祭りはどこの国にもあるから、ごく自然に生まれたものだろう。生活に追われた日常から解放されたいとの願望が、創り出したのかも知れない。日本では昔から、祭りの時は無礼講で、大目に見る風習だった。この地方の国府宮の裸祭りはその最たるもので、何があっても咎めない言い伝えまであったが、今ではそんな風習は無くなった。
私が生まれ育った刈谷市には、春は市原神社に何台かの山車が揃い、夏は秋葉神社で雨乞いを願う万燈祭り、秋は本刈谷神社で駆け馬神事の3つの祭りがあった。市原神社の参道には駄菓子などの屋台の他、植木などを売る店も出ていた。万燈祭りは青森のねぶた祭りを小型化したような、男がひとりで担ぐ大きさの、武者絵などの万燈を担いで舞う勇壮な夜祭である。
本刈谷神社の駆け馬神事は、柵の中で走る馬と一体になって若者が走る荒っぽい祭りで、時には怪我人が出ることもあった。戦国時代、戦に使う馬を徴用するために生まれた祭りだと土地の年寄りから聞いた。もう、馬を飼っている農家はないから、駆け馬神事は無くなっているかも知れない。中学の同級生はクラス会の時、「万燈祭りにおいでん」と言ってくれたが、あの勇壮な祭りが今も続いているのかと思うだけで嬉しくなった。
そういえば、こうした祭りに家族で出かけた記憶がない。父や母と出かけたことも妹と行ったこともなく、たいてい私はひとりだった。市原神社も秋葉神社も学区外だったが、本刈谷神社は校区に在ったのに、秋祭りで親戚が集まることもなかった。私の家は材木屋で、駅近くの新興住宅地にあったから、本刈谷神社の氏子ではなかったのかも知れない。そういえば、祖父は本家から出た新家で、本家との交流もなかった気がする。
ハロウィーンで深夜遅くまでブラブラしたい若者たちの気持ちは分かる。非日常の、いつもと違う自分、そんな演出をしてくれる場所がいいのだ。暴徒化することのないように、みんなで楽しい時を過ごして欲しい。また、朝が来れば否応なしに日常に戻らなくれはならないのだから。