友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『神田川』と『雪深深』

2015年01月31日 18時58分51秒 | Weblog

 昨夜、テレビで歌手の南こうせつが『神田川』がどのようにして生まれたかを話していた。『神田川』がヒットしたのは1973年と言うから、全共闘がバリケードを築いたりした70年安保の後、エネルギーが収束していく頃だ。学生たちがギターを抱えてフォークソングを歌い、新宿駅を占拠していた初期の歌詞はメッセージ性が強く、「明日が来る」というような、世の中が変わる、変えようというものが多かった。

 戦闘的で反社会的なフォークソングが多かったのに、『神田川』は余りにも私小説風だった。「若かったあの頃」、デモで明け暮れていて「何も恐くなかった」のに、世の中を変えなければならないという信念が“日常生活”で揺らぐ。「いつも私が待たされて 洗い髪が芯まで冷えて」、それでも待っていると「あなたは私を抱いて、冷たいねって言った」。お金の無い学生の同棲生活の一場面である。

 私は既に社会人でひとりの子どもの父親になっていたが、『神田川』の雰囲気はよく分かった。大学4年の時、東京で働いていたがそこで東京の大学生と友だちになった。彼が遊びにおいでと言うので、下宿へ行くとガールフレンドがいて料理を作ってくれた。終電間際になって、そろそろ帰らないといけないが、彼女はどちらへ帰るのだろう、駅まで一緒に行こうかと思って声をかけると、彼の方が「心配はいらない」と言う。私が不思議な顔をしていると、「一緒に暮らしている」と教えてくれた。

 あの頃は同棲生活が流行っていたのだろうか、それとも東京では当たり前のことだったのか。フォークソングと比べると演歌は毒々しい。叶わぬ恋の歌が多く、胸が痛くなる。『天城越え』などは典型的で、「隠しきれない 移り香が いつしかあなたに浸みついて 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」となんとも凄まじく恐ろしい執念の恋である。

 先日、聴いた藤あや子さんの『雪深深』もまた不倫の歌と思われる歌詞が憎い。「誰かが生きようと言ってもだめです あなたと別れたら私には明日はない 生きる命はいらないの 恋に落ちたもさだめ 泣いたのもさだめ これでいいのよ でも、いまも好き」。フォークソングをいい歌だと思って聴いていたけど、この歳になると毒々しい演歌に心惹かれてしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カタツムリの飼育

2015年01月30日 17時42分31秒 | Weblog

 ルーフバルコニーで作業をしているとケイタイが鳴った。久しぶりの電話だ。彼との出会いは奇遇で、話してみるといろんなところでつながっていた。私が新任で勤めた学校の卒業生であったり、議員秘書をしていた時の親しい後援者の知り合いであったり、彼の友だちが私の知り合いであったり、不思議な縁で結ばれていた。若いのに尺八を演奏し、話し出すとなかなか理屈っぽい。

 この日も15分くらい続いた。彼は今、カタツムリを養殖している。タマゴから孵して育てているようで、「ジッと見ているとこれが可愛い」と言う。「世の中はどんどん変化していくけれど、カタツムリは何億年も前から変わることなく、ゆっくりゆっくり進む。慌てずにのんびりと生きていくことを教えてくれます」。「19歳の女子大生が『殺してみたかった』とか、本当に人の命が軽んじられている。こういう時だからこそ、カタツムリを飼育してみませんか、と私は思うのだけど、どう思います」と続く。

 彼の言うとおりだろう。カタツムリを育てることで優しい心が育つなら、ぜひとも子どもたちに、そして孤独な大人たちに、ペットとして飼育してもらうこともいいだろう。「もっと多くの人に知ってもらいたいので、知恵を貸してください」と言う。たくさんの人へ発信したいというのであれば、インターネットの世界だろうが、残念ながら私にはその能力はない。いまだにペーパー人間で、新聞や書籍の方が安心できる。

 私は生き物を飼うのがなんとなく苦手だ。子どもの頃、ハトを育てたことがあるが、ヘビに襲われ飼うのを止めた。子どもが友だちからもらってきたインコを飼っていたこともある。結構長生きしたけど、ある時枝から落ちた。おそらく老衰だったのだろう。悲しくて、生き物を飼うことの辛さが身に染みた。時々、植木鉢から出てくるミミズがいるので、可哀想に思って土に返してやるが、ミミズを可愛いと思ったことはない。カタツムリに愛情を注ぐ彼のレベルからはかなり遠いようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージカル『楽園』を観た

2015年01月29日 18時58分56秒 | Weblog

 1月の名演は劇団スイセイのミュージカル『楽園』。ハワイが舞台という題名だけ見た時は、明るく楽しい物語なのかと思ったが、ロミオとジュリエットのような悲劇だった。ハワイに移民した日本人の間に子どもが生まれ、その日系2世が成人になろうとする頃の話だ。ようやく生活できるようになってきたが、日米間では交渉が暗礁に乗り上げていた。そしていきなり12月7日がやってくる。

 日本軍による真珠湾攻撃である。アメリカは移民の国、国論が1つになるのは難しいだろうと予想していた日本政府の思惑を超えて、「卑怯な日本をたたけ」とアメリカ国民は意気があがる。攻撃を受けたハワイはもっと深刻で、日本人のリーダーは収容所へ送られ、日経2世たちは「アメリカ人なら志願兵となって戦え」とそそのかされる。主人公は悩んだ末に、「アメリカ人であることを証明し、みんなが仲良く暮らせるハワイにしよう」と志願する。

 日本がハワイを攻撃したことで、日系人たちにも溝が生まれる。「移民のことなど何も考えていない」「同じ日本人に殺されかけた」と言う人、「私たちはアメリカ人なのになぜ非難されるのか」とアメリカ人に噛み付く人、それだけではなく日本人同士がいがみ合うようになる。戦争は国と国との戦いであるとともに、どう考えるかで人と人との間に亀裂と憎悪を生む。

 主人公にはハワイ人の恋人がいた。その恋人は月夜に虹を見た両親が拾い育ててきた。妊娠している恋人の姉は美しく気立てのいい妹を憎んでいる。妊娠させた男は妹に気があり、姉を喜ばせるためだと妹をパールハーバーに誘い出すが、日本軍の奇襲に遭い死んでしまう。姉はますます妹と日本人を憎く思う。そしてある日、主人公の妹が兄から届いた手紙を恋人のところへ持って行くが、そこで恋人の姉に手紙を渡してしまう。日本人を恨む姉は主人公の妹に「日本人は恐ろしい」と罵声を浴びせる。怒った妹は妊娠させた男がパールハーバーでしたことを言ってしまう。

 姉は妹に恋人は戦死し、岬の海の底で待っていると伝える。恋人は岬へと向かうが、復員してきた主人公も後を追って岬へと向かい、結局2人は海へと身を投げる。姉の妹への嫉妬と憎悪、そして戦争が人々を分断していく悲劇をミュージカルで表現した見ごたえのある作品で、涙が流れてしかたなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メールの世界

2015年01月28日 17時00分55秒 | Weblog

 「iphoneからのメールが受け取れないなら、設定を変えたらいい」と教えられて、ケイタイを購入した店へ行って来た。それ以来、滅茶苦茶たくさんのメールが届く。「当選です」とか「絶対儲かる」とか、逆に「困った時には連絡を」とか様々だ。私が男だと分かっているのか若い女性から写真付きメールも来る。メールが届くと直ぐに削除しているが、余り続くと面倒になる。とにかく削除し続けるしかない。

 「あなたにだけ特別な攻略法を教えます」というものもあったから、世の中はお金が欲しいか異性が欲しいかのどちらからしい。新聞に「1億1000万円の詐欺被害」が載っていた。あるところにはあると感心したが、被害者は同年の女性だった。金融庁職員とか警察とか弁護士とかが出てくれば、悪い人とは思わないのが日本人の習性である。この女性は欲張りであったわけでは無く、むしろ潔癖だったから「あなたのお金が不正に使われる可能性がある」と言われて、指示通りにしてしまった。

 出会い系サイトがどんなものか分からないけれど、私のところにも「オモチャにして」というメールが来るから、きっと男は直ぐ鼻の下を伸ばしてしまうのだろう。東京で大学生が女の子とデートしていたら突然男が現れて、「ワイのヨメに何してくれる。指落とすか、腕切るか」脅され、30万円払ったという記事もあった。大学生なのによくそんなお金を持っていたとこちらも感心した。脅したのは福岡から家出してきた19歳の少年と14歳の少女というから呆れる。

 今やこの世はメールが無ければ成り立たない。無線でありながら、1点から1点へつなげことも出来れば、誰でも見られるようにすることも出来る。人質の交換も、恋のやり取りも、メールでつながっていなければ絶望的だ。メールというのはどういう仕組みなのだろう。それを考え出した人はノーベル賞をもらったのだろうか。インターネットを使いこなせる人と出来ない人とでは何が違ってくるのだろう。

 いやはや大変な世の中になったものだ。今晩はガラ系どころか黒電話しか使えないというジイジ3人で久しぶりの飲み会である。世の中から置いてきぼりになっているのに、当人たちは全く自覚していない。それが幸せというものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「I AM KENJI」

2015年01月27日 17時53分30秒 | Weblog

 「イスラム国」の人質となった2人の日本人について、連日どこのテレビ局も報道している。湯川さんは民間軍事会社(?)を立ち上げた人だというが、いったい何がしたくてシリアへ出かけたのだろう。後藤さんはジャーナリストで中東やアフリカを取材して本も書いているが、どうも湯川さんの救出のためにシリアに入ったようだ。後藤さんを助けたいと思う人々がインターネット上に「I AM KENJI」と書いたプラカードを掲げている。

 「人の命は地球よりも重い」と言った人がいたけれど、人の命を粗末にするような「政治」を認めてはならない。「イスラム国」は多くの人々を殺害したから、殺してもよいと考えるのは、「我々の言うことに逆らったから殺した」と同じ思考ではないか。人質のことや「イスラム国」の残虐な行為ばかりが強調されているけれど、アメリカを中心とする反「イスラム国」連合は2000回を越す空爆を行ない、6000人以上を殺害し、「イスラム国」幹部の半数以上を殺したというのに、なぜ問題にしないのか。

 空爆では兵士なのか市民なのかも分からない。たとえ地上戦でも1対1の戦いならともかく、迫撃砲や戦車からの攻撃で判断つくとは思えない。1対1でも「動くものは全て殺せ」と教えられてきたのだから、兵士ではなく市民であっても撃ち殺すことはあっただろう。戦場では温情は禁物という。たくさん殺した側が勝利する。人を殺して褒められる戦争を「これはおかしい」となぜ思わないのだろう。「殺すか、殺されるかの状態にあるのだから仕方ない」と言うが、誰がそんな状態を作ったのか。

 ギリシアで総選挙があり、緊縮財政に反対する急進左派が躍進し同じく反対する民族主義の右派と連立内閣を組織した。誰でも「ガマン」する政治よりも「金が入る」政治の方がいい。本当に誰でもそうだというところが恐い。「悪い奴は殺してしまえ」「ガマンはイヤ」と、自分のことにしか考えなくて本当にいいのだろうか。みんなが「I AM KENJI」とプラカードを掲げたなら、きっと次のステップへ行ける気がするのだが‥。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天才と凡人

2015年01月26日 18時06分51秒 | Weblog

 テニスの錦織圭選手が全豪大会で4回戦を突破し、8強へと進んだ。テニスの試合は勝ったり負けたりと一喜一憂が続くから、見ているだけなのに胃が痛くなる。それに比べると、マラソンや駅伝はただひたすら走っているだけなので、イライラすることはないが、見続けてしまうから不思議だ。マラソンでも駅伝でも駆け引きはあるようで、戦術も重要な要素らしいが、見ている側からすれば、「ヨシ、ここでいけ」などと思わず力が入るだけだ。

 昨日の大阪国際女子マラソン大会は、ウクライナのタチアナ・ガメラさんという31歳のママさんランナーが優勝した。3連覇だというからたいしたものだ。初めから強い走りだったけれど、全く衰えることなく最後まで走りきった。「練習量が凄い」と解説者は言っていたが、心が萎えないためにはひたすら練習を重ね、自信を持って臨むことが大切という典型である。

 20歳の孫娘はガンバリ屋で、「練習が結果を生む」あるいは「結果は練習の成果」と水泳のコーチに教え込まれ、何事に対してもよく耐えてきた。大人になるに従い、どんなに練習しても出せない結果があることを知り、今は「なんだ、そうなんだ」と、ちょっと安心して学業よりもバイトに励んでいる。絵を描くことも、書を書くことも、スポーツでも、何でもきっとそうだと思うけれど、努力すれば必ず報われる。努力もせず得られることは何もない。

 けれど、あるレベルまで達すると、それ以上は上がらなくなる。それでも努力する人と諦める人とに別れてしまう。天才は生まれながらの才能を持っているが、「玉磨かざれば光なし」というように、人一倍努力をしたから天才と呼ばれる。世の中の多くは凡人で、自分の怠け心と戦っている。20歳の孫娘は5歳の妹の言動に圧倒され、「抜かれた」と嘆いているという。

 5歳の子は皆、天才なのだ。大人が思わない言葉を使ったりするが、次第に平凡さが増してくる。子どもの個性を生かしてあげるのは大人たちの務めだ。そしていつか、みんな同じような大人になっていく。20歳の孫娘は「練習が結果を生む」という大きな価値を持っている。これからだよ、人生は。まだまだ先は長いマラソンなのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中県政が目指したもの

2015年01月25日 18時45分12秒 | Weblog

 宴席で先輩が私に、「アンタは、人はいいが、田中康夫ほどの強引さがない。首長にならなくてよかったのさ」と妙な慰めを言ってくれた。その時は「首長になっていれば違っていたと思いますけど」と反論したけれど、先輩の言葉は的を射ていたかも知れないし、実際に首長になっていたら意外に冷徹になっていたのかも知れないが、首長が政策の実現に向かって強引さを欠いたら、ただ椅子を温めるだけの人になってしまうだろう。

 田中康夫さんが長野県知事となったのは2000年(平成12年)10月で、地元の銀行の元頭取らが担ぎ上げたものだ。知事となった田中さんは1階に知事室を移し、これがガラス張りだったので大きな話題となった。なぜガラス張りにしたのか、単なるパフォーマンスだと言われたりもしたが、昨日の大和塾の講師、松林さんは「県政のガラス張り化です」と言う。誰が知事室に入ったのか、みんなから見える。知事へ圧力をかけに来た人を丸見えにしたのだ。

 それとよく知られたのが、脱ダム宣言に見られる公共事業改革と入札制度改革、地域住民との車座集会では発言内容や人数の制限は一切しなかった。そして、鋼製ガードレールを廃止して信州型木製ガードレールの開発と普及を進め、地域循環型産業の創生を目指した。職員数を削減し、事務事業や外郭団体の見直し、職員給与も減額した。田中県政は権威を嫌い、特定の組織や団体に媚びず、「個人や弱者に立脚した」「当たり前のことが当たり前に言える」ことだった。

 けれどもそれは、県議会や県職員、市長会、労働組合、JA、経済団体、地元新聞を敵に回すことになり、結果的には地元メディアが知事と議会の対立を執拗に報じて、「田中県政は混乱している」と県民が受け取ることになった。「ゴタゴタは嫌」という空気が作り出され、「3度目の知事選挙でも勝てる」と思っていた田中さんは53万票を得ながら落選した。

 人口減少社会にあっては「地域への愛着が生まれることが大切で、それが自立した地域を創ることになる」と松林さんは言う。田中県政はそれを実現しようとしたけれど、道半ばで倒れることになった。「ここがいいね」と言い合える地域づくりを進めることは民主主義を根付かせることでもある。大和塾もその1つとなるように頑張りたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原点は地方にある

2015年01月23日 18時20分18秒 | Weblog

 1月18日のブログでも書いたが、明日は大和塾の市民講座で、元長野県経営戦略局長の松林憲治さんが『地方は消滅するか?』と題して講演してくれる。地方の時代などと言われて久しい。けれど、地方の時代って何を意味するのだろう。東京に全てが集中しているから、地方に分散させようというのだろうか。政府も経団連に、本社を地方へ移したらどうかと提案している。実際、地方に本社のある会社は存在するが、そうすることが地方の時代を造るのだろうか。

 地方都市も駅前再開発を行ない、ロータリーが出来て都会並みの気分が漂う。けれど、再開発には多額の予算が要るが、それを行政が行なう必要があるのだろうか。街は自然発生的に造られてきたと言えばちょっと強引だが、神社や寺院あるいは城や街道などの周りに商売する人々が住み、農業や漁業の人々は収穫しやすい場所をねぐらにした。大量生産の工場ができるとそこで働く人々を集めるために、農業や漁業などから人を引き抜いていった。

 工場は都市に集中し、働く人々も都市に集まり、さらに大きな都市へと膨らみ、それはさらに消費を拡大することになった。資本主義社会という運命が今日のかたちを造りだしているのに、それを人の力で変えるには凄まじいエネルギーが必要だ。単にお金だけでなく、人々の考え方というか意識が変わっていく必要もある。

 昭和20年代、九州で炭鉱労働者のストライキが続いていた。私は子どもだったからそんなことがあったという記憶しかない。私が学生の頃、「日本読書新聞」という評論新聞があり、大学の図書館で読んでいた。この新聞には吉本隆明氏や谷川雁氏の名前がよく出てきた。谷川氏は炭鉱のストライキを指導した人で詩人ということだった。どんな人で何をしたのか知らなかったけれど、「東京へゆくな ふるさとを創れ」という詩が有名だった。

 原点は地方にある。人々が長く培ってきた村社会、人と人とが助け合って暮らしてきた農村に原点があるという主張だったように思う。資本主義社会が高度に成長し、曲がり角に差し掛かっている。自分たちのことを自分たちで決めるという民主主義の根幹から見ても、地方にこそ先があるように思う。どんな話になるのか、楽しみだ。そして明日は大和塾の新年会で、講師の松林さんも参加してくれるという。酒の席での論議もまた興味深い。

 そんなわけで、明日のブログは休みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シトシトと降る冬の雨

2015年01月22日 18時21分57秒 | Weblog

 シトシトと降る冬の雨は何となく寂しい。「60歳の集い」という同年者が集まる行事は、私が60歳の時から始った。初代会長は次女の友だちのお父さんで、私の知り合いでもあり、音頭とりの社会福祉協議会の事務長もよく知る人だったので、参加が当然だった。その人が平成22年に亡くなったので、翌年の「会」で役員選出となり、私が代表幹事を務めることになった。この土地で生まれ育った人たちからすれば「よそ者」である。上手くやれるだろうかと不安はあったが、今ではすっかり打ち解け違和感は全く無い。

 来月21日に10回目の「会」を迎えるので、その打ち合わせを行なった。ところが司会役の人がなかなか来ない。ひょっとしてと思って電話すると、「あれっ、今日?」などと言う。月曜日に彼の都合を聞いて設定したのにすっかり忘れてしまっている。そういえば、月曜日に電話した時も、「ホテルとの打ち合わせは22日でしたよね」と言うと、「そうだったかなー」と忘れている。いろいろとボランティア活動をしているし、ちょこちょことアルバイトもしていると言うから忙しくて忘れてしまうのだろう。

 打ち合わせで話していても妙に元気が無い。「どうしたの?」と聞くと、「昨日、飲みすぎたかな」と言う。昨夜も一緒だったというもうひとりが、「最近よく忘れるから困っている」と耳打ちする。同年者で話していると、誰それが亡くなったとか、病院通いをしているとか、どこが痛いとか、元気が出るような話はひとつもない。そうしてみると私は健康な方だが、実は左手の親指の付け根がいまだに痛い。メガネをはずしてもよく見えるようになったのに、遠くのものがハッキリ見えない。

 自動車は使わずにもっぱら自転車を利用しているとか、名古屋の栄からなら2時間で歩くとか、小高い山を歩いているとか、ジムに通っているとか、健康維持には人一倍気を使っている人が多い。私はナマケモノなので、健康のために何かをしようという気にならない。そこそこに生きてこられたのだからありがたいが、もう少し元気でいたい。「風もなく シトシトと降る 冬の雨 寒さ堪えて 来ぬ人を待つ」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中東で再び人質事件

2015年01月21日 18時57分07秒 | Weblog

 今日は風もなく穏やかで暖かかった。朝からルーフバルコニーで、バラの鉢で土の入れ替えが終っていなかった4鉢の入れ替えを行なった。さらにクレマチスの鉢の土も入れ替えた。黙ってひたすら作業を繰り返すにはもってこいの日和である。小学校の運動場から子どもたちの元気な声が聞こえてくる。

 頭上を自衛隊小牧基地から飛び立った双発の輸送機が旋回を繰り返している。やはり自衛隊のヘリコプターも訓練飛行を行なっている。集団的自衛権の行使に積極的な安倍政権の意向を受けた訓練なのだろうか。昨夜から、「イスラム国」の人質となった2人の日本人のことがテレビで報じられ、今朝の新聞も大きく取り上げていた。

 平和な日本、戦闘が絶えない中東、そして再び日本人の人質事件である。日本の国内でも殺人事件は起きるし、「少年法が甘い」と自ら罪を犯してインターネット上で面白がるヘンな19歳もいる。交通事故だって、スキー事故だって、自殺だって、止まらない。世界は急激にヘンになっている。

 先日、いつも来るキリスト教の1つの団体の女性が訪ねてきた。出かけるところと察した彼女は「ぜひ、これを読んでくさい」と小さな冊子をくれた。彼女が開いて渡してくれたのはマタイによる福音書の「山上の垂訓」の部分だった。私は小学校6年の時だと思うけれど、学校の図書館でストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』を読んで、聖書の「力」を知りたいと思った。それで中学生になって、教会に通うようになった。

 「山上の垂訓」は、キリストが群衆に向かって話した教えである。キリストはよく逆説的な言い方を用いるので、意味を考える必要があるがそのため解釈の違いも生まれてしまう。それでも私はキリストの言葉にときめいた。仏教で読まれる経典は全く意味が分からないが、キリストの言葉は素直に納得できた。

 あれから60年、キリスト教の国々がイスラム教の人々を空爆している。地上のアリを殺すように踏み殺している。イスラム過激派のテロもキリスト教国の軍隊による攻撃も止めさせることができるのは人間なのに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする