友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いいこともきっとある

2020年11月30日 17時10分30秒 | Weblog

 「孫が気持ちよく弾けた日の最後に、人の役に立つことが出来てよかった」と、昨日は締めくくったが、実は大変なことがあった。買い物から帰り、車を駐車場へ入れようとすると、我が家の駐車場に黒のワゴン車が止まっている。誰かが間違えたのだろうが、知っている車ではない。

 管理事務所へ行って、来客用の駐車場を借りようとしたが、事務所の灯りは消えていた。時間は午後6時頃、管理事務所は午後5時までに変わった。路上駐車ではパトカーが何時回って来るかも知れない。困った。車の持ち主が分かれば移動してもらえるが、見当がつかない。

 その時、夏祭りの際に使わせてもらっている友だちの駐車場を思い出した。いつ帰って来るか分からない息子のために、年中借りている駐車場だ。電話して事情を話し、駐車を許してもらった。他人のために良いことをしたはずなのに、こんな目に遇うのは日頃の行いが悪いのだろうか。

 今朝9時の時はまだ駐車していたが、10時に見るといなくなっていたので、友だちの駐車場から車を移動した。1階ホールにある郵便受けを見ると柚子が入っていた。秋田・青森の温泉巡りに行くと言っていた友だちの手紙が貼ってあった。無事に帰ってこられたようで安心した。

 別の友だちから電話があり、「明日の名演へ行ってくれない?」と言う。友だちは身体を悪くしたので代わりに行って欲しいというのだ。もちろん喜んで行かせてもらうことにした。落ち込むことが多い近頃だけど、悪いことばかりではない、いいこともきっとある。

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小5の孫娘のピアノ曲は『鬼滅の刃』

2020年11月29日 18時58分21秒 | Weblog

 小5の孫娘が通うピアノ教室の発表会に行って来た。プログラムを見ると出場者数は29人である。曲目から判断すると、年齢の若い順のような気がするが、学年が記されていないから間違っているかも知れない。孫娘の2つ前に演奏した子は、とても上手だった。

 孫娘が舞台に現れた時はビックリした。演奏する子たちは、ヒラヒラしたいわゆるステージ衣装なのに、着物姿でしかも何やら妖しげな格好だった。曲目を見ると「紅蓮華」「竈門炭治郎のうた」とある。『鬼滅の刃』の曲らしい。「竈門炭治郎のうた」は父親との連弾である。

 父親の家族は音楽一家で、ふたりの姉はクラシック音楽を学んできたが、末の弟である父親はそれに反発して、ジャズのような心を揺さぶる音楽が好きなようだ。ジャズの演奏会に飛び入りで参加し、即興で演奏したことがある天才肌なのだ。

 最後に主催者である教室の先生が挨拶された。「おさらい会に来ていただき」と言われてプログラムを見ると、確かに『ピアノおさらい会』とあった。先生は若い女性で、演奏者が登場する度に、幼子をおんぶして袖口から現れる。何だかとてもアットホームな感じだった。

 本当はみんなで食事でもしたいところだったが、コロナ禍のため解散となった。帰りにスパーで買い物をしていると、私の目の前の老人が買い物した段ボール箱を手押しに括り付けようとするのだが、一向に出来なくて困っていた。おせっかいな私は「お手伝いします」と紐をもらって括り付けた。

 孫が気持ちよく弾けた日の最後に、人の役に立つことが出来てよかった。

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コロナの感染よりも関心のある口語体短歌

2020年11月28日 17時32分20秒 | Weblog

 冷たい風が強く吹いている。昨日に続いて今日も、市長が屋外の緊急放送からコロナへ注意を呼びかけた。当市も感染者が増えているから、何かしなければという意気込みだ。マスクの着用や手洗いを奨励し、「感染しない、感染させない取り組みを」と結んでいた。

 新型コロナウィルスがどうして急速に広がったのか、原因はまだ分からないし、どうすれば防ぐことが出来るのか、皆目分からないので感染の恐怖ばかりが広がっている。注意し、準備することは大事なことだとは思うけれど、病気なのだから専門家の判断に従う他ない。

 毎日毎日、飽きもせずにテレビはどの局を見てもコロナのことばかりだ。カミさんはとても熱心に「ねえ、ねえ、今日も増えているわよ」と、感染者数の増加に注目している。呼びかけられた私は空返事だ。何人増えようが関心が無い。「何に関心があるの?」と問われ、「三島由紀夫かな」とトンチンカンな返事をする。

 三島由紀夫でも太宰治でも中原中也でもいい。ウイルスの広がりよりも、人の心の中の方が面白い。朝日新聞の土曜版に歌人の穂村弘氏が載っていた。1962年生まれの若い歌人は、「昔の言葉を使わなくても、五七五七七に当てはめればいい」と話す。

 私が短歌に興味を持ったのは、俵万智さんの『サラダ記念日』(1987年)だった。口語体で歌を作ってもいいというか、その方が伝わる気がした。俵さんも穂村さんも同じ歳だから、短歌の世界に新風を巻き起こした人たちだ。高校時代に口語体の短歌に出会っていたら、短歌にもっと興味を抱いたかも知れない。石川啄木の歌が好きだったから‥。

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拘るのは自分だけなのかも知れない

2020年11月27日 17時41分48秒 | Weblog

 NHKの朝ドラ『エール』の最終回は、古関裕而作曲の歌を出演者が歌うコンサートだった。若い人には人気のドラマだが、私は古関裕而が優柔不断な男に見えてしまい、見る気になれなかった。演出家の指導だろうが、全編が同じ調子で苦痛だった。

 最終回をコンサートにするのは奇抜なアイディアだが、ミュージカル俳優が多く出演していたから納得できた。中でも馬具職人の岩城役が見事だった。伊藤久雄さんが歌って大ヒットした『イヨマンテの夜』を朗々と歌い上げた。

 この歌には思い出がある。三重県で日教組青年部の集まりがあった時、当時の青年部長がこの歌を歌ったが、この時もなかなかの歌いっぷりだった。「シャボン玉とんだ 屋根までとんだ」の歌は、堕胎で亡くなった子を「偲ぶ歌だ」という、愛高教の青年部長の説を半信半疑で聞いた。歌にはいろいろな思いが詰まっている。そう思って聞くと、確かにそんな悲しみが漂ってくる。

 午後、暖かかったので、先日わざわざ電話をくれた先輩の家まで出かけた。「歩けなくなったから家に居る。何時でもいいから来てくれ」と言われたのに、いつまでも放っておくことも気まずい。私も家から出ることが無いから、散歩するにはよい機会だ。

 テレビで特集していた歴史ものや、市の講座「明智光秀」などのCDを何枚も頂いた。この地方の歴史を調べた幾冊もの古書を見せてもらったが、筆で書いた文字を解読できないので、説明の聞き役に徹した。1冊1万2千円もするような大正時代の復刻版も所有しているが、「そろそろ整理しないといかん」と話す。

 自分が集めたものは、自分ではなかなか処分することは出来ない。きっと家人もこの価値は分からないだろう。ドラマも終わってしまえば、いつか忘れられる。拘るのは自分だけなのかも知れない。

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もし三島由紀夫が熱烈な巨人ファンだったら

2020年11月26日 17時34分47秒 | Weblog

 余りにも不甲斐なかった。今年の日本シリーズでの巨人の戦いだ。全くソフトバンクに歯が立たなかった。4戦目の昨夜は1点を先取し、今日は勝つだろうと思ったのに、あっさりと逆転され、やっぱりダメかと思ったら、本当にその通りになってしまった。

 4戦で7ホームラン26点のソフトバンクに対して、巨人は4戦で4点しか取れない。中日新聞は「黄金期 超空のタカ」の横見出し、「4連覇強すぎ12連勝」の縦見出し。朝日新聞は「タカ無敗V4」の横見出しで、「終始圧倒打ち砕く」の縦見出しだった。

 巨人ファンの友だちは、「30分も見なかった」と愚痴った。強い時もあれば勝てない時期もある。ソフトバンクの工藤監督は愛知県出身で、名電高の卒業生だからいわば地元であるから、ファンも多いはずだが、ドラゴンズファンはセ・リークの巨人を応援してしまうようだ。

 最近、新聞を見ていたら、三島由紀夫を扱った本の広告とか解説記事が多いことが気になっていたが、昨日が三島由紀夫が割腹自殺した日だったのだ。自衛隊基地のバルコニーから「盾の会」軍服で演説をしている姿を思い出す。

 50年も前になるのか。1970年は全国の大学生が元気だった。そんな時に、軍服姿で現れたから時代錯誤の人の印象しかなかった。ふとしたことから『美徳のよろめき』を読み、三島由紀夫は体制的な道徳や価値から逸脱した人だったと知った。最初の作品『仮面の告白』をぜひ読んでみたいと思った。

 もし三島由紀夫が熱烈な巨人ファンだったら、この不甲斐なさにどうのような檄を発するのだろう。日本刀を振りかざして迫る相手は工藤監督か、それとも原監督だろうか。プロ野球は娯楽なのに、真剣に「勝負」に拘る人が多少はいるのかも知れない。こんな日本だから。怖い、怖い。

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NHKドラマ『こもりびと』を観て思った

2020年11月25日 17時37分35秒 | Weblog

 NHKのテレビドラマ『こもりびと』を観て泣けた。親はどうして子育てを間違えてしまうのだろう。叱ったり励ましたりして、子どもを追い詰めていることに気が付かないのだろう。76歳の年寄りになったから分かるが、子育てしている時は、「子どものため」と思い込んでいた。

 それに教師はダメだ。自分の言っていることが正しいと決めつけている。いくら正しいことでも、その子にどう伝えるかなのに、我が子になると全く頭ごなしだ。子どもが何に悩んでいるのか、察してもやらずに注意してばかりいる。

 ドラマの主人公の元教師を武田鉄矢が、そのひきこもりの息子を松山ケンイチが演じていたが、迫力もあって観ている側が泣けてしまった。父親はふたりの息子を分け隔てすることなく育てたつもりだった。けれど、兄は優秀で成績もよいが弟は進学校に落ち、大学へ進むものの正社員になれず、一生懸命に働いても会社からも父親からも評価されない。

 人は評価されないと、苦痛ばかりが膨らんでいく。何をやってもダメだ、生きている価値もない、そんな風にどんどん自己嫌悪に陥っていく。バンド『ブルーハーツ』の歌詞が流れる。「要領よく演技ができず、愛想笑いもつくれない」「苦労すれば報われる そんな言葉は空っぽだ」

 自分は生きている価値が無いと悩んでいるのに、父親は皆同じように生きているのだから「世間に出て働け」とか、激励するつもりで「生きているだけでいい、ガンバレ」と言ってしまう。ひきこもりの息子は自分を受け入れてくれなかった父親を非難し、父親は悪かったと謝るが胃がんで亡くなってしまう。

 どこの家庭でも、親子でも夫婦でも、完全に打ち解け合うことは無いだろう。自分の言葉が相手を傷つけてしまうこともあるだろう。それでも大切なことは何だろう、受け入れる努力のような気がするが‥。

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「学校に教育はあるのか」と問いたい

2020年11月24日 17時31分26秒 | Weblog

 「長髪を理由に教室へ入れなかった中学生ドラマー」という記事が、23日の朝日新聞にあった。中学の校則に、「男子の髪は耳にかからないように」とあるという。小学生の頃から音楽活動をしてきて、長髪はトレードマークだったのだろう。

 入学式では生徒の列に並ぶことは許されなかった。教室にも入ることが許されず、保健室登校になった。彼は「同じ髪型、同じ服装、同じ持ち物、それって変じゃーない?」と、理不尽な校則をテーマに、英語の歌詞で彼は歌う。

 60年前の高校時代を思い出す。高校は地域の名門進学校で、質実剛健を謳う学校だった。そのため、夏の制服は霜降りの木綿と決められていた。上着を着ない時は白のワイシャツだったが、ズボンが木綿だったので折り目がなくなり、男子からは「霜降り色に近ければ化繊でもいいじゃーないか」の要求が強かった。

 生徒会執行部と指導部とで話し合った時のことだ。「校則は誰が何のために作ったのか」と問うと、「学校が君たち生徒のために作った」と言う。「生徒のためと言うなら、生徒の要求に応えて欲しい」と食い下がるが、「規則を守るのが君らの務めだ」と押し返された。

 「生徒自身が作った規則なら守るのは当然だけれど、押し付けられた規則は改正すべきだ」。こんなやり取りがあって、翌年だったかに化繊のズボンが認められた。60年も経っているのに、「下着は白」と決めている学校もあるのは不思議な気がする。

 今、不登校の子が増えていると聞く。校則云々よりも、不登校の子どもたちとどう向き合うのか、子どもたちに学校は楽しいと思ってもらうための手立てこそが必要だ。先生たちは子どもたちと向き合う時間よりも、他のことで縛られる時間が多いという。小学校でさえ、遅い時間まで職員室の灯りが点いている。「学校に教育はあるのか」と問いたい。

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男たちの酒の席での自慢話

2020年11月23日 16時12分19秒 | Weblog

 男たちの酒の席では、得意気に自慢話をする人が何人かいる。仕事の話は嫌味になるから避けても、女の話となると結構みんなが集中する。付き合った女の数を上げたり、中には女に店を持たせた話までするし、もう定年を過ぎて何年も経っているのに、今、付き合っている女の話をする。

 何がきっかけだったか忘れたが、「女房の身体をまじまじと見たことがあるか?」という話になった。「無い無い、婆さんの身体なんぞ見たくもない」と否定する。「若い時は見たんじゃないの?」と冷やかされると、「チラッとは見たかな」と照れる。

 ひとり豪傑がいて、「女房の身体を見ることは無かったが、夢中になった女がいて、身体の隅から隅まで見たことがある。女房にはさせられない格好もしてもらった」と自慢する。女房の身体をジッと見ていたら、「変人!」と言われてしまうのに、愛人は見られることが「愛」なのか。

 こんな酒宴の話を思い出したは、三島由紀夫の小説『美徳のよろめき』を読んだからかも知れない。初めの方(新潮文庫なら9ページ)に、「数人の同性の友の前で、世にも天真爛漫な調子で、或る発見を報告するのをきいた。『あたくし、黒子を発見したのよ。それも大きな黒子を。生まれて三十年ものあいだ、自分でちっとも知らなかった黒子を』。夫人は大声でそういった。(略)ふとした気まぐれで、彼女は手鏡に映して詳さに調べ、襞のあいだにひっそりと眠っている、黒い木苺のようなそれを発見したのだ」とある。

 どこかは想像がつく。自慢する男は、「あそこの毛の中に白い毛があったから、抜いて財布に入れて持ち歩いている」とリアルに話す。男たちは若い時、女性の身体で頭が一杯だったのに、女房に「見せて」と言えないのは恥ずかしいからだ。今晩は成功しなかった井戸掘りの慰労会、どんな話で盛り上がるのだろう。

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いい夫婦の日は、3人暮らしの始まりの日

2020年11月22日 17時39分44秒 | Weblog

 「よい夫婦になるにはどうすればいいですか?」と先輩に聞くと、「干渉しないこと」と返事が返ってきた。「ウチのは要領が悪いというか、段取りが出来ないというか、料理をすれば台所が鍋や菜箸やボールの山になってしまう。器具を片付けながら料理が出来ない。包丁も出しっぱなしで危なくて仕方ない」と話す。

 「初めはムッとすることもあったが、言ったところで出来る訳ではないから、今では私が黙って洗い物をしている。相手の欠点を叱ったり咎めたりしない。私が不満を持っていることは、相手も私に不満があることだから、そんなことでいがみ合っても、夫婦仲が悪くなるばかりだから、お互い様と思っている」と言う。

 「ご機嫌は取らないの?」と訊ねてみる。「一切ない。文句を言わなければ、角は立たん。要求することが多いと失望も大きい。だったら、何も言わんことだ。長いこと一緒に暮らしてきたから、お互いの欠点はよく分かっている。それを持ち出したら、別れるしかない。今更そんなことが出来る訳が無いことくらい、分かっている」。

 何か寂しいが、夫婦円満のコツは「互いに責めないこと」なのかも知れない。今日は「いい夫婦の日」。出産して長女のところで暮らしていた一番上の孫娘が、家に帰るというので、曾孫を見に行って来た。順調に大きくなっているようなので安心したが、今晩からダンナとふたりで、子どもの面倒がみられるのだろうかと不安になる。

 それに生まれてきた時よりも、肌の色が黒くなっているのも気になる。「明日からは寒くなるようだから、くれぐれも気を付けて、風邪など引かせないように。あなたも大変になるけど、あなたが頑張らないとネ。困ったことがあればママに言えばいい。ママが出来ない時は、ママちゃんがいるから」と元気づける。いよいよ3人の暮らしが始まる。

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初めてタッチパネルで注文する

2020年11月21日 17時22分51秒 | Weblog

 結局、守山区での井戸掘りは成功せず、今日の午前に撤退のため、道具類を引き取りに行った。依頼主は息子たちと一緒に、今後も井戸掘りをする意向なので、どのように井戸を掘ったらよいか、イラスト付きの作業法を書いて渡してきた。

 もう少し、場所が広く、私たちに体力と根気があれば成功させていたかも知れないが、何しろ80歳前後の年寄りばかりではどうしようも無い。道具も貸して欲しいと言うので、役に立ちそうなものを置いてきた。「困ったらいつでも連絡して」と、格好つけていたが大丈夫だろうか。

 昼食のために入ったラーメン店で驚いた。「ご注文はタッチパネルでお願いします」と高校生のような男子店員が言う。「タッチパネル?えっ、どうするの?」。この店のラーメンが好きだと言う先輩に聞くが、「やったことが無い」と言う。

 パネルを手にしてやってみる。注文を確認し、送るをタッチする。何とか出来た。するとやはり高校生のような女子店員が、「白豚ラーメンです」と2鉢持ってくる。続いて、「餃子とご飯セットです」と餃子の1皿と白米の茶碗1つを持ってくるが、いつまで待ってもラーメンが来ない。

 まさかこれで終わりなのかと店員を探すがいない。しばらくして隣りの席に注文の品を運んできた女子店員に、「餃子セットにはラーメンはないの?」と聞いてみる。「ラーメンの注文は入っていません」と手元のスマホを見て言うので、ラーメンを追加で注文した。

 「我々のような年寄りはついていけない世の中になった」と先輩が言えば、もうひとりの先輩が「機械化による合理化で、人間の働く場所はどんどん少なくなっている」と教えてくれる。「人間が働かなくても食っていけるのかな」と問うと、「AIに強い人間だけが生き残る。後は機械化できない仕事で食いつなぐことになる」と言う。

 機械化が進めば、人間の労働時間は大幅に短縮され、人間は自分の時間を自由に楽しめるようになるはずではなかったのか。

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