはずだ。私たちが安いバナナに飛びつかなければよかったのだろうけれど、お金を儲けようとする人たちはそのために貧困になる人々が生まれることには気付かない。動き出したものを元に戻すことはできないだろうけれど、事実を知ることで現状を変える動きも生まれるのではないかと思う。

 

 彼女は言う。「私たち消費者がどう望むかで、生産のあり方も変わってくる」。消費者は大きな力を持っているのに、それに気付かず、ただ安いとか便利とか、そうしたことに踊らされてきた。貧しい時はどうしても知識が欠如する。情報を捕まえられなければ、より大きな力に振り回される。しかし今は、社会の現実を見ることもできるし、仕組みがどうなっているかに気付いてもいいだ。彼女の「人々のためではなく、人々とともに」の言葉が強く心に残った。

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アブラハムとダイエット

2012年01月22日 19時46分52秒 | Weblog

 『天声人語』にこんな書き出しの記事があった。「アブラハムなる名を聞いて、『おなかの廻りにポテンと脂肪のついた男』を想像したのは作家の向田邦子だ」。それがいったいどうつながっていくかと言うと、肥満からダイエットとなり、「国会と減量は英語で同じつづり(Diet)である」と述べ、「比例80減、小選挙区5減という民主党の減量プランは、大政党を利するお手盛りにみえる。面倒でも、1票が重すぎる選挙区をとことん統廃合すれば、格差の解消と減量の一石二鳥だろう」と展開していた。

 

 新約聖書を読んだことのある人は覚えていると思うけれど、最初に出てくる『マタイによる書』は「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリスト」とあり、「アブラハムはイサクの父、イサクはヤコブの父」と系図が書かれている。14代目のダビデはイスラエル建国の王であり、キリストの父であるヨセフへとつながっていく。キリストはヨセフの婚約者であったマリアから生まれているので、血のつながりはない。神がマリアのお腹を借りただけなのだから当然だけけれど、あくまでもアブラハムの血を受け継いでいることが重要なのだ。

 

 それくらい、旧約聖書の中ではアブラハムは重要な人である。キリストを神とは認めていないユダヤ教もキリスト教の後から生まれたイスラム教もアブラハムを聖人と称えているという。「初めに神は天と地を創造された」で始まる旧約聖書の『創世の書』は、アブラハム一族の書ともいえる。神はアブラハムに「父の家を去って、私が示す地に行け」と言われる。アブラハムは一族を連れてユーフラテス川の下流の町ウルを発ち、川沿いに北上し高地メソポタミアのハランを経て、今のシリア・ヨルダンを通りエジプトまで行く。そして再びパレスチナに戻り、そこに住み着いた。

 

 神がなぜアブラハムのこのような旅をさせたのか分からないが、アブラハムの一族は大いに栄えたようだ。確かに、アブラハムは神の命じられることを守る人である。息子のイサクを連れて山に登り、いけにえに捧げることも厭わなかった。神がもっとも信頼したのも当然である。彼の妻は長い間子どもができなかった。そこで彼女は奴隷であるエジプト人の女にアブラハムの子を産ませている。アブラハムは一族の長であったから、他の女にも子どもを産ませたのか分からないが、神が約束したとおりに「空の星」のように増えた。

 

 古代人の男女の関係は、旧約聖書を読む限りでは鷹揚というか、産むことに重点を置いている。アブラハムと一緒に旅をしていた甥のロト一家は、四海近くのソドムに定住するが、しかし、この町は性的に乱れていたので神は焼き払うことにした。そこでロトに町を出るように言われ、ロトとふたりの娘は助かった。けれど、「この地のならわしでは、私たちとめおとになる男はいない。お父さんにぶどう酒を飲ませ、彼といっしょに寝ましょう。そうすれば、お父さんに子孫を残すことができるでしょう」。こうしてロトのふたりの娘は、父の子を身ごもったとある。近親相姦は性の乱れとは考えていないのだ。

 

 民主党の提案も確かに身勝手だ。それで消費税増税への取引にしようというのも姑息だ。ダイエットの前に根本から考え直して欲しいと思う。

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