友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

年内の課題が分かった

2019年06月29日 17時55分32秒 | Weblog

 カミさんのスマホから着信音がする。カミさんは友だちと豊橋市の夏の風物となった「納涼ビール電車」を味わいに出かけている。表紙を開くと孫娘からで、「今、何している?」と出ていた。さて、どうすると返事が打てるのだろうか?まず、ラインに参加して、返信をするにはどうするのだろう。どこかにキーボードがあるはずだ。やっとのことで「ママちゃんは出かけています」と打っているうちに、次々と孫娘からメールが届く。

 私のメールが届いたのか、「パパちゃん、すごい」とお褒めのメールが来た。友だちの多くがスマホに乗り換えたが、出来ることなら1年以内に旅立ちたいと願っていながら、新しい機種を手にするのは何か矛盾している。私自身はパソコンが動いている限り不便はない。そんな時、どういう訳か、終活の準備をしていると言った友人はどうしているのだろう、私の終活は何をすべきなのか、そんなことを思った。

 卒業生が、「先生、年賀状で展覧会やったら」と言ってくれたことを思い出し、残してあった年賀状を並べてみた。年毎の変化が分かっていいかも知れないと思ったが、賀状に手書きの文字が残っているものが何枚かある。文字を消すことは出来るだろうが、消してしまって他の賀状と異質な感じがするのでは能がない。それにどのように展示するかも悩むところだ。そんなことを考えると、年内の目標はこれだなと思った。

 もうひとつ、厄介なのは中学の時から書いてきた日記ノートだ。自分でも何冊あるのか分からないほど多い。私を知っている人には見せたくないし、ゴミとして出すのも不憫で、小説家の誰かにもらって欲しいのだが、編集の仕事をしている人に聞くと、「そういう話はいっぱいあるので、会社は取り次がない」と言う。なるほどそういうものかと、現実を思い知らされた。

 現実と言えば、カミさんの帰りは遅くなるので、さて晩飯をどうしようか。お昼はチャーハンを作って食べたが、夜は一杯飲みたいし、また刺身と寿司でも買って来ようかな。

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台風は通り過ぎた

2019年06月28日 17時45分19秒 | Weblog

 台風は昨夜のうちに通り過ぎたようで、今朝、カーテンを開けると穏やかな空が広がっていた。ルーフバルコニーを見ると、雨は降ったのだろう床が濡れているが、風が無かったのか落ち葉や飛び散った花はひとつも無かった。テレビで大雨や土砂崩れの映像が流されていたから、何事もなかったことを喜ばなくてはいけないのに、ちょっと拍子抜けに感じた。

 大阪でのG20は日本が開催国だけあって、安倍首相の役割が大きいようだ。今や「世界の安倍だね」と私がテレビを見ながら冷やかしで言った時、ちょうど立憲民主党の参院選候補を応援している人から「決起集会に参加して」とメールが来た。立憲民主党の勝利は危ういと思うが、出てみなければ勢いも分からない。自民党が伸びればその勢いで、安倍首相は念願の改憲へ突き進むだろう。

 「憲法改正」だけは絶対に阻止したい。私が中学生の時に読んで感激した現憲法を、子どもや孫やその子にも残したい。もっと言うなら、憲法第9条を尊守して、自衛隊を無くし安保条約を破棄し、世界に向けて「軍備を持たない国家」をアピールして欲しい。いやきっと、そういう時代が来ると私は思う。G20でどんなに話し合っても、互いが袖の下の軍事力を見せつけ合っているうちは、解決には至らないだろう。とりあえずは立憲民主党に頑張ってもらわなくてはと思う。

 そんな中、福岡での陸上選手権大会で、今晩8時30分から行われる百メートル決勝戦は、10秒を切るか否かと話題になっている。もちろん私も関心はあるが、それにしても「平和だなあー」と思う。誰々がトップになったという話題も、トランプが習がプーチンがと言うのも大差ないのかも知れない。政治の話題の方が「格が上」などということは無いのだろう。日常の中で物事が話題になることが大切なことなのかも知れない。

 そうは言っても、もし、参院選で自民党が圧勝でもしたなら、「そんな寝呆けたことを言っているからだ」とお叱りを受けそうだ。イシグロ・カズオ氏の『日の名残り』の中に、「現実の生活に追われている一般庶民があらゆる物事について『強い意見』を持つ」という言葉があったが、イシグロ氏はそこに未来の切り札を見ていたのではないだろうか。そんな気がした。

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最終回の火曜日のドラマ

2019年06月27日 17時49分37秒 | Weblog

 いよいよ台風がこちらへ来るらしい。雨脚は強くなったり弱くなったりを繰り返している。トランプ大統領がG20に参加する直前に、またしても「日本は不公平だ」と非難した。安全保障条約でアメリカは日本を軍事的に守っているのに、日本はアメリカが攻撃を受けても守らないのは不公平と言うのだ。

 日本を再軍備させないために結ばれた安保条約であることを知らないのだろうか。そもそも、トランプ大統領は「攻撃されたら」という前提に立っているが、攻撃がなければアメリカは莫大な軍備費が不要になる訳で、まず世界から戦争をなくせば良いのではないだろうか。「それではアメリカの軍需産業が困ることになる」と言うのだろうが、大丈夫、その予算で充分新しい産業を育成できる。

 昨夜は見たいような番組が無かったので、点けていたチャンネルをそのまま見ていた。「壮絶人生ドキュメント・プロ野球選手の妻たち」は、こんなにも悲惨な人生だったのかとビックリした。愛する人の存在が支えとなって、人はどんなどん底からでも這い上がることが出来る。他人事ながら思わず涙が溢れた。

 火曜日の『パーフェクト ワールド』も交通事故で下半身不随となった男性を支える女性の物語だったが、健常者によって障がい者が支えられるというのは固定概念であると指摘していた。10時からは地震のため放送が中断した『私定時で帰ります』の最終回だった。どういう結論になるのか楽しみにしていたが、当然と言えば当然の、極めて常識的な「終わり」だった。

 「人は何のために働くのか?」とテーマを振りかざしたが、「結論はそれぞれ皆さんで決めてください」ということだった。ただし、「働き方改革」で、会社はもっと従業員を大切にしなくてはいけないという警告にはなっただろう。1日8時間以内で終わるように、できればもっと時間が短縮されるような社会風潮になっていくといいと思う。

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国会は閉会したが、

2019年06月26日 18時40分32秒 | Weblog

 国会が閉会した。安倍首相は記者会見で、7月の参院選では憲法改正の議論が大きな争点となるとの考えを示した。私は国会中継を見続けたわけではないが、野党の質問はあまりにもお粗末な気がした。勉強不足というか、何を引き出してどう攻めるのか、まったく組み立てが出来ていない。反対のために反対しているとか、嫌いだけで攻撃しているとか、的外れな批判だが、そう批判されても仕方がないくらいお粗末だ。

 安倍首相は原則にのっかり、野党のお粗末さを攻撃する。「どのような国を目指すのか、理想を語るのが憲法だ。憲法改正を決めるのは国民の投票だ。国会議員には国民に判断の材料を提供する大きな責任がある。少なくとも議論する責任があるのではないか」と言う。その通りと思う。そこで、「議論に参加しない立憲民主党や共産党を名指しで批判」し、その上で、「参議院では憲法調査会が3分しか開かれなかった」と訴え、「7月の参院選では、憲法の議論すらしない政党を選ぶのか、国民にしっかり自分たちの考えを示す政党を選ぶのかを決めていただく選挙だ」と主張した。

 安倍首相の独特の論理展開に、真正面から論戦するには相当な組み立てが必要だろう。回りくどいくらいに、「真摯に受け止め」とか、「丁寧に説明する」とか言われてしまうと、どこがどう間違っていると指摘することが難しくなる。ましてや指摘が当たっていれば「謙虚に正していく」と言われ、次の矢が出せない。麻生副総理の失態で、安倍首相の絡む森友・加計問題はすっかり影が薄くなった。政治家と官僚の在り方を根本から正すべき問題であったのに、まるっきり過去のことになってしまった。

 それで、「憲法改正こそが争点」と逆に攻勢され、野党はオタオタしてしまっている。野党には国民に語るビジョンがない。「問題だ」「反対だ」と言うだけでは、国民に共感を呼ばない。琴線に触れるものがなければ、現状維持に終わってしまう。義理の弟が、「自民党は絶対ダメだ。けど、野党もダメだ。白票を投じて不信を表明するしかない」と力説していたが、国民の声を代表しているように思う。

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エレベーターで出会った3人

2019年06月25日 17時55分12秒 | Weblog

 エレベーターで3人と一緒だった。2人は女性で、若い女性はたくさんの買い物袋を持っていた。もう1人は60歳くらいで、こちらは手ぶらだった。1人の男性は私よりも高齢で、よくしゃべる人だった。若い女性の荷物を指して、「たくさん買い物して来ましたね」と声をかけた。若い女性は「食べ盛りが3人もいるもので、大変なんです」と答えていた。

 手ぶらの女性が、「将来が楽しみね」と言う。すると若い女性は、「楽しみですか?3人とも勝手に生きていて、どうなりますやら分かりません」とちょっと口を突き出すように言う。「そりゃー楽しみですよ。子どもは自由気ままでなければ、その方が大変ですよ」と高齢の男性が言う。「全然、親の言うことを聞かないんですよ」と若い女性。「親に逆らうようなら、ビシッと一発やらんといかん」と男性は言う。

 「子は宝。どんな子もみんな宝。今は親の言うことを聞かなくても、そのうち親の言うことが分かるようになるものよ」と、手ぶらの女性が仲を取り持つように言う。私も何か言わなくてはと思い、「あなただって自由に生きて来たんじゃーないの」と余分なことを言ってしまった。いつも髪をカールしている色白のポチャとした可愛い女性で、キツイ印象がなかったから。

 すると手ぶらの女性が、「私なんかいつも敷かれたレールの上、何にも面白いことなかった」と愚痴を零す。年長の男性は、「それは幸せですよ。レールにも乗れんで困っとる人はいっぱいいます。お子さんをレールに乗せようと強要しないことですね」と言う。ドアが開いて手ぶらの女性が、「子どもは宝。将来が楽しみよ」とささやいて出て行った。「楽しみになってくれるといいけど、どうなることですか」と若い女性が呟く。

 ドラマで「私は子どもに、いつもこう言ってきた」というセリフがあった。カミさんに「あなたは子どもたちに何を言ってきた?」と訊くと、「そうね、自分の思うようにいきなさい、かな」と答える。昔は「夫婦で価値観が違うのはダメ」と怒っていたが、ようやく価値観が一致した。子どもたちは子どもたちなりに、自由に生きていくことこそが大事だ。若い女性の子どもたちもそのうち親の言うことを理解するだろう。

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再びイシグロ・カズオ氏の作品から

2019年06月24日 17時38分54秒 | Weblog

 イシグロ・カズオ氏の作品が気になったのは、NHKテレビで『浮世の画家』を観てからだった。前にも書いたが、ノーベル文学賞の受賞が決まった時は、作家の名前も知らなかった。書店に置かれた文庫本を買ってはみたが、なにやら回りくどくて、読む気を失ってしまっていた。それなのに、テレビドラマを観て、急に興味が湧いてきた。

 これも前にも書いたことだが、人は誰でも一生懸命に生きている。生きている自分の価値とか目的まで考えてなどいない。どんなに悪い人でも、どんなに良い人でも、その日その日を知らず知らず、真面目に生きている。人生をふざけて生きたという人はいないだろう。仮にいたとしても、そうなれば一生懸命でふざけたということだろう。

 『浮世の画家』の主人公も、彼の日日において、精一杯にまじめに取り組み、正しいと思った道を突き進んだ。けれど結果としては間違っていた。軍国主義を煽るべきではなかった。「過ちを認めずぬくぬくと生きている」と批判され、悩み苦しむ。『日の名残り』の主人公の執事が仕えたイギリス貴族は、心の優しい正義感に満ちた人で、世界平和のためにとナチスとの闘いよりも和平を進める。

 画家と貴族では、果たした役割の大きさが違うが、時代に逆らった点では同じだ。しかもそれは結果としての話である。もし、時代がナチスとの和平に進んでいたら、貴族はその立役者として高く評価されただろうし、軍国主義の時代がもっと長く続いていたなら、画家も文化功労者と称えられただろう。

 いや、それだけではない。私が高校生になった時、60年安保闘争が国民的に盛り上がった。東京で大学生だった従兄は、「日本は変わる」と私に告げた。70年安保闘争は学生たちの武力闘争となった。私はテレビニュースで見ていて、「流血で世の中は変わるのか」と恐怖を感じた。60年安保を戦った人も、70年安保を戦った人も、思い出になったかも知れないが、世の中は何も変わらなかった。

 アジった人も、弾圧した人も、誰も責任を取ることも無く、時代は過ぎていく。結局、誰がどうしたのではなく、自分がどう生きるかなのだろう。何が大切で、何を愛し、何に励むか、そうやって人生を閉じていく。

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病院の待合いで

2019年06月23日 17時23分21秒 | Weblog

 日赤病院での定期検診の時だった。呼び出しがあるまで、診察室前の廊下に置かれた長椅子で30分は待つことになる。以前は文庫本を持って行ったが、最近は目がよく見えないのでただ座っていることが多い。ぼんやり座っていたからか、隣の男性から声をかけられた。長いこと通って来ているが、隣の人と話すことは初めてだった。

 「オタクもペースメーカのチェックですか?」と聞かれた。「はい、そうです」と答えると、「ペースメーカは何年持つんですかね。先生から何か言われないかと心配で、心配で」と言うので、ペースメーカ手帳を見せて「私は手術を受けて7年になりますが、一度も何も言われたことがありません。ここの先生は患者に声をかけてくれません」と話す。

 私の愚痴が幸いしたのか隣の男性は饒舌になり、「何にも言ってくれんもんだから余計、心配なんですよ」と言い、「手帳の字が見えるんですか?」と聞く。「ええ、メガネを取れば読めますが、右目はボケています。眼科の先生は白内障の兆しはあるが様子をみましょうと言うので、そのままにしています」と話すと、「それがいい。私は緑内障の手術を受けたけど、うまくいかなくて2度もしたんです。目にゴミが入っているような違和感があって、今も病院に通っているけど、ダメですね」と言う。

 廊下で大きな声で話すのは迷惑になると思ったが、隣の男性はさらに話続けた。「私を何歳だと思われる?」と訊くので、「80歳くらいですか」と答えると、「来年で90歳になります。今、ひとりで暮らしてますが、どこか施設に入らんといかんと探しているけど、あんまり多すぎてどこが良いのか分かりません」と言う。「お子さんは?」と聞くと、「近くにはいますが、嫁に行ったので世話にはなれんですよ」と言う。

 「それでも娘さんたちが見舞に気やすい、近いところがいいでしょうね。施設に入るにはいくらかかりますか?」と訊くと、「ピンからキリまでありますが、20万円台が適当でしょう。それなら年金でやっていけますから」と答えてくれた。隣の男性が呼び出されて先に診察室へ入って行く。ふたりとも半年後の12月20日午後3時が次の診察日だった。この日の若い担当医は、「具合はいかがですか?」と訊いてくれた。

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老人の孤独

2019年06月22日 19時03分07秒 | Weblog

 力のない声で電話がかかってきた。「あんたに相談したいことがある」と言う。「分かった。すぐ行く」と答えたが、車はカミさんが乗って出かけている。カミさんに電話を入れても返事がない。あまり待たせると、短気の彼をイライラさせてしまうことになる。友だちに電話して車を借りて出かけた。

 彼は私よりも10歳ほど年上だ。降雪のあった日に自転車で転倒し、膝と足首を骨折して以来、不運が続いている。血圧が80-50の時もあれば130-80の時にもなり、安定しないようだ。そのためかは分からないが、酸欠状態になって3度気を失った。「私の病気は精神からくる」と言う。

 「家に居ても話す相手がいなくて、イライラが募る一方で、もうあかんと思ったから電話した」と言う。「遠慮することは無いよ。いつでも電話してくれれば駆けつけるから」と笑って答えたものの、車がない時はどうしようと心配になる。「あんたと話すと、頭のもやもやが吹っ飛んで元気になれる」と言われては、駆けつけない訳にはいかない。

 歳を取ると、子どもたちは親元を離れ、親のことよりも自分たちの幸せが優先になる。それは仕方のないことだと彼も分かってはいるが、寂しいのだろう。若い時は景気の良い時代だったから、さんざん外で遊んだようだ。彼のカミさんや子どもたちには、家庭のことを放っておいて、遊んでばかりいる人という思いが強いのだろう。

 自業自得であることは彼も分かっている。分かっているからこそ寂しいのだ。正義感が強くて一本気で、世話好きでそのくせ小心な面もあって、他人とはケンカが出来ても家族には何も言えない。その分、ストレスが溜まる。以前なら、友だちと酒でも飲み、カラオケで歌でも歌えば多少は解消できたが、今は身体が不自由で出歩くこともできない。

 「人生の最後を汚すようなことのないようにしなくてはね。必要な時は遠慮なく連絡してくれればいいよ。本当は子どもさんたちと、これからのことを話せるといいのだろうけど、まあ、焦らずに、その時が来るのを待つことだね」と話す。彼は「何か、すっきりした」と笑顔を見せる。老人の孤独を痛感した。

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イシグロ・カズオ氏の『日の名残り』

2019年06月21日 17時25分31秒 | Weblog

 イシグロ・カズオ氏の名前は、ノーベル文学賞の受賞で初めて知った。市民講座の塾生の間で話題になった時、90歳になる女性が「私は読んだけど、面白かったわよ」と言う。私はすぐ書店に行き、文庫本を2冊買った。同じくらいの厚さだったが、『夜想曲集』は5つの短編の小説だったので、手軽に読めるだろうと思い読み始めた。

 舞台はイタリアの観光地で、音楽関係の単語が出てくる。外国の小説で私が苦手なのは横文字で、名前なのか地名なのか、この人はどういう人なのか、関係が分からなかったりで、結局、読み切らないうちに放り投げてしまう。イシグロ作品は、名前は日本人でも、英文小説である。5歳からイギリスで生活し、イギリスの大学を卒業し、イギリスに住んで文学を生業としている。

 NHKテレビでイシグロ・カズオ氏の小説『浮世の画家』を映画にしたものを観た。大正デモクラシーに反発し、個人の享楽ではなく国家のために絵を描いた、それを奨励した画家の物語だった。終戦となり、若者を戦場へ送り込んだ者は罪を負うべきだと責められる。自分の信念は間違っていたのか、どう償えばいいのか、画家は悩む。

 イギリス育ちのイシグロ氏は、戦後の日本人を知らない気がした。戦犯と呼ばれる人たちでさえ無実を訴え、償った人はいない。教師の多くが子どもたちを戦場へ送り込んだけれど、戦後は民主主義を教壇で説いていた。「仕方がなかった」と水に流し、忘れて出直すのが日本人である。けれど、小学生の時から私は、「戦争をした人が、そのまま政治家として生き残る」ことが不思議だったから、イシグロ氏の『浮世の画家』には興味を持った。

 それで、もう1冊の『日の名残り』を読む気になった。こちらは長編なのに意外に読み安かった。読み進めるうちに、『浮世の画家』も『日の名残り』も同じテーマだと気が付いた。人は日常を一生懸命に生きている。真面目に、自分の欲だけでなく他人のためにもなると思い、尽くしてきた。けれども、大きな間違いを犯していた。なぜなのか、そうならないためにはどうしたらよいのか、ひとりの小さな人間を通して問う、大きなスケールの小説である。

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時の流れの中で

2019年06月20日 17時19分35秒 | Weblog

 亡くなられた先輩は、私より11歳年上だった。私が議員になった頃は、保守系議員の取りまとめ役だった。何年かして、保守系議員から議長を出すと、私たち非保守系議員の方が数で上回る事態になった。まさかと思ったが、初当選の時から信頼していた友人が、保守系に鞍替えした。引き抜いたのは亡くなられた先輩だった。

 それから何年かして、先輩が私の会派に移られた。一番年下だった私が代表を務め、私の意見に従ってくれたが、議員生活の最後を楽しんでいたようだった。よく、みんなで出かけたし、お酒を飲む機会も多かった。先輩の考えは保守とは言えず、共産党に近かった。「自由にやっていい。責任はオレが負う」とハッパをかけてくれた。

 式の栞に「面倒見が良く、懐の深い人柄ゆえに多くの皆様から厚い信頼を寄せていただき」とあったがその通りだった。中には悪く言う人もいるが、完璧な人などいない。私も友人が引き抜かれた時は先輩を恨んだ。けれども会派の仲間となり、人柄を知るにつれ、よい人に巡り合えたことに感謝する気持ちになった。

 通夜には大勢の人が参列し、会場に入りきれないほどだったが、告別式の今日は落ち着いていた。昔の議員仲間も4人集まった。先輩が青年団や消防団で活躍した若き日の仲間も何人か来ていた。「ご無沙汰しています」とあいさつすると、「変わらんねえ。何歳になられた?」と訊かれるから、「75歳です。そんなに変わらないですよ」と答える。

 この人も、この人も、私が地域新聞を作っていた頃、インタビューさせてもらった。それを思い出し家に帰って、創刊号からの地域新聞をまとめた分厚い冊子を見た。先輩は議員となって4期目で、私は議員紹介の記事に、「『小さい時から苦労して働いてきたからね。今日よりも明日、一歩前進と思っているから、政治姿勢は保守系でも考え方は革新的でしょうね』と笑う」と書いていた。

 時の流れと節目での諸々のことが蘇る。イシグロ・カズオ氏の『日の名残り』を読み終えたためなのかも知れない。明日は日赤病院で半年に1回の定期検診の日、立ち上げる時間に余裕がない時はブログを休みます。

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