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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思わず笑えるからみんな観に来る

2025年05月31日 18時04分24秒 | Weblog

 名古屋市公会堂で行われた「吉本新喜劇」を観劇して来た。鶴舞公園のバラとショウブが見頃と言うので、早めに行って見て来た。鶴舞公園は随分様子が変っていて、花づくりに力を入れているようだった。

 私と同年くらいの年寄りが「全く雰囲気が違っている」と娘さんに言うと、孫娘が樹齢100年は超えている杉の大樹を指さして、「この樹は変わっていないでしょ」と言う。「そうだな、あった気がするが、昔の公園じゃーない」と答えていた。

 バラもショウブも若干寂しい(写真①と②)が、訪れる人は多い。バラの花を引き寄せて、匂いを嗅ぐのはおばあさんで、バラを背景に写真を撮っているのは若い男女だ。ショウブ池の周りは年寄りが多かった。

 公会堂に戻ると長い行列が出来ていた(写真③)。吉本新喜劇は人気があるようだ。館に入って、先に入場していたサダシ君に会う。私たちの周りの席は家族連れで、4人から6人ほどで来ている。入場料は6380円だから、6人で来ると38280円になる。

 不景気だというものの、みんな余裕はあるようだ。初めは漫才と漫談だった。1組10分くらいの持ち時間だったけれど、大いに笑わせてくれた。本命の舞台は「スチー」が主役の、いつものうどん屋が舞台。なんだかんだと笑わせてくれた。

 舞台もいいけれど、テレビの方がよく聞こえてよく見えるかも知れない。4・5歳の幼児もキャキャと笑っていたが、一瞬寝てしまう観客もいた。いつもどうりの筋書きなのに、やっぱり笑ってしまった。

 筋書きを思い出そうとしたけれど、吉本新喜劇は笑えればいいのだと気が付いた。理屈では無いし、辻褄も合わなくていい、思わず笑えるからみんな観に来る。どこが面白かった?と聞かれても答えに窮してしまう。

 サダシ君が「7月に御園座で、辻本茂雄の舞台がありますが、行かれますか」と訊いてくれたので、「お願いします」と頼んだ。7月の観劇まで、元気でいなくてはと、心を新たにする。

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明日は「吉本新喜劇」を観劇する

2025年05月30日 17時37分39秒 | Weblog

 中日新聞の尾張版に、時々利用させてもらっていた写真屋さんが、『ソロってますね!個人商店』で紹介されていた(写真)。スマホの時代になって、写真機を買いに来る人はいないし、プリントを頼みに来る人もいない。

 私はスマホで撮ってもプリントしたものが欲しくて、この店に行っていた。大して金にならないのに、「現像機を置いていて、大変だね」と、そんな話をした。「需要がある限りはやろうと思っています」と彼は言っていた。

 大きな儲けにはならなくても、続けている街の商店。そうした店があるから、住民は生活していける。地域新聞の使命は、そういう店を紹介することだと思って作ってきた。けれど、地域新聞は続かなかった。

 この記事は、一宮支局の若林和さんという記者が書いたものだ。いつか手紙を書いて、私が作って来た地域新聞の保存版を見てもらいたいと思っている。まだ、地域新聞の知名度が無い頃、議会を傍聴していたら、「おい、どけ。ここは記者席だぞ」と中日新聞の記者に怒られたことがあった。

 私が記者なら、議会の様子を訪ねたり、なぜ傍聴しているのかと取材するのにと思った。住民の意識と、議会で行われていることにはギャップがある。記者はそこを取材しなければ、議会を傍聴する意味が無い。

 写真屋の記事をコピーして、朝日新聞を購読している友だちの家に持って行った。庭の手押しポンプは新しいピストンになり、これまで以上に水が出ていた。もう、私たち「井戸掘りおたすけ」は必要無くなった。

 葬儀会社が主催する、静岡県の日本平へ観光バスツアーに、友だちと出かけていたカミさんが、無事に帰って来た。雨を心配していたが振られることは無かったようだ。私は明日、名古屋市公会堂で行われる「吉本新喜劇」を観劇する。

 私が吉本新喜のファンだと知った卒業生のサダシ君が、チケットを手に入れてくれたのだ。テレビで笑うのと劇場では、どんな風に違うのだろう。明日が待ち遠しい。

 

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午後3時30分、建物が揺れた

2025年05月29日 18時01分24秒 | Weblog

 なぜだか分からないけれど、すぐに眠くなるし、やる気が湧いて来ない。両手首が痛くて耐えられないほどでは無いが、親指の付け根が痛む時がある。老化が原因という説もあるようだ。痛いのは我慢できるが、痒いのは絶えられないと言う人もいる。

 身体の不調は何でも嫌なものだ。死んでしまえば全てが終わるから、早く迎えが来ないかと思うが、そういう人に限って長生きするらしい。新聞チラシの中に、どこかの寺院の樹木葬の広告があった。

 チラシを見ていたカミさんが「これもいいわね」と呟くので、「お墓が欲しいの?」と訊くと、「居る場所が無いのは寂しいじゃーない」と言う。生きてきた証を残したいようだ。私は子どもたちに、葬儀は要らない、火葬したら骨は拾って来なくいい、墓も不要、と言ってある。

 しかし、カミさんは墓が欲しいようなら、子どもたちに伝えておかなくてはと思う。どうするかは子どもたちが決めることで、逝ってしまう者は希望を伝えるしかない。そんなことを考える歳になってきた。

 庄内緑地公園にケヤキの大樹が枝を拡げていた(写真)。樹齢が100年以上あるようだ。庄内川の堤防の内側に、100年も前から立っていたのかと感心した。芝生の向こうで、新婚のカップルが記念写真を撮っていた。

 希望に満ちた新生活を陰ながら祝福する。お互いを見つめ合って、幸せな日々を夢見ていることだろう。美しかった花嫁・花婿も、50年60年と時が経てば、変わっていく。「相手に求め過ぎない」と、武田鉄矢さんが家庭円満のコツを説いていた。

 1日1日を楽しく過ごせるなら、それで充分だ。友だちが「手押しポンプのピストンが届いたので、夫がセットし、水が出た」と電話をくれた。卒業生がメールで、ランチを誘ってくれたのに、出掛けていく気力が無かった。

 今日の午後3時30分、建物が揺れた。「地震だ」と言うのにカミさんは、「エッ、私のせいかな」とのんびりしたことを言う。テレビを点けると緊急地震情報が流れた。南海トラフの地震はやっぱり来るなと思った。

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「何でもいいから、描け、描け」と言われても

2025年05月28日 18時03分27秒 | Weblog

 絵描きを目指した端くれとして、生徒に絵を教えてきた者として、この映画は観ておきたいと思った。映画『かくかくしかじか』は、漫画家として大成した女性と画塾の指導者の物語で、漫画家と絵描きの違いと共通点を考えさせる映画だった。

 私は小1から2年ほど、画塾に通ったことがある。高3の1月に父が亡くなり、国立大なら授業料は高くないからと教えられ、美術科を受験したいと先生に話すと、「受験まで石膏デッサンを毎日1枚、描きなさい」と言われた。

 受験の日、周りを見渡すと上手い人もいたが、自分のデッサンもまあまあだと思った。大学に入って描いた水彩画は、指導教官に褒められた。なのにいい気になって、絵を描くことを怠っていた。

 映画では「とにかく描け、何枚も何枚も描け」と画塾の先生である大泉洋さんが怒鳴る場面が多く出て来る。振り返ってみると、「とにかく描く」ことに徹すればよかったと思う。無心になって画布に向かうことがいかに大事が、今なら分かる。

 物を写すだけならカメラで出来る。画布で何かを伝えたい、だから構想を考えて、平面に絵を描いていく。大泉さんが演じた画塾の先生は、シュールリアリズムの画家のようで、繊細な写生を丁寧に描いていて、私が目指したような作品だった。

 けれど、「何でもいいから、描け、描け」と言われると、私はきっと「こんな画塾は辞めます」と言ってしまっていただろう。なぜ、何枚も何枚も描くことが大切なのか、教えることは難しい。

 漫画家となった主人公は、死を直前にした恩師に会い、画家では無く漫画家になったことを詫びる。恩師は最後まで「描け、描け」と呼びかける。画塾の卒業生たちは、昔を懐かしむと共に、今日ある自分たちの基礎が恩師の教えにあったと気付く。

 大泉の演技は飽食気味だったが、女子高生から人気漫画家までを演じた永野芽郁さんは熱演だった。いささか気分が重かったが、庄内緑地公園まで行きバラ園を見て来た。「もっと早く来るべきだったね」とカミさんは言う。芝生の上で裸になって、読書しているオジさんがいた。暑い、暑い。

 

 

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なかなか思い通りにはいかない

2025年05月27日 17時15分27秒 | Weblog

 昨日の夕方、西の空は美しい夕焼けだった。「こんなにキレイな夕焼けだから、明日はきっとゴルフ日和だよ。スマホで撮って、友だちに知らせてあげたら」と、カミさんに言った。カミさんは「凄くキレイね」と、ルーフバルコニーに出て写真を撮っていたが、友だちでは無く家族に送っていた。

 カミさんは朝、4時に起きて重いゴルフバッグを担いで出かけて行ったようだ。私は布団の中で、大きな音を寝ながら聞いていたから、本当のところはよく知らない。ゴルフをやる人は朝早くから出掛けて行き、本当に物好きだな人たちだと感心する。

 私は今朝、早くからルーフバルコニーに出て、植木に水を遣り、掃除をする。洗濯物を干し、食洗器を動かし、昨夜、煮汁を零したので床を雑巾かけする。燃えないゴミを袋に詰める。気になっていた家事を片付けようと、よく働いた。

 どうもそれがいけなかったのか、午後2時を過ぎると雨が降って来た。今日は「ゴルフ日和」と、出かけて行ったカミさんに申し訳ない。きっと、「本当にいい加減なんだから」と怒って帰ってくることだろう。

 「夕焼けを見たら、翌日は晴れる」と言い伝えられて来たのは、間違いだったのだろうか。それとも私が、勝手にそう信じ込んでいたのだろうか。今朝、テレビの天気予報はどう言っていたんだろう、聞き逃してしまった。

 書店から「ご注文のあった本が入りました」と電話があったので、雨の中、書店に出かけた。このところ毎日のように中日新聞の書籍広告に出ていたから、入荷が早くなったようだ。手にして、これは子どもに書き方を教える本だったのかと分かった(写真)。

 私がブログの文章を書く上で気を付けているのは、800字程度にまとめる。同じ言葉を繰り返さない。分かりやすい表現にする。漢字の間違いや脱字が無いこと。それでも後になって、アレッと思う時もある。なかなか思い通りにはいかない。

 午後5時、カミさんが帰って来た。「今日はとっても楽しいゴルフだったわ」と、上機嫌だ。

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ドクダミはきっと抜き取られてしまうだろう

2025年05月26日 18時04分06秒 | Weblog

 マンションの庭の一角で、ドクダミが生い茂っている(写真)。真ん中の黄色い棒を包む白い十字形を花だと思い、名前の割に可愛い花だと思っていた。群生のドクダミを見ると、清楚な感じで夏が来たなと思う。

 けれど、名前はドクダミである。繁殖力は強く、どんどん増えていく。「雑草」と決めつけている人は多く、雑草駆除のために抜かれてしまう。可哀想に思うのは、私だけかも知れない。

 子どもの頃、我が家にもドクダミが庭の隅に生えていた。母は、ケガをした時だったか、デキモノが出来た時だったか忘れたが、ドクダミをすりつぶして手当てしてくれた。

 「ドクダミは大事な薬なんだよ」と言った母の言葉が、ドクダミに愛着を抱かせたのかも知れない。それにしてもなぜドクダミなどという名が付けられてしまったのだろう。ドクダミを触っても被れたりはしないのに、毒でもあるように思われてしまう。

 相手をよく知らないのに、「朝鮮人」と毛嫌いしたり、肌の色が黒い人を知能の低いドレイと決めつけたり、人はなぜか差別することで優越感を持とうとする。

 日曜日のテレビドラマ『キャスター』が、最終回に向かうようだ。当初は政界の悪に切り込む社会派のドラマの印象だったが、回を重ねると阿部寛の演ずるキャスターが、なぜか鼻を衝くようになった。正義とは何か、正義の為なら何をしてもいいのか、考えなくてはならないと思う。

 昨夜は臓器移植を取り上げていたので、移植の是非を巡って言い合ったことを思い出した。移植で助かるなら推奨すべきと言う友人に、身体の欠陥も神の思し召し、受け入れるべきだと私は言っていた。けれどもし、我が子が臓器移植で助かるというのに、そんな主張が出来るだろうか。

 雑草もまた必要なものかも知れない。でも、ドクダミはきっと抜き取られてしまうだろう。分からないことばかりだ。

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全ての人が安心して暮らせるように

2025年05月25日 17時40分31秒 | Weblog

 新緑の季節。私の住むこの街も以前、カエルの鳴き声が喧しかったのに、今は車の音ばかりだ。尾張地方は木曽川から水を引く、豊かな水田地帯だった。用水の管理は農家の重大な仕事で、水を求めて争いもあったと聞いた。

 水はどこまで来ているのだろうと思い、近くを見て回ったみた。田んぼに水はあるが、田起こしもせずに放ってある農地が各所にある。稲は植えられていないし、植える予定も無いような荒れた農地が目に付く(写真)。

 米不足が話題になっている。米の値段は「5キロ4000円以上する」と、カミさんは言う。新しく農水大臣となった小泉進次郎さんは、「5キロ2千円台にします」と言い切った。備蓄米の放出を手っ取り早くするために、「競争入札ではなく随意契約にする」と。

 我が家は農家では無いので、米がどう生産され、どう販売されるのか、全く知らない。知り合いは農家なのに農業はせず、サラリーマン生活の人が居る。農地は全て農協に任せているそうだ。しかし、「農協は農家を食いものにしている」と不満を口にする。

 種も肥料も農協から買わなくてはならない。金は農協に預け、農協に管理されている。農協は農民の生活を守る組合だったのに、金貸し業で農家を支配しているとまで言う。不作に備えた備蓄米も、農協の倉庫にあるようで、農水省の指示で管理されてきた。

 米の値段が高くなって、誰かが儲けていたはずなのに、生産者である農家が潤わないのはなぜなのだろう。小泉新大臣はこの仕組みにメスを入れるようだが、果たして上手くいくのだろうか。利益を得ていた者たちは必ず抵抗するだろう。

 見渡す限りの荒れた水田は異常な光景だ。手を入れなければ、農地は元に戻らない。たかが、花を育てていただけの私でも、何も世話をしなければ花は咲かないことを知っている。この世はいろんな仕事の人で支えられている。

 農家の人も、工場で働く人も、人々の生活が上手く回るように働いている人も、全ての人々が安心して暮らせる社会にして欲しい。

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ふたりとも言い合いながら手入れする

2025年05月24日 17時53分09秒 | Weblog

 友だちから「手押しポンプの具合が悪い」と、電話があったので見に行った。既に彼女のダンナによって、ピストンは引き上げられていた。見ると、やはりピストンの弁が千切れていた。弁だけ替えることも、ピストンごと替えることも出来ると説明する。

 「どこで買うの?」と聞かれ、「東邦工業という手押しポンプを製造している会社」と答える。「インターネットでも買えるかも知れないな」とパソコンを操作し、「Amazonで買えそうだね」と言うと、カミさんの方が「楽天にして」と指示する。

 「楽天ならポイントが付くの。それに、支払いは私なんだから」とその理由を話す。いやはや、どこの家庭も同じだ。真面目だから損得を考えない夫と、すぐ損得の計算が出来るしっかり者の妻、いい組み合わせだからやっていける。

 私のブログをチェックしてくれている彼女が、「白内障は大丈夫なの?」と心配してくれる。6月に手術を受ける経緯などを話していると、「また、花づくりを始めるのね」と言うので、本意で無いことを説明してしまった。

 ローズガーディンで買ったバラの鉢が安かったこと、そのために植え替えてやらなければならなくなったいきさつや、スパーで捨てられそうなバラとクチナシを買ってしまったことを話した。「花が好きなんだから、身体を動かすいいチャンスね」と活き活きして言う。

 彼女の言う通りだ。家に居れば何もせずに本を読むかゴロゴロしているだけだ。ルーフバルコニーに出れば、バラの苗が気になって、水を与えたり、枯れた葉を切ったりと、自然に身体を動かしてしまう(写真)。

 友だち夫婦に出会って、もう何十年になるのだろう。彼女に出会っていなければ、地域新聞の発行も出来なかった。友だちの家の庭は、新緑が美しい。ふたりで「私が」「僕が」と言い合いながら、手入れしているのだろう。

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そんなことを積み重ねながら生きている

2025年05月23日 19時04分27秒 | Weblog

 左目が霞んでいるみたいで、運転していてもよく見えていない。眼科に行こうとするとカミさんが、「午後にして!」と言う。午後に行って正解だった。午前中は結構混んでいるが、午後は空いていた。

 いつもなら診察時間も僅かなのに、今日は何度も診察され、所要時間を合計すると1時間ほどになった。結論から言うと、白内障の手術を6月に行うことになり、手術の20日前に血液検査などを受けることになった。

 右目の白内障手術の時、なぜ左目は手術されなかったのかと疑問に思ったが、とにかくこれで、よく見えるようになればそれでいい。白内障は年齢とともに、発症率が高くなるのだろうか。ここまで生きてきたのだから、見えなくなることだけは避けたい。

 そう言えば、太宰治の短編集の中に、盲目の少年を讃える箇所があったのを思い出した。

 「(彼は)朝も昼も夜も、幾日も幾月も、何も見ていないのだ。不平を言ったり、癇癪を起こしたり、わがままを言ったりして下されば、私もうれしいのだけれど、何も言わない。不平や人の悪口言ったのを聞いたことがない。その上いつも明るい言葉使い、無心の顔つきをしているのだ」。

 こう綴っているのは少年と同じ歳の女生徒で、思春期の憂鬱さに悩んでいる。「顔を畳にくっつけるようにして、身体をくねくねさせて、笑いむせぶのだ。可笑しいことなんてあるものか。そうして大袈裟に笑い伏すのが、何か上品なことだろうと、思い違いしているのだ」と中年の女性を批判する。

 「こんな階級の人たちが、いちばん悪いのではないか。いちばん汚い。プチ・ブルというのかしら。小役人というのかしら」と軽蔑しながら、「そんな気持ちを、みんな抑えて、お辞儀をしたり、笑ったり、話したり」「まるで嘘ついて皆をだましている」。

 確かに人は、そんなことを積み重ねながら人は生きている。まだ、本は読めるし、パソコンに向かうことも出来る。有難いことだと思う。

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世界がお互い様と気付くまで

2025年05月22日 17時24分23秒 | Weblog

 私が勤めていた高校の昭和47年卒業生から、「9月か10月にクラス会を開きたいので、ご都合を教えてください」とメールが来た。すぐに返信しようとしたのに、パスワードが間違っていると表示されて送れない。

 同じクラスの生徒で、私が電話番号を記録してある家に電話するが、留守番電話になっている。それで、文面を作りFAXで送った(下)。今日、電話があり、1件落着する。あの子たちも今年71歳になる。まだ現役で働いている人もいると言う。

 「先生、お変わりありませんか?」と聞かれ、「まあまあ、生きてるよ」と答えたが、卒業してもう53年も経つのかと感慨深い。たった3年の短い間だったのに、こうしてクラス会への都合を尋ねてくれ、先生冥利に尽きる気がする。

 私が卒業した高校は田舎の名門進学校で、『坊ちゃん』に出て来るような、人生を語り合う雰囲気は無かった。私は教師になったからは、生徒に近い存在の教師を目指したかった。でも、彼らには私がどんな風に見えていたのか分からない。

 カミさんからよく、「あなたは思い込みが激しいのよ」と指摘される。要は観念的だという訳だ。確かのその傾向は今も続いている。恋愛はこういうもの、男と女はこういうもの、家族はと、理想像を描いて、当て嵌めようとしてしまう。

 女性は女神のようなもので、軽々しく触れてはならない。男性は下僕だから触るには、許可を得なければいけない。そんな風に頭の中で、勝手に神格化していた。長く生活を共にしてみると、女性は身勝手で自分本位な性格だと分かってきた。そうなると、お互い様かと気が付く。

 アメリカのトランプ大統領は、自分が言えば皆従うと思っていた。しかし、誰にも思惑があり損得がある。ガザの停戦も、ウクライナの侵攻も、止めることが出来ない。世界がお互い様かと気付くまで平和は訪れないのかも知れない。

 

「ありがとうございます。

私は今、何もしていないので、いつでも大丈夫です。

皆さんの都合で決めてください。

81歳の高齢者なので、いつまで元気でいられるか分かりませんが、

クラス会までは頑張ります。」

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