友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

植木鉢を移動させる

2009年06月30日 18時40分36秒 | Weblog
 マンションの大規模修繕工事が一応終了した。一応なのは私たちが住んでいる棟は終わったけれど、まだ全部が完了したわけではないためだ。ルーフバルコニーの防水工事が完成したものの、太陽の光線が反射して目が開けられない眩しい。工事業者に反射しない材料でもう1枚貼って欲しいと相談した。南のバルコニーは反射しない材料を使っているのだからそれを用いてくれればいいはずだ。ルーフバルコニー全体に貼ると25万円はかかると言う。工事の責任者の裁量の範囲だろうと思っていたが意外に高い。仕方ないのでみんながよく集まる南側部分に4M平方だけにする。職人一人が来てわずか2時間の工事だ。

 このルーフバルコニーも購入した当初はルーフガーデンという名称だった。実際に作り付けの大きな花壇が4つもあり、柘植の木が植えられていた。それが第1回の修繕工事の時に、防水工事のために撤去されることになった。今回の工事ではルーフバルコニーの所有者だけに集まってもらい説明をする機会は無かったけれど、第1回目の時は説明会が行なわれた。「私たちは植栽のある景観も含めて購入したのに、勝手に撤去するとは何事だ」とその当時はかなりうるさい論客がいた。そこでマンション自治会の役員会は代替の大きな鉢を4つ用意した。

 今回はその鉢も限界に来ていること、割れた場合は自分で撤去してくださいと役員会は強気だった。それにルーフバルコニーの所有者で、私のようにたくさんの植木鉢を並べている人はいない。屋根を守ることが何よりも大事なことは私も役員経験者だからよくわかる。それに私も若くない。植木鉢の管理は体力勝負でもある。ならばこれを機会に植木鉢を少なくしようと思った。

 長女のダンナが「この日ならいいですよ」と言うので、日曜日にふたりの住まいに預けてあった植木鉢を運んだ。彼の愛車の軽トラックがブルンブルンとエンジン音を響かせてよく活躍してくれた。マンションの友だちも2人が手伝ってくれた。何しろ人海戦術しか通用しない。長女のダンナが欲しいというランタナ10鉢ほどを残し、大きくなりすぎたゴールドクレストと元気がない白椿を庭に植えた。空の植木鉢はおいおい運ぶことにして、椿やバラや金木犀やデイゴなど大型の鉢に植えたものは鉢から引き出して根をビニール袋で包み、鉢と植木を分けて軽トラに積み込む。小さな鉢植えのものはそのまま車に載せた。みんな汗びっしょりだ。

 何も無かったルーフバルコニーに植木鉢が少しずつ置かれると、何だかせっかく広々とした感じだったのに、狭く思えてくるから不思議だ。それに無機質な屋上が優しくなる。植木を見ていると植え直した方がいいなと思う鉢もある。それで植え直し作業を始めるとキレイだった床が土で汚れた。「せっかくキレイにしたのに」とカミさんが怒る。修繕前もこんな風だったのに、もうそのことは忘れている。やはりいっそのこと何も置かない方がいいかと思えてくる。人の思いはなかなか一致しないのだと知る。
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人間失格でない太宰治

2009年06月29日 00時21分09秒 | Weblog
 爆笑問題の太田光が編集した『人間失格ではない太宰治』(新潮社)は、ショッキングピンクの表紙でいやおうなしに目に付く。太田光がお勧めの11編の短編が収められているばかりか、なぜ、この11篇を選んだかについて書いている。それを読んで、太田光は太宰をよく捉まえているなと思った。太田光は、太宰が追い続けてきたテーマは「美しい存在のキリストと、愚かで未熟なユダ」の対立した関係と分析し、「選ばれたる者である太宰は自らの中に“恍惚と不安”を抱えながら、凡庸である者への憧れを抱き続けているのではないか、凡庸な姿こそ本当に美しいのだと」と指摘している。

 第1編は太田光が「太宰の最高傑作」という『魚服記』であった。読んでみてショックだった。確かに物語の展開は面白く、どんどん引き込まれてしまう。私は中学生になって、日本人は戦争のことをすぐ忘れ、隣近所の噂話や悪口に興じているのは島国根性(?)のせいだと勝手に思い込んだ。思い込んだだけでなく、全く短絡的に日本人の小説は読まないと決め付けた。今この歳になって、夏目漱石を読み、太宰治を読んでみて、自分の愚かさがよくわかる。日本人を超えたいと思ったのに、土台のない家を作ろうとしていたのだと思い知った。

 『魚服記』は太宰が24歳の時に同人誌に発表したものだ。東京帝大仏文科に21歳で入学しているが真面目に大学へ通っていた学生ではなかったようだ。太宰は青森中学(現在の高校)に入学した時から作家気取りであったようで、「校友会誌」に発表したり、弟や友人などで同人誌を発行したりしている。18歳で弘前高等学校に入学し、友人らと同人雑誌『細胞文芸』を創刊している。名前からも明らかなように、この時にはもう共産党のシンパになっていたようだ。東京帝大に入学すると党関係者から指示を受け、官憲からも目をつけられ、その恐怖心からか転居を繰り返している。ところがどういう事情からかはわからないけれど、警察署に出頭し、以後は非合法活動から離れた。

 言うならば転向である。しかし、太宰は共産党から離れたことが生涯において負い目になっていると私は思う。キリストとユダの関係においても、美しきキリストに対して裏切り者である自分を断罪しようともがいている。裏切りは許されない行為なのに、太宰はユダとしてしか生きられない自分を自覚していたのではないかと思う。太宰は何度も自殺を試みている。そのこと事態が普通ではないはずだ。けれども結果的には、太宰は自殺を繰り返すことで作家としての力量を高めていった。

 私は高校に入学した時の最初のテストで、国語ではクラスで1番だった。正確に言えば、1番は二人いた。2年生の時、そのもうひとりの1番が文芸部の機関紙に書いた戯曲を読んで、彼には勝てないと思った。それは今、太宰の『魚服記』を読んだ時の衝撃に似ている。彼には才能があるけれど、自分は彼を超えることは出来ない。私は新聞記事のように見聞きしたものを、人にそうだと思わせる文章は書けても、創作することは出来ないと思った。筆で身を立てるなどということは自分には出来ない、そう悟った。

 太宰はさすがに天分がある。私が適わないと思った同級生は文学の世界では活躍しなかった。どうしてなのだろう。
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50歳を過ぎればどこかが悪くなる

2009年06月27日 18時48分09秒 | Weblog
 私よりも10歳も年下の人が「医者に心臓肥大と言われて」と、しょげていた。ゴルフもやれればソフトボールもできるのに、何を贅沢な悩みかとみんなでいじめてやる。毎日酒を飲み、タバコを吸い、悪いことばかりやってきておいて、医者から何処そこが悪いなどと言われてしょげるくらいなら、品行方正な生活を送ってから物を言えなどと理屈にもならない理屈で傷口に塩を塗り込んでやる。

 私の親しい医者も「人間も長いこと使えばどこかに痛みが来るものですよ。もちろん人間にも自己再生能力が備わっていますから、それを助けてやればよくなっていきます。よくなっていきますが、若返っていくわけではありません」などと言う。地域新聞の発行に追われていた時はいつも決まって胃潰瘍や十二指腸潰瘍に襲われた。医者は笑って「職業病ですね。何か困ったことでもあるのではないですか?」と聞くが、自分にとっては別に悩みがあるわけではないのにどうしてこんな風に「いっそのこと殺してくれ」と思うほどの痛みに襲われるのかと思った。

 地域新聞を辞め、選挙に立候補するようになっても胃の痛みからは解放されなかった。それがどうしたことか、もうこれで選挙はしないと決めた時から全く一度も胃の痛みを経験しなくなった。身体的には健康体になったはずなのに、なぜかいっきに老人になってしまった。「若々しいね」「活力があるね」と評価していただいていたのに、歳相応に落ち着いてしまった。腰が痛いやら肩が凝るやら、下腹が出てくるやら、ろくなことがない。今年は年の初めから右手の親指の付け根が痛い。半年を経て少しは軽くなったものの、親指の第2間接が痛かったり、どうかすると両手首が痛かったりするので、リュウマチかなどと心配している。

 50歳も過ぎると身体のどこかが悪いようで、自分は何処そこが、私はそれもあるけれどこれもあるとか、物忘れが激しくなってきたとか、目があるいは耳がそして歯が舌がと悪いところの自慢話である。こんな時の友だちのセリフはいつも「毎日タバコを吸っていても百歳まで生きる人もいれば、タバコも吸わず酒も飲まないのに50歳代で亡くなる人もいる。百歳生きたから幸せ、50歳で亡くなったから不幸、何処でそう言い切れますか?」と決まっている。そういう彼は、ある日急に毎日吸い続けていたタバコを止めた。健康を意識したわけではなく、「ふと、タバコを止めてみようと思った」と言う。

 人は自分の苦しみや痛みや不遇を話したがるタイプと隠したがるタイプがあるようだ。話したがるタイプの人も話すことで自虐的になっているというより安心を求めている気がするし、話したがらないタイプの人も実は自分のことを相手に知ってもらいたいことには変わりないのだが、どうにもならないことは話す気になれないだけのことだろう。人は弱い。弱いから自分を理解してくれる人を求めている。
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明日のことは明日に任せよう

2009年06月26日 18時07分01秒 | Weblog
 宮崎県の東国原英夫知事はかなりの人だと思った。無党派で県内各地を回り、「このままでいいのか宮崎」と訴えて知事に当選した。政党とは一線を引くのかと思っていたら、政権政党である自民党にぐっと擦り寄った。国からの予算的な援助なくして地方はやっていけないから無理ないなと思った。けれども、「子どもは自衛隊に入れて鍛えた方がいい」などと発言するような人だから、無党派と言うだけで支持する気持ちには全くなれなかった。

 かなりの人だと思ったのは、古賀選挙対策委員長から衆議院選挙への出馬要請を受けて、「総裁候補とさせてくれるなら」と条件をつけた。当初は誰もが、「おちょくって言ったのだ」とか「辞退するために無理なことを言ったのだ」と思った。けれども東国原知事は「『今のままでは民主党が圧勝してしまう。民主党のファシズムになってしまう』『これに対抗するために自民党が生まれ変わらなくてはならない』と語り、自らが次期総裁候補となることで自民党を変革するとの決意を示した」(6月26日の朝日新聞)と本気だ。

 古賀さんが「手玉に取られた」と公明党議員が言っていたが、ここまでやるとはかなりの人だ。断るためのパフォーマンスだと笑っていた大阪府の橋下徹知事も動き始めた。横浜市の中田宏市長らに働きかけ、自治体の首長による政党を作ると言う。民主党もあわてて「地域主権を実践できるのは民主党しかいない」と言い、「改革派」の知事や市長らと協議を進めるという。「改革派」と言われる首長も千差万別で、必ずしもみんなが同じ方向を向いているわけではない。

 それでも、長く続いてきた自民党政権が崩落にあることは間違いない。東国原知事の「総裁候補に」の発言に自民党議員は腹を立てているが、そうしなければ勝てないところまで自民党が低落しているという表れだ。それに今の自民党を救える人物が党内にいるかと言えばそれも難しいだろう。私が自民党のボスならここは女性総裁で乗り切りたいところだ。第1候補は野田聖子さんと思っていたけれど、野田さんは小泉改革に抵抗した過去があり、それを大目に見るとしても企業献金の問題があるらしいから担ぎにくい。2番手は小淵優子さんだが、出産を間近に控えていては無理だろう。小池百合子さんはどうも党内で人気がないようだから3番手がいない。

 自民党に総裁候補がいないということは、目前に迫った衆議院選挙はやはり敗北必至ということなのだろう。自民党が生き残るよりも民主党に政権が移る方がいいのかもしれないが、私は多く期待していない。それでも民主党政権の誕生を望むという矛盾した気持ちが正直なところだ。後進農業国だったロシアに革命が起き、社会主義政権が誕生したけれど、一国社会主義国家というよりも国家が資本家となっただけだったように、時代は一気には進まない。今後の人間の経済活動がどのように展開していくのかで、国のあり方をはじめとする政治の仕組みも変わっていくのだろう。

 明日のことは明日に任せる以外ない。ゴルフに出かけていた友だちから「反省会への出席要請」が来た。ゴルフをしない私だが反省会には欠かせない人物には成長したようだ。
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釈迦・孔子・イエス

2009年06月25日 22時13分50秒 | Weblog
 キリストが神の子か、人の子かは余りたいしたことではないと思うけれど、キリスト教にとっては大問題である。キリスト教では、イエスは処女マリアのお腹を借りて生まれてきた。しかもそこは馬小屋で、最初にイエスを見たのは人ではなく動物である。そして東方から3人の博士がやってきて、予言どおりだと告げる。イエスの幼少年時代はわからないが、やがて彼は人々から救世主とあがめられるようになる。イエスの言動を恐れた人々、司祭やヘロデ王やローマの総督らによって、磔にされる。

 ここで大事なことは、多くの民衆がイエスの磔を求めたことだ(おそらくそうだろうと私は思っている)。イエスの言葉に心酔した人々はそんなに多くなかったはずだ。イエスが捕らえられた時、一番弟子であったはずのペテロでさえ、民衆から「イエスと一緒にいた男」と言われ、これを否定している。イエスと共に行動していた何人かの人々も身を隠してしまう。イエスが神の子として、そしてイエスの言葉が神の約束として、整えられていくのは、それからもっと後になってからだ。

 釈迦はその教えから神になる必要は無かったのだろう。釈迦が弟子たちに語った言葉はずいぶん後になって「如是我聞」となり、釈迦はこう言われたとして経典が出来上がっていった。孔子もまた、自分で書物を書いていない。孔子が弟子たちに言われたことを後にまとめて『論語』などが編纂された。儒教となるのは、中国に仏教が伝来してからだと思う。仏教も中国に伝わった時には、釈迦の思想とともに儀式化をも伴っていたのだと私は思う。

 釈迦も孔子もイエスも弟子たちに語った言葉が後に経典として整えられた。自分自身では書き綴っていないことが、ひとりの智恵ではなく多くの智恵を結集することができたと言えるけれど、それゆえに釈迦や孔子やイエスの思いとは違うものに変わっていったのだと思う。考えることが得意な人がいると同じように、その考えたことを伝える手段を作り出し整えていくことが得意の人もいる。形が整えられるほど、儀式化は進み、儀式化が進むと「信仰」が生まれてくる。「信仰」は矛盾を超越してくれるからだ。

 釈迦も孔子もイエスも生まれ故郷ではなかなか受け入れられなかったけれど、時には彼らの「言葉」だけを政治的利用する者も現れてくる。『ジーザス・クライスト・スパースター』の中で、「ローマと戦うのか、それは何時なのか?」と問う人々に対し、イエスは「明日のことは明日に任せなさい」「時と運命には逆らえない。なぜ、先のことを知りたがる」と答える。幸福それは神の国を実現することだけれど、政治的な解決ではないとイエスは考えていたのだろう。キリスト教徒には政治的な人々も多いけれど、政治にかかわらない人々が多いこともここに原因があるのではないだろうか。

 「信仰」と政治が切り離せないことは釈迦や孔子やイエスの時代から続いている。
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『ジーザス・クライスト・スパースター』

2009年06月24日 21時42分29秒 | Weblog
 浮かれているととんでもないことになりやすいけれど、浮かれていることができるなら、浮かれていてもいいじゃないか、そんな風に考える人は普通なのか普通ではないのか、判断に苦しむところだ。おそらく判断に苦しむのは自分が凡人だからだろう。

 昨夜、NHK衛星第2で午後9時から『ジーザス・クライスト・スーパースター』というミュージカル映画を放映していた。日本でも同題名で、劇団四季が上演している。カミさんは名古屋公演で見たと言っていた。ミュージカルと書いたけれど、正確にはロック・オペラというものらしい。

 『ジーザス・クライスト・スーパースター』はイエス・キリストのことで、キリストという名称も救世主を言い表す言葉のようだから、映画の中でも言われていたように育った都市の名をとって「ナザレの子」と呼ばれていたようだ。イエスは大工の子であったけれど、賢くておそらく旧約聖書に書かれていたユダヤの教えや言い伝えは全て暗記していたのだろう。

 彼が「神の啓示」を受けて話す言葉に人々は熱狂したようだ。イエスを取り巻く人々には2つの派閥があったと思われる。ひとつは純粋にイエスの言葉をそのまま受け入れようとした人々、もうひとつはローマの支配を快く思っていない独立武闘派の人々。イエスを裏切ったユダは、映画ではイエスの言葉をそのまま受け入れようとした人として位置づけられているようだが、本当は独立武闘派だといわれている。

 実際にイエスの取り巻きの連中には独立武闘派が多かったようだ。イエスを頭に据えて独立武装闘争を行なうつもりでいたのではないだろうか。けれどもイエスは、武力では何も解決しない、この世に地上の楽園を作れることだと考えるようになっていたのだと私は思っている。

 そうなれば、イエスは自分をどう位置づければいいのかを考えたと思う。磔にされるイエスはここでは人間イエスとして動揺を隠さない。「主よ、主よ、どうして私を見捨てるのか」と死の恐怖と戦っている。けれど次の瞬間には、あるいは新約聖書を書いた人はここでイエスを神の子にするための工夫を凝らす。イエスは全てを諦め、いや全てを悟り、自分は神の子であるとメッセージを送る。

 このロック・オペラでは人間として生まれ育ちながら、人としていかに生きていくべきかを話し始めたイエスが、どんどん神がかりな人に押し上げられていく様がわかる。イエスは単に古い教えに縛られることはないと説いたに過ぎないが、人々はイエスの言葉に新鮮さを覚え、より以上のものを期待してしまう。革命に命を捧げるべきか、いや違う、自分が皆に話してきたことは信仰とは律法やしきたりを守ることではない。人々の真の救済は信仰にしかないとイエスは思ったのだろう。

 イエスはローマのものはローマに属していいとしながら、信仰はそんな小さな範囲に留まらないと説いていく。そのためには旧約聖書に記されているとおり、救世主は神の子であり、人々を救うために自らの命を犠牲にしなければ成就しないと考えたのだろう。イエスは磔にされ、しかし3日後には蘇り、旧約聖書が記したとおり天国へと昇天する。

 イエスが神ならば、再び人々の前に姿を見せてもよかったはずだが、本当に親しく愛し合った人々にしか復活の姿を見せていない。そうか、イエスは神ではなく、正しく神に選ばれた人の子だったのかと私は思った。だからこそ、残された弟子たちはイエスの教えをまとめようとし、その過程でイエスが神の子でなくてはならなかったのだと思った。
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男は見栄で生きている

2009年06月23日 23時21分40秒 | Weblog
 雨と雨との間の晴れ間のせいなのか、暑い日になった。蒸し暑くて息もできないような真夏日がもうそこまでやってきている。暑いから外に出るのも嫌だと思っていたら、「原稿が出来上がったから取りに来て」と電話があった。真夏の昼間は太陽がぎらぎらとしていて、ドライバーは誰もがイライラしているようだった。私が右折するために並んでいると、右側から「何やってんのよ、おっさん!」と言わんばかりに若い女性が運転する車がすり抜けていく。「おい、おい、危ないじゃないか」と思って見ると、子ども連れのとてもきれいな女の人だった。

 ちょっときれいなだけで、その横着な行為を許してしまう自分が情けなかった。新聞の読者からのお便りコーナーを読んでいると本当に世相をよく反映していると思う。「夫に内緒で貸した金を取り戻したい」とか、「夫が他界してはや3年になる」とか、「夫との性生活なくて寂しい」とか、ほとんどが女性からの投書だ。女性が元気なのか、いやそうではなくて、女性が「私たちは男社会の付属品ではないのよ」と声高く発言してきているのか、いずれにしても男性たちも女性の美しさだけに目を向けず、パートナーとして共に自分をさらけ出してもいいのではないだろうか。

 男たちは、自分も男だからだろうけれど、どうしてこうも見栄だけで生きている動物かと思う。男からプライドを抜き去ってしまったなら何も残らないのではないだろうか。定年退職後の男たちはどこにも行けず右往左往している。町内会の役員を引き受けても、サラリーマン時代の自分にこだわり、なかなか自分をさらけ出すことは出来ない。自分がいかに会社のために働いたか、売り上げとか技術とかを誇りに思っている。そんなものが退職したなら何の役にも立たないばかりか、これから付き合っていく上では妨げ以外の何物でもない。男は誠にプライドだけの生き物なのだ。

 女たちが「夫は血圧の薬を飲み始めてからしなくなりました」とか「求めても、疲れている、ストレスだと抱いてくれません」などとせっせと投書するけれど、男たちは何も言わない。黙って非難に耐えている。男たちが口にすることと言えば、「麻生首相は本当に言葉を知らないね。漢字が読めないというよりも言葉を知らないという方が正しいのではないか。都議会議員選挙の応援に駆けつけ、『政治家に百点満点を求めるのは間違ってます。人間なんですから、無理ですって』と平気で言うのは正しくKYだね。それに必勝を期して頑張ろうと言うべきところを『惜敗を期して』とも言っちゃうんだから」と話題にする。少なくとも自分は麻生首相よりは賢いと話しているのだ。

 男はいつも人から評価してもらいたい気持ちが強いのだと思う。そして異性である女性には甘えていたいのだろう。太宰治を読んでそう思った。
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これはただの前痴呆症か?

2009年06月22日 21時13分13秒 | Weblog
 友だちからケイタイにメールが届いた。「メールボックスが満タンでメールが入りません。きっと皆さん迷惑していると思います」。そこで私は「それが皆さんからはメールが届くのですがどうしてなのでしょうか?一度受信メールを整理してみます。ご迷惑をおかけしています」と返信したところ、再び友だちから「多くの方は簡単な文書だけの封書と考えて下さい。一杯の郵便受けに押し込むことが可能です。僕が送ったのは、封書の1万倍ほどのある通販のカタログなのです。郵便受けが空っぽでも入れるのが大変なのです」とメールが届いた。なるほど、そういうわけか。私は「了解しました」と返信を送る。

 まだ、受信メールボックスの整理にかかっていないが、早くしないといけないなと焦る。わかっていてもなかなかできないというか、まだいいだろうという甘えというか、ことパソコンに関する状況判断は甘くて遅い。切迫感がないのだ。何が原因で、何が起きているのか、自分で確かめ考えてみなければならないのに、何も根拠なく「何とかなるだろう」と思い込んでいる。正しくはそう思い込もうとしている。

 その時、昼間の雑談で話題になっていた麻生首相のことを思い出した。私自身は見ていないので何も言えないが、テレビでの党首討論を見ていた人は、「どうして麻生さんはあんなに切迫感がないのだろう」と言う。「大きな声を上げれば相手をやっつけたとでも思っているのだろうか」。「それに全く相手の言うことを聞かず、たとえば民主党は財源をどうするのか全く考えていないとか、民主党は西松建設からの献金問題について何も明らかにしていない、そう口撃していたけれど、自民党だって財源はどうするのか、西松問題にどう考えるのか、何も説明していない。無知というか、全然何もわかっていない」。麻生首相は論争するというよりも相手の弱点を突けば成果があると思っているのだろう。

 日本人は古来より、いろんな国の考えや制度や習慣を(無批判的過ぎるという批判はあるが)取り入れ、咀嚼し、自分のものに作り上げてきた。仏教や茶華道や近代哲学など、実に最高地点へと昇華している。現場での論争はきわめて不得手であるけれど、いったん引いてじっくり考え、長い年月をかけて練り上げ、それらしいものを作り上げる能力は持っている。それ自体は見上げた才能だと思うけれど、実際にやっていることは実によくわからないことが多いのだ。誰もがひとつひとつをキチンと見つめ、考え、答えを出していかなければならないのに、そのうち誰かがやってくれるだろうと決め込んでいる。

 なにもかも、全てを水に流し、「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず」と過去の検証を怠る。かくいう私もその点では典型的な日本人になっている。昨日のことばかりか今日のことも忘れている。アレッ?これはただの前期痴呆症か?
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太宰治のこと

2009年06月21日 23時21分16秒 | Weblog
 太宰治は明治42年6月19日に生まれている。私の父と同じ年の生まれである。私の父も小説家になりたくて、小説家になるためには医者になるのが一番と考える夢想家であった。まちの医者の家から養子の話もあったというが、本当かなと思う。色が白くて役者のような顔立ちの人だったけれど、現実感覚には乏しかった。代用教員となり、そこで知り合った母と恋仲になったというが、これは姉からの伝聞に過ぎない。

 材木屋を営んでいた祖父にとっては道楽者の息子であったから、おそらく勘当同然だったと思う。そこで父は姉さん気質の母を頼って、医者の資格を取ろうとしたようだ。けれども文学好きの青二才に医術を学ぶ力など初めからないも同然だったのではないだろうか。それとも、母との肉体的な結びつきの方が勉学よりも強かったのか、結局は医者になるのを諦めて学校の先生になった。校長にまでなったのだから、それなりに教師としての力はあったのかもしれない。

 そんな、現実を見ず地に足が着かない父を母はどう見ていたのだろう。姉の話では、太宰治の妻、美知子さんのように夫の才能を信じていたようだ。しかし、父は小説らしいものは何も書いていない。父の遺品の中に童話がいくつか残っているくらいだ。私が父の残した童話を読んでみてもそれほど優れているようには思えないけれど、甥っ子や姪っ子や孫のために冊子にしてあげるのが自分の役割なのかなとは思っている。

 知多半島生まれの母親とどこかで交差したであろう人に、童話作家で有名になった新見南吉がいるのも不思議な縁を感じる。太宰治は教科書によく載っている『走れメロス』やお伽草紙など、子どもに向けた作品と思われるものを書いている。私の後を受け継いで地域新聞作りをしている女の子がブログにこんなことを載せていた。

 「私は小さい時から本が大好きだった。太宰も読みました。太宰っておもしろい話もあるのだけれど、物事を斜に構えて見ているところが好きで、中学生の私は粋がって斜に構えた文章をわかるつもりでいた。国語の教科書に『走れメロス』が出て来る。友情の物語‥として授業では扱われる。私はそれがとても嫌だった。太宰はこれは皮肉として書いているんだって。国語のテストの答案にそう書いた。そうしたら、国語の先生に呼ばれて『何か辛いことがあるのか?』と‥。えっ??。今風の言葉でいうと『友情って素晴らしいっなんてマジで思ってんの先生?わけないじゃん!』って心の中で思った。で、先生になんて答えたか‥は忘れたけど、たぶん優等生的な答えをした気がする(苦笑)」。

 私は『走れメロス』を読んでもこんな風には考えなかった。けれど、『人間失格』や『斜陽』を読むとどうしても同一の作者とは思えなかった。先日のNHKテレビでの太宰の特集を見てなるほどと思った。太宰が『走れメロス』やお伽草紙を書いたのは、多くの文士が戦争を賛美するものを書いていた時代だった。太宰は終戦後に何食わぬ顔で「民主主義」を説く、こういう文士が信じられなかったばかりか、そこに人間の欲と限界を感じたのだろう。

 だからもちろん、『走れメロス』は友情の物語であるけれど、それはそうあって欲しいという太宰の心を表れだったと思う。太宰にはそうした純真な心とどうしようもなく堕罪したくなる自分がいたのだろうと私は思う。
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納得できない「脳死は人の死」

2009年06月20日 19時12分19秒 | Weblog
 18日の衆議院の本会議で、「脳死は人の死」とすることを前提とした、子どもからの臓器の提供にも道を開く、臓器移植法改正案が可決された。これで審議は参議院に移されたが、参議院でも同様に可決されれば改正案は成立する。否決されたら、現在の状況ではありえないようだけれど、衆議院では3分の2の賛成が必要となるので再可決は困難だろうと予想されている。自民党、公明党、民主党はそれぞれ賛否が分かれた。社民党は反対、共産党は棄権した。

 私は若い頃、自分が死んでその身体が他人の役に立つのであればと思い、臓器の提供を申し出る気でいた。カミさんは「そんな遺体がバラバラにされるのは嫌だ」と納得しなかった。それからどんどん臓器移植が盛んになり、それに伴って臓器移植を待ち続ける人の姿がマスコミで取り上げられるようになった。「臓器の移植しか子のこの助かる道はないのです」と訴える親の姿は必死だ。また、臓器移植が間に合わなくて亡くなってしまった、とても可愛い赤ちゃんの生前の姿が画面に映し出されたりして、思わず目頭を熱くした。

 けれども一方で、貧困な国では二つある腎臓の片方を売る人が出始めた。また、これは単なるウワサかもしれないが、子どもを殺してその臓器を売る親が現れた国もあった。助かる命を助けたいと医者なら誰でも思うだろうし、自分にその技術があるならば発揮してみたいと考えて当然だろう。医学は人の命を守るために生まれ、育ってきたのだから。

 地球には60億人が暮らしているが、10億人に満足な食糧が渡っていないという。何千万円という寄付金が「臓器移植でしか助からないかわいそうな子どものために」集められる。確かに人間は善意の人だと思う。思うけれども、10億人が飢えている現実は何なのか。未だに戦争で死んでいく人がいるが、なぜ戦争を阻止できないのか。日本では毎年3万人の人が自殺しているが、これをどう考えればいいのか。

 生きている人間が生きていこうとする人間を支えていくのは当たり前のことだと思う。けれども同時に、戦争や自殺ではない「死」を受け止めることも人間の務めのように思う。人はいつかは死ぬ。生まれて間がない命が尊くて、老いた人の命はどうでもいい訳ではないはずだ。花が枯れるように、人もまた枯れるのだから、たとえ早すぎるとしてもそれを受け止めていく死生観が本当は大事なのではないかと思っている。

 美味しいものを食べ、好きなことを好きなだけやって、何という身勝手なヤツかと自分を思うけれど、それは「神」が裁くことだと思う。今日、7月に出産する長女とお腹の子どものために、ダンナの実家が安産祈願をするというので、結婚報告祭を行なった神社へ向かい、生まれてくる子どもと産む長女の安全と健康を祈って来た。
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