友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

植木鉢の3分の2は割れた

2009年03月07日 15時13分07秒 | Weblog
 昨日は雨降りだったけれど、外壁塗装のための足場作りは行なわれた。若い現場監督は「多少の土ならばクレーンで運ばせます」と約束したとおり、現場のこれまた若い作業員に、「ここに出ている植木鉢は全て下に降ろして」と指示していた。相手の作業員は「これ全部ですか?」と聞き、「割れてもいいですかね」と聞きなおしていた。若い監督は「ああ」と小さくうなずいて見せた。

 足場の組み立てのための材料をクレーンで持ち上げ、我が家のルーフガーデンへ降ろす。帰りは空なのだから、植木鉢を載せて降ろしてくれてもよいのではと素人考えでお願いしたものだ。業者としては面倒なヤツだったかもしれない。けれども、もしこれがマンションではなく一般の家の工事ならば、業者は発注主の願いを聞くだろう。本当は出来ないことだけどやってあげるということではないと思う。

 それでも我が家としては大助かりだ。鉢の土はビニール袋に詰め、それも重たすぎないように分けておいた。空の鉢は束ねれば重いけれど、1個ずつ運べば私たちでもできないことはない。けれども植木が植わったままの6個の鉢は1人では運べない。一度にクレーンで運んでくれるのは誠にありがたい。

 どんな風に運ぶのかと思って作業を見ていた。この作業にかかわるのは先ほどの作業員1人しかいない。1人で運ぶのは無理だよと言ってあったが、結局は作業分担が決まっているから、誰も余分な仕事はしたくないようで、手伝う様子もない。作業員は余りの重さにヘトヘトになりながら、大きな風呂敷のようなシートの上に鉢をおいていく。軽い鉢の時はきちんと並べていたけれど、重すぎるものは放り投げるような具合だった。一度ではとてもすまないから、何度もクレーンは往復した。

 下で植木鉢を受け取るつもりだったけれど、雨降りでは仕方ない、お任せすることにした。逆にお任せして正解だったと後で思った。午後3時過ぎに雨がやんだ。降ろした土や鉢、そして植木が植わったままの鉢を片付けなくてはならない。降ろしてくれた現場を見て唖然とした。確かに上の作業員は「これからゴミを降ろすから」と、下にいるクレーン操作者と話していたが、下には作業員という人はいなかったのだろう。

 クレーンから下ろされた鉢や土や植木は、そのままゴロンと投げ出されて山積みとなったのだ。写真に撮っておこうと思ったが、その気力も失った。とにかくこの「ゴミの山」を早くきれいにする必要がある。「割れてもいいですかね」の言葉どおり、空にした鉢の3分の2は割れてしまった。植木が植わったままの6個の鉢は無事だったけれど、4個は植木が鉢から飛び出し枝も折れていた。割れてしまった鉢は細かく砕いて燃えないゴミ袋に入れ、指定の場所へ運ばなくてはならない。

 孫娘とその友だちにも手伝ってもらい、作業にかかる。せっかく分別したのだから土も運べばいいじゃないとカミさんが言うので、土と空になった鉢は長女の家へと運んだ。3時からでも雨が上がったから作業ができたけれど、雨が続いていたならずっーと放置されたままで、住民の皆さんからヒンシュクを買ったかもしれない。そんなことを考えると、天は助けてくださったのだ。

 けれども、今度は右手首ばかりか左手首まで痛くなってきた。
コメント
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