友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

古臭い日本的な組織と決別して

2013年07月31日 20時10分21秒 | Weblog

 全日本柔道連盟の上村春樹会長ら執行部がやっと8月末で辞任することになった。「今、すぐ」ではないところがいかにも柔道連盟らしい。これだけいろいろと不祥事が続けば、どうもその根は連盟の体質にあると考えるのが普通だろう。そしてさらには、組織の体質に問題があるというのに、そのトップの責任者が「改革を実行」出来るはずがないと考えるのも普通だ。しかし、上村さんらは「改革の目途が立つまでは辞任はしない」と言う。自分の病気は他人に診てもらうのが一番よいのに。

 どうして組織に留まりたいのか、その真意は分からないけれど、上村さんの著書に『やりきる』というものがあるそうだ。勝っても負けても、やりきったか否かが大切なことなのだ。彼としては最期まで連盟の会長を「やりきり」たかったのだろう。こういう精神主義はいかにも日本的だが、責任逃れになっていることに気が付きにくい精神でもある。組織が不祥事を起こしたなら、そのトップは責任を取って辞任すれば、必ずその後継の人たちが不祥事の原因を明らかにするだろう。

 日本が戦争路線を暴走してしまったその責任も、旧体制をそのまま残して再出発したから、何がいけなかったのか、どこに原因があったのか、誰が責任者だったのか、あいまいなままになってしまった。全柔道連盟は伝統的な日本的体質そのものを受け継いでいる。先の参議院選挙もそうした日本的な体質がまだまだ残っていた中で、あれっ、ちょっと違うなと思うような候補がいた。無所属ながら当選を果たした山本太郎さん、同じく当選した最年少の共産党の吉良佳子さん、落選した緑の党比例区の三宅洋平さんだ。三宅さんは自民党比例区で当選した渡辺美樹さんよりも7万票多い17万票得ながら当選できなかったけれど、その選挙戦はユニークだった。

 これからの選挙は、「反対します」「これをやります」だけでは理解は得られない。むしろ、有権者と積極的な会話が出来る候補でなければ支持されないようだ。敵対する考えの人に対しても、ねじ伏せるためではなく、理解し合う方向へと進められる候補でなくてはならないようだ。組織を作り上げ、組織で戦い、組織で考える、そうした思考から自由にならなければダメだ。吉良さんはきっと共産党を離れるだろう。

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生きる場所が欲しかった

2013年07月30日 19時09分24秒 | Weblog

 再び梅雨が明けて、真夏がやってきた。今年はそんな体験を2度することになった。午前中、カミさんの友だちが出品している絵画展を観て来た。絵が好きなのだと素直に受け入れられる。私は好きで絵を描くことのないままこの歳になってしまった。大学で美術を専攻したのは、好きなことをやろうという安直な気持ちからだったけれど、入ってみれば絵のうまい人が何人かいた。絵描きを目指している者もいた。そんな中にいると、高い評価を受ける作品を描きたいという気持ちが強くなっていった。

 高校のデザイン科の教師になって、美術の教師を見渡すと、高校の美術の教師はほとんどが絵描きを本業としている。お互いにどんな絵を描くのか、興味津々である。みんなが驚くような絵を描かなければという思いがいっそう強くなった。「絵描きになるのか、教師になるのか、どちらかに決めなさい」とデザイン科の先輩教師に言われた。組合運動に顔を出していたので、踏切りがつかないでいたら、鉄パイプで襲われた。左膝と両手を砕かれ、絵描きも教師も諦めた。

 最近、絵が好きで描くことが出来るような気がしてきた。NPOの旗を作っていた時も、こんなことにどうして時間と労力を注ぎ込んでいるのかと思いながらも熱心に取り組んだ。出来上がりを見ながら、もう少し知識と技能があればもっといいものが出来るような気さえした。社会とのかかわりを求めて、地域新聞を作った。いや正確には、自分を発揮できる場所を作った。絵描きも教師も諦めたけれど、何か出来るものを求めた。自分が生きる場所が欲しかった。

 社会に働きかけることも、社会に評価されることも、疎くなった今は、自分の殻に閉じ篭って絵を描くことが出来るような気がする。暑中見舞いを幾人から貰った。先輩議員で、私と一緒に会派を組んでいた人は郡上に家を建て、家の前の川で魚獲りをしている写真が載せてある。「童心に 返る魚獲り 川遊び」とあった。中学の同級生からのものには「お互いどれだけの時間が残っているか分かりませんが、一日一日を大切にと思っております」とあった。

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完全に二日酔いである

2013年07月29日 18時01分52秒 | Weblog

 完全に二日酔いである。朝よりも時間が経った夕方になって、気持ち悪くなってきた。昨日は久し振りに友だちの家に呼ばれて出かけた。友だちとの付き合いは随分古い。イタリアやアメリカへも一緒に出かけた。このところ、お互いに忙しく疎遠になっていたが、彼女が仕事を辞めたと聞き、ぜひ市民講座のメンバーになって欲しいと頼み込んだ。そんな彼女がフランスへワインの旅をしてきた。昨日はそのワインの試飲会だった。

 友だち夫婦と私たち夫婦、それに男女の友だちの6人だったけれど、この男女はお酒が飲めなかった。久し振りだったことや、気持ちのよい人たちだったことやで、私は嬉しくなっていた。初めて1時間経って、男の友だちが遅れて来た時はもう相当に酔いが回っていた。その後の記憶が全くない。何を話したのか、どうやって帰ってきたのか、何も覚えていない。こんなに酔っ払ったのは学生時代以来だ。

 大学1年の学園祭で、先輩に飲まされた。道路をまっすぐに歩いているつもりなのにどうしても塀にぶつかってしまう。塀に何度もぶつかったことは覚えているが、どこをどう帰ったのかは覚えがない。大学3年の教育実習で、先輩の先生に連れられて飲んだ時も、どう帰ったのか覚えがない。稲穂の中を歩いていた記憶がわずかにある。着ていた服は泥だらけ、靴も泥まみれだった。

 大学4年の時、東京の出版社で働いていて、やはり先輩に連れられてあっちこっち飲み歩いた。気持ちが悪くなって先輩に「帰ります」と言って店を出たけれど、その後の記憶がない。タクシーで吐いて、運転手に怒られた。東京タワーが見えた。歩いていたが、気が付いた時は水の中だった。メガネがなくなっていたので、どこにいるのか分からなかった。しばらく水の中でボーと立っていた。人の声がするので、その方に歩いた。それから「オーイ」と声を上げた。パトカーが来て、ロープが下ろされ、引き上げられた。後日、その川を見に行ったけれど、道から川面まで5メートル以上ありそうだった。

 社会人になってからはそういう酒の失敗はなかったのに、昨夜はよほど楽しかったのだろう。皆さんにご迷惑をかけていないかとちょっと心配している。

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夏祭り

2013年07月28日 16時47分58秒 | Weblog

 昨日の夏祭りは大盛況だったけれど、鮎の塩焼きも焼き鳥も焼きそばも余り売れなかった。自治会長が目指していた地域のコミュニティとしての夏祭りは成功だったと思う。予想以上にたくさんの人々が、特に若い家族連れの参加が目立った。私たちの横では街に残る数少ない酒屋さんが店を開いていたけれど、参加者の多い割には350円の生ビールなのに買い求める人は少なかった。

 ビールが売れれば、つまみである焼き鳥や鳥皮、ネギマも売れると見込んでいたけれど、ビールが売れないのに合わせるかのように売れなかった。自治会長が、「夕食の心配をしなくてすむように、腹持ちのするもの」というので、祭りの必需品のような焼きそばも飛ぶように売れるということはなかった。何しろ、これまでは盆踊りしかなかったので、お店を出せばもう少し人も集まるだろうと初めて行なわれただけに、慣れていない印象が強かった。

 時々、「売れてる?」と聞きに来る人がいる。8月の市の夏祭りで、どういう訳か私たちを目の敵に思って、イチャモンをつけてくる人だ。商工会の青年部や婦人部と比べても見劣りしないくらい私たちは人数が多い。昨夜も「どうしてこんなに多いの?」と聞かれたけれど、とにかく仲間意識が強いし、元気がいい。数組の家族とそれにつながる娘や孫、ひ孫までが来ている。私たちのモットーは「祭りを楽しむ」であって、いやなら止めた方がいいと思っている人たちだ。

 売り上げが多かったからといって、自己に還元されるわけではないし、人一倍働いたからといって特別扱いされるわけではない。売り上げ金を使って、宴会をして終わりである。仲間の娘さんが子育てが一段落してパートで働きだした。その最初の給料で買った品物を持ってきた。ビックリしていると、「私たちはファミリーじゃーないですか」と言われた。30人近い大家族集団になって、それぞれが自然と受け持ちを分担している。まるで古くからある大家族のようになっている。

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旗作りと値札書き

2013年07月26日 18時33分20秒 | Weblog

 昨日と同じように、午後から雨になった。それもにわか雨っぽいのに、長い時間降り続いた。激しい雨ではなかったが、これは家で明日の夏祭りの準備をしなさいということと勝手に解釈して、旗作りと値札書きに精を出した。夏祭りに屋台を出すように要請されて、それが病み付きのようになってもう何年にもなる。祭りを盛り上げることに役に立ち、自分たちも祭りを楽しむ、その喜びとともに仲間意識が深まり、やめられなくなってきている。

 旗はグループ名を記したものだ。市の祭りの担当課から、「どういうグループがやっているか、明らかになるものを示しておくように」との指示を受け、旗を作ろうということになった。ブルーの布にイエローで文字を表すことにして、布の端をミシンで縫ってもらった。文字を書くことは簡単なので私が引き受けることにした。イエローの布に、NPOと書き込み、その下には「おたすけ」の文字を切り抜いて貼り付けることにした。

 布を前に、下書きに取り掛かる。我が家はまだ一度もエアコンを使っていない。扇風機は使っているが、文字を書くのに適さない。机に向かって文字を書くだけなのに、体から汗が流れてくる。誰かに審査されるわけではないし、適当さがむしろ感じいいのに、全身の神経が集中してくる。もう少し遊び心で筆を動かした方がいいのだが、このところ筆を持つことがないので動きが悪い。

 学生時代、こんな風に取り組んでいたことを思い出す。3年生と時、経緯は何も覚えていないが、大学祭の入場門を作ることになった。多分、私ひとりが担当したわけではないと思うけれど、なぜかベニヤにペンキを塗っていたのは私だけで、夜遅くまでかかって完成させたことが思い出に残っている。看板を作ったり、ポスターを描いたり、そういうことが好きだったのだろう。ガリ版刷りのアジビラもよく書いた。それなのに大学祭に参加した覚えはなく、何があったのかも知らない。

 明日の夏祭りは、ある町内会の祭りだけれど、参加は初めてなので、どんな結果になるか分からない。カミさんは「何でも引き受けない方がいい。むしろ縮小していくべきよ」と言うけれど、私もそう思ってきたけれど、今ではやれるうちが華、やれるところまでやっていくのもいいのではないかと思うようになった。仲間が元気でいられるのも祭りがあるからで、誰かが欠ければ縮小よりも中止となってしまうだろう。そんな訳で、明日はブログを休みます。

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都市型の集中豪雨の後で

2013年07月25日 18時19分07秒 | Weblog

 また蒸し暑い日になった。お昼過ぎ、マンションの自治会長から頼まれた件で、管理事務所の所長と事務所で話していると、急に暗くなってきた。女性事務員が銀行へ出かける時で、「雨でも降ってくるかしら」と言うので、「まだ大丈夫でしょう」と答えたが、それからしばらくしないうちにバタバタと叩きつける音がして、大粒の雨が激しく振ってきた。まるで滝の様という表現があるが、本当にそんな雨だった。近頃は集中型の豪雨が多い。このまま降り続けば、都市は排水機能が追いつかなくて浸水被害が出るだろう。幸い長時間の雨にはならずよかった。

 雨が止んでも涼しくなるどころか、湿度が高く、ムッとする暑い空気に包まれている。高校野球の季節到来で、各地で熱戦が繰り広げられている。この暑さの中で大変だ。でも若い時は暑さに負けないことが若さの標だった。21日にマンションの中庭の整備で力仕事をしたが、翌日から腰が伸ばせないほど痛くなった。次の火曜日は何とか春日井で井戸掘りをしたけれど、続けて動かしている時は何とも無いのに、同じ姿勢で休んでいると、次に身体を動かそうとすると腰が痛くてたまらない。

 私より年上の仲間の歩く姿をペンギンのようだと笑ったけれど、私も同じ格好をしている。社民党の福島瑞穂党首が辞任するとテレビニュースが報じていた。彼女がまだ弁護士だった頃に一度お会いしたことがあるが、小柄で可愛い女性だった。彼女が社民党の党首になるとは思ってみなかった。どんなに彼女が頑張っても社民党の凋落は必至だった。労働組合の上に胡坐をかき、組織活動も勉強会も疎かにしてきた結果だ。「緑の風」と「社民」は次の選挙で議員はいなくなる。「生活の党」もいずれなくなる。私の高校の友だちが必死になっていた「緑の党」も議席の獲得は無理だった。

 古いものが新しものに取り替えられていく。これは仕方がない、阻止することのできない流れだ。新しい流れを受け入れられないなら、抵抗すればいい。抵抗がなければ面白くないし、時代はそんな葛藤の中で築かれていく。雨ばかりは降らないし、日照りばかりが続くことはない。今年は決して昨年と同じではないが、だからといって全く違うということでもない。苦しみながら、ぼやきながら、前に向かう以外に生きる道はないようだ。

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英国王室に男子誕生

2013年07月24日 19時31分47秒 | Weblog

 英国王室に男の子が誕生した。テレビは、病院前で報道陣に囲まれたウィリアム王子と赤子を抱くキャサリン妃の嬉しそうな様子を伝えていた。王位継承順位はチャールズ皇太子が1位、その息子であるウィリアム王子が2位、赤子は第3位となる。英国の王位継承ルールは、女性が王位を継ぐことを認めているものの男子を優先してきたが、「最初に生まれた子」と変わった。

 英国では王室への尊敬と愛着が強いのかと思っていたら、意外にそうでもないようだ。国民の6人にひとりが王制廃止を支持しているという。王室の新しい命の誕生についても、芸能ニュースのひとつというところなのかも知れない。王室ニュースと言えば、離婚や不倫スキャンダルが主だったから、王室離れを食い止めたい狙いが今回の報道にはあるようだ。

 日本の皇室については、さすがに離婚や不倫の記事はないけれど、嫁と姑、皇太子の妻同士の確執などが報じられることが多い。他人の家庭のことを取り上げるのは、どうみても「不幸を喜ぶ」スタイルである。日本では、天皇が政権を握ったのは奈良時代前のわずかな期間しかない。天皇は政治を行なうものにとって利用価値のある存在としてあった。世界的にも珍しい統治機構ではないかと思う。

 皇室が「政治に利用されるばかりで自由もなく、廃止にしたい」と思われるなら、それでよいではないかと思う。天皇が政治の形の中に留まらなくても、日本はやっていける。象徴の名の下に自由の無い生活を強いる方が可哀想な気がする。会社で創業者やその子孫が、代表権のない会長に祭り上げるのは、会社にとって利益があるからだけれど、そういう利用の仕方をしていいのかと思ってしまう。

 人は誰でも自分の力で何かをしたいと思うものだ。それが生まれた時から、自分の意思を発揮できないのは苦痛そのものだろう。人は自由に生きてこそ幸せと言えるのではないだろうか。

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人生は思惑通りにはいかない

2013年07月23日 18時58分55秒 | Weblog

 思惑通りにいかないのが人生と分かっていても、思惑通りにいかないと情けなく思うし、腹も立ってくる。今日は暑かった。春日井での井戸掘りは思惑通りにいかなかった。掘って欲しいといわれた畑はサラサラした土で、300メートルほど離れているところには庄内川が流れている。下見に行った仲間は、「ここなら水は出るだろう」と思った。今日は大暑で、日中は35度を越すと言われている。午前中に水脈まで到達できないかと願った。スコップで掘り始めると、サラサラした土の下からは河原に見られる小石が出てくる。

 小さな石なら私たちの水圧を利用したやり方でも掘り進められる。しかし、こぶし大くらいの石になるともうお手上げである。やはり昔は庄内川の河原だったのだろう、そんな石が次々に出てくる。地主さんやご近所の人の話では、3から4メートル程はそんな小石交じりの層になっているようだ。作戦を変えて、人が入ることができるほどの穴を掘り、手掘りで2メートルくらいまで掘った。そこにもう一度、塩ビ管を立てて、水圧で掘り進めてみた。1メートルくらいは深めたが、また小石のようなものに当たる。

 残念ながら今日はここまでだった。来月の10日過ぎにしか来られないと地主さんに事情を話して了解を貰うが、日照り続きで少しでも水の欲しい地主さんはもっと早くできないかという顔をしていた。今週末には、夏祭りで屋台を出さなくてはならない。続いて、8月3・4日は市の夏祭りで、ここでも屋台を出さなくてはならない。準備と後片付けを考えると、どうしても8月10日頃になってしまう。それに今日の作業を見ていても、やはり70歳過ぎの老人集団だ。そんな若い人のようにはいかない。

 今日は名演の勉強会だったけれど、とてもこの身体では参加できない。申し訳なかったけれど休ませて貰った。これからどれだけ作業ができるだろうかと不安に思う。お昼に近くのラーメン店に行ったけれど、いつも大盛りを頼むふたりが「食欲がない」からと、ライスを小盛りにした。それも最後には残してしまっていた。咳き込むし、鼻血が出るというのも気になる。私も腰が痛くて、立ち上がれないし、歩く姿はまさしく腰の曲がった老人だ。やっぱり人生は思惑通りにはいかない。情けなく、悔しく、腹が立つ。

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心配と苛立ち

2013年07月22日 19時18分43秒 | Weblog

 参議院選挙の結果は全くの予想通りだった。微かに期待していた番狂わせも実現はなかった。そんなものだろう。私が夢見ていたようなことは、現実離れしていたのだ。時代は移り、私たちの時代は終わった。「みどりの風」代表の谷岡さんが言うように、「役割は終わった」のだ。当選した皆さんを見ても、随分と若い人が多い。私たちの子どもと同年代の人たちである。これからは彼らの時代だ。任せる以外にない。

 そう思うなら、スッキリとさせればよいのに、どういう訳か無気力状態に陥っている。何も私が落ち込む必要はないのに、バカバカしい気分になっている。何もかもどうでもいいような捨て鉢な気分だ。おそらく選挙の結果には関係なく、長年の友だちであっても、嫉妬心や猜疑心や包容力の欠如から、仲たがいが生まれてしまう、そんな複雑な人間に嫌気が差しているのだ。これも私のエゴで、自分の望むように物事がうまく回っていかないことに苛立っているのだ。

 そんな中で、先日応援に行った市議候補が当選したことや、今度の8月7日に計画している郡上大和の明建神社の薪能見学ツアーが順調に進んでいることが、微かな希望となっている。そうか、これから先に私を必要としていることがある、それがやる気を与えてくれる。明日は春日井で井戸掘りを行なう。参加者が4人しかいないこと、しかもみんな私より年上の70代であることから、果たしてうまく掘ることができるのかと不安になっている。でも、心配しても仕方がない。全力でやる以外にない。

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男の見栄と嫉妬

2013年07月21日 19時20分46秒 | Weblog

 朝6時に、ルーフバルコニーで育てたナンキンハゼを運び出した。我が家の鉢の中に、私が植えた覚えの無い苗が目を出していた。それで、鉢に移して育てた。ナンキンハゼは成長が早く、3年目でもう随分大きくなった。どこかに植えてやらないとかわいそうな気がしていたところ、マンションの中庭の工事で、緑が欲しい部分ができた。下水道工事に伴い、貯水槽がむき出しになったので、それを隠すよう樹木が必要になったのだ。

 皆さんが揃う前に現場にナンキンハゼを置いておきたかった。樹木を植えることが既成の事実であるようにしておきたかったのだ。新設した屋外トイレへの誘導のため、コンクリートの敷石を並べた。そして敷石の向こう側、貯水槽との間にナンキンハゼを9本植えた。間隔は狭いけれど、「いずれもう少し大きくなったら植え替えよう」と、皆さんが納得してくれた。やれやれである。やっと小さな鉢で育てられたナンキンハゼもこれからは伸び伸びと根を張ることができる。

 昨夜は夏祭りの屋台の打ち合わせを行なった。13人と子ども1人。屋台での出し物、使う道具、材料や火力、仕入れ値と売り値、担当などを決め、「それでは前祝で、乾杯!」となった。それがいけなかった。お酒が回ってきて、本音が出た。「出資金が必要なのに声がかからない」「強制ではなく、出せる人に度してもらっているから出さんでいい」「どうしてそんな差別をするのか。新しく入ってきた者は分からんから聞いているのに、おかしいだろう」「無理はしなくてもいいということだ」「平等ではない。隠し事が多すぎる」「隠していることはひとつもない」「だったら、キチンと説明したらいい」。

 ここまでは酔った席でのちょっとくどいやり取りだった。ところがそこへ、「グダグダ言うんだったらやめてしまえ!」と、とんでもないことを言ったために、あっという間に険悪な空気が流れた。言い出した人は引けなくなって、「分かった。やめさせて貰う。長いことお世話になりました」と席を立ち帰ってしまった。今朝の「草取りとゴミ拾い」に出て来たら、声をかけようと思っていたが、来なかった。男はどうして見栄を張るのだろう。面子とか大事にされていないとか、つまらないことに拘る。嫉妬深い。男同士の嫉妬から戦争にまでなったケースもある。困ったものだ。

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