友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子どもみたいな年寄りたち

2017年05月31日 17時42分06秒 | Weblog

 何だか疲れてしまった。26日から一日おきに飲み会が続いたせいなのかも知れない。疲れたというより意欲喪失である。この間に井戸掘りもあり、しかも真夏のような暑さの中、砂の層が厚くてなかなか水脈に当たらないことも焦燥の要因だ。

 横浜に引っ越した先輩は85歳とは思えないほど元気だった。元の会社のOB会で旅行した後なのに足取りもしっかりしている。体形は以前と変わらないが歩き方に年齢が出ていた。今、どういう形で井戸掘りをしているかを説明すると、新しく作った道具に興味を持たれ、「明日、見せてもらう訳にはいかないか」とまで言われたので、今朝、迎えに行って現場に案内した。

 道具を見ると、「これを回す装置を考えるわ。何だか楽しみになってきた」と、技術屋の本領がまた沸き上がった。工夫することが楽しくて仕方がないのか、「新幹線で図面を描いてみるか」と意欲的だ。真面目な堅物だが情熱的で子どものように純真でもある。他の先輩たちは飲み屋の女性と懇ろになった話を得意気にしゃべるが、長老からそんな話は聞いたことがない。

 年老いても男は女が恋しくなるもので、誰かの肌に触っていたいのだ。それを、しかし、女性たちは「いい歳をしていやらしい」と蔑む。当然と言えば当然なのだろうが、男たちに納得できない。男はいつまでも子どもなのかも知れないし、純情というと格好いいけれどバカなのかも知れない。男の中にも金で女を抱ける人もいるし、抱けない人もいる。どんなに歳を重ねても性格はなかなか変わらないようだ。

 明日は天候がよければもう一度井戸掘りにチャレンジする。砂層だから水圧で掘るのがよいのだろうが、どういう理由か分からないが水脈に当たらない。どうしたらよいのだろう。「求めよ、さらば与えられん」とはいうものの、やたらと力んでも成果は出ないから、ここはもう一度よく考えなくてはと思うのだが‥。

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「今日は楽しかった」

2017年05月29日 19時26分44秒 | Weblog

 昨夜の大和塾のOB会は大変に盛り上がったが、どんな話で盛り上がったのか定かでない。毎月1回は喫茶店でおしゃべりしようとか、1年に3回は一緒に飲みましょうとか、途中で席を交代してみんなと話せるようにした方がいいとか、事務方を務める私への要望があったことはよく覚えているが、どんな話で盛り上がったのかとなると定かではない。皆さんが「今日は楽しかった」と言ってくださったから、こういう機会が欲しかったと思う。

 午後6時から始めて、結局9時過ぎまで続いた。嫁さんに迎えに来てもらう人、酒は飲まずに3時間も付き合い車で帰る人、自転車で帰る人などいて、最後に1夫婦と私を含める3人が残り、歩いて帰った。夫婦の方が、「我が家で飲み直しませんか」と言ってくださったので、家に立ち寄らせてもらった。「何もない」と言う割にいつも彼女は手際がいい。酒の肴をアッと言う間に用意し、日本酒や焼酎やワインを出してきて勧めてくれる。

 先輩は夫である大学の先生とよほど気が合うのか、OB会の席からズ~と話している。科学技術の話から、中国や韓国のこと、若かった昭和の時代の話など目まぐるしく変わっていく。もうひとりの技術畑の先輩は、物理・科学の得意な先生と馬が合うのかも知れない。最後に「一緒に麻雀をやりましょう」と約束していた。ふたりの先輩は先生夫婦と打ち解け合って話が出来て、大満足の様子だった。

 午後11時を過ぎてしまい、やっと腰を上げて玄関に立つと、先輩はもうフラフラである。両脇をふたりで抱え込み、私は先輩のベルトを右手で持ち、倒れ込まないように注意しながらマンションまで帰った。私ひとりでは無理だったので、もうひとりの先輩に部屋の前まで送ってもらった。いくら酒に強いとはいえ、やはり昔のように若くはないと痛感する。

 さて、明日はまた井戸掘りだが、果たしてまだエネルギーが残っているだろうか。午後5時30分には横浜へ引っ越した井戸掘り仲間の大先輩と落ち合う。以前勤めていた会社のOB会に出るため「そちらに行くので、ぜひ、みなさんと一杯やりたい」と言う。また、懐かしい顔に会うことが出来る。そんな訳で、明日のブログは休みます。

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市民と市の共同事業

2017年05月28日 16時44分18秒 | Weblog

 市民がそれぞれ得意の分野で、団体を結成し市民活動を展開する。市はその事業に補助金を出して応援する。そんな、市民と市との協働事業が盛んに行われるようになった。市民が行政に関心を持つだけでなく、自ら進んで行政の一翼を担うことになり、行政では出来にくい細かなサービスを提供する形にもなる。

 どこの自治体でもこのような市民参加の手法を取るようになってきた。こんな活動にまで補助金を出すのと疑問に思う事業もある。例えば歯科医が歯科衛生について講習会を開催するのは職務としても正しいと思うが、一歩間違えれば自院の宣伝になりかねない。ボランティア活動であっても自分の利益に結び付くようなら、やはり問題も起きるだろう。

 学習困難な児童を支援する活動も最近注目されている。私の友だちも「こういう活動ならまだまだぼくらも出来るんじゃ―ない」と言うが、実際には場所がない。行政が場所を提供してくれるならよいが、学校の空き教室を使うとなると個人や市民団体では無理がある。それに、市民活動の重要な担い手は女性と私たちのような年金生活者が多く、社会の中軸にいる世代は地域にまで目が向かない。

 市民レベルが向上しなければ社会の本当の意味で改革は進まない。市民活動の団体が集まっても、補助金の奪い合いや他団体の非難が先行するようなら、結局は行政主導にならざるを得なくなる。もうひとつ気になるのは、行政の一環をボランティアやNPOが担うことで、行政は無駄な支出を減らしたと得意がるが、無駄な事業を増やしたり、低賃金の人を増やすことにもなる。

 スリムな行政にすることは大事だが、そもそも行政とは何かを考えて欲しい。さて、今晩は「市民による 市民のための 勉強会」である大和塾のOB会を開く。どんな話が飛び出すか、楽しみだ。

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パソコンも時々不機嫌になる

2017年05月27日 19時49分42秒 | Weblog

 毎日、私のブログをチェックしていてくれる友だちが、「2日間もブログが更新されていないので心配した」と言う。確かに、鼻水が止まらず絶不調と24日のブログに書いたし、翌日は鼻水は止まったが体調は今ひとつだったことと、長女のところの小2の孫娘を迎えに行ったりして、パソコンに向かう時間の余裕がなかった。

 昨日は雨の中、誕生日会の友だちと可児市の花フェスタにバラを見に行き、イタリアンレストランで昼食をとり、夜は創作料理の店で誕生日を祝って食事をし、その後、カラオケ店に行き結局12時まで歌をうたい、久しぶりに遅くなった。11時30分になる頃、時計を見せて「そろそろ」と言ってみたが、「12時までフリーだから」と言う。翌日(今日になるが)のことは余り気にならないのだろうかと思うほど皆さん元気がいい。            

 今朝、私は行きつけの医院に行って来た。先日の大腸の内視鏡検査で取り出したものが悪性かどうかを聞くためだ。医者が検査結果をあまりにもジッと見ているので、ガンなのかと覚悟した。私としてはもう充分生きてきたから未練はない。出来ればあと半年とか言って欲しいと思っていたが、「心配はないですね」と言うので安心したと同時に何か拍子抜けな気持ちになった。

 医者は続けて、「変わりないですね」と聞くので、「水・木と鼻水が水のようにポタポタ落ちて止まりませんでした」と答えると、「アレルギーですね。噴霧用の点鼻液を出しましょうか」と言う。そんな薬があるのならありがたい。アレルギー性鼻炎は卒業できたと思ったのに、まだまだしつこいようだ。誕生日会の仲間の女性も私より年上だが、未だに鼻炎に悩まされ薬を服用していると話していた。

 体調不良が続いたが、私のパソコンもこのところよく動かなくなる。「Micrsoft Word応答なし」となってしまう。文章を作っている時に、私がどこかのキーを押してしまい、それで不機嫌になるようだ。何が原因なのか分からない、分かる知識がないこともあるが、女性にも時々こういう人がいる。困ったものだ。

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両極端になっていく

2017年05月24日 19時08分12秒 | Weblog

 井戸掘りは成功したのに、私は朝から絶不調だ。どうしてなのか、朝から鼻水が止まらない。いつもなら、家を出たら止まってしまうのに、今日は全くダメで、こうしてパソコンに向かっている今も鼻水が止まらない。横綱の稀勢の里は今日から休場のようだが、私も満身創痍の状態なので休場扱いにして欲しい。

 井戸掘りの仲間は私が体調不良ということよりも、ペースメーカーを装着していることを気にして力仕事をさせないように気を配ってくれる。今日は朝から鼻水をポタポタと落とし、クシャミを連発するので、声には出さないが私を心配してくれる。それでもとにかく、井戸は掘れたし、汲み上げると水はよく出てくる。後は家主からポンプの設置場所の指示を待つばかりだ。

 体調不良の時に、「今日はダメだ。明日また掘ればいい」とか「こんなに砂ばかりでは水を打ち込んでもダメだ。もっと深く掘る必要がある。明日やってダメなら来週もやればいい」と悲観的なことを言われると、ますます気分が落ち込む。まあ、それは彼の性格というか、クセだから仕方ない。「大丈夫。水はジャンジャン出る」とか「水脈が近い」とか、余りに根拠のない希望に満ちた言葉も空々しいが、歳を取ると両極端になっていくのだろうか。

 「共謀罪」が衆議院本会議で可決された日、広島で中核派の男が逮捕された。1971年の渋谷暴動事件を警察は46年間も追い続けていたのだ。逮捕された男は67歳。21歳の大学生の時の事件だが、46年間も身を隠して暮らしてきたから、これでやっと「もう隠れなくていい」とホッとしているだろう。

 恋愛も結婚も家庭も仕事も知らずに何が「革命」なのだろう。安倍首相は改憲に向けて暴走している。「革命」のために人生を捨てて生きて何の意味があるのか。「改憲」に向けて聞く耳を持たない安倍首相だが、「よい時ばかりが続く訳はない」と私は思う。絶不調から脱出できない。酒でも飲んだ方がいいだろう。

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井戸掘りのコツは焦らず根気よく

2017年05月23日 18時36分03秒 | Weblog

 先日、井戸を掘った家主から「息子のところにも井戸を掘ってくれないか」と頼まれ、今日は朝から井戸掘りをする。息子さんの家は芝のあるかなり大きな家だが、井戸に指定された場所は北西のやや狭い場所だった。草が生えないようにシートが張られ、その上に白い小石が蒔かれていて、見た目にはいいが井戸掘りには大変だった。

 まず、小石を集めて大きなバケツに移し、次にシートをめくって井戸の場所を探す。排水用の塩ビ管が地中にあるし、どういうものか分からない塩ビ管が交差するようにあるので、これらを避けて穴を掘らなくてはならない。「どこでもいい」と言う割には場所は限られている。しかも盛り土して家が建てられているが、盛り土には石や瓦やタイルなども混ざっている。

 1メートルばかりの盛り土の部分をスコップで掘り進め、スコップが使えなくなったところからは手製の道具で掘り進める。畑の土と思われる層を掘り進めると次に砂の層になる。砂層だから当然水分が多い。水を含んだ砂層はかなり厚いようで今日は5メートル近くまで掘れたのにまだ砂層から抜けられない。砂の色が変わってくれば次の層も近い気がするが、午後5時を回ってしまったので、続きは明日することにして終わった。

 先回から新しく友だちが参加してくれた。彼は商売をしているから、仕事のない時間だけの参加だが、何しろ一番年下の私が73歳の高齢者集団にとっては、私よりも8つも年下の若い力はありがたい。井戸掘りは肉体労働で体力勝負だが、とにかく焦らず根気強く単純な動作を続けなくてはならない。せっかちな人はすぐ道具や手法を取り換えようとするが、それは意外にも意味がない。我慢しながら続けることが一番の早道なのだ。

 それにしてもやはり疲れた。暑さのせいもあるだろう。明日は曇り空になるという予報なので、作業にはちょうどよいだろう。明日は水が出ますようにと祈ろう。

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政治家の知性は貧困?

2017年05月22日 19時25分56秒 | Weblog

 自民党の厚生労働部会で、厚生労働省が取り組んでいる飲食店での喫煙禁止について、三原じゅん子議員の発言に対して大西英男議員が「ガン患者は働かなければいい」とヤジを飛ばした。ガン患者に対して国が全面的に生活を支援するならともかく、喫煙する店で働くな、喫煙する店に来るな、という意図のようだ。

 「大西英男」と聞いて、この議員は以前もヤジを飛ばして謝罪したことを思い出した。確か少子化問題を取り上げていた女性議員に対して、「子どもを産まないとダメだ」とヤジった。子どもを産むか産まないかは個人的な問題であって、「子どもを産め」とヤジるのは、問題が違うということを理解できていない。

 大西議員のプロフィールを見ると、23歳で政治家の秘書になっているから根っからの政治好きのようだ。29歳で東京都江戸川区議に初当選し、38歳で最年少議長に選出されている。これだけ政治家としてキャリアを積んできているのに、実は全くことの本質を勉強していない。大西議員の女性蔑視はぬぐい切れないものがある。

 それでもなあーと、思うこともある。北朝鮮がまた弾道弾ミサイルを打ち上げた。安倍首相は「国際社会の平和的解決に向けた努力を踏みにじるもので、厳重に抗議し厳しく糾弾する」と言う。北朝鮮のミサイル開発を脅威と感じるのは、日本と韓国とアメリカで、中国は対アメリカに対する防波堤として北朝鮮は必要だが中国に逆らわないように手なずけたいはずだ。

 核が平和のバランスをとっているから、どこの国も核保有国になりたがる。大学に入学したばかりの頃、高校の時の同級生がオルグに来た。「兵器を無くさなければ平和にならない」と私が言うと、彼は「兵器が悪いのではなく、誰が持つか」だと言う。北朝鮮が大国アメリカと対等に交渉するためには「核」は絶対に放棄できない。これを平和と私は思わない。 

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マンションの草取り

2017年05月21日 18時08分29秒 | Weblog

 暑い。昨夜は窓を開けていたのに、部屋の温度計は25.4度もあった。こんなに早くから熱帯夜になり、こんな夜がこれから続くのかと思うとウンザリする。今朝は、マンションの草取りの日で、9時から始めて10時までに終わるはずが、運の悪いことに、80+ウン歳の元気な女性の指揮下で作業をしていたために、他の皆さんが終ってもなかなか終了のサインが出なくて、結局11時を過ぎてしまった。

 雑草だけを取り除く「草取り」だったのに、腐りかけた桜の枝を切り落としたり、大きくなり過ぎたツツジの剪定まで指示するので、どんなに働いても切りがなかった。樹に登っても手の届かない枝まで切り落とせと指示するので、「業者が来て、やってもらわないと無理だよ。怪我をしないうちに、ここまでやったら止めると決めないとみんなクタクタだよ」と声をかける。

 「私もあと何回出てこられるか分からんで」と女性が言い訳をすれば、「この調子だと150歳まで生きると違う」と男性が冷やかす。女性は「そうなったら、珍しいマンションで有名になり、マンションの値段も上がるで、頑張らなきゃいかん」と応酬する。別の女性が「あんまり有名になるとかえって困るわ」と言う。彼女のような元気な年寄りがこうした作業に参加してくれるだけでもマンションの住民意識は高いと思う。

 草取りのような行事に「参加しない人がいる」と非難する人もいるけれど、いろんな事情があるだろうから、たとえサボリであっても私は非難したくない。非難の声が高まればますます参加者は減るだろう。そんな風に他人の悪口ばかり言い合うようなマンションは住む気になれないだろう。いつも鷹揚で、和気藹々としていて、決して他人の悪口は言わない、そういうマンションでなければ気持ちよく住み続けられない。

 やれる人でやる。やれない人の文句は言わない。いつか、自分も身体が動かなくなるかも知れない。他人の悪口を言えば、きっといつか、悪口を言われる側になる。他人のために働いていれば、大いに感謝されるのに、悪口を言えば評価は確実に下がる。

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高齢者の性の悩み

2017年05月20日 18時48分49秒 | Weblog

 カミさんがお昼に見ているテレビ『やすらぎの郷』は年寄りが主人公のドラマだ。いったい誰が脚本を書いているのかと思ったら、『北の国から』の倉本聰氏とある。風光明媚な所にある高級老人ホームを舞台にした推理っぽい物語だ。しかも、出演しているのは年老いてしまった浅丘ルリ子やまだ若く見える石坂浩二など往年のスターばかり。昔懐かしい人には嬉しいかも知れないが、見ていると何だか情けなくなってくる。

 お昼の時間帯に朝ドラ並みの15分という設定がよいのかも知れないが、それにしても、年寄りばかりが出演するドラマが出来るとはビックリである。ドラマは美しく「華」がなければ成り立たないは過去のものとなったのだろうか。昨夜、NHKテレビが『クローズアップ現代+』で「高齢者の性の悩み」を取り上げていたが、テレビ局がドラマではなく、社会問題として「性の悩み」を取り上げるのは珍しい。

 40代だったか50代だったか覚えていないが、中学のクラス会の時、クラスで一番キレイと言われていた女の子に、「女の人も性欲はあるの?」と聞いてみた。すると彼女は「当たり前じゃーない。あるわよ」と断言した。しかし、彼女からのアプローチはなく、それで終わってしまった。私があまりに「そうなんだ」と合点したことが彼女の気分を損なたのかも知れない。ゲストで出演していた評論家の田原総一朗氏は83歳だが、「性欲はあります。死ぬまでありますよ」と答えていた。

 「性の悩み」を相談することが出来ないと多くの高齢者は困っているのに、田原氏は「カアチャンと話し合えばいいじゃないですか」と繰り返し言っていたが、果たして自身はどうなのだろうと疑問だ。私たちの時代は男女が一緒にいれば不良とみなされたし、私自身で言えば、結婚するまで手も握らなかった。その話を子どもにしたら、「バッカじゃない」と笑われた。誰だったか忘れたが、「もう恋も出来ないのか」と嘆いていた。先がないだけに実感が籠っていた。

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高校新聞部OB会案内ハガキを作る

2017年05月19日 18時39分22秒 | Weblog

 まだ、芽が出てこない。昨年、取っておいたサルビアの種を蒔いたが、まだ発芽しない。農学部を卒業し有機農法でコメなどを栽培している友人が、「サルビアの発芽率は低い」と言っていたが、それでも毎年20本くらいはまかなえたのに、今年はうまくいかない。チューリップを見に来た友人がくれたオキナワスズメウリもまだ芽を出さない。今日の午前中は寒いくらいで、鼻水を流しながらルーフバルコニーで作業をしたが、午後は暑くて逃げ出した。

 それで高校の新聞部OB会の会場を決め、案内ハガキを作った。会場の担当者に聞くと、「午前11時から午後6時までご利用できます」と言うから、日帰りで集まるには好都合だ。私が新聞部の部長の時、「論説」欄が校長の逆鱗に触れ、他校への郵送禁止となった。昭和36年2月21日付けで、校長の「卒業生に送る辞」と共に掲載した。書いたのは私ではないが、発行責任者として校長室に呼び出された。

 そんなことから自主出版の新聞を作ろうという話に発展し、翌年、2年生になった7月に集まって内容の検討、主筆者の割り振りをした。タブロイド判の4ページだから大したものだ。その時に誰がいくら出費したかを記録したノートがあった。こういう事務方は昔から私が担ってきたようだ。今度のOB会にノートを持って行こうと思うし、6百円出した一番大口の出費者にも案内を出そうと思う。

 自主出版の新聞『理想』は昭和36年の夏と37年の冬に発行して終わった。読み返してみても結構レベルが高いように思うのは自己満足か。「共謀罪」が衆議院法務委員会で、自民・公明・維新の賛成多数で可決された。安保関連法案といい、秘密保護法といい、沖縄政策といい、私たちが高校生の頃と変わらないというより、もっと大変な時代になってきた。そんな気がする。

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