友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「風の盆恋歌」

2010年09月30日 22時22分39秒 | Weblog
 富山の八尾に伝わる「風の盆」は、どういうわけなのか分からないけれど人気があって、本祭りといわれる9月の1・2・3日の3日間には大勢の人が訪れるそうだ。祭りを見ようとしても宿の予約を1年以上前からしておかないと無理だとも言われている。どうしてそんなに人々の心を惹きつけるのだろうと興味はあった。私が始めてこの祭りを知ったのは、友人の女性が「読んでみて」と貸してくれた、高橋治さんの小説『風の盆恋歌』からだ。物語は心中に終わる悲恋というか、不倫の恋の悲しさだった。手元に小説がないので、ぼんやりとしか覚えていないけれど、芙蓉の描写がとても妖艶だったという印象が強く残っている。

 その後、石川さゆりさんがなかにし礼作詞、三木たかし作曲の同名の歌を歌ったことで全国的にヒットしたような気がする。テレビドラマにもなったそうだけれど、私は知らずにいた。歌の内容も悲しさと怨念に満ちていたように思う。そんなことで、八尾という土地は美しい悲恋の舞台というイメージが私の中に出来上がっていた。カミさんが「風の盆の特別企画があるから行ってみない」と言う。特別企画というのはクラブツーリズムという旅行会社が主催する『月見のおわら』のことである。八尾という土地と踊りを直接見ることが出来るというので了承した。

 八尾は絶壁のような崖の上にある細長い町だった。駐車場から見上げると、町並みはまるで不夜城のような雰囲気さえ漂わせていた。川を渡り、急な坂をハアハアと大勢の人々が上っていく。全国からこの企画に集まった旅行客の皆さんだ。この夜は3千人余だという。街に行き交う地元の人はいない。居るのは観光客目当てのお店の人たちだけだ。そう思いながら進んでいくと、交通整理をする人、踊りの世話役、そして案内係や進行係、主役の踊り手や歌や演奏の人々が目に入ってきた。午後7時30分、踊りの集団が動き出すと、どこからか街の人々も集まってきた。それでも沿道を埋め尽くし、街中をウロウロと徘徊するのは観光客ばかりだ。

 クラブツーリズム社の企画でもこれだけの人々が街中に溢れているのだから、本祭りは身動きもできないと言われているのは本当だろう。この小さな街に1日3万人の人が押し寄せるので、充分に踊りを見ることが出来ない。『月見のおわら』は本祭りと同じように行なわれているのだが、旅行会社が企画するという点も面白い。しかし、大変な苦労だなと他人事ながら感心してしまった。街の人の話では、踊ることは誇りであり、子どもたちも小さな時から踊り手になろうと練習に励むのだそうだ。「この時ばかりはスターですからね」とも言う。

 踊る姿はとても妖艶だ。そういう内容の踊りなのだろうと先入観を持っていたけれど、説明を聞いてビックリした。農作業を踊りにしたもので、悲しい恋の物語はどこにもなかった。そうであるのに、編み笠をかぶる踊り手の顔を見ることは出来ない。もちろん、どこかのおばさんたちのように踊り手の前に進み出て無理やり見上げれば見ることはできる。「すごいイケメンのお兄ちゃんだった」と大喜びのオバサン軍団に祭りの世話役の人たちも制止させるのに困り果てていた。私は女性の踊り手さんを目で追っていたが、白い指先の動きはなぜかゾクッとさせられるし、細く長い首はとても色っぽい。どんな顔の女性なのだろうとやはり覗き込んでみたくなる。

 「風の盆」をもう一度みたいとは思わないけれど、確かにここには何かがある、そんな気がした。
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ゲゲゲの女房

2010年09月29日 21時41分17秒 | Weblog
 終わってしまったが、NHKテレビの朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』は好評だったようだ。特に比較的高齢のダンナたちは「ああいう女房が一番いいね」と褒め称えていた。グチも言わず、ダンナに逆らうこともなく、どんなに苦しい時もダンナの側でしっかりと支え続ける。今では滅多に見られない女房というわけである。そんなことが男たちの間で話題になっていた時、女房族の一人が「原作は奥さんなんでしょう。だったら、自分のことをいいように書くのは当たり前じゃーない。現実は絶対に違うわよ」と言い切る。

 おそらくこの女性の見方が正しいのかもしれないが、テレビでゲゲゲの女房のホンモノを見たけれど、とても明るくて気取らない人だったから、現実もテレビドラマとそんなに大きな違いはないのかもしれない。そこではもちろん、ドラマを作った人たちの思いが強く働き、ひたすらダンナに仕える古風な女を描いたのかもしれない。中日新聞の『つれあいにモノ申す』を読んでいると、女房たちのしたたかさには感心させられることが多い。しかし少し悲しいことは、男つまりダンナは余りにも女房との付き合いが下手ということだ。

 こんな女房の話もある。長い間、我慢してきたけれどもう限界と言う。どういうことかというと、NHKの『ためしてガッテン』を見たダンナがやおらと立ち上がって台所に行き、「オイ、スポンジタワシに洗剤がついたままだぞ」と言ったそうだ。細かいことに気がつくけれど、じゃあ家事を手伝ってくれたことはあるの?と女房は思ったのだ。今日の『つれあいにモノ申す』でも、テレビでナスの田舎煮をやっていたので、早速作ったのに、ダンナは「見るからにまずそうだ」と一口も口にしない。腹が立った女房は仕方ないから全部食べたところ、「だから太るんだ」とダンナは言ってしまう。

 「スポンジタワシはよく水を切って、風通しのよいところにおいた方が雑菌は繁殖しないんだって」と言い、「スポンジタワシをつるせるようにしておくね」とでも言えば角が立たないのに、日頃一緒に暮らしている相手だから、ついストレートな言い方をしてしまう。せっかく作ってくれたナス料理なのだから、「これはどういう料理なの?」と話だけでも聞いてあげればいいものを、相手がどういうつもりで作ったのかも考えずに、「まずそうだ」と言ってしまう。会社だったら、きっとこんな言い方をしないだろう。ましてや相手が上司ならば、その気持ちを少しでも汲み取ろうとするだろう。

 男たちは、家庭でも気を遣うことはないだろうと女房に甘えているのだ。何時だったか、漫才コンビの爆笑問題を売り出した太田光の女房のインタビューをNHKテレビで見たが、その中で、落語家の立川談志が「夫婦はエゴイズムのバランスである」というようなことを言っていた。私の推測では、他人同士が一緒に生活する夫婦は、相手への要求つまりはエゴに支配されているが、どうバランスをとっていくかが大事だいうのだろう。絵に描いたようなゲゲゲの女房はいないし、そんな夫婦も現実にはいないかもしれない。それでも、いい夫婦を目指すことはできるはずだから。
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「この国にも戦争があった」

2010年09月28日 21時34分44秒 | Weblog
 『この国にも戦争があった』をテーマに、斎藤孝さんは力むこともなく飄々と話しかけた。どのようにして「戦争と平和の資料館・ピースあいち」が出来上がったのか、斎藤さんはなぜかかわるようになったのか、そこで斎藤さんは何をしているのか、そんなことから講演は始まった。名古屋市名東区よもぎ台にある資料館は、弁護士の野間美喜子さんが女学校の同級生の4人を中心に、「平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」を立ち上げたことから出発した。戦争時の生活用品や空襲時の焼夷弾、写真などの資料を展示する資料館を愛知県と名古屋市で設立してもらうための運動だった。

 しかし、愛知県も名古屋市もなかなか積極的に取り組んではくれなかった。ある時、それまでに集まった資料の展示を行なったところ、加藤たづさんという女性が建設の土地と建設資金の提供を申し出てくれた。加藤さんは決して資産家ではなく、自分で築いた財産を、運動に共鳴して役立てて欲しいというものだった。そこで、愛知県にこの話を伝えるけれど、場所がよくないという理由で受けてはもらえなかった。野間さんらは議論の末に、自分たちの手で設立することを決めた。建物ができても運営資金はない。カンパ活動を行い、マスコミにも取り上げてもらう。資金とボランティアが集まり始めた。資料館は民設民営であるため、運営は入館料と会員の会費で賄っている。会員が増えれば入館者が増え、入館者が増えれば会員も増えるが、逆になれば運営は先細る。市民の支えが絶対条件である。

 斎藤さんが「ピースあいち」に協力しようと思ったのは、戦争体験者であり、戦争には反対であったからだと語る。けれども、理屈っぽく反戦を語るわけではない。淡々と自らの体験をもとに戦争を語るだけだ。私が面白いなと思ったのは、街中に貼られた標語にいたずら書きをした人がいたということだ。いたずら書きとは、たとえば「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の中の文字の「工」に×点をしたり、「贅沢は敵だ」の敵の前に「素」を書き込んだりしたものだが、これはかなり勇気がいる行為だ。そういう人がいたことは初めて聞いた。戦争を進めた人の中に自決した人がほとんどいなかった日本、掴まれば投獄されたであろう時に、いたずら書きをしたのはどういう人なのか興味深く思った。

 けれども斎藤さんらのように、戦争の体験者はどんどん減っていく。私も戦争は全く知らない。戦争の話を聞く機会もなくなっていくだろう。それゆえに、こういう戦争の資料館は意味があるといえる。斎藤さんはこうした歴史から何を学んでいくかが大事だと言う。歴史から学ぶことは、何年に何があったのではなく、為政者の選択がどうであったのか評価することだと言う。戦争の悲惨さをどんなに語ったところで、人はまた「国益を守るべきだ」の論調には屈していくだろう。それは毎度歴史の中で行なわれてきたことだから。悲惨さを語るだけでは戦争は止められない。戦争を無くすために何をすべきかを考えていくためには、自国や個人の利益が優先する考え方を変えていかなければならないだろう。
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勇ましい過ぎるのは好きじゃーない

2010年09月25日 12時11分36秒 | Weblog
 さわやかな風が吹く、すがすがしい秋晴れとなった。隣の小学校は運動会だ。元気な子どもたちの声が響いてくる。昨日は半田へ井戸掘りで出かけた。朝、7時に出発し道が混んでいなかったので8時過ぎには作業を開始することができた。場所も変更し、雑木が茂っている中のわずかな平地で掘ることにした。ここは今までのところと違い、粘土層ではあったけれど水で掘り進めることができた。しかし結果は2本も掘って、それも8メートルから10メートル近くまで掘って、不成功だった。1本目は塩ビ管が地中に埋まったまま抜けず、2本目はすぐ横50センチほど離れたところで掘り進めたけれど、途中で塩ビ管のつなぎが外れてしまった。

 午前8時過ぎから開始して暗くなった午後5時30分まで、作業を続けたことも初めてのことだったが、こういう結果になるとあんなに饒舌な仲間もさすがに口が重い。名古屋高速が渋滞していたこともあって、家に帰ったのは午後8時近かった。夜のテレビニュースで、尖閣諸島で逮捕した漁船の船長を処分保留のまま釈放したと報じていた。中国漁船を発見した時、威嚇だけして追い払うのか、追い払う際に船がぶつかったりした場合はどうするのか、船長を逮捕するのか、いろんな想定に対処する「きまり」はあったのだろうかと思ってしまう。逮捕したならば次にはどういうことが起きるのか、いろいろ検討した末に行動しないと対外国の場合は重大問題になりやすい。日本は外交がヘタなのか。

 「日本は弱腰だ」と非難する人がいるけれど、私は弱腰でいいから戦争のようなことだけは避けて欲しいと思っている。余り勇ましい奴は好きじゃーない。勇ましさを誇示する奴に立派な奴はいない。本当に勇気のある人は「右の頬打たれたら、左の頬を出せる」人だ。私が嫌だなと思うのは勇ましがる人で、怖いなと思うのはみんなが同じ方向に固まることだ。「弱腰だ」と言う人がいてもいいけれど、「弱腰でもいい」と言う人を許さない雰囲気が作られていくことは耐えられない。この世の中、いろんな人がいて、いろんなことを考え、いろんな動きがある。それが人間の社会ではないだろうかと私は思う。

 今日は昼から大和塾の市民講座を開く。市民講座も今回で18回目になる。今日の講師はNPO「戦争と平和の資料館・ピースあいち」の斎藤孝さんだ。戦争を美化することは絶対に許されないが、いつか戦争も風化されていく。体験者がいなくなれば、「あったそうだ」という悲惨なだけの話になってしまう。戦争の悲惨さを語ることだけでは、戦争を阻止する力にはなれないと思う。人はみんなが同じように言い出すと、「私はそうは思わない」とはっきり言えなくなる。斎藤さんがどんな話をしてくれるのか、楽しみにしている。

 そして今晩は、夏祭りの慰労会である。健康ランドの宴会場を借りて、飲んで歌って語り合おうという。みんなは早めに行ってお風呂に入り、早々と宴会気分だけれど、私は大和塾が終わってから駆けつけるが、もっぱら皆さんの歌を聞く側だから問題はない。そして、日曜日は「風の盆」の八尾へ出かける。月曜日の夜には帰るけれど、日・月曜のブログはお休みする。
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名演『族譜』

2010年09月24日 20時06分06秒 | Weblog
 名演の出し物は、梶山季之の原作をジェームス三木が脚色・演出した『族譜』だった。族譜という言葉の意味は知らなかったけれど、譜は系統立てて書き記すあるいは記したものをいう意味だから、部族とか一族の歴史のことだろうと推測はしていた。重い演劇だった。人間は生まれて、働いて、生きていくだけならどうってことはないのに、生まれた時代や場所によって、その生き方は大きな「力」を受ける。

 1910年、大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を実質支配することになる。翌年、朝鮮総督府は府令を公布し、創氏改名を進める。演劇はそんな朝鮮の大地主の家を舞台に始まった。創氏改名を担当する日本人の役人にこの大地主は700年にわたる「族譜」を見せ、一族の当主としては名前を変えることは出来ないと説明する。役人は「創氏改名は思いやりなのです」と説明する。朝鮮人は日本国の臣民になったのだから、日本人と同じようにという思いやりなのだと話す。

 大地主は決して反日家ではない。むしろ、朝鮮が中国の属国であったことやロシアの脅威にあったことから、中国とロシアと戦った日本に敬意を抱いている。だから、総督府にたくさんのコメを献上している。けれども、名前を変えることはできない、それでは「族譜」を断つことになると訴える。役人は朝鮮名の一部を残して使えばいいと提案するが、大地主の思いはそんなものではなかった。

 やがて、大地主の「家族」に圧力がかかっていく。娘の婚約者は民族主義者のレッテルを貼られ、投獄されそして殺される。学校は国民学校と名前が変わり、日本人の先生は「朝鮮の名前の子は通学できない」と孫たちに宣告する。役人は創氏改名は義務ではあるが強制ではないと言う。学校の先生も子どもたちが差別されないように、早く創氏改名した方がいいと思って言ったのかもしれない。どんな風に言われようと言われた側の気持ちは分からない。こういう事態におかれると、日本人だけでなく誰もがこうなってしまうのかもしれない。

 私は強制されると余計に反発するところがあるから、こんな風にみんなが揃っている社会では生きていけない。本当に現在に生きていてよかったと思う。当時の日本では、戦争に反対することは許されなかったし、政府や軍部を批判することもできなかった。みんなが粛々と戦争勝利に向かって心をひとつにしていた。皇国日本の臣民であることを誇りに思うようにと、「世界でひとつの神国」と教えられ、『教育勅語』を暗唱させられた。同じことができない人間は「非国民」と罵られた。

 大地主は孫のために創氏改名に応じるが、自らの命を絶ってしまう。今、尖閣諸島の問題で中国は船長の無条件釈放を求めている。中国国内では強い反日の抗議が続いている。私の70歳の友だちは、「中国や韓国は話しなど出来る国ではない。自衛隊を出動させて尖閣諸島を守れ」と過激なことを言う。私には中国にも韓国にも友だちがいるが、とてもよい人たちだ。アメリカの友人もお人よしだ。「国益を守れ」では国と国の争いになってしまう。

 殺されるより奴隷でいいのではと言う私は「非国民」とつるし上げられるだろう。それでも人の死の上に「国益」を求めてはならないと思ってしまう。
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まあーいいか、そう思うことにした

2010年09月23日 21時57分40秒 | Weblog
 昨夜は十五夜だった。友だちから、ウリを漬けたから取りに来ないかと電話があった。ススキと萩と女郎花もあるという。「お月見に飾って」というので、遠慮なくいただいてきた。昔はよくこうした年中行事を行なっていたのに、子どもが大きくなって家から離れてしまうと、すっかり省略気味になってしまった。味噌でつけたウリは程よく出来上がっていて、お酒のつまみにはもってこいだった。窓際にいただいたススキなどを生けた花瓶を置き、久しぶりに月見をするつもりだったのに、実際は飲んで忘れてしまった。

 今日の予定は朝7時にここを出発し、8時には半田で井戸掘りを行なうことだった。なかなか心配で熟睡できない。朝、雷で目が覚めた。ピカッ、ゴロゴローというような生ぬるいものではなかった。光が走ると同時に物凄い大きな音で雷が鳴った。それもダァーンという爆弾でも落ちたような音だった。大変な天気になったとカーテンを開けて外の様子を見ようとした時、ピカッ!バァーンと頭の上に落ちてきた。飛び上がるほど、ビックリした。仲間に連絡をして、今日の半田行きは中止することになった。中止ならばと計画していたことがあったので、午前中に用事を済ませてしまった。けれど、そこへ長女らがやってきた。

 子どもの頃、自分が期待していたことが実らないと、ガッカリしたりイライラしたりしたけれど、大人になっても同じだった。姉が言うように「まだ、子どもだねエー」は当たっているかもしれない。夕方になると雨はすっかり止み、涼しい風が吹くようになった。秋の風である。西の空を見るときれいな夕焼けだった。よし、これなら明日は作業ができるだろう。このところの暑さのために、井戸掘りは全くできなかった。それに固い粘土層を掘り下げる道具と技術に欠けていた。道具作りに燃えている先輩が作り出した器具も揃った。いよいよ出発である。

 先日、名古屋へ出かけた時、「こちらは河村たかしネットワークです。議会解散の署名は27日まで行っております」とアナウンスする軽自動車がかなりのスピードで走ってきた。街中だからかも知れないが、もう少しゆっくり走らないと何を言っているのか分からないのにと思ってその街宣車を眺めていた。するとその車は私を追い越してしばらく行ったところで急停車した。署名でもしてくれと言うのだろうか。そう思って、しばらく動かずに車を見ていた。すると車の方がバックしてきて、私の隣で停車した。

 運転手は知り合いだった。ボランティアで手伝っていると言う。そうか、それにしてもあんなスピードで走っていたら、何も聞こえないのではないだろうか。そう言いたかったけれど、黙っていた。乗せていこうかと言ってくれたけれど、いや歩いていくからと断った。河村さんの陣営は動ける人がいないのだろうか。署名はできるならば一軒一軒歩いてお願いした方がいい。本当に署名は集めきれるのだろうかとまた心配になってきた。思うようにならなくても、希望する方向へ少しでも進めばいい。まあーいいか、そう思うことにした。
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大阪特捜検事の逮捕

2010年09月22日 21時02分38秒 | Weblog
 昨夜のテレビは大阪特捜検事の逮捕を一斉に伝えていた。愛知県知事選挙に、民主党県議団は早くから名乗りを上げていた石田衆議院議員ではなく、前の県総務部長を擁立するニュースは吹っ飛んでしまった。テレビを見ていて、「あれっ、確か今朝の朝日新聞に『検事、押収資料改ざんか』の見出しの事件だ」と思い出した。朝日新聞のスプークが検事の逮捕につながったのだ。早すぎる逮捕は識者が言うように、一検事の暴走が起こしたものとして幕を引きたいのだろう。

 逮捕された主任検事は小沢一郎さんの金銭疑惑も捜査していたエリートだという。これは私の推測だけれど、この特捜検事は政治家が官僚を抱きこみ不正を行なっていることを暴き出し、糾弾することを使命と思っていたのだと思う。有罪となった鈴木宗男さんが「青年将校となった特捜検事」と言っていたけれど、政界の汚れが溜まってきているから、検察は政治家と官僚の腐敗を正すのは自分たちの役割という使命感を抱いていたのだろう。首相だって捕まえた検察である。出来ないことは何もないと考えていてもおかしくない。

 権力を手にした者は権力に胡坐をかく。「しつけ」と言って子どもに暴力を振るう親は、自らの権力に酔ってしまった。社会では誰も自分の言いなりにならないが、家庭内では絶対者だ。暴言を吐き、暴力を振るっても、誰も止められない。検察は暴力を振るうわけではないだろうけれど、取り調べる側と調べを受ける側では天と地の違いだろう。絶望に追い込まれれば、どうにでもなれと思ってしまうようだ。だから検事はあらゆる手を使って、小さな矛盾から穴を開けていくのだろう。

 実体の無い障害者団体へ許可書を発行した事実がある。これを政治家が官僚に働きかけて発行させたと大阪特捜の主任検事は思ったのだろう。思ったならば、その証拠を集めて、不正を暴きだすのが検事の務めだが、主任検事はシナリオの正しさばかりに目を奪われてしまったのかもしれない。仮にそうだとしても、シナリオに合わない部分を改ざんすればこれはれっきとした犯罪である。捜査は想定の下に進められるのかもしれないが、何よりも想定が正しかったことを裏付ける証拠集めが大事だろう。

 昨日も、ある事件の審査会を傍聴した。行政が指名した委員が4人、行政の担当者が4人、利益を受ける者が2人、不利益を受けるため審査を申請した者が1人、事務局の職員が3人いた。最終弁論というか文書での申し立てに付け加えることはないかと委員長が尋ね、申請者が弁論し、他に発言がないことを確認して閉会となった。「これで、審査会は私の勝ちだ」と申請者は意気込んでいたけれど、言いたいことを言いたいだけ言わせて、申請は却下となるのではなかろうかと感じた。

 権力の側は、権力に歯向かう者を許さない。権力の側が余りにもずさんで、是正しなければかえって権力に不利になるようならば、権力の譲歩はあるだろう。裁判も審査もいわば力関係のところがある。何が正義で何が悪か、誰の目から見てもわかるような事案でない限り、そう容易く権力は譲歩しない。力関係を変えていく手段として、裁判や審査を求めることはあるだろうが、権力は絶対的な力を持っていると思って挑むべきだろうと私は思っている。
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運も実力のうち

2010年09月21日 18時51分52秒 | Weblog
 「悩むことはないの?」と聞かれたことがある。深刻な顔をしている割にはノーテンキで、余りくよくよ考えないからかもしれない。買い物をした途端に、「こっちの方がよかった」とか、「やっぱり、あっちにしようかしら」と迷う人がいるが、私は自分が選んだ物は最高のものと思っている。お店で料理を頼む時にも、なかなか決まらない人がいる。注文した後でまだ、「これの方がよかった、あっちがおいしそう」などと言う。どうしてそんなに悩むのか私は理解できない。しかも、注文した料理が出てきたら、「ああ、やっぱりそっちがよかった」とまで言われるとムッとしてしまう。「じゃーまたの機会に頼めばいい」と思ってしまう。

 買い物だって、料理の注文だって、進路や結婚だって、人から勧められることはあったとしても、最後は自分が選択したはずだ。自分の選択にそんなに自信がないのかと思う。もちろん、選択が失敗だったことは何度もある。それはどうして失敗だったのかを考えて、なるべく繰り返さないように努力すればいい。それでも人はだいたい同じような失敗は繰り返すだろう。失敗するのは自分の落ち度、自分にそれを超える力がなかった、そういうことだと思う。そこで力をつけようとする人と、レベルを下げていく人とに別れるのだろう。でも基本は、失敗してもいいじゃーないかである。

 自分のこれまでの人生を振り返れば、“挫折の連続”だった。やろうとすることがことごとく大きな壁に阻まれた。でも不思議なことに、やれないとかダメだろうとか思ったことは一度もない。ただし、人を恨んだりしたことはある。妬ましく思ったこともある。どうしてと、不運を呪ったこともある。恨んだり妬ましく思ったところで、自分の人生が明るく変わるわけではない。そう気がついたらバカバカしく思えた。“人が生きるということは恥を重ねること”なのだから、恥はなるべく小さい方がいいが、無くすことは出来ない。全ては自分が選択してきた結果だ。だから、今は最高。明日はもっとよくなるだろうと思うようにしている。

 「楽天家だねぇ」とか「極楽トンボ」と言われることは私への褒め言葉だと受け止めている。首長選挙の相手から「打たれ強いね」とまで言われたことがある。皮肉を込めて言われたのだろうけれど、私はいい褒め言葉だと理解した。悔しい思いやこんなはずではなかったと思うことは度々あるけれど、まだまだ器が小さいゾと思うようにしている。それでも、自分が期待していたことが出来なかったりするとかなり落ち込む。それが天候のせいであったり、自分の力ではどうしようもない事情であったとしても、運がないと嘆いてしまう。

 よく「運も実力のうち」と言うけれど、実はそのとおりだろう。運がよければ、自分は凄いと褒めてやればいいし、運がなければ次は必ずいいことがあるはずだと思えばいい。「人生は屁のようなものだ」と言う。一瞬をおろそかにせず、懸命であれば必ずよいこともあるだろう。鳥も花も虫も同じことを繰り返してばかりいるけれど、与えられた生命を懸命に生きている。それでいいじゃーないかと思う。
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長寿の男性は凝り性だって

2010年09月20日 19時01分31秒 | Weblog
 今日は「敬老の日」。そういっても、長い間9月15日が「敬老の日」であった私にはどうもピーンと来ない。いつも「通信」を送ってくださる先輩が、新聞のサンデー版で特集された『百寿者』のことを書いていた。長寿の男性はマイペースで凝り性、蒐集好きで細かいことに気がつく一匹狼型の人が多く、女性は活動的で社交的、意志の強いゴッドマザー型が多いという。そこで80歳になる自分に当てはめてみると、全て当たっていると。その次の文章が実に面白かった。

 〈 「夏姿よくぞ男に生まれける」と昔は言った。ところが今は「夏姿よくぞ女に生まれける」じゃあないか。背中丸出しルックに、臍見えスケスケルック。股下3センチのミニスカに、太モモのタトー。それに股引き姿は田舎吾作スタイルで、暑苦しくて仕方ない。そうぼやいていると孫が「じちゃん、どこ見てるの」。「へえー、わたしゃ、細かいことに気がつく老いぼれた一匹狼でござんす」。 〉

 なるほどこういうタイプが長生きならば、私も全部当たっている。イヤだなー、長生きしそうなのかと心配になった。カミさんはいつも、どんなに時間がかかっても諦めずに『数独』に取り組んでいる。自分でも「やらないと気がすまない」と言う。すると、カミさんは活動的で社交的、それに意志が強い「執着心」の持ち主であるから、女性の長寿タイプである。ふたりとも長寿なのか、これでは子どもたちが気の毒になってしまう。

 介護施設に通う老女の話を聞いた。排泄もコントロールできない90歳近いその女性は、毎日を無気力に過ごしていた。たまたま、その施設に新しい男性が入居してきた。年齢も女性と同じくらいだが、自分のことは自分で出来る。物知りで話し上手だった。優しく彼女にも声をかけてくれた。すると、次第に女性に変化が生まれてきた。着たきりスズメだったが着るものにも気を配るようになり、化粧などしたことがなかったのにキチンと化粧をするようになった。イヤリングや首飾りも身に着け、女らしいしぐさを見せるようになった。失禁することも無くなった。

 知り合いの娘さんに高校3年生の女の子がいる。中学まではデブで身の回りのことには関心がないような子だった。今はスマートになり、身だしなみにも気を遣い、猛勉強に取り組んでいるそうだ。「どうして?」と母親に聞くと、「彼氏と一緒の大学に行きたいそうなのよ」と冷やかし気味に言う。毎日、学校へ行くのが楽しいそうだ。私も高校生の時は、授業は全く理解できなくて面白くなかったけれど、学校へは行きたかった。好きな女の子に会えるし、何よりも好きなことができ、それを評価してもらえた。

 人間はいくつになっても変わらない。年齢を重ねれば「欲」が無くなり「丸く」なるということは決してない。いつも人から愛されたいし、褒めてもらいたい、そういう可愛い存在のようだ。それは希望であり生きる喜びである。だから、男が女を女が男を意識しなくなり、求め合うことが無くなった時は、生きている意味を失う時なのかもしれない。
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議会リコール署名とマスコミ

2010年09月19日 19時08分03秒 | Weblog
 名古屋市栄の交差点を通過した時、「議会リコールの署名をお願いします」の声が聞こえた。ここで署名活動をやっているのかと見渡したけれど、それらしい場所が見当たらなかった。スピーカーの方を振り向いてビックリした。議会リコールの旗が立ち、スピーカーが何台か歩行者の方を向いているけれど、人が立ってしゃべっているわけではなく、エンドレステープが回っているだけなのだ。しかもそれは「リコール署名をお願いします」の連呼を繰り返すばかりだった。

 友だちが中日新聞の「議会リコール」の記事は悪質だとブログに書いていた。私も新聞が意図的にリコール運動を非難しているように感じている。議会と河村市長の対立を、どっちもどっちだと言うような両方に「非」を与えるような報道の仕方が多いのも気になる。多数の市民の支持を得た首長がその政策をことごとく議会で否決されたなら、いったい市民の意思をどのように実現すればよいのだろう。議会ともっと話し合うべきだというのも間違ってはいないけれど、そこでキチンとした妥協ができなければ、議会リコールは当然のことではないだろうか。

 議会リコールはそれだけの議員を失職させることになる重大なことであるけれど、市民の利益と考える首長の政策が否決されるのであれば、議会リコールはやむをえないではないか。それに市民の利益を考える議員であれば、キチンとそれを説明し必ず当選してくるであろう。今の報道を見ていると、議員のほとんどは失職し河村支持の候補者が圧倒的に当選するような雰囲気だ。私は首長選挙と議員選挙はかなりねじれると思う。まだまだ、地域に民主主義は育っていない。議員は地域の利益を代弁するものだと考える市民が多いからだ。

 そこが、問題の発端なのだということをマスコミは捉えていないと思う。リコール運動に取り組んでいる側も、スピーカーでエンドレステープを流している現実を見ると人手不足のようだ。それに味方にしなければならないマスコミに対して、厳正に行なえない部分があるような開き直った態度を見せてはダメだ。中心になっている人たちの情熱と責任感を疑ってしまった。これでは36万人の署名集めは出来ない。集まった署名も選挙管理委員会の審査ではねられてしまうのではないかと心配になる。それなのに、「署名集めができればいい」などと平気で言うような人までいるのにはガッカリだ。

 20歳以上の人が誰でも平等に投票できるようになったのはまだつい最近のことだ。自分たちの国や地域を自分たちで治める。この制度は戦争に負けて、初めて生まれた。わずか60年ちょっとしか経っていない。国の制度も地方のあり方も、まだ試行錯誤中といえる。専制君主を作らないために議会に大きな権限を与えているけれど、議員には議会の権限を熟知しているとは思えないような人さえいる。市民は首長も議会もリコールすることができる。このリコール運動はよい機会だ。自治とは何かを考え、これからの自治のあり方を提案することこそがマスコミの役割だと思う。
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