友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

朝ドラ『エール』は違和感があるが、どんな人生だったのか気にしている

2020年04月30日 17時37分58秒 | Weblog

 NHKテレビの朝ドラ『エール』を不熱心に見ている。熱心になれないのは、演出があまりにも滑稽だからだ。最近のNHKのドラマは、なぜか笑いを取ろうとしているような気がする。若い人にアピールしたいのかも知れないが、年寄りの私には違和感が強い。

 『エール』のモデルである古関裕而さんが気の毒になってくる。古関さんは明治42年生まれだから、私の母と同じ歳であり、父よりも2歳年上だが、ほぼ同時代を生きてきた人だ。しかも、手紙をもらった女性に会いに、福島から豊橋へ来てしまうのだから凄い行動力だ。

 それだけではない。古関さんは20歳で、妻となる『エール』では音さん(18歳)と結婚する。私にはとても出来ない決断力だ。私はどうしても「生活」が頭にあったので、お金が入る手立てを考えずには出来なかった。両親が共働きだったということがあるかも知れないが、妻となる人は職を持つ女性と決めていた。

 私の両親も恋愛して結婚したが、そういう時代になっていたようだ。父は2つ上の母に頼っていて、日本の統治下にあった朝鮮の大学を受験したと姉から聞いた。医者になって、小説を書こうとしていたようなので、医学部を受けたのだろう。けれど合格出来ずに師範へ進んだ。

 何でもやってやろうという風潮があったのかも知れない。私の知っている父はいつも本を読んでいるか、小さなスケッチブックに鉛筆で何か描いていた。父が死んで、父が残した物は私が預かったが、何冊ものノートは詩や物語それに誰かに恋している日記だった。

 『エール』のふたりがどのような人生を歩んでいくのか気になるが、あまりにドタバタ喜劇調の演出にはついていけないので、時々目と耳を背け、新聞を見入っている。

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映画『人生の特等席』を観て涙する

2020年04月29日 17時53分26秒 | Weblog

 2日前のこと、カミさんが「月と金星のランデブーが見えるはずだから、どこなのか見て」と言う。ルーフバルコニーに出て西の空を見ると、三日月の少し北に輝く星が見える。午後7時の空はまだ深いブルーで、月と金星だけが輝いていた。

 昨夜、同じくらいの時間に見ると、月と金星の距離は遠くなっている。「私がこんなに思っているのに、あなたは私から離れていくのね」と茶化して言うと、「よく、そういういい加減なことが言えるわね」と言う。「おいおい、これを見て、寂しいと表現するのが日本人だよ」と私は笑う。

 先日、NHK・BSでクリント・イーストウッド主演の『人生の特等席』を観た。私が彼を観た映画は『荒野の用心棒』とか『夕陽のガンマン』で、マカロニウエスタンと呼ばれていた。その後は、シリーズものになったニューヨーク市警『ダーティハリー』だったから、アクションスターだと思っていた。

 『マディソン郡の橋』に主演した時は、こういう役も出来ることを知らされた。65歳の彼は人妻との恋に落ちる役を見事に演じていた。監督としても何本かの映画を作っている。その彼が8年前、82歳で久しぶりに主演した『人生の特等席』は、実に味合い深い映画だった。

 プロ野球のスカウトだが、目がよく見えなくなっていた。父親に捨てられたと思い、弁護士となった娘が父親を心配して一緒に野球を見る。父親の思いと娘の思いのすれ違い。けれど最後に、互いを理解する。ハッピーエンドで終わるところはアメリカ映画らしいが、父親と娘のわだかまりが解けていく描き方に、私は泣けてしまった。

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女たちが5人、ラインでおしゃべり

2020年04月28日 17時12分53秒 | Weblog

 女たちが5人、3台のスマホを使ってラインでおしゃべりしている。カミさんと次女と5歳の孫娘、長女のところのふたりの孫娘だ。初めのうちは小5になった孫娘がとても大人びてきたことから、身長が何センチになったとか、体重の話など、会えない間の変化について、画面を見ながらのおしゃべりだった。5歳の孫娘は「カカのおっぱいのところ」と自分の身長を説明すれば、長女のところのふたりは「背はほとんど変わらなくなった」と言う。

 次女が「私は小6くらいから伸びなかった」と言えば、長女のところの上の孫娘が「私も」と言い、続けてカミさんが「私もそう」と言うので、「我が家の伝統か」と笑い合っていた。話についていけない私は自室に籠ったが、会話は大きく、こちらの部屋まで聞こえてくる。そのうち、小5と5歳の孫娘の声が聞こえなくなった。話題がコロナや周りの様子など、大人の話になったからだ。映像を見ながら話しが出来ることは高度な社会だが、2時間近くも話し続けられることが凄い。

 天気は良いのに風が強く吹いて、今日もルーフバルコニーに出られない。風が少し弱まった時に、風に揺れるバラを撮影してみた。風でチューリップの花は傷めつけられている。バラも可哀そうなくらい揺れている。自然に人間は勝てない。ジッと収まるのを待つしかない。地震が起きたり、天候が不順だったり、人間には制御できないことばかりだ。新型コロナウイルスの猛威もこれからどうなっていくことか。

 

 昨日の交通事故は新聞には記事がなかった。救急車が来ていたが、病院に運ばれることはなかったのだろうか。軽自動車の破損を見た限りでは、大丈夫とは思えなかったが、どうなったのだろう。新聞もテレビもコロナのことばかりなので、私は『高校生のための経済学入門』(ちくま新書)と、瀬戸内寂聴さんの『穏やかな部屋』(集英社文庫)を並行して読んでいる。〈やっぱり、写真の編集が出来ない、ダメだ〉

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交通事故現場を通る

2020年04月27日 17時34分14秒 | Weblog

 先輩と、修復した手押しポンプの集金に出かけた。道幅は広く、東西に延びる直線なのに、渋滞している。救急車が1台、パトカーが1台見える。交通事故だ。現場の手前10メートルほどのところにバンバーの破片が転がっている。どうしたのかと目を凝らすと、白い普通車のワンボックスと肌色の軽乗用車が正面衝突している。

 ワンボックスの右側に軽自動車の右側がぶつかり潰れている。ワンボックスはセンターラインの左側を走行していて、そこに軽自動車がぶつかったようで、事故現場はセンターラインの左側である。センターライン付近というなら事故が起きるのも分かるし、軽自動車が右折しようとしたのであれば、右側に道が無くてはならないが、そのような道は無い。

 先輩が「考えられるのは、猫か何かが飛び出してきて、軽自動車の運転手が慌ててハンドルを右に切ったのでは」と推理する。なるほど、事故現場をケイタイで撮っておこうと思いながら、野次馬になるのは気が引けて止めた。

 どんなに気を付けていても、残念ながら事故は起きる。起きてしまったら深く反省することだ。新型コロナウイルスの感染は更にややこやしい。濃厚接触が感染の原因らしいいが、ウイルスは手すりやドアノブにも付着している場合がある。手洗い、マスクで身を守るしかない。

 かかりつけの医師に、「このコロナ騒ぎは何時まで続くのですか、5月末には収まりますか」と尋ねると医師は、「それは無理でしょう。日本だけの終息でも、もっとかかるでしょう。日本で抑え込むことが出来ても、世界中に広がっていますから、2・3年はかかると思いますよ」と言う。

 そうか、そんなに長期になるのか。自動車の運転のように、気配り目配りを忘れずに、しかし必要以上に緊張せずに、事故の無いように慎重に、しかし無理をしないということか。よく分からんな。

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洋菓子店は客でいっぱいだったが、街は静かだった

2020年04月26日 17時33分17秒 | Weblog

 新聞広告に「本の紹介コンクール」が載っていた。応募資格は小中学生だ。長女のところの小5になった孫娘は、空想することが好きな子で、読書感想の絵(?)が優秀だったとカミさんから聞いていたので、新聞広告を長女のところへ持って行った。

 新型コロナウイルスで長期の休みになる前にも、新聞広告にあった「童話募集」を持って行ったが、どうなったのかも知りたかった。休校が長引いて、机に向かう時間もあるだろう。「童話」とともに「本の紹介」も書けたらとよいと、ジイジの欲が出た。

 ダンナが家の前の土手の雑草を刈っていた。「行政がしなければならないのに、住民の皆さんにやらせて申し訳ないですね」と冗談を言えば、「税金を遣うか、労働奉仕か、ですから」と謙虚なことを言う。そうこうしていると長女と孫娘が出てきた。

 孫娘を見ると、また足に包帯を巻いている。「どうしたの?」と聞くと、「以前の反対側の足なの」と言う。成長期の女子に起きる病気のようだ。急激に背が伸び、初潮もきたからで、自分の行いが悪くて起きた訳ではないのに、孫娘は何故か申し訳なさそうな顔をしていた。

 看護師をしている長女は、「毎日忙しくて死にそう」と言う。あなたたちの頑張りが新型コロナウイルスの蔓延を防いでくれているのだから、たまに家族で家に居られる時は「みんなでお茶でも飲んでゆっくりして」と、買って来た洋菓子を渡す。

 久しぶりに外に出てみると、公園には親子連れや子どもたちがいたし、スーパーにはたくさんの車があり、満開になった街路樹のツツジの横を大人たちがジョギングしていた。罰則でも設けないと3密は守れないと言う人もいるが、街は静かだ。パチンコ店もコヒーショップも宝くじ売り場も閉まっていた。孫娘よ、コンクールに応募して、特賞の100万円稼いでね。

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恐れるのはこの動きである

2020年04月25日 17時16分04秒 | Weblog

 誰もが新型コロナウイルスに感染したいとは思っていない。自分は感染していないと思っている人は、他の人が感染者ではないかと疑っている。だからだろう、他の人の行動が気になって仕方ないようだ。テレビはそれに拍車をかけるように報道する。

 湘南の江の島や愛知の渥美はサーフィンの名所で、多くのサーファーがやってくる。郊外のハイキングコースにも大勢のハイカーがやってくる。ところが地元の人たちはまるで感染者が来るように見ている。だから駐車場を封鎖して阻止している。中には県外ナンバーの車に石を投げつけるいやがらせまである。

 自宅に庭が無ければ、いやあっても、時には広々とした公園で身体をいっぱい伸ばしたい。家族や友だちと少しは戯れたい。公園だから密室ではないし、密接にならないように注意していても、他の人には感染者が来ているように映るみたいだ。

 海も山も公園も、密封された空間ではない。濃厚接触が無ければ感染しないと言われているのに、どうして人は感染を恐れるのだろう。自分以外の人は全て感染者のように見えてしまうのだろう。感染を恐れるなら、自分が外へ出なければよいのに、他の人の行動ばかりを非難するのだろう。

 挙句に、今の法令では新型コロナウイルスを抑えきれないから、もっと罰則のある法律を作れとまで言う。政府が強力に取り締まれないのは法が不備だからとの声が大きくなる。強力な権限を持った強いリーダーを求める空気が醸し出されている。新型コロナウイルスとの戦いが強調される度に、微笑んでいる人たちがいる。恐れるのはこの動きである。

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パソコンとヘッドホンの接続が出来た

2020年04月24日 17時27分15秒 | Weblog

 今朝、カミさんが「友だちのところへ持って行くから、チューリップを切って」と言う。少し小ぶりだが形の良い何本かを選んで切った。午前中だったからよかったが、午後は黒い雲が広がり、猛烈な風が吹き、雨が降ってきた。これでもう、チューリップも終わりだ。

 昨日は地震があり、我が家も揺れた。こんな風に地震や嵐がやってくると、世の中終わりだなと感じてしまう。人間の力ではどうにもならない現象が多発すると末法思想が流行するが、科学が発達した今でもきっと、何かにすがりたいと思う人は多いだろう。

 歌や音楽、映画などをブログに上げている人がいるが、私のパソコンはスピーカーが接続されていないと諦めていた。ヘッドホンを買って来たものの、何をどうしていいのか分からなかった。けれど、退屈な毎日を送っていて、何とか接続できないかという気になった。

 友だちが「パソコンで調べながら操作している」と言っていたのを思い出して、私も調べながらやってみたら、出来た。何でもすぐ諦めてはダメだと思い知らされた。ヘッドホンで画面を見ながら映画が見られるのに、何故か、安心したら見たいという気持ちが薄れてしまった。

 今度は自分が見たくなるような映画をどうやって探すのか、映画は無料なのか、いろいろ思っていたら面倒になってきたのだ。何時だったか、友だちが「完全無料で見られる」と教えてくれたので、そうしていたはずなのに、有料請求が画面に現れて消せなくなったことがあり、恥を忍んで街のパソコン屋で削除してもらった。

 私としては生きている証として、ブログが続けられればいい。昭和46年の卒業生がメールで「最後のバータイムです」と、同級生と酒を飲んでいる写真を送ってくれた。古希を迎える2年後にクラス会を計画しているという。その時、私は「喜寿」か、生きているだろうかと窓外の黒雲を見た。

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情報が入らない社会は過多の社会より怖い

2020年04月23日 17時22分51秒 | Weblog

 毎日、毎日、テレビも新聞も新型コロナウイルスの報道ばかりだ。いくら全国民の課題であっても、こんなに毎日同じことばかりで、私は食傷気味だ。飽きることもなく朝から晩まで、テレビと新聞にかじりついている姿を見ると、どういう神経なのかともエライなとも思えてくる。

 「3密」を守ることが感染防止に役立つこと異議はない。けれど、海でサーフィンやボール遊びをする人や公園で戯れる人を、まるで違反者のように扱うのはやり過ぎではないのか。スーパーに買い物に来る人が多すぎるから規制すべきだという主張まである。スーパーの営業時間を延ばし、働く人の賃金を高くすることが大事で、感染対策はスーパー側に任せればいい。

 事故が無いようにするには厳しい規制が手っ取り早い。がんじがらめに縛り付けて、一歩でも家から外に出た者を刑務所行きにするなら、誰も外には出ないだろう。でも、それで本当にいいのだろうか。世の中はいろんな仕事で支えられている。家に居られる人ばかりではない。

 どうしても外へ出らなければならない人に、感謝だけでなく賃金でも報いるべきだろう。一度、テレビも新聞も1週間か2週間、報道を休んでみたらどうだろうか。テレビが見られない、新聞が読めない、そういう生活もいい気がするが、「ダメよ。若い人はみんなスマホを見ているから」とカミさんは指摘する。

 どうやったらスマホを見られなくするのか、私には分からないが、情報が何も入らない社会は過多の社会よりも怖い気がする。誰もが情報を手に入れることができ、自分で取捨選択できる、それが健全な社会だろう。情報が嫌なら、私のように見なければいい。偏っていても、間違っていても、受け手が判断できる社会が一番いい。

 ルーフバルコニーのチューリップは終わりを迎えている。

 

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悔いが無ければ「よし」と思う

2020年04月22日 17時38分28秒 | Weblog

 「千載一遇の友」と自らを称する小学校の同級生がメールをくれた。先日、毎日の価値を体積で評価する案を送ってくれた男だ。その時も「日々生きる時間のことに関して考えている」とあったが、今回は長い文章が送られてきた。

 「ギリシア神話に『時』に関係した神様がいます。その名は『クロノス』と『カイロス』です。私たちが生きている時間は『クロノス』の口から次々と生み出され、この世に留まることなく流れ出ています。その端の方に『カイロス』がいて、留まることのなく流れて来る時間をどんどん飲み込んでいます。私たちは『クロノス』の口と『カイロス』の口の間で、留まることなく流れ続ける時間の上で生活しているのです」とある。

 「生き方をよく考えず無計画な生活をする者は、時間の流れとともに流され、時間に追われ、背後に迫る『カイロス』の口に飲み込まれることから逃れるために、必死になって生きる生活を送っています。一方生き方をよく考えて計画的な生活を送る者は先を見通し、『クロノス』の口に近づき、時間の流れを見極め上手にコントロールし、余裕を持った生活ができるのです」と。

 そして、「現役の頃、時間に追われたり、追ったりする生活を体験し、幾多の修羅場を潜ってきました。現役を引退した今は、時間を追うことも追われることもなく、ゆったりと生活している。時の流れに合わせ徐々に『カイロス』の口に近づき、最後に時間の流れとともに『カイロス』の口に飲み込まれ寿命を閉じることになると思う」とある。

 小学校の頃は一番のひょうきん者でよく笑わせてくれた。何時からキリスト教徒になったのか知らないが、随分真面目になってしまった。幼い時から目標を立てて、しっかりと歩み続けてきた人もいるだろうが、多くの人は計画的で余裕のある生活からは無縁だっただろう。時間に追われるばかりの人生であっても、振り返って「悔い」が無ければ「よし」と私は思う。

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男気に執着する先輩たち

2020年04月21日 17時36分33秒 | Weblog

 西部邁氏は井戸掘り仲間の先輩と同じ、昭和14年生まれである。先輩が小学校1年の時に迎えた終戦の話を時々する。子ども心にも何か気が抜けたような心地だったと話す。国防婦人会の活動に熱心な母親だったのに、終戦の知らせを受けて、「負けてよかった」と呟いたのでびっくりしたという投稿記事を読んだことがある。

 先輩もそんな気持ちだったのだろう。あのまま戦争をしていたら、もっと多くの人が死んだはずだ。生き残ったからこそ戦後の復興に身を置くことができた。先輩たちは神武景気の中で、会社の金で飲み食いし、商談と称してキャバレーに通ったとか、誠によき時代を生きてきた。

 西部氏は北海道の「田舎」から東大に入学した秀才である。60年安保全学連の代表、唐牛健太郎氏も北海道の出身で、『評伝 西部邁』によれば、唐牛氏が東京に出てこなければ西部氏が全学連委員長になっていたと書いてあった。私が新聞やテレビで観た記憶のあるのは唐牛氏で、その後どうなったのかは知らない。西部氏は学者の道を進み、酒を飲むとよく軍歌を歌ったとも書いてあった。

 5つ年下の私たちも大学生になり、居酒屋に行けるようになって、『同期の桜』を歌った。それはお国のために死ぬというよりも、同じ学校で学んだ仲間という意味でしかなかった。身体が弱く背も低かった西部氏は、「父親=男」に強い憧れがあったようだ。アメリカに負けたことも下地にあって、反アメリカの意識も強くあった。

 村田英雄の『人生劇場』の歌詞にある、「やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか」と生きようとしたのではないか、そんな気がしてしまう。同じ歳の先輩はそういう男っぽい歌よりも哀愁のある歌が好きだが、心の中は西部氏と共通する「男気」が見える。

 

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