友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

よいお年をお迎えください

2014年12月27日 18時04分20秒 | Weblog

 70歳になったら年賀状は止めようと思っていた。70歳を節目に社会的なかかわりを絶って、個人的な生活だけに留めようと考えていた。70歳を越せば、社会に役立つようなことはできないだろうし、いつまでも社会にかかわっていては若い人には迷惑なことだろう、小さな自分の空間だけで生けていけばいいと思っていた。

 いざ、70歳を越してみると、なかなかそういかなかった。何よりも私自身が18歳の頃と変わらない感情や欲望を持っている。少しも大人になれていない。子どもの頃、年寄りは知識も豊富でしかも達観しているように思った。いつか自分もそういう立派な年寄りになるものだと思っていたが、全く若い頃からの成長は見られない。

 それでいて、春になればサクラが咲き、秋になれば紅葉が見られる、この自然の移り変わりがいつまでも続くように、自分もいつまでも変わらないように思っていた。けれど、精神の成熟はなかなか出来ないのに、肉体の老いは確実にやってきたことに気付きかけた。まだまだ個人的だがやりたいことがあり、欲しいものもある。年賀状はまだ生きていますというお知らせだ。

 テレビはこの1年間の出来事を報じている。我が家で最も大きな出来事といえば、やはり次女夫婦に子どもが生まれたことだろう。赤ん坊は順調に大きくなっている。私たちが赤ん坊に会いに仙台へ行った時は、まだハイハイが出来なかった。ゴロンゴロンと身体を回して移動していたのに、今ではしっかりハイハイ出来る。来年の春には歩くようになるだろう。

 長女のところの20歳の孫娘と5歳の孫娘も、成長著しい。子どもたちの時は気が付かなかったけれど、こうして孫を見ていると人間は偉大だなぁと思う。どんどん賢くなるばかりか、それぞれの個性も目立ってくる。社会は進歩しているのだろうけれど、現実は決してよい方向に向かっているとは思えない。もう少し、社会の中で生きて見ていこうと思う。

 さて、明日から1月5日までブログは休みます。よいお年をお迎えください。

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雪の北海道へ

2014年12月26日 17時29分54秒 | Weblog

 雪の北海道を観てみたかったので、2泊3日で行って来た。回ったのは函館、小樽、札幌、旭川で、クリスマスの街を楽しんだ。ただ、雪のクリスマスは圧倒的に若い人たちが多く、私たちは年寄りばかりでは寂しいかった。函館も小樽も札幌もそれぞれ祭りの中心には大きなクリスマスツリーがあり、イルミネーションがきれいに飾られ、それだけでも充分にロマンチックな気分を味合えたから、欲を言えばもう少し、夜の街を堪能する時間が欲しかった。

 小樽の街を歩いていると、写真のような看板を見つけた。「お父さん預かります」って、どういうことなのだろう。居酒屋の前で呼び込みをしていた男の子に聞いてみたが、「分かりません」と言う。家族で店舗を見て回っていると、たいていのお父さんは疲れてしまい、不機嫌になってくるから、お母さんや子どもたちがゆっくり買い物ができるように、お父さんの世話をしてくれる店ということらしい。

 すると一緒に行った女性が、「永久に預かってくれるといいのに」と嫌味を言う。つかさず男性が「“お母さん預かります”の看板はないものかね」と切り返す。4都市の中で小樽だけが雪降りだったけれど、最もロマンチックな街でもあった。石川啄木もここで暮らしていたことがあり、それだけに、こんな雪降りの夜はどこでどんな風に過ごしていたのだろうと想像してしまった。雪が降っていても寒いという感じはなく、ただ歩きにくいので困った。

 夜の札幌も歩いてみたかったが、カミさんが風邪っぽいからと寝込んでいたので、ひとりで出かけることもできずホテルの窓から大通り公園を眺めていた。各所に足場が組まれていたから、雪像作りの準備なのだろう。この夜はちょうどクリスマス・イヴ、姉妹都市のミュンヘン祭りも行われていたという。北海道は寒いと思い込んで来たけれど、意外に寒さは感じられなくて、そのせいなのか大勢の人々が雪景色の夜をそぞろ歩いていた。

 最も寒さが厳しいと言われた旭川も、その道中は吹雪いていたのに、旭山動物園は晴れていて、寒さも感じられなかった。名物となったペンギンの行進(写真)や、白熊も見ることが出来た(写真)。観客の半分は中国、韓国、フィリッピン、ベトナムなどの外国人だった。観光産業はもう外国人なくしては成り立たないようだ。いつまでも、中国人や韓国人は嫌いだなどと言っていられない。みんなで仲良くやっていくしかない。北海道旅行はそれを気付かせてくれた。

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映画『ザ・インタビュー』

2014年12月22日 17時35分10秒 | Weblog

 アメリカの映画会社が、製作した映画の公開上映を中止した。映画はコメディーで、アメリカのテレビ記者が北朝鮮の最高指導者である金正恩にインタビュー出来ることになり、CIAが金正恩殺害を依頼し、金正恩を吹き飛ばすというものらしい。テレビニュースで流される映画『ザ・インタビュー』を見る限りでは、金正恩が葉巻タバコをくわえて慇懃に登場する場面や素っ裸になる場面もある。

 そればかりか、美女軍団の「裸でのおもてなし」の接待など、コメディーだからなのか、北朝鮮はこんなバカな国かと思う場面が多い。ドタバタでなければ観客は喜ばないからかも知れないが、これを北朝鮮の人が見れば怒るだろう。どんなに天皇制が嫌いな人でも、天皇を馬鹿にした映画を作られたのではいい気持ちはしないだろう。どうせ北朝鮮では見られないのだから構わないと言う人もいるが、まだ生きている人物をこき下ろす映画がよいとは思えない。

 アメリカのオバマ大統領は「独裁者が検閲できるわけではない」と言い、「映画会社が上映を取りやめたのは間違った選択だ」と非難していた。脅しによって表現の自由が奪われることがあってはならない。映画会社が映画館での上映を中止したとしても、DVDとなって売り出されたら止めようはないだろう。この機に応じて、アメリカのテレビ会社は金正恩の独占インタビューを北朝鮮に申し込んだら面白いのにと思う。

 アメリカがそして世界中の政治家・指導者が最も恐れたのは、インターネットの世界ではないだろうか。サイバー攻撃がどこまで出来るものか分からないけれど、映画会社のコンピュータを勝手に操作出来るなら、金融機関や政府機関、軍事や交通や気象やあらゆるものに入り込むことも不可能ではない。今はコンピュータの時代だから、マヒが生まれたなら混乱は避けられない。原始的な生活をしている人々以外は滅茶苦茶になってしまう。

 考えてみれば、核やミサイルが飛び交う戦争より、平和的かも知れない。どんどん知恵を出し合い、サイバー攻撃の深みへと突き進むといい。馬鹿馬鹿しいので「もう世界はひとつでいい」との結論に達するかも知れない。サイバー攻撃、楽しみになってきた。さてまた、明日から誕生日会で北海道へ旅行に出かけるので、25日までブログを休みます。

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卒業制作展を観る

2014年12月20日 20時46分11秒 | Weblog

 なかなか咳が止まらない。熱はないし、頭が痛いとか、身体がだるいとか、特別な症状は見られないが、来週は誕生日会の北海道旅行がある。ゴホン、ゴホン、やっていてはみんなに迷惑だ。今日の午前中しかないと決意して、かかりつけの医者に診てもらった。「(先回の)薬がなくなった時点で来なくちゃーダメですよ」と注意を受けた。どうせ叱られるならと思って、「これから忘年会が続くのですが?」と聞いてみた。

 「お酒が薬を強めることもありますから、注意して飲みすぎなければいいでしょう」と期待通りの答えをしてくれる。私は「はい、分かりました。ありがとうございます」と礼をするが、「ほどほどにって、どういうことなのだろう」と考える。歳を取って、無茶な飲み方はしなくなったが、酒は雰囲気で飲むものだから、ほどほどの程度が分からない。まあー、分からなくても構わない歳になったとも言える。

 私が新任から6年ほど勤めた工業高校の卒業生から、展覧会の誘いがあった。卒業生の展示を見る前に、高校の卒業展を観ておくべきだろうと思って県美術館へ出かけた。見せてもらって驚いた。以前とは全く趣が違っていた。製作能力も表現力のかなり高くなっている。おそらく指導する先生たちが大きく入れ替わったのだろう。受付は私が勤めていた時から助手として働いていた女性だったから、「レベル高くなったね」と話しかけると、「自分はできると錯覚してしまう子が多くて困るのよ」と言う。

 「自信を持つのはいいことだよ」と言い返すと、「受けても受けても不合格なんだから」と彼女は嘆く。それは就職指導の問題のような気がするが、学校のことも、子どもたちの現実も、私は知らないのだから、センスのいい作品が多くなったと感心するのは、私の勝手な自己満足かも知れない。「デザインはアートではない。芸術家はいらない」と昔の先生は言っていた。デザインは職人仕事ではあるが、芸術家気取りの面を持っていなければ新しいものは造れないと、私は思っていたので昔の先生の考えを受け入れることができなかった。

 今年の卒業制作を見せてもらって、私はとても嬉しかった。苦難はいつもやってくる。何をどう表現するか、永遠に迫りくるよと教えてあげたい。これはどんなに年老いても、全く変わらない。さて、明日は長女のところでクリスマス会。ブログは休みます。

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再びSTA細胞問題について

2014年12月19日 18時19分39秒 | Weblog

 STA細胞問題で揺れた理研は19日、検証実験の結果を「STA細胞は再現できなかった」と発表した。奇怪だったのは、その直後に検証実感の責任者が、「検証実権は小保方研究員を監視するためのモニターや立会人を置いて行なわれた。そういう検証実験を行なったことは、責任者としてものすごく責任を感じている。研究者を犯罪人扱いしての検証は、科学の検証としてあってはならないこと。この場でおわびさせていただく」と頭をさげたことだ。

 検証実験を行なうと決めた時、誰も問題視しなかったのだろうか。やってみて、これは科学の検証じゃーないと思った時、どうしてすぐに問題提起しなかったのだろう。これはどう見ても理研という組織、国から金をもらって研究と稼ぎを行なっている「会社」に体質的な問題があるようだ。STA細胞問題が表面化して、理研は研究部門を縮小した。STA細胞の研究部門だけでなく、機構を改革し予算を減らした。おかげで研究者たちは「小保方問題のため関係ない人まで迷惑を受けた」と非難の声を上げている。

 自分たちが研究を続けられるならそれでいいのか、自分たちの予算が削られなければそれでよいのか、ノーベル賞を獲得できるような研究をしている優秀な頭脳の持ち主は自分のことしか考えられないのか。平凡なくせにいつまでも文学青年気取りでいる私にはとても理解できない。結婚している男女がそれぞれに好きな人が出来て結びつく、新たな反応が生まれたなら、それは考えられないことなので検証実験を行なって判断するとでも言うのだろうか。そんなことを話すと、「いやいや理研ではよくある反応ですから」と茶化されてしまった。

 検証結果を受けて、小保方さんは理研に退職願を提出し、受理されたという。小保方さんは「どのような状況下であっても必ず十分な結果をと思い必死に過ごした3ヶ月でした。予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかったことなどが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております」と、19日にコメントしている。

 私は理研という組織がよく分からないし、科学者という人たちも理解できない。優秀な頭脳の持ち主なのだから、互いに足りないところは補い、けなすよりも助け合う、優しさがあってもいいじゃーないかと思うけど、それじゃーダメなのかなぁー。

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今朝は雪景色

2014年12月18日 17時04分45秒 | Weblog

 朝はこんなに積もっていたのに、午後3時にはかなり溶けてしまった。午前中の小学校の運動場はとても賑やかで、雪合戦に熱中する子どもたちの姿が見られた。この地方で雪合戦が出来るほど積もるのはそんなにあるわけではないから、先生たちも子どもたちの希望に応えているのだろう。

 私が子どもの頃の積雪はもっと多いように思うけれど、ものすごく広いと思っていた運動場へ大人になって行ってみると意外に狭かったりするから、雪の多さも思い込みなのだろうと思う。小学校に入る前は、木切れを糸で結び、これを雪で丸め、釣りをするように雪に落とす、さらに雪が着いて玉が大きくなるのを楽しんでいた。

 私の子どもたちは、カミさんの弟や友人らが連れて行ってくれたので、小さな時からスキーが出来た。長女は恐いもの知らずだから直滑降をものすごいスピードで滑り降りてくるが、次女は恐がりなのでいつも慎重なすべりだった。長女の娘である20歳の孫娘もスキーは上手いし、ボードも得意で、大学はボード部だそうだ。

 高校の時、スキーの募集があったが、自主参加だったので行かなかった。母が死んで、父は兄貴の材木屋を助けて働いていたけれど、金があるとは思えなかった。スキーなんて金持ちのすることだからと、募集があることも父には話さなかった。自分は滑れなかったから、子どもたちのためにカミさんの弟や友人が「行くよ」と言う時は連れ出すようにした。

 雪景色は素晴しい。いつだったか信州の宿で、露天風呂から雪景色を眺めたけれど、これほどの贅沢はない気がした。眺めるだけの雪景色は「美しい!」と言っていられるが、テレビニュースで映し出される北海道などでは恐怖だろう。大雨の中を車で走っていた時も先がほとんど見えなくて恐い思いをしたけれど、吹雪の中を走行するのは死ぬ思いだろう。

 今晩は忘年会。寒くならないといいのだが‥。

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クリスマスのプレゼント

2014年12月17日 17時11分53秒 | Weblog

 昨日からとても寒くなった。風が強く、しかも冷たい。外にいると身体の芯まで凍ってしまいそうだ。クリスマスの頃は雪だろうか?ホワイト・クリスマスをロマンチックだと感激したのは若い時で、寒いのがいやで外に出るのも億劫になってしまった。

 我が家の子どもたちは小学校の高学年まで、サンタがプレゼントを運んできたと信じてくれていた。子どもたちのために何がいいかを考え、眠ってしまったのを確かめてから枕元に置いたものだ。クリスマスの朝、プレゼントを見つけて喜ぶ子どもたちがとても可愛かった。

 20歳になった孫娘に、サンタからプレゼントと言うわけにはいかないから、彼女が欲しいと言うものを一緒に見て回った。お金を支払うのはジイジイだから「自分ではなかなか買えないものでいいんだよ」と言うが、あの子はどういう訳か遠慮して、高いものを欲しいと言わない。

 孫娘と街中を歩いていると、若い人が多いし、高校生のような子もひとりで品物を探している。品物の値段を見ると、1千円とか2千円でセーターでもスカートでも買える。コートでも5千円くらいからある。バーゲンセールのものなら50%で買える。昔、私が若い時ならコートは10万円近くしたのにとビックリしてしまった。

 ものは確かに安くなっている。それでいいじゃーないかと思うけれど、作る側や売る側としては利益が少ないということだろう。だから、冬物の全盛期なのにもう特別価格とかバーゲン品とかを売り出している。2品以上買えば30%割引とか、1万円以上ならさらにお得に買い物が出来るとか、売り手も工夫している。

 孫娘と話していたら、「私、こういう“お得”に弱いんだ」と言う。この頃どこの店でもクーポンサービスがあり、クーポンをつけてもらうために余分に買ってしまうとか、「特別割引期間中」とかで勧められると「買わなきゃー損」と思ってしまうそうだ。確かに品物は半額ほどの支払いで2品手に入れる。でも、余分なお金を支払ってしまったことに変わりはない。

 孫娘の話を聞いていると、もうひとり心当たりがある。血は引き継がれるのだろう。

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通り魔事件

2014年12月16日 17時17分15秒 | Weblog

 昨日の夕方、市役所から帰る途中、何台ものパトカーに出会った。しばらく行くと、道路に規制線が張られ警察官が立っている。これだけ物々しい警備はこの街では一度も見たことがない。友だちが「行って見ましょうか?」と言う。彼女は好奇心が旺盛だ。規制線の奥に娘さんのアパートがあるから、心配だったのかも知れない。もうひとりの友だちが、「これから歯医者へ行くので」と言い、現場へは行かずに通り越したが、今朝のニュースに「小学生が男にナイフで切りつけられた」とあった。

 切られた男の子は軽い怪我ですんでよかったが、なんとも恐ろしい事件だ。今日も男の子が通う小学校の周りには何台ものパトカーが配備されていた。下校時間にはパトカーはもちろん、お母さんたちも校門まで迎えに来ていた。市の広報車が「子どもの命を守りましょう」と繰り返し街宣して行く。滅多に事件などのない田舎なのに、こういう訳の分からない事件が起きると街中に緊張が走る。

 オーストラリアのシドニーで銃を持った男が立てこもり、警察隊と銃撃戦となったという。「イスラム国」の旗を届けよとか、首相と話させよとか、要求していたようだから、イラクの「イスラム国」を空爆しているオーストラリア政府に対する抗議なのだろうが、武器を使うならオーストラリアと同じだ。切りつける人も爆弾を落とす人も銃を撃つ人も、相手の身になって考えることはないのだろうか。

 「ムシャクシャしてやった」と言う人、悪い連中だから「殺してやった」と言う人、私には同じように見える。卒業生の子が、そう言っても60歳を超えているが、フェイスブックにちょっとした思いやりの動画を載せている。落し物を拾ってあげたり、歩行の難しい人に手を貸してあげたり、どこでも見られるよくある光景なのに、微笑ましい気持ちになる。相手への小さな思いやりをみんなが持てば、きっと世の中は平和になるだろう。

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これから先のことは分からない

2014年12月15日 18時51分32秒 | Weblog

 多くの評論家が「予想通りの結果でした」と、衆議院選挙について述べていた。自民党と公明党で3分の2を確保したのだから、何でも決議できる。どうするかは安倍首相次第というわけだ。これで大きな被害を受けるのは働く世代である。私たちのような年金生活者は、ただただ物価高や年金が減らないようにと願うばかりだ。

 「戦争の出来る国へ」と一気に向かうとは思わないけれど、実はいつでも向かう地盤はできたわけだ。忘年会で酒を飲みながら話していても、「中国や韓国に舐められてどうする」と言う人が多い。私は「舐められて何がダメなの」と思ってしまうので、そういう時は出来るだけ会話に加わらないようにしている。

 「話し合いで解決するなどとトンチンカンなことを言う馬鹿がいるが、そんな人間は現実を知らないダメなヤツだ」と勢いづく。そういえば、「次世代の党」は「外交は武力を背景に行なうものだ」と言っていた。それは第2次世界大戦までの時代だろう。今は核兵器の時代だから、情報は出来る限り共有して、一発触発を避けるようにしているのが外交の現実である。

 安倍首相は「経済と安保を最優先で行なう」と宣言していた。経済を論理で捉えることは出来ないのに、景気がよくなることを政治の課題にしていいのだろうか、政治で景気をよくすることが出来るのだろうか。安倍首相は「企業が儲かれば賃金が上がる。賃金が上がれば景気はよくなる」と言うけれど、この先も企業競争で右肩上がりの社会になるとは思えない。

 企業はかかる費用を抑えるため、正規労働よりもパート労働を増やす、あるいは賃金が安い海外に工場を移す。企業が生き抜くためには仕方ないことだろうが、ネズミ講と一緒で、全部に行き渡ったならどうなるのだろう。先進国では人口は減少傾向にある。買い手がいなくては物は売れない。

 これから先がどうなるのか、私には分からない。分かっているのは、少なくとも孫たちの時代に私は生きていないことだ。20代、30代、40代そして50代の働き盛りの人たちが何を選択していくのかで、全てが決まる。よい社会になるようにと祈るばかりだ。

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憂鬱な投票日

2014年12月14日 16時53分22秒 | Weblog

 今日は衆議院選挙の投票日。まだ、投票に出かけていない。安倍政権はこの選挙で大きく議席を伸ばすことはないだろうが、政権は確実に維持するだろう。「私が国民の皆さんに訴えた『この道しかない』が大多数の国民から支持された」と、安倍さんは得意な面持ちで言うだろう。自民党は少し議席を減らすかも知れないが、公明党は前回を維持するか、投票率次第では伸ばすかも知れないから、安倍政権は続くことになる。

 そうなのだ。いつも選挙で思うのは投票率が低いのに議員の数は変わらないことだ。投票率が50%なら議員の数は半分となるわけではないし、地方の首長選挙では投票率が30%でも当選してしまう。10万人の有権者がいても、投票率が30%でそのうちの50%の支持があったとしても有権者の15%でしかない。10万人もいるのにわずか1万5千人の支持で首長になっていいのだろうかと思う。

 今朝の中日新聞の1面に『<棄権のすすめ>?』という見出しがあった。新聞社も棄権を勧めるのかと思って読んでみた。前回の投票率に基づいて年代別で構成する定員100人の議会を想定すると、20代は5人、30代は8人、40代は10人、50代は各10人、60代は13人、70代以上は13人となるそうだ。数が100人にならないのは投票率が60%だったので、40%が空席というわけだ。この議会で法案が提案されると、50代から上が結束すれば何でも賛成多数で決められる。

 私の友だちに口の悪い先輩がいる。彼は「年寄りは安定だけを求めるから圧倒的に現状維持だ。改革なんか望まない。それでいて自分たちに手厚い政策を求める。こんな年寄りにエサをばら撒いて当選する政治家ばかりだ」と言い、「70代より上の有権者は権利を半分にした方がいい。いや、投票権そのものを無くしてもいい」と極端なことを口走る。平等であることは大切と私は思うけれど、もう少し国民の意思が反映される仕組みはできないものだろうか。

 そろそろ投票に出かけなくてはと思うが、やはり気が重い。同じ中日新聞の『視座』で、立教大学の内山節教授が、「選挙は必ずしも、支持する政党や支持する候補者を選ぶものではない。とすると投票は何のためにするのか。それは拒否権を行使するためでもある。このような方向性だけは拒否する、そう明確に意思を提示しておかないと、それをしなかったがゆえに歩んだ過去の戦争と破綻の道を、超えてはいないことになる」と書いていた。消極的だが、そうするか。

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