友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あなたがバラが好きならきっとうまくいく

2022年10月31日 18時17分23秒 | Weblog

 

 秋のバラ園は落ち着いた雰囲気だった。今日が平日で、しかも月曜日なので休園と思っていた人も多かろう。バラ園のレストランで昼食をとり、園を散策していると園内放送で、午後1時からバラの説明と案内のツアーを行うので、西門前に集合してとアナウンスがあった。

 これまで何回か来ているが、バラについて話を聞く機会は無かったので急いで西門前へと戻る。既に男の人がひとり待っていた。私たちふたりが加わったので、ボランティアガイドさんは、「それでは参りましょう」と言う。私たちとそんなに変わらない歳の女性だ。もう10年以上続けていると話す。

 西門を入って目にする夥しいバラは、イングリッシュローズという。手入れが簡単で,花ガラを切り取らなくても花がよく咲くので、こうしたバラ園にはよく見られると言う。それからバラがどのようにして人々の手で改良され、今日のような美しく甘い香りのバラとなったかを説明してくれた。

 バラ園に来ても、オールドローズとハイブリッドローズの違いなど全く知らなかった。中東の乾燥地帯で咲いていたバラは西と東に広がり、中国では春しか咲かなかったバラを秋も咲く花に改良した。花の形や大きさだけでなく、香りを楽しむために交配させ、新しい品種がどんどん生まれていると話す。

 確かにバラは世界中で愛されている。愛を告白する花束は圧倒的にバラが多いだろう。ガイドさんの言葉でなるほどと思ったのは、バラの育て方の話だった。それは、「こうしなくてはいけないと思わないこと、あなたがバラが好きならきっとうまくいく」と勇気を与えられた。

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自然には美しいものも、醜いものも、憎いものも、等しく存在する

2022年10月30日 18時04分37秒 | Weblog

   

 久しぶりに2時間半もルーフバルコニーにいた。掃除をしたり、水遣りをしたり、枯れた枝を切ったりとやることはいっぱいあった。夏は暑くて、水遣りが精いっぱいで、花たちを観察する余裕が無かった。 

 こんな狭い小さな場所でも、花木は精一杯生きている。ペチュニアの根元に白いカビのようなものが幾本かあった。カビは花木を枯らすことにもなるし、枯れそうな花木に発生するような気がする。

 植木鉢を移動させると、その植木鉢の底に白いカビのような集まりがある。水で流そうとしてもへばりついている。異常発生はそれだけでは無かった。バラの枝に白いカイガラムシがビッシリとくっついている。

 こまめに歯ブラシで擦り落としてきたのに追いつかない。隣りのツバキを見ると、葉も枝もなぜか黒くなっている。よく見ると、枝に黒いというか赤いというか、変な虫がこれまたビッシリとついている(写真)。

 木の上の方に蓑虫のようなサナギ(?)が風に揺られている。どんな成虫になるのかと思い、枝を切って部屋に飾った(写真)。念のためにと調べてみると、ドクガチャというものらしい。刺されると危険とある。

 異常気象の影響なのか分からないが、こんな狭い小さな場所でも、いろんなことが起きるようだ。まあ、生きていられるならヨシとしよう。バラはもう何十年と咲き続けてくれたが、2本が限界に近づいているような気がする。

 花が小さく勢いがない。カイガラムシに栄養分を吸い取られている。花たちの敵、憎いカイガラムシはいったいどこから来たのだろう。自然には美しいものも、醜いものも、憎いものも、等しく存在する。

 明日は可児のローズガーデンへ行ってこようかな。

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神頼みはしないけど、人頼みはする

2022年10月29日 18時16分22秒 | Weblog

 毎週土曜日に、絶望的な報告になってしまい、身も心も滅入っている。守山区での井戸掘りは今日も進展しなかった。依頼主のご主人が鉄管を5メートル打ち込んだ。それなら、もう50センチも打ち込んだなら水脈に達するだろう。

 そんな気持ちの余裕があった。50センチはいかなかったが、30センチほどは入った。それで鉄管を抜いてみたが、鉄管の中に砂や砂利は無く、水がしみ込んだ気配も無かった。いったいどういうことなのか、鉄管をもう一度打ち込んでみた。

 やはり5メートルくらいまでは入っていく。今度は鉄管をそのままにして、その外側に65ミリの塩ビ管を入れて水圧で掘ることにした。しかし、塩ビ管は3.5メートルくらいで止まってしまう。先週と同様、にっちもさっちもいかない。

 明日の日曜日は、依頼主は家族で出かけると言う。メンバーも揃わないので井戸掘りは休むことになった。いったいどうすれば掘り進めることができるのだろう。これまで手を尽くしたはずなのに、どうして掘ることができないのかと悩む。

 統一教会であろうと、エホバの証人であろうと、「信じるなら井戸掘りを成功させよう」と言ってくれるなら、「はい、信じます」と言ってしまいそうだ。ウクライナ侵攻で苦戦しているプーチン大統領も藁をもつかむ心境だろう。

 ロシアでは兵役を拒否して国外へ逃れる人がいると聞く。アメリカのひとり勝ちかと思ったら、アメリカも徴兵制から志願制にしたら、入隊する青年が減ってしまった。もう、国の為に命を捧げようなどとは誰も思わなくなってきたのだろう。

 それは健全な意識だと私は思う。おーい、若者たちよ、井戸掘りは人の為になるし、井戸は災害時に役に立つ。哀れなジイジに知恵と力を貸してくれ。無力なジイジは、神頼みはしないけれど、人頼みはする。

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秋の散策にふさわしい日よりだった

2022年10月28日 18時20分28秒 | Weblog

 

 マンションに越してきた書家の展示会に行ってきた。19日に出かけた時は定休日だったので、今回は駐車場の場所も確かめて出かけた。若い印象だったので、彼女が同じ歳とは思わなかった。

 彼女の「書」もかなり大胆で若々しい。「書」や「音楽」は、既にあるものを表現するのだから個性的でなければ訴える力に欠ける。日展の書家の活字のような「書」でも、見てるとそれぞれに何かが違う。

 白紙に墨の文字、筆勢やできあがる空間、それだけで感動を呼ぶ「書」は凄い力を持っている。私が好きな鴨長明の『方丈記』の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と書いた作品があったが、残念ながらまたしてもケイタイを持って来なくて撮影できなかった。

 展示会場は旧岩倉街道に面しているので、昔ながらの細い道に懐かしい雰囲気がある。散策したくなった。南に下ると広い駐車場がある。「善光寺参拝者駐車場」と看板がある。それを見ながら進むと、大きな寺院の屋根が見える。

 山門には阿形と吽形の対の金色の仁王像が置かれていた。その参道に、インドネシアのバラモンのような像と韓国済州島のマウイのような像が対で設置されている。仏寺の参道にどういういきさつで置かれたのか不思議だ。

 もう少し散策したかったが、時間が無くて切り上げてしまった。近くにあっても、岩倉街道がこんなに古い家が残っているとは知らなかった。秋の散策にふさわしい日よりだったが、高級車が1台、やっと通れる道幅を猛烈な勢いで走って来たのには驚いた。

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頭金はプレゼントだと恰好をつけた

2022年10月27日 16時22分20秒 | Weblog

 三浦綾子著の『塩狩峠』は自己犠牲の物語である。北海道の塩狩峠に差し掛かった列車の連結部分が外れ、暴走し始める。婚約の為に札幌に向かっていた青年は、今、自分が線路に落ちれば暴走列車を止めることができると判断する。青年の命と引き換えに列車は停車し、乗客は全員救われた。

 凄まじい自己犠牲の物語だ。三浦綾子さんはキリスト教徒だから、十字架の上で殺されたキリストの死は、人々を救うためだったという意味を込めてこの物語を書いたのだろう。命を捧げた訳では無いが、ある意味ではそれ以上の犠牲を払った女性がいる。

 彼女の愛する男は敵対する集団に襲われ、瀕死の重体となった。生きていて欲しい。安否が知りたいし、どこの病院に入院しているのかと焦った。男と親しかった男に、藁をも掴む思いで電話をした。すると男は卑劣にも、「1晩付き合うなら教える」と答える。彼女は悩んだ、悩んだ末に受け入れた。

 好きでもない男に抱かれ、吐き気がする情交だった。それもこれも、愛する男の安否が知りたかった為なのに、病院には行けなかった。男には妻子がある。黙ってお見舞いの花を託すしかなかった。受け取った男はすぐに彼女だと気付いた。回復した男は、誕生日の度に彼女の職場に花束を贈った。

 女に尽くした先輩もいる。キャバレーで知り合った女に惚れた先輩は、女に頼まれて店を持たせるために頭金を支払った。女は彼が店に来ると喜びもてなしたが、店が繁盛してくるといつしか軽い扱いになった。それでも男女の仲でもあったので、愚痴も言わなかった。しかし、別れはやって来た。「頭金はプレゼントだと恰好をつけた」と話す。

 今晩はカミさんたちの「誕生日ゴルフ」の反省会に、ゴルフをしない私も呼ばれている。深酒にならないように注意しよう。

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素直でいい、羨ましい限りだ

2022年10月26日 17時43分07秒 | Weblog

 本棚の奥で横積みになっていた雑誌があった。週刊朝日別冊の1995秋季号で、『小説TRIPPER』だった。「性と愛の小説特集」とあるが、長い間読まれることなく積読されていた。書店で購入したというより、どこかの古本屋で手に入れたものだろう。

 雑誌の表紙を飾るのは、本に囲まれた仕事場のようなところに座る林真理子さんだった。雑誌にはインタビューを受ける林さんの記事が載っている。表紙の写真もインタビューの写真も随分若く見えると思ったら、1954年生まれだったから41歳である。

 インタビューの中で彼女はこんなことを話していた。「結婚が作家としてマイナスだったと思うのは、建前として浮気をしてはいけないという足枷があるので、性的な仕入れができなくなったこと(笑)」。

 「建前は建前として、もちろん恋愛願望はあります。人妻であろうと、恋愛したくない女性なんていないんじゃないですか。機会あればと夫にも宣言しているのですが」。「夫には誰と会って、どういう話をしたとか、何でも喋っているのですが、何人か喋れない男性をキープしておきたいと思うようになりました。ちょっと好意を寄せている男―そんな男性から電話がかかってくるとうれしくて」。

 素直な人なのだと感心する。男性でも女性でも、いくつになっても恋するのは自然な感情である。日大の理事長となった今では、世間の目はいっそう厳しいだろうが、バレることなく密かに恋を楽しんでもらいたい。

 「最後の恋」をするぞと言っていた先輩は、井戸掘りで知り合った若い主婦とラインで結ばれていて、「こんなの送ってくるんだ」と自慢気に画面を見せつけてくる。先輩も素直でいい、羨ましい限りだ。小説家志望だった中学からの友だちも、素直に小説を書いたらいいのにと思う。

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どうすることが良いのか、誰も分からない

2022年10月25日 17時25分47秒 | Weblog

 偶然だと思うけど、昨日に続いて今朝も、古い知り合いから電話があった。「仕事でこちらに来たので、どうしているかなと思って」と言う。聞けばすぐ近くにいるようなので、その辺では知られた喫茶店で待ち合わせることにした。

 また、アホなことにその店は定休日だったが、彼は店の駐車場で待っていてくれた。一緒に近くの喫茶店に行く。何年ぶりだろう、20年以上になると思う。彼も私と同様に、頭髪の薄い年寄りになっていた。

 彼は、私が無党派・市民派の地方議員の勉強会を立ち上げていた頃の知り合いだ。無党派は既成政党に属さないことを意味し、市民派は市民の目線での活動を意味していた。当時としては革新的な地方議員を現していた。

 今はふたりとも議員では無いが、よもやま話から近頃の世相の話まで途絶えることが無かった。「安倍の国葬に、高齢者ほど反対なのに、若い人は賛成とは驚く」と言う。「我々の若い頃は、体制に反対することが若者の誇りだったのに」とふたりで笑った。

 「このまま進むと、海外派兵を推し進めるんじゃーないか」と彼は言う。「若い人は自分のことしか考えないから、戦場へ行くとは思えないが、自分以外なら行かせるかも知れない。とんでもない時代になってきた」と私も話す。

 若い人が保守化しているのは、そこそこに生きていられるからだろう。道路工事や家屋の解体など、埃にまみれるような現場にいるのは外国人労働者や年寄りだ。自分に災難が降りかかってこなければ、社会の不平等には目が向かない。

 企業も大は中を使い、中は小を使うことで利益を上げている。一番下は休みなく働くことで食いつないでいる。目先のことに追われ、どうすることが良いのか、誰も分からない。

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自ら考え調査し行動する議員が欲しい

2022年10月24日 17時32分02秒 | Weblog

 古い知り合いから電話がかかってきた。彼の家の前には農業用水がある。周りは宅地化が進み、彼の隣の駐車場にも建物が計画されているという。その用水路に蓋をすれば、自動車の行き来も楽になる。市に蓋をするように提言するには「どうしたらよいか」と言う。

 彼が市役所に電話したら、「地元の区長か、議員から上げてくれ」と言われたそうだ。未だにそんな方法を取っているのかと驚くが、職員としてはその方がやりやすいのだろう。私が議員になった20年前と変わらない。

 私が議会で発言したことが気に入らなかったのか、古参議員から「オレなら職員に、これやっとけで終わりだ」と言われたことがあった。私は個別の問題ではなく、町の将来をどう描くかで発言したつもりだったが、「新米のクセに」と思われたようだ。

 「市の職員が言うように、区長には相談しておいた方がいいですよ」と答えた。「どうしている。ヒマはあるのか?」と言うので、「毎日、ヒマしていますよ」と笑うと、「コロナはどうだ?」と言うので、「カミさんがかかりました」と答えた。

 「それじゃー、まだ会えんな。また電話する」と言う。用水路の蓋のことよりも、お茶でもしようということだったのかも知れない。「ウルサ型」の住民ではあるが、間違ったことや個人的な利益でものを言う人ではない。

 子どもが遊べる公園が欲しいとか、公園が出来ると木陰や時計台が必要とか提案し、自らも草取りするなど、市のために口も出すが骨も折る貴重な人だ。市長が若い人に替ったので、行政のやり方にも変化が生まれるかも知れない。

 市町のような小さな単位の方が、住民の意思が活かされるだろうが、そのためには住民の意思交流が欠かせない。議員が地元のボスの時代は終わった。住民の要求を聞き、何がどうあると素敵な市になるのか、自ら考え調査し区長行動する議員が欲しい。

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私は私の道をゆく

2022年10月23日 17時27分14秒 | Weblog

 誘われてキリスト教の集会に参加した。教会堂ではなく普通の貸し会議室の一角だった。牧師とか神父はいなくて、参加者が交代(?)で進行役を務めているようだった。スクリーンがあり、オンラインで結ばれたWebの参加者もいる。

 私の知っている教会とは随分違っていた。一人ひとりが挨拶し、聖書の箇所を指示して読み上げ、讃美歌を合唱するのだが、私が知っている讃美歌とは違っていた。本のタイトルも違っていたように思う。

 形式としては「みんな平等」の理念に基づいているようだ。聖書を熟読していないと話せないし、聖書に書かれている意味が理解できていなければならない。それにしても、聖書は皆同じだと思っていたが、使われている聖書も私が昔読んだものとは違う気がした。

 今日の集会の中で一番印象に残った個所は、『コリント人への手紙第11章27節』だった。キリストがパンとワインを与える「聖餐式」を記した箇所である。「(パン)これはあなた方のための、私の身体である」、そして杯を持ち「この杯は私の血による新しい契約である」。ここまではよくわかる。次に、「ふさわしくないままでパンを食べたり、杯を飲んだりする者は、主の身体と血に対して罪を犯すことになる」とあった。

 この後、パンとぶどうジュースが振舞われたが、私は遠慮させてもらった。私は「ふさわしくない」からだ。最後に私まで指名されて、一言と催促された。何を言うべきか迷ったが、「私が知っている聖書や讃美歌とはちょっと違っていて戸惑っている」と正直に話した。

 中学生の時、創価学会の青年部の集会に誘われて参加したことがある。車座になった青年が一人ひとり、どうして入信したかを語ったが、私には違和感しかなかった。今日の人々はみんないい人ばかりだったけれど、私は同じように信仰の道に進めないと思った。

 信仰は一人ひとりの心の形である。神の存在は認める、最後の審判も近いだろう。けれど、私は私の道をゆく。私は神に生きるよりも、世俗の「愛と性」に関心があるからだ。

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世俗に染まっていないと信じている人々

2022年10月22日 18時03分10秒 | Weblog

 にっちもさっちもいかない状態が続いている。守山区での井戸掘りは全く進展しない。鉄管を5.5メートル打ち込んだのに、水を上げることは出来ない。いったいどうしてなのかとみんながそれぞれに考える。

 今日はメンバーがひとり入れ替わったから、考え方もひとり分増えた勘定で、ああでもない、こうでもないと手を尽くしたが、結局水を汲み上げることは出来なかった。お隣のご主人が見に来て、「水は出たかねえ」と聞く。

 「この辺りの古い家には井戸があったが、5メートルくらいだったな。ボーリング調査の会社に頼んだら一日で掘ってしまうだろう」とも言われるが、「機材が入らないので、いろいろやっているんです」と説明するのがやっとだ。

 知恵と力を貸してほしい。私たちは2年間も通い続けて、そろそろ限界を感じているが、依頼主が諦めない限りは何とか手を尽くしたいと思っている。明日は娘さんのピアノの発表会があると言うので、井戸掘りはお休みになった。

 気が滅入る。気分転換を図る必要があるが、何をしたら良いのだろう。ロシアのプーチンも八方塞がりで、かなり滅入っているようだ。ヤケにならないようにして欲しいが、自分のことしか考え無いだろうから、どうすべきだろうかと考える。

 「おいおい、お前ごときが考えて何が出来る」と声がする。プーチンのことなど考えずに、井戸掘りのことだけを考えろと言われそうだ。キリスト教の一派の人から教会に参加しないかと誘われている。

 それで気分転換になるのなら、行ってみようかと思う。中学の時以来、「愛と性」に取り付かれてきた世俗な私は、世俗に染まっていないと信じている人々に接するのも悪くないかも知れない。

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