友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生は出会いである

2010年12月30日 18時34分47秒 | Weblog
 今日で今年のブログも最後である。明日から1月3日までお休みだ。中学時代からの友だちとブログを続けようと約束したのは何時だったか。彼は毎日欠かさずに書き続けているが、私は時々お休みしている。それでも1年350日くらいは書き続けているのではないだろうか。このところ滅多に風邪など引いたことがなかったのに、一昨日の朝から咳が出て喉が痛いから、風邪の前兆かもしれない。明日の大晦日は友だちが「一緒に飲もう」と誘ってくれているので、これ以上悪化しないようにしなくてはならない。それにまだ、明日の午前中はお正月の準備があるので、今晩は早めに寝るようにしよう。

 1年を振り返って昔はいろいろと思うことがあったけれど、だんだん歳を取ると考えたところで仕方がない、なるようになるさと開き直っている。「NPOおたすけ」はあまり順調ではなかった。どこでも適応できる道具と技術の確立が先決だ。電動ポンプと手押しポンプを同一の吸管に取り付けない方がよいとわかったことは大きな進歩だろう。研究と研鑽なくしてはよい結果を生むことは出来ない。大和塾はいよいよ来年は5年目を迎える。継続は力なりというけれど、ただ続ければよいわけではない。来年は大きな山場になるだろうし、そうならなければ先細りになっていくだろう。

 「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の多くの仲間が来年4月に選挙となる。ぜひとも大きな飛躍を期待したい。日頃の活動が結果となる。誰が真面目に取り組んできたのか、一目瞭然である。政治の世界は誠に混沌とした1年だった。民主党が政権を取ったものの、目指すべき方向が見えず、場当たり的な対応はかえって国民の離反を生むことになってしまった。民主党の低迷で、私たち政党に属さない地方議員は存在価値が高まるかと思ったけれど、なぜか皆一緒に低迷の沼に入り込んでいる。それでも政党に属さない地方議員の横のつながりは強く太くなった。政治を変える力になるか、私たち自身が問われていると思う。

 人生は出会いである。人は出会う人によって大きく変わる。それでも出会いに気付かず働きかけもしなければ、流れる水のように通り過ぎて行ってしまう。人の幸福も不幸も、人と人との間に生まれる。一生懸命に愛する人は愛されるだろうが、愛さずには愛されることはない。今年もたくさんの人に出会うことができたけれど、出会いを大事にできたのだろうか。これまでに出会った多くの人たちとの出会いを大事にしてきたのだろうか。自分がおろそかにしておきながら、相手の誠意を疑ったりしたことはなかったであろうか。明日の大晦日は荒模様の天気となりそうだと言う。今年と同じように元旦は雪景色となるのだろうか。

   元旦に真白き雪の朝なれば 年の初めの気持晴れ晴れ
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古い写真はどうしたらよいのだろう

2010年12月29日 21時27分57秒 | Weblog
 若い人たち、それも不特定な若い人たちに何かを伝えるということは私には不適任だと思っている。ノーベル賞とかそんなに大それたことでなくても、伝えるべき何かを持っている人はその責任があるのかも知れないが、結果的には好き勝手に生きてきてしまった私が何かを伝えるというのは、自分を知らない行為だと思う。今、私がこうして書いているのは、私を知っているごく少ない人たちに向かってのことに過ぎない。私の子どもたちに、父親はこんなことを考え、こんなことをやってきた、あるいはやっていると語っているが、それを後生大事に子どもたちは受け止めることはないであろうし、受け止めないことが正しいと言っておきたい。

 今日は恒例になった、カミさんの実家に集まる日で、ご両親の仏前にお参りし、その後はカミさんの弟夫婦の手作りの料理をいただき、義弟が勧めるお酒を飲む。近況報告から昔話など、様々な話が飛び交うのが常だ。正午に集まって午後3時ごろまで続くのだけれど、今日は1時間半ほどもオーバーしてしまった。それほどみんなが気持ちよく話ができたということなのだろう。1月3日には私の兄弟とその子どもたちが我が家にやってくる。亡くなった兄の子どもふたりとその家族も集まるので、兄が映っている写真はないかと古い結婚式の写真を見ていたら、カミさんのお父さんとお母さんの結婚式の写真が出てきた。

 この大事な写真は跡取りである義弟が持っている方が正当だろう。そう思って持って行ったところ、「家にもある」と言う。そこで義弟が結婚式の記念写真を探し出して来たので、写真を見ながらまた一段と話が盛り上がった。義母の妹である叔母さんも毎年この集まりに参加してくれるけれど、さすがに小町と言われただけに「きれいですね」と言えば、「それは昔のこと」と大笑いになった。写真は人のつながりや人生の変遷を物語り、時間の変化を読み取ることができる。けれども問題はこの写真をどうするかである。

 私も父親が残した写真アルバムをたくさん持っている。けれども、私や姉や妹が見れば多少は記憶が残っているけれど、カミさんや子どもたちが見ても誰なのかさっぱり分からないだろう。こういう古いものをどう処分したらよいか、話題になったけれど、それぞれに考える以外にはないようだ。義弟の嫁の実家は尼寺で、住む人がいないので放火でもされてご近所に迷惑をかけるようなことは避けたいと、取り壊したそうだ。その責任を長女の婿である義弟が負ったわけだが、どう処理するかでは相当に悩んだと言う。平安時代らしき仏像もあったけれど、その判定は難しく教育委員会に相談しても明快な答えは出なかったそうだ。

 義弟の定年退職に合わせて嫁さんも退職し、ふたりは海外旅行に年2度3度出かけているが、「働いていた時はどこにも連れて行かなかったのだから、今、ふたりで楽しむのは当然のこと」と言う。部屋にはスイスやカナダやトルコやペルーや、世界中の名所旧跡でふたりが映っている写真が飾られている。来年はどこへ行くのか、ちょっと聞き逃してしまった。でもまた、話は聞けるだろう。
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働き終えた人は人生を楽しむべきだ

2010年12月28日 22時07分00秒 | Weblog
 今年も残り3日となった。年賀状は早めに書き終えてすでに投函も終わっている。こんなに早くできたことは今まで一度もない。喪中ハガキをいただいたのに、すでに投函してしまっていたので、お詫びの電話をしなくてはならないなと思っているほどだ。こんな年の瀬の押し迫った日に、健康診断を受けるために出かけた。採血をしてくれた看護師のおばさんに「今日で最後ですか?」とたずねたら、「本当に今朝は寒かったですね」と返事をされ、「ええ、寒かったですね」と答えてしまった。それからしばらくしたら、その女性が「今日で仕事納めかと言うことですか?」と聞いてくれたので、「ええ、役所関係はみんな今日が最後なので」と言う。ふたりの間ではちょっとギクシャクしたけれど、周囲から見れば何事もなかったと思う。

 問診はとても親切な若い医師だった。「お酒は毎日飲まれているようですが」と言うので、(私の前がカミさんだった)「うちの奥さんは正直に答えていると思いますが」と念のために聞いてみた。「ええ、毎日ふたりでワインなら1本ほどと言ってみえます」と医師は言う。「そのとおりです。食事の前に必ず今日は何を飲む?と聞くんです」と私も正直に答える。医師は笑って「毎日飲むのはやめて、せめて1週間に1日くらい休肝日を設けた方がいいですね。できれば1日おきにするとか」と言う。「はい、先生から言ってやってください」。「ええ、奥さんにはそう言っておきましたよ」。「ありがとうございます」。そんなやり取りが続いた。

 その後、医師が「お酒を飲めば血圧も上がりますよ」と言うので、「いいえ、お酒を飲むと血圧は下がります。お酒を飲んだ後、お風呂に入ればもっと血圧は下がりますけど」と私が言うと、「一時的にはそうですけど‥」と医師は言う。そうか、きっとこの医師はお酒を飲まないんだなと思った。もし、飲むとしても付き合いで飲むことはあっても晩酌の習慣はないのだ。それはそうだろう。私も働き盛りの時は晩酌をすることはなく、付き合い酒がほとんどだった。議員をしていた時も、何かあってはと思って、土曜日とか日曜日以外は飲むことはあまりなかった。毎晩、飲むようになったのは、カミさんとふたりだけの生活になってからだと思う。

 若い人なら先があるから、酒に溺れることがあってはならないだろう。今の私たちにはこれから先に何かやらなくてはならないというものがない。医師には何も言わなかったし、言うべきことではないけれど、お酒が美味しいなら飲んだ方がいい。医師に言われるようにお酒を飲む制限をして、長生きする意味が見当たらない。むしろ、美味しいものを食べ、美味しいお酒を飲み、できるだけ子どもたちの世話にならないうちに「オサラバ」しなくてはと私は思っている。暴飲暴食をしているわけではなく、節度のあるお酒で一時を楽しんでいるし、食べるものも普通のものでしかない。

 働き終えた人間は最後に人生を味わい楽しむ方がいいと私は思っている。働き終えたとは年齢のことで、やり甲斐のことではない。まだまだ、夢を追える人は大いに追うべきだ。私にはこれから先にやるべきことがないというだけのことだ。
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スポーツを見て涙を流す

2010年12月27日 18時13分55秒 | Weblog
 フィギュアスケートの全日本選手権で安藤美姫さんが優勝した。ショートプログラムで1位となり復活を期待された浅田真央さんが2位に、3位には注目の新人で高校1年の村上佳菜子さんが輝いた。3人ともに名古屋のリングで育ったのだから、地元の歓びはひときわ大きなものがある。ショートプログラムの演技を見て私は、どうして浅田さんの方が安藤さんよりも上なのかと不満だった。だからフリーで安藤さんが浅田さんを上回り、なぜかホッとした気分になった。陸上競技のように誰の目にも勝敗がはっきり分かるものはいいけれど、フィギュアスケートのように技と美を競うものの判定は難しいと思う。

 安藤さんはかなり女らしい身体になってきたから、男性たちの目を惹きつけたであろう。それに比べ、確かに浅田さんも20歳になって女性の身体つきになってきたが、まだまだ村上さんと変わらなく見える。浅田さんが演技に悩んでいるのも身体が女っぽくなって、ジャンプに微妙な変化が生まれたからと言われている。そんなことはどうでもいいことだが、銀盤の熾烈な戦いを見ていたら涙が出てきた。昨日は全国高校駅伝が京都で行なわれていた。午前中が女子の部で、午後は男子の部であったけれど、こちらも見ているだけで泣けてきた。場面を見ながら話そうとすると喉が詰まって言葉が出てこない。

 高1の孫娘から「それで、どこが優勝したの?」と聞かれた。「えっ!分からない」。実はスタートからゴールまでを見ていなかった。私がテレビを見ていたのはわずかな時間であったけれど、その間に繰り広げられるドラマがあり、必死な姿に泣けてしまったのだと思う。スケートも同じで、結果が見たいわけではない。多分、駅伝もスケートもたまたまカミさんが見ていたから私も見たのであって、見たいという積極性があったわけではない。逆にカミさんは自分でもスポーツをすることもあってか、放映される競技はよく見ている。関心がある競技はゴルフであり、スケートであり、マラソンや駅伝である。

 カミさんはプレイの一つひとつに歓喜の声を上げ、ガンバレと叱咤激励の声を上げながら見ていることが多い。野球も見ないわけではないけれど、それほど関心は高くない。どちらか言えば個人競技の方が好きなようだ。しかし、ボクシングやレスリングのような格闘技は全く見ない。これは男と女の違いなのだろうか。ボクシングの選手が「相手を憎いとは思わないが、相手にスキがあれば絶対に打ち倒す」と言っていたが、男にはそういう闘争心が備わっているのだろう。カミさんは華麗な演技や見事な技そしてそれを支える精神力に惹かれても、血みどろな競技はスポーツとは思わないのだろう。

 寒風の中、ひたすらジョギングを続けている友人がいる。彼は1日に10キロ走り、腕立て伏せと腹筋運動を50回ずつ行うそうだ。毎日かあるいは週に何回か、ジムに通う人もいる。そうして自分の健康に注意し、体力の衰えを阻止しようと努力する人たちを立派な人だとは思うけれど、自分がそれを行なうかとなると、運動嫌いな私はとてもできないと思ってしまう。要するに努力することが嫌いな怠け者なのだ。
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我が家で遅いクリスマス

2010年12月26日 18時22分44秒 | Weblog
 今晩は我が家での遅いクリスマス。孫ふたりのプレゼントはすでに用意してあるのだが、長女もそのダンナも忙しくて時間がとれず、今晩になってしまった。なあーに、西洋ではクリスマスイヴから1月7日までは全部クリスマス週間と聞いたことがある。そういえば年末にアメリカの大学に行っていた友人を訪ねた時も、都会のショーウィンドウにはクリスマスのイルミネーションがお正月でも飾られていた。元旦を特別なものとして祝うのは日本だけなのだろうか。

 年賀状もおそらく日本の独特の風習だろう。西洋ならクリスマスカードの方が主だろう。毎年、年賀状を出すべきか悩みながら少しずつ数を減らしてきた。しかし、よく考えたならどうしてそんなことで悩む必要があるのだろうという結論に至った。確かに書くことは面倒なことではあるが、生きているよという証のようなものだ。数を減らしたところで書かなくてはならないことに変わりはない。宛名はパソコンで印刷するけれど、裏面は1枚1枚万年筆で書いているので、180枚もあるとかなり疲れる。続けられるうちは続けようと思っている。

 年に1回、年賀状だけのやり取りの人が圧倒的に多い。一昨年までは家族のイラストを描いていたけれど、夫婦ふたりだけが続いてくると、変化を描き表すのが難しくなって、昨年から干支のイラストにしてしまった。「家族の様子が楽しみでしたのに」と惜しんでくださる人もいるけれど、なかなかうまく表現できなくて、手軽な干支のイラストに変えてしまった。これまでの年賀状は書き損じも加えて、一応残してあるので、機会があれば年賀状展をやってもいいかなと思っている。さて、今年も年賀状書きは後少しになった。

 「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」というハガキも毎年増える。中には続いて、「皆様からの年賀状は楽しみにしております」という文面のものもある。自分のところには不幸があったので出せないけれど、毎年送られてくる年賀状は楽しみにしているので送って欲しいというものである。なるほどなと思うけれど、もし年賀の挨拶を印刷してしまってあったなら、最後に一言お悔やみの言葉を書き加えなくてはならないだろう。印刷された味気ない賀状も差出人の手書きがあれば気持ちは伝わるだろう。

 テレビで「日本人の細やかな人情が失われてきた」と取り上げていた。そして、それは日本だけの現象ではなく先進国の全てに現れていると解説していた。人間は便利さを求め、時間を縮めて効率よくし、より豊かな生活を築いてきた。けれどもこれほど豊かになっても満たされていない。アメリカで暮らした人が、「裕福な白人が暮らす地域はしっかりとガードされている。その周りには貧しい有色人種がいるが、お互いに関心がない」と不思議に思ったことを話してくれた。「貧しければシンデレラを目指せ!」と言うのが一般的なアメリカ人だと教えてくれた。

 豊かさはなぜ貧困を無くせないのだろう。キリスト教もイスラム教も仏教も、「施しなさい」と説いている。豊かになるということは、一人の貧困者もつくらないことではないのか。細やかな人情は相互扶助の気持ちの現われのはずだ。必ず優しさが世界を支配すると私は信じている。
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クリスマスイヴの夜は更けて

2010年12月25日 18時33分54秒 | Weblog
 クリスマスイヴをホテルで過ごす、なんてことが昔、流行っていた気がするが、あれはホテル産業の策略だったのだろうか。思ったほど満席ではなかった。それでも昨夜のクリスマスディナーには何組かの男女がいた。でも圧倒的に多いのは家族連れで、その次は私たちのような友だちグループかもしれない。申込みが早かったので、窓際のよい席だったが、やはりバイキングは落ち着きがない。美しい夜景を見ながら愛に包まれた食事となるのだろうか、他人事ながらカップルを眺めていてそう思った。私ならもう少し狭いレストランでも予約して、ゆったりとした時間を過ごすだろう。2時間以内という時間制限は正味1時間45分しかなく、やっぱり慌ただしい。

 それでもワインを飲み、焼酎好きは途中から焼酎やウイスキーの水割りを飲み、女性たちはカクテルを注文し、大いに飲んで大いに食べて大いに話して大いに笑った。満足なクリスマスディナーだったと思う。酔っ払った勢いでこの日が最後の年末ジャンボ宝くじを買った人もいる。それがどこでどうやって買ったのか覚えていないと言うのだから、そんな宝くじは意外に当たるかもしれない。その後はカラオケ店に向かったけれど、あれっ、どうして?と思うくらいお客はいなかった。クリスマスイヴなのだから絶対に予約しないとダメだと言っていたが、まるで幽霊屋敷のようにガランとしていた。

 若い恋人同士はどこでどんな風にクリスマスの夜を過ごしているのだろう。若者たちよりも私たち年寄りの方が飲んで歌って騒いでいる。早くに夫を亡くした女性は「生きていればこんなにも楽しかったのに」と言い、「もっと優しくしてあげればよかった」「今なら身の心も開いて受け入れられる」と話す。過去の青春時代が蘇ってくるのだろう。年を重ねると、若い頃には気が付かなかったことが見えてくるのかもしれない。それがますます青春へ戻らせるのだろう。外は凍りつくように冷たい。にもかかわらず不良老人グループはまるで子どものようにワイワイガヤガヤ、そしてゾロゾロと深夜の街中を家へと歩いた。

 私は食事の時につけてあるテレビを見るくらいだが、先週までの火曜日の夜は9時から民放で『フリーター家を建てる』を、続いて10時からNHKで『セカンドバージン』を見ていた。民放の方はいわゆるホームドラマで、就職できない息子が母親のために家を建てるという物語だ。『セカンドバージン』は40代のバリバリの女性編集者が17歳年下の大蔵官僚に恋してしまう物語で、濃厚なベッドシーンもあり、NHKも変わったねと思った。物語の面白さとしては断然『セカンドバージン』の方が上だった。大蔵官僚は既婚者だったので、この不倫はいったいどうなるのかと興味深かったし、背景はホリエモンのような金融界があって面白かった。女性編集者は男を手に入れるけれど、やがて男が闇の組織に殺されてしまう。これは余りに安易な終わり方でガッカリした。最後に女性編集者は社長になり、離婚しないと意地を通した妻は女性企業家になっていく。つまり女がたくましく生きていく姿で終わる。

 脚本を書いた大石静さんのインタビューも聞いたけれど、映像では説明できない部分を書き込んで小説『セカンドバージン』を仕上げたと話していたから、読んでみた方がいいのかなという気はしている。
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今晩はホワイトクリスマスになるのかな

2010年12月24日 11時44分39秒 | Weblog
 北風が強く吹いている。天気予報では「今晩は雪が降るかもしれない」とあった。ホワイトクリスマスになるのかな。クリスマスソングが流れ、暗い空からは白い雪がちらちらと降ってくる。ロマンチックな夜だ。恋人同士なら、寒さの中でしっかりと手をつなぎ、イルミネーションで輝く街を幸せ一杯な気分で歩くだろう。私も今夜は初めて、ホテルのクリスマスディナーに出かける。黒のダブルは持っているし、ネクタイもちょっと華やかな色合いのものがある。靴も礼装用の黒を履けばいいだろう。この寒さだから黒のオーバーコートが役立つはずだ。

 今日は誕生日会。皆さんでホテルのクリスマスディナーへ出かける。1万円以上はするだろう。いや2万円とか3万円なのかもしれない。生涯に一度のことだから、それくらいの出費は仕方がない。でも、そんなにお金をかけるなら、誕生日会のような宴会ではなくて、やはり男と女のふたりだけの方がしっとり来るのになあーなどと不埒なことを考えた。「クリスマスディナーって高いんじゃないの?」と聞いてみた。「確か5500円だったわよ」と言う。「えっ、ディナーでしょう?」と再度聞く。「ディナーでもバイキングよ。しかも2時間の制限付き」。

 何だそうだったのか。「じゃあ、ダブルの背広は必要ない?」「必要なし」。「ネクタイは?」「セーターでもいいわよ」。要するに普通の格好で、ホテルディナーが楽しめるというものだ。そんなのはホテルディナーではない気がするが、どうやら私の思い違いのようだ。そういえば、何時だったかホテルで昼食にしようと思ったけれど、どこへ行ってもバイキング形式だった。ホテルの中には専門店もあるはずだからと思って尋ねたが、専門店でもバイキングだと言われた。バイキングは好きなものが好きなだけ食べられるからその方が好評らしい。ところが私は、あのいちいち席を立たなくてはならないのが面倒で、好きになれない。

 ただ、お腹を満たすだけならコンビニのおにぎり2つで充分だ。わざわざホテルに来て食事をするということは、お腹を満たすためではない。ひとつの思い出作りだ。あの時、あのホテルでこんな話をしたよね。窓から見える景色はこんな風だったよね。満たされたいのは気分であって、お腹ではないと私は思っている。そんな難しいことを言う奴は出かけなければいいのだが、誕生日会だからそうはいかないと理屈をつけて、クリスマスの夜のホテルでのディナーバイキングを見てくるつもりだ。実はワインも楽しみにしている。

 午後5時からの部だそうだから、終わると7時だからずいぶんと時間が余る。なにしろ家でやるときは午前零時を超えてしまうことが常なのだ。すると、今晩はホワイトクリスマスの街を皆さんでそぞろ歩くのか。街中にクリスマスソングが流れ、それはいいかもしれない。すると、「そういう計画はない」と言う。ディナーの後はカラオケ店に予約が入れてあるそうだ。しかも「3時間だけれど、足りるかな」と心配している。そうかそうか、それもいいだろう。人生の終末に来て、まるで青春のよき思い出のようで面白い。

 今からもう、「赤鼻のトナカイ」や「ホワイトクリスマス」や「アベマリア」や山下達郎ソングが聞こえてきそうだ。
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高齢化した地域を支える人たち

2010年12月23日 18時33分54秒 | Weblog
 さすがに「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の皆さんは元気だ。情熱的であるし、使命感というと少し大袈裟だけれど、議会を変えていこう、まちに新しい風を送っていきたい、そんな気持ちが漲っていた。直接請求の問題やあるいは来年の選挙に向けて、主体的な取り組みと決意が表明され議論した。夜の懇親会は仲間内ということもあり、日頃は話せない哲学的なあるいは社会学的なさらに言えば雑多な問題まで、様々な話題が途切れることなく続いた。最年長となってしまった私は途中で失礼して床に入ったけれど、朝聞けば午前3時近くまで話し合いは続いたとのこと。全くタフな人たちである。

 タフと言えば、昨日のお昼に食事をいただいたNPOの人々が運営している「ハッピーワン」の代表の女性も元気だった。身体は糖尿病とかで目も見難いと言っていたけれど、なぜこの「ハッピーワン」を立ち上げたのか、そしてその役割を熱く語った。昔は栄えたこの地域も今日では2人に1人が高齢者となった。デイサービスや特養などの世話になっていないけれど、だからと言って、出かける場所もなく話し合える人もいない人がいる。そうした地域のお年寄りが気楽に集うことのできる場所、昼間は1人のため食事に困る人々が集まって来られる場所を提供することで、みんなが幸せを感じられる地域にしたい、それが「ハッピーワン」であった。

 ずいぶん美味しい料理が450円で食べられる。これに食後のコーヒーをつけてもらっても550円だ。コンビニで弁当を買えば300円でも買えるけれど、ここでは仲間の皆さんとワイワイガヤガヤおしゃべりができる。一日中いてもいい。台所の方を見ると5・6人のベテラン主婦が料理を作っていた。ほとんど無償に近い、一日800円で働いてもらっているそうだ。ベテラン主婦は子育ても孫育ても終わり、何か人の役になることがしたいとここに集まっているそうだ。「人は人の役に立ってこそ生き甲斐であり幸せである」と代表の女性は話す。

 こういう人が地域を支えているのは素晴らしい。こうしたコミューンが各地にできれば、さらに幸せの輪が広がるだろう。「議員はダメ。始めた時に来ただけで、後は全く知らんぷり」と代表は続ける。「役所もようやく目を向けてくれるようになった。だけど、自治体によって積極性が全く違う」と批判も。この地域に空き家があったから、こうした場所を作ることができたけれど、それでも場所作りに最低300万円は必要となるそうだ。それから材料費や家賃や水光熱費やらを考えたなら、運営は大変困難だと思う。

 無償ボランティアを否定したりしてはいけないけれど、ここで働いているベテラン主婦にキチンと報いることが大事だと思う。これからますます高齢化社会になると言うが、みんなで支え合うということはみんなが応分に負担するということだ。介護施設で働く人たちの賃金が上がらず、労働内容は増えていく。犠牲の上に成り立つ社会ではダメだ。クリスマス商品は高価なものが売れていると言うが、その一方でなかなか日の当たらない人たちがいる。自己責任とは違うと私は思う。
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本を買い求める人

2010年12月21日 22時35分54秒 | Weblog
 角川学芸出版から出ている『角川短歌12月号』の新聞広告を見て、買っておこうと思ったのに、近くの書店にはどこにも置いてなかった。最近、流行の大型書店に行けばあるだろうと出かけたけれど、やっぱり置いてなかった。『角川短歌12月号』は石川啄木が特集されている。啄木の歌には心引かれたけれど、国語の授業の中に出てくる作品のひとつくらいでしかなかった。大学に入って親しくなった友だちに啄木ファンがいて、彼の話を聞くうちに、啄木の生涯を知りたくなった。人物を知ると作品も分かるように思う。それで、新聞広告を目にした時は買って置きたい衝動に襲われた。なのに、どこを探してもない。「ない!」となると余計欲しくなる。

 どうせ取り寄せてもらうのだからと、旧知の友人の書店に出かけた。「角川短歌の12月号が欲しいけれど、取り寄せてくれる?」と聞いてみた。すると彼は「12月号は確かなのか?」と言う。「12月なら1月号になるはずだ」と言うのだ。「石川啄木を特集している号だけど」と言うが、「中身まではわからない」と言われてしまう。いったい何時、新聞広告を見たのか、話していると何だか自信がなくなった。「図書館に入れているから、確かめてからの方がいい」と教えてもらう。けれど、私の記憶では置いてないように思ったので、恐る恐る「図書館にはなかったように思うけど」と言った。私が行く大きい方の図書館ではなく分館の方にあると分かった。

 そんなこんなで今日、やっと『角川短歌12月号』が手に入った。「最近、何か注目の本はある?」と聞くと、やはり幕末から明治にかけての書籍が売れているとの話だった。そんな話の最後に「これはどう?」と『週間ポスト』を見せてくれた。「小沢一郎激白120分」の見出しが大きく載っている。「これからどうなるんですかね」と彼は言う。しばらく政治論議だ。この店の5倍くらいの大きさの書店が深夜遅くまで営業していて大変なところへ、さらに近くに大型書店が2つもできた。老舗の彼の店はお客が少なく、だから私的な話もできる。「絶対に置きたくない」と言っていたコミック本も置くようになっていた。理想的な書店を目指していたのに、時代の波には逆らえないようだ。

 パソコンは情報なら何でも手軽に手に入る。私たちの子どもの頃は書店に行けば、いろんな情報が目に入ってきた。私は小学生の頃から、町にある3軒の本屋をはしごして家に帰るのが常だった。別に本を買うわけでもなく、立ち読みするわけでもなく、並べてある背表紙を見て歩くのが好きだった。本の表題を見ただけで満足していたが、自分で稼ぐようになると、買って置きたい気持ちが強くなった。知らぬ間に書棚がいっぱいになり、「どうして読みもしない本を買うの」と非難を浴びることになる。「いつか読むだろう」と言うのは口実で、ただ並べて置きたいだけのことだ。図書館の司書の資格も取ったけれど、だからといって働く場所もない。わずか2メートル四方の書棚に買ってきた本を並べて満足している。ああ、これが自分の人生なのだと今は感じている。

 明日は「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の合宿のために休みます。
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無党派市民派、出番ですよ

2010年12月20日 21時01分49秒 | Weblog
 名古屋市の河村たかし市長が、辞表を議長に提出した。明日の選挙管理委員会で決まるけれど、投票日は愛知県知事選挙の投票日である2月6日になると言われている。名古屋市議会の解散を問う住民投票も同日になるだろうから、名古屋市民は知事・市長・住民投票のトリプルになるという。名古屋市議会の議長が辞表の受理に当たって、「市長は住民投票ができない責任を取って辞めると言っていたけれど、住民投票ができるのに辞めるのは無責任ではないか」と河村市長に釘を刺していた。これに対して河村市長は「減税案など否決されたけれど、もう一回やってもいいか市民に問うためだ」と言い、議長は「市政の私物化だ」と非難し、市長は「信を問うのだ」と最後まで平行線だった。

 一昨日までは、やはり不出馬かと思われた元犬山市長で現在は民主党の国会議員である石田芳弘さんが、二転三転の末に出馬を決意したと今朝の新聞は報じていた。石田さんは自民党の元県議であったが、石田さんが犬山市の教育長に抜擢した瀬見井さんの話では「(石田さんは)先の見える人。本物の政治家である」らしい。河村さんよりは石田さんの方が見た目も紳士的で、いいかなと思う人たちは結構いると思う。はじめは出馬に消極的だった石田さんが出馬を決意したのは、うまくいけば互角に戦えると踏んだからだろう。愛知民主党にあっては変わり者の河村さんと石田さんを相打ちにしたいのが、県連幹部の意向ではないのかと私は見える。幸いなことに河村さんが、知事選挙に自民党の国会議員の大村さんを担ぎ出してくれたので、自民票は分裂するから民主県連は大助かりだろう。

 そんなことで、来年の選挙の年はさらに盛り上がるだろう。いや待てよ、もうどうでもいいやという気持ちになって欲しくないが、どうだろう。政党に属さない地方議員である私たち「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の多くのメンバーが選挙の洗礼を受ける年である。「無党派市民派」が注目される時代でなくなってきただけに、どうアピールして選挙を戦うか、大事な時に来ている。自民党が圧倒的な力を維持していた時は、これに代わる勢力のひとつとしてマスコミも注目してくれたが、これだけ多くの政党が生まれ勢力も拮抗していると、そのことに目線が流れて、無党派市民派への注目度は薄くなってしまった。

 でも、私は逆に、今は政治の混乱期なのだから、どういう考えでどういう政策を実現しようとしているのか、有権者に問うにはよい機会ではないのかと思っている。河村さんや大阪府知事の橋下さんらが、この政治の不安定をひとつのバネにして新たな政治勢力を立ち上げようとしているし、このふたりとは一線を画しながら渡辺喜美さんらの「みんなの党」も躍進を図ろうとしている。おりしも今日、菅総理は小沢一郎さんと1時間半も会談したどうだ。これで小沢さんが民主党を離党すれば、さらに多くの政治集団が生まれるだろう。分裂と集合を繰り返すのは政治の常だ。政治とは何か、しっかり見せる必要がある。無党派市民派、出番ですよ!
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