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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「読んでるよ」と言われて

2014年02月28日 18時31分46秒 | Weblog

 私がブログを始めたのは、中学からの友だちに誘われたことと、83歳の先輩から「毎日1千文字書くことを課題にしている」と聞いたことにある。元来、私は書くことは好きで、光景や心情を描写することに関心があった。高校、大学と新聞部にいて、将来は新聞記者になりたいと思っていた。新聞社の採用試験に合格できずに、教師になったけれど、「組合ニュース」などを作ったりしていた。

 教師を辞めて前途を悲観していた時、街の図書館でその地域で発行されているミニコミ紙を見た。新聞といえば大手のものしか頭になかったが、これからは地域新聞が求められると思った。よし、新聞を作ろうと決意。どのような割付が一番見やすいか、どのくらいの文字数が一番読みやすいか、1つの文章は何文字くらいが適当か、そんなことを考えて作っていた。大手の新聞からミニコミ紙や地域の冊子など、気になったものに出会うとどのように作っているかと研究した。

 そして、読みやすい記事は600字から800字で、それ以上長い記事は中見出しを設けて分ける。1つの文章は40字以内にする。20字を超えるようなら読点を設ける。できるだけ簡潔な文章にする。美辞麗句や決まり文句は使わない。難しい漢字は避け、誰でも知っている言い方にする。漢字が多いと紙面が黒っぽくなるのですぐ分かる。一番いいのは小学生でも分かる文章だが、そんな風には書けなかった。

 ブログを誘ってくれた友だちが、「義務的に書いているな」と指摘する。毎日、必ず書くように務めている。休む時は事前に予告するが、「ホッとした気分になっているだろう」と彼は私の心を見抜く。彼は「いい文章」とか「うまい表現」とかを気にするが、私にとっていい文章とは短く書けた文章である。学生の頃、作家の高橋和巳の文章に惹かれた。1ページに句点が1つもないような、長い文章だった。けれども新聞には全く不向きで、時々日記を書く時に真似して悦に入っていた。

 知り合いや教え子が「読んでるよ」と言ってくれる。思いもよらない人から「ブログが楽しみ」と言われたりする。生きている限り、止めるわけにはいかない。これからも時事の話題を交えながら、私が何をしているか、孫娘がどうしているかなどの日常と、私の関心や感想などを織り交ぜて綴っていくつもりだ。

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「どうしてそんなにこだわる」

2014年02月27日 17時41分45秒 | Weblog

 私の中学3年の担任は数学の教師で、教壇ではいつも竹の棒を持っていた。癇癪ですぐ顔を真っ赤にして怒った。怒る時は身体が震え、少し吃音になった。私は数学を教えてもらったこともなく、3年の時が初めてのクラス担任だった。3年になってすぐだった。先生は「給料が1万円になったので結婚する」と言った。新婚旅行から帰ると、出かけた九州の写真が教室の後に貼られ、1枚10円で希望者は購入できた。新婚旅行のスナップ写真を掲示することもビックリだったけれど、それを売るということもビックリだった。

 新婚の先生は「家に遊びに来い」と言ってくれたので、遠慮なく出かけて行った。私は自分が教師になった時、先生と同じことをしていた。その時になって、生徒が家に来るということの大変さを知ったけれど、同時に先生は教え子が遊びに来ることがとても嬉しかったと理解できた。先生の奥さんはいつもニコニコと私たちを迎えてくれた。後になって、生徒たちの来訪を喜びながら、「接待がどれだけ大変なのか、あなたは分かっていない」とカミさんに言われ、先生の奥さんの姿を思い出すことがあった。

 一昨日、先生が作ってくれた『麦の歌』3号の複製本を、その号に登場している人のところへ配って回った。その時、一緒に回ってくれた友だちが、「第1号があった」と持って来た。「この複製本も作りたいから、しばらく借りていいか?」と聞く。もちろん快く承知してくれた。クラス会の役員は「今年中にクラス会を開く」と言う。何とかそれまでにこの『麦の歌』1号の複製本を作ろうと思う。

 「どうしてそんなにこだわる」と友だちは言うけれど、どうしてなのだろう。先生がかなりの時間と労力を注ぎ込んで作ったものということもある。若い時はそんなに大事に思わなかったけれど、もう一度読み返してもらってもいいのではないかという気もする。誰かが複製本を作らなければ、もう誰にも読まれることもなく、紙くずになってしまう。たまたま私には複製本を作ってくれる知り合いがいる。だから私の使命のように思う。それだけだ。

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永遠の愛を求めて

2014年02月26日 18時02分43秒 | Weblog

 ソチ・オリンピックが終わり、ちょっと静かになった気がする。開会式の演出はさすがに芸術の国と思わせるほど見事だった。閉会式もかなり凝ったものだったけれど、ちょっと長すぎと感じてしまった。昔、県芸術劇場で一度、ボリショイ・バレイ団の『白鳥の湖』を観たことがある。白鳥の踊りは、チャイコフスキーの音楽と共に素晴しかった。バレイが誕生したのは何時代で、どうしてロシアで盛んになったのだろう。

 ストリーは単純で、ヨーロッパの昔話や童話に似ている。王子がいて、舞踏会に来た女性と結婚しなさいと言わる。その時美しい白鳥を見掛け、追っていくと、白鳥は湖で人間の姿に戻る。悪魔の魔法で白鳥にされた王女だった。ふたりは永遠の愛を誓う。王子の結婚相手を決める舞踏会で、白鳥にされた王女そっくりの貴族の娘が現れ、王子は娘に永遠の愛を誓ってしまう。それを見届けて悪魔は勝ち誇って高笑いする。最後は王子が悪魔を倒し、白鳥にされた王女の魔法が解けて、ふたりは結ばれる。でも、永遠の「愛」って何だろう。

 永遠の愛は存在するのか。永遠に求めているということは、存在して欲しいという願望の現われである。『麦の歌』3号に、昔から理屈っぽい男だった私の中学からの友だちが、「愛という表現によって非常によく他人を誤魔化すし、また、非常によく誤魔化されもする」と書いる。「自分たちに大切なのは何をするかではなく、自分たちがそれをする際の自由の程度が問題なのです。彼女と彼が何をしてもかまわない。つまり、その現実的目的のためではなく、観念的目的について、それが持っている意識の程度により、愛するということによって騙すか騙されるかということか、または真に愛することができるかということです」。

 21歳の男が書いた文章だから、自らの経験や感情が土台になっているが、「愛」はそんなものかも知れないと思う。日曜日に4歳の孫娘の発表会があった。終わった後で、ダンナの両親と私たち夫婦の4人で、酒を飲みながらいろんな話をした。お父さんは「孫娘が結婚する時は、高砂を謡って祝う」と言う。まだ20年は先になる。「ぜひ、私の分までお願いします」と頼んでおいた。

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知らぬ振りで過ごすよりも

2014年02月25日 18時18分43秒 | Weblog

 東京都内の公立図書館で、『アンネの日記』や関連する書籍のページが破られた。その数は300冊近いという。破った人は『アンネの日記』を読んだことがないのだろう。アンネに関連するものとなると、ユダヤ人を大量に虐殺したホロコーストか。アウシュビッツ収容所の存在を否定する人がいたが、そういう考えの人なのだろうか。それにしても、なぜ書籍を破ったりしたのだろう。言いたいことがあれば言えばいいのに、隠れてする行為の方が不気味さを与えると計算してなのだろうか。

 人種差別というか、人に対する偏見はなぜ生まれたのだろう。友だちも自分が養子だったと知った時、朝鮮人ではないか、人ではないかと、心配になったと言った。人が人を差別するのはどこに原因があるのだろう。「朝鮮人は自分のことしか考えていない」、「自分たちだけが正しいと思い込んでいる」と、先輩たちはよく言う。逆に、韓国の人からすれば日本人を同様に思っているだろう。TPP交渉で、「どれだけ国益を守るかではなく、相手国にどれだけサービスできるかが鍵」と言う人がいたけれど、国と国の交渉はそんなところだろう。

 オリンピック会場のソチで、反プーチン運動をしている女性音楽家グループが活動をしようとした時、警備の警察官は「大統領の恩を知れ」と、彼女たちをムチで叩いていた。馬や牛ではあるまい、ムチで叩く行為に驚いた。ムチはもうとっくにこの世からなくなったと思ったが、今もなお使われているのだ。人が人をムチ打つなど奴隷時代と同じではないか。華やかなオリンピックとは裏腹に、ロシアには言論の自由は存在しない。

 韓国や中国でも、日本に対する抗議デモは汚い言葉ばかりだという。日本での反韓国、反中国のデモも同じで、「殺してしまえ」とシュプレヒコールをする。こうなれば、殺される前に殺すのが当然の帰結になってしまう。今日、中学からの友だちと喫茶店で、次ぎに誰のところへ行くかと地図を広げて相談していた時のことだ。私が地名を挙げて探していると、隣の席の若い女の子が「その町は隣りの市ですよ」と教えてくれた。傍から見ればおせっかいに聞こえるが、私は親切なお嬢さんだと思った。

 知らぬ振りで過ごすよりも、おせっかいでも口を出す方が親切だ。彼女はきっと優しい人なのだろう。私は礼を言い、今、私たちが何をしているのかを話した。高校生かと思ったら、大学生だった。大学生の孫娘とダブって見えた。『アンネの日記』の事件について、彼女たちに感想を聞いてみればよかった。

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担任の思いが残る

2014年02月23日 19時45分49秒 | Weblog

 中学3年の時の担任が、クラス誌を作ってくれた。卒業する時に第1号が、高校時代に第2号が、そして大学を卒業する21歳の時に第3号が作られたと思う。先日、整理していたら金属製のあられの箱の中に第3号があった。誰か第1号・第2号を持っていないかと聞いたけれど、誰も持っていなかった。第3号を眺めているうちに、担任の思いが伝わってきて、複製本を作ろうと思い立った。知り合いの印刷屋さんに相談したら、「このままの形で残せますよ」と言う。

 その複製本が出来上がってきた。あの頃、先生はガリ版で仕上げ、ご自分で製本もされたのだろうか。1文字1文字、全て先生が鉄筆を握って書いたものだ。そればかりか、編集も実にキチンとされていて、無駄な余白は一切ない。縦書きを基本にしているのに、横書きのページもあり、それが見事なほどきれいに収まっている。さすが数学の先生と言うべきか、先生の几帳面さがよく分かる。一つひとつの見出しには飾りも入れてあり、手書きでこれだけのものを作った、時間と情熱に圧倒される。

 第3号の中身を見ると、巻頭言と見出しページがあり、クラス会の思い出、大学の紹介、中学を卒業してすぐに働いた友だちの対談、先生が受け持った私たちや後輩たちとの座談会、随筆、詩、短大へ進み結婚を夢見る女の子との座談会など、幅広い。先生はみんなを呼んでは話を聞き、それを整理して書き上げ、クラスのみんなにこれを配ることで、お互いがいつまでも身近に感じられるようにと思ったのだろう。実際に読み返してみると、一人ひとりが鮮明になってくる。先生の話しぶりも甦ってくる。

 先日、大府にいる友だちに電話して「『麦の歌』を複製したからみんなのところに配りたい。付き合ってくれ」と言うと、快く引き受けてくれた。今、我が家には車が1台しかないので、カミさんが使用する時は遠慮しなくてはならない。彼に車を出してもらって、何件か回りたいし、できれば高校へ出かけていって、彼が編集していた文芸部の機関誌『くちなし』が残っているか、確かめて来たいとも思っている。

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浅田真央さん3回転半跳んだ

2014年02月22日 19時07分19秒 | Weblog

 昨日、まだ朝が明けない前、テレビでフィギア女子のフリー演技を見入った人が多いそうだ。私は夜中に起きなかったが、カミさんは中継を見たと言う。しかも、何度も同じ場面を見て涙を流している。ショートで不甲斐ない結果となった浅田真央さんが、彼女が「跳ぶ」と言っていた3回転半を成し遂げ、全ての演技を終って観客席に向かって頭を下げた時の、安堵したというかやり切ったというか、喜びとも悲しみとも思われる場面である。私は今朝のニュースで見たが、やはり泣けた。

 余りにも期待が大きかった。「国を背負っている」意識が強かった。重圧に身体が堅くなっていた。伸びやかな演技が見られなかった。見ている方が気の毒に思えた。結果なんかどうでもいいから伸び伸びとやってと、応援したくなった。これからフリーが始るという時に、東京オリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が講演で、「あの子(浅田選手のこと)は、大事な時には必ず転ぶ」と言い、「浅田選手が3回転半を成功させれば、団体戦は3位になれた」と話したそうだ。

 普通のオジサンが酒飲みながらするなら許されても、オリンピックの肩書きを背負った元首相がする話ではない。NHKの会長に指名された籾井さんが「慰安婦はどこの国にもあった」とか、同じくNHKの経営委員になった百田さんが「南京虐殺はなかった」とか、首相補佐官の江藤さんがユーチューブに「安倍首相が靖国神社に参拝したことをアメリカ政府は失望したと言ったが、失望したのはこっちだ」と投稿したりとか、このところ公人の無責任な発言が目立つ。思いやりもなければ考え深さもない。

 江藤補佐官はアメリカ政府要人に会って、安倍首相が靖国に参拝するがよろしくと根回ししたのに裏切られたという思いなのだろう。アメリカ政府要人からすれば、「慎重に」と伝えたのにということでもある。外交は本音の部分と根回しや打診の部分など、一筋縄ではいかない。江藤さんの投稿も別の意図があるのかも知れない。けれど、森元首相の発言は余りにも思慮に欠ける。籾井さんや百田さんの発言も公人である立場を忘れている。個人が何を考えていても、それは自由だ。けれど、公人が発言すれば、その組織を代表することになる。軽い人が多くなったのか、それとも布石なのか、恐い時代である。

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ウクライナでも暴動

2014年02月21日 17時38分04秒 | Weblog

 ソチ・オリンピックの街から北東のところにウクライナという国がある。私の子どもの頃は、ウクライナもその北のベラルーシもソ連領だった。ウクライナ地方は農業も工業も盛な地域と学んだ。ソ連の崩壊に伴い独立国になったけれど、EU寄りの政治グループとロシア寄りの政治グループの対立が深まり、とうとう死者まで出る暴動になっている。

 ソチ・オリンピックの開会セレモニーで、ロシアの歴史が映像と人々の動きや踊りで見せられ、観客を魅了していた。装置も素晴しかったし、演技も素晴しかった。古代ギリシア時代に西から人々がやって来て住み着いた。人々は土地を拓き耕し、やがて国を創った。ロシア革命をどのように描くのかと興味を持って見ていたが、すぐに工業化が進み、豊かな社会になってしまった。

 ソ連時代にどれだけの民族がいたのか知らないが、ロシアになった今もたくさんの民族が暮らしている。民族の融和が政治の大きな課題であることは今も同じだ。ウクライナでの暴動は、ロシア寄りの政権に対する反発から生まれているが、反対派内はそれぞれに思惑があって制御不能になっていると報じられている。

 先頃、読んだアーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』を思い出す。ロシア革命の後、スターリンが政権を掌握し、反対派を粛清する。レーニンらと共に革命を遂行したブハーリンは粛清の対象となり、裁判にかけられる。小説はこれを下敷きに、ブハーリンの苦悩を通して、政治とは革命とは何かを描き出している。

 その中の、古参革命家が若い審問官から尋問を受ける場面は凄まじい。リアルなのは筆者が尋問を受けた経験があるからだ。独裁者を暗殺しようと計画したと詰問され、「政治的行動を口にしたが、個人を狙ったテロのことではない」と答えると、「内戦を望んだのか」と言われ、「違う、大衆行動だ」と答える。けれども彼は以前、「独裁体制に反対する者は、手段として内戦を認めなくてはならない。内戦から尻込みする者は、反対行動を諦め、独裁体制を受け入れなくてはならない」と主張していた。

 ウクライナの人々が死者まで出た暴動を支持しているのか、そうしなければ政治は変わらないのか、どこまでもいつまでも人間は変わらないものなのか、不思議な気がすると共にまだまだ時間がかかりそうな気もした。

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魅力を感じる男がいない

2014年02月20日 17時34分53秒 | Weblog

 落し物の連絡が入った。大和塾のチラシや季刊誌を印刷してもらっている会社から、「実は、ユーアンドミーという喫茶店から電話があり、私のところが発行した領収書の入った封筒の忘れ物があったけど、心当たりはないかと言うのですが‥」、そう言われてもと思いながら、フッとあの時かと思うことがあった。「ありがとう。確かめてみます」と電話を切り、喫茶店に行った相手に電話してみた。

 「渡した封筒は持っている?」と聞くと、「持ってるよ」と言う。「中のものはみんなある?」と再度聞くと、「あれ!小さい方の封筒がない」と言う。「分かった。今、連絡があったのでもらって来る」と言い、その喫茶店へ向かった。私が彼とその喫茶店に行き、役所に提出する書類とこれまで立て替えた分の領収書を入れた封筒を渡した時、中の小さな方の封筒が落ちたのだろう。喫茶店に行くと既にクローズされていた。

 中を覗くと明かりが見える。ドアをノックして明けてもらった。昼間は喫茶が中心で、夜は居酒屋なので、その仕込みをしているところだった。若いマスターは封筒を見せて、「これですが間違いありませんか?」と渡してくれた。私は名刺を渡し、礼を述べた。「相手が、気が付いて探しに来るまで放っておけ」と言う人が多い中、わざわざ電話して探してくれた心遣いに感謝した。今は寒いから出かけたくないけれど、気候がよくなれば一度飲みに行かねばと思った。

 「もらって来たよ」と彼に届けると、「ご苦労様でした」と言う。どっちが落としたとか、責任を巡ってグチャグチャ言わないところがいい。役所への種類の提出など面倒なことも、そしてどんな嫌なことがあっても、淡々としているから助かる。嫌なことはいつも他人のせいにして、文句ばかり言う人がいるけれど、彼は何があってもスッーと流してくれる。

 先日、結婚しない娘が多い話から、「近頃は魅力を感じる若い男がいない」が原因という結論に至った。けれど、いい男がいなくなったわけではなく、身の周りに少ないのか、あるいは目立たなくなったのではないだろうか。しかし、若い男が活躍する場が少なくなったことは本当かも知れない。

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映画『リトル・ダンサー』

2014年02月19日 18時03分57秒 | Weblog

 いよいよソチ・オリンピックのフィギア女子が始まる。浅田真央さんか、それともキム・ヨナさんか、ロシアの15歳の少女か、そんな話題で持ちっきりだ。誰が勝ってもいい、メダルが何であろうと、いや、メダルがなくてもいい、選手はベストを尽くして競技している。「わが国のメダルの数」などと言う必要もない。それにしても、競技で1位になった選手ではなく、日本選手の映像ばかりが流されるのかと思う。

 競技では見られない善意やエピソードを紹介することに難クセをつけるつもりはない。日本人選手の活躍を取り上げることにも異論はない。けれど、もう少しその競技の素晴しさや美しさ、あるいはスポーツの技や難しさを取り上げ、解説してくれてもいいのにと思う。オリンピック報道に少々食傷気味な私は、オリンピック報道をくまなくチックし、録画に余念がないカミさんが眠ってしまったので、これ幸いと映画を観た。

 イギリス映画『リトル・ダンサー』だった。2000年BBCフィルム制作とあったからイギリスの国営テレビが作ったものだろう。映画の舞台は、1984年の北部の炭鉱の町で、不況の影響でストライキが続いていた。父親は炭鉱夫で少年の兄も同じく炭鉱夫で組合の先鋭である。母親は亡くなっている。少し認知症の祖母がいる父子家庭だ。父親は少年をボクサーにしたくてジムに通わせているが、ストのためにジムの一角にバレイ教室が移ってくる。

 殴り合うボクシングが嫌な少年はバレイに興味を抱き、バレイ教室の先生の計らいで父親に黙ってレッスンを受けるようになる。やがて父親の知るところとなり大目玉を食らう。「なぜ、男がバレイをしてはいけないの」と少年は言う。父親は「男ならボクシングかレスリングだ」と怒鳴るが少年は納得しない。バレイ教室の先生に「ロンドンのロイヤル・バレイを受ける素質がある」と言われて父親は息子のためにスト破りに加わる。少年は合格し、ロイヤル・バレイの舞台に出る。これを父親と兄が客席で見守る。

 そんな映画だったが、ストライキ、父子家庭、貧困、友情などを背景に、好きなことをやりたいと向かっていく少年の姿がよく描かれていた。バレイ教室の女の子が少年に「私のあそこ見たい?」と聞く。少年は「見たくない」と言う。随分過激なセリフだが、淡々とした描写の中の1コマで、少年期を見事に表していた。

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情けは人のためならず

2014年02月18日 18時32分13秒 | Weblog

 国際交流フェスタの時、「とにかく来てくれ」と頼まれて出かけた。DVD映画の担当だったが、操作は知らないのでただその場にいればよかった。私の他にも頼まれた数人いた。つまり、サクラとして呼び出されたのだ。DVDはインド映画で、私をはじめみんな始めて見るものだった。この日の作品は2本ともストリーらしいものはなく、同じような場面が何回となく映し出され、上映時間は3時間と長くてウンザリだった。

 1本は喜劇で、歌と踊りが全編の半分を占め、残りは香港映画のカンフーを取り入れたアクションと西部劇を思わせる馬車の追走シーンなど、多国籍のごちゃ混ぜだった。もう1本は、娘が嫁入りするまでを描いたもので、一族の絆とともにそれぞれが抱える家族の一人ひとりを追ったものだった。日本の小津安二郎風の家庭劇だが、かなりドロドロと描いている割にはスローテンポで眠くなってしまった。

 ボランティアスタッフには地元の名産「イチジクドレッシング」が無料配布された。私と同じDVD担当の中に高校生がいた。彼は遅れてきたので「まだドレッシングはもらっていない」と言う。「じゃあ、受付でスタッフである名札を見せて、もらっておいで」と教えた。しかし遠くから見ているとどうもお金を払っている様子だ。戻ってきた彼に、「無料でもらえなかったの?」と言うと、「ええ、名札は見せたけど、『400円です』と言われたので払いました」と答える。「そうか、まあ寄附したと思えばいい。その代わりにコーヒーをご馳走するよ」と慰める。

 高校生に、「そういうのを日本の諺でなんって言うか?」と出題するが、彼は「わかりません」と答える。すると物知りの先輩が、「『情けは人のためならず』。可哀想だから助けてあげるのではなく、自分が助けられることになる、つまり自分のためというわけだ」と教えた。高校生はきょとんとしていた。けれどまあ、大きくなれば諺の意味を理解する体験もあるだろう。

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