友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『オーサー・ビジット2009』

2009年10月31日 21時44分59秒 | Weblog
 読書週間なのか、朝日新聞に『オーサー・ビジット2009』という特集が掲載されていた。作者(オ-サー)が全国各地の学校を訪問(ビジット)するという事業である。今回、訪れた作者は、瀬戸内寂聴さん、岩井俊雄さん、桂文我さん、俵万智さん、後藤道夫さん、亀山郁夫さんの6人だった。記事を読むと、NHKテレビでやっていた(?)先輩が母校へやって来て行なう授業のように思った。テレビでは小学校へ出かけていくのだが、このビジットは小学校だけでなく、中学校や高校もある。「まちのオーサー・ビジット」もあった。

 ふと、私が高校生の時を思い出した。私はキリスト教会に通っていた。新聞部にいて将来は新聞記者になりたいと思ってもいた。生徒会長でもあった。政治と教育には深い関心があり、高校1年に読んだ矢内原忠雄著『政治と人間』に感銘を受けていた。購入した年月日は1960年8月27日となっている。高校に入学したばかりの時に、“60年安保”が起きた。この本はそんな状況の中で「民主主義とは何か」「教育とは何か」をキリスト者の立場から書いていた。矢内原氏は内村鑑三氏の教えを受け継ぐ人であった。

 著書は各地での講演を集めてあったので、私は「わが校の文化祭に来てお話して欲しい。文化祭がダメならご都合の良い時を教えてくだされば学校と交渉して講演会の段取りをします」、そんな趣旨の手紙を書いて送った。東大総長を務めた人が来てくれるのに、いくら頑固な校長でも許さざるを得ないだろうと考えた勝手な行動だった。ところが返事がなかなか来ない。ダメなのかなと思っていたら、息子さんの矢内原伊作氏から忠雄氏の体調が優れず出かけることは出来ないという手紙が来た。あの時は、全く気が付かなかったけれど、伊作氏の自筆の手紙を持っているだけでも貴重なのに、あの手紙はどうしてしまったのだろう。

 小学生を相手に話した瀬戸内寂聴さんは黒板に1)まんが本、2)おもしろい本、3)ためになる本、4)むつかしい本、5)すきな本と書いて、「まんがは私も好き。好きな本から読みましょう。面白いという本は自分もそう思うか読んでみるといい。ためになる本はきっといいことが書いてあるはず。むつかしい本は読まなくてもいい」と話している。また、中学生以上のまちの会場では、「恋と愛の違いは?」「恋は永遠ですか?」の質問に、「恋は愛するだけでは足りず愛されることを求めるのね。仏教で『慈悲』と呼ぶのが愛。見返りを求めないの」「恋愛は残念だけど永遠じゃないわね」と答えていた。

 中学生を相手に話した俵万智さんは、生徒たちが「夏の思い出」か「恋」をテーマに詠んできた作品を講評し、「恋の歌にビビッドな作品が多く、夏の思い出は観念的だったのは意外だった」と話す。「付き合わない だっていつかは 別れるから 終わらないように 始まらせない」という歌には「哲学を感じました。でも、恋はしないより、した方がいいですよ」と言う。記者は「さらっと言える俵さんがまぶしい、恋に恋する中学生たちだった」と結んでいた。

 私は私自身を振り返り、まだ10代から抜けきらない恋愛初心者みたいだと思った。
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筧忠治と三岸節子

2009年10月30日 22時43分15秒 | Weblog
 三岸節子記念美術館で『筧忠治展』をやっている。紙にインクで描かれている自画像のポスターを見て、どうしても展覧会を観ておきたいと思った。彼の自画像はどれも眉間に皺をよせ、目は光り輝き、唇をグッと閉じた恐ろしい血相をしている。意志の強い、「負けんぞ!」という気持ちが顔面に出ている。いったいどんな人なのかと興味深く思った。

 筧忠治氏は明治41生まれとあるから、私の両親とは同世代である。展覧会の会場には彼の若い頃から40代、そして70代と90代の写真があった。見ると華奢な人だ。自画像に見られるような雄々しい力強さは感じられない。自画像に描いた激しいほどの闘志はいったい何だろう。

 展覧会場で売られていた図録を眺めてみた。現在の一宮市で生まれたが、父親の織物事業は好調で、名古屋へ進出を図り、そのため前津尋常高等小学校へ転校している。「父が買ってくれたクレヨンや色鉛筆で、(略)もっぱらひとりで遊んでいたという」。ところが、彼が13歳の時、父親はスペイン風邪にかかり死去してしまう。14歳で名古屋市立第3高等小学校を卒業した彼は愛知県の採用試験に合格し、愛知県測候所勤務となった。

 やはり絵を描くことが好きだったようで、その頃から油彩画をはじめている。18~19歳の時に鈴木不知研究所にも通っている。20歳で兵役検査を受けるが近眼のため丙種合格とあるから、戦場へ送られることはなかったようだ。カッと見開いた自画像の目は近眼が故なのかもしれない。測候所に勤務する傍らで絵は描き続けていたようだが、発表はしていない。41歳の時、初めて中部美術展に出品した『虫眼鏡を持てる老母』が話題になる。翌年、光風会展に石版画『ジャガイモ』とペン画『自画像』を出品するが、『自画像』は落選となった。

 以来、60歳の定年退職するまでどこにも出品していない。80歳代となって再び自画像の製作を始めている。全貌展が企画開催されたのは1998年の刈谷市美術館で、筧忠治氏は90歳となっていた。私が彼の名と作品を知ったのは2000年に一宮市博物館で開かれた展覧会だったが、出かけるチャンスを失くした。

 今回の『筧忠治展』を開催している三岸節子記念美術館は、もともと地元の女流画家三岸節子氏の作品を展示している美術館である。節子氏も60歳代にフランスに渡り住み、80代の時にはフランスの田舎の村に家まで買って暮らしている。いみじくも、ほぼ同じ時代に尾張の西部で生まれた2人の画家は、60代70代そして80代いや90代まで、画家として活躍している。しかも晩年になるほど感心する作品を作り出している。

 展覧会を観て、人の生き様は気持ちの持ちようだと思った。人は死に向かって生きていると以前に書いたけれど、単に死に向かっているわけではない。どこまでも自分はどう生きていくのかを見出そうとしているのだ。
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若さがちょっと羨ましかった

2009年10月29日 19時38分59秒 | Weblog
 昨夜、塾に孫娘を迎えに行く時に若い夫婦とエレベーターで一緒になった。「お出かけですか?」と声をかけてくれたので、「これから孫娘のお迎えです」と答えた。「大変ですね」「仕方ないですよ」。そんな話が続き、私が2人を見つめると、「これから、ふたりでコーヒーを飲みに行くところです」と言う。「へえー、それは素敵ですね」と私。この夫婦には小学校5年生の男の子を筆頭に4人の子どもがいる。「一番下の子は『ママと寝る』と言ってましたが、眠ってしまったので、そおっと出てきたんです」と笑う。

 夜半にこうして2人で喫茶店に出かけることを微笑ましく思った。「この時間には、ふたりで川まで歩いたりもしているんですよ」と言う。時々、塾へ迎えに行った帰りにその姿を見かける時があった。ジョギングをしているのだなと思っていた。ダンナの方がちょっと太り気味になったとかで、昼間は仕事で歩けないけれど、夜間なら出来るということなのだろう。カミさんは色白の美人で目の大きな可愛い人だ。150センチないくらいの小さな身体で、子どもなど生むことは無理なのではと思えるほどスリムな体型である。

 ダンナの方の両親とは長い付き合いで、彼を小さい頃から見てきたが、今は立派な社長になった。ダンナの父親は一代で今の会社を興したやり手だったが、ダンナの母親はさらに人の使い方が上手な人だ。父親は一見するとヤクザに見える風体をしていて、みんなが怖がったけれど、彼をよく知る私は、わざとそう見えるようにしていると思った。

 ある晩、かなり遅い時間だったが、彼のアメリカ車が、私の小型車を抜き差って行った。深夜で見通しが良かったから、彼は交差点の信号を無視して走っていったのだ。私はいたずら心を覚え、彼の車を追った。彼が車を駐車した時、映画でよくあるように、その車のすぐ後にライトを付けたままで駐車して、「信号無視で逮捕する」と怒鳴った。すると、彼の顔から一瞬血の気が引いた。意外に小心者なのだと思った。私だと分ると「脅かすな」と怒っていたけれど、内心はホッとしている様子だった。

 彼は酒が飲めなかったし、ギャンブルもしない、そういう点で真面目な男だった。取引相手には結構大ボラ吹きだった。離婚したと聞いたけれど、今はどうしているのだろう。同じ歳だけにちょっと気になる。彼のカミさんは時々孫たちのところに来ているので、立ち話くらいはするが、ダンナの様子を聞いたことはない。2人は私たちと同様に学生時代の知り合いで結婚し、熱い思いで生きてきたが、それぞれが終わりの時を迎えようとしている。

 その子どもが嫁さんと連れ立って、夜半にコーヒーを飲みに行く。孫娘にその話をしたら、孫娘は「ふたりだけの時間を大切にしているんだね」と言う。素敵なカップルの後姿を眺め、若さがちょっと羨ましいと思った。
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自分の幸せが他の人の不幸につながるなら

2009年10月28日 21時52分33秒 | Weblog
 先の合宿の時、「近頃、年取ったなと思うんですよ」と私よりも20歳近くも年下の仲間が言う。それりゃー、確かに40代にもなれば老眼になり、文字を読むにも見づらくなる。近眼の人なら、メガネをはずしたり掛けたり、イライラすることもある。「徹夜をすると身体にこたえるんです」などとも言う。気持ちは少しも変わらないのに、身体は確実に衰えていく。

 でもね、そんなことは自然なこと、別に感心するようなことでもなければ、嘆くようなことでもないと、60代になれば気が付くと思う。人は何に向かって生きているかと言えば、死に向かっていることは確かなことだ。みんな生まれた時から、死に向かって生きている。生まれてすぐに死が訪れる人もいれば、60年70年の歳月がかかる人もいる。

 還暦を迎える頃になると、人生というものはそういうものなのだと思うようになる。もちろん、自分から早く死にたいと願う人は稀だ。中学3年の孫娘は「早く年寄りになりたい」と言うけれど、「早く死にたい」とは言わないし思ってもいないだろう。早く歳をとれば、ジジババのように自由気ままな時間が訪れると勘違いしているのだから。実際に年寄りになっても何もいいことなどはない。

 働く場所、つまりは自分の力が発揮できる所がなくなるということは、自分の存在価値がなくなることに近い。働き方やその内容でも、あるいは人によっても、受け止め方に違いがあるとは思うけれど、自分が人から必要とされなくなることは人間には一番つらいことのように思う。若い時は、何をやっても面白く、何をやっても充実した思いを抱いていた。人とのつながりがうまれ、そのことで幸せを感じていた。

 歳をとれば、人から必要とされなくなる。だからこそ自力で自分の生き甲斐を見つけ出そうとする。新しいことに挑戦しようとする。若々しい年寄りは疎まれることが少ない。そんな風に人は最後まで努力しながら生きている。努力することが生き甲斐となり、そうすれば幸せがやってくると信じている。

 力があり他人もそれを認めているけれど、自分ではなぜか生きていくことに不安を感じる人はいる。今年生誕100年を迎え、『ヴィヨンの妻』『人間失格』などの映画が作られている太宰治もそんな一人だと思う。一緒に死んでくれた女性がいた太宰は幸せ者である。けれども、女性は本当に幸せだったのだろうか。もし、自分の幸せが他の人の不幸につながるようなら、それはわがままでしかない。少しくらいのわがままなら目をつぶってもらえるかもしれないけれど、耐えられないようなら、できるだけ早く気が付くことだ。

 11月に生涯学習講座で『太宰生誕100年』が開かれる。受講するつもりでいる。
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鳩山首相の所信表明演説

2009年10月27日 21時49分07秒 | Weblog
 鳩山政権が誕生して41日目の昨日、臨時国会が開会され、鳩山首相が所信表明演説を行った。演説は52分におよび、およそ1万3千文字だそうだ。このブログは1千文字を目標に書いているので、13日分に当たる。この間の歴代首相の演説と比較すると約1・5倍の長さと報じていた。テレビニュースで拝聴した限りでは、力を込めて演説していると感じた。

 職を失い自殺した息子のことを話すおばあさんや、障がい者が働く工場を訪れた時の逸話など、「自分の言葉でわかりやすい」演説だった。鳩山政権が目指す政治は、「弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなくてはならない」と明確に述べていた。演説は具体的な政策を掲げるというよりも、鳩山政権がどんな社会、どんな国家を作ろうとしているか、その基本的な考えを示すことに重点が置かれていた。初めての国会での始めての所信表明演説だ。政治理念が先行したとしても当然のことだろう。「ふわふわと耳に心地よい言葉が並ぶ」(朝日新聞の社説)ものであったとしても、基本的な方向は示されている。

 鳩山首相の演説に対する自民党議員の評価の低くは、「情緒的で具体性が何もない」「やれるものならやってみなさい」「4年前の郵政選挙直後の小泉政権のよう。ロックコンサートじゃあるまいし」と酷評だった。演説が終わった瞬間、民主党の新人議員が立ち上がり、それにつられてベテラン議員までも立ち上がり、アメリカ議会のように拍手喝采を送った。これを目の前にした谷垣禎一総裁は「まるでヒトラー・ユーゲントだ。ヒトラーの演説に賛成しているようだ」と言う。ヒトラーとか北朝鮮とかを持ち出す辺りの感覚は、その方が異常だと思う。

 それに、政権交代が実現し、その最初の国会で行なわれた首相の所信表明を、新聞のトップニュースにしないのか、そのことが不思議だ。朝日新聞も中日新聞も1面に載せてはいるがトップではない。いや、まるで芸能新聞の扱いである。それでも中日新聞は演説の全文を掲載しているが、朝日新聞は要約すらない。こんな風に扱いながら、国のあり方を論じる朝日新聞には落胆させられる。朝、フジテレビを少し見たが、やはり酒井法子の裁判がトップニュースだった。そのフジテレビは、「新聞各紙は酒井法子の裁判記事に、所信表明より多くの紙面を使っている」と嘆きとも皮肉とも取れるキャスターの発言を流していた。

 国民の政治への関心が高まったからこそ政権交代は実現された。一人ひとりの1票で政治も変わることを始めて実感した。それを一時的な“熱”ではなく、高めていく役割がマスコミにはある。首相の所信表明を酒井法子よりも小さく扱ってはならないだろう。マスコミにも国民の怒りをぶつけたい。そうしなくてはならないはずだ。
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無党派市民派・自治体議員と市民のネットワークの合宿

2009年10月26日 20時41分47秒 | Weblog
 『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』の合宿は三重県が担当して、場所は宮川の上流にある「奥伊勢フォレストピア宮川山荘」で行なった。随分遠いと思ったが、地図で見てみると、奈良県に近い。東名阪から伊勢自動車道に入り、伊勢神宮へ行く方向から分かれて山へと向かう。宮川の両岸は切り立った岩肌が川面に迫り、深い渓谷が美しい。

 そんな奥深いところにきれいに整備された庭と木造の建物がある。私たちはコテージで自炊だったけれど、一番大きな建物はホテルになっていて、その1階の奥にはガラス張りのレストランがある。地元の食材を使ったフランス料理が食べられるそうだ。観光バスも2台やって来た。日曜日のためか、訪れる人も多い。日帰り温泉を楽しむグループもあった。

 私たちはここの会議室を借りて、「情報公開の事例とその効果」と「住民監査請求の戦いと利用」の2本立ての勉強会である。夜は恒例になった懇親会で、地元のお酒を持ってきてくれたので、これを大いにいただいた。大型の電気ホットプレートを持ち込み、鍋料理を堪能させてもらった。野菜も米も自分のところで採れたものを持ってきてくれたから、新鮮でうまい。それにしても、実に手際のいい男の料理に感心した。

 飲みながら食べながら、話は尽きない。政権交代で自治体議会の自民党議員は陳情先が無くなって慌てているそうだ。確かに国民は、長く続いた自民党政権に「ダメ」を与え、政権交代を望んだ。けれども地方議会は依然として地域ボスや地域の利益代表が議席の大半を占めている。国政への強い関心が地方議会にも向けられるためには何が必要なのだろうか。地方議会が民主的な運営になることが本当に市民が主権者である政治を実現することになるとどう伝えられるのだろう。

 駅前開発とか地域の活性化とか、実際には必要のない事業を止めさせるにはどうするべきか。次々とある切実な課題に、時には二手に別れ、そうかと思えば全体の議論へ、形を変えながら話し合いは進んでいく。ふと、ガラスに映ったみんなの様子が見えた。そうか、私が飛びぬけて年寄りなのか、そう思った。50歳前後の人たちが一番多いから、皆私よりも15歳から18歳も年下だ。全然気にせずにやってきたけれど、もう引退してもいいのではと思った。

 立ち上げにかかわり、代表を務めたことからなかなか退会するとは言えなかったけれど、そんな馬鹿げた責任感が逆にグループの足を引っ張っているのではないか、そんな気がした。選挙にはもう出ないと宣言し、気のいい仲間と遊びほうけているのだから、今年限りで退会してもいいのではないかな。
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『方丈記』は何を伝えようとしたのか

2009年10月24日 21時50分10秒 | Weblog
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたるためしなし」。鴨長明の『方丈記』の冒頭である。今日の大和塾は高校の国語教師による講演である。高校生に戻った気分で拝聴したが、こんな風に授業を聞いていたのなら、もう少しよい成績が取れたのではないかと思っても後の祭りでしかない。

 講師は高校生の時に教科書の『方丈記』を学習し、「人生の無常を説く文章として有名だ、本当にそのように長明は、人生を達観して書いたのか」と、疑問に思ったそうだ。それで、大学で長明を研究したと言う。私は知らなかったけれど、『方丈記』の後の方の文章では「方丈の庵を作り、琵琶や琴を持ち込んで、いかにも人生は楽しいと言わんばかりに描いています」と今日教えてもらった。そして最後のところに「汝、姿は聖人にて、心は濁りにしめり」とあると言う。

 講師は長明の履歴から「“いじめられっ子”なるが故の切ない叫び」が底にあり、「“無常”とは“すべてのものがいずれは消滅する”ことだというとらえ方につながる」と話す。それは「かつ消え、かつ結び」というように「滅びるものが先に挙げられている」からと言う。そして、「長明は“末法”の世界を説くために、天変地異を掲げ、“無常”を説きつつ、一方でまた俗人として、生きたひとでした」とまとめられた。

 「無常を説きつつ、一方で俗人として生きた」のはなぜなのだろう。講師は長明が出世という点で報われなかったこと、そして度重なる天変地異から無常に行き着いたと説明する。丁度世は末法思想が蔓延していた。しかし、「一方で」となると平行していて直線ではない。私は、無常であるが故に長明は積極的に琵琶や琴を奏で、今を楽しんだのだと思う。だから「汝、姿は聖人にて、心は濁りにしめり」と自嘲できたのではないだろうか。

 講演の最初の部分で、無常とは「万物は流転する」と説明されたけれど、これにはオヤッと思った。「万物は流転する」と言ったのは古代ギリシャの哲学者(多分、当時はそんな言葉はないのではないかと思う)ヘラクレイトスだった。「万物は流転する」はいかにも無常を言い表しているようだが、ヘラクレイトスは変化こそが宇宙の根本と考えた。物事は変化していくということと、すべてのものは消滅していくとは大違いである。

 「万物は流転する」から「Aは、Aであると同時にAでない」とするヘーゲルの弁証法へとつながっていく。ヘラクレイトスの言葉にはこんなものもある。「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年、いずれも同一のものとしてわれわれのうちにある」。長明の「朝に死に、夕べに生まるる」とか「露落ちて花残れり」と共通するような“対”をなしている。対立する言葉を並べて、惹きつける手法だ。それは同時に言葉のリズムとしても心地よい響きがある。

 変化であろうと無常であろうと、現実の世界はきわめて多種多様だ。一見すると似ているようで似ていない、似ていないようで似ている世界だ。愛するも恋するも同じようなものなのに、言葉の響きは違う。何が本物なのかは感動があるか否かだと今日の講演を聞いていてそう思った。

 さて、明日は三重県で「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の合宿をするので、お休みします。
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オイディプス王のこと

2009年10月23日 21時38分56秒 | Weblog
 中学・高校からの友だちがブログで、連城三紀彦氏の『青き犠牲』という小説の読後感を書いていた。その中で、「女は喘ぎながらも体を離すまで、優しい微笑を顔に浸ませ続けた」という文章を引用し、「近親相姦をしている場面だと想像を働かせてしまう。私はそんなシーンを想像するだけで、反吐が出てきそうになってくる」と書いていた。女の子に誰かまわず声をかけていた男だったから、恋多き男と誤解していた。しかし彼は女性に優しいだけで、女性と親しくすることで充分に満足する男であったのだ。

 いや、そんな彼が先日のブログでは、連れの若い女性をしつこく口説いている男の様子を描写し、賢そうな女性が「一度だけよ」と受け入れたことにビックリしたことや、昔、清楚な女の子が遊び人の男に口説かれ、あっけなくOKをしてしまうことに驚きと憤りを覚えたことなどを綴っていた。しかも最後に、「『俺のこと好きだったら、いいだろう』と言った若者の気持ちが何故か羨ましく感じるようになった」と書いている。石のような堅物の男もようやく人の気持ちがわかるようになってきたのかと思った。

 私は連城三紀彦氏の『青き犠牲』は読んだことはないし、興味も抱かなかったけれど、連城三紀彦氏は興味を持った作家の一人で、『恋文』という作品が我が家にもある。男と女の気持ちの描写がうまい作家だと記憶している。私が「おやっ」と思ったのは、連城三紀彦氏の作品のことよりも友だちが「反吐が出そうだ」という文章のことだ。もちろん、彼の潔癖性はよくわかった。以前のブログでも、所帯持ちの自分が恋をすることは許されない行為だというようなことを書いていたからだ。

 私は、オイディプス王は母とは知らずに女性を愛し、子どもをつくってしまったのだと思うし、そもそも愛する行為は、血のつながりとか身分とか慣習とかにかかわりないことだと思っている。母と子が、あるいは父と娘が、そしてまた姉弟や兄妹が、肉体的な行為を持つことはありうる。それは日本書紀にもあるし、古代の言い伝えの中にも多数ある。自分とそれ以外の異性がごく稀にしか存在しない世界ではよくある事例に過ぎない。何しろ、初めてあった異性ならば心を引かれて当然なことだと私は思う。

 友だちは「反吐が出る」と言い切るけれど、男と女であれば、どんな形の愛があってもいいはずだ。オイディプスは母とは知らずに女性を真剣に愛したのだと思う。第3者の立場から見るから「反吐が出る」と言えるのだけれど、本当に愛し合っている者に誰が何を言う権利があるというのだろう。だから友だちは本当に人を心から愛したことがあるのだろうかとさえ思った。愛するということは、それに伴うリスクを負うものだ。どうにもならない醜い修羅場を負うこともあるはずだ。

 友だちは上司が紹介してくれた女性と結婚し、1男1女をもうけた。それでいて、初恋の人や13年以上も付き合っているSEXしない女性に、未だに恋をしている。でも、私はそれを彼らしいと思っている。それがいいとか悪いとかのレベルではなく、一人の男が到達した考えとして、そういうこともあると理解している。私は彼のように精神面だけで満足することは到底出来ない。

 シューマンの妻のクララに恋したブラームスは生涯独身をとおしたけれど、それは彼の愛情表現ではあるが、ふたりに肉の交わりがないとは私は思っていない。別に卑下するようなことではないと思うからだ。
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季節は秋へ

2009年10月22日 23時00分17秒 | Weblog
 街路樹のケヤキがすっかり黄色くなってきた。茶色に変わっているものもある。柿の実がますます色を濃くしている。我が家の鉢植えの金木犀は今もなお黄色い花をつけている。よく見ると、花の色は黄色から白色に変わり、あの甘い匂いは薄くなってきたが、それでもまだ花は付いている。我が家の金木犀だけが花のもちが良いのかと思ったが、あちこちで見かける金木犀もまだ花をつけている。

 金木犀が香る頃は、空は青く澄み渡り、空がこんなにも広く高いものだったのかと知る。気持ちの良い日差しとさわやかな風は、夏の重苦しさを忘れさせてくれる。ところが花粉症の人にはつらい季節である。今日の私はクシャミやなみだ目に襲われることもないから、いっそう気持ちのよい日になった。鼻をクシュンクシュンさせている人は気の毒だが、アレルギー反応は年齢によっても出たり出なかったりするようだ。

 新型インフルエンザが子どもたちの間で猛威を振るっている。孫娘の中学校もそして我が家の隣の小学校も学年閉鎖が続いていた。それでも、大人なかんずく年寄りの間では感染の話を聞かない。私の友人は「あまり日本人は騒ぎすぎてるんじゃないか。私なんか、毎晩アルコールで消毒しているから、風邪も引いたことがない。アルコールを飲んで、休む、これが健康第一ですよ」と言う。勝手な解釈ではあるが、あまり神経質にならない方がよいという点では正しいと思う。

 人の感じ方というものは随分と違う。会話を聞いているとその人柄が分る。「中日は強いですね」と言えば、「ホントに中日は強いですね」と言う。「青い空ですね」「雲ひつつないですね」「実にきれいですね」「天高く馬肥えるです」と続いていけばよいが、「青い空ですね」「ホントに青い空ですね」。「雲ひとつないですね」「ないですね」。「実にきれいですね」「きれいですね」。「天高く馬肥えるです」「そうですね」。こんな風に前の人が言った言葉をそのままオウム返しに言う人がいる。

 ケンカにはならないが、話しは発展していかない。相手に相槌を打つことで話を合わせているつもりなのだが、傍で聞いているとイライラしてくる。「あなたの意見を挟まないと会話は成り立たないですよ」と言いたくなる。それでも本人は相手の話の腰を折らないようにと気を遣っているのだからやりきれない。自分の意見を言わずにひたすら相手に合わせていることに気が付かないのだ。

 そうかと思うと、すぐに「もうダメだ」「これはデキン」「やってもムダだ」と決め付ける言い方をする人もいる。ダメならどうしてダメなのか、デキンと言う前になぜ出来ないのか、ムダの根拠は何か、説明して欲しいと思う。こんな風に否定的に言われては、やる気を失ってしまう。みんなで仕事する時ならば、これから意気投合して「さあ、やるぞ」という気にさせるにはどう言うべきかを考えて欲しい。

 自分の言葉が相手にどんな風に受け止められるか、これは難しいことだ。思いもよらぬ受け止めもある。人の感じ方はその人の人柄や考え方や仕事などいろんな要素で違ってくる。誠意を尽くすことが一番だろうが、会話しているとそこまで気は回らないことも事実だ。
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気持ちのよい秋晴れ

2009年10月21日 21時29分35秒 | Weblog
 明るく汗ばむくらい暑い秋の一日、気持ちはゆったりと満たされていく。朝晩の冷え込みに比べて日中は暑いほどだから、今年の紅葉は見事なのではないだろうか。気持ちのよい秋晴れなのに、民主党はなかなかスカッといかないようだ。来年度の予算は自民党の麻生内閣の時を上回りそうだ。「ムダを徹底的に無くす」というから、予算規模もグーンと引き締まった額になるのかと思っていたら、マニフェストに掲げた政策を実行すると戦後最大の予算規模になるという。

 それっておかしくないか。民主党は「予算の財源は、ムダを無くせばいくらでもある」と言ってきたのだから、ムダのものを無くせば逆に予算規模は小さくなるのではないのか。このまま、各省の要求を認めていくのであれば、いやそもそも、国民の目から見えないところでの折衝で決まっていくなら、自民党時代と同じではないのか。どんな風に予算を決めていくのか、自民党との違いをハッキリと見せなければ民主党離れも起きるだろう。

 自民党政治は国家の創造とは全く異なる、それぞれの利益で行なわれてきた。右肩上がりの経済であったので、そんな目先だけの場当たりな政治でも国民の目には「豊かさ」に結びついた。だから、自民党政治は続いてきたが、バブルの崩壊と共に行き詰まり、小泉さんの「自民党をぶっ潰す」改革(?)に幻想を持った。安倍・福田・麻生さんの余りにもお粗末な内閣が続き、国民は自民党政治の限界を悟った。

 だから、民主党に自民党とはあらゆる面で違う政治を期待している。すぐさま、思い通りの政治が実現できるなどとは思っていないけれど、少なくとも「公開」されていると感じられる政治を期待している。わけも分らないうちに、結局は消費税を7%、あるいは10%にするなどとならないように願いたい。

 90歳の男が「この世の中は金が全てだ。金で女も買える」と自慢していた。お金で動く女の人もいるだろう。甘いかもしれないが、お金では心までは買えないから、お金が無くなれば女は去っていくだろう。お金が大事だということも事実であるし、お金で結びつく人もいる。それを非難する気はないけれど、私は気持ちが通わない結びつきには全く興味がない。

 鳩山首相は「友愛」を口にするが、そういう形のないもの、目に見えないもの、心の中にあるものこそが大事なものだと思う。けれども、形のないものや目に見えないものでは国民は納得しないし、そんな精神論では実際に困る。鳩山さんと国民は、男と女の間柄ではないのだから、かなり具体的で現実的な説明が求められるのは当然のことだ。それでも、説明する側の人間に、形のないものや目に見えないものを大事に思う心があって欲しいと思う。
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