友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

担任の親戚を探し求めて

2018年04月26日 18時29分21秒 | Weblog

  中学3年の担任の家には何度か行ったことがある。先生が作ってくれたクラス誌『麦の歌』の1号・2号・3号の復刻版が完成した時、クラス会の出席者に渡すことしか考えていなかった。真ん中の2号が最後に印刷できたが、そこには、先生の1歳半の長男の写真と中学校の先生方の近況が掲載されていた。私は先生の長男に、先生がどんなに生徒思いだったかがよく分かるこのクラス誌を届けたいと思った。

 しかしもう、先生も奥さんも亡くなられていたので、先生の親戚の方で長男の住所を知っている人を探してもらおうと思い、先生の家の近くに住む同級生に電話したが、すぐにルス電話になってしまう。仕方ないのでその旨を書いてFAXを送ったのに何日経っても全く連絡がない。彼女のことも心配になって、中学からの友だちに車に乗せてもらってまず先生の家を訪ねた。奇跡の出会いはあるもので、私が記憶していた先生の家を覗いていると1台の軽トラが近づいて来て止まった。

 友だちが地元の人らしいその方に、「この家は」と担任の名を告げ、「先生のご親戚の方をご存知ありませんか?」と聞くと、「私だが‥」と言われる。私はクラス誌を見せ、「これを長男に届けたいのですが、ご住所は分かりませんか?」と話すと、先生の奥さんの「実家の電話ならウチのが知ってるから」と老人会の集まりの場所に連れて行ってくれた。さらに、「同級生が近くに住んでいるのですが」と言うと、その家までも案内してくれた。友だちが最初に声をかけた人のおかげで、課題が一気に解決できてしまった。

 先生のお父さんは長男だったが、家を継がずに学者になった。私たちが出会った人は後を継いだ弟の息子だったのだ。電話を入れてもFAXを送っても連絡がなかった謎も解けた。「知らない人からの電話には出ないし、今はスマホでなんでもやり取りできるから」と言うことだった。写真の同好者と全国を飛び回っていることも分かった。最後にクラス会の幹事にも会い、「おお、必ず開くから」と言ってもらえた。担任の親戚を探し求めた今日の旅の終わりは酷い花粉症の来襲だった。クシャミの連発と鼻水で、ゆっくり話も出来ずゴメンナサイ。

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生命保険

2018年04月25日 17時59分32秒 | Weblog

  昨夜からの雨は午前中に止んだけれど、午後は強い風が吹いている。生命保険のレディが契約内容の説明にやってきた。大柄の女性でしゃべり方も男っぽいが、指先は細くてきれいだった。保険について、私は懐疑的だ。将来起きるかも知れない万が一に備えて、掛け金を支払い金額を受け取る訳だが、最近はさらにいろいろな補償が加えられている。

 子どもの頃、母がよく「お前のために保険に入っているからね」と言っていた。そのための掛け金を支払いに四苦八苦していた覚えがある。「そんなに大変なら解約すれば」と言うと、「解約してしまったら何にもならない。保険は続けなければ価値がないんだ」と言っていた。けれど、母が亡くなっても保険金が入って来た訳ではなく、「お前のため」と言っていたが、私が保険から受け取ることは何もなかった。

 教員になると教員室まで保険のオバさんがやってきて、勧めてくれたが全く興味がなかった。結婚すると聞きつけたオバさんに、「将来に備えるのが男の甲斐性」と無理やり生命保険に加入させられた。今日の生保レディも「若い人たちには掛け金が低い保険が受けている」と言っていた。「死んだらいくらもらえる」という話は嫌だけど、「病気になったり、事故に遇ったりしたら、困るでしょう」と言われると、年金暮らしには急な出費は負担が大きいはずだ。

 少しずつ掛け金を支払い、それで助かるなら現実的な判断かも知れない。生活に負担がかかるような保険は止めてもらいたいし、「死んだら」と言うのも要らない。そう言っても、我が家の保健管理者はカミさんだからお任せで、「ちゃんと知っておいて」と言われるが何も知れない。長女はしっかり者だから、カミさんは長女に相談しているだろう。私は煩わしいことにかかわりたくないから、うまくやって欲しいと願うばかりだ。

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『およげ たいやきくん』の悲哀

2018年04月24日 17時44分41秒 | Weblog

  昭和で最も売れたシングル盤は『およげ たいやきくん』だという。フジテレビの子ども向け番組「ひらけポンキッキ」で歌われたものが、いつの間にか子どもよりもその父親たちの関心を引いた。私もその頃、ふたりの子どもを授かり、テレビで見ていた。昭和が終わり、平成になると、「昭和歌謡」などと懐かしい番組が作れれ、必ず『およげ たいやきくん』が登場するようになった。

 改めて聞いてみて、やっぱり子どもよりも大人の歌だと思った。出だしの「毎日 毎日 ぼくらは鉄板の」が、多くのお父さんたちの心に引っ掛かったのだろう。「毎日 毎日」出勤し、別に「鉄板」とは思わなくても、職場で黙々と働き、来る日も来る日も同じことの繰り返しに、「やになっちゃう」と感じながら、じゃ―どうするんだと考えても、結局は歌のオチのように、元の場所しかないのだ。サラーリマンは誰もがきっとそんな思いでこの歌を聞いたのだろう。

 私は教員の時も、自分で地域新聞を始めた時も、議員になった時も、毎日が違っていて、だから大変だったから、「やになっちゃう」ことはなかった。ああやってみたらどうか、これがいいのでは、どうしてなのかと疑問を追う、毎日が面白かった。退屈など感じる余裕がなかった。時間に追われ、それを充実した日々と錯覚する、それで充分楽しかった。頭に浮かぶことを人にどのように伝えるのか、そんなことをあれこれと追い求めているうちに年老いてしまった。

 せっかく飛び出した「自由な海」にも結局、何もなかったように、何かを求めていたはずが、何もなかったように思う。人生は、その「何か」ではなく、「求める」ことなのかも知れない。今日は雨降りで、少し寒さが戻った。求めれば遠のき、諦めれば消えてしまう。何かが分からなくても、ひたすら追い求めるしかないようだ。

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井戸掘りの喜び

2018年04月23日 17時50分00秒 | Weblog

 「三度目の正直」の諺通り、今日の井戸掘りは成功した。一度や二度はうまくいかなくても、三度目ともなれば成功すると昔の人は分かっていたのだろ。昨日の2度の失敗も、水が無かったからではなく、動作が鈍かったことや焦ってチェーンブロックで無理やり引き抜いたからだ。2度とも同じ接着部分から外れたから、接着剤が劣化していたのかも知れない。

 依頼主は今日も午前中は私たちの作業をじっと見守っていたが、午後、私たちが昼食に出かけて帰ってくると、「私が見ていると水が出ないので」と、どこかへ出かけられた。見られている緊張で失敗した訳ではなく、作業のミスというか動作がテキパキと出来なかったためだ。それに80歳近い老人は頑固で、他人の言うことを聞かず勝手にやってしまうことも失敗の原因だ。

 水が勢いよくホースから飛び出し、30分出し続けても水量は変わらない。依頼主の奥さんに「水が出ましたから見に来てください」と声をかける。冷たい水に手を差し出し、目を潤ませて「ありがとうございます」と頭を下げられた。先輩は「奥さんのその顔が見たくてやっています。こちらこそありがとうございます」と声が明るく響く。井戸掘りをしてその報酬でみんなで酒を飲む。それが無上の喜びなのだ。

 「二度あることは三度ある」と冷やかされたが、心掛けが良かったので「三度目の正直」となった。依頼主を紹介してくれた友だち夫妻もやって来て「よかったわね」と喜んでくれた。依頼主が午後4時過ぎに帰ると言うので、後片付けをして喫茶店でしばらく過ごし、戻って再び水を汲み上げる。先ほどと変わらぬ量の水が勢いよく飛び出してくる。そのエンジン音を聞いて、依頼主が現れた。

 両手を広げ、一人ひとりと握手をして、「ホッとしました」と言う。「まずは水に手を当ててみてください。地下水は気持ちいいですから」と先輩が促す。きらきらと輝く水に手をやり、喜色満面になられた。奥さんは「あんなに嬉しそうな顔、見たことがない」と呟かれた。ああ、よかった。明日から天候が悪いというので、金曜日に手押しポンプを取り付ける予定でいる。

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失敗は体力の低下だと思うが‥

2018年04月22日 18時28分48秒 | Weblog

  井戸掘りは失敗だった。しかも同じ過ちを2度も繰り返してしまった。原因は体力の低下だと思うけれど、誰もそれを認めようとしない。5メートル50センチほどまで塩ビ管を掘り下げたところ、打ち込んだ水が上がって来ない。ここに水脈がある。だから、少し引き上げて、吹管を入れる準備をしなくてはならないが、しばらく作業をしていなかったのでその感覚を忘れている。「早く引き上げて」と言うが、もうその時は塩ビ管はビクともしない。そこでチェーンブロックを使って引き揚げるが、地下の圧力が強くて、途中の接続部分で外れてしまった。

 2度目も、「慎重に」と作業を進めたのに、最後の詰めのところで、テキパキといかない。モタモタしてしまい、結局同じ過ちを犯してしまった。どうしてなのだろうと考えた時、動作が鈍くなっていることに気付いた。それに、「水脈だ」と感じた時の感覚を忘れているし、何をどうするかも身体が覚えていないのか動きが悪い。やっぱり体力が落ちているのだろう。一番若い私が74歳、残りの人たちは皆、80歳の手前だ。耳が遠くて、聞こえていない人もいる。「限界だよね」と私は言うが、「まだ出来る。明日は絶対大丈夫」と言う。

 先輩たちは確かに元気だ。私よりも体力があるかも知れない。日本の好景気の時代を生きてきた人たちなので、挫折などというものを知らない。「1カ月に100万円近くも交際費を遣った」と豪語する世代だ。私は教員だったから全くそんな経験は無いが、「毎晩のように接待でキャバレー通いをしていた」と言う。「財務省の福田事務次官のような言葉遊びは日常茶飯事で、もっとあくどいことをする奴もいた。女も金を見せれば言うことを聞いた」とも言う。私も教員になった時、私たちと先輩の先生との女性観が大きく違っていると思った。

 先輩たちの時代は「赤線」があり、「女は金で買える」経験がある。戦後教育の私たちは、「男と女は愛で結ばれる」と信じてきた。けれど金持ちや地位の高い人は、まだ戦前の意識が残っているようだ。そんな先輩たちも今は、井戸掘りに汗を流し、財務省の役人に倣って「過去は振り帰らない」と言う。まだ、反省が足りないようだから、明日の作業が心配だ。

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明治100年から明治150年へ

2018年04月21日 18時00分16秒 | Weblog

  姜尚中さんが講演に来てくれた時、私たちとの懇親の席で「2018年は明治150年、政府は記念事業を行うようです」と話した。今朝の中日新聞を見ていたら、特集『変革の源流』の中で、保坂正康さんが「明治100年の首相は佐藤栄作、安倍首相の大叔父です。明治150年は安倍首相、ともに山口県(長州)の選出。今から100年後の歴史家に、150年たっても薩長政府が影響力を持っていたと書かれますよ」と指摘していた。薩長の影響力については定かではないが、安倍首相が憲法改定に並々ならぬ意思を持っているのも歴史に名を遺すためなのだろう。

 しかも面白いことに、明治100年に当たる1968年はどういう時代だったかについて、別のページの『考える広場』で特集していた。私は高校の教員となり結婚して、カミさんの家で義父と食事をすることがよくあった。東大全共闘の山本義隆議長が演説する姿をテレビで見た。警察官の義父はなぜか、「こいつは大物だな」と評価していた。その東大全共闘の島泰三さんが「捉えやすい明白な不正に反抗するという形をとりながら、自分たちの不安と世代的な不満を一気に爆発させた」と回顧していた。

 そして、島さんは「全共闘世代の人たちが、今の学生たちは何も動かないと憤って見せることがありますが、それは老人のたわ言です」と述べていた。京大で男たちと一緒に闘争していた上野千鶴子さんは、「男女が平等でない現実」から女性運動に転身していった。その上野さんが講演に来てくれた時、名古屋まで迎えに行った私は、彼女が全共闘をどのように総括しているのかと思い、いくつか質問してみたが冷ややかだった。「自己否定の思想は評価されるのでは」と尋ねても、「何を言ってるのこのおっさんは」という目で笑われてしまった。

 「社会問題として『反乱』にまで至るかどうか、それは時代背景によって違うのです」と島さんは言う。確かにその通りだろう。でも、反乱に至らなくてもやはり歴史は積み重ねられていく。明日は井戸掘り、どうか水が出ますように。

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ブログとフェイスブック

2018年04月20日 18時57分48秒 | Weblog

  街路樹のツツジが満開になっていた。いつもより1週間くらい早い気がする。初夏のような暑い日があったのに、急にまたセーターを着込まなくてはならないような寒い日が来たりして、寒暖の変化に私の身体がついていけない。九州ではまた火山の噴火があり、先日の地震に続いて自然の変調が大きくなっている。それでも花は安らぎを与えてくれる。

 ブログからフェイスブックに切り替えた友だちが、「フェイスブックをやったら」と入門書まで貸してくれたのに、未だに「見るだけ」でやろうとしない。いや、正直に言えば、どうやったらよいのか分からないし、あんなに毎日写真をアップする余裕もない。私が使っているケイタイはガラ系なので、フェイスブックをやろうとしても、夕方、パソコンの前に座った時だけになってしまうことも、億劫になっている原因だ。

 「ブログで充分だから」と言うと、「誰が見ているか分からないから、本当のことは書けないでしょう。そんな、自分を偽ったものって気持ち悪い」と、やはりフェイスブック派の女性が言う。どう説明していいのか分からないが、決して偽ったものを載せることはない。確かにカミさんからは「私をネタにしないで」と言い渡されているから滅多に触れないが、子どもたちや孫たちは時々登場している。

 「どうしてブログを続けているの?」と問われ、「中学からの友だちとの約束だから」と答えたが、おそらくふたりとも文章を書くことが好きだし、苦ではないからだろう。「生きている証さ」と言ってみたけど、そんな気持ちが大きいと思う。私が好きな女性へのラブレターであり、古くからの友だちへの自己主張であり、教え子や私を知っている人、ブログの読者への報告であり、「徒然」に書き記した手紙である。私か、中学からの友だちが朽ち果てるまでは続けるつもりでいる。

 

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哀れなりや男の欲情

2018年04月19日 17時56分18秒 | Weblog

  財務省の福田淳一次官と新潟県の米山隆一辞任した。全く男の哀れを物語る。男なら誰でも同じようなことをするなどと擁護するつもりはない。似たような感情を持ったとしても、実際にそうするか否かで全く違うことになる。先日までは女性議員や女性タレントの「不倫」が巷の話題になっていたが、今回は男の「欲情」が問題にされる番だが、どこまで世論が叩くのか見極めたい。

 私は男が女を、女が男を意識するのは当然なことで、倫理観や規範は不要と思っている。それにしても福田次官は事務方のトップにある人なのに、「おっぱいさわっていい?」とか、「抱いていい?」とか、彼に言わせれば「言葉遊び」をしてしまったのかと思う。いくら女性記者が美人でも、何のために自分に近づいてきているのかと考えなかったのだろうか。いや、むしろ彼は逆手にとってあわよくばねんごろになりたいと思っていたのだろう。

 米山知事がなぜ出会い系サイトの複数の女子大生に金銭を支払ってまでも付き合いたかったのか不思議だ。「恋愛」だったなら、複数は不要だ。孤独で、追い詰められて仕事をしていれば、どこかで「癒し」が欲しくなる。それが「恋愛」ではなく「買春」とはあまりにも情けない。福田次官が女性記者を「言葉遊び」で口説いたのは、事務方のトップとして「緊張感に欠ける」行為だが、米山知事の「恋愛」は、「買春」でしかない。

 男が女に心惹かれれば、プレゼントすることはあっても「やらせて」とは言わないだろう。そんな言葉を言わなくても好き合っているなら、自然に体を寄せ合うようになるのが「恋愛」である。好きが昂じれば抱きしめたくなるし、抱かれたくなる。米山知事は自分の行為を母親に話したというから、50歳になっても「乳離れ」していなかったようだ。男たちよ、もっと真剣に「恋愛」しようぜ!

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明日はきっとよいことがある

2018年04月18日 18時21分29秒 | Weblog

  姉が、「あんた、年取ったね」と私を見て言う。誕生日会をしてくれた時の写真を見て、私自身がそう感じていたので、1カ月ぶりに会う姉にもそう見えるのかと思った。若い頃は、「年寄りが幅をきかせているから世の中は良くならない」と思っていたが、自分がその類いになってしまった。いくら嘆いてみても若くなるわけではないから、現実を素直に受け入れるしかない。取り返すことの出来ないものにあたふたとするより、明日はよいことがありますようにと祈ろう。

 私が市議選で応援していた2人の候補者は、ひとりは当選し、ひとりは落選した。落選した候補者は「何がダメだったのだろう」と悔やむ。私がふたりを見ていて感じたのは、人柄の違いにあったように思う。出発した時はふたりとも応援者がいなかった。ひとりでチラシを作り、ひとりで駅に立ち、ひとりで配って歩いた。選挙が始まる直前になって、ひとりは運転手を2人確保したが市外の人だったが、もうひとりは親戚やご近所が集まるようになっていた。

 選挙は結局、人の輪をどれだけ広げられるかで当落が決まる。候補者はどうしても、主義・主張や政策の優劣が投票の判断になると思いがちだが、それは願望に過ぎない。「社会を変える」と意気込む候補者ほどそんな錯覚に陥る。昔、私が地域新聞を始める時、その後ろ盾になることを了承してくれた長老が、「どんなに自分が正しいと思っても、賛同してくれる人が3割なら反対する人も3割いる。残りの4割はどちらへもつく」と教えてくれた。

 どんな時代になっても完全にひとつにはならないだろうし、ならないからこの世は、不条理だが健全と言える。若い人たちが非難していた世代がこの世を去って行けば、良い社会になるとは幻想に過ぎない。この世はいつも混沌としていて、異なる考えがしのぎを削っていることが大事なのだろう。そう思えば、明日はきっとよいことがあるだろう。

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3人の孫娘からの贈り物

2018年04月17日 18時06分50秒 | Weblog

  23歳と8歳と3歳の孫娘が私の誕生日を祝ってくれた。仙台に住む3歳の孫娘は「パパちゃん、お誕生日おめでとう。チュー送るね」と言って投げキッスの動画を、23歳と8歳の孫娘はイタリアンレストランで3人の女性店員さんと一緒に「Happy birthday」を歌ってくれた。74歳になって、ちょっと照れるが、本当に「ありがとう」と言いたい。

 誕生日の祝いはもちろん生まれたことへの感謝だと思う。そして与えられた命はたくさんの人と出会うことが出来た。今日、カミさんの弟のところに誕生した初孫の顔を見てきた。義弟が「いい子だろう」と喜色満面で言う気持ちが分かる。「孫は子よりも可愛い」という訳ではないが、子どもの時はドキドキで余裕がなかったのに、孫となると誰にでも自慢したくなるから不思議だ。

 小3の孫娘はちょっと変わった子で、斜めに構えるところがあるから、「素直でなくて」と娘は言うけど、むしろ非凡な才能の持ち主なのだから大きく育てて欲しいと思う。子どもはみんな「天才?」と思えるような可能性を持っている。決して否定せずに育て上げることが親の務めだ。親が正しいと思うことや悪いと思うことはしっかりと伝えるべきだ。親の価値観を、やがて子どもは成長すると乗り越えていくし、そうでなければ親以上になれない。

 親が溺愛して育てた子は、どうしてもわがままになる。大人になっても自己中心的で、他人をバカにし、見下す態度をとってしまう。自分の弱さに気付かない人には包容力がない。自分の失敗も他人のせいにしてしまう。自分の非力さを知っている人は他人に優しい。23歳の孫娘は立派な大人に育ってくれた。8歳の孫娘も、3歳の孫娘も、やがて優しく思いやりのある美人になるとジイジは信じている。

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