友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今年も今日でおしまい

2008年12月30日 18時25分15秒 | Weblog
 今年のブログも今日でおしまいである。明日から正月3日まではお休みする。元旦は何があっても働かないと決めてきた。朝寝、朝風呂、お神酒をいただき、一日中ごろりと過ごすのが私の元旦の過ごし方だ。元旦の朝は、どういうわけか妙に清々しい気分になる。日の出など見た時には、神々しい気分となり思わず手を合わせてしまう。これはきっと、子どもの頃の母親の影響だろう。

 母は裁縫をしていたので、正月の晴れ着を仕上げるために、年末は一歩も動かず仕事に精を出していた。徹夜で仕事をしている時もあった。それでも元旦の朝、目覚めると新しい服が枕元においてあり、新しい下着に取替え、新しい服を着た。年が新しくなることを否応無しに意識させられた。元旦に箒で掃き出そうとした時、母から叱られたことがある。「元旦は神様と一緒に過ごすのだから、掃きだしたりしてはいかん」というのが母の考えだった。

 父は着物を着て、母が用意したおせちを食べてお神酒をいただく。父が家で何かをしていた記憶がない。いつも新聞か本を読んでいるか、何かを書いていた。家は材木屋であったが、私たちは敷地内の別の棟で生活をしていた。商売をしていたわけだから、元旦は特別の日だったような気がする。店は休みで静かだったが、親戚がやってきてにぎやかだった。私は母屋に行き、従兄弟たちと遊び、ご馳走をいただいた。

 今日は一日中、掃除をした。夕方になり、やっと落ち着いてパソコンに向かう。今日が今年最後のブログというので、この1年を振り返り、それにふさわしいことを書いておこうと思うのだが、いざとなるとなかなか書けない。一言でいえば、よいことばかりの1年だった。そういう出会いと出来事に感謝して、この1年の結びとしたい。

 2006年(平成18年)の春、首長選挙に敗北した時から、人生の終末に向けて準備にかかろうと決めた。死のうということではない。公人になることはもうない。これからは人の目を気にすることはないし、自分の言葉に気を遣うことはない。自分が思ったことや自分がしたかったことなど、心に素直であろう。花を育てたり、ひょっとすると描けないと思い込んでいた絵が描けるようになるかもしれない、気ままでいいじゃないかと思ったのだ。

 短歌も口語短歌に出会って、自分でも作れるような気がしたし、童話も昨年のサンタの話は残念ながら入賞しなかったけれど、物語も作れるような気がしている。おそらく人から評価される程の作品は出来ないかもしれないが、やってみようという気持ちが大事に思える。素晴らしい人たちに出会い、そのおかげで生きていることはとても楽しい。だからこそ、要らぬものは処分し、終末に向けて生きていきたいのである。

 今度は1月4日から始めます。よいお年を!
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喫茶店での熱い論議

2008年12月29日 22時27分17秒 | Weblog
 先日、喫茶店で友人を待っていたら、隣の男性2人が熱い政治論議を繰り広げていた。わが街にもこんなに政治を熱く語る人がいるのかと思いながら耳を傾けた。「政治家なんてヤツはダメだ。当選するまでは『お願いします』と頭を下げるが、当選したらわしらのことなんか全く見向きもしない。だいたい近頃の代議士は政治のことよりも自分の懐を増やすことしか考えていない。そうやろう!」。年上の方が一方的に畳み掛ける。

 「トヨタ!わしは前からダメになると言っとたよな。そのとおりだろうが!だいたいトヨタのやり方は汚いでアカン。下請けを叩いて叩いて、自分とこの利益ばっかし考えているような会社だで!それに派遣社員なんて会社に都合のよいだけで、こんな制度を作った小泉は本当に無責任なヤツだ。自分は引退して息子に後を継がせるだと、人を馬鹿にしちょると思わんか!」。

 創価学会は日本を支配しようとしているとか、日本国民の貯蓄総額は何兆円あるとか、金融商品は実体がないからダメだとか、話は筋道なくどんどんと変わっていくが、知識は相当なものだ。どうしてこんなに世間をよく知っている人がいるのに、世の中はうまくいかないのかと思ってしまった。少なくとも、これだけ現実の政治に批判的な考えであるなら、それを表明するためにも声を上げて欲しいと思った。どこかでお会いした人かと思ったが、そうでもない印象だった。

 「若者は車には興味がない。じゃあー何に興味があると思うかね?」と、年上の男性が聞く。あれ?それって、この日の午後、久米宏の番組で取り上げていたテーマではないのか、そう思った。久米さんの番組では「新しい日本人!」を取り上げていた。20代の若者は、消費には興味がない。就職先もなく不安定な生活を強いられている。明日の生活にも困るような日々なのに、以外にも貯蓄をしようとしている。海外旅行も行かないし、車も持たないし、彼女もいない。全て興味の対象ではないのだ。

 パソコンを使った証券の売買で何億円もの取引をしている男性は、海外旅行はおろか国内旅行も出かけたことがない、興味も無いと言う。そもそも遠くへ出かけることは滅多にないのだ。だから車は持っていない。お金が増えることが楽しいというわけでもないようで、ただひたすらパソコンの画面とにらめっこをしている。この男性の住まいは確かに豪邸だったけれど、その食事は貧しかった。パソコンに向かう時間が欲しいので、食事は早く食べられるものがいいと言うのだ。

 お金が無い多くの若者は、どこへも出かけられず、デートもできない。お金がある数少ない若者は、どこへも出かけず、デートもしない。若者は結局、消費を極力控え、異性とは付き合わず、したがってSEXもしない。若い女性は、性を武器にお金のある男性を取り込もうと躍起になっている。キャバクラ嬢が若い女性の人気の職業だというのだ。若い女性は早く結婚して、安定した生活を確保したいと願っている。ところが若い男性は就職口もない。

 私たちが若い頃も、「今の若者は」となじられたものだ。若者はいつも時代を反映している。これからどうなるのか、不確定ではあるが、それなりに若者たちは智恵を絞って生きていくだろう。そう願う以外に私たちにできることはないと思う。
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テレビドラマ『長生き競争』

2008年12月28日 22時09分47秒 | Weblog
 一昨日、東海テレビで76歳の老人たちを主人公にしたドラマ『長生き競争』を、またしても初めの部分だけを見た。東京の下町、佃島辺りが舞台と思ったが、新聞の解説では千葉県浦安市とあった。何年かぶりに小学校の同級生が集まり、いわゆるクラス会を行なうところからドラマは始まった。肉体と精神をこよなく鍛えていると豪語する銭湯のおやじが、「みんなで賭けをしないか」と提案する。「出資金はそれぞれが自分で決めればいい。44,444円でもいい。最後に残った者がその金を受け取る。これは長生きをしてもらうための賭けだ」と言うのである。

 なんとなく人の生をそんな風に賭け事にしてしまっていいのかと思うけれど、まあそれもいいかとも思う。人生は賭けのようなものかもしれないから。たまたま運のよい者もいれば悪い者もいる。その判断も自分ではなく、実は他人が行なっているものだ。ドラマの中では、石原さとみのような若い女性が後期高齢者である宇津井健のところに転がり込んでくるが、人生にはそんな風にありえないようなことが時には起きると象徴しているのかもしれない。石原さとみが幸運の女神なのか疫病神なのか、なぜ宇津井健と一緒に住むようになったのか、定かではないけれど、女神か疫病神かは受け手が決めることなのかもしれない。

 今日はカミさんの実家で忘年会だった。話の中で、義弟もこのドラマを見ていたようだったので、どんな展開だったのか、あるいはどんな感想だったのか、聞いてみようと思っていたのに、お酒をいただいているうちに忘れてしまった。カミさんから聞いた話では、最後は子どもの頃から好きだった二人が生き残ることになり、賭けのお金は花火に遣ってしまったそうだ。なるほど、宵越しの金は持たないと言った江戸っ子気質を表しているのかと思ったから、佃島辺りが舞台で間違いないはずだったが、浦安でも隅田川のような花火大会があるのだと知った。

 そんなことはどうでもいいことか。昔を懐かしむ気持ちと76歳という丁度私の一回り上の人たちが生きてきた人生とが妙に引っかかる。私たちもクラス会などやると、あの頃、誰が誰を好きだったなどということが話題になる。そんな好きだった者同士が残ったとしても、それでどうしたの?ということが現実の人生というものなのだ。今好きな人がいることや、今子どもや孫とどんな風に暮らしていることや、今こういう仕事をしていることや、自分が活き活きとしている何かがあることが、人生を豊かしてくれるのではないだろうか。

 そんなことより早く年賀状を書いたら現実が催促する。
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カミさんの思い込み

2008年12月27日 23時01分12秒 | Weblog
 今年はどういうわけか、のんびりと暮れを迎えたような気がする。いつものことだが、年賀状のイラストを早く描かなければと思いながら、なかなか取り掛かれない。忙しくてできないというよりは、毎年同じイラストでは味が無いというか趣向に欠ける気がして、描けないままウロウロし、結局時間がなくて同じパターンを繰り返している。そのイラストが印刷屋さんから刷り上がってきているのに、今度はパソコンで行なう宛名の印刷がすぐに取り掛かれない。

 それでも今日になってやっと、宛名印刷もでき、これから本文を1枚1枚書くところまでたどり着いた。毎年行なっているのだから、パソコンでの宛名印刷も手早くできればよいのに、まず住所録ファイルがどこにあるのか、これを探し出すことから始めなくてはならない。我ながら情けなくなる。これはO型の血液型のせいなのかもしれない。

 知り合いのご夫婦はO型とA型で、夫の方はしっかりしているようでもどこか間の抜けたところがある。先日もカミさんのご機嫌がすこぶる悪かったそうだ。その理由は、デパートから来た封書を開けたところ、女性用のマフラーと帽子の買い上げ明細が入っていたからだ。誰かにプレゼントしたにものに違いないと思い込んだのだ。夫の方はすっかり忘れていたけれど、同僚の女性が買い物をした時、店員が「デパートのカードをお持ちですと5%割引になりますが」と言ったことに反応して、カードを出したのだ。その時は現金で返してもらったから、変なことだが、財布のお金が増えて得をした気分でいたと言う。

 血相が変わったカミさんに問い詰められ、「大変だったね」と慰めると、「いや実は、もう一つカード会社から明細が送られてきていて、その方が恥ずかしい買い物だったので、どうしようかと思いましたよ」と言う。「それで、どうしたのです?」と気になって尋ねると、「何を買ったかは言わない。結果が出たら話す」と言い切ったそうだ。カミさんは「隠し事の多い人ね」と怒っていたそうだ。夫婦であっても話せないことの1つや2つはきっとあると思う。

 話せないことで、円満が保たれるなら、その方がいいように私も思う。今日、知り合いが貸してあげたお金の20分の1を返しにきた。微々たる金額であるが、返そうとしてくれることに彼の誠意を見た。おそらく彼はカミさんには何も話していないだろう。確か、彼も血液型はO型だったと記憶している。
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クリスマスは誕生日会

2008年12月26日 23時18分51秒 | Weblog
 24・25日の2日間は、親しく付き合っている4家族で1泊2日の温泉旅行へ出かけた。もう、10年近く続いている。5家族8人であったものが、既に一人が亡くなっている。アメリカへも出かけたし、韓国へも出かけた。国内旅行はいつも温泉地と決めている。新年を迎えると、2人が70歳の誕生日を迎えるので、来年は奮発して台湾へ出かけようと話し合ってきた。けれども、日程の都合で無理だとわかり、2月に鳥羽へ1泊で出かけることに切り替えた。

 私には心を許せる仲間で、居心地がいい。この人たちとなら、お酒が気持ちよく飲める。付き合いが長いので気心が知れているためだろう。中学・高校からの友だちと一緒にいても安心するのは、やはり相手が自分を知り尽くしていると思うからだ。傍目から見たなら、いつも同じことばかり言い合っているように思うかもしれない。昔話ばかりしているわけではなく、明日に向けた建設的な話もする。けれども、一番よいと思うのは自分を客観的に見ていてくれる人たちがいるということではないかと思う。

 みんなで観覧車に乗ったけれど、飛行機ではなんでもないのに、妙に落ち着きなく話しっぱなしで、そんな別の一面が見えたりして面白い。恋人同士と違って、男ばかりと女ばかりがそれぞれのキャビンに乗って、馬鹿なことで興奮している様も面白い。食事の後、カラオケで興じたけれど、ここでもいつもとは違う遊び心が発揮され、みんなで笑い転げた。大笑いを繰り返していると、一体何がおかしいのかもわからなくなってしまう。

 朝、ホテルを出発する前に、近くの公園を散策した。そう言えば、前の日もホテルに着くなり近くの神社まで散歩に出かけた。万葉の丘と称するその小山は、登ってみると結構険しく、息が上がっていた。それでも、まるで青春時代に戻ったように、散策を楽しんだ。青春時代に戻ったようにはしゃいだことがもうひとつあった。安城のデンパークにも寄ったのだが、ここではイルミネーションが見たいがために何時間も時間を費やした。初めて来た時の感動をもう一度味合いたかったのだ。

 夕方、4時過ぎに土砂降りの雨となったのに、20分も経つとピタリと止んで、西の空には真っ赤な夕日が見えた。イルミネーションが夕闇の中で光り、こんな風景は滅多に見られないであろう幻想的な世界となった。園内を1週する列車に乗り、この幻想的な世界を堪能した。
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通知表

2008年12月24日 08時16分01秒 | Weblog
 通知表をもらってきた中学2年の孫娘は浮かぬ顔をしていた。自分が期待していた成績とは違っていたからだ。自分ではもう一つ4から5へと上がることを想定していたのに、変化がなかったことが悔しいのだろう。試験と水泳大会とが重なり、充分な準備ができなかったのであろうし、それにもまして彼女の心を悩ます問題を抱え、勉強どころではなかったのかもしれない。

 4歳から水泳教室に入れられ、「努力をすれば結果がついてくる」と教えられただけでなく、自らの体験でこれが身に染み付いている孫娘は、私や私の長女である母親と違って、本当に努力の人である。私にはとても真似ができない。この冬休みも、午前7時30分からの早朝練習、午後5時30分からの夕方練習があり、今日からは朝7時30分から午後3時30分まで、ぶっ通しの練習が組まれている。私なら逃げ出したくなるスケジュールだが、「やらなきゃー記録は伸びない」と励んでいる。

 通知表も5と4しかないのだから、そんなに落胆することはないと思うのだが、水泳ではいつも自分の獲得目標を定めて練習をしているので、学習でもきっと目標の数値があったのだろう。「まあ、そこそこにいってるんだからいいじゃないの」と言ってみても本人は納得できないのだ。それでもカミさんが通知表を見て、「先生は本当にあなたのよいところをきちんと見てくれているわね」と言いながら涙を流した時は、祖母の評価に戸惑いながらも嬉しそうでもあった。

 通知表の総合所見は「常に目標をもって学習に取り組んでいます。自分に厳しく、テストの後には必ずしっかりと反省し、次に生かそうとしています。野外学習の班決めでは、級友のいろいろな思いを考慮して班を考えてくれました。努力が実り、誰もが充実した3日間を過ごすことができました」。「体育大会の800m走では、日頃の練習の成果を充分に発揮し、見事1位に輝きました。学級対抗リレーでの走りも素晴らしく、クラスの優勝に貢献しました。また、合唱コンクールでは伴奏者としてクラスの絆を深めるために力を尽くしました。学習面では、どの教科にもよく努力し、成績も安定しています」とあった。

 カミさんは同じ教師として、「こんな風に、子どものよいところを見つけてくださる先生はすごいわね」と言う。子どものよいところを見つけて引き出すことが教育の本質だから、孫娘の担任はできた先生なのだろう。ほめられたこと、あるいは評価されたこと、認められたことは一生忘れないものなのだ。

 「ほめて育てよ」。これは確か、松下村塾を創設した吉田松陰の基本姿勢だった。明治新政府は、薩摩と長州の連合であったけれど、西郷・大久保が去ってしまうと薩摩には人材がいなくなってしまったが、松下村塾からは多くの人が政府の要人となって活躍した。

 さて、私の通知表にはどんなことが書いてあったのだろう。小学校の5年生までは、「積極性が欲しい」とばかり書かれていたことは覚えているが、先生がどんな風に私を評価してくれていたのだろうかと気になった。同級生はどんな風に私を見ていてくれたのだろうか。
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自分のことはよくわからない

2008年12月23日 18時24分08秒 | Weblog
 郵便局に行くと、祝日なのでいつもとは違う狭い窓口で、若い女性職員が一人で対応していた。年賀ハガキを買い求める人、不在郵便物の受け取りに来た人、一人でいくつかの用件のある人など様々で、大勢が並んでいた。一人ひとりの対応はキチンとしているが、キチンとやればやるほど時間がかかるから、待ち時間は長くなる。並んでいる人たちがうんざりしているのがよくわかる。

 たまたま、私の前の人が耳に綿センをしているのが目に止まった。職員との対応もほとんど会話もせずに、不在郵便物を受け取り出て行った。その時、後で「馬鹿野郎!一言ごめんなさいと言ったらどうだ!」と若い男の怒鳴り声が聞こえた。出入り口が狭いのでぶつかったのだろう。それにしてもどうしてそんなに怒鳴るのだろう。怒鳴ってみたところで、おそらくその人は聞こえなかっただろう。

 師走のせいではないと思うけれど、近頃イライラしている人が多い。自分が老いたためなのか、のんびりやっていこうよという気持ちが強くなった。人の優しさが身にしみるようになった。卒業生の女の子が、そういってももう50代になるそうだが、クラス会で出会った男の子から「デートの申込みを受けちゃった。どうしよう」と言っていた。昔からよく聞く話だし、小説の設定にもあるような気がする。

 専業主婦なら男性との出会いの場は限られている。「デートくらいならいいのじゃないの」と答えると、「デートで止まらないでしょう」と言う。どうなるかは2人が決めることなので、結局彼女もそれを望んでいるともいえるし、怖がっているともいえる。彼女はとてもよいパートナーに恵まれ、「私は幸せ。主人を裏切ることができない」と言っていた。

 ある席で話題になったトルストイの『アンナ・カレリーナ』をその時、読んでいなかったので急いで光文社の古典新訳文庫を買って読んでみた。「真実の愛を求め、苦悩する人間たちが織りなす一大恋愛叙事詩」と帯封にあるとおりのことだが、真実の愛とは何か、よくわからなかった。主人公のアンナはなぜ、将来を約束されたような有能な官僚である夫が愛せなかったのか、そこがよくわからなかった。また、アンナが青年将校になぜ惹かれたのかもよくわからなかった。

 逆にアンナを誘惑した青年将校はなぜ、将来を捨ててアンナとの生活を選んだのか、そこはよくわかる気がした。青年将校は自分が犯した罪、人妻を誘惑した罰を引き受けることは、社会的な地位やそこでの将来を捨てることであった。そればかりか、夫を捨てたアンナに降り注がれる一切の非難と不幸からアンナを守り、嫉妬と衰弱に陥る彼女を受け入れることであった。それは罪を犯した者の義務であり償いである。それを「愛」というのだろうか。いや、「愛」の一つの形なのだろう。

 ヒマがあれば、もう一度一つひとつを検証する形で読み直してみようかとも思う。人が生きるということは、どういうことなのか、その辺りの関心がこれからも高まっていくのか、そんなことはどうでもいいと思うようになるのか、自分のことであってもよくわからない。
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五木寛之氏の講演会

2008年12月22日 22時46分02秒 | Weblog
 この日はとても暖かな日差しが降り注いでいた。公園の横を通った時、ベンチで仰向けに寝ていた人がいたが、さぞかし気持ちがよいだろうと思った。初冬の頃のポカポカした陽気のことを小春日和という。そんな話から五木寛之氏の話は始まった。まるで春が来たような暖かな日差しは人々を快い気持ちにさせたのだろう。アメリカにもフランスにもロシアにも同じような意味の言葉があると五木さんは教えてくれた。

 五木さんは、「現在は、躁から鬱への大転換の時代」と言う。戦後の日本人、おそらく日本人だけでなく世界中の人々が第2次世界大戦の終了を喜び、同時に新しい時代に期待した。そこで何が時代の光を浴びたのかといえば、資本主義経済がいっきに羽ばたいたことだ。市場原理が徹底され、消費の拡大と資本の蓄積が進められた。金融商品のような資本主義の本質から外れたようなものが闊歩し、私もその恩恵にあずかっているパソコンのような情報社会も生まれた。

 その結果はあっという間に、世界経済の危機へと進んでいった。経済の発展は確かに人々の豊かな生活を築いてきたようにみえたけれど、同時に資本主義の限界へと突き進んでいたことまで、社会は予測できなかった。「戦後は前だけを見て、夢を追いかけてきたが、1990年辺りから“迷いの時代”に入った」と、五木さんは分析する。その最大のものは「9・11テロで、陽気なアメリカ人は世界中で活躍し、人々のために役立っていると自負していたのに、あのテロで、自分たちを憎んでいる人々がいることを知った」と話す。

 「アメリカ人は変わった。あれほど自由を愛し、自己主張を大事にしたアメリカ人が、あのテロを機に飛行場でもあるいは公共施設で、靴まで脱がされても誰も文句も言わずに従っている。明らかに、躁から鬱へ、時代が変わってきた。時代がどんなに変わっても、人の生き方そのものが変わるわけではないが、しかし、歩き方は明らかに変わった。躁の時代のような歩き方は出来ない。鬱の時代にはそれにふさわしい歩き方がある」。

 そこで、五木さんは鬱とはどういうものかを分析する。「鬱は文字からしても書けそうにない、いやな漢字だから、それだけで憂鬱になるが、鬱には3つある。1つは憂えるというポジティブなもの。2つ目は愁で心にシーンと来る。3つ目は悲で、慈と悲は対をなす」。この前のところまでは、ウンウンと頷いて聞けたのに、ここでよくわからなくなってしまった。五木さんとすれば、『歎異抄』へと繋げたかったのかもしれないが、ここで私のへそ曲がりが頭を持ち上げた。

 聖書にしても歎異抄にしても、言葉として理解しようとする気持ちが先に立ってしまう。私も五木さんが言われるように、現在は大転換期にあると思っている。だから、五木さんが言うように「鬱を悪いものと考えるのではなく、これからは心の時代だと考え、マイナス思考を見直す」ことに大いに賛成する。

 今の私は、昔の日本人が自然の中で悟った「無常」もまた素直に心に入ってくる。「無常」の持つ積極性も、キリストの言う「右の頬を打たれたなら、左の頬を出しなさい」の積極性に通じるものがあると思うのは間違いだろうか。
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やちゃった

2008年12月21日 13時24分25秒 | Weblog
 昨日は、午前中に年賀状のイラストを仕上げて印刷屋さんへお願いに行き、午後は名古屋市公会堂で行なわれた小説家の五木寛之氏の講演を聞きに出かけ、その後、忘年会に参加した。五木氏の講演会についてはまた、別の機会にしたい。

 講演会に誘ってくれたのは、私が高校の先生をしていた時の生徒で、私が事務を引き受けている大和塾の講演会にもよく顔を出してくれている。高校生の頃は、何でもハッキリ物をいう子で、既成の価値観や決まりへの反発は強く、大胆に行動してしまうような女の子だった。今は、人の生き方について強い興味を持っているようだ。

 忘年会は、私がお手伝いをさせてもらっているデイサービスの事業所の行事。この事業所の経営者は同じく私が先生をしていた時の他科の生徒で、不思議な縁で結ばれている。生徒と書いたけれど、今から40年も前、私が教師になりたての20代の頃だから、彼や彼女とは7つか8つしか歳の差はない。今は完全に同世代のようなものだ。

 この事業所にそんな50代半ばの男性スタッフが一人いて、忘年会が終わった後で、「このままお別れでは寂しいから2次会に行きましょう」と言う。若い女性2人と私の4人でカラオケに行くことになった。この男性が『山谷ブルース』を歌っているうちに涙声になってしまった。この歌が流行っていた頃は、おそらく高校生の頃だろう。学生運動にクビを突っ込んでいた連中なら、歌にまつわる思いでも多いだろうけれど、どうして泣けてしまったのかと気になった。

 電車に乗った時は、今日一日のいろんなことが思い出されて、興奮していた。寝過ごさないようにと「30分後の電話」をしてくれるように頼んだ。ポカポカと車内が暖かく感じてきたとともに深い眠りに入ってしまった。気がついた時は聞きなれない駅名を告げるアナウンスだった。「しまった。やってしまった」。最終電車の終点駅まで来てしまった。幸い、タクシーが1台止まっている。

 運転手さんに町名を告げるが、「知らない」と言う。「ナビで検索して行きます」と言うので、「ええ、お願いします」と答える。「ナビだと大きな道を勧めるので、遠回りになることがあるんですよ」と、運転手さんは恐縮する。「まだ運転手になって3ヶ月目で、道もよくわからない」様子だった。歳は50代半ばだと話す。車はナビに従い順調に走るが、運転手さんは知らない道なので不安気にハンドルを握っている。「大丈夫ですよ。正しい道を走っていますよ」と私は言う。

 ところがあるところで、ナビは大きく迂回するように示す。運転手さんは慌てて、「この方向でいいのですか」と聞く。「そうですね。このまま真っ直ぐに走っても同じところに出ますから、真っ直ぐに行ってください」と答える。「もう近いですか」と聞くので、「ええ、もう少しです」と答える。すると運転手さんはメーター計を下ろそうとする。「いやいや、近いといってもまだ2千円や3千円はかかりますよ」と言うと、「いいんです。ナビが大回りをさせてしまったんですから」と答える。

 ナビが大回りをさせたわけではなく、順調に来ることができたのに、新米運転手は私に気を遣ったのかと思った。タクシーを降りる時1万円札を渡した。「おつりを」と言う運転手さんの言葉を振り切り、「いや、お礼です。気持ちよく乗せてもらった」と伝えた。
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テレビドラマ『14歳の母』

2008年12月19日 19時28分50秒 | Weblog
 冬休みが目前となり、自由な時間が多くなった中学2年の孫娘に付き合って、一緒にテレビを見ることが多くなった。というよりも彼女が見たくて貯めておいたドラマの録画を無理やり見せられているのだ。その中の一つが『14歳の母』で、歳が同じなので特に興味を持って見ている。高校生から見るともう「子どもっぽいドラマ」ということなのだろうか。

 14歳で妊娠すること自体が私たちの世代なら考えられなかった。もちろん、小学校の修学旅行へ行く前になぜか女子だけが集められて、男子の興味を引いていた。中にはよく知っている者がいて、「女子便所へ行ってみろ。血のついた紙が落ちとるぞ。女になった証拠だ」と話していた。それからだと思ったけれど、保健の授業で男と女の違いを教わった。

 中学も高校も、男女が仲良くすることが不良のような目で見られていた時代だ。中学2年の時に、転校する女子生徒から呼び出され、駅へ友だちと一緒に出かけた。そこで彼女から縦笛だったかちょっと覚えがないが、何かをもらった。その現場を帰宅途中の先生に見られ、翌日は職員室に呼び出されて絞られた。

 高校生になると、さすがにそんな野暮な先生はいなかったのではないかと思う。たくさんはいなかったけれど、中には一緒に下校するカップルもいた。私は早稲だったので、女の子には興味はあったけれど、どんな風にあこがれていたかと言えば、小説の世界だった。『野菊の墓』や『車輪の下』や『初恋』の世界が、自分にも現れるものと期待していた。

 テレビドラマ『14歳の母』は、現実では考えられない。主人公の父親が「どうやって育てるのだ。中学生ではお金も稼げない。何もできないんだぞ」と叫んでいたが、そのとおりだろう。ドラマでは命を大切に描こうとしていたから、結局は14歳で出産することになり、主人公の両親が面倒をみて育てていく設定だった。しかし、未熟児で生まれてきたその子どもが本当に幸せになれたのかどうかはわからない。

 14歳の母と15歳の父が、果たしてそれから子育てができたのかもわからない。父となった少年は進学をやめて働くが、そんなことで3人分の生活費を稼ぐことは出来ないから、結局は少女の両親に甘えなくては生きてはいけない。現実に生活することは悲惨な毎日がやってくることなのに、ドラマだからだろうが、これでなんとなく幸せな日々となるように描いていたのは物足りない。

 孫娘は「あり得ん」と言い切っていたが、「堕したことがあるという子はいるよ。たぶん、自慢したいために言ってるだけだと思うけど」と話す。「でも、先輩には男とやったことがある子はいるよ」と続ける。そうか、子どもだとばかり思っていたけれど、孫娘の周りはもうそんな大人の世界ができつつあるのだ。結婚が許される16歳まで、あと2年なのだから、当然なのかもしれない。そう思うと、今の高校生が身体を寄せ合って抱擁していてもおかしくないのか。

 私は結婚するまでキスはおろか手も握ったことがなかった。したい気持ちはあったのに、行動できなかった。肉体と精神が別々になっていた。孫娘はどんな恋をするのだろう。
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