友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

コロナの感染者は増えるばかり

2020年07月31日 17時59分54秒 | Weblog

 青い空に真っ白な雲、太陽はギラギラと輝いている。朝、突然に曇り出し、雨が降ってきた。にわか雨だ。子どもの頃、夕方の突然の雨は梅雨明けの証と思っていた。朝方の急な雨を何と呼ぶのだろう。7月の最後の日になって、真夏の様がやってきた。

 浴室の改修工事が終わり、明日、塗装をすれば完了する。おそらく1時間程で仕上がってしまう仕事だから、塗装くらいは私がやろうと思ったが、最期の仕上げは職人さんに頼むべきだと思い直した。これで子どもたちや孫たちが来ても、気持ちよくお風呂に入ることが出来る。

 なのに、東京都で新規感染者が463人になったという。愛知県の総感染者数は1,612人で死亡者は35人だ。仙台に住む次女たちは、8月にダンナの実家の兵庫県に帰り、その帰りにこちらに寄る計画だが、果たして実現できるのだろうか。

 先程も先輩が、8月にみんなでアユを焼いて一杯やろうという宴会について、「もう少し様子を見ましょう」と言う。イケイケの先輩が慎重になるくらいだから事態は深刻だ。やって非難を受けるよりも、やらない不満の方が小さいと判断したのだろう。

 「政府はもっと強い規制をすべきだ」と言う人もいるが、そんなに他人から指示されなくては行動出来ないのだろうか。「コロナとの闘いという非常事態なのだから」と、権力の行使を求めるけれど、自分の行動は自分が決めるとは考えないのだろうか。

 中学の同級生が、「はがき絵」の礼で手紙をくれた。その中に、「整理をしている中、(中学の)先生からの手紙もたくさん出てきて、ゆっくり読ませていただきました。先生の人間らしさにふれることが出来たかと思いました。体調が悪くなっても一生懸命生きていこうという姿に、先生や奥様の奥にある人間らしくたくましい暖かさを感じ、しばし読み入りました」とあった。この手紙をコピーして、娘さんに送るつもりだ。人が年を重ねることは、感じることが多いようだ。

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農業仲間の友だちからスイカを買う

2020年07月30日 18時02分32秒 | Weblog

 朝から蝉の鳴き声が騒がしかった。何百匹いや何千匹いるのだろう。今年は特に蝉が多いように思う。こんなに一生懸命で泣き続けても、地上にいられるのが1週間とは可哀そうだ。蝉が元気に鳴くのは、梅雨が明けるということなのだろうか。子どもの頃は、雷があると梅雨明けと思っていたが‥。

 友だちが農業仲間とやっている畑で、「スイカが実ってきた」と連絡をくれた。収穫した野菜は近くの農協へ持ち込み売ってもらうのだが、その前に友だちには安値で渡してくれる。小屋には収穫してきたスイカやウリ、オクラやシシトウなどが並べてある。「味見をして行って」と採りたてのスイカを切ってくれた。

 冷蔵庫で冷やしていないのに、随分甘く感じる。長女のところと隣室の改修工事をしている職人さんの分など4玉を買うと、「これはおまけだ」と小玉スイカといくつかの野菜をくれた。こんなことでは商売にはならないだろうが、有り難くもらってきた。「食べてマズかったら、新しいのと取り換えるから」とまで言う。「食べたのに?」と思いながら、「ありがとう」と言ってしまった。

 今年は長雨で、雑草はどんどん成長するが、スイカは日照不足で甘みが足りないかも知れないと心配していた。スイカの成熟をどのように判断するか、勉強してきたことを教えてくれたが、「実際は食べてみないと分からない」とも言う。誠に正直な百姓さんである。スイカは長女のところに届け、家では3時のおやつに職人さんに出した。

 子どもの頃は井戸で冷やしたスイカを祖母が食べさせてくれた。井戸の周りにナメクジがいたのに、その水を飲んでいたのだから、思えば不衛生な生活だった。コロナ禍で大騒ぎしていることがおかしいくらいだ。

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かかりつけの医師との会話

2020年07月29日 17時38分36秒 | Weblog

 私のかかりつけの医師はちょっとユニークだ。「血圧は人によって様々で、そんなに気にしなくてもいいですよ」と言うし、定期検診で受ける大病院の医師について、「一度も患者の私の方を見ずに、モニターの画面しか見ない」と愚痴ると、「最近の若い先生は患者と話せない人が多いんですよ」と苦笑する。

 診察室に入ると、「変わったことはありませんか」と声をかけてくれるので、「コロナで巣ごもり生活をしています」と答えれば、「少しは外に出た方がいいですよ。ただし、マスクは忘れずに」と言う。そして、「まだ当分は続きますから、あまり気にし過ぎてはダメですよ」と言ってくれる。

 さらに、「感染しないようにすることが大切ですが、感染した時はした時、くらいに思って」と言うので、「その時はお願いしますね」と言うと、首を振って笑う。「名古屋へ飲みに行くのは止めておいた方がいいです」と念を押すので、「大丈夫です。家飲みばかりです」と答える。

 先生の好みなのだろう、医院はキレイな女性に満ちている。毎日、こんなきれいな女性に囲まれているのだから、幸せなことだ。コロナ禍で友だちからの電話もメールも減った。人に会わないことが普通になるような生活が幸せとは思えないのに、そうなってきている。。

 恋に生きた瀬戸内寂聴さんが言う。「人は生まれた時からひとりで生まれ、死ぬ時もひとりで死んでゆきます。だからこそ、人は他の人を求め、愛し、肌であたため合いたいのです」。倫理観の強い人には受け入れられない言葉だろう。

 「大人の恋」は1度だけにしておけば、淡い秘密の恋として胸の内に納めておくことも出来るだろう。「恋は元気の素です。最後の恋に情熱を燃やすのはいいことですよ」と、かかりつけの医師は言ってはくれなかった。

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デザイナーの山本寛斎さんは同じ歳

2020年07月28日 17時34分44秒 | Weblog

 国際的なファッションデザイナーの山本寛斎さんが亡くなった。同じ歳だと思うと、彼が生きてきた世界が身近に感じられた。華やかな世界の人のイメージが強かったが、生い立ちなどを知って、私が想像する以上のとてつもない人生に頭が下がる。

 同じ歳だから、田舎の風景も都会の景色もよく分かる。岐阜工業高校へ入学したことが、大きな転機だった。「応援団長として生徒1500人をまとめていた」とある。私の高校は進学校で校則が厳しかったが、それでも学生服の裏布地を虎や龍の図柄に作り替えて粋がっている者もいた。

 寛斎さんがどんな団長だったのか分からないが、「独創的な振り付けを考案した逸話がある」と中日新聞は報じている。岐阜から横浜へ移り、日大英文科へ進んでいるが、よくお金があったと思う。私学の入学金や授業料は国立とは桁違いだったはずだ。その日大を中退し、コシノジュンコ氏に師事したことがさらに大きな転機となった。21歳でファッションデザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞、4年後にはロンドンでのファッションショーに打って出ている。

 私の母は裁縫教室を開いていたので、雑誌「装苑」を私もよく見ていた。雑誌に載っていたイラストを私が真似して描くと、生徒さんが「上手。デザイナーになれるわよ」と褒めてくれた。両親を亡くした時、東京へ出てストリップ劇場の看板描きになろうとしか考えなかったので、私は完全に寛斎さんには及ばない。

 私も大学4年の時は東京で暮らしていたから、同じ空を見ていただろう。貧しさをバネに、前を目指した寛斎さんとは違い、私は堅実な道ばかりを追っていた。それなのに道は消え、新たに自分が歩ける道を探す日々だった。寛斎さんのような華やかさは無いが、それなりに他人のために役立つ道だったと思う。

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浴室の改修工事始まる

2020年07月27日 17時44分38秒 | Weblog

 天候不順で、今朝は土砂降り。今日から隣りの部屋の浴室の取り換え工事が始まるのに、これでは延期かとすら思った。ところが工事が始まる前に雨は止んでしまった。仕事始めは午前9時でも、準備のために30分ほど前から作業員は働いていたから、土砂降りでなくて本当によかった。

 午前9時にピンポーンと責任者が挨拶に来た。「あんなに雨が降っていたのに、心掛けがいいですね」と冷やかしで言ったが、彼は早く仕事がしたい様子で聞き流されてしまった。長女のところの孫娘や仙台に住む次女たちから、「お泊りするので、浴室をキレイにして」と言われていた。

 決して壊れているとか汚れている訳では無いが、長い間使っていなかったから古さは否定できない。最近、私は付き合いが無くなったので、貯金通帳にお金が残るようになった。お金を残しておくことは無いと思い、「そのお金はパパちゃんが持つ」と格好付けて椀盤振る舞いしている。

 洗面所と浴室を改修し、エアコンも大型のものを取り付け、子どもたちや孫たちが何時でも宿泊出来るようにしておけば、たとえ、今回のようにコロナ禍で実現できないかも知れないということになっても、ジイジとしては役割を果たしたことになるだろう。

 娘たちも子どもの頃はパパを大事にしてくれた。そのうち、「部屋に勝手に入らないで」と言うようになり、「パパは自分の考えを押し付ける」と避けるようになった。子どもが自分の価値観を持つようになったのだから、当然、親と対立する。頼もしくなったと思いながらも、親は寂しさを感じるのは、どこの親も変わらない現実だろう。さて、今日の予定の工事は終了したようだから、ちょっと見て来よう。

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ふたりの孫娘の合同誕生日会

2020年07月26日 17時32分24秒 | Weblog

 長女のところのふたりの娘の合同誕生日会は、今、テレビで流行りのリモートだった。昼間、馴染みの和食処を借り切って行われ、間仕切りのある2部屋と、テーブル席の2カ所にそれぞれノートパソコンが置かれている。長女のダンナが先端技術を屈指し、パソコン画面が4つに分割され、みんなで会話が出来るようになっていた。

 テレビ画面を見ながらの会食なのだが、慣れない私たちはついダンナたちのいる方を見てしまう。看護師の長女だけはひとりで1部屋を占めているが、これは絶対に感染しないための工夫だと言う。個々に手の込んだプログラムが組まれていたが、距離の隔たりは心の隔たりでもあった。

 美味しいはずの料理も、特別に注文したバーズディケーキも、何故か味気なかった。若い人たちとの世代間の隔たりはもっと大きく感じられたが、きっと、これからはこういう時代になっていくのだろうという予感がある。老兵は静かにしている方がみんなのためだ。

 コロナ禍はまだまだ広がりそうだ。ダンナの母親も「娘たちから、『感染したら一番危ないのだからね』といつも注意されている」と零していた。「何だか高齢者は危険物扱いで嫌ですね。でも、心配させる訳にはいかないから、私も家でジッとしています」と同調する。何を言われようが、心配してくれているのだから受け入れる他ない。

 みんながそれぞれに自分で考える、自分で判断する、それならば納得である。ただ今は、みんなに同調していれば非難されないからという雰囲気が強い。自分で考えるというより、黙って従っている方が得というところかも知れない。娘たちの次の世代、つまり孫娘たちの社会はどうなっていることだろう。

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監視され干渉されていいの?

2020年07月25日 17時38分16秒 | Weblog

 

 椿の鉢に残しておいたツユクサが、椿を超えるほどに伸びてきた。いつからルーフバルコニーに居座るようになったのだろう。友だちのお父さんが「好きだった」というので抜き取らずにおいたが、繁殖力は並みではない。青い花は小さくて、一見可愛く見えるけれど、よく見ると鬼のような顔をしている。

 余りに茂ってきたので切り取って、花瓶に挿してみた。華道家の假屋崎さんが喜ぶような前衛的な作品になったが、しばらくして写真を撮ろうとした時には、花は萎んでしまっていた。野に在っても朝にしか見ることが出来ない花だからなのか。友だちのお父さんは、この儚さに心惹かれたのだろうか。

 明日は長女のところのふたりの娘、私の可愛い孫娘の合同誕生日会に出かける。誕生日は過ぎてしまっているが、コロナ禍のために集まることが出来なかった。長女も上の孫娘も看護師だから、病院から感染しないようにと厳しく言われているからだ。

 ここ最近、全国的に感染者は増えている。愛知県も以前にない感染者数になっている。感染が広がっていても、働かなければならない人は働く。私たちのような年金生活者は、感染しないために家から外へ出ない。新しい生活様式などと言われているが、どこかおかしい気がしてならない。

 感染予防のために誰がどのように行動したのか、ケイタイの機能で分かるようになるという。既に「NTTドコモに寄れば、先週より人出は4%増えている」と報道されている。個人の動きが監視されているのに、コロナ禍との戦いだからと容認してしまっていていいのかと思う。

 ツユクサにはツユクサの運命があるが、私たち人間はどんな運命にあるのだろう。他人の行為を気にして、時には干渉するような社会は間違っていると思うのは、私がおかしいのだろうか。

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嘱託殺人容疑で医師2人逮捕

2020年07月24日 17時21分46秒 | Weblog

 嘱託殺人容疑で2人の医師が逮捕された。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者から、「安楽死させて欲しい」と依頼があって応じたようだ。女性はブログに、「動かない、食べられない、話せない身体」「自らの生と死の在り方を自ら選択する権利を求める」と書いている。

 2人の医師がどんなつながりなのか、また、医師たちと女性がどうして知り合ったのか分からないが、医師のひとりはALS患者の治療に当たった経験があるようで、「彼らが『生き地獄』というのも少しはわかる」「『日々生きていることすら苦痛』という方には、一服盛るなり、注射一発してあげて、楽になってもらったらいいと思っています」と書き込んでいる。

 津久井やまゆり園の殺人事件とは違う。この犯人は「重度の身障者は生きている意味がない」と、自ら死を望んでいない人たちを殺した。他人の命を奪うことは許されない。私は自分の命も勝手に奪ってはならないと思っている。生も死も、神様が決めることで、人間は従う他ないと。

 「れいわ新選組」の国会議員でALS患者の舩後靖彦さんは、「当初は全介助で生きることが受け入れられず、『死にたい、死にたい』と思っていた。患者同士の支えの中、自分の経験が他の患者の役に立つことを知り、人工呼吸器の装着を受け入れた」と明かす。そして、「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会に」と訴えた。

 重度障害者や難病患者を、「生産性が無い」と決めつけることに私は反対する。みんなで支え合う社会を希求している。けれど、どうしても自らの死を望むのをふとどき者と非難できない。安楽死なのか尊厳死なのか、そういう死があってもいい気がする。

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コロナ禍で人と会えない

2020年07月23日 17時47分42秒 | Weblog

 最近、やたらと眠い。夜はよく眠れているし、夜中にトイレに立ってもフトンに戻ればすぐ眠ってしまう。「朝、4時にトイレで眼が覚めると、眠れないからテレビを見ている」と友だちは言うが、私は5時でも6時でも、また眠れてしまう。

 眠るのは夜だけでなく、午前でも午後でも、本など読んでいると睡魔が襲ってくる。要するに、緊張感が無いのだ。特にやらなくてはならないことがないので、身体も心もボーとしている。散歩したり体操したりしている人もいるが、私は健康に関心が無い。

 井戸掘りや夏祭りの仲間、マンションの誕生日会の友だちともすっかりご無沙汰である。例年の、私の親族の「集い」は開催する予定でハガキは出したが、間近にならないと出来るかどうか分からない。コロナ禍でこんなに、何もかも中止になるとは思わなかった。

 感染防止の最良の手は、人と会わないことだけれど、人に会わないことがどんなに寂しいか思い知った。多くの人がこの矛盾に、心痛めていることだろう。私自身は、「みんな防御し過ぎ」と思うけれど、「万一のことがあったら」と言われたら何も反論できない。

 人生は全て自己責任。だから何をしたって構わないという訳ではないのが人間社会だ。まだ貧富が生まれていない時代は、夫婦という単位はなかっただろう。誰とでも交わり、生まれた子はみんなで育てる社会だったはずだ。

 やがて富が区別を生み、差別をも創り出した。個々の別は、他に迷惑をかけない決まりをつくり、やがては自粛までするようになった。自分たちで創り上げたこととはいえ、なんとも寂しい社会になってしまった。

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先の見えないトラブルはどこまでも続く

2020年07月22日 17時51分33秒 | Weblog

 今日から始まった「Go to トラベル」は、中身がハッキリしないまま出発してしまい、「Go to トラブル」とまで揶揄されている。「アベノマスク」といい、首相周辺にいる官僚たちの質の低下が目立つ。先を読まずに、いかに関心を集めるかばかりに目が向いている。

 政策を提案するなら、まずその中身をどう作るかであり、その結果についてもあらゆる想定をしておかなくてはならないはずだ。詰めが出来ていないものを「いいね」と言ってしまい、問題が生まれると「ダンマリ」を決め、方針が変わるのを黙認して逃げる。

 官僚は思慮と構築力に欠け、政治家は責任逃れに走る。こんな国なのに、国民の多くは諦めている。新型コロナウイルス対策は、誰がやっても完璧には出来ないだろう。新型なのだから仕方がないが、どう対処していくかの構えが無いから、国民としても「何をやっているのか」と文句を言いながら、見ているだけだ。

 立憲民主党の安住国会対策委員長が、「感染増なら総辞職に値する」と言った。だから野党の質の低さに、国民はウンザリなのだ。安倍政権は「桜を見る会」「森友問題」「検事総長人事」「河井夫妻の買収問題」などなど、総辞職に値する数々の問題を生み出しているのに、何一つ追い込めていない。

 野党は安倍政権に文句を並べ立てるけれど、「だから」「それで」と切り込み、国民の敵対者であることを暴露出来ないから、期待も信頼も生まれない。「あいつが悪い」と言うだけでは、子どものケンカだ。我々は「こうする」という対案を見せてくれなければ、支持しようがない。先の見えないトラブルはどこまでも続く。

 

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