友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分の最期を自分で決めるために

2013年04月30日 17時57分17秒 | Weblog

 尊厳死協会の出版パティーで、何人かの筆者である医師から講演があった。終末とはどういう状態を指し、どこで判断するのか、やはり難問のようだ。尊厳死協会が「法で定める必要がある」ということがよく分かった。講演の内容は尊厳死協会が中日新聞社から発行した『新・私が決める尊厳死』(1,000円)に詳しい。医師の話の後、会場からの質問があった。ひとりの男性が、「私はガンで死にたいと思っている。余命6ケ月と言われれば、その間にやりたいことを整理できる。そして絶食して、最期を迎えたいが、ダメでしょうか」と聞いた。

 ガン患者を診ているという先生は「尊厳死にガンは適しています。治療の施しようのない末期ガンは在宅で最期を迎えることが出来ます」と言い、もうひとりの医師は「あなたがモリモリ食べられる状態なら、決して死ぬことはありません。人は食べられなくなって、死を迎えます。絶食については個人的なことなので、私がどうこう言うことではないと思っています」と答えられた。どのようにして、死を迎えるかは個々人の生き方であり、美学のようなもの。それを決めるのは本人の意思である。

 そうであるが、その意志がキチンと伝わらなければ、医師はあらゆる手を尽くして治療に当たる。それは医師の業務である。だからこそ、どのような死を迎えたいと思っているかを日頃から周りの人、家族や友人やそしてかかりつけの医師に伝えておく必要があると言うのだ。病気でも、怪我でも、事故でも、病院に運ばれれば必ず治療が行なわれる。末期ガンで、不治と分かっている患者が、たまたま事故に遭い、救急車で病院に運ばれた。不治の患者でも救急医療を行なうと医者は話した。

 今日、医療技術は格段に進歩したし、医療設備も充実しているし、そのネットワークも出来上がっている。それでも病院をたらい回しにされて、助かる命を失う人もいる反面で、不治の人であっても救急治療を受けることになる。そのために助けられた命を助けられなくしているかも知れない。尊厳死協会は、会員証を身に着けていれば医師はキチンと判断してくれるという。どのように自分の死、つまりは自分の最期を迎えるか、自分が決める時代になってきた。

 明日は、誕生日会の友だちと昼神温泉へ日帰りで出かけるので、ブログを休みます。5月2日から茨城に住む次女夫婦が来ると言う。ブログを立ち上げることが出来ない日があるかも知れない。「便りがないのは元気な証拠」と思ってください。それから唐突ですが、排水溝の金網で越冬したアゲハチョウのサナギは羽化していました。死ななくて良かった。今頃はどこかで蜜を吸っているでしょう。ミカンの木も新芽が出てきたから、またアゲハチョウが卵を産みに来るでしょう。

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「主権回復・国際復帰を記念する式典」

2013年04月29日 18時19分32秒 | Weblog

 政府主催の「主権回復・国際復帰を記念する式典」は昨日、国会近くの憲政記念館で、天皇・皇后両陛下も出席して行なわれた。昨夜はテレビを見なかったので、式典の様子は知らなかったが、今朝の新聞を見ると、衆参両院議長、最高裁長官、各都道府県知事らが出席したというから国家的行事なのだろう。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を記念するというものだが、沖縄は占領下にあったから沖縄の人々が「屈辱の日」と言うのも当然だろうし、祝うことではないように思う。

 朝日新聞も読売新聞も中日新聞も、式典が行なわれたことや沖縄の仲井知事が欠席したことなどを報じると共に、沖縄では「屈辱の日沖縄大会」が開かれたことも報じていた。朝日新聞と中日新聞が1面トップで扱っているのに対して、読売新聞のトップ記事は「参院補選 自民が圧勝」と山口県での選挙結果を載せていた。夏の参院選を占う重要な選挙とはいえ、新聞社によって重点の置き方が違うことは面白い。さらに驚いたのは、中日新聞の23面の中見出しだ。

 「三権の長『天皇陛下万歳』」とある。記事から引用すると「約40分で終わり、両陛下が退席される途中で万歳三唱が始まった。声を上げた男性に合わせ、万歳を繰り返す国会議員ら。壇上の衆参両院議長、最高裁長官も両手を上げた」。両陛下が出席された式典で、「天皇陛下万歳」が叫ばれたことは初めてのことではないだろうか。朝日新聞は写真説明の扱いで「式典が終わり、天皇・皇后両陛下が退席する際、『天皇陛下、万歳!』の声があがった」とだけあった。読売新聞はどこにも書いてなかった。

 テレビではどうだろうと思って『特ダネ』を見たけれど、残念ながら放映はなかった。声を上げた男性は、思わず叫んだのか、意図的だったか分からないが、国会議員だけでなく、両院の議長や最高裁の長官までが、両手を挙げて万歳する光景はただごとではないだろう。何に対しても頭を下げないアナーキーな人の散在が許された時代から、少しずつ「心を一つに」と求める声が形作られてきている。一つの形に押し込められることに体質的なのか嫌悪を感じる私のような人間には生き難い時代の予感がする。

 映画『リンカーン』は、戦争の悲惨さと流血では解決できないと強調していた反面で、多数を獲得するための醜い裏工作も赤裸々に描いていた。町長や市長や知事、首相というトップの地位にある人は、この映画を見て何を感じたのだろう。昨日のことも、10年後、20年後の人はどのように見ることだろう。

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窪島誠一郎さんの講演会

2013年04月28日 11時59分33秒 | Weblog

 ゴールデンウィークが始まった。とはいえ、毎日が日曜日の私には「何しようか」という楽しみがない。昨日も一日中家の中に居た。今朝は、配達するものがあったので30分ばかり外に出たが、空は青く澄み渡り、強い日差しがまぶしいかった。しかし風はとても冷たい。ツツジは満開となり、フジが甘い香りを放っている。マンションの中庭の複数のケヤキはすっかり森をつくり出している。樹木の葉は新緑に燃えて美しい。すれ違ったご婦人が「これからフジを見に行くの」と教えてくれた。                         

 先日、窪島誠一郎さんの講演会に行ってきた。作家、水上勉氏の息子だが事情があって窪島さんに育てられた。その辺のいきさつは『父への手紙』に詳しい。私が窪島誠一郎さんを知ったのは、友だちが連れて行ってくれた、長野・上田市にある「信濃デッサン館」からだ。この美術館は窪島さんが好きで集めた、若くしてこの世を去った夭折の画家たちの作品が飾ってある。私が興味を抱いていた靉光や関根正二の作品があり、ここで村山槐多を知った。その受付に、長身でがっちりした身体つきだがどこか暗い感じの男がいた。それが窪島誠一郎さんだった。

 講演会で見た窪島さんは、20年前の風貌とそんなに変わった感じはなかったけれど、髪が白くなり優しい澄んだ目をしていた。信濃デッサン館の作品の話や、学徒出陣で戦死した画学生たちの作品を集めた「無言館」の作品の話をされた。「小生は必ず生きて帰ります。あなたを描くために」とキャンバスの裏に書かれたものなど、多くの作品が愛する者を描いていると話す。聞いていると、「信濃デッサン館」の風景が浮かんできた。愛する者を守るために戦場に行ったのかも知れないが、「なぜ、自分だけが苦しみに遭わなくてはならないのか」、その「不条理」を思う。

 閣僚たちの靖国神社への参拝について、安倍首相は「国のために命を捧げた人々を敬うのは当然のこと。わが閣僚はどんな圧力にも屈しない」と答弁していた。私も国のために戦った人たちへの追悼の気持ちはある。けれど、戦争を仕掛けた人たち、国民を死に追いやった責任を負う人たちに敬意を払う気持ちはないし、その責めを負うて当然だと思っている。「不条理な死」を迎えなければならなかった多くの若者を初めとする戦争の犠牲者に詫びをし、決して戦争をしないと約束することが為政者の務めだと思っている。

 爽やかな新緑の中の「信濃デッサン館」にもう一度訪ねてみたい。「生きることは自己表現」と窪島さんは結んだ。まだまだ私の自己表現を続けなくてはと思う。

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教師の暴言

2013年04月27日 18時33分06秒 | Weblog

 フジテレビの朝の番組『特ダネ』で、東京・調布市の小学校での教師による子どもたちへの「イジメ」を取り上げていた。東大卒の50代のこの女性教師は、子どもたちへの暴言が過ぎると度々注意を受けていたようだ。ウワサだけでは動かない校長や教育委員会に、録音テープを持ち込んだというから驚く。教室に録音機を持ち込むことが出来るのは、子どもしかいないから、この子はいくら親の命令とはいえ、かなり緊張したことだろう。

 それにしても、テープを聞くと恐ろしくなる。「動きが遅すぎるんだよ」と叱りつけたり、「おバカたちだね。みんなもそう思うでしょう」と仲間になることを強要したり、「勉強が出来ない人は字を書くことも下手ね」と決め付ける。保護者の中には「いい先生」と言う人もいるそうだから、たまたまなのかも知れないが、どんなにクラスの成績を上げている先生だとしても、この教え方では子どもたちは萎縮してしまうだろう。

 先生の教え方をチックするために、教室にはカメラを設置したらどうかという人もいる。これを受けてではないが、教育委員会の責任が明らかでないこともあって、教育長の権限を強化する教育委員会の「改革」が行なわれようとしている。現場の自主性を制限しようとする、安倍首相や橋下大阪市長が考える「教育改革」につながっていく道筋だ。教育委員会がどういう形になることが良いのか議論する必要はある。教育委員が父母たちも含めた地域の声を反映するものであるなら、昔のような公選制の方が良いだろう。教育長が教育現場の総責任者であるなら、教育委員会はこれをチックする機関でなくてはならない。

 私は、教師一人ひとりの自主性が大事だと思っている。学校全体で教育に当たっているけれど、原点はあくまでも教師と子どもという関係である。だからこそ教師一人ひとりの中身が重要だ。以前、九州・福岡の中学校の教師が生徒を自殺に追い込んでしまった事件があった。教師は生徒を「お前は偽善者にもなれない偽善者だ」と叱った。何が原因で、なぜそうなったのか分からないけれど、自殺した生徒は本当に真面目だったと思う。

 「偽善者になれない偽善者」と、先生は皮肉を言ったつもりなのだろうが、人は多かれ少なかれ偽善者である。完全無垢で真っ正直な人などいない。先生はご自分を完璧な人間だと思っていたのだろうか。自殺した生徒は、「先生もまた偽善者だ」と考えればよかったけれど、自分だけが偽善者と真面目に思ってしまったのだろう。相手の立場に身を置くことの出来ない教師は、教壇から自主的に去って欲しいものだ。教師同士で互いに議論できる場があれば、こうした暴言を吐く教師や体罰を教育と思っている教師も、少しは減るように思うけれど、どうだろうか。

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尾崎豊に共感できない人たち

2013年04月26日 23時38分07秒 | Weblog

 テニスクラブに所属している70代の男性が、「若い人が入ってこない」と嘆いていた。スポーツばかりか趣味のサークルでも同じことが言える。私の住むマンションにも合唱サークルがあるけれど、結成以来の女性たちばかりでメンバーに大きな変化はない。歴史が刻まれれば刻まれるほど、他の人は入りにくいようだ。レベルの違いはもちろん、交わされる話題にもついていけない。そんな違和感を抱いてまで参加する必要はないと思うのだ。

 女性たちは比較的柔軟にご近所付き合いが出来るけれど、男性は職場以外でも気を遣うのはごめんだと思っている。そんな柔軟性のある女性たちでも、既存の組織に加入するのには勇気がいるようだ。歴史のあるサークルやクラブよりも、たとえばたまたま出合ったPTAとか、犬の散歩で知り合った人の方が馴染みやすい。それでも、序列とか人間関係で悩んでしまう人もいると聞く。

 今朝の朝日新聞の教育欄に『尾崎豊 ピンとこない』という記事があった。精神科医の香山リカさんは長年、若い人に尾崎豊について聞いてきたが、「尾崎の抱えた不満の理由を分からない人が増えてきた」と言う。そして「権力や大人は悪ではなく、社会秩序を守る存在で、これに反発する意味はない。最近の若者にはそんな認識が広がっている」と指摘する。尾崎豊の歌を聞いた高校生は、「下手したら退学になるし、バカだと思う」と言う。「俺、頭悪いですよ。勉強もしないし、学校よりもバイト優先だし」「適当にうまくやった方がいいよ」と。そして尾崎豊の歌のような生き方は「めんどくせー」と笑う。

 小4から中2を対象にした調査でも、「家の中で一番いる場所は?」の問いに対して、「自分の部屋」ではなく、「居間」が76%を占めている。「家族といるとホッとする」と答えた子どもが97年の調査よりも12年では10ポイント増えている。子ども自身も「お母さんに反抗したことはない」と言い、「お母さんの反応は読める。だからケンカしない」と答えている。家族を大切にし、揉め事を起こさない、優良児のような子どもが増えているようだ。

 公的なクラブやサークルには属さなくても、たとえば街のスポーツジムのようなところには若い人が結構多い。しがらみのない関係を求めているのだろう。クラブやサークルでは、人間関係が複雑で骨が折れる。若い人たちにとっては人間関係が希薄の方が生き易いのかも知れない。そういう私たちも、職場は仕方ないとしても、地域まで複雑な人間関係を持ち込みたくないと思っていたはずだ。そんなことを考えると、今の若い人の方が私たちよりはるかに現実をよく見ているのではないかと思う。若い彼らに任せるのが一番良いのかも知れない。

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野球観戦は、球場かテレビか

2013年04月25日 19時55分43秒 | Weblog

 大学生になった孫娘とカミさんは今頃はニコニコ顔で応援しているはずだ。巨人ファンの孫娘は、私のパソコンから巨人軍のグッズプレゼントに応募していた。先日、読売新聞の販売店の人がやって来て、グッズは当選に外れたけれど、「新聞を購読してくれれば巨人のユニホームや内野席の観戦券をプレゼントする」と言ってきた。中日新聞が強いこの地域で、購読者を増やすための作戦だ。応対に出たカミさんは孫娘を喜ばしたいために、珍しく購読に応じた。

 孫娘は小学生の頃は、母親の巨人好きの影響で、一家で名古屋ドームへ出かけていた。今晩は、岐阜市の長良川球場でのDeNA戦を見ながら、孫娘は巨人のユニホームを着て、オレンジのメガホンから大声で「シンノスケ!」を応援しているだろう。隣の席のカミさんも負けないほどメガホンを叩いているだろう。孫娘が大学生になって、二人は大人のふたりになった。もう孫娘がバアバのお世話をしている感覚だが、きっとカミさんの方は孫の面倒をみているつもりなのだろう。

 今、テレビを見たら、沢村投手がひとりのランナーも出さないパーへクトピッチングでDeNAを抑えている。二人は大喜びだろう。私も球場へ行ったことはある。自分からチケットを買ってではなく、いただいたから出かけようかという程度だ。確かに名古屋球場でビールを飲みながらの観戦は気持ちよかった。真夏だったのに、風が爽やかだった。ドームでも観戦したけれど、ここには爽やかさはなかった。家でテレビ観戦の方が試合がよく見える。臨場感が全然違うというけれど、球場では選手の一挙手一投足が見えない。

 まあ、私は本気になって応援するタイプではないのかも知れない。素直にワイワイ騒ぐことが出来れば楽しいだろうというのは分かるのに、そうできないのは性格なのだろうか。いや、分かり合ってしまえば、結構ダジャレも言うし、ふざけたりもするから、内弁慶なところが抜けないのだろう。長女や次女は素直に仲間に入っていけるし、孫娘もどこへ行っても誰とでも友だちになってしまう。カミさんよりも私の方がその傾向が強いと思っていたけれど、こうして歳を重ねてくると、カミさんの方が開けているのかも知れない。

 おっと、巨人がまた得点した。さて、私はこれから料理にかかり、テレビを見ながら観戦しよう。ご飯は炊けたから、鶏肉の照り焼きとサラダくらいでいいか。おやおや、DeNAに始めてヒットが出た。得点圏にランナーが進んだようだ。

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連休は映画を観よう

2013年04月24日 22時11分06秒 | Weblog

 胃カメラの検査を受けてきた。十二指腸潰瘍だった。えっ、また。不思議な気がした。空腹の時や夜中に痛み出すのは十二指腸潰瘍の特徴だけれど、もうとっくの昔におさらばしたつもりでいた。身体がまだ若いのか、それとも年齢には関係ないのか、いずれにしても情けない。「胃は正直な臓器なんですよ」と以前、医者から言われたことがあった。自分では気が付かなくても、胃は勝手に反応してしまうのだ。

 何があったのか、思い当たらないけれど、考え出せば切りがなく、逆に胃液がますます出てしまいそうだ。こういう時は楽しいことを考えるのが一番の良薬だ。昨日の午後、偶然にBSプレミアムで映画を見た。かなり古いアメリカ映画だった。『シェナンドー河』という題名のこの映画の舞台は南北戦争時代のバージニア州で、家長である父親と7人の息子とで広大な農場を経営していた。私が持っているアメリカの地図では、このシェナンドー河が見つからなかったが、バージニア州は思っていたよりも北にある。それに首都ワシントンはこの州とメリーランド州の境にあるのだ。

 私が抱いていた南北戦争のイメージでは、アパラチア山脈の西、中央アメリカのケンタッキー州やテネシー州が激戦地だった。シェナンドー河の畔のこの農場には黒人奴隷はいないが、教会に集まる農場主の中には黒人を従えていた人がいたし、この一家の一番下の少年の友だちは黒人だった。黒人奴隷はもっと南の農場で働いていると思っていたが、実際はかなり広い範囲で農業に従事していたのかも知れない。そして一家は、戦争には加担しない立場をとっていたけれど、長女の婿になった人は南軍の将校であり、一番下の息子がいつも被っていた帽子も南軍の兵士のものだったから、この地域は南軍側だったのだかも知れない。

 映画の結末は悲惨で、北軍に捕らえられた一番下の息子を取り返すために一家は出かけて行った。しかし息子を取り返せないばかりか、農場を守るために残してきた長男夫婦は南軍くずれの男たちに殺されてしまう。「政治家は戦争の理由ばかりを語り、年寄りは戦争を進める」。そんなセリフがあった。南北戦争の犠牲者を祭る戦没者墓地はバージニア州の北、ペンシルバニア州のゲティスバークにあるが、首都ワシントンから北へ150キロほどのところだ。こんな北部が激戦地だったとは驚いた。

 このゲティスバークでのリンカーン大統領の演説は有名だ。映画『リンカーン』ではどのように描かれているのかと興味が湧く。「人民の 人民による 人民のための政府をこの地上から絶やしてはならない」と結ばれたこの演説は、民主主義の真髄を表している。大和塾もこれを受けて、「市民の 市民による 市民のための勉強会」と謳っている。そうか、連休は映画を観よう。『アンナ・カレリーナ』、『リンカーン』と楽しみだ。なにっ、茨城の次女夫婦が連休に来るって!それはまた楽しみが増えた。

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天候不順や地震発生

2013年04月23日 18時34分39秒 | Weblog

 天候不順が続いたり、地震が日本ばかりか世界各地で起きていて、何となく不安になる。太陽の黒点は活発期に入っているのに、活発な動きが見られないという。日常の規則的な変化が狂うと、何かが起きる前触れではないかと勝手に不安がってしまう。いずれ、この地球も大変化を起こし、人類は滅びるのだろうけれど、数えられるような近いことではないそうだ。今、私たちが掘り出している金属は、私たち人類が生まれる前の文明の遺産だとか、石炭は樹木が堆積したものなのだから、メタンガスのような地下の液体ガスは人類や動物の死骸が分解して出来たものだ、などと子どもの頃は想像していた。

 父親が与えてくれた図鑑には、昔、大陸は1つだったとあり、大陸移動説が説明してあった。それを見ると確かに大陸は1つのものを引き離したように見える。小学生の私には重大な発見だったけれど、丸い地球に、どうして大陸は1つだったのだろうと不思議でならなかった。地球が生まれた時の化学変化で、軽い大量の元素が地球から飛び出したが、地球の重力で大気圏を造ることとなり、そこで大量の水が生まれて地球を覆うことになった。そうであれば、地球の表面は凸凹したところが多くあっただろうに、なぜ陸は1つしか生まれなかったのだろう。

 宇宙のことや地球の誕生のことなど、小学生の私は疑問なことばかりだった。でも、いつの間にか、そういうものなのだと思うようになった。それよりももっと具体的なことに疑問を抱くようになった。たとえば、運動会で行進する時、どうして整然と隊列を組むのか。一糸乱れない行進がなぜ重要なのか。小学校3年の時の担任は、鉄棒の逆上がりをやって見せてくれた。その逆上がりはとてもきれいで、心から先生を尊敬した。でも、先生の中には口先ばかりウルサイ人や、咥えタバコを平気でポイ捨てする人もいた。どうして、こういう先生の言うことを聞かなくてはならないのかと思った。

 いつだったかスキーに行かれる皇太子ご一家の雅子さんに、「税金泥棒。仮病でサボる税金泥棒は皇室から出て行け」と罵声を浴びせた人がいたが、こういう人にはゾッとする。週刊誌には離婚せよという記事もあったと聞く。ご病気であろうとなかろうと、離婚されるか否かについても、他所の家庭のことに口を出すことではないと思う。税金の問題だというなら、税金泥棒と呼べるような人はゴマンといるだろう。政治の仕組みをこれでいいのかと考えることはまだまだあるはずだ。不正は許されないけれど、生活の仕方をとやかく言うべきではないだろう。

 末期にあるかも知れない地球を救うためには、人類はもっと知恵と、そして心の豊かさが必要だ。まだ間に合うだろうかと考えてしまう。

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自分勝手な解釈で生きる

2013年04月22日 18時07分34秒 | Weblog

 4月も半分過ぎたのに、昨日も今日も風が冷たくて寒い。日差しはもう初夏のように強いのに、日陰はまるで晩秋の寒さだ。70歳になったら、そろそろ人生の終末に向けて準備をするようにと誰かが言っていた。聖路加病院の日野原重明さんは、3年先の講演会の日程を決めているそうだ。100歳を超えた人がそうしているのには驚く。長生きの秘訣は、明日、来週、来月、来年と予定を組むことだという。「ここまでは死ねないぞ」と自分に言い聞かせるのだろう。

 先に希望があれば、意外に人は頑張れる。逆に希望もなく生きていることは難しいのだ。アメリカ、ボストンの爆破事件を起こした兄弟は、どうして絶望の淵を見てしまったのか。自暴自棄になる時は普通の人でもある。日本でも毎年3万人の人が自らの命を絶っている。先に希望があるのに、自殺する人はいない。けれども、許せないのは自暴自棄になって、他人の命まで奪うことだ。自殺をする前に救えなかった社会に問題はあるが、他人を巻き添えにする行為は絶対に許されない。

 70歳までにはまだ1年もある。それに来年の春、名古屋城の桜を見に行く約束までしてしまった。日野原さん流に考えれば、その時までは死ねないぞということだ。それでも少し身の回りのものを整理しようと思って眺めてみる。年賀状やハガキや封書が、菓子箱に年を明記して入っている。古いものは絶対に見ないから、処分しようと思うのに、眺め始めると切りがつかない。結局、来年70歳になったら捨てようと思い、ただ眺めてまた仕舞い込んだ。

 あの時、ああすればよかったとか、ああしたならもう少し違っていたはずだと、思うことはあってもそれで悔やむことはしない。過去のことは自分が選択したことだから、悔やんだり悩んだりしないことだと思っている。あの方がよかった、ああすればよかった、と考えて悔やむことは愚かなことだと思っている。結果がどうであれ、自分が決めたのだ、最良のもの、最高の方法、と思い込むようにしている。何を選んでも、どちらに決めても、同じことだ。それならば、自分の選択に間違いはなかったと思う方がいい。

 子どもの頃、映画が見たい、でも映画を見に行けば他の事をする時間がない、どうしようかと10円玉占いをした。表が出たら映画を見る、裏なら諦める。ところが裏が出ると、嫌な気持ちになりもう一度占いたいと思う。それなら自分の気持ちは映画が見たいのだから、気持ちに忠実な方がいいと考えるようになった。誠に自分勝手で、自分に都合のよい解釈である。でも、人生はそんなものではないだろう。しかし、自分の心に忠実にとは言っても、そんな風に行かないことの方が多い。諦めてしまえばいいが、そうなると後ろ向きになってしまう。前向きな人は貪欲で自分勝手なのかも知れない。

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大学は変わった

2013年04月21日 18時58分13秒 | Weblog

 大学の広告が新聞によく載っている。広告代理店に勤める友だちは、今の大学は学生を集めることに必死なので、大学紹介のような広告特集が組まれるのだと教えてくれた。私たちの時代にはなかったような大学がたくさんあるし、先日も新聞に、地方の公立大学がどのようにして学生を集めているか、学長の苦労話が載っていた。経営が困難になった私立大学が、地元の自治体から出資を受けて公立の大学となった話もあった。18歳人口の減少と小泉改革による大学間競争の激化を乗り切るために、大学は大変なのだ。

 私が地域新聞を始めて5年目の時、それまではひとりでやって来たけれど、スタッフが出来た。そこで、考えていた大学を開放した生涯学習大学公開講座を学長に提案した。私たちの時代はまだ、それほど多くの人が大学へ進学したわけではない。学びたいという希望は持っていても、家の事情で大学を諦めた人も多い。キャンパスという響きもよい。学生たちが実際に学んでいる机で、学生たちと同じように大学の先生の話が聞けるなら、きっと多くの人が集まるはずだ。地元に貢献する大学とイメージアップにもなるから、ぜひ踏み切って欲しい。費用は大学と地元の自治体とで分担するように説得する。そんな提案だった。

 第1回生涯学習大学公開講座は1991年の秋、10講座から始まった。今では社会人を受け入れる大学はいくらでもあるが、当時としては魁であった。今年、大学生になった孫娘の大学のクラブ・同好会の案内を見せてもらったけれど、私たちの時代とは全く違っていた。学生自治会が存在していないし、新聞部とか社会研究会とか歴史研究会とか、哲学とか思想とかの名のついたものは一切なかった。社会性がありそうな感じのするものと言えば映画研究会くらいだ。関西の大学で経済研究会に入ったという大学生に、「マルクスとかケインズとか、研究するの?」聞いたところ、「株の研究です」と教えてもらった。

 若者たちにとっては、社会を変えることは出来ない、関心外のことであり、そんなことよりも今日や明日を楽しく充実した、堅実な生活こそが大事なことなのだろう。大学も即戦力になる人材育成に努めていると聞く。大学に通わなくても単位が取れた時代はもう昔話で、今は毎日必死に勉強しないと進級できないほどに絞られるという。それが本来の大学の姿とは私には思えないけれど、せっかく大学に入りながら勉学しないで卒業した私たちのような、悪い先輩を造らないための大学の自己反省なのだろう。

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