卒業生がFBに書き込んだ『担任の思い出』に心惹かれた。彼の担任は、私が初めて勤めた高校の同じ科の先輩で、私にとっても思い出深い先生である。ベレー帽をかぶり、絶えず煙草をくわえ、2口か3口吸っただけで消してしまう。その吸い終わった煙草を、灰皿にきれいに山を作って並べておくので、教官室の掃除をする生徒がかすみ盗って喫煙する。おそらく先生も気付いていたと思うけれど、そのダンディーな仕草を辞める気配はなかった。
昭和62年の卒業と言うから、先生はもう50代の半ばを過ぎていたと思う。京都で美大生だった先生は詩人ボードレールの『悪の華』を愛読していたらしい。学生生活が「悪の華」のようだったのかも知れない。持ち歩いていたノートに詩を綴り、絵を描き込んでいた。ある日、恩師の元に遊びに行き、宝物のノートを見せた。すると恩師はニコニコ顔で「ボードレールのようだね」と言われた。その夜、先生は鴨川に大切なノートを投げ捨てた。この話がとても印象的で心に残っていると卒業生は記している。
今の若者には関心がないかも知れないが、先生たちの青春時代はボードレールやロートレアモンあるいはエリェアールの詩の1つ2つ暗唱できなければ美大生ではなかった。カミュやブレヒトを語らなければ芸術家ではないような風潮があった。どうして鴨川にノートを捨ててしまったのか分からないが、私にとっても先生のことを身近に感じる話である。先生の授業を見せてもらったことはないけれど、コーヒー好きの先生は飲み方からこだわっていて、「美学」を持っている人だった。
「教育者になるか、アーチストになるか、決めなさい」と先生に言われたことが、私には一番心残りだ。詩集『悪の華』は20代のボードレールが出会った、混血の美魔女ジャンヌ・デュバルとの退廃と愛欲の、そのくせたまらなく淋しくて切ない、だからこそ心の叫びに共感する人も少なくない。背伸びした高校生の私も、分からないままに、ゾクゾクしながら読んだ。