友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ひな祭りは霙模様

2009年03月03日 21時16分38秒 | Weblog
 今日はひな祭りだ。春が到来したはずなのに、雪が舞っていた。今は雨となり、なんだか寒々としている。庭を1羽のセキレイが尾羽をリズムよく上下に動かして歩き回っている。見ていると、歩くというよりは泳いでいるような印象だ。この寒さの中で何を探しているのだろう。

 このマンションは大規模修繕に取り組んでいて、外壁塗装工事や屋上防水工事が行われるため、この春はチューリップを咲かせることができない。そればかりか、50個はある鉢を片付けなくてはならない。昨日までは、天候のよい日はルーフガーデンにでて、鉢の土を空け、根っこや虫のサナギや根を枯らすカビを取り除き、まだ使える土をビニール袋に詰め込む作業に追われた。

 それでも大きな鉢植えのものはどうしようもないから、作業の邪魔にならないため、すぐに移動できるようにしておく必要がある。かといって、1人で移動できるほど軽いものはないから、現場の監督さんと相談しなくてはならない。空になった鉢とその土と、樹木が植えられたままの鉢と3種類に分別しておけば作業もしやすいと思うが、どう言われるか心配でもある。

 最悪の事態は、全ての植木を放棄すればよいと思っている。1月から右手の親指の付け根が痛い。骨折やひび割れなら時間待ちだ。そう思っていたが、なかなか治らないので、万が一病気から来るものであったならという気もして、整形外科で診察してもらったところ、「別に異常はないね」ということであった。先生ははっきりと言われなかったけれど、同じ歳くらいだからなんとなく言外に、「年齢から来るものですよ」と感じられた。

 「手をよく使ったので、腱鞘炎を起こしている」と慰めてくれた。おかしい?手をよく使うことなどないし、最近では文字はもっぱらパソコンに頼っている。それでも手紙は万年筆で書くし、紙に直接書く時は万年筆が多い。その文字を書いていると、右手が痛んで書けなくなってきて、行く気のなかった病院へ出かける覚悟をした。以前ならどうってことがなかったのに、ちょっと使っただけで腱鞘炎になってしまうのもやはり歳なのだろう。

 手が痛いと、文字が書きにくいから困るけれど、鉢の土を取り出し袋に詰める作業をしていて、もっと困った。右手の親指に負担がかからないようにと思っても、それでは作業などできないのだ。先生に言わせれば、「何もせずにじっとしていれば2から3週間で治りますよ」ということであったけれど、手を使わないと動かなくなるのではと勝手に思い込んで、無理やり使ってきたことが、これだけ痛みを長引かせてしまったようだ。

 重い物は持てない。だからぼちぼちとやっているけれど、やはり全ての植木は放棄する方がよいのかもしれない。いずれ、手の痛みが消えても、私が動けなくなれば、植木の世話をすることは出来ないだろう。やれやれ、こんな風にして老いていくのか。
コメント
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