友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

滞納金

2017年01月31日 18時53分01秒 | Weblog

 その人はどういうツテで私の所に来たのだろう。身体のがっちりとした男性で67歳だった。親の介護のため正社員を辞め、派遣会社に登録して働いてきた。理由は言わなかったが妻子とも別れて親の面倒をみてきたようだ。「精いっぱい、やれることはやってきた」と介護がどんなに大変かを語った。ひとしきり聞いた後、「それで、どういう話ですか」と訊ねた。

 男は「これを見てくれ」と市役所から送られてきた国保の滞納金の明細書を示し、「介護に追われて後回しにしていたことは事実だが、この利息の部分は一体何なのだ」と言い出す。「払わないと言っているわけではない。払うつもりだが、未納金の半分も利息を取るのはまるで高利貸しではないか。弱いものいじめにもほどがある」といきり立つ。

 「役所の担当に、どうしてこんなに利息を取るのか、説明して欲しいと怒鳴ってやった」と言うので、「役所はどう言っているの」と聞くと、「法律で定めたものだからとしか言わない。法外な利息だと思わないかと問い詰めても、私の立場ではなんとも言えないと言うばかりだ。あんたも公務員なら、こんなに高い金利はおかしいと市長になぜ言わん。市長も市民のために国に言うべきだと話しても全く聞く耳がない」と言う。

 窓口の職員は怒鳴られても自分の一存で変更することは出来ないし、市民から正しい指摘があっても上に具申するには勇気がいるだろう。そう話すと「だから、ダメだ。市民のために働こうという気持ちがない」とまで言う。これでは堂々巡りなので、「あなたはどうしたいの?」と聞くと、「滞納金は利息も含めて一度に払う。しかし、こんな高い利息は納得できない。裁判に出来るか聞きたい」と言う。

 「裁判に訴えることは出来る。けど勝てないでしょう。それより、生活に困っているのだから、払う意志を示して分割にしてもらったら」と提案するが、「それでは不正義を認めることになる」と頑固に拒否する。これほど正義感が強い人は紆余曲折の人生だっただろう。それは見事かも知れないが、家族は困り果てたことだろう。さて、どうするか。

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ピアノ発表会と誕生日のお祝いと

2017年01月30日 17時09分27秒 | Weblog

 小1の孫娘のピアノ発表会はサプライズだった。プログラムの曲目は「おたんじょうびマーチ」と「とべ、うちゅうせん」(連弾)となっていた。この日が長女の誕生日なのでこの曲目を選んだのだろう。連弾は誰とするのだろう?名前がないから先生なのかと思っていた。いつも通り、おしゃまな仕草で礼をしてピアノに向かう。保育園の時は電子ピアノでの合奏だったけれど、今回はグランドピアノを1人で弾くので、緊張しているかと思ったが意外に落ち着いていた。

 演奏の腕もかなり上達した。2曲目に入る前、ソデのところに父親の姿が見えた。長女のダンナのお母さんが「今日はきちんとした格好をしていると思ったけど、こういうことだったのね」と言う。連弾はふたりの息がピッタリ合い、ダンナのお父さんがやりたかった「家族で演奏」ではないが、親と娘の見事な共演が実現した。演奏が終わるとふたりは舞台の中央に立ち、「ママ、お誕生日おめでとう」とあいさつした。ちょっと泣かせる。

 ピアノ発表会はレベルが高かった。凄い技の子もいたが、最後に登場したのは大人の女性だった。ピアノが好きで、子育てが終わったのを機会に練習を始めたのかも知れない。かなり緊張していたのか、最初の出だしでミスってしまった。子どもなら黙って弾くのだろうが、「あっごめんなさい。間違えた」と口ごもり、そして弾きだしたがそれは見事な演奏だった。同じような女性を知っているので、その人と重なり、迫真な演奏に見入ってしまった。

 演奏会が終って予約してあるというイタリアン・レストランにみんなで行った。「発表会、大変上手にできました。そして、お誕生日おめでとう」と乾杯した。するとお店の人が大きな花束を2つも持って来る。1つをダンナが「おめでとう」と長女に渡すと、今度は長女が「産んでくれてありがとう。今日があるのはママのおかげです」ともうひとつをカミさんに渡した。これにはカミさんもビックリし、涙を流した。

  

 サプライズを用意していると孫娘が言っていたのはこのことだった。ピアノ発表会も素晴らしかったけど、レストランでの「お祝い会」も心に残るものだった。いつもなら、イベントの後はダンナのお父さんから「飲みに行きますか」と誘いがあるが、そんな雰囲気ではなくなった。それにしても、長女夫婦の心遣いに感謝である。

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老々介護

2017年01月28日 18時26分32秒 | Weblog

 津島市で自殺を図った老人がいる。この人のカミさんは首を絞められて亡くなっていた。新聞よればカミさんは72歳でアルツハイマー型認知症と診断されていて、夫が介護していたとある。夫は市の相談窓口で、「休まる時間がない」と話し、介護の限界にあったようだ。老々介護の現実が見える。核家族が背負う宿命である。

 私が通った短歌教室の先生は80歳を超えていたが、カミさんの介護で時々愚痴をこぼした。「財布がない。どこに隠したの?」とか、「箪笥のお金が無くなった。あなたが盗んだのでしょう」と言われ、「腹が立つより、それは悲しかった」と言った。挙句に家の中から外に向かって、「知らない人が家にいる。誰か助けて」と叫ばれた時はぶん殴りたかったと話した。

 夫はデイサービスの利用を進められても、「いない時に(浮気などを)企むのではないか」と思うカミさんの猜疑心を心配して、自分で面倒をみてきた。夫が認知症になったりすると、女性はさっさと施設に入れたり、公的サービスを利用するのに、カミさんがそうなっても夫は意外にサービスを受けようとしないのはなぜなのだろう。

 男性はプライドが高くて公的なサービスを受けることを恥のように思うのだろう。あるいはこれまでのカミさんへの償いの気持ちから自分で背負い込むことになるのかも知れない。私の周りでも老々介護が増えてきている。誰もがサービスを受けられると言っても、公的な施設は順番待ちであり、私的な施設は入所費や毎月の経費が高いのでお金がある人でないと入れない。

 男性の認知症の中にも感情の起伏が激しい人もいるだろうが、私が接した限りでは女性の方が変化が激しいように思う。どうしてなのか分からないが猜疑心が強く、メチャクチャ怒り出す。男性よりも心の中に鬱積したものが多いからだろう。それだけ女性たちは日々の暮らしの中で耐えて生きているということだ。醜い争いが起きる前に、安らかに逝きたいと願う。

 明日は小1の孫娘のピアノの発表会で、しかも長女の誕生日でもあるのでお祝いに出かけます。ブログは休みます。

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パソコンと人類の発展と危機と

2017年01月27日 17時08分16秒 | Weblog

 昨日、ブログのためにパソコンに向かっていたら、文字変換が次第に遅くなってきた。漢字なのにひらがなのままにしたり、読み方が分からない漢字を打つのに、以前ならあったパレットが出てこないので、一文字ずつ打ち出したりして、どうやらパソコンの考えと違うことを繰り返していたからではないかと推測している。パソコンも自らの頭脳を持ってきたのだ。

 誕生日と稀勢の里の横綱昇進をどう結びつけようとしていたのかと言うと、人は運命に逆らえないけれど、運命が何かを知ることは出来ないので、「努力する以外にない」へ持って行こうとしていた。バタバタした相撲を取っていた稀勢の里が、落ち着いて取るようになったのは、どこかで何かがあったからだろうが、それは意識してなのか無意識だったのか、どちらにしても自分の持ち場で努力していたからだ。人は意外に、自分では気が付かなくても結構努力していると思う。努力という言葉がいやなら、夢中になっていると言ってもいい。

 それにしても、パソコンの機嫌が悪くなるのには困った。先回に続いてまたしてもカーソルが動かない。先日、パソコン教室を開いている卒業生が困った時の手順を教えてくれたのに、いざとなったら何も覚えていない。パソコンのスイッチを押しても電源が切れない時はコンセントを抜いてしまうと言っていたように思って、コンセントから抜いて放っておいた。今朝、電源を入れたら動いたから、理屈は分からないけれどこれでヨシとした。

 昨夜、NHK・BSテレビでナチスに協力したドイツの医学博士を見た。同じように生活していながら結核になる人とならない人がいるのはなぜかという疑問から、優生学を研究していた。障害のある子が生まれないようにする研究は、優秀なドイツ人に邪悪なユダヤ人の血が混ざらないようにする「断種」へと進んだ。ユダヤ人虐殺に関わった人々は裁判で死刑となったのに、中心的な存在だったこの医学博士は咎められず、ドイツの最高学府の研究者となった。えっ、どうして?と思ったら、「優生学を一番研究していたのはアメリカだったので、裁くことが出来なかったのでは」という。人類の滅亡は科学の進歩にあると暗示している気がした。

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誕生日のこと

2017年01月26日 18時29分51秒 | Weblog

 誕生日おめでとうございます。この地球に人はこれまで何億人生まれたのだろう。膨大な数が生まれてきたから今日がある。この時点で地球上に暮らす人は73億人で、1分に137人1日に20万人増えていると言われている。戦争や餓死、事故や災難、自殺など夥しい人が亡くなっている。生きていることは幸運かも知れないし、そんな中で出会う人はもっと奇跡だろう。誕生日を祝うのは、「産んでくれてありがとう」の意味が大きい。産んでくれたから「出会い」がうまれたのだから、それはもう奇跡の奇跡としか言いようがない。

 稀勢の里が横綱になった。大関に上がってきた時はきっと横綱になるとみんなが期待したが、肝心な一番に敗れることが多かった。「相撲がバタバタしていて落ち着きがない、これじゃー勝てない」と相撲通の先輩たちが批評していた。それがいつからか覚えがないが、バタバタしなくなった。負けそうになっても慌てずに堪え、勝ちを呼び込むようになった。解説を聞けば、師匠の言葉を忠実に守り続けているようだ。喜怒哀楽を顔に出さず仏頂面なのは、「相撲は神事」という師匠の信念でもある。稀勢の里も先代の親方に出会わなければ、違った運命となっていたのかも知れない。

 出会いと運命とその結末は人の努力だけではどうしようもないものがある。しかし、誕生していなければ何も始まらない。歴史に名を遺すような人も、ただ平凡に生きた人も、誕生と死去は同じである。不幸に思ったり不平等を恨んだり、人はどうしても他人と比べてしまう。

 突如、パソコンが動かなくなった。途中半端だがここまでにする。アレ、またうごくけどへんかんしない。

 

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シネマ歌舞伎『阿古屋』

2017年01月25日 18時23分47秒 | Weblog

 坂東玉三郎が演じる歌舞伎『阿古屋』を観てきた。京都の南座で観劇したなら特別席で16000円、一番安い席でも5000円するが、映画だったので2100円で済んだ。でも実は、いつもの劇団・新感線のつもりで出かけて行ったので、金額を告げられた時は倍もするとビックリした。会場はまばらでしかも高齢の女性客ばかりだ。私の列の女性は映画の半分以上、眠っていた。

 映画が終って、「琴や三味線の演奏ばっかりで眠かった」と大きな声で話していたが、どういう芝居か知らないと確かに分かりづらい。きっと玉三郎の女形を見たくて来たのだろうが退屈だっただろう。このシネマ歌舞伎は編集も監修も玉三郎が行っている。芝居に入る前に、玉三郎が女形を後世に伝えたいと語っていた。

 筋書きは簡単で、源氏に敗れた平氏の武将、景清の恋人である遊女「阿古屋」に、行方を白状させようとする詮議の場面だけである。裁く代官は知恵者のようだが、もうひとりの補佐役は赤ら顔の男で品がない。代官はどんなに責めても白状しない阿古屋に訊ねるが、阿古屋は「知らないものは言いようがない」と答える。それならと代官は阿古屋に新しい責めを行う。

 琴を演奏させ、次に三味線を、続いて胡弓を弾かせる。ここが見せ場で、琴も三味線も胡弓も見事に演奏し、途中で歌も口ずさむから、並みの役者では出来ない。玉三郎の指先の美しさはどうかすると女性以上かも知れない。代官は阿古屋の演奏に乱れがないことで放免する。源平合戦をテーマにした浄瑠璃の中のひとつで、3種の楽器を演奏するところが評判となり歌舞伎『阿古屋』となったという。

 鎌倉時代が舞台なのに、遊女「阿古屋」は花魁の姿であったし、道化役に奴が出てくる。元は人形浄瑠璃で演じられたものなので、江戸時代の人たちが見てすぐ役どころが分かるためと面白さを演出するためであろう。玉三郎ファンにはたまらない作品ではないだろうか。ミッドランドシネマで27日(金)までの上映である。

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寒さに耐える

2017年01月24日 17時53分26秒 | Weblog

  私の家はマンションの地上35メートルほどにある。西側のルーフバルコニーに出ると、視界は270度ほど広がる。私の部屋からも左手に養老山脈とその奥に鈴鹿山脈、右手に伊吹山や白山に連なる山々が見える。伊吹山と養老の谷間が関が原だ。今日は灰色の雪雲が養老山脈から鈴鹿山脈を覆っている。伊吹山や白山辺りも青い空が見えたり、黒い雲が覆ったりと変化している。風は強くないが空気は底冷えするように冷たい。

 子どもの頃、伊吹降ろしが冷たくて、風の強い日は家でじっとしているしかなかった。暖を取るものといえば、堀り炬燵と火鉢くらいしかなかったから、部屋全体が温まることはなかっただろう。木造の家でガラス戸が主だったから隙間風が吹き抜けていく。着ている物もダウンなどはないから、セーターか綿入れのチャンチャンコくらいだが、大きくなるとチャンチャンコは恥ずかしかったのか着ることはなかった。

 家族で母屋から離れた倉庫を改修して住んでいたので、私の夢は家を建てることだった。材木屋だったから事務所には建築雑誌が置いてあった。私は小学生の時から飽きもせず熱心に雑誌を見ていて、いつしか真似して見取り図や完成予想図を描いていた。私が最も力を入れていたのは明るい窓がある温かい家だった。マンションは気密性が高いので、少しの暖房で充分温かいが、コンクリートなのでいったん冷えるとメチャクチャ寒い。おや、また西の空が灰色の雲で覆われてきた。

 子どもの頃のことを思えばずいぶん贅沢な暮らしをしている。だから何も不満はない。江戸時代に餓死者が出なかった地域に暮らしていた人々はそれほど大きな不満はなかっただろう。周りは皆同じような暮らしをしていたはずだ。右肩上がりの生活を体験してしまうと、人はもっと欲しがる。欲望は人類発展の原動力かも知れないが、果たして本当にどこまで続くのだろう。

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他人事なのに

2017年01月23日 18時04分26秒 | Weblog

 お笑いタレントの男性が女子高校生と同棲していたことが批判の的になっている。でも、アレッと思った。日本では女性は16歳、男性は18歳から結婚できるのに、なぜ淫行と非難されているのだろう。18歳にならない男女でも、ふたりが恋愛していれば犯罪行為とは言われない。女子高校生の父親はふたりの交際を認めているというのだから問題はないはずだ。

 ベッキーさんの時もそうだったけれど、どうしてそんなに他人の恋愛に干渉したがるのだろう。既婚でもそうでなくても、女子高校生でも高齢者でも、恋愛するだろう。自分が出来ないことを他人がしていると腹が立つのは嫉妬でしかない。羨ましい気持ちがバッシングに駆り立てるのだ。当の本人たちがよければ、逆に悪くても、本人たちの問題でしかない。

 テレビドラ『カルテット』を先週の火曜日に見たけれど、私はかなり面白いと思った。30代(?)の4人の音楽家が四重奏団を組むのだが、その一人ひとりが何かありそうな人物なのだ。演奏は4人の気持ちがひとつになっていかなければならないから、これからどう展開していくのか楽しみである。それに4人のセリフがとても理屈っぽいので、嫌な人はいるだろうが、私は耳をそばだてて聴き入った。

 この四重奏団の名前は「ドーナツ」というが、輪のようにつながっているという意味ではなく、芯がない、あるいは何かが抜けている、そういう意味らしい。4人の中でプロ(?)で活躍している第1ヴァイオリンの松たか子が演じる女性は既婚者で、松田龍平が演じる第2ヴァイオリンが「夫婦って何ですか」としつこく質問する。答えは「夫婦は別れられる家庭」だったが、なんとなく理解できるようで理解できない。同じく松たか子のセリフ「愛しているけど、好きではない」は、分からないようで分かる。

 大人の4人だから恋愛関係に発展していきそうだが、どうなっていくのかと面白がっている。NHKテレビの金曜日午後10時の『お母さん、娘をやめていいですか?』も注目している。結婚適齢期を過ぎようとしているひとり娘と母親の醜悪な関係がドラマの柱だ。私の次女と娘が将来、こんな風になってしまったらと心配している。

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宴会の後

2017年01月22日 16時35分14秒 | Weblog

 昨夜の「新年会」はずいぶん飲んだ。1升ビンが3本も空になっている。初めにビールで乾杯し、そのうちに日本酒に変わったが、途中で白ワインも空にした。大人が男性8人と女性6人、高校生2人、小学生以下2人の合計18人だが、高校生以下は飲まないから16人で飲んだことになるが、女性のうち1人はほんの口をつける程度であるし、大人の男性1人はもう終わる頃にやって来たから、実質は14人だ。

 夏祭りの打ち上げで、伊勢志摩に1泊して以来というので、ずいぶんと盛り上がった。私は元旦明けからの脇腹の痛みで飲むのは控えていたけれど、そこそこに飲んでしまったようで、今朝は9時まで起きられなかった。10時過ぎに会場だったマンションの部屋に、後片付けのため先輩と出かけた。この部屋はもうひとりの先輩の両親が住んでいたが、今はNPO「おたすけ」の事務所に借りている。

 「おたすけ」の事務所と言っても名ばかりで、もっぱら宴会場として使っている。先輩はふたりの息子のどちらかが結婚すればこの部屋を譲るつもりで、管理費と修繕積立金を払っているが、ずいぶんの金額になっているはずだ。昨夜は片付けもせずに帰って来たからと気になって出かけたが、すでにきれいになっていた。部屋の持ち主は毎朝、仏壇にお参りするようで、仏壇の前も元のように整えられていた。

 その話をすると、「いつも朝早いからじゃーないの」と言う人がいる。「朝のジョギングの前にしていった」と彼の好意には全く無頓着だ。場所を貸してくれ、翌日には掃除までしてくれているのに、なぜ「ありがたい」の一言が出ないのだろう。昨夜も飲みながら、自分のことばかり言う人がいたが、生まれ育ってきた環境なのか、これまで生きてきて身についた考えなのか、こんなに長く一緒にやってきても、やっぱり人は様々のようだ。今晩は長女一家が来る。

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トランプ大統領の演説

2017年01月21日 16時23分17秒 | Weblog

 とうとうトランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任した。義理の弟が言うには、「1年以内に暗殺される」らしい。就任した後なら、大統領に何かあれば副大統領が昇格するからだ。アメリカは世界一の軍事力と経済力を有しているが、その力が落ちてきているから、トランプ大統領の「アメリカ第一主義」が支持された。

 トランプ大統領は選挙戦で掲げてきた主張を繰り返し、TTPからの離脱やメキシコとの国境に壁やミサイル防衛システムの強化を声高かに述べている。就任演説でオバマ大統領に感謝の言葉を述べた後、まるで革命宣言のようだった。軍人でも政治家でもない不動産業者に「何が出来る」と評論家は言うが、大富豪の言葉というより革命家の言葉だった。

 「今日のセレモニーは特別な意味がある。首都ワシントンから権力を国民の皆さんに取り戻す。1月20日は国民が再びこの国の支配者となった。ワシントンは栄えたが、国民はその富の恩恵を受けなかった。政治家は豊かになったが、労働者は職を失い工場は閉鎖された。私はアメリカの労働者と家族のために全力を尽くす。国家は国民に奉仕するためにある。皆さんはもう決して見放されることはない」。

 そんなゾクゾクするような言葉が出てくる。聖書の言葉を引用した後、「肌の色が黒でも褐色でも白でも、私たちは同じ愛国者の赤い血が流れている」と結束を呼び掛ける。オバマ大統領の就任演説は感動したが、トランプ大統領の演説も支持派の人々を泣かせるような演説だ。「仕事もせずに税金を治めない連中のために、なぜ自分が働かなければならないのか」とトランプを応援した人々にも「強いアメリカ」を訴えることで納得させている。

 これからどうなっていくのだろう。安倍首相はテロ対策のために共謀罪をと主張する。トランプ大統領就任に反対するデモがあったが、日本で共謀罪が成立したら、反対する者は実行者でなくても逮捕されるのだろうか。警察国家なんて嫌だ。さて、昨日は大寒、今晩は夏祭りのメンバーで新年会だ。集まって相談するから「共謀罪」になるのかな。

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