友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

確定申告

2008年02月29日 22時02分33秒 | Weblog
 昨日、確定申告を終えた。役所というのは不思議なところで、別に悪いことをしているわけでもないのに、なぜか緊張する。私の確定申告は明瞭そのもので、どこにもごまかすようなところがない。それなのに、緊張してしまうのは、役所が持っている雰囲気なのかもしれない。受付で番号札をもらうのだが、「いらっしゃいませ。ご苦労様です。お茶を用意しておりますから、どうぞこちらで、お茶でも飲みながら、順番をお待ちください。できるだけ、皆様に長くお待ちいただかなくてもよいように、精一杯やらせていただきます」と、そのくらいのことでも言って欲しい。

 医院の診察待ちでもそうだ。どうしてお金を払う側が小さくなっていなくてはならないのか。病気になったことが申し訳ないような気持ちで診察を受けるけれど、患者が来てくれるから医院は成り立つのだから、もっと患者は堂々としていてもよいはずだ。医者の「先生」には、病気を治療して助けてもらわなくてはならないから、その意識が働くから、小さくなってしまうのだろう。役所も、本来なら私たちの代わりを務めてくれるところなのだし、そのための活動資金である税金を納めているのだから、たとえ私たちの側に不備な点があったとしても、役所は「ありがとうございます。ここだけちょっと訂正していただけませんか」と言うべきだ。

 そんなエラそうなことを書いたが、実はかなりガックリしている。これまではいつも、払いすぎていた税金から還付してもらっていたのに、今年は「はい、これでいいですよ」と言われ、よく観るが税金の欄がゼロである。扶養家族の主婦と同じだ。「税金がかからない。バンザイ」と主婦の方は思うかもしれないが、これまでは税金を納めてきた人間としては、ちょっとばかり寂しい思いだ。税金を納めることがなくなったことがイーコル不要の人間というわけでは決してないけれど、なぜか石原東京都知事ならそう言いかねないなと思った。

 今、国は赤字を抱え、税金を上げたいけれど上げられず、減税を取りやめたり、取れる税は何が何でも取ってしまおうとしている。税収が減れば、事業と人件費を減らす、そういうシステムにすればよい。税金は湯水のように遣われてしまうが、それは税金を払っている私たち国民が使い道に関心がないからだ。赤字を生み出したのは、国から借金をして事業をやれとしてきた政府に全ての責任があるのに、「苦しいのはお互い様で、みんなでこれを乗り越えましょう」という論理に納得しているからだ。
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恋はワクワクドキドキ

2008年02月28日 22時43分24秒 | Weblog
 中学1年の孫娘が学校から帰るなり、ニタニタしている。「どうしたの?何かいいことでもあったの?」と聞くと、「またまた恋心が芽生えちゃった」と言う。「何度目の?」とイヤミで聞いてみる。「4度目かな」とすまして答える。恋というほどのものではなく、単なる好きに過ぎないが、それでも彼女にとっては大変なことだ。「そうですか。よかったですね。今のお気持ちは?」とまた、イヤミで聞くと、「ワクワク、ドキドキってとこかな」と答える。そうね、恋はいつだってワクワクドキドキするものだ。

 先日の3度目の「60歳の集い」の時、私に初恋の話を聞かせてくれた人がいた。高校生の時、ペンフレンドが流行っていたそうで、文通を重ねていた人が初恋の人という。彼女は岐阜で彼の住まいは三重と近いこともあり、二人はデートするようになった。彼の方は医学部に進学し、二人はますます頻繁にデートするようになった。彼は、私のように結婚するまで、手も握れないタイプではなく、彼女とキス以上の行為をしたと、彼女は話す。二人のことが彼の親に知れ、強引に裂かれてしまったそうだ。それでも、結婚するまでこっそりと会っていたそうだ。

 彼女が結婚してこの町に住むようになって、突然彼がやってきて、再び恋の炎が燃えてしまう。彼女はご主人に隠れて逢引を重ねたそうだ。それで、どうなったのか。今の彼女は私と同じくらいの体重がありそうな巨漢のおばあちゃんになっているから、彼女の恋はもう終わっているのだろう。どうして私に昔のきわどい話をしてくれたのかはわからないが、彼女の話が100%事実なら、「私にもこんな素敵な恋の季節があったのよ」と自慢してみたかったのかもしれない。話の多くが彼女の作り話であるなら、恋愛への強い願望が創作の原動力なのだろう。こんな激しい恋がしたかったということだろう。

 孫娘も「これから友だちに相談に行く」と言う。「そうか、じゃあー、あなたも彼女の相談にのってあげなくちゃーね」と言うと、「あの子は好きな子はいないんじゃないかな。私はあの子を絶対に信頼し、あの子は私の命だけど、あの子は私のこと命とは思ってないね」と言う。へえー、それでも恋の相談に行くんだと感心した。女性同士というのはよく身の上の相談をするものなのかもしれない。そう思ったが、いや私も昔からよく恋の相談を受けた。あの子はいいなと思っていても、友人が「実はオレあいつが好きだ」などと言われ、「どうしたらいい?」と聞かれれば、仲介を買って出たりもした。

 恋は相談されるよりも、相談する側の方が楽しいに決まっている。孫娘の4度目の恋はどうなっていくのだろうか。心配でもあり、楽しみでもある。
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家族の要因

2008年02月27日 22時47分55秒 | Weblog
 NHKブックス『暴力はどこからきたか』(山極寿一著)を読んでいる。ライオンは同じライオンを襲わないのに、人はなぜ人を殺すのか、不思議でならない。いったい、人間だけがなぜこんなにも凶暴にできているのか、それがどこから来たものなのか、知りたいと思っていた時、たまたま書籍の広告に出ていたので買ってきた。著者は京都大学の教授で日本霊長類学界の会長を務め、「フィールドにてチンパンジーやゴリラの社会的行動の姿を追う」と紹介されていた。

 まだ、半ば辺りだから「暴力がどこからきたか」までは書かれていない。霊長類が群れを作る理由や母系や父系の群れ(家族?)ができてきた理由を検証しているところだ。猿から人が生まれたとしても、人は猿ではないから、決してそこに原点があるわけではない。それでも興味はある。動物の進化の要因は食べ物にあることもよくわかる。原猿が夜行性であることも理解できる。そしていよいよ本題へと踏み込むところへ差し掛かってきた。

 ところで、昨夜は恋人同士の関係が「保守化」してきているとテレビが取り上げていたことに触れた。どうしてそうなってきたのか、原因はわからない。家族のあり方が変ってきたことは確かな事実だろう。家族はもっとも崇高な、理想的な形、そのように若い人たちは見てきたのかもしれない。ところが現実の家族は、夫婦であっても母が父を尊敬している様子はないし、父が母を労わっている様子もない。生活は共にしているが、(中には生活もバラバラになっていて、)一緒に暮らしているだけであったりする。

 我が家の子どもたちには、「家庭はみんなが心を一つにして、一緒に行動する」というイメージがある。しかし、実際はそうはならないし、それを突き詰めたなら、子どもは家庭から出て行くことができなくなる。我が家では子どもたちが小さい時、5月5日と10月10日を家族でハイキングの日と決めて、出かけていた。家族一緒に出かけることは多かった。ニューファミリー世代の私たちはそんな家庭を作ってきた。だから我が家の子どもたちは、家族は一体という意識が強いのかもしれない。

 私は、「家庭ごっこ」でよいと思っている。父親は父親ごっこを母親は母親ごっこを、そして子どもたちも子どもごっこをしながら育っていく。「ごっこ」をどれだけ我慢して上手にやるかが家庭というものではないだろうか。一人ひとりはたとえ全く違うことを望んでいたとしても、自分ができる限りの「ごっこ」があれば、家庭が成り立つように思う。親子でも夫婦でも、人の心までは支配できない。愛されたいと思えば、自分が愛するより他ないのだ。たとえ相手が裏切ろうと、愛して欲しければ愛する以外にはない。相手の心を縛っておくことなどできない。

 「あなたが何を思い、何をしようとも私は許す。なぜなら私はあなたを愛しているから」
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デートDV

2008年02月26日 23時38分12秒 | Weblog
 今朝は雪だった。「雪はいいね。何もかも、全てを白く覆い尽す。おお、雪よ、一切の汚れを覆い尽せ」と、詩人になったつもりで孫娘に話したが、「そんなこと言う人いないよ」と軽く言い放す。そうか、若い人たちは雪に感動したり、嵐にドキドキしたり、瑠璃色の空を美しいと思ったりはしないのか。そんなことを話すと、「ウウン。雨は好き。雨が降ってくる前は雨の匂いがする」と言うから、彼女もいい感性を持っているかもしれない。

 NHKテレビの『クローズアップ現代』で、「デートDV」なるものを取り上げていた。結婚していない恋人同士でのDVのことだ。人を好きになれば、そして恋に落ちれば、相手を独占しておきたい気持ちになることはあるだろう。けれども、どうして好きになった相手、恋している相手を、殴ったり蹴ったり監禁したりできるのだろう。また、若い女性たちは「愛」は束縛があるもので、束縛に耐えることは「愛」の証だなどと考えてしまうのだろう。

 好きになった相手の過去のことに異常なまでにこだわったり、恋した相手が自分以外の異性と話したり、近頃ではケイタイがあるから、その受信暦や発信暦に目くじらを立てたりするのか。自分が、相手が好きで、可愛くてどうしようもないほど愛しているなら、相手がどんなに自由であっても、自分の「愛」は変らないのではないか。自分が本当に好きなら、心から愛しているなら、相手を疑ったりはしないものだ。疑りは自分に自信がない証拠だ。

 ゲストが「現代社会は保守化してきている。男女平等などといいながら、男社会に戻りつつある。若い男性は女性を自分の支配下に置こうとするし、若い女性は支配されることが愛されていると思っている」というようなことを発言していた。確かに、若い人の中には、異常なまでに相手を束縛する、つまり相手を支配する人が生まれてきたことは事実だ。私もそういう人を見聞きしたことがある。けれども、そこに本当に「愛」は在るのか、私には疑問だ。力ずくで、殴ったり蹴ったり脅したり、それで支配下に置くのは、自分が弱いからだと知るべきだ。自分よりも強い人間に立ち向かえない弱い人間は、もっと弱い人間を支配したがるものだから。

 これまで、男と女は性の差はあっても人としての差は存在しないとしてきたことはどうなってしまったのか。なぜ、子どもたちに、人として愛し合うことの尊さ、尊敬し合うことの喜び、求め合うことが生み出す安堵、こうした男であり女であることの性の違いの良さが受け継がれていかないのだろう。孫娘よ、つまらない男にだけは恋するな。
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理想の女なの?

2008年02月25日 23時07分34秒 | Weblog
 新潮文庫で川端康成の『眠れる美女』を読んで、ビックリした。そこで、この文庫に載っていた『片腕』と『散りぬるを』も読んでみた。若い頃は日本の文学作品に余り興味がなかったので、日本の小説をよく知らない。私が一番興味を持ったのは高橋和巳で、「おおこれぞ文学!」と思って読んだ。大江健三郎も初めの頃の作品は読んだが、光君が生まれて、大江作品は変わっていったように思う。それで興味がなくなった。柴田翔や三田誠や連城三紀彦も1冊は読んだが、その後は興味を引くものがなかった。

 川端康成がどうしてノーベル文学賞をもらったのか、私は知らないが、東洋の美学を評価されたというようなことを誰かが言っていた。そんなこともあって、『眠れる美女』だけでなく他の作品も読んでみようと思ったのだ。解説を三島由紀夫が書いているが、その解説によればこの3作品は川端自身が編まれたもののようだ。『眠れる美女』は昭和35年から36年に雑誌「新潮」に連載されたものであり、『片腕』は昭和38年から39年に同じく「新潮」に連載されたものだ。ところが『散りぬるを』は昭和8年から9年に掲載されている、いわば戦前の作品である。

 解説で三島が述べているように、「そこには一脈相通ずる特色を(川端が)見出されたからにちがいない。『散りぬるを』は、実際、眠っている間何もしらずに殺された二人の女の殺人事件を扱っているという題材的類縁たるに止まらず、小説家という『無期懲役人』の業と、現実への美しい関わり合いの不可能とをテーマにしている点で、前2編の解説的な役割をも果たしているのである」。なるほど、3編はどこか猟奇的で、死臭が漂うような「怖い」ものがある。そして性的な行為は全く描かれていないのに、凄く性的だと思う。

 『眠れる美女』には6人の娘が描かれている。6人ともどうやら裸で眠ったままなのだが、描写のほとんどが女たちの肩から指先までに注がれている。一人ひとり回りくどいくらい丁寧に描かれているのだ。次に布団から出ている手、そして首、顔、髪が事細かに書き込まれている。それでいて、どんな女なのかを想像させるに十分なほどだから、やはり作家の力量というものなのだろう。ただ眠っているだけの女を老人たちはじっとを見つめ、そっと触り、そして隣で眠りに着く、ただそれだけの話である。60歳代となった川端が求めた究極の男と女の関係なのだろうか。

 『片腕』はもっと気味が悪いが、ファンタジーというべきかもしれないし、未来小説的ともいうべきかもしれない。好きな女の片腕をもらってきて、片腕と添い寝をする話である。腕と会話をするに至っては奇想天外といえるとともに、やはり猟奇的だ。ここでも腕の描写が細かく続く。まるで、女体そのものを描いているように。『散りぬるを』は川端が34歳か35歳のときの作品だ。殺人事件をテーマにしながら、女、それも理想的な女を描こうとする意欲が充分に伝わってくる。

 そうか、川端康成は一貫して理想的な女とはどういうものかを描きたかったのか、そんな気がした。けれども、小説の女はどれもこれもほとんど物言わぬ人である。ほとんど物言わぬ女だから理想的なのか、言わぬといえどもそこかしこに女の品性のようなものが見えるから、そこから判断せよということなのかしら。西洋の文化人は川端の作品のどこに東洋の美学を感じたのだろうか。私には、これ以上川端康成の作品を読んでみたいと気持ちが湧き上がってこないけれど、これは読み方が足りないからなのか。不思議な思いに絡められている。
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3度目の60歳の集い

2008年02月24日 23時16分14秒 | Weblog
 今日は朝から強い北風が吹き、とても寒い。私は一日中家にいて窓からその様子を眺め、風が建物に突き当たる音を聞いて過ごした。昨日は自治ネットの例会であったが、会場変更のため、私は欠席させてもらった。欠席させてもらったけれど、自治ネットの活動が下火になっていかないかと危惧している。このところの政治情勢を反映してか、無党派市民派への関心は少なくなっている。既成政党が低迷しているのだから、私たちのような無党派市民派がその存在を発揮しなくてはならないのだが、なかなかそうならない。

 欠席したおかげで、私の住むマンションを中心としたメンバーで結成されたコーラスグループの発表会に参加できた。25周年を迎えたグループで、私が最初に選挙に出た時の主力部隊だ。25年の年月でメンバーの入れ替わりもあるけれど、40歳で参加した人も65歳になっているのだから、やはり全体の年齢は高くなった。高くなったけれど、歌声の調和もより高くなった。これだけ、聞かせるためには相当な練習があったのだろう。困難を乗り越える時、人は大きくなれると、不登校のところで書いたけれど、人々に感動を与えられるコーラスを聞かせられるためには、たくさんのハードルを越えてきたことは確かだ。

 学習したり、技術を磨いたりするためには、イヤなこともやらなくては身につかない。それでも私は、自らそれを受け入れようとするか、強要されてやっているか、そこが大事だと思っている。コーラスの発表会が終わって、夕方からは3度目の『60歳の集い』に参加した。60歳の年、還暦を迎えた人たちを集めて、第2の成人式ということで、地元の人たちが中心となって『60歳の集い』が開かれた。私はヨソ者だが、この町で新聞を作ってきたので、知り合いも多く、丁度また市長選挙の直前だったので、参加しないわけにはいかなかった。

 3度目となると、少しは気心も知れてきた。出席者は全部で44人だった。女性は4人が地元の人で、残りの22人がヨソ者だったのに対し、男性は5人がヨソ者で残りの13人が地元の人だった。初回の時はさすがに知らない人が多くて、遠慮がちだったけれど、今回はかなり慣れてきた。女性は子どもを通して知り合いもいるが、男性はなかなか入り込めない様子だったのに、今回は男性も積極的に歌ったり、余興をする人もいて、打ち解けてきたように思う。「この会が続く限り参加する」と多くの人が話していた。

 私も今朝までは、ただお酒を飲むだけだから来年は遠慮しようかなと思っていたのに、「また来年も会いましょう」などと話していた。不思議なことだけれど、63年間、同じ時間をともにしてきたという実感が湧いてきて、まるで中学の時のクラス会と変らない気持ちになってきていた。あれほど、主体は地元に人たちなのだから、前に出ないように気をつけていたのに、級長でもないのにいつの間にか宴会の真ん中で、最後はあの歌で終わろうなどと仕切ってしまっていた。

 あれ?長女のでしゃばりは私の血だったのか。自分は引っ込み思案な人間だとばかり思い込み、小学校の高学年から性格を改善してきたが、改善したのではなく自分の性格が開花したのか。そんなことを考えさせられた。
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不登校その2

2008年02月23日 22時15分54秒 | Weblog
 不登校にはそれぞれにその原因が存在する。原因は1つかもしれないし、いくつかのものが重なっているのかもしれない。私は自分自身が学校へ行けなかった経験があるというだけで、不登校問題の専門家でなければ教育の研究者でもないので、ここで分析するつもりは毛頭ない。「不登校児は精神的に弱い人間だからもっと鍛えて強い人間にしなくてはならない」と、よく言われてきた。「精神的に弱い」という指摘が間違っているとは思わないけれど、「鍛えて強くする」ことには疑問だし、むしろ反対だ。

 教育はハードルを飛び越えさせることだという考えがある。できるだけ、高いハードルを設けたり、ハードルの数を増やすことが教育だという。困難を与え、それを克服した時、人は大きくなれるという考え方だ。もちろんそれに応える子どももいるだろうし、そうした試練こそが自分を高めてくれると信じている子どももいると思う。親や子どもの置かれた環境が大いにその子どもの考え方や感じ方に影響しているからだ。「戸塚ヨットスクール」が世間から認められたのはそう考える人が多かったからだ。

 ところが、死者が出たら、世間はすぐに「やりすぎだ」と非難した。ここには死者が出ることが当たり前のシステムになっていることが欠落している。私は「戸塚ヨットスクール」のシステムを教育だとは思っていない。私は困難を与え、それを克服させる方法が嫌いだ。ぞっとする。教育はすべからく困難〈イヤなこと〉を子どもに与え、やらせることから始まると、私は思っていない。自分がイヤだったことを人に強要したくない。

 私は、無秩序の中から生まれてくる秩序こそが本物だと思っている。ここまで書いて、ハタと気が付いた。私の中にはアナーキなものがあって、それが秩序とか規則とかおおよそみんなが認める価値観を否定しようとするのかもしれない。カミさんが怒りを爆発させるのは、そんな私の独りよがりの言い分をまくし立てた時だ。カミさんは言う。困難を与えずに教育はできない。秩序を乱す子を叱らなかったら、蔓延してしまう。悪い子を一時的な措置として隔離しなければ、授業は進まない。それをあなたのような考えでは何一つ解決しない。そう現実を突きつけられるだろう。私は全く反論できない。反論できないが、でもやはり違うと思ってしまう。

 不登校の子を持つ親が、校長室でいじめた子どもとその親に会った話を聞いた。その子は余りにも粗末な身なりをしていた。母親がいなくて、父親もトラック運転手で不在がちの家庭であることがわかった。自分の寂しさがいじめの形になったのかと思ったら、その子が可哀相で責める気にはなれなかったと言っていた。何不自由のない裕福な家庭の子どもでもいじめっ子はいる。落ち着きがなく他動性の子どもと診断される子もいるが、私はそれを病気と診断することに抵抗がある。「病気」であるかもしれないが、そうさせる何かがあることも確かだと思う。

 現代は忙しすぎる。常に今日よりも明日はもっとゆたかな生活を望みすぎる。右肩上がりの経済がどこまでも続く夢を求めすぎる。悪いことは何でも人のせいにしたがる。本当は私たち、自分自身が一番悪いのかもしれない。子どもも大人も人は優しさを求めている。優しい心に出会えば、それだけで人は癒される。本当はそれだけでいいのではないか。
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不登校

2008年02月22日 23時39分04秒 | Weblog
 確か、小学4年の時だと思うけれど、学校へ行けなくなった時があった。自動車整備工場の息子で、身体も大きくて威張っているボスがクラスにいた。その男には子分の左官屋の息子がいつもついていた。ボスはプロレスが好きで、授業後の教室にみんなを集めてプロレスごっこをやった。ボスの家にはテレビがあって、プロレス中継を見ていたのかもしれない。

 チビでおとなしくて色白でやせていた私も残されて、相手をさせられた。ボスが私を授業後に残したのは、級長がいれば担任に見つかってもそんなにひどく叱られることはないだろうという読みがあったのだろう。商売人の息子だったからか、その辺の計算をする子だった。親分肌で全ての責任を自分が負うタイプではなかった。

 私の家にはまだテレビがなかったのか、あっても見ていなかったのか、プロレスの技を私は知らなかった。それでなくても、取っ組み合いには全く興味がなかったから、毎日残されてプロレスごっこをさせられるのがイヤだった。「学校へ行きたくない」と言って、休んだ。何日休んだのかわからないが、多分理由を聞いた親が担任に話しに行き、それから学校へ行くようになったのだと思う。

 これはプロレスごっこの前のことだと思うけれど、写生大会の時、ボスが自分の画用紙を持ってきて、絵を描いておけと言った。ボスの絵を描いているうちに、自分の絵を仕上げる時間がなくなってしまった。私が描いたボスの絵は入賞したが、私の名前の絵は入賞しなかった。全く中途半端な作品だったから当然だった。悔しい気持ちが私にはあった。

 姉の家に遊びに行くと、義兄がよく相撲を教えてくれた。畳の上で、何度も何度も転ばされた。これでもかこれでもかとひっくり返された。結局、その取り組みで、体の小さい者が体の大きい者に勝つためにはどうするかを教えられた。義兄は「ケンカは先手必勝だ。スピードが決めてだぞ」と教えてくれた。小学6年の時、新任の先生と砂場で相撲を取った。義兄の教えが活かされて、私は先生に勝った。それが自信になった。

 学校に行けなかったのはその時だけだった。以来、一度も同じクラスになったことはなかったし、中学生になった時には立場は逆転していた。40歳を過ぎて、クラス会で故郷に帰った時、2次会のスナックで全く偶然に小学4年の時のボスに出会った。自動車修理工場の社長ではなく、アクセサリーなどの貴金属の商売していると言っていたが、色褪せた風格のない中年男になっていた。

 小学校時代の話になって、友人の一人がよくいじめられた話を持ち出したが、ボスは「そんなことあったか?」と言う。いじめられた側の人間は決して忘れないのに、いじめた人は何も覚えていない。やつれて勢いもなくうだつの上がらぬ男がかわいそうにも思えたが、時間の経過がこんな結果を見せてくれたことが驚きだった。
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「眠れる美女」

2008年02月21日 22時59分47秒 | Weblog
 先日、映画を観に行った時にやっていた予告編が妙に気になった。ドイツ映画で、エロチックな映画だった。怪しげで官能的でぞくぞくする雰囲気が漂っていた。原作は川端康成とある。えっ、日本文学に疎かったけれど、川端康成ってこんな官能的な小説を書いていたのかと思った。

 とにもかくにも、原作を読んでみたいと思い、新潮文庫の『眠れる美女』を買ってきた。昔、中学生と時だと思うが、父の書棚から三島由紀夫の『美徳のよろめき』を隠れて読んだことがある。どんなストリーだったか全く覚えていないが、ドキドキしながら読んだことだけは覚えている。

 川端康成は『伊豆の踊り子』しか読んだことがない。それもいい加減な読み方だったと思う。じめじめとあるいはべたべたと文章が続く日本の小説家の作品は、自分を同じ島国根性へと陥れるものだと、観念的にそう思い込んでいたから、ずーと避けてきた。

 今になって、川端康成の『眠れる美女』を読んでみて、どうしてこれがノーベル文学賞作家の作品なのか私にはわからない。少なくとも同じノーベル文学賞作家の大江健三郎は、人間は何か、社会は何かをテーマにしているように私には思えた。けれども、『眠れる美女』にはそうした課題を見出すことができない。

 あとがきで、三島由紀夫が「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である」と書いているが、それはそのとおりであるけれど、だから何だ?と思ってしまう。小説では女は眠ったままなので、三島は続けて「相手が眠っていることは理想的な状態であり、自分の存在が相手に通じないことによって、性欲が純粋性欲に止って、相互の感応を前提とする「愛」の浸潤を防ぐことができる。ローマ法王がもっとも嫌悪するところの邪悪はここにある。それは「愛」からもっとも遠い性欲の形だからである。」と書いている。

 「性欲が純粋性欲に止まって」だって?私はやはり『チャタレー夫人の恋人』の方が納得がいく。死人のような女に性欲が湧くわけはないと思うし、仮にそうであるなら、どんな状況でも強姦できる奴と代わらないではないか。「愛」は相互の感応を前提とせずには成り立たない。そうでない「愛」が存在するとは私には思えない。

 川端康成が『眠れる美女』を「新潮」に連載していたのは、丁度私と同じ62~3歳の頃だと思う。そう思うと若い三島由紀夫よりももっとよく川端康成が描こうとしたものがわかる気がする。老いていく者の哀れな性への執着がそこにあるからだ。確かに老いた男の迷いや望みや葛藤がそこにはあるが、じゃあ、女はどうなのか、女はただただ男の玩具なのかと疑問が湧いてくる。

 男が女に求めるものがあるように、女も男に求めるものがあるはずだ。だからこそこの世の中は成り立っているのに、川端康成にはどうして女の視点がないのだろうか。ドイツ人監督が描いた『眠れる美女』がどんなものなのか、映画を観てみたいと思う。
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中国名山紀行

2008年02月20日 21時41分20秒 | Weblog
 NHKテレビで『中国名山紀行』を見ていて、すごいなと思った。黄山という山を取り上げていたが、標高は1800メートルくらいの山だ。その山は花崗岩でできていて、岩のくぼみに風で飛ばされた松の実が根を張り、岩と松とが絶妙の風景を作り出していた。いわゆる山水画の世界である。

 奇妙な岩が天に向かってそびえ立ち、そこかしこに松が、岩のわずかな隙間に根を張って、これまた天に向かって伸びている。それがまた雲海の中で、不思議な世界を演出している。幻想的なモノクロの濃淡が支配する、水墨画がものすごく大きなスケールで広がっている。

 アメリカのヨセミテ渓谷に出かけた時を思い出した。シエラネバタ山脈は日本の山々と全く違う景色を作り出していた。ガイドが「ここにしばらくいると人生観が変る」と説明してくれたが、確かにそのとおりだと思った。スケールの大きさが全く違う。見渡す限り、どこまでも山々が続き、その広大さに圧倒された。

 ヨセミテ渓谷で一番のポイントといわれたグレーシャーポイントから見た渓谷は絶品だった。これほどの美しい景色はない、そんな気がした。それはこの世のものと思えないような景色だった。アメリカの大きな世界に驚嘆した。スケールが大きいという点で、この黄山も東洋の美ではないだろうか。ぜひ、この目で見たいものだと思った。

 この頃よくテレビの世界遺産で紹介されている中国の四川省にある九寨溝(きゅうさいこう)は、省都である成都の北400キロに位置する秘境にあり、400メートルを越す深山と原始林を背景に、宝石のような大小100余りりの澄み切った湖沼と渓流、瀑布が延べ50キロにもわたって連なっているという。何年か前にテレビで、森の中を流れるその様子を見てこんなところが地球上にあったのかと驚いた。

 世界には驚くべき美しい光景がまだ残っている。こうした風景を見るならば、確かに人は「人生観が変わる」だろう。自然の大きさに比べ、人間の小さな存在に気が付くだろう。人と人との諍い、民族と民族の争い、国と国との戦争、そんなスケールの小さなことが恥ずかしく思えるはずだ。

 もう一度ヨセミテは見てみたいし、九寨溝にも行ってみたい。黄山にも登りたいが、高所恐怖症の私にはちょっと無理なようなのでやめておこう。
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