大阪市立桜宮高校のバスケット部の顧問から度々体罰を受けていたキャプテンが自殺した問題は、同校体育科の入試停止へと発展した。橋下徹市長が、入試をやめなければ予算を付けないと恫喝し、これを受けて大阪市教育委員会は体育科の入試をなくし、普通科の募集定員を増やすと決めた。橋下市長の強引な手法に世論は賛否両論盛り上がっている。
桜宮高校の在校生の幾つかのクラブのキャプテンが記者会見し、「私たちの意見も聞いて欲しい」と話していた。真面目にクラブ活動に取り組んできたのに屈辱されたこと、スポーツを通して人生の大切さである礼儀や思いやりを学んでいることなどを協調していた。父兄も集会を開いて、子どもたちの未来をいとも簡単に踏みにじっていると橋下市長の横暴を批判していた。
私は橋下市長のワンマン市政を評価しないけれど、桜宮高校の体育科入試は停止されて当然だと思っている。橋下市長が言うように、教育の中で自殺者を出していながら、これまでどおりに入試を行い、これまでと変わらないカリキュラムで教育が行なわれる、それでは全くどこに「反省」があるのか、そこが一番の問題だと思う。
在校生やその父兄からは、「早くクラブ活動を再開したい」「早く試合をしたい」「勝つために戦うことが何が悪い」「勝つためには厳しい鍛錬が必要なのに分かっていない」「伝統を壊された」と様々な発言が飛び交っていた。中には「自分たちは無関係なのに」と言う人までいた。記者会見した生徒たちは自殺したキャプテンのことをどう受け止めていたのかと疑問に思う。
桜宮高校の先生も生徒もそして父兄も、自殺を止められなかった罪を受け止めて欲しい。止められなかった点で同罪だ。自殺した家を訪ねた校長や教頭に、記者が「謝罪の言葉を述べられたのですか」と聞いた時、「謝罪?」と言い、「線香を上げに来ただけです」と強い口調で答えていたが、こんな校長や教頭の下でいい先生や生徒が育つわけがない。生徒も父兄も、死を持って抗議したキャプテンの抱えていた問題を学校の問題として捉えていない。
大日本帝国が敗戦という大きな代償を払わなければ日本国にならなかったように、桜宮高校も外部からの圧力を受けなければ新しい桜宮高校にはなれないのかも知れない。しかし、いずれにしても、新しい桜宮高校を作り出すのは桜宮高校の先生と生徒であり、支えるのはその父兄や市教育委員会であることに変わりはない。その名誉と自負を背負って欲しいと思う。