友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

プラステックは画期的な製品だった

2018年07月31日 18時44分16秒 | Weblog

  台風が過ぎ去ったのに、爽やかな青空にはならなかった。湿度の高い熱風が押し寄せ、会う人毎に「暑いですね。もう耐えられません」と言う。今日で7月も終わりだが、このままでは8月も暑さが続きそうだ。「熱中症にならないためにエアコンを使用してください」と気象庁が呼び掛けているから、全国的にエアコンの使用はピークだろうに、「電気が足りない」と言われていないのはどうしてなのだろう。

 戦後の経済を支えてきた先輩は、「プラステックの実用化をはじめて僅か40年だ。あんなに苦労して創り出した『夢の製品』が、今では公害と言われている。いったい私たちがやって来たことはなんだったんだ」と愚痴をこぼしていた。どんなものにでも形を変えられ、しかも安価なプラステックは画期的な製品だったと言う。「人間の生活そのものを根本から見直す時が来ている」と自分が携わってきた高度経済成長期を振り返る。

 私の高校時代の友だちが「江戸時代のような生活に戻ればいいんだ」と言っていたことを思い出す。人間は決して昔に戻ることは出来ないが、これからの生活のあり様を考えることは出来る。何千年も前のユダヤ人は、畑の麦を全部刈り取ることを禁じていた。ブドウ畑のブドウの実もある割合で残しておく決まりだった。それは、貧しい人々のためで、そうした人々が残りの麦やブドウをとってもいい習わしであった。麦畑の落穂もそうした人々のためのものだった。

 豊かになると、助け合うことを忘れてしまう。貧しいのは「自己責任」と非難される。誰にでもシンデレラになれるのだから、頑張ってセレブになれと言う。確かに誰にでもチャンスはあるように見えるが、本当にそうなのだろうか。秀吉と同時代に生きながら、秀吉のようになれなかった男はいったいなぜだったのだろう。人はどこで別々の道を歩むのか、いや、そもそもが、同じ道の人などいない。自分にしか自分の道は分からないのだ。

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夢でマンガの原作を考える

2018年07月30日 18時08分11秒 | Weblog

  風は吹いているのに暑い。エアコンは使わず窓を開けっぱなしにしていると、軽いものが南の部屋から北の部屋へと飛んでくる。「こんなに気持ちいいんだから」とカミさんに言われ、飛んできた紙などを拾い集める。風の通り道のソファーで、姜尚中さんの『維新の影』を読んでいたら、睡魔が襲ってきた。

 眠っていたら夢を見た。『維新の影』とは全く関係のない、「半分 青い」や「この世界の片隅に」や「愛と誠」のような、マンガの原作を描く話だった。それも現代ではなく、秀吉と同時代を生きた男で、秀吉のようには出世できずに生涯を終わる誠に平凡でつまらない男を、それでも男なりに精一杯生きたと思ってもらうためにどうしたらいいのか、悩んでいるうちに目が覚めた。

 男の名前は思いつかなかったが、秀吉と同じ尾張中村で孤児だ。秀吉は勉強のために寺に預けられたが、男は食べていくために寺を訪ねた。色白で利発そうな、どこか身分の高そうな、そんな孤児を受け入れてくれる家はなく、寺ならという男の計算があった。男と秀吉は同じ寺で下男として働く。その寺に、信長の妹のお市が厠を借りにやってくる。色が白く、目の澄んだ、とても可愛い女の子だ。ふたりは一目で恋に落ちる。

 庭から自分を遠目で見ている二人の男の子に気付いたお市だが、色白な男の子ばかりが気になる。そして男の子は清州の屋敷に連れて行かれる。お市は男の子に言う。「私が用をするところが見たいのでしょう」。あまりの言葉に返事も出来ないでいると、お市は「私の後をついて来なさい」と武具が収められている部屋に連れて行く。薄暗いが奥の明り取りの前に来ると、お市は裾を開いてまだ毛の生えていない秘所を見せる。

 ここが幼少期のヤマだが、ここから先どのように展開し、大人になったお市と男がどのような形で再開するか、悩んでいるうちに目が覚めてしまった。私の子どもの頃のマンガで覚えているのは「赤胴鈴之助」と「鉄腕アトム」くらいだ。我が家には子ども向けの百科事典はあったが、マンガは無かった。マンガも「小説」と思ったのは、高校の先生になった頃に出た上村一夫の「同棲時代」を見た時だった。

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人生は義理と人情だが

2018年07月29日 16時26分44秒 | Weblog

  台風に備えて、倒れそうな植木鉢を壁際に移し、被害が出ても最小限で済むようにした。昨夜がヤマであったはずだが、大雨にも大風にも襲われることはなかった。むしろ、期待した雨がなかったので、早朝に水やりをしなければならなかった。思ったほどではなかったとはいえ、各地で大きな被害が出ている。自分の所に被害がないと、他の所の被害に無関心になってしまうのは情けない。

 このところ葬儀が多い。私の年齢からすれば当然なことだ。年齢が高くなれば付き合いの範囲は狭くなるから、もっぱら家族葬になる。以前はマンションでも葬儀の知らせが出ていたが、今は知らせないケースも増えてきている。そこで困るのが、お世話になった人が亡くなったのに知らずにいたことだ。でも、考えてみると、なぜ困るのだろう。「あんなに世話になっていたのに、葬儀に来なかった」と言われることがイヤなのだ。

 家族葬で行う側にすれば、知らせていないのだから来なくてもどうってことはない。むしろ、葬儀を知った人が次々と仲間内に伝えてくれて、葬儀が家族だけで済まなくなり、余分に気を遣うことになる。しかし、かと言って、知ったからには伝えなくてはと思うのは人情だろう。そんな時、参列するべきかで悩む。悩むのは結局は、自分が他人からどう思われるかだが、なかなか冷静に割り切れない。

 私もいつか死ぬ。仲間に知らせなくてもいい。「冷たい」と言われたら、「本人の意思なので」と答え、「どこまでも変人なのです」と付け加えておけばいい。儀式も要らない。病院で死亡診断書を受取り、葬儀社(ティアラ)に連絡して葬儀を行わないことを告げて引き受けてもらう。役所に死亡届を出して火葬許可書を受け取る。葬儀社がやってくれるが、自分でやってもいい。そこで火葬場へ遺体を運び、火葬後は遺骨を拾わない。火葬場の職員に「本人の意思」を伝えれば済む。墓も位牌も不要。年賀状のリストの人に亡くなったことをハガキで伝えて欲しい。リストも文面も用意しておく。

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義人は報酬を求めない

2018年07月28日 17時01分26秒 | Weblog

  市の広報車が、「今晩の夏祭りは中止になりました」と回って来た。午後4時より避難所を開設するのに、祭りだけはやるという訳にはいかないから当然の決定だろう。午後4時の時点では青空も見え、雨が降る様子はない。運動場では朝から少年野球チームが練習をしている。気温も以前のように35度を超えていないのだろう。

 先輩が「義人は報酬を求めない」という。人は何かをする時、その見返りを期待するものだ。母性愛は無償の愛といわれているが、私の知り合いの女性は、「いい子というのは、自分にとって都合のよい子なのよ」と言う。子育て中の母親は、子どもが大きくなり、「ちっとも言うことを聞かない」と嘆くが、それは母親のエゴだと気付いていない。

 母親が思い描く子になるということは、母親に都合のよい子に育っている危険なことだと私は思う。我が家も子育てでいつも言い争いになった。カミさんは「両親の考えが違ってはダメ」と主張するが、私は「実際違うのだから、ありのままでいい」と。子どもが「言うことをきかなくなった」とか「口答えするようになった」というのは、成長の証である。成長とは、母親以外の価値観に触れていくことだと思う。

 子育てをする母親は無報酬であっても、何かを期待していることは確かだ。先の先輩も、「誰かを好きになれば、自分を好きになって欲しいということであり、愛したいのも愛されたいからで、期待しない行いは無い」と断言する。「彼女と待ち合わせて、1時間でも2時間でも待つのはデートに期待するものがあるからだ。そういう邪な下心があるから、逆に一生懸命になる」と。

 「ボランティアの人は無報酬でよくやる」と言うが、それは自分が気持ちいいから、満足を与えてくれるからだ。無償の愛は自分が満たされるからだと思う。出来ることなら、見返りを求めず、ひたすら与える側でありたいが、残念ながら人間はそれほど立派な生き物ではない。だからこそ、義人に成れなくても、義人を目指して生きるのだろう。

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台風12号が接近

2018年07月27日 17時41分13秒 | Weblog

  台風12号の接近で、昨夜はエアコンなしで眠ることが出来たし、今朝からこれまでエアコンの世話にはなっていない。我が家はマンションの高層階にあるので、例年ならエアコンは3・4日か使う程度で済む。昼間、暑い日でも夜になれば涼しくなるのが常だった。だから、朝あるいは夜、ルーフバルコニーにテーブルとイスを出し、食事を楽しむこともあったのに、今年はいつまでも異常に暑くて屋外に出る気になれない。

 明日、明後日は台風がこの地方を襲来するという。どのテレビ局の天気予報も同じだから、市の夏祭りも中止になるだろうと話していたら、「もう、準備にかかっていた」と先輩は言う。「参加しなくてよかったよ。祭りもないのに参加していたら、協力金2万円を取られるところだった」。「台風が来るのは分かっているから、返金はするでしょう」。こういう時の判断は難しいが、こういう時だからこそリーダーは、みんなのための決断が出来る人でなくてはならない。

 世界中が「異常気象」になっている。北欧でも36度の猛暑とか、ギリシャやアメリカ西海岸で山火事とか、各地で大雨や洪水の被害もうまれている。「地震の活動期に入った」と地震学者は言う。こうした自然の猛威を「神の怒り」と思う人は多いだろう。それくらい人類は自然を見下してきたのだから。私が「地球の基軸がずれてきたんじゃないか」と呟くと、「あなたはいつもおかしなことを言うね」とカミさんは笑う。

 科学者はすでに知っているが、どうすることも出来ないから黙っているのだ。北朝鮮とアメリカが「終戦宣言」を行なえば、世界の火種が1つ消える。次は「中東に平和を」と動き出すだろう。もうそんな戦争や紛争をやっていられる事態ではない。それでも最後まで、どうすることが自国に有利かと政治家は考えるし、資本家は何が儲かるかと追い求めるだろう。地球に住めなくなるまで人類は利益を求め続ける。「ジコチュウでいいんだ」って、若いグループが歌っていた。

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古代ユダヤ人の人間観察

2018年07月26日 18時14分08秒 | Weblog

  オウム真理教の残る死刑囚の刑が執行された。私は人の命を人は奪うことはできないと考える人間なので、残念に思う。それにしてもオウム真理教とは何であったのだろう。どうしてあんなに高学歴の若者が信仰に走ったのだろう。連合赤軍事件もそうだったが、ひとつにまとまろうとすると、「殺す」ことさえ厭わなくなる。人間はとても恐ろしい。

 曾野綾子さんの『イエスの実像に迫る』は、古代イスラエルの風習が詳しく書かれている。ユダヤ人はペルシャ人やエジプト人の奴隷になっていたこともあり、ユダヤの風習を頑なに守り、しかもそれを細かく記していた。彼らは人間をよく観察していたからこそ、「教訓」を導きだしたのだろう。旧約聖書はそんな教訓集と言えるのかも知れない。

 彼らは「人間には4つの型がある」という。1番は「わたしのものはわたしのもの、あなたのものはあなたのもの」。2番は「わたしのものはあなたのもの、あなたのものはわたしのもの」。3番は「わたしのものはあなたのもの、あなたのものはあなたのもの」。4番は「わたしのものはわたしのもの、あなたのものもわたしのもの」。1番は平均的な人、2番は地の民、 3番は敬虔な人、4番は悪人という。

 ユダヤでは施与は義務だった。その施与についても4つの型があるという。1つは「施すことを望みながら、他の人が施すことを望まない人」。2つは「他の人が施すことを望んでも、彼は施さない人」。3つは「彼も施し、他の人も施すことを望む人」。4つは「彼は施さず、他の人も施さないことを望む人」。1の人は他の人のものに対して邪悪であり、2の人は自分のものに対して邪悪である。3の人は敬虔な人で、4の人は悪人という。

 ユダヤ教もキリスト教も、神と自分の関係を知ることにある。オウム真理教がどのような教えなのか分からないが、仏教の言葉が多く使われているから、現世と自分を「悟り」、「自分を変えるれば世界も変わる」と考えたのだろうか。古代ユダヤ人のようにもう少し人間観察ができていれば、「ポア」などに至らなかったのではないだろうか。

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連日の猛暑にダウンする

2018年07月25日 17時30分38秒 | Weblog

  連日の猛暑にとうとう「ヤラレタ」みたいだ。今朝、6時過ぎにゴミ出しに行った時は、それほど暑いとは思わなかったし、ルーフバルコニーで水やりをしていた時も、少し風があったから「今日も頑張って」と花たちに声をかけて回った。朝食をとって、しばらく新聞を読んでいたら、急に眠くなってきてそのまま横になり眠ってしまった。

 昼寝ならぬ朝寝をしてしまったのに、昼食の後、また眠くなってきて本当に昼寝した。夏祭りの後、先輩は「昼寝ばっかりしている」とこぼしていた。その時は「それ、熱中症ですよ」と冷やかして、みんなで笑い合ったが、自分がそんな風になるとは思わなかった。他人のことは分かっても、自分のことは分からないものだ。

 母校の高校は準々決勝で敗れ、甲子園への切符を手に入れることは出来なかった。県立高校でしかも進学校だから、私学とは練習量が全然違う。私は我武者羅に勝ちたいという気持ちがないから、「よく頑張った。そこそこでいいよ」などと言ってしまいそうだ。私が生徒会長だった2年の秋、サッカーの決勝戦の相手は常連の中京高校だった。勝てるわけないと思っていたが勝利し、全国大会へ行くことになった。

 県大会の決勝戦、自分でも不思議なくらい勝利に涙していた。すぐ、1月に行われる全国大会に向けて応援団を組織し、バスの手配まで自分で行い、勝ち進んだ時の先まで心配までしていた。応援団長は3年生の就職組で親しい先輩が引き受けてくれた。サッカー部の部長は同じ中学校でサッカー部だった友人だ。女の子たちも応援に参加してくれた。初戦敗退ではあったが、寒いサッカー場でみんなが一丸となって応援した。帰りのバスは負けたことより、応援できた充実感で満たされていた。

 まだまだ猛暑は続くのだろうか。負けないように、懐かしい青春時代を思い出して頑張ろう。

 

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苦と愛の、人生の七味

2018年07月24日 17時35分01秒 | Weblog

  何とまあー暑い日が続くのだろう。今朝は風があったので、私はルーフバルコニーに出て、水やりをし、今日は暑さから解放される気でいた。ところがやっぱり、天気予報通りに暑さがやってきた。そんな暑さの中、カミさんのいとこが「中元」の品を持って来た。カミさんは、今年から「中元」のやり取りは止めようと弟や妹に話していたのに、いとこに話していなかったのだ。

 私は兄貴のふたりの息子に、「正月の集まりはしない。中元や歳暮のやり取りも止めよう」と手紙を出したが、中元の品が届けられた。続けてきた「行事」を中止することは意外に難しい。拡大していくことは案外できるが、縮小するのはかなりの勇気が要る。けれど、年上の者が提案しなければなかなか変更することは出来ない。

 暑い時も寒い時も、食べ物に大量の七味を振りかける先輩がいる。「そんなにかけたら味が分からなくなるのでは?」と言うのだが、「いや、これで味が引き立つ」と答える。私は辛味が苦手で、香辛料を使わないが、好きな人は何にでも振りかける。中学からの友だちのブログを読んでいたら、江上剛氏の『人生に七味あり』を取り上げていた。

 営業畑で生きてきた彼はこうした類いの小説が好みで、「人生の七味」とは、「うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、やっかみ」をいうと解説してあった。人間の根源みたいなもので、おそらく自分が抱かかえたことも投げつけられたことも、みんな経験しているだろう。聖書もこの問題を各所で取り上げているし、宗教は全てここに集中していると思う。

 「人生の七味」をインターネットで見ていたら、「苦の人生の七味」に対して「愛の人生の七味」が載っていた。「ほほえみ、いつくしみ、つつしみ、めぐみ、なごみ、あたたかみ、こころみ」である。なるほど、こちらの方が気持ちが暖かくなる。熱波にならなくても、穏やかな心を求めて、「愛の人生の七味」を身につけていこう。

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スポーツの好きな人たち

2018年07月23日 17時27分07秒 | Weblog

  酷暑!行ったことはないが、「地獄の暑さ」と言いたくなる。今朝、用事で出かけた。車を降りると熱波の中だった。こんな暑さの中で、私の母校の高校は甲子園を目指して奮闘している。私が在籍した頃は、サッカー部は強かったが野球部は目立たなかった。野性的なサッカー部に比べて、成績も優秀で格好いいメンバーだった。いつからベスト8入りするようになったのだろう。

 この暑さの中でも練習をしている。50代の元野球少年が「ボクらの頃は、どんなに暑くても水を飲むことは許されなかった」と言う。暑さに慣れる身体をつくり、辛さに耐える心を養う、そのための指導だっただろう。今から考えれば無茶なことだが、耐える、鍛える、それで強い身体と心をつくり上げることができると当時は本気で考えていた。

 一生懸命に努力することを否定しないが、私自身はそこに価値を見出したことがない。スポーツに真剣に取り組んでいる友人は多くいたが、私は率先して苦しさを受け入れ、打ち勝つ身体と心をつくりたいと思ったことのないナマケモノである。相手に勝ちたいとか相手チームに勝利したいとか、そういう競争することが苦手だ。

 スポーツが好きな人は一生懸命に努力する人が好きだが、私は屁理屈な人間なので、努力するだけで立派とは思わない。何を求めて努力するのか、努力の目的は何か、それを評価の基準にしている。ものすごく例えは悪いが、ヒットラーだって「強いドイツ」を目指して「努力」したし、恐怖政治を執行したスターリンだって「祖国の安泰」を願って「努力」した。

 トップに立つ人は必ず「努力」する。でも、何を目指しているのかで評価すべきだろう。その努力が無駄であったり、時には間違っていたりすることもある。「あんなに一生懸命に頑張っているのに、あんたは何もしていない」と非難されても、私はやっぱり、「努力」だけでは「いい人」とは思わない。これは生き方の違いで、永遠の課題なのだろう。

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猛暑の中の夏祭り

2018年07月22日 17時19分05秒 | Weblog

  猛暑が続く中、倒れる人もケガをする人も出ず、無事に後片付けも終わった。反省会の時、若いリーダーが「元気がなかった。もっとテンション上げて欲しい」と言った。確かにその通りで、なかなか盛り上がらなかった。若い女性が「それでも買ってくれたので、今はホッとしている」と正直に話す。「あの暑さの中で、よく頑張り切れた」と先輩が言う。

 朝のテント張り、続いて倉庫にある資材の運び出し、そして屋台の設営。それが終わると販売する食材を受け取り、発電機を運び込み。女性軍は焼きそばの材料の買い入れとキャベツの千切り。いつもなら午後3時にはすべての準備が整い、「さあー開店するぞ」となるところなのに、あまりの暑さに身体も気持ちもシャキッとしない。気持ちは焦るが、身体の動きが悪い。

 それでもみんなよく頑張った。熱中症の前兆があって参加できなかった人もいたが、子どもから老人まで本当によく頑張った。途中で孫の守りのために帰る人、夕方から手伝いに来てくれた人、一番大変な朝と夜に力を貸してくれた人、いろんなケースはあったが、それぞれ自分が出来る範囲で頑張ってくれた。

 朝、資材の運び出しの際、市の夏祭り実行委員会のメンバーに出会った。彼は私たち仲間であるが、いきなり大声で私に怒り出した。「あんたはもうこの市には住めんよ。それくらい大変なことをしたと、わかっとるんか。実行委員会の暴走とはなんだ。ボクらがどんなに苦労しているのか、知っとるのか。あんたのおかげでボクはえらい恥かいた」。目を見開き、怒りを露わにする。

 市民参加の夏祭りが私たちの共通の願いだ。そのため不足する費用を出店者や出場者から集めようと実行委員会は決めた。なら、その前になぜ実情を説明し、みんなで考えようとしなかったのか、そのことを私たちは問題視している。彼から「協力金を集める」と聞いたが、当然「それは祭りの趣旨と違う」と反対したと思っていた。

 それでも多数決で押し切られそうというなら、なぜみんなに相談してくれなかったのかと残念でならない。祭りを盛り上げる考え方がこんなにも違っていたのかと思う。決裂、どんなに仲間であってもそういう時が来る。私は気が重く、テンションの上がらない一日だった。

 

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