友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

桜宮高校の体罰問題

2013年01月31日 18時15分47秒 | Weblog

 大阪市立桜宮高校のバスケット部の顧問から度々体罰を受けていたキャプテンが自殺した問題は、同校体育科の入試停止へと発展した。橋下徹市長が、入試をやめなければ予算を付けないと恫喝し、これを受けて大阪市教育委員会は体育科の入試をなくし、普通科の募集定員を増やすと決めた。橋下市長の強引な手法に世論は賛否両論盛り上がっている。

 桜宮高校の在校生の幾つかのクラブのキャプテンが記者会見し、「私たちの意見も聞いて欲しい」と話していた。真面目にクラブ活動に取り組んできたのに屈辱されたこと、スポーツを通して人生の大切さである礼儀や思いやりを学んでいることなどを協調していた。父兄も集会を開いて、子どもたちの未来をいとも簡単に踏みにじっていると橋下市長の横暴を批判していた。

 私は橋下市長のワンマン市政を評価しないけれど、桜宮高校の体育科入試は停止されて当然だと思っている。橋下市長が言うように、教育の中で自殺者を出していながら、これまでどおりに入試を行い、これまでと変わらないカリキュラムで教育が行なわれる、それでは全くどこに「反省」があるのか、そこが一番の問題だと思う。

 在校生やその父兄からは、「早くクラブ活動を再開したい」「早く試合をしたい」「勝つために戦うことが何が悪い」「勝つためには厳しい鍛錬が必要なのに分かっていない」「伝統を壊された」と様々な発言が飛び交っていた。中には「自分たちは無関係なのに」と言う人までいた。記者会見した生徒たちは自殺したキャプテンのことをどう受け止めていたのかと疑問に思う。

 桜宮高校の先生も生徒もそして父兄も、自殺を止められなかった罪を受け止めて欲しい。止められなかった点で同罪だ。自殺した家を訪ねた校長や教頭に、記者が「謝罪の言葉を述べられたのですか」と聞いた時、「謝罪?」と言い、「線香を上げに来ただけです」と強い口調で答えていたが、こんな校長や教頭の下でいい先生や生徒が育つわけがない。生徒も父兄も、死を持って抗議したキャプテンの抱えていた問題を学校の問題として捉えていない。

 大日本帝国が敗戦という大きな代償を払わなければ日本国にならなかったように、桜宮高校も外部からの圧力を受けなければ新しい桜宮高校にはなれないのかも知れない。しかし、いずれにしても、新しい桜宮高校を作り出すのは桜宮高校の先生と生徒であり、支えるのはその父兄や市教育委員会であることに変わりはない。その名誉と自負を背負って欲しいと思う。

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メンドクサイ男

2013年01月29日 18時02分00秒 | Weblog

 今日、友だちに誘われて日展を観に行った。「早く行かないと混むから」と言うので9時10分には家を出た。県美術館に到着したのは40分ちょっと過ぎだった。周りに人がいない。会場に着くと入り口のシャッターは閉まっていて、12・3人の人が並んで開くのを待っている。私たちもその列に並び待つことにした。開門までまだ15分近くある。ところがあっという間に列は伸び、最後尾が分からないほどになった。

 「やっぱり早く来て良かったね」と話していると、私たちの前に並んでいた女性集団の最前列の人が振り向いた。「あれっ」「やあ」と声を交わす。小学校の同級生である。高校も同じだった。偶然とは面白い。彼女が振り返らなければ知らずにいたかも知れない。会場のどこかでまた出会うかなと思ったけれど、一度も会わないままだった。「これだけの人がいるのだから無理だろう」と友だちと言葉を交わした「書の間」で、再び出会った。

 彼女の友だちが落款印を学んでいるとか、その女性が「皆さんも何かなさるのですか」と聞く。なるほど油絵を学び始めたと思われる男性が構図や手法のことを連れと盛んに話していたし、日本画のところでも指導者の作品を探す人がいた。友だちは「僕らは口ばっかりで」と言い、「中学も高校もブラスバンドにいたけれど、今はホラばかり吹いています」とダジャレを言うので、その女性はキョトンとしていた。

 先日、クリムト展を観た時、小学生が見学に来ていた。一生懸命に観ては座り込んで、プリントに書き込んでいた。その度に、係りの女性から「迷惑になるから止めて」と注意されていた。私が子どもに聞くと、「先生が気が付いたことをメモするように」と言ったそうだ。しかし下敷きもないので、這い蹲って書くより他ない。それは確かに観にきている他の人に迷惑になる。そう思っていると、若い男性の先生が見回りに来た。私は思わず、「先生ですか。これでは子どもたちが気の毒ですよ」と言ってしまった。

 先生は「すみません、すみません」と言い、子どもたちに前へ進むようにと手で合図して行ってしまった。展覧会で作品をじっくり観させるために、メモを取りなさいと指示したのだろうが、子どもたちに嫌な思いをさせない気配りが欲しかった。先生はなぜ、クリムト展を見せたかったのだろう、クリムト展で何を学ばせたかったのだろう、と余計なことを思った。

 クリムト展は副題が「黄金の騎士をめぐる物語」とあり、「KLIMT‘S GOLDEN RIDER AND VIENNA」とあった。VIENNAって何?入り口の女子大生らしき案内嬢に聞くと、「物語という意味だと思います」と言う。納得できなくて家で調べてみると、ウィーンのことだと知った。それで、クリムトの作品だけでなくその当時の人々の作品があったのかと納得した。私はどうもメンドクサイ男のようだ。

 明日は新年会のため休みます。

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映画も芝居も泣ける方がいい

2013年01月28日 19時10分56秒 | Weblog

 映画『さよならドビュッシー』の広告がよく新聞に出ているなと思ったら、この映画は名古屋市内で撮影されたものだという。名古屋市役所やオアシス21、名古屋芸大などが撮影に使われた。私は出演した俳優も監督も知らない。原作者は岐阜県の人という。本を読んだ友だちはブログで、どんでん返しが凄いと書いていたからミステリーのようだ。映画ではドビュッシーのピアノ曲がとても効果的に使われているとも聞いた。

 最近、観たい映画やドラマが増えた。毎朝見ているNHKのテレビ小説『純と愛』は、余りにも主人公のおせっかいが度を越していて、評価は大きく二分されている。家族・家庭をテーマにしているが、どういう結論に持っていくのかと気になる。結論が気になると言えば、フジテレビ系列で放映されている『最高の離婚』も、俳優陣がとても芸達者で面白い。放映時間が遅いので録画してあるだけでまだ観ていない『カラマーゾフの兄弟』も、日本の現在に作り直しているというが、どんな風に描いているのかと気になる。

 常盤貴子さんが好演したドラマ『ゆりちか』は泣けた。映画とか芝居は泣けることが大事だと私は思っている。ガンで亡くなる運命にある女性が我が子のために、ママはこう思うのよと書き残していく。本を書くために、ガンの痛みに耐え続ける壮絶な戦いは余りにも悲しい。こんなにも強く生きていけるものなのかと頭が下がる。女性の母親役の十朱幸代さんを久し振りに見たけれど、相変わらずグラマーだった。

 残された娘は、本が読めるようになったなら、母親のことを誇りに思うだろう。子どもを思う母は偉大だ。けれども父親はどうなのだろう。少なくとも、息子たちには母親ほど大きな存在ではないようだ。『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの小説ではたった1日の出来事だったように思う。犯人探しのミステリーを装った哲学劇と分かったのは、30歳過ぎてもう一度読み返した時だった。

 本も映画も、長い年月を経てからもう一度接すると、また違った印象を受ける。以前では見えていなかったものが見えることがよくある。だから人生の経験はそんなにバカにしたものではないようだ。いつも感激できる感情を持っていたい。子どもと変わらないのだからとからかわれてもいい。そんな感性だけは失いたくないと思う。

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大海の 磯もとどろに 寄せる波

2013年01月27日 19時35分21秒 | Weblog

 『今日は何の日』を見ていたら、1219年1月27日は鶴岡八幡宮で、拝賀の式を済ませた源実朝が暗殺された日とあった。平家を滅ぼして、「武士の世」を始めた源頼朝は、天皇を中心とする朝廷の力を削ぐために、京都から遠い鎌倉に幕府を開いた。そして朝廷の権威をなくしたい頼朝の意向を理解できない腹違いの弟、義経を抹殺した。ところが頼朝は、不運というか謀略なのか、落馬がもとで死んでしまう。

 後を継いで将軍となった長男の頼家は、伊豆の修善寺で殺される。そのため次男の実朝が13歳で第3代目の将軍となった。しかし、兄の頼家同様に実権は執権である北条氏に握られていた。北条氏がなぜ頼朝の子を相次いで殺したのか、私には分からない。頼朝は31歳で政子と結婚したけれど、その前にも後にも他の女性と心を通わせているが、頼家も実朝も政子が生んだ頼朝の子である。いくら嫉妬深い政子であったとしても、我が子は可愛いかったはずだ。

 13歳と言えばまだ子どもだ。思春期の思い悩む年頃である。政治から遠ざけられた実朝は、仏教や和歌に関心を向けて行った。にもかかわらず、兄の頼家の遺児に襲われ非業の死を遂げた。乳母の夫である三浦義村に「親の敵」とそそのかされてのことだったけれど、ここにも北条氏の策略が働いていたのではないだろうか。源氏の棟梁と、いかにも血筋を大切にするようだけれど、実際はどのようにして権力を握るかにあったのだろう。

 正岡子規が柿本人麻呂を継ぐ歌人だと実朝を評価しているそうだ。「大海の 磯もとどろに 寄せる波 割れて砕けて 割けて散るかも」 - なるほど雄大な歌だ。それに昔の歌と思えないほど分かりやすい。打ち寄せる波は大きく響き渡り、「割れて」「砕けて」「割(さ)けて」「散る」という語感も鋭い。「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」で始まる『方丈記』につながるようにも思う。

 実朝が時代の思潮をどれほど受け止めていたのか分からないけれど、平安時代の末期から仏教では末法思想が蔓延し、諸行無常の考え方が流行していた。我が身のことにも重なり、無常観漂う歌になったのかも知れない。頼朝は我が子の行く末を知ったなら、どのように受け止めたであろう。

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強風で土が抉り取られていく

2013年01月26日 17時56分27秒 | Weblog

 風が強く吹いている。生半可な風ではない。ルーフバルコニーに置いたチューリップの植木鉢を見ていた。風が吹き付ける度に、表面の土がアリの群れが動くように、ズーズーと動く。そして一段と強い風がくると、土は見る間に抉り取られていく。風は容赦しない。さらに勢いを増して襲い掛かる。とうとうチューリップの球根が頭を出す。するとその周りはいっそう風を受け、土はさらに抉られ、球根は裸同然になっていった。

 午後2時過ぎには、西に見える関が原は雪雲に覆われ、次第にこちらに向かって張り出してきた。北西の風は止むことがなく吹き付ける。風に雪が混じってきた。午後4時、辺りはすっかり暗くなり、雪はますます量を増した。風が横から吹いている。そう思っていたら、今度は斜め上からたたきつけるように吹いてくる。風は渦巻いている。チューリップの鉢もバラの鉢も、見る見るうちに真っ白になった。裸の球根は大丈夫なのだろうか。

 50鉢以上の鉢があるのに、風道があるのか、その列の鉢ばかりが特に強く抉られている。鉢の置かれた場所で随分と違いがある。たまたま植えられた位置が悪かったのか、周りの土を抉り取られてしまったチューリップもあれば、同じ鉢の中でも位置が違えば被害に遭わないものもある。それでもさらに強い風が続けば、同じ目に遭うのかも知れない。風道から外れた場所に置かれた鉢は、強風の中にありながら被害は少ない。強風の中の鉢を眺めながら、なぜか、人生もこんなものかと思った。

 風が止んで、雪が深々と降り続いている。明日は国際交流の『アジアフェスティバル』。降り止んでくれるといいが、それでも人出は少ないだろう。辺り一面雪景色というのもきれいでいい。雪国の生まれでない私は純白の世界に憧れる。雪が溶けて、道路がグチャグチャになってしまうことよりも、雪に覆い尽くされた景色の方が印象が強いのだろう。1月生まれの女性は色白の人が多いような気がする。「色の白きは七難隠す」というくらいだから、色白な女性は生まれながらに「トク」をしている。

 今日が誕生日の女性を占いでみると、「聡明で温厚なタイプだが、何でもひとりで苦労を抱え込んでしまうところがある頑張り屋さん。無意識のうちに人に癒しを与えるような存在で、社交的な性格はいつの間にか周囲の人を自分の味方にできるでしょう。ややおっちょこちょいなところもあるが、愛すべき欠点で大きな問題にはなりません」とある。

 長女は1月生まれだけれど、どんな運勢にあるのだろう。置かれた場所は仕方がない。人は誰も運命を自ら切り開いて生きていくしかない。

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アメリカの存在価値

2013年01月25日 18時24分24秒 | Weblog

 オバマ大統領の就任演説の趣旨が新聞に載っていた。1期目の時は、かなりの紙面を割いて演説文が掲載されていたし、英文のものも印刷されていたように思う。それだけ関心があったということなのだろう。就任式が行なわれたワシントン議事堂前には、4年前は180万人に及ばないが100万人が詰め掛けたという。随分少なくなったと思うけれど、2期目の就任式では過去最高という。アメリカ人は凄いなと思った。

 演説は、私たちが高校で学習したアメリカ独立宣言の引用で始まっている。フランスの人権宣言に大きな影響を与えたもので、私はこの二つを人類が到達した理想社会の宣言と感銘した。オバマ大統領は「我々を比類なきもの、アメリカ人たらしめているのは、2世紀以上前に独立宣言に明記された理念への忠誠である」と言い、独立宣言を引用する。「我々は以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、生命、自由、および幸福の追及を含む不可侵の権利を与えられている」。

 さらに演説は「偉大な国家は弱き者を世話し、人命を脅かす最悪の障害や不幸から人々を守らなければならないと決意した」と述べ、「我々は中央権力への懐疑を決して失ってはいないし、あらゆる社会の病弊は政府のみによって治癒できるという絵空事に屈してはいない。だが我々は、時代が変わる時には我々も変わらねばならないこと、建国の理念に忠実であれば、新たな挑戦には新たな対応が必要だということ、そして個人の自由を守るには一体となった行動が求められていることを理解していた」と、共和党へ協力を呼びかけている。

 そして、「我々はアメリカの成功が、復興しつつある中産階級の双肩で支えられるべきだと信じている」と、政治の建て直し軸を中産階級の広がりに置くと明言している。「古びた計画は我々の時代の求めにはかなっていない。だから政府を作り替え、税法を改良し、学校を改革しなければならない」と言い、医療や福祉、社会保障、気候変動対策や持続可能なエネルギー、新しい雇用や新しい産業の改革・促進を誓う。そして、「我々は軍事力と法の支配を通して国民を守り、我々の価値観を守り抜く」というアメリカの理念を強調している。

 私は「人は生まれながらにして平等であり、生命、自由、幸福を求める権利を有する」というならば、なぜそれをアメリカ人に限るのか、理解に苦しむ。どこの国の誰でも同じとなぜ考えられないのだろう。アルジェリアにおけるテロは絶対に許されることではないけれど、どうしてテロが起きるのか、利益の分配が充分になされていないからではないのか。世界各地で起きる紛争や暴動、その原因となるものを根絶するリーダーになってこそアメリカは存在価値があると思う。

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名演1月例会『真砂女』

2013年01月24日 19時24分24秒 | Weblog

 「今度、名演で『真砂女』をやるよ」と友だちに話した時、真砂女さんが雑誌「俳句」に書き綴ったものをまとめた『銀座に生きる』(角川文庫)を渡され、「凄く読みやすいし、何よりも真砂女さんのことがよく分かるわよ」と教えられた。なるほど分かりやすい随筆で、一気に読めた。ただ、時間の経過に沿って書いたものではないので、あちらこちらと話が飛んでいる。読んでいて気になったのは、彼女が家出をして九州の長崎まで追いかけて行った男が誰か分からないことだった。

 今日は名演の1月例会。劇団朋友による『真砂女』で、真砂女さんの実の娘で文学座に属する本山可久子さんが語りを、真砂女役を藤真利子さんが演じるというものだった。芝居は面白かったし、藤真利子さんは20代から亡くなる96歳までをよく演じたと感心した。実際の真砂女さんがどのような人柄だったか知らないけれど、おそらく本人以上に本人だっただろう。私は「俳人・真砂女」をテレビで観たことがある程度で、作品もその生涯も知らなかった。元気なおばあちゃんというくらいの印象でしかなかった。

 真砂女さんは明治39年生まれというから、私の母とほぼ同じだ。母も海の近くで生まれ、真砂女さんと同じように女学校を出ている。大正期の自由な空気を吸い、恋愛に憧れ、実際に好きな男と結婚してしまうところも同じだ。真砂女さんは自分が数奇な運命を歩むことになるとは思ってもみなかっただろう。夫が博打で負けて借金をつくり、家を出て行方不明になってしまう。彼女は娘を残して実家である千葉県鴨川の旅館に戻る。父親の命令で姉のダンナと結婚し、何百年と続いてきた旅館の女将を継ぐことになる。

 無理やりの結婚だったし、姉のダンナは養子婿で歳の差も大きかったから、ふたりの間に愛情の交歓はなかったのかも知れない。このダンナが亡くなった時、彼女は申し訳ない気持ちで涙を流したと書いている。ダンナの方は病気で半身不随になっていたが、旅館が火事になった時、不自由な身体で真砂女さんの着物を必死になって蔵から出したというから、ダンナの方も愛してやれなかったことを悔やんでいたのかも知れない。夫婦でいながら気持ちを通い合わすことなくもないままだ。その裏返しが、真砂女さんが九州まで追いかけて行った男との情愛だった。

 『銀座に生きる』を読んでいて、店の奥の指定席の男、通夜に出かけたけれどそっと遠くから見送ったその男、九州の男、いろんな男が錯綜しているように思っていたけれど、今日の芝居を観て、ひとりの男だったことが分かった。「結婚していても好きになったものはしょうがないじゃーないの」と真砂女さんは娘に言うけれど、愛し方もその生き方もいろいろあっていいと私も思う。友だちは「今生の いまが幸せ 衣被(きぬかつぎ)」が好きだと言う。私はまだ見たことのない鴨川の海を想像し、「初日の出 待つときめきは 恋に似て」もいいなと思う。

 「日本海に降る雪も素晴しい」とある雪国の旅の綴りを受けて、「昏れてなお 吠え続けるや 日本海」という句を作ってみたがどうだろうか。

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賃上げの方が消費は拡大するよ

2013年01月23日 18時12分02秒 | Weblog

 私のような年金生活者はデフレの方がありがたい。家のローンは終わり、子どもたちは独立し、今特に欲しい物はない。子どもや孫と食事が出来ればそれで充分である。カミさんはまだ洋服が欲しいらしいが、私は日常的に着る物はあるから新しい物は要らない。部屋の模様替えはしたいけれど、それは宝くじが当たればでいい。年寄りはお金を持っているのに遣わない、だから景気は良くならないと言われて来た。けれども、年寄りは孫のためと旅行くらいしか、大きな出金はないのだ。

 安倍首相は日銀と連携し、インフレ社会を作り出すと言う。そう言っただけで、既に株価は17%上がり、円安は5%進んだとアベノミックス効果に自信を示している。でも、株を買うのはお金のある人だ。世界中でお金を持っている人は増えているそうだ。ところがそのお金を遣う場所がないらしい。それでお金はダブつき回らないから景気は良くならないようだ。安倍首相は物価上昇2%をなんとしてでも実現し、景気をよくすると言う。株価が上がれば景気がよくなり、物価が上がり賃金も上がって、さらに物価を押し上げると言うけれど、本当にそうなるのだろうか。

 お金持ちがお金を得ても消費は増えない。お金持ちはもう充分に足りているからだ。消費を増やすなら、全国の会社や商店つまり労働者を雇っている側に、賃上げを法律で義務付けた方が手っ取り早いと思う。労働者は欲しい物があっても、賃金が低いから買い物を控えている。全国の労働者が一律に賃上げされれば、消費は確実に上がるだろう。円安が進んでも、輸出に頼る企業は潤うかも知れないが、原油が上がるからその分が商品に添加されて利益は少なくなり、賃上げどころではないかも知れない。

 経済のことはよく分からないけれど、政府の政策で経済がコントロール出来たことはないのではないか。オバマ大統領ではないけれど、最下級の人々を救い、大金持ちの人々からお金を出させ、中産階級の人々を増やしていく、そういう税金の仕組みと社会福祉の制度をいっそう強力に行なうことが今の政治の課題ではないだろうか。働いている人はどんなに働いても一向に景気がよくならないとイライラしているが、こんなものだと覚悟をしてしまえば、生活の楽しみ方も変わってくるように思うけれど、どうだろう。

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グスタフ・クリムト

2013年01月22日 19時06分08秒 | Weblog

  愛知県美術館で2月11日まで、『クリムト 黄金の騎士をめぐる物語』展が開催されている。愛知県ではクリムトは人気者だ。県美術館が『人生は戦いなり』を、豊田市美術館が『オイゲニア・プリマフェージの肖像』を所蔵している。「高いお金で買ったのよ。愛知県民の税金で」と話していた人がいたけれど、確かに1点が18億円ほどの作品だから高い買い物であるが、払ったのはいずれもトヨタ自動車だったと思う。

 クリムトが生まれたのは1862年で、活躍したのは1890年くらいから1910年くらいまでの20年間だが、最も充実していたのは95年から05年の10年間だと思う。その頃のヨーロッパはどういう時代だったか。工業化が進み、科学が発達し、裕福な市民が資本家となり、各国は帝国主義国家へと突き進んでいく。クリムトの生まれたウィーンはロンドンやパリほどの先進地ではなく、工業化も遅れていた。フランスでは印象派の時代が終わっていた。

 クリムトが日本で人気なのは作品が装飾的だからだろう。日本の絵画は、襖や屏風を飾るものだったから極めて装飾的だ。平面的なデザインと言ってもよい。18世紀末、日本から持ち込まれた陶磁器や漆器、それを包んでいた紙であった浮世絵、着物や小物がヨーロッパで人気になっていた。印象派の画家たちは浮世絵の構図や配色に驚き、これを真似て作品を作った。ウィーンにどれほどの時間を経て入ったか分からないけれど、クリムトも日本のものをかなり集めている。

 この展覧会の最初の部屋にある『頭部習作』や『花の習作』など、チョークや鉛筆で描かれていることもあって写実的で上手い。16歳から20歳まで位の作品だが、彼が入学したウィーン工芸学校が徹底した石膏デッサンや古典作品の模写をさせていたことが窺える。それは画家を生むというよりも職人を育てるためであったはずだ。彼は3人で芸術家商会(会社)を設立し、ウィーンの劇場の装飾を引き受けるようになる。装飾家として名声を得ていたクリムトにウィーン大学の天井画の依頼が来る。その作品や結末は展覧会で観て欲しい。

 クリムトを題材にした映画を観たことがあるが、まるで奇人だった。彼の家には多いときには15人もの女性が寝泊りしていたという。彼が死んだ時、認知された子どもは3人(母親は2人)であったが、クリムトが父親だと申し出た母親が14人もあったという。爛熟と頽廃が充満していたヨーロッパで、既成の価値観を破壊し、性を絵画のテーマに祭り上げようとしたクリムトらしい生き方とも言える。

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子どもは誰もが天才だ

2013年01月21日 18時14分12秒 | Weblog

 昨日は夕方になって、長女一家が我が家に遊びに来ることになった。それなら、一緒に食事をしようと冷蔵庫を見るがそれらしいものがない。みんなで食事をして、一時を過ごせるならそれでいい。鶏肉と大根と人参があった。干しシイタケもあったので、これらを炒め、煮込む料理を作る。子どもたちが好きだった田舎料理だけれど、長女のダンナの口に合うかと心配だった。長女もダンナも少し残していたから、好物ではなかったかも知れない。

 3歳の孫娘はますます成長していて、ダンナのお母さんから買ってもらった「ごっこ」遊びで、「お母さん」になりきっていた。3歳にしてスマートフォンを自由自在に操っていたが、最近では「ごっこ」遊びや絵本に興味があるようだ。3歳になる前からスマートフォンを操ることが出来て、それが出来ない私やカミさんはその才能にビックリすると共に、こんな小さな時から液晶画面に釘付けになっていて大丈夫かと、心配でもあった。

 子育てにジジババが口を挟めば不和の元と言われてきたので、見守るしかなかったけれど、「ごっこ」遊びや絵本に興味を抱くようになって、内心はホッとしている。子どもは誰でも天才で、その発する言葉はまるで名言だ。絵を描かせても、歌を歌わせても、踊りを躍らせても、何をやらせても大人とは違う、驚くような表現者である。大人の真似をしているだけなのだが、大人のようには表現できない。それを大人は天才だと錯覚する。でもきっと本当は天才なのだが、大人が才能を伸ばせてやれないのかも知れない。

 天才的な科学者はどうなのか分からないけれど、天才的な芸術家となると、確かに他の人と違った感性とか感覚を持っている。そしてそれを、自分の芸術表現の源泉にしている。ジミー大西さんという元お笑いタレントが、絵描きになっていて、その作品展を観たけれど、これなら画家としてやっていけるだろうと思った。彼がどんなに才能があっても、彼を世に送り出すマネージャーやプロデューサーに巡り合うことがなければ、有名デパートで大掛かりな作品展も開催できないだろう。

 人は誰でも素晴しい才能を持って生まれてきた。しかし、亡くなった大鵬の言葉を借りれば、「努力しなければ天才にはなれない」のだ。天才は確かに他の人にない、だからそれは病的なのかも知れないが、才能を持っている。けれども持っているだけでは天才として開花しない。開花しなければ平凡で生きるしかない。非凡な人の才能を褒め称える側にいることが嫌であれば、ひたすら努力するしかない。でも、年を取ると平凡でよかったと思えるようになる。不思議だ。

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