友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

SMAPの解散

2016年12月27日 18時06分45秒 | Weblog

 SMAPが解散。昨夜のフジテレビ『スマスマ』が、5人揃っての最後の出演というので、カミさんは「絶対見る」と言う。20年近く続いてきた番組なのに、まともに見たことがなかったので、仕方ないと諦めて一緒に見ることにした。ところがカミさんは番組が始まる前に録画予約をしている。「録画するなら、他の番組を見ようよ」と私が言うと、「5時間もやるのよ。見るわけないでしょう」と答える。エッ、じゃーいったいなぜ録画しているの?最近のカミさんのやることはよく分からない。

 『スマスマ』はこれまで放映してきたものをこの日のためにつなぎ合わせたもので、SMAPの成長と友情の物語であった。10代の彼らはまさに子どもで初々しい。そうか初めのメンバーは6人だったのかと知った。SMAPの由来のとおり、踊って歌えるグループだが、そんなグループはいくらでもあったから、他とは違うものを求めていく。それがバラエティーで、そのおかげで役者の素質も育てられたと思う。そう思うと、彼らがタモリに一目置くのもよく分かる。

 8時過ぎた頃、カミさんは夢心地になっていた。あんなに「見る」と言ってチャンネルを放さなかったのに、全く無防備に眠り込んでいる。「風邪引くよ」と声をかけて、ひざ掛けなどを身体に撒いてやる。これでますます熟睡していくことだろう。午後9時、チャンネルを映画『ビリギャル』に変える。ビリギャルも、お母さんのああちゃんも大和塾の市民講座に来てくれたので会ったことがある。ビリギャルはすでに社会人になっていたから、映画とは違う美しい女性になっていたし、ああちゃんは吉田羊さんより優しい感じの人だった。

 子育て中の人はぜひ見て欲しい映画だ。長女にも次女にもこれから伸びていく子どもがいるから、映画を観る余裕がなければ、ああちゃんが書いた本を読んで欲しい。本は私が持っているので、いつでも取りに来て。本も読んだし、お母さんの話も聞いているのに、また涙を流してしまった。さて、今年もあとわずかな日数になった。明日はカミさんの実家へお参りに行き、忘年会なので、明日から31日までブログを休みます。元旦は年賀の挨拶をアップし、2日と3日は再びブログを休みます。

 「よい年をお迎えください」。

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クリスマスの夜は都心で食事

2016年12月26日 17時54分58秒 | Weblog

 クリスマスの都心はさすが人が多かった。若い女の子の中にはサンタ風の衣装を着た子もいる。カップルが多いのかと思ったが、意外にそうでもない。もちろんカップルは本当に幸せそうであるし、華やかな感じもする。でもよく観察すれば、中年から老人のカップルもいる。クリスマスの夜だから、どこかで美味しいものでも食べようという人たちなのだろう。

 二科展を見て、古い友人が開いている個展を見てきた。友人と言っても、私が高校に勤めていた時、わずか1年だけ一緒に勤めた3歳年上の先輩である。住まいが同じ団地だったこともあり、スバル360にカミさんと3人乗って出勤した。1年後、普通高校の美術科の教員として転校されてしまったので、一体何があったのか私には不可解だった。

 とても強烈な存在感のある人で、1年であったにもかかわらず多くの生徒から慕われ、しかもなお続いている。私もいろんな面で影響を受けた。美術教師は画家のウエートの人と教師のウエートの人がいるが、先生は画家として名声を得ていた。イタリアのフィレンツェに留学されていたこともあって描かれる絵は私好みで、テーマも技法も私を震撼させた。

 展覧会の作品は「年代を追って展示している」と言われて眺め返してみると、やっぱり最近のものは素晴らしく極致の作と思われる。私がどんなに努力しても、もう追い付けそうにない。それでも先生はこれから画業に専念すると言われる。果てしない情熱はいったいどこから生まれてくるのかと、50年ほど前に感じた刺激を思い出した。

 神様は人それぞれに人生を与えられた。それが何であるのか、人は求め続けて生きていく。神様は公平な方なので、それぞれの人生に差などはない。私には私なりの人生の意味が存在するだろう。不満に思ったことも恨んだこともない。終わってみなければ分かるはずもない。今年も残り5日になった。早すぎると感じるのは歳のせいのようだ。

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クリスマス・イヴの出来事

2016年12月24日 17時42分54秒 | Weblog

 年賀状を書き終えた。ブログに移る前に住所録をチエックして、修正する箇所を今のうちに直しておこうとパソコンに向かった。どこでどう間違えたのか、またしてもフリーズになってしまった。しばらく放っておく以外の方法を私は知らない。パソコンは操作ミスをするとご機嫌が悪くなるが、人間は気持ちが行き違うと機嫌が斜めになる。昨日のキャンセルの原因が、伝えてきた理由とは違ったりするので信用できない。

 そんな私の気持ちとは別に、街はクリスマスの祝いに満ちている。クリスマス・イヴが土曜日になるのはどのくらいの確率なのだろう。それにしてもクリスマス・イヴはなぜかウキウキする。仙台に住む次女の2歳半の娘はサンタさんを怖がると言う。デパートだったかで、サンタさんが子どもたちにプレゼントを渡してくれるのに、孫娘は怖くて近づけない。その話を聞いて、じゃー私がサンタに変身するところを映して、その動画を送ったらよいのではと思いつく。

 早速、百円ショップでサンタの帽子と白い髭を買って来てもらい、変身する様子をカミさんに撮影してもらった。動画を見て、孫娘がどんな反応をするか楽しみだ。長女は何にでも積極的にチャレンジするタイプだったが、次女は全く反対で新しいことが苦手だった。子どもは誰でも食べたことのないものが出てくると手を出さないが、母親が食べて見せれば食べようとするから、サンタも身内の者なら慣れるのではないかと思う。

 我が家も今夜は次女が送ってくれたワインでクリスマス・イヴを楽しむつもりだ。明日のクリスマスは、展覧会を3会場回る予定でいる。夜になればどこかで食事にするつもりだが、財政の厳しさを強調する大蔵省がそれを許すかである。「クリスマス サンタに抱かれ 幼子は 大きな大きな 夢を見るらん」。

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次女からのクリスマス・プレゼント

2016年12月23日 18時27分41秒 | Weblog

 「空けておいてください」と言われていたのに、キャンセルになってしまい、それなら年賀状を書くことに専念しようと朝から頑張った。1枚1枚、相手の顔を思い出しながら書くが、どうしてもいくつかのパターンになっていく。最近、書く時はメガネを外す。ところが書いてみると、どうも焦点が合わない。しばらく続けていると思考力も下がってきて、目も疲れてくるので、「ヨシ、休憩」ということになる。

 ドンドン書けるはずだったのに、なかなか進まない。昨年受け取った年賀状などを見直して、また、書き始めるが文字が歪んでいたり、列が斜めになってきたりする。どうも目が悪くなってきた。目が悪いと、不美人が美人に見えるのかといえば、そうではなくて区別がつかないのだ。食べず嫌いにならなくてよいのかも知れないなどと思っていたら、仙台に住む次女から小包が届いた。着られなくなった娘の洋服と共に、私たちへのクリスマスのプレゼントが入っていた。

 「二人で素敵な時間を過ごしてください」とカード付きのワインである。これで明日はローストビーフとワインのクリスマスだ。いやもう一つ、何かが入っている。「久しぶりに編んだら左右大きさが違ってしまったけど、使ってください」と手編みの靴下が2足きれいな包装紙に包んである。履いてみたら、私にはかなり大きい。ダンナの靴下を参考にしたのだろう。大は小を兼ねるという。『かあさんの歌』ではないが、次女の温かさが伝わってくる。

 NHKテレビの朝ドラ『べっぴん』に、お母さんが古いセーターをほどき、ヤカンの蒸気で毛糸を伸ばし、新しくセーターを編む場面があった。私の母もよくそんなことをしていた。明日は遠足とかいう日の夜は、徹夜して編んだのだろう、翌朝には新しいセーターが枕元に置いてあった。母は裁縫の先生だったが編み物も教えていたし、和服も仕立てていた。正月の晴れ着を作るため、年末は徹夜することが多かった。

 次女が編み物をするのは私の母の血なのか。「私の母もセーターをよく編んでくれました」とカミさんが言う。そうか、昔のお母さんはみんなそうして子どものために徹夜していたのか。

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大恋愛の結婚だったのに

2016年12月22日 18時00分46秒 | Weblog

 韓国テレビドラマ『冬のソナタ』がテレビで取り上げられていた。チラッと見たけど、やっぱり美しいドラマだ。情景の撮影もきれいだけど、主演のヨンさんとペジュウさんも美男美女だけど、やっぱり日本人の心を打ったのは「純愛」だと思う。72歳の私たちが高校生の頃、まだこの映画ほど進んではいなかった。しかし、中には手を取り合って下校していく男女もいたから、私は憧れていたのに実行できなかったのかも知れない。

 『冬のソナタ』が韓国で放映されたのは2002年で、日本のテレビ局が取り上げたのは2年後である。このドラマが先陣となり、一気に韓流ドラマがアジアに広がった。「愛する人が傍にいてくれればそれでいい」。恋した時の純粋な気持ちだ。そして人々は「愛する」気持ちを確固たるものにするために、結婚して「家」をつくる。ところが生活を始めると次第に「愛する」ことの難しさを感じるようになる。

 私が愛している量と相手が愛してくれている量を比較しようとする。比較できないものを比較しようとするのだから、心は既に不満になっている。私がこれだけ努力しているのに、どうして気付いてくれないのか、なぜもっと優しくしてくれないのか、相手に対して不満が膨らんでいく。自分のことは自分では分析できないが、相手のことは目に見える。なぜ、私より仕事を優先するのか、なぜ、私に関心を示さないのか、雪崩のように不満が爆発する。

 結婚して半年の若い男女がいる。結婚式は上げたけれど、籍は入れてないという。今の若い人はそんなものかと思うけれど、やがて二人の気持ちにすれ違いが生まれきた。共同生活は妥協が無ければうまくいかない。自分の方から「非を認める」ようにしなければ収まりがつかない。歳を重ねれば次第に分かることだが、若い人たちには「妥協は不純」と見えるのかも知れない。「どうなることやら」とそのお母さんは心配していた。本人たちのことは本人たちに任せるしかない。

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数字に縛られたくない

2016年12月21日 18時21分48秒 | Weblog

 私は写真や絵の額がちょっと斜めになっていても気になる方なのに、数字になると関心がない。血圧が150を超えたとか、室の湿度が25%を切ったとか、数字にとても敏感な人がいるが、学校の成績とか順位なども余り気にしたことがない。地域新聞を作っていた時も、広告集めに必死だったが、具合よく割り付けが出来ればそれ以上数字を上げようと思わなかった。

 多分、数字に縛られてしまうことが怖かったのだろう。自ら進んで自分の健康状態を数字で把握しようとするより、どこかが悪ければ必ず何か信号が出ると思っている。何も進んで病気を探すことはない。そうした点で私はすこぶる感覚的な人間のようだ。それにこの歳だから、いつか必ずこの世を去ることになる。それまで、精いっぱい生きられればいい。

 先日、エレバーターで小学校の懇談会から帰って来た若いお母さんと一緒だった。懇談会で担任から「もうすぐ中学校だから、もう少し勉強させなさいと言われてしまった」とお母さんは恐縮していた。小学校の懇談会は学校や家庭での生活や悩みなどが中心なのかと思っていたからビックリした。勉強させるって、「学習塾に行きなさい」ということなのだろうか。

 以前は学校の空き教室を学童保育に充てていたけれど、今、それでは追い付かなくて校庭の一角に学童保育の建物を造っている。それだけ多くの母親が働いているということだ。正に安倍首相の言う「一億総活躍社会」に向かっている。加えて、閉じられた世界だった学校も、地域の人たちが花壇の整理や学習の補習を担うようになってきた。学校にいろんな人が入ることを私はよいことだと思う。

 ただ、数字ばかりにとらわれずに、子どもたちがのんびりと生きていられる社会にしてあげたい。中学でのことよりも、「勉強するってこんなに楽しいのか」と子どもたちが思えるような指導をして欲しい。子どもだけでなく、人はいつも、知らないことを知る喜びを持っているのに、数字が重圧になっている。この苦しみから逃れることは出来ないだろうか。

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パソコンのご機嫌が悪かった

2016年12月20日 18時04分11秒 | Weblog

 プリンターの調子が悪くなり、昨日エディオンで買ってきた。店に行って驚いた。私がパソコンを始めた時に買ったプリンターは10万円以上したし、先回買い換えたプリンターも4・5万円はしたはずなのに、3千円台からある。係りの人に「ハガキを印刷しようとしたら送らなくなってしまったので、買い換えようと思っている」と話し、「写真の印刷はしないのでモノクロ印刷が出来ればいい」と言うが、「モノクロだけのものはないので、性能よりも値段のお値打ちな物でしたら、こちらはいかがですか」と勧めてくれた物を買ってきた。

 プリンターが変わればインクも変わる。「大容量の方がお得です」と言われて、インクも買い足した。2万円しか用意していなかったので、超えたらカード払いにするかと思っていたら、「11,768円です」と言う。思わず、そんなに安いの!と言いそうになった。それで意気揚々と家に帰り、早速プリンターを設置する。セットアップ・プログラムをインストールして、プリンターを動かす。よしとばかりに年賀状の宛名を印刷する。慌てていたのか喪中の人をチエックしないで印刷してしまった。

 ダメだ、落ち着きが足りないと自分に言い聞かせながら、ブログの原稿を書き始める。すると、何かがヘンだ。文字変換でミスが続いたと思ったら、今度は全く動かなくなった。フリーズである。どうやってもダメだ。電源を切ろうとしてもそれも出来ない。パソコンが自分の中で何かを調整しているようだ。ブログのアップを諦め、今日の朝まで放っておいた。しかし、今日は先生の代役で大学まで行かなければならなかったので触らずに出かけた。急いで戻り、パソコンに向かい、指示に従っていくとようやく動いた。パソコンのことはよく分からないが、どこかで手順を間違えたのだろう。

 そんなことで、今日はブログを2本アップすることになってしまった。余分なことは考えず、これから年賀状の本文に取り掛かろう。1枚1枚、それぞれの顔を思い出しながら文章を書くのは時間がかかるが、それが私の誠意の証だから。

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盛況だったクリスマス会

2016年12月20日 14時35分26秒 | Weblog

 長女のところのクリスマス会が終わったのは午後10時を過ぎていた。さすがにイベント大好き家族らしい企画がいっぱいだった。小1の孫娘の「メリー クリスマス」で始まり、最後にプレゼント交換が行われた。もちろん一番たくさんのプレゼントをもらったのは小1の孫娘で、大喜びだった。ダンナの家族の中でただ一人の子どもだから、誰もが可愛くて仕方ない、とっても幸せな「クリスマス会」になったと思う。

 小1の孫娘のプログラムに従って、私たちも真っ赤なサンタの洋服を記せられたり、白い鼻髭をつけさせられたり、それは大笑いの連続だった。ダンナのお父さんは芋煮会のためにサトイモを剥き、ゴボウをささがきして一番気合が入っていた。ダンナも西部劇で肉を焼くように、豚肉の塊を炭火で焼く装置まで作って、みんなをビックリさせた。焼肉はとても美味かった。それぞれが得意分野の料理を持ち寄り、話題も尽きなかった。

 お父さんの「凄い男の唄」は、以前ビールのコマーシャルで歌われたものだった。歌詞を変えて歌うのかと思ったが、この歌が好きだという下の姉のダンナがマイクを持ちみんなで合唱した。ちょっと間が開いてしまった時があったので、ここは何かやるしかないと思い、島崎藤村の『初恋』を歌い、「あれから、50年」とセリフを入れて、林部智史さん風に「あいたい あいたい あの頃のあなたに」と歌った。突然の私の余興に皆さんビックリしたようだった。

 「クリスマス会」で一番驚いたのは小1の孫娘の発想の豊かさだった。上の姉たちは養護学校の先生で、出し物も面白かった。その一つで「問題を出すから答えてください」と言う。その孫娘の答えがあまりに凄くてビックリで、驚いたことは覚えていたのに問題は忘れてしまったが、ひとつ覚えているのは、「初詣に行きました。そこでビックリしました。どうしてビックリしたのでしょう?」の答えだ。

 真っ先に手を挙げた小1の孫娘は「石でできたライオンだと思ったら、本物のライオンでした」と答える。ほかの問題についてもこんな具合で答えてしまうので、もう誰も後に続くことができなかった。やっぱりこの子は天才だ。何とかこの才能を無くさないで欲しいと願う孫娘のためのクリスマス会だった。

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プリンターの調子が悪い

2016年12月17日 17時10分59秒 | Weblog

 奮闘してみたものの、やっぱりダメだ。プリンターの調子が悪いと感じていたが、ここにきて印刷できなくなるとは思ってもみなかった。年賀状が刷り上げってきたので、名簿を点検し、いよいよ宛名を印刷という段階になって、プリンターが作動しない。何度やり直しても、「セットの位置を確認してください」となってしまう。

 前兆はあった。以前、A4判の時でもこうした信号が出たけれど、やり直したりしているうちに印刷が可能になったが、ハガキの印刷になると調子は悪くなる。おそらく紙送りのローラーを取り換えればいいのだろうが、ここにきてはそんな余裕はない。安値の物でもいいから新しいプリンターを買った方がいいだろう。ガックリ、また出費が重なった。

 明日は長女のところで「クリスマス会」がある。小1の孫娘が何か出し物を行うようで、ダンナのお父さんから「おひねりをやろうと思うので賛同していただきたい」と連絡が入った。そして、「みなさんで凄い男の唄を歌います。楽譜を書いたので、それを息子が演奏します。歌詞はコピーして持って行きます。ただキーが男性用ですから申し訳ない」とある。

 お父さんはずいぶん張り切っている。息子のところに姉たち夫婦も集まり、音楽一家の才能をフルに発揮しようというお父さんの夢の舞台だ。先回の新築祝いの席では、長女から思いもよらぬ言葉が飛び出し、私が強く反発したのでとんでもない祝いの席になってしまった。私には身に覚えのないことだけにショックが大きかった。明日は悪酔いしないようにと思うけれど、楽しみにしているお父さんに合わせなければ失礼になるし、気が重い。

 そんな訳で、明日のブログは休みます。今年もあと2週間。どんどん時間が流れていく。20日は頼まれて先生の代理を務めることになっているが、相手の学生たちがどんな人たちなのかも知らないし、何をどう教えていいのかさっぱり分からない。年賀状がいつ書けるのか、新年を迎える準備をいつから始めるか、年の瀬はやはり落ち着かない。

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出会った人が人生の宝もの

2016年12月16日 17時33分46秒 | Weblog

 今朝、神奈川県に引っ越した井戸掘り仲間の先輩から電話があった。先輩のところへ井戸を掘って欲しいという相談があったので、私の電話番号を教えておいたから頼むということであった。「前よりも若々しい声ですね」と言うと、「こちらでも詩吟を続けているよ。82歳になった」と答える。「見ているよ。なかなか面白いね」と言われ、話の流れからブログのことだと分かり、恐縮した。

 先輩は技術者で道具をいろいろ考えてくれた。気が短いところもあったが、正直で、教えられることが多かった。先輩たちの昔話は、私に人生を考えさせてくれ、手本でもあった。思いやりとか、優しさはこういう風に示すものなのかと思うこともいろいろあった。人との出会いで人生は決まるというけれど、それは真実だと思う。出会った人が自分の人生の宝になるか否かは、本人次第というのも真実のようだ。

 小学校に上がる前、多分兄貴のものだったと思う絵本があった。那須与一が船上の扇を射落とす物語だった。絵がとてもきれい、真似をして描いた。小学校の時、兄貴の部屋でアメリカの雑誌に特集されたダリの絵を見て驚いた。絵本とは全く違った構図で、写真のように描かれていた。子どもの頃の私に強い印象を与えてくれた絵だったが、「絵描きでは食っていけない」と両親が言っていたこともあって画家になりたいとは思わなかった。

 私がキリスト教に関心を持ったのは、小学校の頃に聞いていたラジオ番組『ルーテル・アワー』だった。だからだったのか、図書室で『アンクル・トムの小屋』を見つけて読み、読書感想文を書いた。それがきっかけで中学校への通学路にあった教会に行き、「聖書を知りたい」と話して通うようになった。中学3年の時は、教会の聖書研究会にクラスの男子の多くを教会に引っ張り込んだ。

 キリスト教の考えと父母の仏教への慣習が私の中で溶け合っていった。生涯の友が形成されていったのはこの頃からなのだろうか。小学校の高学年から中学校にかけて出会った先生の影響も大きいし、初恋もそんな時の出会いだった。

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