友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

娘のことよろしくお願いします

2013年03月31日 19時30分16秒 | Weblog

 マンションの桜も満開になった。昨日は長女一家の引越しで、その手伝いに出かけ、晩御飯をダンナの両親と一緒に食べた。夫婦4人でお酒を酌み交わしたのは始めてで、私としては気を遣って喋り捲ったつもりだが、カミさんは「話半分で聞いてやってください」と言っていた。駅近くの居酒屋は、家族連れや送別会やらでとても込み合っていて騒がしく、大きな声を張り上げないと聞こえないほどだった。

 これまでもダンナの両親とお酒を飲む機会はあったけれど、長女夫婦や娘たちと一緒で、まさに親戚付き合いの宴席であった。昨晩は、40代の夫婦を子どもに持つ、現役を引退した老夫婦がお互いのこれまでの人生を振り返る機会だった。子どもたちの幼い頃の話や自らがどんな風に育ててきたか、それを話すことによって子どもたちを理解し見守っていただきたいという親の願いの席だった。

 私は、「娘を嫁に出すというのは、ダンナさんに、そしてご両親に、『よろしくお願いします』ということなのだと思います。本当によろしくお願いします」と頭を下げた。娘たちが手元にいるうちは冗談のひとつも言える。しかし、嫁にいき、一家の柱を支える人になっているのを見れば、いくら自分の娘だからといっても、たやすく冗談など言えない。私からは遥かに遠い存在である。

 嫁にいくということはそういうことなのだと思う。子育てについては、私は出来るだけ自由に伸び伸びとさせたつもりだ。自ら考え判断する人になって欲しいと思ってきた。そして、父親がどういう価値観や美意識を持っているかは伝えておく義務があると思い、そういう時は口調も強くなった。

 昨日も長女に、「それはパパの思い込みでしょう。実行する、しないはパパが決めることではなく、私たちが決めることだからね」と言い渡されてしまったが、その通りだ。子どもたちの行動を制限したり支配したりする権利を私は有していない。子どもたちが何をしても、もう子どもたち自身の責任であって、私がそれを負うことも出来ない。他人に不快な思いをさせなければいい。何もお金持ちとか出世とか、そんなことではなく、子どもたち自身が納得する人生を送ってくれればいい。

 お父さん、お母さん、娘のことよろしくお願いします。

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学生の作品に触発されたのに

2013年03月29日 20時37分57秒 | Weblog

 学生演劇と二科展を観に行った27日、本当はもうひとつ観たいものがあった。私の大学の先輩で、現代芸術の先駆者である山田彊一氏の3月25日のブログに、『第1回愛知県3芸術大学選抜H/ASCA展 始まる』の記事があり、学生たちの作品が紹介されていた。その作品を見た時、ぜひ展覧会を観たいという気持ちになった。当日の朝、朝日新聞に「愛知から世界へ 学生15人作品展」の記事があり、ブログで見た作品が載っていた。

 ところがこういう時に、詰めが甘いと指摘されてしまうのだが、展覧会の会場がどこにあるのか書き留めずに出てきてしまった。そこで、二科展の会場で、それから栄地下の画材店でも尋ねてみたけれど、「わからない」と言われてしまい、結局観ることは出来なかった。間抜けだなあと我ながら思う。学生演劇や二科展で、刺激を受けていたのにたちまち萎縮してしまった。

 私が美術科に進んだ時は、愛知県には教育大にしか美術を学ぶところはなかった。私はにわかに美術科を選んだけれど、入学試験の実技で周りの受験生と比べても中位の感じだった。卒業作品は1月になってから、姉のアパートの一部屋を借りて描いたもので、パネル6枚を仕上げるのに追われた。卒業展の会場で並べてみると、まあまあの仕上がりだった。油絵科の同級生が「おまえ、相当デッサン力あるな」と感心してくれた。

 高校の教員になった時も、デザイン科の先生が「卒展の作品を見て決めた」と言ってくださった。大学時代に学生運動から身を引き、もっと絵を描くことに集中していたなら、もう少し優れた作品が描けたのではなどと、今になってはどうしようもないことを考えたりする。なれなかった者が落ち込む自己弁護である。

 今更、悔やんでも仕方のないことだ。全ては自分が選択してきたことである。もし、と思うなら今からでもやり直せばよいことなのだ。教員になったばかりの頃、山田先輩が「一緒にインドへ行かないか」と誘ってくれた。私は行く気満々だったのに、組織はそれを許さなかった。今なら、個人の自由が保障されない組織はおかしいと分かる。

 若い人たちの作品に触れると、自分も何か描いてみたいと触発される。作品作りに至らなくても、気持ちが触発されるだけでもいい。それが生きていく力のひとつになるような気もする。

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故郷には帰れない

2013年03月28日 20時30分44秒 | Weblog

 長女一家が今月末までに引っ越すと言う。畳み3枚ほどの畑がある借家だったので、私は我が家にあったゴールドクレストを東の隅に、水仙を西側に2列、またダンナのお母さんは1株600円ほどもするイチゴを中央に植えた。ところが引越しで、植えてあるものはすべて撤去しなくてはならないと言うので、私がその作業に当たることにした。

 ダンナに「ゴールドクレストは鋸で切って燃えるゴミで出します。イチゴはお母さんが持っていけるようにダンボールに移します。水仙は全部ではないけれど、貰っていただける家があるのでそこへ運びます。雑草は穴を掘ってそこに入れて、畑をきれいにしておきますね」と話すと、ゴールドクレストは親の方へ運ぶのでそのままでいいです」と言う。

 そこで、まず水仙を抜いてダンボールに移し、次にイチゴをなるべく根ごと掘り出し、こちらはやや深めのダンボールに移した。そうして何も植わっていない場所が出来たので、この畑から出る雑草を入れる穴をかなり深く掘った。もともと畑だったので、どこまで掘っても柔らかな黒い土で、本格的に野菜作りを行なえばかなり収穫になっただろう。

 我が家が農家ではなかったこと、ミカン畑はあった、柿やブトウ、枇杷なども植わっていた、しかし野菜を作ってはいなかったので、私は野菜作りの知識は全くない。農具が入っていそうな大きな小屋には機織機があって、祖母はそこで布を織っていた。私は敷地の北側にあった荒れた畑を貸してもらい、小学校の通学途中の医院の庭で見たバラ園を作ろうとしていた。

 長女のダンナに「故郷には帰らないの?」と聞くと、「あなたはどうなんです」と言われた。「故郷には全く未練がないね」と答えると、「一緒ですよ」と言う。長男である彼も家を出たいのかと思ったけれど、家を出たいというよりも一家をつくりたい、それはどこでも構わないということのようだった。

 私は兄が家業の材木屋を潰してしまった時から、自分はこの街から出ようと決めていた。もし帰るなら錦を飾ってでなければならない。それが出来なければ絶対に帰らない。クラス会やお墓参りで帰ることとは全く意味が違う。私は普通に結婚し、子どもが生まれ、家族の輪が広がっていった。ここに根を下ろして花が咲いたわけで、それで充分だと思う。

 NHK朝のドラマ『純と愛』はあと2日しかない。折り合いの悪かった純のお父さんは死んだ。愛の両親は離婚した。純の最愛の人である愛はまだ植物人間だ。ドラマはいつもどおり最後に出演者が全員顔を揃えた。しかし、まだ愛は眠ったままだ。目を覚ますのだろうか、覚まさなければドラマではないように思うけれど、どうなってしまうのだろう。

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『いつかきっと。いつか』

2013年03月27日 20時20分54秒 | Weblog

 地元の大学の演劇を観て、その新鮮さに魅了された。しかし、昨年の秋の文化祭で観た作品は学生演劇の大胆さが消え、いわゆる演劇っぽいものになっていた。劇団員が代わっていく学生演劇なのだから、それは宿命のようなものだ。中には演劇に取り付かれて、プロの劇団を目指す人もいるだろう。そういう意味では今日の演劇は、かなりレベルが上がったと思った。

 それでも、私たちの学生の頃とは全く時代が違うと痛感した。学生たちが使用している部室がなくなるというのが舞台の設定だが、私たちの頃なら「全学集会を開いて断固抗議すべき」と言うだろうし、1970年前後の大学なら「直ちにバリケート封鎖しろ」と過激な方針が提起されただろう。しかし、この大学では学生自治会の役員を引き受ける者さえいない。

 部室が取り壊されることになる映画研究部、演劇部、バトン部は、自治会の部屋から壊される様子を見ようと集まる。このこと事態が私には理解できない設定だが、物語はここから始まった。バトン部の部長と後輩の女子学生は、先輩・後輩の関係だが実は同じ歳で、後輩の方が演技力がある。しかも、彼女はキャバクラで働いていて、その店の男の子と同棲している。先輩である部長は先を越されたショックと同時に、カモにされてしまうことへの心配と不幸に優越感を抱く自分がいることに気付く。

 そんな風に、登場人物の誰もが決して完璧な人間ではないことが明るみになっていく。東京に出て、もっとビックになりたいと考えている者、来年の就活に備えていこうとする者、目指すものはあるのに、そこへどのようにして辿り着くか、その計画性には欠ける。でもなあーと自分の学生時代を振り返って思う。無我夢中で、そんな計画性などなかった。

 演劇の後、中部二科展を観に行った。二科会には結構知り合いがいる。同期で高校の美術の教員になった知り合いは、既に二科会の幹部になっている。その彼が、会報に『茫茫、遥かなり』と題して一文を載せていた。中部二科展の第1回海外留学賞でローマ国立美術大学に学んだ人とは、芸術論を交わし、中部二科のあり方についても議論した仲であった。その人は恩師から「ヴェネチア・ビエンナーレでグランプリを獲るまで決して日本の土を踏むな」と言われたことを守り、26年間をイタリアで過ごした。

 「絵はどこで発表されているのですか」と知り合いが尋ねると、その人は「絵はやめました」と答えた。「何の気負いもなく、挫折も感じさせず、静かに現実と自己を眺めつづけてきた人の清々しさが漂っていた」と結んであった。学生演劇のタイトルは『いつかきっと。いつか』だった。

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消費者の趣向は10年で変わる

2013年03月26日 19時47分34秒 | Weblog

 20年か30年か前のことだ。この地方で一番大きな都市の商店街の一番奥にあった、大型スーパーが撤退するというので、街中が大騒動になった。スーパーがなぜ撤退するか、その説明会が開かれた。その時、スーパー側から説明に立った社長の言葉に、私は衝撃を受けた。説明の細かいことは忘れてしまったけれど、肝心なことはこんなことだった。

 消費者の趣向は10年が限度である。同じ場所よりも、その次を見越した場所へ移転することは小売業の宿命である。そうすることで売り上げを伸ばし続けなければ生き残れない。デパートが何年に1回は必ず模様替えを行なうのもそのためである。同じ場所で、同じ商品を、同じ方法で売っていたら、その店は潰れてしまうだろう。

 ちょうど、車社会へと変わる時で、駅前の商店街から店が減り、郊外に大型店が造られていく時代だった。私はアメリカに行った時、もちろんアメリカは広すぎるからだけれど、砂漠のようなところに、何でも揃っている「モール」と呼ばれる場所へ連れて行ってもらったが、それが日本にも出現したというわけである。

 私の生まれた街のことを思い出す。昔からの商店街にアーケードが出来、やや遅れて駅前に新しい商店街が出来ていった。何十年ぶりに故郷に帰ると、昔からの商店街はシャッター通りになり、駅前の商店も数はうんと減った。それに代わって、郊外に新しい商店がひとつの街を造っていた。車社会は商店の形を変えてしまったのだ。

 ところが車の少ない東京では郊外型の大型店が見当たらない。名古屋市でも大型店があるのは、比較的新しく街が形成された地域ばかりだ。ヨーロッパは、イタリアとスペインしか行ったことがないけれど、アメリカのような大型店は見なかった。昔ながらの商店が軒を並べている風景は、東京の下町のそっくりだった。

 時代は変わり、消費者の趣向も価値観も変わる。同じ商品がいつも同じようには売れるとは限らない。日本の電化製品の技術を韓国や中国が盗んだと言う人もいるが、日本もアメリカの商品を真似して売り上げを伸ばしてきた過去がある。ところが今、世界の先進国はどこも人口減の傾向にある。物を作る技術は高くなっているのに、消費者が少なくなっているのだ。

 これが時代というものなのだろう。アメリカ型の社会からヨーロッパ型の社会に日本も変わっていくのかも知れない。人々が何を望むのか、何に価値を置くのか、そうして少しずつ変化していくのだろう。

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マンションの地震対策

2013年03月25日 18時14分25秒 | Weblog

   桜が3分から5分咲いているのに、今日は強い北風が吹いている。写真は3日前の我が家のチューリップだが、今日見るとこの時より伸びて寒風に揺れている。寒さで桜の花もちはよくなるのだろうか。野鳥がやって来て、盛んに蜜を吸っていくので地面には花柄がいっぱい落ちている。マンションの大規模修繕が一段落した。現会長は苦労人のようで、住民の高齢化と地震対策に頭を悩ませている。

 トイレが使えなくなった時の仮のトイレ用に、中庭にその施設を造りたいと言う。備えることに異論はないけれど、果たして本当に使われるだろうか。我が家の下の娘は、保育園に行くようになった時、便器が和式だったので怖がって出来なかった。今、ほとんどの家が洋式トイレになったので、学校の和式トイレでは出来ない子がいる。それで洋式トイレへの改修工事を行なっているそうだ。

 地震が来て、マンションが倒れたらどうしようと言う心配の声もある。各家で、タンスや食器棚などの家具の転倒防止を行なうことや、水や食糧の備蓄も必要だろう。おそらく2千人からの住民が使用する仮説トイレの設置は無理だろうし、わざわざ家から出てするだろうかとも思う。家族なら我慢できるかも知れないので、いざという時は家の中で排便することも頭に入れておいた方がいいだろう。

 備えは必要だが、心配し過ぎるのもよくないだろう。私が住んでいるようなマンションが倒壊した時は、周りの住宅は倒れ、道は寸断され、上下水道は止まり、もちろん電気・ガスも止まるだろう。それは地域全体がパニックになっているということだから、当然ながら救援はすぐに来ないだろう。そうなれば、隣近所で助け合うしか方法はない。政府は大規模建築物の耐震診断を義務付け、その結果を所管行政庁に報告する仕組みを創るという。さらに、区分所有者の4分の3の規定を改め、過半数の賛成があれば耐震改修が可能となる制度も設けるそうだ。

 私の住むマンションは築後40年近くになる。耐震診断を受けて工事をすれば、現在の改修工事用に積み立てている資金では足りなくなるかも知れない。いやその前に、若い人ならここを売って新しいところに移るだろう。今はきれいで住みやすいと言われているが、抜けていく人が出てくればたちまちゴーストタウンになり、改修や建て替えどころではなくなる。マンションの維持管理に努め、住民の和と輪を大事にしてきた過去が崩壊してしまう。

 花は毎年同じようにでなくても、その時期が来れば咲いてくれる。明日への備えを怠ってはいけないけれど、必要以上に怖がることはない。いざという時の住民の「絆」こそ大切にしていかなくてはならないだろう。

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花粉症

2013年03月24日 17時15分06秒 | Weblog

  「グラウンド 小石で綴った スキの文字 地球に書いた 君への想い」

  「すれ違い 君と重なる 刹那さえ 甘酸っぱくて 世界が揺れる」

 朝日新聞の教育ページに「いま こどもたちは」というコナーがあり、今回は『恋のうた』を特集していて、上の2首はそこに掲載されていた。高校生ながら、なかなかいい歌を作る。

  「約束の 日まで何日(いつか)と 数えおる あなたの笑顔が 大きくなるよう」

 そんな今日の朝日新聞に、太田光代さんが花粉症のことを書いていた。「30年前の春、ひどい風邪をひいたののかと、とめどもなく流れる鼻水に苦しんでいたら、ある朝、目も充血し瞼も腫れていた。同じように目を真っ赤に充血させてクシャミが止まらない人が私の顔を見て言った」。花粉症だから病院へ行きなさいと。そこで「病院へ行って先生に症状を伝え、花粉症ではないかと尋ねたら満面の笑顔で否定された。診断は鼻風邪だという」。そして先生は「気のもちよう」と言われたとある。

 長女のダンナに今朝会ったところ、マスクをしていて元気がない。鼻をグジュグジュさせている。「花粉症で死にたいくらいです」と言う。私も30代の頃から、秋の清々しい季節になるとクシャミが止まらなくなった。疲れていて体調の悪い時だったので、よく眠れば回復した。ところが夜になると目が痒くて、朝、鏡を見ると目が真っ赤に充血していた。そこで眼科に行って始めて、アレルギー性眼炎と診断を受けた。鼻水が止まらなくて、ティッシュが離さない。そんな翌日は小鼻の部分の皮が剝けて真っ赤になっていた。

 50代の時、同じ議員仲間で薬剤師の人から「花粉症かね。若い証拠だね」と冷やかされた。「年取れば治るんですか?」と聞くと、「反応が鈍くなるからね」と言う。確かに年々、治まってきているような気がする。長女のダンナにそのことを話すと、彼は「花粉症のメカニズムは分かっているんですかね。僕が思うには、最大の原因は車が走る時に出る、タイヤの磨耗から生じる微粒子ですよ。しかしそれを今は問題に出来ないからじゃーないですか」と言う。

 そうなのかも知れない。車の排気ガスという説もあった。私は文明病だと思っている。これだけ工場が出来、車が走り、いろんなものが空中を浮遊している。そればかりか、加工食品が出回り、飲み物も普通の水ではないから、身体の組織そのものも変わっているだろう。アレルギー反応が起き易い環境になったのだ。自らが作り出したものに、自らが犯される宿命を負っている。甘っちょろい歌なんか作っていられるか、と言い出す人もいるけれど、本来は逆で、甘っちょろいことに重点を置く方がよいのではないかと私は思う。

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送別会

2013年03月23日 17時32分21秒 | Weblog

 今晩は、井戸掘り仲間の長老ご夫婦の送別会である。長老とはいえ、84歳にはとても見えないくらい元気だ。大学の工学部を卒業し、機械設計に携わってきた人なので、何かと言えば「ちょっと図面を書いてみる」と、アイディアを絵にして見せてくれた。彼の家の車庫は彼の仕事場で、電気ノコから電気ドリル、電気溶接機や万力など、様々な道具が揃っていた。いかにも几帳面な性格だと一目で分かるのは、それらの道具が整然と並べられていることだ。分類ごとに分けてあるばかりか、同じものなら大きな物ら順番にしてある。

 息子さんは豊田市に住んでいるけれど、娘さんが横浜に居るので、その娘さんの近くのマンションを買って引越しすることになった。息子よりも娘の方が気安いのだろう。息子には嫁がいるし、娘には婿がいるのだから、嫁よりも婿の方が話易いのかも知れない。私は娘ふたりで、そのどちらの婿も嫌いではないけれど、やはり会話になると気を使う。自分の娘であっても、世代差があり、価値観が違うのだから仕方のないことだけど、娘たちに自分の考えや価値観を押し付けるようなことは絶対に出来ない。

 横浜で、井戸掘り仲間を集めたいと言うけれど、高齢になると身構えることが多くて、初めての土地で友だちは出来にくい。いつまでも会社の社長だったことを評価してはくれないし、そんな昔の肩書きを口に出せば鼻つまみ者にされてしまうだろう。だからと言って、もうこの歳では誰にでも愛想よく話をせよというのも無理なことだ。家の中にばかり閉じこもれば、カミさんから煙たがられる。カミさんの後ばかりついていれば、ますますぬれ落ち葉扱いだ。

 「最後に、どちらか一人になった時に、お世話になる施設も決めてきた」とまで言うのだから、覚悟は出来ているのだろう。長老のカミさんのお母さんは100歳まで長寿を全うして、先日旅たった。ご夫婦を見ていると、やはり長老の方が先に逝きそうだ。カミさんの方は娘の近くに住み着いて、やはり母親と同様に100歳を超えるのかも知れない。もう時間だから、今日はこれで終わりにしよう。

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春の高校野球が始まった

2013年03月22日 19時16分19秒 | Weblog

 春の高校野球大会が始まった。先日のWBCやフィギュアスケートの世界選手権大会で、日本人は優勝できなかった。期待が大きかったために、結果にガッカリしたのだ。スポーツだから、どんなに練習を積んだとしても、いい時もあれば悪い時もあるはずだ。余りにも優勝を意識しすぎていると思う。スポーツをする人は、「出るからには勝たなければ面白くない」と言うけれど、出る人みんなが優勝するはずはなく、負ける人は必ずいるのだから、全力でプレー出来たかでいいように思うのは私だけなのだろうか。

 フィギュアを見ていても、そんなに大差ないように思ってしまう。確かに韓国のキム・ヨナさんの演技は完璧だった。見事だと思うけれど、採点の基準が私にはよく分からない。浅田真央さんが以前なら楽々飛べた3回転半が出来なくなり、それを克服するために一生懸命に練習を重ねているが、女の子だった身体が女の人になってきたのだから、当然じゃないのかと思う。それならば、女の人にふさわしい演技があるだろうし、プログラムも女の人が輝くようにすればいい。

 それにしても、わずかの差を競い合わなければならないスポーツは大変だなーと思う。陸上にしろ水泳にしろ100分の1秒を争うし、見た目ではほとんど差がないように見える競技でもどちらかに軍配を上げなくてはならない。だからこそ個人競技は面白いのだろうけれど、ここまで努力したのだから両方とも優勝にしたらと思ってしまう。団体競技は団結した時の力が、思った以上に発揮できた方が勝つから、まだ見ていられるが、個人競技は全ての責任が個人にかかってくるから、見ていても気の毒になってしまう。

 カミさんはどちらか言えば、個人競技のスポーツが好きだ。ゴルフもフィギュアも熱心に見ている。勝ち負けは努力の結果だから、たまに運不運があったとしても、努力こそが決定力と信じている。娘や孫がスポーツ好きなのもカミさんの血であり、努力を尊ぶ真面目さも受け継いでいる。昨日の誕生日会ゴルフでは、カミさんは左手首の腱鞘炎にも関わらず一人勝ちだったそうだ。友だちが言うには「無駄な力が入らずに打てたのがよかった。ずっーと腱鞘炎が続いた方がよい成績を残せるよ」と冷やかしたほどだ。

 スポーツを見ていて、泣けるようなプレーに出会うこともあるけれど、確率ではNHKの「のど自慢」を見ている時の方が多いだろう。もちろん、映画や芝居は泣かせるように作っているのだから必ず涙が流れてしまう。しかしスポーツは晴れ晴れとした気持ちにさせてくれる。だから優勝にこだわらない方が気持ちよく見ていられる。

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暑さ寒さも彼岸まで

2013年03月21日 15時54分51秒 | Weblog

 結局、ラベルの印刷は他人に頼んだ。私のパソコンでワードのツールを開くと、以前なら「はがきと差し込み印刷」がでたのに、どういう訳か「差し込み印刷ヘルパー」となり、続いて「メイン文書、データファイル、データの差し込み」へ進むことになる。インターネットで「ラベル印刷」を調べてみても、私のパソコンのような画面は出てこない。何が原因なのかは分からないけれど、私のパソコンのワードソフトが何かで変わってしまったようだ。

 今日は大和塾の代表の会社に行って印刷してもらったけれど、次回もという訳にもいかないから、何とかしなくてはならない。昨日のチラシの中に、「同じことを100回聞かれても笑顔でお答えします」というシニア向けのパソコン教室のチラシがあった。ここに電話して通うのが一番かな。ただ、パソコン教室の多くはカリキュラムがあって、積み重ねていく形を取っているので、「分からないことだけを教えて欲しい」という私のような者を受け入れてくれるかである。

 昨日までの暖かさがウソのように、冷たい北風が吹いている。「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人は言うけれど、今日は全く逆の現象だ。今年の初めの予想では、桜の開花は遅くなるだろうと言われていたのに、このところの急激な温かさでいっ気に早まった。東京に続いて名古屋でも昨日、桜の開花宣言があった。東京の上野公園は既に見ごろになってきているそうだが、今日の寒さで花見の期間はまだ先に延びるのかも知れない。

 毎年思うけれど、花見の時期を当てるのは難しい。梅や椿を見に行っても、ちょうどよい時期になったことはない。それでもだんだん暖かくなると、花ショウブやアジサイやアサガオなどは開花時期が長いのか、見事な時に出会うことがある。ヒガンバナはどんなに暑い日が続いても、やはりお彼岸には見られるようにも思う。我が家のチューリップもかなり伸びてきた。開花はいつも4月10日頃からで、春の嵐が来なければだいたい1週間は咲いていてくれる。

 カミさんと誕生日会の男たちはこの強風の中でゴルフだ。夕方には反省会のお誘い電話が入り、ゴルフをしない私も参加して飲み会になる。のんびりと『今さら聞けない短歌のツボ100』でも読もうと思っていたのに、もうすぐ午後4時になりそうだ。パソコン教室へ通う前に、懇意にしてもらっているパソコン屋さんに行って来たいが時間は大丈夫だろうか。

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