友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうして泣けてしまったのか

2011年11月30日 20時43分16秒 | Weblog

 暖かい日だった。こんな日に室内で報告書作りではもったいないと思い、朝9時から夕方4時まで、ぶっ通しで作業をした。午後2時に一段落した時、トーストを焼いてハムと卵のサンドイッチを作って食べた。自分でも不思議に思うけれど、誰とも話さずただ黙々と小さなスコップで仕事をしていく。今朝、大き目の鉢に入れておいたミミズが何匹か逃げ出して、バルコニーの床の上をヨタヨタと這っていた。鉢を見ると、死んでいるミミズもいる。どうしてなのだろう、容量オーバーに詰め込んでしまったのだろうか。鉢の土の入れ替えを早く完了しないといけない、そんなことを思いながら作業をしていた。

 

 黙々と手を動かすだけの一日。無心という言葉がピッタリだ。いろいろと考えているのに、何も考えていない。何も考えていないのに、何かを考えている。校庭から聞こえてくる子どもたちの声、車の警笛、時々聞こえる救急車の音、鳥の声、ヘリコプターの音、廃品回収の呼び声、私が動かすスコップの音、聞こえるが聞いていない。一期一会は禅の言葉だったが、「逢うてわかれて、わかれて逢うて、末は野の風秋の風」という小唄を思い出した。吹く風のままに秋の草の穂が別れと出会いを繰り返すが、同じ出会いは決して二度と無いという切ない恋の歌である。

 

 どうしてこんなことを思い出したのだろう。昨晩、NHK歌謡ショーで恥ずかしいけれど泣いてしまった。島津亜矢さんが歌う歌謡浪曲「俵屋玄蕃」を聞いていたら、なぜか涙があふれてきた。俵屋玄蕃は槍の使い手で、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたと知って駆けつける浪人。大石内蔵助に助太刀を申し入れるが断られ、それなら吉良に加勢する者を阻止しようと橋を死守する。そんな元禄時代の浪人の「作り話」になぜ涙を流してしまったのだろう。

 

 この歌は昔、三波春夫さんが歌っていた。その時は別に涙を流したことはなかった。だから年齢のせいだと思う。私は人殺しを認めないので、たとえどんな大義があったとしても、それを喜んだり誇りに思うことはない。それなのに、討ち入りに涙するとはどういうことなのかと自分の感情を考えた。思い当たることはただひとつ、何かを成すということ。赤穂浪士はたとえどんな動機であったとしても、討ち入りの目的を果たした。俵屋玄蕃は理由がどこにあったとしても、赤穂浪士に共感し行動を共にした。

 

 馬鹿な男のくだらない見栄じゃーないかと言われてしまえばそのとおりだ。そんな風に人の命を軽く扱って欲しくない。もっと、立派な人はいくらでもいる。津波の危険を知らせようと、自分の家に火を付けた人もいる。赤穂浪士はただ自分たちのことしか考えていない。それでも、苦節に耐えて、ことを成した。成し遂げるものがあって幸せだなと思った。果たして自分は何を成したのだろう。そう思うと涙が流れてきたのだった。

 

 夕方4時過ぎに作業を終えると、膝は痛い、腰は痛い、両手が痛い。なんとなく胸も息苦しい。血圧を測ってみるが普通だった。しかし、脈拍数が低い。中学からの友だちと同じだ。自分の終末は彼と同じ運命なのかと思い、まあそれもいいかと思った。

 「しばらくは会わないほうがいいと言い 赤い葉落ちて樹木ただ立つ」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黙々と手を動かすことの意味

2011年11月29日 19時07分47秒 | Weblog

 中学からの友だちは昨日、退院したとブログにあった。私の思いと彼の退院が交差した。どんな具合かは分からないけれど、まずは良かったが‥、あれ?お酒は飲めるだろうか。高校を卒業した後、中学からの友だち4人でよくお酒を飲んだけれど、彼が一番お酒に強いとずっと思っていた。実際にいつもよく飲んだ。ところがつい最近、「晩酌はしない」と聞いてビックリした。「お酒は家では飲んだことが無い」のだ。自制心が強いと感心した。

 

 私はお酒に強い方ではないけれど、お酒を飲むことは好きだ。お酒を飲む雰囲気が好きなのかも知れない。晩酌はするけれど、できれば親しい友だちとおしゃべりしながら飲む方がいい。ふたりよりも大勢で、どんな馬鹿話も許される席がいい。今、私がよく飲む仲間は年上が多いが、これまで充分生きてきたからだろうけれど、「長生きするために、好きなことをしないのは自分の生き方じゃーない」と断言する。私は大いに共感している。

 

 好きなことのためには無理もするが、健康のためとか長生きのためとか言われると、絶対にやるものかと思ってしまう。父や母が生きたよりも長く生きているだけで充分に幸せだと思う。生きている意味が無くなったら、生きる気力を失ったなら、あっという間かも知れない。「NPOの事業報告書がまだ出ていないので、大至急出すように。罰金または取り消し‥云々」の通知をもらった。しまった。またやってしまった。資料を全部揃えて、それで提出した気になってしまっていた。まだまだ、頑張らなくてはいけないようだ。

 

 近頃、集中力が欠けている。いや、そんなはずは無い。毎日、鉢の土を出しては赤玉、ミミズ、古い根をより分けている。こんなにやっても本当は何も変わらないのかも知れないと思いながら、時間があれば外に出て、一人で黙々と作業している。1鉢の土をきれいにするのに、大きな鉢なら1時間20分ほどかける。小さなものは2つを一緒にして行うので逆に1時間半かかる。何も話さず、何も聞かず、外の音だけが耳に入ってくる。

 

 実際、何も考えてもいない。ただ、せっせと手を動かしているだけだ。将来のことは全然出てこないけれど、昔のこと、小学校のことや中学や高校のことなど、どうしようもないことを思い出している。そうかと思えば、ここ2・3年前のこと、暑い夏のこと、昨年の紅葉のこと、取りとめも無く思い巡らしている。身体が硬直して痛い。ゆっくりと向きを変えて背筋を伸ばす。おもむろに起き上がって、深呼吸をし、再び鉢に向かう。

 

 そうか、来年の春にチューリップが咲きそろったなら、ガン治療と戦っている友人夫婦を招待すると約束したのだから、見事に花を咲かせるように頑張ろう。やっていることは意味が無いように思っていたけれど、みんなに喜んでもらえるようにとやっているのだ。やっているうちにまた次の希望も湧いてくる。人生は生きているから面白いのだ。明日で全ての鉢の土をきれいにする作業が終わる。後は、土と肥料をよく混ぜ合わせ、チューリップを植え込むだけだとなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

期待し、裏切られ

2011年11月28日 18時48分36秒 | Weblog

 昨夜は午後8時の段階で、橋下・松井当選確実のテロップが流れた。投票が締め切られたばかりで、開票もしていないのにである。実は開票した結果、全く逆でした、ごめんなさい、という報道もありうるからと思っていたけれど、続くニュースで「大阪維新の会」は万歳を行い、一方の相手は「力不足でした」と敗北宣言していた。大阪市長と府知事のダブル選挙は、圧倒的な票差をつけて、橋下さん率いる「維新の会」が当選したのだ。

 

 「おもろい」「はっきりしている」「何かやってくれる」「変えてくれるやろ」と市民は橋下さんに期待していた。テレビで聞く限り、橋下さんの演説は分かりやすい。「市民は守ります。しかし市役所は守りません」。市民は「わてらの味方や」と思うだろう。しかし市民をどう守るのか、市役所は守らないというのはどういうことなのか、雰囲気はあっても中身は何も無い。

 

 なんとなく閉塞感が漂いだした頃、官僚の汚職が続いたり議員の不正があったりして、それに経済活動も停滞してきて、国民がいらいらしていた時、小泉純一郎さんは「古いものはぶっ壊す。自民党もぶっ壊す」と郵政改革を掲げて政治を引っ張った。国民の多くが「改革に期待した」が、風前の灯だった自民党政権を延命し、派遣社員を設けて企業を助け、自由競争の名の下に経済活動を滅茶苦茶にしただけだった。

 

 国民は小泉改革に期待して破れ、政権交代で民主党に期待したが「何も変わらない」と実感している。だからこそ、既成政党ではダメだということだろう。それが大阪のダブル選挙に現われている。橋下さんは「選挙の結果は民意だ。市役所の職員、教育委員会はそれを知るべきだ」と発言していた。そのとおりだろう。市民の多くは、たとえよく分からないとしても、「橋下でええじゃないの」と支持したのだから。

 

 橋下さんはあえて、「独裁者になる」とも言っていた。それくらいの覚悟が無ければ改革など出来ないと言明した。強いリーダーの出現を期待した市民は「ガンバって」とエールを送った。それがどんな結果を招くかはまだ分からないが、「何かやってくれる」という期待が大きいから、市民にとって不合理で理不尽なことなど考えてもいない。ヒットラーは初めから独裁者ではない。ナチスは選挙で多数派となった。ドイツ国民はヒットラーに期待し支持したのだ。

 

 今はそういう時代なのだろう。憂鬱な時代だとも言えるし、市民が切り開くことができる時代だとも言える。大きな曲がり角に来ているが、みんなが知恵を出し合ったならきっと解決できるだろう。しかし、私たちはその先を見ることはできるのだろうか。

 

 「毎日ブログを書き続けよう」と約束した中学からの友だちは今月の5日から中止している。住民検診で心電図に異常が見つかり、「このままの状態だと近いうちに心臓が止まるかも知れない。脈拍数が同年代の人の半分しかなく、不整脈も繰り返し起こっている。すぐ入院出来ませんか。期間は1ヶ月か1ヵ月半くらい」と宣言された。私も全く同じ症状なのでちょっと気になっている。12月になっても更新されないようなら私から連絡してみようかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「覚悟せしこともありたる古暦」

2011年11月27日 17時43分01秒 | Weblog

風もなく暖かな日々が続いている。鉢の土の入れ替えにはもってこいの天気である。しかし見送ってあげたい人の葬儀があって式場に向かった。地元の女性だけに大勢の人が参列していた。私の後の女性はご近所のようで、「もう少し長生きしてもよかったのにね」「もう1回会いたかった」と話していた。

 

彼女は俳句をたしなむようで、私の席の前には幾冊かの句集と、彼女が生前に使っていたであろう創作ノート、電子辞書、筆入れが置かれていた。私が知る彼女は竹を割るような性格で、かなりストレートにものを言う人だった。思いやりや気配りにも長けていたけれど、こちらが何か迷っていたりすると、ズバッと言ってくれた。

 

 「覚悟せしこともありたる古こよみ」の句が張り出されていた。彼女は小さな時の予防接種が原因で、B型肝炎のキャリアだったという。死因の直接の原因は知らないが、7年位前から身体の調子は良くなかったとも聞く。今年の同じ歳の集いには来なかったので、どうしたのかと気になっていた。

 

喪主の息子さんの話では、「病気のことは知らせないでと言っていた」ので、多くの人が知らずにいたようだ。「生きられるのはあと1年とか半年とか、はっきりしてきた時、母は苦しむことと痛いのは嫌だからと治療の仕方を望みました。それで、無くなる3日前までは全く普通でした。亡くなる時も穏やかで眠るように息を引き取りました」と話す。気丈夫なところは最後まで彼女らしい。

 

  「愛のチョコ命預けし主治医には」

「翌朝は未だしやんとされ雪仏」

この2句までは書き写すことができたが、いずれも闘病中に作ったものと勝手に解釈した。バレンタインのチョコの句はちょっとユーモアが漂っているし、雪の日の翌朝、雪だるまを見るとまだ凛々しく立っている、その姿にきっと励まされたに違いない。

 

それでも死は必ずやってくる。順番なんかない。慌てることなく、彼女のように穏やかに受け止めたいと思う。死後のことなど言ってもどうにもならないが、私の希望は、信仰もしていない宗教葬儀は止めて欲しい。誕生を身内しか祝うことがないように、死去も身内だけで送ってくれればいい。私が年賀状を差し上げている人たちの住所録はパソコンにあるので、何年何月何日に亡くなったと送っておいて欲しい。火葬場では骨は拾わなくていい。位牌や仏壇や墓は当然なことだが不要だ。ブログにこう宣言しておけば、残された者が負い目を感じることも無いだろう。

 

さて、それまでに短歌をもう少し勉強して、「へーえっ!?」と思われるような辞世の歌を作くろう。それまでは果敢に生きていかなくてはと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朗読クラブの発表会

2011年11月26日 19時18分50秒 | Weblog

 明日はいよいよ大阪市長選挙の投票日だ。知事と市長の同日選挙を仕組んだ橋下徹さんの当選は確実らしい。大阪人は反権力志向が強いと言うけれど、橋下さんは権力を集中させて強権的な行政を目指している。「おもろい」だけで、本当に市民は投票してしまうのだろうか。大阪には私の友だちや卒業生もいるけれど、どんな気持ちでいるのだろう。新聞では「盛り上がっているのは一部だけ」と言っている人もいたけれど、どうなのだろう。選挙の仕方が無党派と近いからというだけで、橋下さんに共感している人もいたが、何をやろうとしているかをきちんと見て欲しい。選挙のやり方が辻々での街頭演説なのは、市民の一人ひとりに主張を届けるに適しているからに過ぎない。

 

 どこからも声がかからなかったので、午前中は鉢の土の入れ替えをする。1鉢の土をより分けるのに1時間はかかる。そんなに丁寧にする必要はないと思いながら、作業を始めるとどうしてもそのくらいになってしまう。それに膝が痛くて、同じ姿勢を長く続けていられないので、身体をほぐしたりする無駄な時間が多いのだろう。それでも今日は風がなく、暖かな一日だったので、午後から朗読クラブの発表会を聞きに出掛けた後も、また1鉢の土の入れ替えを行った。さすがに日が暮れるのは早く、4時過ぎると手元が暗くなって中止しなければならなかった。

 

 朗読クラブは私が在籍していた時よりも人が増えていた。発表の作品も多くて、2時間ほどかかった。私が朗読クラブに入会したのは、マンションの自治会長を終えた後だった。集会所に古本を集めた図書コーナーがあったけれど、町に立派な図書館ができて利用者がいなくなった。集会所を改修して広げた際に、図書コーナーをなくしたので、せめて子どもたちのために朗読をしてくれないかと友人に話した。その友人に、「それならご自身が朗読の勉強をして、読み聞かせたらどうか」と言われて、友人の所属する朗読クラブに通うことになった。先生の指導は厳しくて戸惑うこともあったけれど、朗読クラブの人たちと楽しい一時を過ごさせてもらった。首長選挙に出るため退会させてもらったが、発表会はのぞかせてもらっている。

 

 今日の発表会の最後は、谷川俊太郎さんの『ふたりの人形』をクラブ全員でする郡読だった。私は初めて聞くものだったが、これは先生の選択だなと思った。「ふりをする ふりをする 私は愛するふりをする   ふりをする ふりをする あなたは歓ぶふりをする   今日が昨日のふりをする おひさまだけがほんものだ」。2番はふられるふりをする 私は傷つくふりをする。3番はふたりはフリーなふりをする ふたりは別れるふりをする」。4番、5番はちょっと難解だが、「おひさまだけがほんものだ」で締められている。この詩は日常のいろんなことは虚像なのだと言っているのかも知れないし、「ふり」をすることは虚像の世界では大事なことなのかも知れない。声に出して読んでみるとまた違ったものが見えてくるような気がする。

 

 明日は葬儀に参列させていただく。私が新聞つくりをしていた時からの知り合いで、同じ年の集いがあった時に初めて同じ歳だと知った。最近、顔を見ないと思っていたら昨日亡くなったと聞いた。年齢を重ねてくると順番はどこからやってくるか分からない。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長く続くものはない

2011年11月25日 18時17分59秒 | Weblog

 名演の正式名は名古屋演劇鑑賞会。1954年に名古屋演劇同好会として発足し、労働運動の盛り上がりから名古屋勤労者演劇協議会となり、75年から現在の名称となった。私が高校の教員となったのは67年で、労演と呼ばれていたように思う。高校生の中に、労演のお手伝いをしている子がいたし、先生の中にも演劇好きな人がいて、時々観に行った覚えがある。宇野重吉や杉村春子が出演していた。生徒の中にも演劇にあこがれる子はいたけれど、黒テントや唐十郎の状況劇場、寺山修司の天井桟敷などのアングラ演劇に人気があった。私もいわゆる正統派の新劇よりもこうした前衛演劇の方に興味があった。

 

 しばらく縁がなかったけれど、この町で地域新聞を発行するようになり、演劇をやっている女性グループに頼まれて、『野麦峠』公演のお手伝いをしたことから演劇とかかわりが生まれ、名演の会員になった。名演の演劇が好きで、この運動を消してはならないという使命感はなく、いわば義理で付き合っている。正直に言えば、誘ってくれた方が止めれば私もやめるつもりだ。毎月2600円で、年間6回から7回の演劇が見られるのは安いと言えばそのとおりだろう。でも、観てよかったと思えなければ高い会費である。どこでどんな演劇が行われているのか、知る術がないのだから、まあいいかと思っている。

 

 これが映画のように、作品を紹介する冊子や新聞があれば、自分が本当に観たいものを選ぶことができるが、悲しいことに演劇はそのような情報を提供するものがない。名古屋市内には各区に演劇を観るにはちょうどよい座席数の小劇場なるものがある。愛知県内にどれほどの演劇団体があるか知らないが、発表の場としては多い方ではないだろうか。わが市のホールもそうだけれど、各市のホールはどういうわけか競って1千人前後のものが多い。1千人以上入れないとNHKの「のど自慢大会」を誘致できないと聞いたことがある。でも、演劇は3百人からせいぜい5百人までが一番いい。

 

 名古屋の老舗、御園座が営業不振だと聞いた。歌舞伎を中心に開催してきたけれど、最近では演歌歌手のワンマンショーも行っていたが、それでもお客を確保できなくなってきたのだろう。昔なら、農協とか呉服組合とか郵便局とか、大勢を動員できる組織が元気だったけれど、これまで御園座を支えていた団体が力を失ってきたのだ。歌舞伎のA席などはめちゃくちゃに高い。高すぎる。これではお客を失うだろう。芸能といえば、昔は最下位の職業だった。それが日本の伝統などとちょっといい気になりすぎたのではないだろうか。

 

 名演は生まれて57年になる。先日の鑑賞会でも、私くらいの年齢の人ばかりだ。20代30代で会員となった人たちがそのまま今日に至っているのだろう。同好の士がお金を出し合って、支えていくシステムは大事だと思うけれど、それがいつまでも続くということはないのだ。どういう形になっていくのか私には分からないが、限界に来ていることは確かだ。それは11月例会の『妻と社長と九ちゃん』が物語っている。舞台では古いものを否定しないという主張だったけれど、これからをどうしていくのかということだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名演『妻と社長と九ちゃん』

2011年11月24日 21時53分21秒 | Weblog

 火曜日は名演の11月例会だった。昼の部だったからかも知れないが、観客のほとんどは高齢者である。出し物は劇団青年座の『妻と社長と九ちゃん』で、結論から言えば私には物足りなかった。一代で会社を大きくした社長とホステス上がりの妻、社長を慕う昔気質の社員の物語である。文具の販売で大きくなった会社の社長は、自宅のそばに運動場を持ち、毎年春には桜の、夏には盆踊り、秋には運動会、冬は餅つきを行ってきた。先妻を亡くして1年も経たないうちにホステスだった女性を妻に迎えた。それが次期社長となる息子には気に入らない。バブルが弾けて景気は悪く、会社の建て直しに迫られている。しかし、社長は自分のやり方を変えようとしないが、実権を握る息子に多くの幹部社員は同調している。

 

 どこの会社でも、特に一代で財を成してきたような会社では、次への交代が難しい。大王製紙のような大きな会社でも創業者一族の権限は強いようで、100億円ものお金が私的に使われても止めることができない。会社は私的な持ち物ではないはずだが、創業者にとってみれば自分が創った会社という意識はなくならないようだ。中小企業の会社なら、社長の車はほとんど私的にしか使われなくても社用であり、自宅も社用に登録している。公私の区別が付きにくいと言うより、公など存在しないのだ。会社名義にしておけば税金は全て会社持ちですむ。この芝居の会社の幹部たちも、バブル期は会社の金で大いに飲み食いしていた。それは日本の全ての会社がそうであったし、公務員もそれに準じていたと思う。

 

 秋の運動会での社長のスピーチに息子は待ったをかける。余りにも長すぎるだけでなく、来年もまた会社は花見や盆踊り、運動会など、地域の皆さんと一緒にあるというくだりがダメだと言うのだ。傾きかけた会社を立て直すためには、運動場と本社の土地を売却するしかないと考えているからだ。それが父親は許せない。しかし、幹部は息子の意見に賛成している。妻は言う。「あなたの時代は終わったのよ。仕方ないじゃない」と社長を慰める。できた女房ではないかと思うが、泣けてくる。

 

 ホステスだった妻は息子や社員の連中からも、「絶対に金目当てで結婚した」と言われ続けてきた。しかし、社長が亡くなると、喪主は息子でいいと言う。息子は「貸しを作って、遺産を取ろうという魂胆さ」と言い、周囲もみんなもそう思っている。けれども、妻は「婚姻届はしなかった。みんなが金目当ての結婚と思っているなら、そうじゃないと思い知らせたかったから届けはしなかった」と言う。社長に可愛がられ、社長にほれ込んできた昔気質の社員の九ちゃんは、普通の遺影と社長らしさのある遺影とどっちを飾るべきかと部下に問われて、社長らしさの方を選ぶ。ところが息子が普通の遺影を選ぶと「そうですよね。新しい会社が生まれるのですから、やはりこちらですよね」と息子に同調する。

 

 それは、部下をかばうための演技だった。しかし、通夜の席で余りにもみんなが社長を悪く言うので、とうとう堪忍袋の緒が切れる。「新しい時代がそんなにいいのか。どうして古くちゃーダメなのだ」とまくしたてる。「憲法第9条を変えちゃーならない。戦争をしないと宣言したことのどこが古い」とまで言い出す。結局、彼は辞表を出し、妻も社長宅から出て行くだろう。でも、それで本当にいいのだろうか。会社はこれからどうなっていくのだろう。いや、もっと言うなら、名演という組織のこれからを暗示しているように思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本シリーズと女子バレー

2011年11月22日 19時03分51秒 | Weblog

 巨人の原監督の甥っ子、東海大学の菅野智之さんは、プロ野球のドラフト会議で日本ハムから1位指名され、どう決断うるが注目されていたが、昨日、記者会見して入団を拒否することを明らかにした。江川選手といい元木選手といい、巨人へ志望が強い選手がこうして指名を拒否すると何のためのドラフトなのだろうということになる。でも、プロなのだから選択は自由だ。それで本人が不利になったとしても、せっかくのチャンスを棒に振ることになったとしても、他人がどうこう言えることではない。

 

 人生はそんなものだ。与えられたことをチャンスと受け止め、そこで頑張る人もいれば、いや自分の夢はもっと違うと別の道を探る人もいる。嫌だなと思いながら続けるうちに、かかわった仕事が天職のように思えて来る人もいれば、やりたかった仕事なのにやってみたら全く自分に合っていないと思う人もいる。不運が重なって、仕方なく勤めた仕事なのに、どんどん遣り甲斐が出てきた人もいる。転職に転職を重ねたけれど、未だに天職と思える仕事に出会えない人もいる。仕事などはそんなものだ。選択したものの中で、精一杯頑張るしかない。

 

 プロ野球の日本シリーズを見ていて、野球のあらゆる“力”でソフトバンクは中日を上回っていたのに、本拠地で2連敗した。やはり野球は筋書きのないドラマ、ひょっとすると中日の優勝もあるのかも知れないと思わせた。ところが中日の本拠地でソフトバンクは3連勝し、野球の“力”の差を発揮し出した。有終の美を飾れなかった落合監督には悪いけれど、中日は良くやった方だと思う。打てなかったけれど投手力では互角に近かった。スポーツなのだから勝ち負けがあるのは仕方ない。

 

 日本シリーズと同時期に女子バレーボールのワールドカップが行われ、テレビ視聴率は日本シリーズよりも上と聞いた。アメリカとの戦いをテレビで見たが、確かに日本シリーズよりも迫力があり、ドキドキしたし、涙も流した。これだけ息詰まる戦いが続くと、頑張れと思わず声を上げたくなる。ワールドカップの緒戦で大敗した日本チームだったのに、ブラジルに勝ち、中国や韓国にも勝ち、同じチームとは思えないほどの成長である。何よりもアメリカにストレート勝ちした時は驚いた。奇跡のように思ったけれど、これがスポーツの醍醐味なのだろう。

 

 スポーツ報道でおかしいなと思ったのはスケートのNHK杯だった。浅田真央さんがトリプルアクセルを飛ばずに2位になり、復活だと各テレビ局が大きく取り上げていた。それはまるで、浅田さんが優勝したような扱い方だったが、優勝したのは鈴木明子選手である。彼女だって多くの苦難を乗り越えて、やっとの思いで1位の座を射止めたのに、この報道では彼女が可愛そうに思えた。誰もがひたすら頂上に向かって努力する、だから観客はその姿に感動し、あるいは一喜一憂するのだろう。浅田選手は有能かもしれないし、みんなの期待が大きく集中しているのも確かだけれど、1位の選手はそれなりに評価して欲しかった。

 

 ところで明日は勤労感謝の日、私はマンションの友だちやその子どもたち25人ほどで、バス旅行である。飛騨牛やマツタケが食べられるというので、女性や子どもが多くなったそうだ。あいにく天気が悪いようで嫌だな。そんなわけで、明日のブログは休みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKテレビドラマ『蝶々夫人』

2011年11月21日 20時51分14秒 | Weblog

 土曜日の夜、NHKテレビで宮崎あおいさん主演の『蝶々夫人』を観た。蝶々さんがアメリカ海軍の士官と結婚するが、士官は本国へ帰ってしまうという物語はなんとなく知っていた。プッチーニのオペラで大筋を知っているというだけで、しかもオペラも観たわけではなく、テレビで部分的に垣間見たように思う。だからこそちゃんと観ておきたかった。

 

 全く余談だけれど、NHKはお金が余っているのではないかと思った。このドラマは長崎放送局の製作だという。そういえば、以前に岐阜放送局や名古屋放送局の製作ドラマというものがあった。地方色を出したいということなのだろうけれど、そんなに各放送局毎に製作する必要があるとは思えないし、放送局の数が多すぎる。我が家がNHKに支払っている受信料は年間2万6千180円だが、全国から集まる受信料はどのくらいあるのだろう。

 

 舞台は明治始めの長崎で、蝶々さんは隣の佐賀県から遊郭の跡取りとして養女に来た。重要なのは彼女が武士の娘であるということだろう。家には父親はいなくて、祖母と母の3人暮らしだ。その祖母と母も彼女が幼い時に死んでしまう。死んだ祖母は蝶々に武家の娘が自害する作法を教えている。そして彼女が肌身離さず持っているのは、懐剣と鍋島藩(佐賀県)の藩士が書いた武士道の鑑といわれた『葉隠』、そして豊前中津藩(大分県)出身の福沢諭吉が書いた『学問ノススメ』である。さらに幼友達に隠れキリシタンがいる。これだけ材料が揃えば、蝶々さんのこれからの人生が見えてくる。『学問ノススメ』は「天ハ人ノ上ニ人ヲツクラズ。人ノ下ニ人ヲツクラズ」ではじまり、新しい時代を明示しているが、ドラマは『葉隠』を下敷きにしている。

 

 オペラ『蝶々夫人』は、アメリカ人が書いた小説をもとに戯曲化された芝居を観たプッチーニが作り上げたものだ。原作にどう書かれているか知らないけれど、物語の結末に自害を持ってくることで、恋の成就させているのだろう。「ロミオとジュリエット」のように、恋は悲劇の方がより大きな感動を呼ぶものだ。先週はまだ物語の序盤で、蝶々さんとピンカートンは出会っていない。今週末がクライマックスとなるのだがどんな展開になるのか楽しみだ。

 

 それにしても、これも全く余談だけれど、『葉隠』は武士道の鑑と言われ、先の戦争でも多くの若者に読まれたというけれど本当だろうか。私が『葉隠』で知っているのは、「武士道とは死ぬことなり」とか、赤穂浪士はなぜ討ち入りを果たした後ですぐに自害しなかったのかという不満が書かれていることくらいだ。武士は兵士なのだから、戦争がなくなった太平の世では存在する意味がない。戦いで手柄を立てて出世するという目的もなくなった。現状を維持するために、上に忠義を尽くすことのみが求められた。それを『葉隠』は武士道と称えたのだろう。太平の世だったからこそ生まれた考え方だった。

 

 明治初期には「長崎結婚」といって、男たちが日本にいる間だけ外国人と結婚する日本女性がいた。これは本当かどうか分からないけれど、蝶々さんのように夫が裏切ったと自害した女性はいなかったという人もいる。しかし、それでは物語にならないので、東洋の武士なるものの哀れと潔さを表したかったのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「土日に来る?」

2011年11月20日 22時45分08秒 | Weblog

 2歳4ヶ月になる孫娘を連れて近くの公園へ出掛けた。幼い女の子と男の子がやって来た。孫娘が遊んでいた、ジャングルジムに滑り台などが組み合わされたコンビネーション遊具で、いろいろな技を見せてくれた。小3と小1の兄妹で、妹の方が運動神経に長けていた。ふたりともとても人懐っこくて、「ねえ、これできる?」と私に問いかけて、その離れ業を披露してくれる。「危ないからもういいよ」とい言うのだが、「大丈夫。慣れているから」と幾度も挑戦する。お兄ちゃんとお姉ちゃんの出現ですっかり気をよくした孫娘は、後に続いてやろうとするができない。すると兄妹は孫娘ができる範囲のことしかしなくなった。

 

 「ねえ、私たち凄く仲良しだね」と妹の方が言う。この公園で始めて会った子どもたちなのにずいぶん以前からの知り合いのような口調だ。女の子は小1にしては大きい方だ。公園に来てすぐに兄妹で鉄棒を始めたのだが、兄は逆上がりができないのに妹はできた。すると、「高い方では1回か2回しかできないけど、やって見る」と私に向かって言うので、「きっとできるよ、頑張って」と答えて見守った。すると1度で逆上がりができてしまった。「凄いね」と褒めると、「今度はおじさんの番、やって見せて」と言う。60歳を過ぎても逆上がりはできたけれど、このところ身体は確実に老化している。「できないよ」と断ると、「荷物は私が持っててあげる」と無理やり鉄棒へ行かされた。

 

 鉄棒は好きだったけれど、果たしてできるのだろうか。そう思いながら挑戦してみたけれど、やっぱりお尻が上がらない。腕の力は残っていても身体を押し上げる腹筋力が足りない。「ごめん。やっぱりダメだ」と謝る。でも、そんなことなどどうでもいいことなので、「片手でぶら下がることもできるよ」と言って見せてくれる。面白かったのは、初め話しかけてきた時は「おじさん」だったのに、次第に「おじいさん」に変わっていった。小学生から見れば、2歳の子どもを連れている人は当然「おじいさん」なのだろう。お昼時間になって、「そろそろ帰らなくてもいいの」と聞くと、兄は「まだいいよ」と言う。その兄は孫娘のブランコを「押してあげる」と言って押してくれていた。すると妹の方が「ブランコを止めなければ帰らないから止めないで」と兄に向かって言う。

 

 ちょっとおませな妹とおっとりした兄。「ねえ、明日も来る?」と聞くので、「保育園があるから無理かもね」と答えると、「ぼくたちは月水金はいいいよ。土日なら絶対にいるね」と言う。「ありがとう。火木は何しているの?」と聞くと、「お母さんが遅いので、学童保育にいくの。土日に来る?」とまた聞かれた。「もし来れたらお願いね」と答える。「じゃあ、またね」「また会おうね」といつまでも見送ってくれた。兄妹に気に入られて、孫娘はご機嫌だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする