友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

親切は快く受けなさい

2007年02月28日 18時45分49秒 | Weblog
プールに孫を迎えに行った時のことだ。
送っていった時は降っていなかった雨が土砂降りになっていた。孫ももう一人の友だちも傘を持っていない。私は車で行ったので「一緒に送っていこうか」と、そばに来た孫に聞いた。彼女は友だちのところへ行って「送っていってもいいよ」と聞いた。友だちは家に電話をかけて「迎えに来るからいい」と言ったようで、「いいわ。行こう」と言う。友だちの家は帰り道の途中にあり、以前には彼女たちの家に寄ってプールへ来たこともある。孫はその友だちを「○○イノチ」と言う。

「エッ!どうして、乗せていってあげるのに」と聞き返すと、「迷惑になると思ったんじゃーない」と孫。「どうして?帰り道なんだから何も迷惑にはならないよ」と私。「迷惑になるから私だって絶対頼まない!」と孫。「それっておかしいよ。わざわざお母さんに来てもらうよりは、一緒に乗っていった方がお母さんも助かると違うの!」と私。孫はムッとしたままもう口をきこうとはしなかった。「人の好意が受け入れられないイヤな奴だね」と私は腹の虫が納まらない。

駐車場に着くと、雨が降っている中を孫は傘もささずに走って行ってしまった。「頑固モンのクソ爺」というところだろう。その時、知り合いの男性が傘もささずに歩いてきた。彼は私より若いが脳卒中のため右手右足が不便だ。おせっかいが身のついてしまっている私は、当然のように孫の方ではなく彼の方へと歩き出し、傘を差し出した。彼は身体を大きくゆすりながら、ゆっくりゆっくりと歩く。傘は役に立たなかったのかも知れない。彼は時々挨拶する程度の私に自分の昔話をしてくれた。

 エレベーターの前で孫は私たちを待っていた。彼が孫に「ありがとう」を言う。孫の顔には車の中にいた時のようなムッとした表情は無かった。もうくどくどと言う必要はない。人が好意でやってくれようとすることを「要らん」と言うのは情けない。人は決して一人では生きていけないし、人の好意の中に幸せを感じるのではないのだろうか。人に甘えるなと母親はきつく教えているのかもしれない。学校でも他人を信用しないように言っているのかも知れない。これもイヤな世の中だ。

 人の好意を当てにばかりすることは愚かな人だ。自分がどれ程人の役に立っているかわからない人にこういう人が多い。でも大事なことは自分が人の役に立つことだろう。人のために自分を役立たせる、そういう人間が尊いことをしっかり教えるべきだ。人の親切は受けない、その代わり人にも親切にしない、こんな人間は最低な奴だと私は思う。そんな淋しい生き方を私は求めないし、子どもや孫にもして欲しくない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確定申告終わりました

2007年02月27日 19時04分09秒 | Weblog
 やっと確定申告を終了した。準備は以前からできていたのに、いつもながら動き出すのが遅くて、自分ながらあきれてしまう。県選挙管理委員会への政治団体の収支報告とこの確定申告が済むと、年度の義務を果たした気がする。確定申告して税金を払うわけではなく、むしろ源泉徴収で払ったものに対する還付が多かったけれど、源泉徴収されることがなくなった今は、還付の額もわずかでしかない。来年は確定申告をして、税金を払うことになるのだろう。税金を払うことは市民の義務であるし、一度だってイヤだと思ったことはない。税金の使われ方がイヤなだけである。

 そもそも税金は、みんなでやるところを一部の人々、つまり公務員の皆さんに代わりにやってもらうためにある。税金が軍事費に遣われることまで、ヨシとして払っているわけではないが、市民のひとり一人の意思が尊重されるような仕組みではない以上、市民の義務である納税まで拒否することはできない。今、世界中の国が軍事費を軍備ではなく、地球の未来のために注ぎ込むなら、ひょっとしたら破滅に向かっている地球号を救うことができるかも知れない。

 確定申告の場面も選挙管理委員会への収支報告の場面も、どうしてか申告する側は妙に深刻な表情だ。私は何もやましいことはないのになぜか卑屈な気分に陥ってしまう。申告の仕方がわからないことや、書き方の間違いがあるかもしれないが、誤魔化したり改ざんしたりしているわけではないのだから、もっと堂々としていても良いはずだ。それが、相手から許可を頂かなくてはならないような場合は、相手の逆鱗に触れないようにとへりくだってしまう。全くイヤなものである。

 許可する側にいる公務員の皆さんも、決して何か間違いを見つけて咎めてやろうなどとは考えてもいないはずだ。できればスムーズに事務を片付けたい。間違った申告がないようにしておきたい。そう思っているはずだ。人間は立場がちょっと違うだけで、その思いは全く違うものになってしまう。許可を与える側、指導する側、何かを決める側、こちらにいる人はいつも反対の側にいる人にわが身を置いてみる必要がある。優位な側にいると、反対の側にいる人のことを忘れてしまい勝ちだ。でも、いつまでも同じ立場にいるとは限らない。逆転はよくあることだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花よりダンゴじゃーさびしいよ

2007年02月26日 22時16分41秒 | Weblog
 言葉で人は幸せにも不幸にもなる。日常生活はいつも幸せと不幸の連続だ。「おはよう」と言ったのに知らん顔をされる。「あれってどこだったけ」と尋ねれば、「そんなの知らん」ならまだ良い方で、「知るわけないでしょう」とのっけから言われれば、何か悪いことでも言ったのかとすら思ってしまう。先日の講演会で、「老いの風景」の著者の渡辺哲雄さんは「言葉は人を傷つけることもあるし、喜ばせることもある」と話したが、全くそのとおりだ。だからこそ、相手を気遣う言葉を使う訓練が大切だ。大げさなことではなく、まずは相手の言葉を否定しないことだと思う。

 小6の孫娘はほとんどテレビを見ない。我が家があまり見ないから自然とそうなったに過ぎないが、そこは年頃である。友だちの間で話題になっているテレビを「どうしても見たい」と言う。金曜日の夜10時からの番組だと言うので、「明日は休みだから、この日くらいは遅くてもいいか」と許した。二・三度、私も一緒に見た。テレビドラマ『花より男子(花よりだんご)』は、小6の女の子の間では関心が高いと彼女は言うが、どうも彼女の友だちの間では関心が高いというのが正しいようだ。

 少女漫画を原作としているらしいこのドラマは、全く漫画である。かっこいい男の子(高校生?大学生?)が4人出てくるが、4人とも大金持ちの坊ちゃんである。この設定からして現実にはありえないことを作者は伝えているのだろうが、小6の女の子たちにはそんなことはどうでも良いようで、いつキスするのか、キスしたらどうなるのか、そんなことばかりに関心がある。彼女たちが「私の前にも大金持ちの白馬の王子がきっとやってくる」などと思わないで欲しいと切に思う。

 このドラマは、言葉でやたらと相手を傷つける。主人公の「つくし」なる女の子も時々男言葉でわめくし、「つくし」を好きになる大企業の御曹司も言葉遣いは最低な男で、実に品がない。企業のトップになる運命にありながら、人の苦しみ、怒り、哀しみ、楽しさが全く理解できない。こんな男なのに、この男を好きになるこれまた大企業の令嬢の「しげる」は、どんなに傷つけられても彼を愛し続ける。私からすれば、この「しげる」こそ理想の女性と思えるのだが、どういうわけか御曹司は滅茶苦茶に彼女を受け入れない。好きになるということは損得ではないことを表しているのであれば、この漫画もいいことをいってると思う。「つくし」という名前からして、この女の子は尽すタイプなのかと思って見ていたが、そんなところはないように見える。今のところ、私には「つくし」の良さは全くわからない。

 小6の女の子たちもいつか、本当の恋に出会うだろう。恋することは楽しいだけでなく傷つけ痛ましく哀しいことでもあることを知るだろう。人との出会いは悦びであるとともに悲しみでもあることを知るであろう。愛を受け止めるためには、たくさん忍耐が必要であることがわかるだろう。人はそのようにして生きていくことをいつか知る日がくるであろう。いつまでも夢を追って生きていく人生を送って欲しい。そしてどのように生きることが豊かな人生なのか、知る努力をして欲しいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩人ロートレアモン

2007年02月25日 19時07分57秒 | Weblog
 友人のブログを読んでいたら、彼が高校時代、同じ文学好きの友だちとは「ともにフランスの詩人ロート・レアモンの詩の愛好家でもあった」と書いていた。彼のことは何でも知っているつもりでいたが、全く知らなかった。人は人をすべて、何もかも知っているなどということはありえない。最も身近かにいる夫婦や親子でも同じだろう。実は自分自身についても、何もかも覚えている、理解できている、とわけでもないような気がする。

 ここまで書いてきて、人の理解のことに話を進めるか、彼の書いた「ロート・レアモン」について書くべきか迷った。しかし、「ロート・レアモン」とあるのが、「ロートレアモン」と書くべきではないのかと書きたくなった。シュールリアリズムに魅せられた私としては、『マルドロールの歌』の著者であるロートレアモンは無視できない存在である。彼の本名はイジドール・リュシアン・デュカス。1847年に南米のモンテビデオで生まれ、14歳の時に植民地官吏の子弟がそうであったように本国フランスの中学校に入学した。それから10年後の1870年、パリの貧しい下宿屋で原因不明で死亡しているが、この間の記録は何も無いという。

 シュールリアリストたちは、ランボーとともにロートレアモンを自らのパイロットと仰いだが、その理由は次の詞にある。『マルドロールの歌』の第6の歌にある「そしてなによりも、ミシンと洋傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい!」を絶賛した。この詩の詞の前には「真面目な容貌の知的な能力を評価することが問題なら、もはや日月の総量などは問題にならない。ぼくは額の人相学的線の中に年齢をよみとることには精しいのだが、彼は17歳と4ヶ月だ!彼は肉食猛禽の爪の牽縮性のように美しい、あるいはさらに、後頭部の柔らかな傷口が定かならぬ筋肉運動のように、あるいはむしろ、その永久の鼠取り機、動物が捕らえられる度毎にいつでも仕掛け直され、一台で無数の齧歯類の動物を捕らえることができる、藁の下にかくれていても機能を発揮することができるあの機械のように、」(栗田勇訳)とある。つまり、一人の青年を形容する詞なのだ。

 このように思いつくままに言葉を書き続ける方法を、シュールリアリストたちは自動記述法と称して、詩でも絵画でも用いた。既成の概念や価値から自己を解放するシュールリアリズムにとっては、無軌道で反権力的で謎めいたロートレアモン、ランボーもそうだが、正しく師でありパイロットにふさわしかった。ロートレアモンとランボーが彼らよりも先を生きたボードレールの詩集『悪の華』を読んでいたと想像するのは間違いではないと思う。時代はハッキリと近代へと移っていた。自分は何か、人間は何か、人間が作り上げている社会は何か、問わずにはいられない人が生まれてきたのだ。

 ロートレアモンの『マルドロールの歌』をバイブルとしたシュールリアリズム運動が盛んになったのは第一次世界大戦後であり、ロシア革命後である。ロートレアモンが日本で紹介されたのは現代思潮社から栗田勇訳の『マルドロールの歌』ではなかったかと思う。この本を私は今も持っているが、初版の発行は1960年だから高校1年の友人が手に入れて読んでいたのかも知れない。そういえば、大学生になった時、「強姦の思想」などということを真面目に論議したことがあった。要するに、アメリカもソ連も相手のことなどかまわない「強姦の思想」ではないか。無理やりやっておいて正義とは言語道断だ。しかし、相手の気持ちなど考えずにできる男はうらやましいなど、訳のわからない論議だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如是我聞で始まる仏教

2007年02月24日 23時19分32秒 | Weblog
 本日は、大和塾の第2回市民講座「『如是我聞』から始まる仏教』を終えることができた。先回より10人ほど多い皆さんにおいでいただくことができ、会場一杯だったことが何より嬉しかった。講師を引き受けてくださった林証寺の副住職、生田亮さんには心からお礼を申し上げたい。

 それにしても生田さんは、短い時間の中でたくさんのことを、しかも非常に噛み砕いてわかりやすくお話しいただいた。仏教は私たちの生活の中に入り込んでいるのに、仏教を開いたとされる釈迦についてはある程度のことは知っていても、釈迦が何を説かれたのか、正確に知らないことが多いということがわかっただけでも今日の講座の意味はあったように思った。釈迦と書いたがそもそも釈迦とは釈迦族のことで、釈迦族の中の尊い人つまり釈迦牟尼世尊というのが正しいことも知った。

 仏教の真髄は、“内観”であると生田さんは言う。私たちはともすれば、あの人が悪いとかあの時にこんなことさえ起こらなければこうはならなかったというように、この不幸の原因を外に求めようとするけれども、本当は内にあることを知らなくてはならないと。そこで釈迦は、ことの本質は“私がどう考えるかにある”と悟る。人の苦しみは欲望にあるのだから、欲望を捨ててしまえば苦しみなどはなくなってしまう。「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と、最期の釈迦は言われたそうだ。

 仏教はキリスト教やイスラム教と違い、釈迦が話されたことを後にその弟子達が集まって、「私はこう聞いた」という形で経典ができたと、生田さんは話されたけれど、キリスト教の聖書も、旧約聖書は神の啓示の形であるが、新約聖書は弟子たちのイエスがこう言ったという記述であり、パウロなどはイエスに出会ったこともないローマ人でありながら、イエスの説かれたことはこうであったろうという彼の「信仰」からの記述である。そういえば、孔子の『論語』も後の弟子たちが「孔子がこう言われた」とまとめたものである。一人の先駆者が言ったことを経典という“思想”にまで高めてしまうところに人間の素晴らしさがあるように思う。だからこそ、信じるか否かは別にして人としての真実が凝縮されていると思う。

 大和塾では4月に、「教育」をテーマに第3回市民講座を開催する。より多くの皆さんのご参加を期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛に期待するな

2007年02月23日 22時39分34秒 | Weblog
 人は、自分が理解し愛していると思っている相手から、思わぬ言葉、たとえば「あなたは私のことを何もわかっていない」「誤解している」「あなたは自分勝手に考えている」などと言われた時には、相当に落ち込んでしまう。相手のことを思って、一生懸命に務めているつもりでも、痴呆症の人は自分の世界だけで判断する。それは判断などというものではなく、単に欲しいか欲しくないか、そんな単純なことかもしれないが、痴呆症の人を世話している普通の人は、どうしても自分の判断で相手を見ているから、一生懸命に務めていることが無視されると悲しくなる。哀しいならまだいいが、怒りになってしまう。人が正常か否かは、実は本当はわからない。
 
 一生懸命に相手のために務めているのだから、それでいいはずだが、それで納得できないのが人間の悲しいところだ。痴呆症の人を例にあげたが、普通の人同士でもこんなことはいつでもいくらでもある。好きな人のために食事まで用意していたのに、「今日は食事しないから」などと言われれば、バカにしていると思う。あらゆる時間と労力とお金を注ぎ込んだ相手から、「あっそう」と感激も無く言われれば、裏切られたような気持ちになる。期待が大きければ大きいほど、相手に対する哀しみなり憎しみなりは大きくなる。

 私の古い友だちに、いろいろな女性に次々に声をかけるが、決して深みに入らない男がいる。彼はとても優しいし、真面目だ。まだ乳飲み子の時に養子に出されたことからか、母の愛をいつも強く意識していた。私が「人間は欲望の固まりだ。理性は欲望を隠すためのものだ」などと言った時、彼は怒って私に殴りかかってきたことがあった。その時は、どうして彼が怒ったのか理解できなかったが、彼は真実で純真なもの、穢れなきもの、美しいものに母の愛を求めていたのだろう。友だちである私が「人の本質は欺瞞に満ちている」と言うのは、彼には耐えられないことだったに違いない。古い友人が、深みに入ることを恐れたのは彼の優しさからである。相手を傷つけないための配慮だ。相手が傷つかなければ自分も傷つかない。

 私は、愛の求道者だ。だから愛に期待するな。愛することに見返りなど求めるな。自分が好きならどんな破局が待っていようと愛したい自分の欲望に従え。そうなりきったのかは不確かだが、そう考えてきた。しかし、多分、私はどこかで安易な道を選んできたと思う。

 明日は、午前10時から、北名古屋市の健康ドームで、大和塾の市民講座『「如是我聞」から始まる仏教」が開かれる。入場無料。どなたでも参加できるので、まずは仏教とは何か、考えることからはじめましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治団体の収支報告

2007年02月22日 21時34分51秒 | Weblog
 今日は本当に暖かな一日でした。チューリップの芽がかなり大きくなってきました。昨年は大雪だったせいか、今頃はまだ土しか見えませんでした。目がほんの少し顔を出すと、カラスが見つけて食べてしまったり、突いて球根まで掘り出したりされ、追い払うのが大変でした。今年はエサが豊富なのか、カラスがやってきませんでしたので、チューリップはすくすくと育っています。

 さて、今日は県選挙管理委員会に政治団体(後援会)の収支報告書を出してきました。私はお金をどのように使ったのか、その透明性のために政治団体の届けをして、誰もが閲覧できる収支報告書に書き込んできました。でもこれで透明性が保たれるのか、いつも疑問です。選管の職員はかなり厳しくチェックします。宛名のない領収書はダメなことはもちろん、領収書の宛名が正式な政治団体の名前であるかないか、領収書の発行者の住所・社名が報告書と同じか、団体名にルビがあるか、見てくれます。こんなに細かく見るのでしたら、1年に一度くらい担当者を集めて書き方の講習でもやってくれたらよいのにと思います。

 それなのに、5万円未満のものは領収書の添付の必要がありません。事務所のことが新聞紙上で問題になっていましたが、人件費・光熱水費・備品消耗品費・事務所費は領収書の添付の必要がありません。もし、悪い奴がいて本当は収入があったのに、本当は支出をしたのに、これをごまかして記載しなくても、収支報告書を見ただけではわかりません。政治団体の届けをしていなければ、どのようにお金を遣ったのか報告する義務もありません。何か矛盾しているように思うのはおかしいでしょうか。

 私は昨年、首長選挙で敗れ、皆さんと相談して後援会を解散しました。平成7年に後援会が発足してから昨年9月までの12年間で、選挙も含めて支出したお金は10,579,783円でした。合計してみるとやはり額の多さに驚きます。そのほとんどは印刷物と郵送料ですが、より多くの方に知っていただくためにはこのくらいお金ではダメだということなのでしょう。しかし私は本当にたくさんの方に応援していただいたと感謝しています。この12年間でいただいたカンパ(会費も含め)は4,508,941円にもなります。

 この間の、どんなに小額であろうとすべての領収書はそろえています。応援してくださった方に、ムダに使ったお金は1円もないことや何にどのように遣ったのか、わかるようにしてあります。生真面目にやってきたことだけが取り柄で終わってしまい、誠に申し訳ありません。ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKは歌・ドラマいらない

2007年02月21日 23時06分21秒 | Weblog
 NHK受信料の義務化が問題になっている。義務化について、朝日新聞社の世論調査では、若い人ほど義務化には反対だそうだ。若い人ほどNHKを見ないのだから当然のことだ。私はあまりテレビを見なくなってしまったが、それでもNHKのドキュメンタリー物は好きだ。事件の解明やそのためによく調べたなと思うものは見ごたえがある。学校の先輩がやってきて授業をするもの、普通のドラマだけれど「中学生日記」も面白い。

 NHKの番組の中には興味深いものが結構あるが、どうしてこんなものをNHKがやらなくてはいけないのかと思うものもある。その典型が大晦日恒例の紅白歌合戦だ。もうそろそろ止めてもよいと思う。それに日曜日夜の大河ドラマもなぜ続けるのか不思議だ。民放で出来るものはNHKはつくらない、そこに国家予算と国民からの受信料で放送している意義があるのではないのか。
 
 NHKは公共放送だというが、公共放送とは一体何を指すのか。新聞には国家予算は注ぎ込まれてはいない。新聞を発行しているのはすべて株式会社である。新聞は広告料と購読料を主な収入としている。私は、もっと新聞各社がそれぞれに独自性を出して、読者がこの新聞が好きだから応援するために購読するというようにすべきだと思っている。今の新聞はあまりにも差が無さ過ぎる。ページ数が少なくなっても良いから、他社とは違う新聞を作るようにならないものか。

 テレビもどの局を見ても大差無い。NHKはニュースとドキュメンタリーと教養番組くらいでよいのではないか。もちろんそれでは経営が成り立たないだろうから、国家が口は出さず、お金だけを出す必要がある。そうであるならば、支払い率70%、未契約者1千万件の不公平感はなくなるのであろう。NHKは大きくなりすぎた。NHKテレビ、NHK教育、NHK衛星第1と第2、NHKハイビジョンと6局もある。どうしてこんなに必要なのかサッパリわからない。極端なことを言えば、NHKテレビは廃止して、NHK教育ともう一つは実験的な局でよいのではと思っている。NHKがそんな風に自己脱皮をしていかなければ、私も高い受信料を払いたくないなと思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お年頃である

2007年02月20日 22時54分00秒 | Weblog
 お年頃である。小6の孫娘からバレンタインの手作りチョコをもらったが、今日やっと食べきれた。特大のチョコが3本も入っていたので、もちろん感謝したがちょっと食べあぐねていた。「チョコにはコーヒーがよく似合う」と言う彼女の父親の言葉に従い、アメリカンコーヒーで甘いチョコレートをいただいた。

 その孫娘は、近頃忙しい。バレンタインチョコを渡せなかった子のために橋渡しをしたり、昨日と今日は女の子同士での「お悩み相談」とかをやっていた。その彼女が食事の後、妙にニヤニヤして、拳骨を見せて親指を人差し指と中指の間から出した。「これどういうことか知ってる?」と得意そうに聞く。そこは年の功だ。「ウン知ってる。SEXのことでしょう。それがどうしたの?」と聞いてみる。どうも彼女の友だちの中にSEXにとても関心の高い子がいるようだ。「キスしたのか、これしたのかと聞くの」と話す。「まだ小学生だから、そんな子はいないのとちがう」と私。クラスの男の子の中に自分のチンチンをケイタイで撮って、女の子に送りつけてきた子もいると言う。「そのメールを警察に持っていけば、その男の子は犯罪者で捕まるよ」と私。少し脅しておいた。それにしてもそんな変態な子がいるとは驚いた。
 
 子どもを取り巻く環境は、私たちの子どもの頃とはすっかり変わってしまった。情報は確かに氾濫している。50年前、私たちが子どもの時はどうかと考えてみると、程度の差かなとも思う。あの頃だって、どこかからSEX写真を手に入れて見せびらかしていた子もいた。エロ雑誌だってあったし、SEXの手ほどきをした本もあった。そんなことを知っているのも私はしっかり見ているからだ。でも同じ歳の人に聞いても全く知らないという人もいるはずだ。その手のものに過剰に反応して、取り締まれと言う人がいるが、その人はきっと関心が強すぎて自分が怖いのだろう。人はある年齢になればSEXするのだから、SEXがどういうことかをそれとなく教えてやることの方が「健全」な気がする。
 
 これは大人になってからだけれど、私は『チャタレー夫人の恋人』を読んで、SEXはこんなにも素晴らしいものかと思った。しかしこれも、逆な意味で幻想かなと今は思うことができる。子どもたちが大人になっていく過程でいろいろとつまずくことはある。子どもが起こしてしまった事件を新聞などで読むたびに、大人がその時、優しい一言をかけていればそんな事件にならなかったのではないかと思うことがよくある。子どもは大人以上に残虐なところがある。それはまだルールがよくわからないからだ。お前の考えていることはとんでもないことなんだよと、初めから悪者扱いでなく、何気なく伝えれば、犯行に及ばずにすんだかも知れない。子どもの行動は意外に単純なのだ。

 孫娘は自ら、「(自分は私たちの)3番目の娘だから、失敗しないように子育てしているんだよね」と言う。私は、二人の子どもに私の価値観を押し付けてきた。認めるか否かは彼女たちの自由である。テニスがしたいと言えばやらせたし、プールに行きたいと言えば行かせた。ローラースケートもよく連れて行った。やりたいことは自由にやらせた。しかし私がダメだということは絶対ダメだった。彼女たちが中学生になるまでは、「ヨソのウチではいいのに」ということは許さなかった。「ウチはウチ。ヨソはヨソ」と言って聞かなかった。また箸の上げ下ろしや生活習慣、言葉遣い、人との接する時の態度など、口うるさく言って聞かせた。父親である私が何を大事にしているかを伝えることが親の役目だと考えてきたし、私の父親が私を一人の人間として認めて育ててくれたように、私も子どもたちをそのように育てようと思ってやってきた。孫娘が中学を卒業するまでは、あの子の親のつもりで接してやろうと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友だちが来た

2007年02月19日 20時23分54秒 | Weblog
 先日、中学・高校と一緒だった友だちが訪ねてきた。昼間から酒を飲むことはできなかったので、午後5時に来てもらうことにした。昨年、「どうしている」と電話がかかってきて以来、この日で4回会い、3度酒を酌み交わした。彼は私より先にブログを開き、毎日必ず書き込んでいる。私がブログを続けようと思ったのも彼に負うところが大きい。彼のブログの中心課題は「自分探し」である。大学を中退して、営業マンとしてやってきて腕を上げ、自負できるまでになる前、「高校を卒業してからの10年間がすっぽり抜けている」と彼は言う。その空白を埋めたくて、文章を綴っていると。

 私には残念なことにその間の接点が全く無い。彼がどこでどのように暮らしていたのか知らずにいた。彼がクラス会に出席するようになって、初めて、かつて文学青年が優秀な営業マンになったことを知った。昔から饒舌な方だったが、いっそうその傾向は増していた。彼を初めて知ったのは中学1年の時で、よその町から越境で通ってきている男がいると聞いた。その男はかなりの問題児で、何するかわからないというウワサがあったが、私は見ることも無かった。学年は8クラスもあり、1クラスは60人近かったので、実際よく知らないうちに卒業してしまっている人のほうが多い。
 
 彼とは3年で一緒のクラスになったが、「問題児」だとは知らなかった。担任が彼に特別な関心があるようには感じていたが、「優柔不断でしゃきっとしていない」ところがいけないのかと思っていた。成績も先日聞けば、私より良かったが、全くそんな風には思わなかった。いつ親しくなったのかわからないが、彼の方から自分は一人っ子だが本当は養子なのだと話してくれた。そして、家にこいと言う。自転車に乗って彼の家に行った。ご夫婦で洋服の仕立てをしていた。私の両親は明治生まれなので、いつもPTAなどがあると他のお母さんに比べて母が年寄りだと感じていたが、彼の両親はもっと年寄りだと思った。ところが聞いてみると私の両親よりも若かった。年寄りに感じたのは、派手なところが無かったからだろう。

 彼の両親に会い、家庭の幸せは決して血のつながりにあるのではないと日記に書いた。それから、実の姉が名古屋にいるから会ってくれと言うので、彼と一緒に名古屋まで行ったことがある。お姉さんはどこかの工場で働いていた。なぜ私が彼の姉に会わなくてはいけなかったのか、よくわからなかったが、自分の育ての親や実の姉に会わせることで、彼はこの時から「自分探し」をしていたのだろう。

 高校では同じクラスになったことは一度も無いのに、私が生徒会長に立候補した時には生徒会の役員になってもらったし、彼が所属していた「文学クラブ」の機関誌に詩や小説もどきのようなものを私も書いた。彼は吉行淳之介の作品などをよく読んでいた。「自殺未遂をしたこともある」と、彼の家に帰る道すがら聞いたことがあったので、その話をすると「全く覚えが無い」と言う。感受性が豊かでよく勉強もしていたから、いつかは物書きの道を歩むのだろうと思っていた。次々と好きな女性ができ、普通はそれを言わないと思うのだが、その度によく聞かされた。私に言うだけでは物足りないのか、女の子にも直接そんなところを見せるので、多感なのかただの女好きなのかわからなくなる。それに決して深入りしないことも不思議だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする