友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暗いうちに電話が鳴った

2021年01月31日 17時10分40秒 | Weblog

 朝、まだ暗いうちに電話が鳴った。こんな時にかけてくる電話は余程の非常時か、常識に欠ける人なので放っておいた。留守電機能が働くから電話の内容は把握できる。受話器を取らなかったら3度もかけてきた。いつも電話して来る私と同じ歳の女性だ。

 名古屋の東区で売りに出されている高級マンションを現金で買ったとか、家人をひとり置いていけないからそのマンションを賃貸しにしたので、私が住んでいるマンションの1階を買う予定だとか、留守電に話している。朝食を終えた頃、また電話が鳴って同じことを言う。

 「家人が病気だからひとりにさせられない」と優しいことを言うのに、「(家人から)DVを受けている」とも言う。家人が「一緒に暮らせないから、(両親の)遺産を半分くれと言う。(家人には)3億円渡してあるのに、どうしてそんなことを言うのか」と憤る。

 「食事は誰が作っているの?洗濯とか掃除とか、家事は誰がやっているの?」と聞くと、「やらんでもいいと言うのにやるの、ヘンでしょう」と言う。ヘンなのはあなたの方と言いたいところだが、「あなたのことを思ってくれる優しい人だね」と話す。

 何が正常で何が異常なのか、心を病んでいる人は自分は正常で、周りの人は異常と見えるのだろう。彼女から私は、どう見えているのだろう。家人からは「かまわないで」と言われているが、誰とも話すことが無いから、30分もしゃべり続けてしまうのだろうから、誰かが聞き役になってあげないと可哀そうな気がする。

 でも、こういう人はこれからどうするのだろう。私はただ電話で聞くだけだからまだいいが、直接家に来られたり、トラブルを持ち込まれたりしたなら、どうしたらよいのだろう。家人も彼女の扱いに困り果てているが、良い解決策は見つからないようだ。

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水洗トイレが機能しない

2021年01月30日 17時20分46秒 | Weblog

 またしても水洗トイレが機能しなくなった。年末からお尻を洗う水が出なくなって、取扱説明書を見ながら回復させる作業に没頭した。ノズルから水が出ない原因は給水フィルターの詰まりとあったから、取り出して掃除したが異常は無かった。

 次に節電機能が働いて水が出ないのかも知れないと思い、節電をオフにした。故障の原因と思われるところは全て点検し、4日から正常に作動するようになった。もうこれで、リフォーム屋さんに来てもらわなくても良くなったと安心した。昨日、リモコンから指令を受けるセンサー部分が汚れているといけないと思い、丁寧に掃除した。

 すると途端にトイレのご機嫌が悪くなり、再びノズルが機能しなくなった。明かりを感じて作動するかもとセンサーに懐中電灯を当てたり、いろいろ手を尽くすが作動しない。リフォームしなくて済んだと、欲を出した罰かと悔やんでいると電話が鳴った。

 いつも電話をかけてくる女性からだ。「診察は誤診だった。飲まされた薬のせいで体調不良になっていた。あの病院はレベルが低い」と言う。「あなたはお金持ちなのだから、もっと良い病院に替わった方がいい」と話す。すると今度は、彼女の父方、母方には大学の教授や医者や弁護士ばかりいると名前を挙げていく。

 さらに、「コロナで経済が落ち込んでいるので、アメリカは必ず戦争を仕掛けるから、軍事産業の株を買っておくといい」と教えてくれる。彼女は5億円以上の資産家だが、「お金を持っていてもしょうがないから、投資したらまた資産が増えちゃった」と言う。水の出ないトイレを修理すべきか、取り換えるべきかと悩む私とは世界が違う。話が終わって時間を見たら、33分もかかっていた。

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午後は雪降りに

2021年01月29日 17時13分59秒 | Weblog

 午前中は冷たい風が強かったが、午後からは風に乗って雪が降ってきた。午前、庭に井戸を掘りたいという人のところへ先輩と出かけた。自分で井戸掘りをやってみたいが、どうすれば良いかという相談である。広い庭があり、昔は畑であっただろう土地だから、井戸を掘るには充分だと説明する。

 今の時期は寒いし、ひとりで作業するのは危険だから、春先まで待って、息子さんたちにでも手伝ってもらった方がいいとアドバイスする。「井戸掘りの道具一式は売っているので買うつもり」と意気込んでみえた。ホームセンターのようなところで売っているのだろうか。とりあえずは、私たちの持っている道具を貸すことにする。

 庭の広い家に井戸があれば、万が一の災害に役立つ。各所で井戸掘りが盛んになるといい。掘り方や道具の工夫も、それぞれが情報を交換すればさらに進むだろう。雪の影響で、道路が寸断されている。まだ、子どもが小さかった頃、雪景色を見せてやろうと思い、滋賀県の北にある余呉湖へ出かけた。8号線に入ると雪景色だった。雪の降り続く中、ひとりでタイヤチェーンを装着する。

 雪景色は素晴らしいが、雪国で暮らすのは大変だと実感した。暖かい湯舟から、降り続く雪を眺める贅沢は最高だが、観光客だからそう思うことで、それを支えている地元の人たちの苦労までは思いつかない。コロナ禍で、感染者が増えたとか減ったとか、どうしてもそこに目がいってしまうが、患者を抱える医療関係の人たちはきっと、そんなことに目を向ける余裕すらないだろう。

 風は止んだが、雪降りは止まず、我が家のルーフバルコニーもすっかり雪景色となった。

 

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くだらないことばかりが蔓延!?

2021年01月28日 17時31分36秒 | Weblog

 テレビも新聞も、コロナ感染者の数字に一喜一憂している。報道で何を伝えたいのだろう。国会でのやり取りも、政府は方針が定まらないし、野党は揚げ足取りの批判ばかりで、全く何も見えてこない。蓮舫議員の菅総理への追求はその最たるものだ。

 蓮舫議員は立憲民主党の代表代行の職にある。医療体制が整わず、亡くなられた人のあることを挙げ、菅総理に「どう思うか」と問うた。菅総理は「心から大変申し訳ない思いであります」と答えたところ、「そんな答弁だから言葉が伝わらない。あなたは総理としての自覚や責任を言葉で伝えようとする思いがあるのか?」と追及した。

 医療体制の不備の原因やどのように立て直すかで議論すべきところを、人格に係ることにすり替えている。蓮舫議員は所信表明演説の原稿を菅総理が述べる前に公開してしまい、立憲民主党は謝罪したのに本人は謝りもしない。以前も、コロナ禍で大学生が退学しなくてはならない問題を取り上げた時、「大学を辞めたら高卒になってしまう」と追及した。高卒は大卒よりも劣るという意識があるのだ。

 人の痛みが分からない人、気配りが出来ない人は、政治家に向いていない。世の中には頭のいい人もいれば、回らない人もいる。けれど、みんながみんな同じ給料でなくても、みんなが普通に生活できる制度を作るべきだ。弱者が生きていける社会を目指すべきだ。そのためにどうするかを議論し、法を設けるのが議員の務めである。

 黙って食べる「黙食」も、人の流れの「人流」を少なくすることも、意味はあるけれど、殺伐とした言葉だ。人の血の通った社会にしないと、くだらないことばかりが蔓延してしまう。

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早く来い、地球の終わりの日よ

2021年01月27日 17時12分34秒 | Weblog

 玄関ドアの隙間風が、ブォーブォーと音を立てている。風は強くて冷たいが、陽差しがあって暖かい。先輩から「白士会展」の案内をもらったので、カミさんと行って来た。カミさんの知り合いも会員というので、きっと興味があるだろうと思っていたが、結論から言えば誘ってよかったが、何かちぐはぐになってしまった。

 先輩の友人の作品は群を抜いていた。『雉子』と題した作品は、金箔の上に顔料をブラシで吹き付け、なんとも言えない遠近感を出していた。私は技法がよく分からなくて、受付の男性に「どのようにして描いているのか」と訊ねた。後から分かったことは、私が質問した男性がカミさんの知り合いだった。

 「こんにちは」だけでなく、「お久しぶりです」とか「ご無沙汰しています」とか挨拶すれば、ああ、知り合いなのだと分かったのに、紹介もしてくれなかったから、こちらも失礼してしまった。会場の外でまた出会った時も、お礼も言わずに、「未だにタバコを吸う、貴重な人ですね」と皮肉まで言ってしまった。

 印象派が生まれるまでは、絵描きは史実を残す役目だったが、写真機が生まれると新しい絵画が求められた。誰も描いたことの無い絵や、シュールのように社会や心理を表現しようとした。そして今や、プロもアマも無く、みんなが楽しみで絵を描くようになった。絵画ばかりでなく、詩や小説や演劇も全ての枠が無くなった。

 「エホバの証人」の女性が、「審判の日は近い。2年以内に下される」と言う。なるほど、全ての人が芸術を愛し、完全では無いが生きられる、まさしく地球の終わりが近づいているのだ。嬉しいな、早く来い、地球の終わりの日よ。

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人生を精一杯生きてきた

2021年01月26日 17時09分52秒 | Weblog

 まだ、高校時代の思い出の余韻に浸っていた。学年は6クラスあり、1クラスが55人か56人あったから、同じクラスにならなければ名前も顔も思い出せない。同じクラスでも余り話したことの無い子もいたから、記憶が曖昧だ。清掃当番なのに帰宅する子がいて、「どうしたの?」と聞くと、「これから予備校だから」と言う。

 進学校だから仕方ないのかも知れない。だから新聞部の仲間とはよく話せた。学校の同窓会には行く気が無くても、新聞部の集まりだけは続けてきた。女生徒はクラスに10人程度だったから、奪い合いだったのかも知れない。私は中学から好きだった女の子と一緒に入学できたから、それだけで満足していた。

 「告白したことは?」と聞かれて、「無いけど、相手も分かっている」と強がって言ったが、ふたりで一緒に帰るとか、どこかへ出かけることもしなかった。文芸部の機関誌に書いた詩や短文を、「君のことだ」と言って渡したが、照れくさくて話は出来なかった。私は彼女のことは何でも知っているつもりでいたが、「あなたにふさわしい人を見つけて」と言われ、それが最後になった。

 私が首長選挙に立候補した時、新聞部の仲間から、「お前は政治の世界より、芸術家の方が向いているのに」と言われた。自分でのそれを認めながら、「男の意地」で突っ走ってしまった。振り返れば人生はいろいろある。悔しいことも情けないことも数多い。過去は取り戻せないから、「これがオレの人生」と受け止めるしかない。

 高校時代に「オレが総理になったら、お前が官房長官」と指名されたが、友だちは総理にはなれなかった。なれるとは思っていなかった夢だが、そんなことを口にしても恥じらうことが無かった。私たち仲間の友情に変わりはない。私たちは皆、人生を精一杯生きてきた。

 

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見事な男の人生だった

2021年01月25日 17時39分59秒 | Weblog

 昔の話を聞いていると、知らなかったことが多い。当然のことだが、いくら親友だからといっても、何もかも知っている訳ではない。高校の新聞部の友だちの奥さんに会って来た。2時間半もよく話が続いたと思う。一緒に行った友だちは彼の初恋の人のはずだが、奥さんの話を聞いていると恋多き男だったと思い知らされた。

 ところが奥さんは、「何度か女の人と別れたけど、一度もゴタゴタしたことが無かったの」と、ケロリとして言う。彼はモテた。中肉中背のイケメンで、どこか物寂しいところを秘めていたから、女の人が放って置かなかいタイプだ。別れることになってもモメなかったのは、付き合っている時は誠実だったからだと思う。

 ビックリしたのは、高校時代に付き合っていた女性と別れたことをどうして知ったのか分からないが、彼を好きだった同級生の女の子の兄が彼のところにやって来て、「妹と付き合ってやってくれ」と頼みに来たという。結婚してからも年賀状が届いていたというから、女の子は相当真剣だったのだろう。とっても可愛い子で、男子生徒の憧れだった。

 会社員の彼は猛烈な仕事人間だった。私たちの世代はニューファミリーと呼ばれ、父親たちとは違い家庭を大事にしたが、彼は子どもたちと一緒に旅行することは無かったという。照れ屋だったから、「恥ずかしい」と思っていたのかも知れない。組合の書記長にはみんなに押されてなったと思っていたが、見るに見かねて自ら立候補したと聞いてエッと思った。

 大事な跡取り息子として育てられ、どちらか言えば慎重派で保守的だった。けれど内面には、弱きを助ける吉良仁吉のような血が流れていたのだろう。47歳の時に脳梗塞で倒れたというから、結婚生活と介護生活はほぼ同じ長さになる。よく出来たカミさんだと思うが、「気が回らなくて」と謙遜する。いや、奥さんが何も言わなかったから、彼は彼の人生を生き抜くことが出来たのだ。

 奥さんにお礼を言った後、せっかくの機会だからと思い、友だちと弘法さんにお参りしてきた。

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友だちのカミさんからの年賀状

2021年01月24日 17時46分19秒 | Weblog

 もうすぐ3回忌を迎える友だちのカミさんから頂いた年賀状に、「新聞部に入部したのは主人にとって、かけがえのない日々だったと思います。なかなか会えにくい状況ですが、お会いできたらいいなと思っています」と、私ともうひとりの名前が書いてあった。

 2019年2月10日、彼女から電話をもらった時はビックリした。友だちは随分前に脳梗塞を患い、半身マヒの身体になってしまった。それでも新聞部の集まりには参加してくれていた。桑名でやった時が最後だったが、その時も彼のカミさんが車で送迎してくれた。

 私たちが出会ったのは高校1年の時だから、もう60年も前になる。高校に入学したら新聞部に入ると私は決めていたが、実際に部室に行ってみると1年生は私の他には4人しかいない。2年生も生徒会の役員になってしまい、人数が足りなかった。

 1年の私のクラスに、よくしゃべる男がいた。その席の前に、無口だが賢そうな男もいた。ふたりに「新聞部に入らないか?」と誘ったところ、快く入部してくれた。それが彼との付き合いの始まりだった。無口な男は孤独を楽しむようなダンディーな面と、人の良さを持っていた。

 私たちはとても仲良しになっていたので、夏休みに本宮山のくらがり渓谷へみんなで出かけた。ところが途中で大雨になり、道も分からなくなってしまった。発案者の私は岩の上で一人ひとりの手を取り、みんなを導いた。私は初めてマドンナの手が柔らかいことを知った。

 ところが友だちから、「オレ、マドンナが好きだ」と告白され、我らが友情のために、私は身を引いた。大学の時は、東京の彼の下宿に泊めさせてもらった。私があまり酒が飲めなかったので、「口に指を入れて吐き出せばまた飲める」と彼は教えてくれた。

 そんな無茶苦茶が彼の命を縮めた。組合の書記長を引き受けるような男ではなかったのに、彼の中の男気がそうさせたのだろう。私には慎重な男のように見えたけれど、みんなのために頑張ってしまう熱い魂が燃えていたのだ。明日、彼のカミさんとどんな話ができるか、楽しみだ。

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『鬼滅の刃』と『天気の子』

2021年01月23日 17時23分18秒 | Weblog

 コロナ禍で世界中が慌てふためいている時に、新型コロナウイルスの変異種が見つかっている。ウイルスは生存を続けるために、自らの遺伝子を組み替えると研究者は言う。地球が生まれた時から、原子の総量が変わらないのであれば、何が死んで何が生まれても、全体としては変わらないということなのだろう。

 釈迦は「輪廻転生」と言った。「人は死んでもまた生まれ変わるんだよ。例えば、人になる人もいれば花になる人もいる」と母は言っていたが、釈迦はあらゆるものが生まれて死んでいくが、決して無くならないと見ていたのではないかと私は解釈している。世の中は絶えず変化していくが、地球から見たら何も変わっていないのだろう。

 自分は何のために生きているのだろうと子どもの頃に思った。人には役目があるはずと探し回った。本も読んだし、キリスト教会にも通った。どんなに考えても、過去は取り戻せないし、未来のことは分からない。分かっているのは、今、生きていることだけだ。生きている今を充分に生きる他無いのだ。誠実に生きようが、欲望を求めようが、自分の人生は自分でしか生きられない。

 カミさんが録画しておいた『鬼滅の刃』と、続けて『天気の子』を再生して見せてくれた。共にアニメでなければとても描けない作品だが、方向は全く違う。奇想天外なストーリーは共通しているが、『天気の子』はあるかも知れないと思わせる。「愛すること」「必要とすること」が、どんな困難も乗り越えてしまう。年寄りが泣くのはみっともないが、見終わった時は「よかったね」と涙が溢れた。

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私はまだ修行が足りない

2021年01月22日 17時06分23秒 | Weblog

 私が創刊した地域新聞は今も続いているが、私と同じ世代の人たちは、「読みにくい」とか、「面白くない」とか、文句を言う。編集長を務めている後輩の女性も以前、「どうしたらいいのでしょう?」と悩んでいた。私は「あなたが作りたいと思う新聞を作ればいいのでは」と答えた。

 若い女性は若いセンスがあり、問題の関心も違う。無理に私が作ったスタイルを踏襲する必要はない。自分の色合いが出せれば、作ることが楽しくなるはずだ。楽しくなければ続けられない。今もなお、続けていてくれるだけでも感謝したい。

 彼女が次の人に編集長を譲れば、またその人の色合いに変わっていくだろう。新聞でも雑誌でも伝統はあるが、編集長が変われば内容も変わっていく。関心も違うし、考えも違うから、変わっていくのは当たり前だ。ただ、配られてきた地域新聞を見ていて、「オヤッ?」と思うことがあった。

 「安全運転していますか」という2ページにわたる記事なのに、連絡先が分からない。同じ幼稚園で行われた2つの行事が同じページに写真付きで大きく掲載されている。他の幼稚園への配慮に?街で活躍している人物を紹介しているのに、どこの何歳の人か分からない。

 彼女は私のブログなど読まないだろうから、無駄なことだが、新聞は伝えるものだから読者が欲しい情報は載せた方がいい。そう思いながらも、彼女と若いスタッフの皆さんの合意のもとに作られているのだから、年寄りが心配することではないと思い直す。

 他の人のやっていることに、ああでもない、こうでもないと文句を言う年寄りを、「嫌な奴」と思っていたが、まさか自分がその類いになっていたのかとガッカリする。歴史は繰り返すのか、それともまだ私の修行が足りないのか。

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