友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

生徒会選挙のポスター作り

2009年03月11日 21時45分34秒 | Weblog
 孫娘がまた生徒会役員に立候補するという。今度は副会長だそうだが、「定員2人に対して男の子が1人と女の子が2人なので、厳しい選挙だ」という。「えつ、どうして?」と聞いてみると、会長に立候補しているのは女の子1人だから、副会長には男の子が入るだろうから、そうなると女の子同士で争うことになるという分析である。

 私の選挙の時よりもしっかり情勢分析をしているような気がする。祖父としては当然孫娘を応援したくなる。「それで、立会演説の原稿はできたの?」と聞くと、「ウン、担任に見せて、それから生徒会顧問にも見せなきゃいかんから、ホントにめんどくさい」とぶつぶつ言いながらも見せてくれた。

 どうして立候補するのか、生徒会で何をやるのかが抽象的ながら述べてあり、楽しくできるか?という質問に、yes,we can!とオバマ大統領のキャッチコピーを入れている。へぇー、なかなかやるじゃん。「うまくできてるんじゃないの」とほめる。そして「最後のyes,we can!の前に、みんなで力をあわせれば必ずできると入れたらどうかな」とアドバイスをする。

 私も中学で生徒議会の議長、高校で生徒会の会長をやったけれど、どういう気持ちからだったのかと考えてみた。中学の時はなんとなくだったように思うが、高校の時は学校を変えたいという気持ちが強かった。中学の時、市内の中学校と高校の生徒会役員が全員揃った会議があった。その席で、私が進むことになる高校の生徒会の人から、「生徒の自主性と言いながら、結局は先生たちの手のひらの中の、先生たちに都合のよい生徒会じゃーないですか」といった発言があった。

 高校生はすごい、まるで大人だと感心した。自分が高校で生徒会をやるんなら、生徒が主体となる生徒会にしよう、そう思っていた。新聞部でまず高校は予備校なのかという疑問を投げかけた。すると校長室に呼び出され、注意を受けた。それなら自分たちで新聞を作ろうと企画して、学校の中で配るのはまずいだろうからと、登校してくる時に配る手筈までした。生徒会の実態は、中学の時に先輩が批判していたままで何一つ変わっていなかったし、生徒会長に当選はしてもそれを変えることはできなかった。

 昨夜遅く、孫娘が「(選挙)ポスターはこういうふうでいいかな?」と持ってきた。このままではもうすぐ日付が変わってしまう。手伝うより他ない。オバマ大統領の写真を貼り、真ん中にyes,we can!を入れるというアイディアはいい。早速インターネットで取り出し、何枚かの写真を組み合わせた。なかなかの出来だけれど、担任は「あなたの写真か似顔絵を入れなさい」と指導されたと言う。

 それはもっといいアイディアである。すぐに友だちに頼んで似顔絵を描いてもらって貼ったという。演説の文章も何をやるか具体的にした方がいいと言われたそうだ。いい担任ではないかと感心した。金曜日が立会演説会だそうだが、果たしてどんな結果になるのだろう。
コメント (3)
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