カミさんは友だち4人と紅葉を楽しむ一泊旅行に出かけてしまった。下の娘は昨夜、友だちの家に泊まりに行き、今晩も誰かさんと食事だから遅くなると言う。上の娘は仕事で遅くなるので、夕食までにはとても帰ることができないと言う。ということは、今晩は私が食事の準備をして、孫娘と二人で食べるということである。年に何回かはこういうことがあり、それはそれで、私と孫娘にとっては楽しみなひと時でもある。
今晩は海鮮どんぶりでも作ろうか、それとも孫娘の好きな煮物でもやろうか、と思案している。昨日の孫娘は学校から帰るなり、「ダメだ。死んじゃう!」などと言う。ぽつりぽつりと話す内容をつなぎ合わせると、小学校の時からライバルだった女の子が、またもや学内の合唱コンクールでクラスを代表してピアノを弾くのだ。小学校の時からピアノ演奏では負けてきた「永遠のライバル」なのだそうだ。孫娘はちょっと間違えてしまったのに、彼女は完璧にできたというので、落ち込んでしまったのだ。なんだ、そんなことくらいたいしたことではない。当日にうまくできれば、それでいいのでしょう。そう言うと、どうやらそれだけではないようだ。
中学の合唱コンクールというのは、表面的には「すごいネ!」と見えるけれど、実はなかなか大変なのだと孫娘は言う。歌わない子がいる。いることは仕方ないとしても、その子に気兼ねして歌えない子がいる。歌えば何らかのしっぺ返しがあることを恐れるからだ。先生がどんなに指導しても、うまくいかない。そこで先生はクラスの指導的な立場の子どもに協力を要請してくるのだが、言われた子どもたちも、それなりに努力はするけれども、そこはまだ子どもだからうまくはいかない。そんなジレンマの中にあるようだ。
そればかりか、孫娘は朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』の「B子と同じだー」と言う。B子はいつもライバルのA子に負けてばかりいる。これではいかんと奮起するが、なかなかうまくいかない。今週はB子が好きになった男がA子の方を好きになってしまう話だから、孫娘も「永遠のライバル」に男を巡っても負けてしまう何かがあったのかもしれない。そんなことでもいろいろ話してくれているうちはまだいいのではないか。そのうちには「ジジババには何話してもムダ!」などと言われる日がやってくるだろう。
孫娘は、「(私たち夫婦の)第3番目の娘だから今度は失敗しないように育てるんだよね」と言う。いつだったか、まだ小さい頃に、私だったかカミさんだったかが、そんなことを口にしたのを覚えているのだ。私たちとしてはそのつもりで、孫娘に接している。特に私は娘たちが小さい頃は、とにかく自分の意見・考えを押し付けた。孫娘には、もう少し友だちのように同じ目線で接しようと努力している。私の父親は、私の姉や兄を育てた時とは全く違って(と、よく姉が言う。)自由に育ててもらった。叩かれたことに注意を受けたこともなかった。私が高校生になった時は、まるで友だちのように接してくれた。
それなのに、私は自分の子どもに対して、私の父親のような懐の深さで接してこなかったのではないか、そう反省している。娘たちは大人になり、人からも信頼されるまでになっている。今では私よりも人としての幅と深みがあるのかも知れない。老いては子に従えというが、まさにそのとおりになってきたと思う。子どもたちの助けになるように、孫の面倒をみようというわけである。まだ、孫が一人しかいないために孫娘に集中してしまいそうだが、まあそれも良かろうと思う。
さてさて、ご飯の準備に取り掛かろう。ブログへの掲載はやはり夜になるがやむを得ない。結局、孫娘には海鮮どんぶりを作った。「美味しい!」と言う孫娘に、私は満足である。