友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

祭りは春・夏・秋あった

2018年10月31日 17時12分03秒 | Weblog

  祭りはどこの国にもあるから、ごく自然に生まれたものだろう。生活に追われた日常から解放されたいとの願望が、創り出したのかも知れない。日本では昔から、祭りの時は無礼講で、大目に見る風習だった。この地方の国府宮の裸祭りはその最たるもので、何があっても咎めない言い伝えまであったが、今ではそんな風習は無くなった。

 私が生まれ育った刈谷市には、春は市原神社に何台かの山車が揃い、夏は秋葉神社で雨乞いを願う万燈祭り、秋は本刈谷神社で駆け馬神事の3つの祭りがあった。市原神社の参道には駄菓子などの屋台の他、植木などを売る店も出ていた。万燈祭りは青森のねぶた祭りを小型化したような、男がひとりで担ぐ大きさの、武者絵などの万燈を担いで舞う勇壮な夜祭である。

 本刈谷神社の駆け馬神事は、柵の中で走る馬と一体になって若者が走る荒っぽい祭りで、時には怪我人が出ることもあった。戦国時代、戦に使う馬を徴用するために生まれた祭りだと土地の年寄りから聞いた。もう、馬を飼っている農家はないから、駆け馬神事は無くなっているかも知れない。中学の同級生はクラス会の時、「万燈祭りにおいでん」と言ってくれたが、あの勇壮な祭りが今も続いているのかと思うだけで嬉しくなった。

 そういえば、こうした祭りに家族で出かけた記憶がない。父や母と出かけたことも妹と行ったこともなく、たいてい私はひとりだった。市原神社も秋葉神社も学区外だったが、本刈谷神社は校区に在ったのに、秋祭りで親戚が集まることもなかった。私の家は材木屋で、駅近くの新興住宅地にあったから、本刈谷神社の氏子ではなかったのかも知れない。そういえば、祖父は本家から出た新家で、本家との交流もなかった気がする。

 ハロウィーンで深夜遅くまでブラブラしたい若者たちの気持ちは分かる。非日常の、いつもと違う自分、そんな演出をしてくれる場所がいいのだ。暴徒化することのないように、みんなで楽しい時を過ごして欲しい。また、朝が来れば否応なしに日常に戻らなくれはならないのだから。

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社会学者の古市さんとハロウィーン

2018年10月30日 17時07分35秒 | Weblog

  朝のうちは風がなかったから、ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業をした。ひとりで黙々と作業をしていると、頭は別の世界へ行ってしまう。今朝の『特ダネ』で、社会学者の古市憲寿さんのコメントがヤリ玉に上がっていた。不倫問題で古市さんは、「そもそも男女の行為って汚いじゃーないですか」と発言し、笠井アナから「えっ、キッスしたこともないの」と問われ、「ないです」と答えていた。

 慶応大を卒業して東大大学院に学んだ、33歳の社会学者はどうやら潔癖症のようだ。私たちの時代は異性と触れ合うことは許されなかった。フォークダンスで女の子の手に触れるだけでもドキドキした。大学生になって、友だちに「西浦温泉でエロ映画をやっているから」と誘われ、店のハイエースを運転してみんなで見に行った。ストリーもないSEX描写だけの映画で、とても美しいとは思わなかったから、古市さんが「汚い」と言うのも分かる。

 それでも一方で、洋画好きな私は何本も美しいベッドシーンを見て、大いに夢を描いていた。ところが結婚して初めて女性が抱けたのに、興奮のせいか勃起しなかった。古市さんが女性嫌いとは思わない。彼は女性アナの山崎夕貴さんにとても関心がありそうで、その様子は小学生や中学生の異性への関心に似ている。古市さんはどこかで、「社会を変えたいなら自己中に徹すること」と言っていたが、彼には変えたいものがあるのだろうか。

 東京の渋谷でハロウィーンを楽しむ若者たちが、暴徒化した様子をテレビが取り上げていた。仮装して歩くだけなのに、それだけで充分発散できただろうに、暴徒化すれば取り締まりが厳しくなる。発散する場所を自ら無くしてしまうことに気が回らないのだ。かつての学生運動の連中も、街頭闘争で一般市民に迷惑をかけることはなかったはずだ。市民の支持が得られ無くなれば、学生運動と同じようにハロウィーンも下火になってしまうだろう。社会学者の古市さんはどう思っているのだろう。

 

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外山滋比古さんは高校の大先輩

2018年10月29日 17時55分39秒 | Weblog

  秋らしい日が続いたので昨日と今日、朝からルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業を行なった。春にチューリップが終わり、サルビアに植え替える時、鉢の土を入れ替えながら、「来年からチューリップは止めよう」と考えていた。私が元気なうちに少しずつ鉢を減らしていこう、そんな風に思っていた。

 実際、周りで人が亡くなったりして、よりそう思うようになった。同じ歳の人が「終活をしている」と言う。残った人に迷惑をかけたくないと私も思う。けれど、どんなに整理しておいても、迷惑をかけることには変わりない。「しょうがない人ねえ」と最後まで思ってもらうことになるのも、また、私らしい気がする。

 中日ドラゴンズが交渉権を獲得した大阪桐蔭高校の根尾選手の愛読書が、外山滋比古さんの『思考の整理学』と聞いてびっくりした。外山さんは私が卒業した高校の先輩で、同じ先輩の画家・河原温さんのふたりが同窓の双璧と私は思っている。しかし、外山さんの著書は『国語は好きですか』しか読んでいない。この本から察すると、かなりの頑固者だと思う。

 外山さんは英文科を卒業した英文学者だが、明治以降の欧米文化をありがたがる傾向を「よし」としない。外山さんが子どもの頃の教育は、「よみ・かき・さんじつ」が中心で、よみが重視された。かきは文章を書くことではなく、文字を書くことと回想している。戦後も「話す」ことには重点が置かれなかったし、「話す」ことを教えられる先生がいなかったと指摘する。

 私が共感したのは、日本語は縦に続くものなのに横書きするようになって、きれいな文字が書けなくなったという指摘だ。授業などで筆記する時、どうしても横書きしてしまう。縦書きだと鉛筆を持った手が、書いた文字の上を動くので汚れてしまうが、横書きなら汚さずに済むからだ。私はズーと日記を書いてきたが、ノートを横にして縦書きにしてきた。確かにその方がキレイな文字が書ける。

 4歳の孫娘がひらがなを書けるようになったと次女が喜んでいたが、私はカタカナから習わせた方がいいと思っている。カタカナは漢字の一部を借りたものだから覚えやすいが、ひらがなは漢字を毛筆で書く時の崩しだからとても難しい。確か、外山さんもカタカナから覚える派だった。

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なぜ移民を受け入れないのだろう

2018年10月28日 17時18分56秒 | Weblog

  安倍政権が提案している外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法の改正案を巡り、自民党内から外国人労働者が増えることへの懸念が噴出している。「一度入国を認めると、日本の都合で帰国を求めるのが難しくなる」とか、「将来、日本人と外国人が仕事を奪い合う事態も発生しかねない」と言い、「移民につながる」と懸念しているのだ。労働者不足の業界からの要請を受けての改正案だが、すんなりとは通らないようだ。

 農業や介護などいろんなところで人手が欲しいのだが、それはあくまでも「日本ファースト」で、「安い賃金で」「使い捨て」にするというものだ。人は常に、自分の利益でものを考えるから、「都合のよい時だけ働いて帰って」となるが、自分が逆の立場であったら、「同じ仕事をしているのだから、同じ待遇にして」と要求するだろう。本国が日本より物価が安いのだから、賃金も安くて当然と考えるのは、相手の立場で考えていないからだ。

 今、中米のホンジョラスからアメリカを目指して、7千人もの人々が行進している。映像で見る限りでは若い家族連れが多い。乳飲み子を抱かえた夫婦やベビーカーを押して歩く夫婦や小学生にもならないような幼子の手を引く夫婦を見かける。長い人の列はまるで民族大移動の様相である。アメリカのトランプ大統領はメキシコ国境に軍隊を派遣し、人々の入国を阻止する構えだ。1つの町の人口に匹敵する人々の行進を、果たして止めることができるのだろうか。長い距離を必死の思いで歩き続けてきた人々を、四つん這いになって血を流しながらも頑張った選手に同情した日本人なら快く受け入れるだろうか。

 人類は常に、安全で安定した暮らしを求めて移動を繰り返してきた。アメリカは酷い国で、アフリカから黒人を奴隷として拉致してきた。現在、自分たちが豊かな生活をしているのに、助けを求めてあるいは職場を求めて、他国に移動しようとする人々を拒否しようとするのだろう。日本人もアメリカ人もヨーロッパも中東も、世界中が自由に移動できればいいのにと私は思う。そんなことになれば、「受け入れた国の国民の生活が成り立たなくなる」と主張する人もいるだろうが、みんなが幸せに暮らしていくためにはどうしたらよいのかを考えて欲しい。

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前向きな人たちの前向きなおしゃべり

2018年10月27日 17時09分25秒 | Weblog

  市民による市民のための市民講座を、企画・運営してきてくれた仲間が14人も集まってくれた。ただ、昔を懐かしむおしゃべりの会でよいつもりだった。「皆さん、どうしている?」という声が、「また、みんなで集まれるといいね」に変わり、「同窓会」を計画した。市民講座は10年・50回を区切りに打ち上げたのが2016年、基金が残っていたので昨年の暮れに「同窓会」を開いたが、今回で完全になくなった。

 2年も経つのに皆さん元気だ。一番感心したのは、「せっかくだから、一言ずつ、悩みや困っていること、話したいことなど、お願いします」と向けると、全員が全員、とても上手にまとめて近況を話された。私がみんなを引っ張ることなどおこがましかった。むしろ、私がみんなに付いていく側だった。無駄な時を過ごしている人はいない。みんな前向きに生きている。こういう人たちに巡り合えたからこそ、市民講座は10年も続けられたのだ。

 14人も集まったので、話題が2つに分かれていた。私たちのグループは先日の三砂先生の講演を受けて、どのようにして結婚に至ったのかで話の花が咲いた。お店の女将さんまで捕まえて、ダンナさんと結婚したいきさつを聴いた。お見合いが1組で残りは恋愛結婚だったのも時代を反映していた。しかも、恋愛結婚が幸せではなく、夫婦は別々のことをしていても、非難や不満を抱え込まなければいいと、悟ったような家族話になっていた。

 宴会は盛り上がり、挙句の果てに「1年に1回くらい、こうして会うのもいいね」と言い出すので、「そうなると会費を、今日の倍は集めないとやれません」と私は釘をさすが、「何倍であろうと、会費を集めてやればいい」と主張する。「やれ、やれ」と声高に言われても、結局、事務方を私が務めなくてはならない。そういう役回りの人がいなければ会は続かない。それが私に課せられた使命なのだろう。やれるうちはやろうと心で決めた。

 帰る頃は雨降りでバタバタしてしまったので、せっかく女将さんにアユの塩焼きを持ち帰れるように、包んでもらったのに忘れて来てしまい、なんとしても口惜しい。

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安倍首相の所信表明を読んでみた

2018年10月26日 15時21分04秒 | Weblog

  安倍首相の所信表明演説をテレビニュースで見たし、新聞でも読んだ。安倍首相は在任中に憲法の改憲に向かう意思を明確に示した。今年は明治から150年、その記念式典は大きく報道されなかったが、安倍首相は「近代国家の土台を築いた明治の人々に倣い、どんな困難にもひろむことなく未来を切り開いていく」と挨拶している。式典に天皇・皇后の姿はなかったのでどうしてかと思ったら、宮内庁は「要請がなかった」という。

 明治100年の時の首相は安倍首相の叔父の佐藤栄作氏で、祖父の岸信介元首相以来、脈々と受け継がれてきた悲願の「自主憲法の制定」を、安倍首相は成し遂げたいのだ。「総選挙でも大きな勝利を得て、衆議院の3分の2近い議席を占めるに至りました」と述べ、これを「強固な政治基盤」と誇示するのも、衆参両院で改憲発議に必要な3分の2以上の状況を絶好の機会と見ているからだ。「改憲論議を進めて」「国民の理解を深める努力は」「国会議員の責任」と言う。

 これまで私は、首相の所信表明をきちんと読む気持ちがなかった。でも読んでみると大変よく出来ている。導入部分でノーベル賞を受賞した本庶先生を称え、「定説を覆すことで、新たな世界が広がる」という本庶先生の言葉を引用し、「常識を打ち破り、新しい日本の国創りをスタートする時です」と言う。そこで、「強い日本」が出てきて、「それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です」と決意を述べ煽る。

 「強い日本」と「新しい国」はどのようなものか、それには改憲が必要なのだというのが安倍首相の考えだ。「日本の新たな国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。国の理想を語るものは憲法です」と述べ、「あるべき姿を最終的に決めるのは国民の皆さまです」と、国民と共に改憲する意志、つまりルールに従う手続きを述べている。

 野党の立憲民主の枝野代表は「首相は憲法の改定に権限を持っていない。意味のない妄言」と言う。国民民主の玉木代表は「権力者が描きたい夢を書き込むのが首相の憲法観だとよく分かった」と言う。安倍首相の論理に全く太刀打ちできていない。新聞は「野党が協力して」と主張するが、こんな野党では改憲阻止などとても無理だ。

 今晩は久しぶりの大和塾の同窓会。みんな元気でやっているのかな。

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やり続けているうちに、自分の職になってくる

2018年10月25日 15時25分55秒 | Weblog

  姪っ子の三男が属している劇団が、今日の夜と明日の昼に、昭和文化小劇場で公演する。姪っ子には男ばかり3人の子がいて、長男と次男は大学を出てコンピュータ関係の会社で働いている。長男はプログラムの、次男は保守点検の仕事だと言う。入社1年目でアメリカに派遣された長男に、「凄いね。どんなことをしているの?」と聞くと、「別に。言っても分からないよ」と軽くあしらわれた。

 そもそもコンピュータが私には理解できないのだから、説明を求めたこと自体が間違っていた。三男は上のふたりとは全く別の道に進んだ。天才肌の長男と比較されるのがイヤだったかも知れない。高校を卒業すると、「声優になる」と専門学校へ進み、東京へ出ると声優ではなく舞台の役者になった。テレビドラマにも出たが、ほんのちょい役だった。名の知れた役者になるには何年もかかるだろう。諦めがつくまで頑張ればいい。私の高校からの友だちの息子も、早稲田大学に進み、以来、演劇一筋に頑張っている。何が自分の天性かは、誰も分からない。やっているうちに、自分の「職」になってくる。諦めがつくまでやり続ければいい。

 高校の時、新聞部の4人で、「大学に入ったら新聞部に入り、将来は新聞記者になろう」と誓った。大学で新聞部に入ったのは私だけで、卒業して新聞社に入社したのは1人だった。せっかく新聞社に入った友だちも「校閲係ではつまらない」と辞めてしまった。シリアで拘束されていたフリーの記者が3年ぶりに解放された。サウジアラビアの記者がアメリカの新聞に「サウジアラビアには表現の自由がない」と書き、トルコで殺害された。報道は市民・住民に記者の目を通し会社の意向で伝えるから、決して公正でも公平でもない。それが報道の役割だと私は思っている。

 報道が公平とか平等にばかり気を遣うようになれば、本当に伝えたいことは伝わらなくなる。「死を覚悟して」とまでは言わないが、それくらいの記者魂を持っていて欲しいし、記者になるような人はそういう人が多いだろう。舞台に立つ人、教壇に立つ人、機械に取り組む人、看護に当たる人、どんな仕事の人もみんなそれぞれに覚悟を持ってやっている。さて、今晩、姪っ子の三男がどんな芝居を見せてくれるのか、楽しみだ。

 

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ルーフバルコニーの植木鉢

2018年10月24日 17時41分38秒 | Weblog

  やっぱり午後から風が吹てきた。昨夜の雨で鉢植えの草木も元気になっていた。そろそろ夏の花を抜いて、鉢の土を入れ替え、チューリップを植える準備をしなくてはならない。鉢はかなり処分した。すると、マンションの世話焼きバアさんが、「鉢を棄てられても、大きいものは誰も持っていきゃせんで、割って不燃ごみで出させてもらったワ」と言われる。

 植木鉢は何度でも使えるから、リサイクルになると思ったのは、私が軽率だった。大きな鉢は土もたくさん要るし、持ち運びが大変だから、欲しい人は思ったほどいないということだった。私の考えが甘かった。そう思ったら、私が生きている限り、このルーフバルコニーは私の花園にしておこうという気持ちになった。私が動けなくなった時は仕方ないが、それまでは続けよう。

 たった1週間くらいしか花は咲いていないが、やっぱり春はチューリップを咲かせよう。バラは一番の古木が枯れてしまった。無理な選定が寿命を縮めたのかも知れない。何とか再生させようとやってみたが、多分、春になっても芽は出てこないだろう。これで1鉢減ってしまうが丁度よい機会だから、増やすのは止めよう。

 ルーフバルコニーの草木はどうするか、欲しい人がいれば差し上げたらいいが、引き取り手がなければ大きな木は根元から切って、バラバラにすればゴミとして出せる。直径1メートルほどの鉢は一番高価だが、引き取り手はないかも知れない。そんな鉢は割って、バラバラにすれば不燃ゴミで出せる。誠に世話をかけることになって申し訳ないが、後の始末はこんな風に頼むしかない。

 終活のために整理を始めている友だちも多いが、考えてみれば、全て捨ててもらえばいいのだから、私としては「捨てやすくしておくこと」だと思った。先に何かがあると思えば人は元気になれる。何もなければ無気力になっていく。そんな私を気遣ってか、先輩がアメリカで暮らす彼の姉とその娘たちが、年末から年始にかけて「日本にくるので付き合ってくれ」と言う。予定が出来て、何故だかワクワクしてきた。

 

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若者には先に何かがある

2018年10月23日 17時03分08秒 | Weblog

  秋と春は、朝起きると途端にクシャミと鼻水に襲われる。花粉症と言われて納得してきたけど、本当は風邪なのかも知れない。いや、風邪の範疇に花粉症があるのだろう。気温のわずかな変化に私の身体は敏感に反応し、何か警告を伝えていると解釈すべきなのだ。生き物は周りの変化に反応するのを、鉢植えの草木を見ていても感じる。

 昨日の『中日歌壇』には興味を引いた歌が他にもあった。「ドングリの小さき方を小さき手で 『ぢぢ』にと差し出す二歳の選択」は、孫の姿を見るようだった。ジイジにもあげなくてはと思う優しさと、でも大きい方は自分が欲しいという正直さが、「選択」の中に凝縮されている。幼い子どもは誰もが貪欲に正直だ。それを「駆け引きをするようになった」と大人は非難するが、成長の証であると認め、どういう大人になっていくのか、親が手本を示せばいい。

 けれど、そんな孫も恋する季節がやって来る。『中日歌壇』の最後に掲載された「消した時わたしが軽くなりました 三年待った君のアドレス」は、なぜだか消された方の身になってしまい、寂しいというか悲しくなってしまう。そこで、「恋しくて耐えきれなくて今日もまた あなたを思い夕陽眺める」と歌ってみた。小3と4歳の孫娘はどんな恋をするのだろう。

 子どもたちの自殺が跡を絶たない。先が見えないというより、現状に絶望しているのだ。命を絶つほどの絶望に追い込んでしまう前に、誰かが気付いて少しでも心を開くことができたならと思う。命は神のもの、自分から消すことは出来ないと。若者は絶望するが、老人の男性の自殺率も高い。若者は先が見えなくても必ず何かある。悪いことばかりでなく、良いこともある。けれど、老人にはもう何もない。死は必ずくるから急いで死ぬことはないのに、生きていても意味がないと考えてしまうのだろう。

 金婚式を迎えた夫婦の川柳。「行き違い すれ違いつつ 50年」。

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泣けた話と‥‥

2018年10月22日 17時44分27秒 | Weblog

  泣けた。何度見ても涙が落ちる。今朝のテレビ『特ダネ』は、実業団女子駅伝予選会で起きた悲劇を取り上げていた。2区の選手がタスキを渡す200メートル手前で転倒し、四つん這いになって膝から血を流しながらも前進した。タスキを受け取る3区の選手も涙を流し、その姿を見て、しっかりと受け取り最下位で走り出した。

 余りにも痛々しい姿に、涙もろい私の涙腺はいっそう広がった。監督はその姿を見て、「やめる」ように大会関係者に伝えたが、選手の近くの関係者に伝わった時は残り15メートルだった。選手は「あと何メートルですか?」と聞き、タスキをつなぐと意思表示したようだ。近くの審判員も「行かせてやりたかった」と漏らしていた。

 監督はこれまでも選手に寄り添ってきた人らしい。選手が練習をする時は必ず自転車で伴走し、選手の走りを見るという。「あの状態を見たら、監督なら誰でもやめさせる」と言う。よい指導者と熱い仲間に恵まれたからこそ、四つん這いになってもタスキをつなぎたかっただろう。原因は分からないが、「右脛骨の骨折」と伝えられている。

 今日のブログは、昨日の日曜版の『300文字小説』の中の1編と、今朝の『中日歌壇』にあった1首をネタに書くつもりだった。歌は「柱蹴りゲタ箱蹴ってバケツ蹴り 怒り静めた男 四歳」。怒りまくる様子がよく出ている。それが4歳の男の子とあり、笑える。小説は「『この、くそ、バカ、あほ!』 3歳の次男が、自分の知り得る限りの悪い言葉を使って兄に応戦」で始まる兄弟ケンカの描写。負けた兄はベランダに出て泣き出すが、筆者は「数々の悪態を教えたのは自分だと、兄は気付いているだろうか」と結んでいた。

 私は男の子の単純というか情けなさを書こうと思った。物に当たって怒りを表すことも、酷い言葉で応戦するのも、子どもはどこかで大人から学んでいるのだと結びたかった。四つん這いになっても進む選手と、無邪気だが残酷な子どもの様子を結びつけるのはどうすればよいのか、考えてみたが見つからなかった。仕方がない。私にその能力は無いようだと結んでおこう。

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