友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

民主党の力量が問われている

2009年09月30日 22時33分11秒 | Weblog
 八ツ場ダムを巡って、住民の中止反対に合い前原国土交通大臣の真価が問われている。このところ、日本航空やJR西日本の脱線事故がらみで、前原大臣をテレビでよく見る。大変な時に国土交通大臣になったものだと思うけれど、ここで民主党が自民党とは違う誠意を見せることが大事だ。八ツ場ダムの地元住民にしてみれば、苦渋の選択をしたのにあれはいったい何だったのかという思いなのだろう。ダムを造ることが本当に災害を防ぐことになるのか、あるいはダムを造ってその水を利用する必要があるのか、考えてみようと民主党は主張してきたが、これからは国民に対してとことん説明しなければ信用されないだろう。

 国が50年も前に決めたことだけれど、その決め方そのものはみんなが納得するような決め方であったのか。国が発展していくためにインフラの整備を行なうが、その計画には限度が決められているのか。一度立てられた計画はたとえ50年の年月を経ても見直されないのはどうしてなのか。確かにいろいろと不具合や不安がある。公共工事に携わる会社はその特殊な工事というか特異な工事のために、会社自体は膨れ上がり、もし万が一にも工事の発注が途絶えれば会社は仕事を失うことになる。仕事が無くなれば収入がなくなるから、そこで働く人々は職を失う。公共事業に携わる会社は絶えず仕事を創り出すことが使命となり、公共事業は雪だるま式に膨れていった。民主党が公平な政策を立案・実行できるか、力量が問われている。

 ダムが必要といわれた地元の住民は寝耳に水のケースが多い。いちいち細かく説明していれば反対運動が持ち上がり事業が進まなくなるとして、極秘かあるいは上のレベルだけで決められてきた。地元のボス的存在から崩していって、賛成に取り込めば後は個別撃破で何とかなるとして公共事業は進められてきたのだ。前原大臣はまだ若いなと思ったのは、まず中止と宣言したが、そのことは民主党の政策だったのだから当たり前だとしても、「地元の皆さんのお気持ちを翻弄するようなことになり、誠に申し訳ない。これは自民党政権の無策の結果ですが、皆さんのお腹立ちはよくわかります。私たち民主党がダム建設の中止を訴える根拠は‥」と、まず頭を下げて欲しかった。

 こういうことは、その他の政策でも度々起きるだろう。子ども手当てを支給するけれども、家族の扶養限度は改定するとなれば、それを喜ぶ人もいるだろうが、腹を立てる人も出てくるはずだ。完全な公平などはあり得ないし、また何が公平かの判断はきわめて難しい。民主党は自らの政策の正当性・公平性の根拠をキチンと説明するべきだ。実はこの根拠こそが、それでみんなが納得するかにかかってくる。民主党に期待した人々は、自民党との違いをこの説明の誠実さだと感じていると私は思っている。仮に民主党がキチンと説明しないままに、国会で議員の数で押し切るようであれば、民主党への期待は吹っ飛んでしまうだろう。
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「今日は絶対いいことがある」

2009年09月29日 18時54分13秒 | Weblog
 運が悪い人はいるものだ。孫娘は800メートル走で校内記録を更新したいと夏休め前からトレーニングを始めていた。ところが800メートル走は倒れる者が出るからという理由で、今年から廃止となった。母親と一緒に自分も名前を残したいという彼女の思いは断ち切られた。そして、昨夜までの天気予報は、今日も明日も雨降りだった。延期がなければもう体育大会は無くなる。昨夜の彼女は「もうダメだわ」とふてくされていた。

 ところが今朝、雨が降っているはずだったのに曇っている。西の空は東よりも明るい。ケイタイで天気予報を調べていた孫娘は「出来そう!」と叫ぶ。テレビの天気予報も曇りのままだ。新聞のテレビ欄を見ていた孫娘は「キャー、ラッキー!」と奇声を上げる。彼女の大好きな井上真央さんが今朝のテレビに出るというのだ。「朝から真央ちゃんが見られて幸せ。今日は絶対いいことがある」と感激していた。

 結果はそのとおりだったようだ。私はNPO「おたすけ」の会議のために見られなかったけれど、孫娘は大活躍したと言う。私の娘2人も運動会や体育大会は晴れ舞台で、リレーの花だった。その母親と叔母を超えて、母親たちに比べて目立たない彼女の方が活躍だったというのも面白い。入場行進では級旗を持って先頭を務め、続いて彼女が憧れていた男女2人で行なう「選手宣誓」を務めた。緊張感はないと言っていたのに、本番では男女が一緒に発する「宣誓」を忘れてしまったそうで、校長が小さな声で「大丈夫」と励ましてくれたと言う。

 孫娘が出場した3学年の縦割りリレー、学級対抗リレーはいずれも優勝した。みんなで跳ぶ大縄跳びも練習の成果が出て優勝した。学年競技の玉入れだけは3つ足りなくて2位だったそうだが、「3年3組は総合優勝だった」と大喜びだ。「秋の合唱コンクールも頑張ろうって盛り上がった」と言う。いいクラスになってきてよかった。いくつもの思い出がこれからも生まれていくだろう。中学から高校へ、この時期は人生の基礎だ。嬉しいことや悲しいことや様々の事が全て人生の糧になっていく。

 長女である母親は娘の活躍を見たいと、松葉杖で出かけていった。ダンナの方もサポーターとして一緒に行くので、3ヶ月になる孫娘をカミさんに見ていて欲しいと言う。中学3年の孫娘は実父が見に来るかもしれないし、15歳も年下の妹が出来たことも恥ずかしいという思いもあったのだろう、「春駒の面倒はママちゃんにお願いして」と母親に言ったようだ。ようやく出番が来たとばかりにカミさんは顔がほころんでいた。出会った近所の人たちにまで、抱きかかえた孫娘を見せて回り、「可愛いわね!」と言ってくれるのを自分のことのように喜んでいた。

 さて、今晩は孫娘の活躍を祝って、長女一家を呼んで我が家で食事会をすると言う。撮ってきたビデオを見せてもらい、大いに笑って、お酒を一緒に飲む予定だ。3ヶ月の孫娘の方は随分表情が豊かになり、唇を噛んでパクパク音をさせるようになってきた。「ねえ、こっちを見て笑ったわよ」とカミさんは大ハシャギだ。
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器が人をつくる

2009年09月28日 21時28分33秒 | Weblog
 自民党総裁に谷垣禎一さんが当選した。当然の結果だろう。河野太郎さんが言うように「派閥のボスは引退すべきだ」と素直に聞き入れるようなら、今の自民党は無かった。谷垣さんと河野さんの対決になることを恐れた重鎮らが西村康稔さんを担ぎ上げ、若手・中堅の票を二分したとさえ言われているが、おそらくその通りだろう。仮に河野さんが総裁にでもなっていたら、自民党も民主党も区別が無くなるところだった。「みんなでやろうぜ」と、これまでの自民党路線を継承する谷垣さんの方が、鳩山さんとの対比では色合いがハッキリしていいと私は勝手に思っている。これも根拠の無い推測だが、自民党は少なくとも10年は野党暮らしが続くだろう。

 谷垣さんが言うように、自民党政治は国民の声を聞いてきた。どんな声か。ここには道路を造れ橋を造れ、空港を造れ港を整備せよ、新幹線を敷け鉄道を走らせろ、文化会館を造れ福祉会館を造れ、地域センターを造れ老人憩いの家を造れ、とにかく大きな声の人々の要求に応えてきた。そうすることで地域の活性化が生まれ、人々の自民党への期待が生まれ、与党でなければウマミはないとみんなが信じてきた。私に「もう一度選挙に出ないか」と声をかけてきた人も、「地域の要求に応えていけば必ず当選できる。当選してから好きにやればいい」と言う。

 みんながそれぞれに自分たちの利益だけを求めてきた。馬鹿馬鹿しいことだが、高度経済成長が続いていた時はこの馬鹿馬鹿しさが見えなかった。自分たちの利益を優先することが結果的に何を生むのか、誰も考えなかった。これまでの政治の仕組みを見直そうと民主党は言う。脱官僚政治と民主党は言う。公共事業のあり方を変えると民主党は言う。どのような方法で、どう変えるのか、それはまだ民主党自身が明らかにできていないけれど、できていないだけに国民もそれぞれ勝手に提案すればいい。良い機会だと思う。

 「経験も無い者に何ができる」と、知ったかぶりのことを言う人がいる。自分がその(経験の無いことに挑戦する)立場の時は、実際に緊張した。けれども落ち着いて考えてみれば人間は誰もみな、常に経験の無いことに挑戦している。今日することは昨日とは違う。有能な人間は経験の無いことから新しいことを作り出す。また、こういう言葉もある。「器が人を造る」。あんな奴に仕事を任せていいのかと聞く時がある。人間はその立場に着くと意外に力を発揮するものだ。前任者よりも功績を上げってしまう人だっている。心配する前に信じてやらせればいい。

 私は新聞作りを始めた時、記事を書くことは何も不安はなかったが、教員しか経験が無かったから広告集めは気後れした。しかし、広告を集めなければ新聞は発行できないから必死だった。やっているうちに、自分は営業のセンスがあると思えるようになった。私はウソがつけなかったから、誰もが「真面目」「誠実」と受け止めてくれた。見栄や張ったりは言わないけれど、こいつは信用できると思ってもらえるように頑張った。これは営業の基本だった。人間は人を変えることは難しいけれど、自分を変えることは努力すれば出来る。

 新しい時代がやってきた。それぞれが頑張れる時代だ。
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やっと安心できた

2009年09月27日 22時14分07秒 | Weblog
 やっと安心できた。今日は稲沢の、先回水が出なかった家で2度目の挑戦だった。岩倉の家で2箇所掘って、2箇所とも同じ結果だったから何となく嫌な気持ちが先にあった。地表から3メートルくらいのところから灰色の砂がどこまでも続いている土壌の状態が余りにもよく似ていたからだ。依頼主が今朝、指定した場所は先回の場所から10メートルくらい離れている。「縁起を担いで塩を撒いてください」と代表が願ったようで、私たちが到着した時にはすでに塩が撒かれていた。

 いつもどおり、まずスコップで掘ってみる。昔は田んぼだったところを宅地開発したというので、山の土で埋め立てられている。土だけならいいが、かなり大きな石も含まれていて、スコップが跳ね返される。50センチがなかなか掘れない。仲間からは「1メートルは掘って」と声がかかるが、堀り手はもうヘトヘトだ。時間はあるのだからゆっくり焦らずに少しずつ掘ろうと言い聞かせる。大きな石は重い鉄パイプで砕いて掘り進めた。

 どれくらいの時間がかかったのだろう、作業に熱中していると時間が分らない。やっとのことで80センチくらい掘り下げた辺りから土が水分を含んできた。もうすぐだ。私は穴の周りをもう少しスコップでキレイにして、出来るだけ石を掻き出しておきたいと思ったが、ここまでくればもう塩ビ管を打ち込もうと気が逸るのか、「よしよし、さあ、やるぞ!」と血気盛んだ。すぐに塩ビ管で掘り下げていく。そしてその外側にもう一回り大きな塩ビ管を打ち込む。この大きな方が下がってくれれば、先回のような失敗からは免れることが出来だろう。

 それでも果たして水が出てくれるだろうか。作業は昼からも続いた。昼食を食べている時までは私たちの代表もかなり不安そうだった。岩倉の時と同じことになるのではないか、そんな心配が過ぎったのだろう。昼食後、そんなに慌てることはないのに、すぐさま作業にかかる。これでダメならばここも諦めなくてはならない。何という情けない話だ。失敗に次ぐ失敗で、これでは井戸掘りのNPOは存在価値が無い。ここまで来たのだから、とにかく慎重に確実に作業を進めようと自分に言う。

 少しずつ塩ビ管をつなぎ、掘り進める。あるところまで来た時、不思議なことが起こった。一瞬だが打ち込んだ水が確かに引いたのだ。バンザイ。水脈に当たった。パイプの上から水を注ぎ込むがまったく水が上がってこない。よし間違いなく水脈だ。ポンプで水を汲み上げてみる。良かった。かなりキレイな水だ。水量もある。依頼主に報告する。依頼主は嬉しそうに流れ出てくる水を見ている。大学生か、若い孫が写真を撮りながら、「本当に水が出るんですね」と感心している。

 焦らずに粘り続けた甲斐があった。私は穴掘りで、両腕が痛くて参っている。怪我をしてから握力は低下したままで、最近では手首が回らない左手の硬直度が進み、右手は親指の付け根辺りが相変わらず痛む。まあ、ここまで生きてきたのだからいろんなところが終末を迎えるのは仕方がないと覚悟している。
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わがままを許して欲しい

2009年09月26日 23時50分45秒 | Weblog
 9月下旬にしては暑い日だった。我が家の隣の小学校は運動会で、朝早くから人の声がする。何事かと覗き込むと、お父さんたちがシートを敷いて場所取りをしている。子どもたちが登校して来る前に、トラックの周りと校庭の樹木の周りは色とりどりのシートで敷き詰められ、上から眺めるときれいな花畑のようだ。

 例年そうなのかも知れないが、今年はヒガンバナの開花が場所によってまちまちのような気がした。私の記憶では、ヒガンバナはお彼岸の頃に突然花が一斉に咲き出す。ところが今年は、早いものは9月16日に見たし、同じ町の中で今日も咲いているのを見た。1週間くらいで枯れてしまうのに長く咲き続けている。

 ヒガンバナを清楚な花とは思わないけれど、あれだけ美しいデザインの花もないと思う。成熟した大人の女性の艶やかさがある。何と言っても、必ずお彼岸の頃になると突然に咲き出すのも律儀な気がする。「花は皆、そうではないの!」と言われたことがあったけれど、確かに桜でもチューリップでも花は皆、決まった時期に咲くけれど、桜やチューリップならだんだんと咲く様子が分る。ヒガンバナはある日突然に花咲くところがいじらしい。

 ヒガンバナに心があるわけではないけれど、古語辞典にあった「赤き心」、偽りのない心にピッタリのように思った。成熟した女性が恋しい人のために毎年決まって花を咲かせる。それも地上に現れるのは花が先であることが憎い。「会いたい」気持ちがまずあって、花が枯れてから葉が出てくる。その時は誰もヒガンバナの葉だとは気が付かないし見向きもしない。

 ヒガンバナはこの頃ブームなのか、あちらこちらでよく見かけるようになった。野生のものではなく人の手で植えられたのだ。地獄花と嫌われた花がブームになるも不思議だ。「昭和」も近頃ではブームになっていて、各地で昭和館や昭和村が出来ている。北名古屋市の歴史民俗資料館ではもう15年ほど前から「昭和」をテーマに展示している。

 今日の大和塾の市民講座は、この歴史民俗資料館に直接出かけ、企画展の責任者である学芸員から話を聞くものだ。話の中で一番注目したのは、“火”の扱いである。古代より人類は火を用いて煮炊きしてきた。ところが昭和30年代になって、電気で料理するようになった。物を燃やせば煙が出る。ところが電気は煙が出ない。ここから家の中はすっかり変わってしまった。かまどが無くなったばかりでなく、電気洗濯機や冷蔵庫が家庭の中にでんと構えるようになった。

 私たちは豊かな生活をエンジョイするようになり、さらに豊かな生活を求めてきた。挙句の果ては何だったのか、自ら生活の場である地球を廃墟とするに至ったのだ。今晩も、友だちの誕生日で居酒屋にかり出されて、しこたま飲んできた。こんな風に人生を楽しんできたけれど、そのツケが子どもや孫の負担になるとは思いもしなかった。民主党がこれまでの政治のあり方を見直そうとしているけれど、そうでもしなければ地球そのものが人類によって破滅へと向かうのは必至だ。

 ああ、愛する人よ人たちよ、わがままな吾を許して欲しい。私も必死で生きてきたことは本当だ。けれどもそれがあなたたちには関係のないことだと私も知っている。それでもなお、わがままを許して欲しいと言わなければならない。
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小説の面白さを知る

2009年09月25日 20時06分50秒 | Weblog
 どこにも出かけず、一日ひとりで家にいると、好きなCDをかけ、洗濯をしたり掃除をしたり片付けをしたり、まず気になることをしてしまう。それから読みかけの本を持ってきて、コーヒーを飲みながら続きを読む。座って読むのにイヤになると、寝室に行って横になって読む。そうしていると眠気に襲われ、じゃあここでちょっと休むかと眠ってしまう。誰かに見られているわけではないし、誰かに咎められるわけでもない。ひとり暮らしの人は自由だが、寂しいものだと思いながらいつしか夢の中だ。

 働いていた時はほとんど小説など読むことは無かった。買ってくる本と言えば、社会学か哲学、宗教学の類のものだ。分らなくても経済学も知りたいという意欲があった。お金を預けると利子が生まれるのはなぜなのか、誰がいつごろ考え出したのか、そういうことを知りたいと思った。どうしてあんな風に平気で嘘がつけるのか不思議だったから、心理学の本も読もうと買った。こんなふうに書棚に読もうと思って買い込んだ本が並んでいる。雑学的な評論の本も幾冊かある。文芸評論の本もあるが、小説類は学生時代に買ったものばかりで、わずかしかない。

 私が再び小説を読み出したのは最近のことだ。ある人が「私はアンナ・カレリーナのようにはなれない」と言った時、アンナがどんな人なのか知らなかった。トルストイの作品というくらいの知識しかなかった。それで読んでみて、小説の面白さに嵌まった。人が薦めてくれる本をはじめ、表題から面白そうと思われるもの、新聞の書評で取り上げられているものなど、脈絡もなく読んだ。トルストイの『アンナ・カレリーナ』は女性の生き方を通して、家庭とは何か、幸せとは何かを描いている。薦められて読んだ『悪童日記』は女性作家だったのでビックリした。女性が「性」を扱うと思ってもみなかった。

 それで日本の比較的若い女性作家の作品も読んでみようと思った。よしもとばなな、山田詠美、村山由佳、林真理子の作品はいずれも面白かった。女性作家に男のエゴイズムが書けるのだろうかというのは偏見だった。男性の作家に女の気持ちが書けるのかと同じ愚問だった。男性作家よりも女性作家の方が頑張っているようなことを、作家の渡辺淳一氏が述べていたが、ほんのさわりしか読んでいない私もそんな気がした。中でも村山由佳さんの『ダブルファンタジー』は文章もしっかりしていたし、心理描写は的確で物語の展開もよく出来ていた。

 村山さんは「女性は、恋愛においてファンタジーを求めているんです。ロマンチックな気持ちにさせて欲しいというのは、そこに物語を欲しているわけで、相手との間にそういうものが成り立つとセックスにおいても気持ちよくなれる。身体でイク前に脳でイクんです」と話す。それは女の特権ではなく男も同じだ。「ゴミ出しはひとりでできるけど、セックスはひとりではできません」と村山さん。そう、恋愛にしろ、家庭にしろ、そしてセックスにしろ、二人でつくっていくものだからだ。もっと言えば、幻想を二人で作り上げていく行為だと私は思う。
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否定的なことを言っても仕方ないよ

2009年09月24日 21時39分07秒 | Weblog
 眠い。22日と23日は井戸掘り。濃尾平野の真っ只中だ。水が出ないとは全く思いもしなかった。22日の朝、現地に到着。依頼主が「ここでどうだろう」と言った場所をまずスコップで掘り始める。畑だったというだけに、石やガラクタの無いキレイな畑土だった。これなら問題なく掘り進めることが出来る。そう確信した。1メートルほど掘って、次に今度は塩ビ管を立てて、上からポンプを使って水を流し込むと同時に塩ビ管を回して掘り進める。

 どんどんと掘れる。5メートル、6メートルと進んでいく。そこでちょっと不安になった。これまでは5メートルも掘れば水脈にぶつかり、流し込んだ水が水脈の方に引っ張られ、塩ビ管はそれから下がらなくなる。それがどんどんと、まるで水に杭を打ち込むように入っていく。7メートル。この辺が限界じゃないのか。この辺りなら6メートルで水が出るはずなのに、掘りすぎたのではないのか。そんな不安がよぎる。

 9.5メートル。えっ、そんなに入ったのか。じゃあ、一度ここらで水を汲み出してみよう。ポンプで水を吸い上げるけれど、ほんのわずかな水しか出てこない。朝早くから初めて、夕方の5時近くになっていた。ダメだ。今日は諦めようということになった。依頼主さんは「一日でも早くやって欲しい」と言う。それではと続けて昨日の23日、同じところで位置を変えて掘ることにした。状況は全く同じだった。地表1.5メートルくらいは良質の畑土で、その下からは掘っても掘っても灰色の砂だ。それも上の方はきめ細かく、下の方がやや粗い。

 これまでの経験だと、灰色の砂に黒っぽい粗い砂が混じってくると水脈にぶつかることが多い。ところが今回も、稲沢で掘った時と同様で、どこまで掘っても灰色の砂が出てくる。こういう時の井戸堀りはどうするのだろう。2日間も同じ状態の失敗が続くと、あんなに冗談ばかり言い合って仕事をしてきたのに、とうとう2日目の最後は誰もが無口になってしまう。無口ならまだいいけれど、「どこを掘っても一緒だ」とか「ここには水脈が無い」とか、挙句に「やってもムダじゃないか」と言い出す者もいる。

 「そんなに否定的なことばかり言っていても仕方ないから、やれることはなんでもやってみようよ」。そう言うのが私の役割だ。「お祓いしなきゃー、遺憾」と言う人もいる。そう、みんなでいっぱい飲んで意気消沈した気持ちをふっ飛ばしたい。けれど、やはり、それはどこかで成功してからにしたい。愚痴ばかり言い合ってもつまらない。うまくいけば、馬鹿話であっても気持ちがいい。

 さて、もう一度、27日に稲沢で掘る。この時に何かヒントが得られないかと願っている。成功しないと同じように努力をしていてもなぜかどっと疲れが増す気がする。肉体のあちこちが痛いけれど、これも成功すればケロッとしてしまうから人間は不思議な生き物だ。家にいればすぐにウトウトしたくなるのに、外にいると眠くなることが無い。好きなことに夢中になっていると時間の過ぎるのも忘れている。本当に不思議だ。
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カチカチ山に登る

2009年09月23日 22時24分53秒 | Weblog
 河口湖での翌日、早朝より温泉に入り、支配人(?)が勧めてくれた宿の屋上から富士山を眺める。邪魔なものが一切無いから、確かに裾野まで広々とした冨士山を堪能することが出来る。それにしてもこの宿の売りは屋上からの富士山の眺めだけかとちょっと皮肉を呟いてみる。お風呂を出て大広間を横目で見る。たくさんの家族連れが朝の食事をしている。大広間で食事が出来る人数は決まっているし、ひょっとしたら、この宿には料理人はいなくて、仕出屋から料理を運び入れているのかも知れないなどと勝手な想像をしてしまった。

 朝食が付かない私たちは仕方がないのでどこか食べられるところをと探して宿を出た。せっかくならホテルで朝食を食べたいと思い、一昨年泊まったホテルへ出かけたが、「食事だけのお客様はご遠慮させていただいています」と言う。午前9時前では観光地のレストランも開いていない。ケーキのお店の奥さんが「よかったら、コーヒーでもどうぞ」と声をかけてくれたけれど、「食事がしたいのですが、どこかありませんか?」と聞いても、「ファミレスくらいしかないのでは」と言う。それでは仕方ないと、ファミレスに車を入れる。

 結構人が多いのにビックリした。ドリンクは飲み放題だという。いろんな人々がここにはいるのだなと思いながら、コーヒーとスクランブルエッグとトーストの日頃と変わらない朝食をいただく。午前9時からカチカチ山のロープウェーイに乗る予定でいたが、朝食をゆっくり取ったことと、その駐車場の隣に酒屋があったので、お土産に地酒を買おうと思って入ったために、大幅に予定が狂った。店のカミさんに我が家のカミさんが、「秋川さんのコンサートのために来ましたの」と話したところ、「あら、私も行ってたのよ」と二人で盛り上がったそうだ。人と余り気さくに話さないカミさんも最近では、孫娘が言うように、「成長した」ようだ。

 カチカチ山はもちろん太宰治の作品から名付けられた。太宰は河口湖の東の三ッ峠の茶屋で暮らしたことがあり、その日記が「冨士には、月見草がよく似合う」で有名な『富嶽百景』である。どうしてこの日記風の作品が評価されるのか、私は未だに分らないが、月見草の印象と確かに冨士山はどこから見てもキレイだと思う。太宰のふるさとで見た岩木山も富士山に似た山で、太宰は富士山に懐かしさを抱いていたのではないかとさえ思った。

 それから、無料で入れるからというので、お決まりの「オルゴールの森」に行った。何度か来たけれど、無料と言うのは不思議なもので、そんなに細かく見ないうちに「ここでお昼を食べていこう」ということになった。ここでも富士山が裾野までくっきりと見える。ブログに乗せようと写真を撮ろうとしたが、電池交換が必要と表示されてしまう。まあ、いいか。先回はいろいろ出かけて忙しかったけれど、今回はゆったり出来ただけでもよかった。そう思いながら、「じゃあ、帰りは東名で行こうか」と言うと、「だめ、中央道の方が空いている」と押し切られる。それは正解だった。

 河口湖まで往復750キロ。運転手としては満足していただけた旅であったし、無事に帰ることも出来た。役割を果せたと思っている。
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自販機のビールが取り出せない!

2009年09月22日 21時44分43秒 | Weblog
 河口湖ステラシアターで、秋川雅史さんのコンサートが午後5時から始まった時、まだ空は薄明るかった。ステージの一番上、屋根との間には隙間があり、そこから富士山がくっきりと見えた。コンサートが進むと共に、富士山の周りは次第に暗くなり、わずかに稜線だけが見えるようになった。頂上のすぐ左下つまり東側にいくつかの明かりが見えた。山小屋の明かりだ。

 この日の秋川さんは「いつもとちょっと違っていた」と姉は言う。姉は「おしゃべりは余りうまくない」と言うが、なかなかどうしてよくしゃべったし、その話の中身も面白かった。2時間のステージだ。おしゃべりでもしなければ間が持たない。おしゃべりとその次に歌う歌とが実によく考えられていたし、一度もとちるようなこともなくユーモアもあった。

 秋川さんは気持ちがのっていたのか、アンコールで2曲も歌った。すると天井の屋根が開き、ステージの後の部分の壁が開き、真っ暗な世界にわずかによりいっそう黒い堂々たる富士山の姿が見えた。見えたと思う間も無く、花火が上がった。最後にちょっと憎い演出である。これは随分効果があったようで、私の後にいた年配の男性たちも「よかったな。来た甲斐があった」と話していた。

 さて、宿で食事が出来ないとなるとどこへ行くべきか。宿の番頭らしき人に尋ねたところ、教えてくれたのは宿からは歩くには遠すぎた。歩くことが難しい姉には気の毒だ。すると会場でもらったチラシを見ていたカミさんが「コンサートの帰りにどうぞというお店があるわよ。1800円が1500円で食べられるわよ」と言う。さすがに目の付け所が違う。

 行ってみるとなかなか大きな店だった。コンサートに感激している姉とカミさんにはグラスワインをつけてもらう。私は宿でお酒を頼むつもりでいた。食事をして宿に帰ると、フロントに人がいない。温泉に入り、仕方がないから自販機でビールを買うことにする。早く上がった私が部屋で待っていると、姉が「ビールが出てこない」と言う。行って見ると、自販機の前でカミさんが悪戦苦闘している。

 「ビールを3本買ったのに取り出せない」とカミさん。自販機は1本ずつ出さないと詰まってしまうことを知らないのだ。「フロントに電話をしたら、係りの者は明日の朝しか来ないので、そのままにしておいてくれと言うのよ」。なに!それではビールが飲めないじゃないか。引っ張り出そうとするから取り出せない。それなら押し上げてやれば、1本ずつ取れるのではと思った。その通りだった。

 やれやれ、何とかビールは取り出せた。けれど、食事をした後のお腹がいっぱいでは美味しくない。お酒がよかったのになぁーと悔しがりながら、いつしか眠りの世界に入っていた。9月19日の河口湖の宿は、ちょっぴり物足りない思いだった。
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やはり高速道路は大渋滞だった

2009年09月21日 18時08分49秒 | Weblog
 子どもたちが巣立ってからは、連休に行楽地へ出かけることはすっかり無くなった。孫が生まれて、そこ子が歩けるようになってからは、また、近くの公園などに行くようになったが、大渋滞に巻き込まれたことは一度だけだった。

 姉が河口湖で行なわれる「秋川雅史さんのコンサートに連れて行って」と言うので、「ああ、いいよ」と答えたが、日にちを聞いて大丈夫かなと思った。コンサートは19日の午後5時から行われるので、午後3時までに宿に着いておきたかった。「何時に出る?」と言うので、「10時までには迎えに行くね」と答えたのに、出発が遅れて姉のところに着いたのは10時20分くらいだった。

 名古屋都市高速を使って名古屋インターから東名へ入った。ここから豊田まではよく渋滞するがスムーズに走れた。やはりいくら高速道路の料金が1000円だからといって、夏の渋滞でみんな教訓化しているのだと思った。ところが豊田インターを過ぎた辺りで車は全く動かなくなった。岡崎インターの手前での渋滞は聞いたことがあるけれど、どうして、何かあったの、と思った。渋滞に遭ってもいいように、姉にも好きなCDを持ってきてもらっていたので、秋川さんのCDを聞いて車が動くのを待った。

 姉の家を出て1時間、普通ならもう浜名湖サービスエリアで休憩しているはずだ。困った、どうしよう、東名を走るのは無理か、などと考えた。幸い左側の東海環状線へ行く方は比較的車が流れている。「東海環状で土岐に出て、中央道から河口湖へ行くね」と説明し、中央道へ向かった。ところが中央道も土岐から恵那までは渋滞している。それでも東名に比べれば、少しずつでも動いている。「多分、食事をしている余裕はないと思うので、次のパーキングでおにぎりを買って、車の中で食べながら行くけどいいかな」。いいも悪いもない。そうしなければ時間までに着けないだろう。

 トイレのために2度ほどサービスエリアやパーキングに入ったけれど、10分か15分休憩しただけで、ひたすら河口湖へと向かった。宿に着いたのは3時20分だったから、途中休憩も入れて5時間の長旅だった。この宿も心配だった。連休中なので、果たして予約できるだろうかとインターネットで探した宿だったし、「コンサートが終わって宿に着くと9時くらいになるのですが食事は出来ますか?」と聞いたところ、あっさりと、「それなら素泊まりでいかがですか」と言う。それを親切と初めは思ったが、朝も食事がつかないというので、どんな宿なのだろうと不安に感じた。

 秋川さんのコンサートで、姉たちは最前列に陣取っていた。私は別に入場券を取ったので、はるか後方の席だった。丁度音響と光調節の係りの隣で、秋川さんの歌よりもこの係りの人たちがどんな風にするのかに興味を持って見ていた。河口湖ステラシアターは屋外劇場ではないけれど、屋根は開閉式であり、最上階は開放的になっているコンクリートの階段状の建物である。暗くなるにつれ寒さが身に凍みてきた。
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