友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日からは夏祭り

2011年07月29日 20時46分20秒 | Weblog
 昨夜、友だちからメールが来た。「ちょっといい喫茶店を見つけたので、行ってみませんか。彼なら泣いて喜ぶ喫茶店ですので、お誘いください」とある。名指しされた彼に早朝、電話してみた。「ぜひ、行ってみましょう」と言うので、午前10時にその喫茶店に行く。途中で最近私たちが井戸掘りをした場所に寄った。カルガモを放して稲を育てていると聞いたので、どんな具合かと気になったのだ。近づくとあちらこちらからカルガモがやってくる。20羽放したと聞いていたが14羽しかいない。観察記録というタテ看板があってそれを見ると、「1羽死んだ」とか「1羽元気がない」とか書いてある。

 さて、そのお目当ての喫茶店に行くとほぼ満員状態だった。やはり尾張人は喫茶店好きなのだろう。お客のほとんどは女性で、男性はわずかしかいない。「泣いて喜ぶ」というのはどういうことなのだろうかと彼に聞くと、「焼酎が出るとか、可愛い女の子がいっぱいいるとか」と冗談を言う。そのくせ、「朝飯は抜いて来た」と言うから、モーニングサービスが凄いと分っていたようだ。本当にその答えどおりで、380円のコーヒーを頼むと5種類のモーニングサービスから選べると言う。私は朝飯は食べて来たので、手作りケーキを注文したが、他の二人はそれぞれサラダ付きのサンドイッチとトーストを頼んだ。

 お客はほとんど女性だったけれど、男女ペアも2組いて共に高齢だった。1組は男性が新聞を女性が週刊誌を読み、もう1組は二人とも週刊誌を呼んでいた。この2組とも店内では会話をしていなかった。席を立つ時も男性が立ち上がると女性も遅れて立ち上がり、伝票を持ってレジに向かった。もう1組の方も男性が「いくぞ」と言っただけで、女性は何も言わなかった。この店には恋人らしきカップルはいなかったけれど、恋している男女なら絶えず何かを話しているのに、夫婦となるとほとんどが口を利かないのはどうしてなのだろう。香港へ旅行した時も、会話がないから夫婦だとすぐに判ってしまう中に、何となく初々しい雰囲気の男女がいた。熟年世代だが、点呼の時に姓が違っていた。

 そんなことを友だちと話していたら、「夫婦で喫茶店に行くことはまずないね」と2人の先輩が言う。「何も話すことがない」のがその理由だ。話すことがないままにいたら、突然に離婚した夫婦のケースもある。定年退職してこれから残りの人生を楽しもうという矢先のことだ。男性の方がアパートを借りるだけの手切れ金を渡され、慣れ親しんだ家から追い出された。すると先輩は「その時はその時だ。また新しい女を見つければいい」と言う。もう72歳で、金もない男について来てくれる女がいるのだろうか。しかし、先輩は自信ありそうだった。

 そんな気軽な先輩諸氏と明日から2日間、市の夏祭りで屋台を開く。もう5年目になると思うけれど、まだまだ元気だ。いや逆に、夏祭りに参加することで元気をもらっているのかも知れない。そんなわけで、明日と明後日はブログを休みます。
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人は人によって傷つく

2011年07月28日 22時12分38秒 | Weblog
 人は人に癒されると言う。音楽を聴いたり、映画を観たり、感激する風景もあると反論する人もいる。確かにそれはあると思うけれど、人によって癒される方がはるかに大きいだろう。だから逆に、人によって傷つく。音楽や映画や風景で傷つくことはまずないのに、ちょっとした態度や言葉でひどく落ち込んでしまう。もちろん鈍感な人もいるし、まるで刃物のように傷つきやすい人もいる。人間なのだから仕方のないことかも知れない。

 定年退職して夫婦で海外旅行を楽しんでいる人から、「フランスへ旅行して、ビックリするようなことがあった」と体験談を聞いた。日本から添乗員付きのツアーで出かけたのだが、帰りの飛行機においていかれたと言うのである。フランスの航空機会社がストライキ中ということもあって、出発が何時になるのかわからない状態だった。飛行場で何時間も待つことになり、添乗員は「マル時にここに集まってください。それまでは飛行場内で自由にしていていいです」と告げた。その夫婦は食事もしていなかったから、まず食事をしてそれから買い物などして約束の時間の10分前に集合場所へ戻った。

 ところが誰もいない。しばらく待つともう1組の夫婦がやってきたが、まだ集合時間よりも前だ。おかしい。しかしフランス語は話せないし、英語も単語を並べるくらいしか出来ない。さて困ったと思って周りを探すと、たまたまフランス人と結婚した日本の女性に出会った。事情を話して連絡を取ってもらう。4人を除いたツアーの11名はすでに飛行機に乗り込んでいると言う。ところがもう締め切った後だから4人は次の便に乗る以外に帰ることはできないと言う。それでは日本から来た添乗員はどこにいるのかと聞くと、すでにツアー客と一緒に機内にいると言う。

 残された4人は次の便の空席の取り方もわからない。困っていると別の会社のツアーの添乗員に出会った。また事情を説明し、航空機会社が切符を手配してくれたので、それで帰国することが出来たけれど、彼らの添乗員からは全く連絡がなかった。フランスを知り尽くしているベテラン添乗員だと自己紹介したけれど、日本を出発する時も一人ひとりの確認もなかった。だから始めて海外旅行ツアーに参加した人は、メンバーが誰でどうしたら良いのかわからないままだったそうだ。フランスを知り尽くしていると自負する割には、パリの地下鉄では乗る方向が逆だったり、セーヌ川を渡った時もツアー客が2組に分かれてしまったのに、全くその手当もしない。だから起こって当然の事態だったと言う。

 「お詫びの言葉が全くない。無事に帰って来られたからいいけれど、海外旅行が初めての人であればパニックだったはずだ」と彼は憤る。せっかく素晴らしい風景に出会い、美術館や町並みを散歩し、日常を忘れて気持ちよくなっていたのに、憤懣ばかりが残る旅だったようだ。ツアー客を飛行機に乗せたなら、なぜ添乗員は集合場所に戻らなかったのだろう。1つひとつの言葉や行動に癒されることもあるけれど、本人の意識とは違うところでは嫌味にもなる。素直になることでかえって誤解を産むような時もある。困ったものだ。
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恋はそんな風に出来なかった

2011年07月27日 19時17分59秒 | Weblog
 中学時代からの友だち3人で久しぶりに会って飲んだ時、ブログの話になった。私ともうひとりは毎日ブログを更新しているので、残るひとりに「お前もやらないか」と誘ってみた。「そんなものはお前らの自己満足にすぎん」と答えが帰って来た。10代のころから変わらない奴だ。クラス会をやるぞと言えば、「なんでそんな昔話などしなくてはならんのだ。何時までも過去にこだわる奴は馬鹿だ」などと、ひどいことを平気で言う。ズバズバと言い切るクセは治らないものだと感心する。

 もうひとりが「そう言い切ることも逆に言えば自己満足だろう」と言い当てるが、「それがどうした?」と開き直る。人間は皆「自己満足」を求めて生きているけれど、何でも「それは自己満足だ」と言い切ってしまっては、次の会話が成り立たない。「ブログで何をしているんだ?」と聞いてくれれば、「日記を公開しているのさ」と続き、「よくそんな恥ずかしいことをしているな」と批判され、「いや、確かに不特定多数の人が見ることが出来るけれど、俺たちにとっては昔流行った交換日記のようなものだ」「まあ、俺には一方的な手紙ってところだな」と話を続けていくことができる。

 彼自身も極めて身勝手に自己満足的に生きて来たはずだ。高校生の時、人の都合も聞かずによく呼び出されて話を聞くことがあった。1年下の女の子が好きになり、どうしたらいいと相談しておきながら、彼女の家に一緒に行ってくれというものだった。周りの友人たちにはとても気を遣う優しい性格なのに、口ではイヤミを言ってしまうキツイところがあった。こうと決めてしまうと周りの言うことを聞かない頑固なところは今も少しも変わらない。どちらか言えば、会社人間でなくなったせいかますますその傾向は強くなっている。それでも「お前らは馬鹿か」と非難しておきながら、会話に参加し続けてくれたのは優しさ故なのだろう。

 どんなに口ではひどいことを言っているようでも本質的に優しい人と、言葉遣いは礼儀正しく丁寧でも全く本音が出てこない人がいる。会社人間のような社会的な存在である時はそれはやむを得ないことかも知れない。自分をさらけ出すのが下手なもの仕方ないかも知れないし、むしろ全てを見せない方がうまい付き合い方なのかも知れない。中学からの友だちや定年退職してからの友だちはそうした鎧がなくても付き合えることが嬉しいし、性格が分っているだけに何を言っても許されるし許すべきだろう。

 男と女で「友だち以上恋人未満」を維持できるほど私は純情でないけれど、男同士であるならば壊れてもいいと思うくらい激しくぶつかり合うことを厭わない。それで壊れてしまうようであれば初めから友情などはなかったのだ。壊れることを恐れて、恋はそんな風に出来なかったが‥。
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使命に生きた人の最期

2011年07月26日 22時51分55秒 | Weblog
 50歳近くなったバツイチの男に縁談話を持って行ったけれど、彼はガンとして受け入れない。自分勝手に生きて来た彼は「結婚してもまた不幸に巻き込むだけだ」と言う。やってみなければわからないのに、こう断言することが私には理解できないけれど、彼の心の中には整理し切れない何かがあるのだろう。しかし、よくあることだけれど、そう思い込んでいるのは当人だけで、彼が重大な問題だと思っていることは意外に塵のように小さなことなのかも知れない。それは結果であって、今はとてもそんな風には考えられないのだろう。

 「私たち誰もが知っている<忠臣蔵>は、まだ物語の途中だった」のキャッチコピーのDVDを観た。『最後の忠臣蔵』である。日本人の誇りを描いた作品と言われている。役所広司は大石家の用人で、内藏助から隠し子を育てよと命令され、討ち入り前に姿を消す。佐藤浩市は侍とはいえ足軽で、討ち入りの後に内藏助から「生きて後世に真実を伝えよ」と命令される。名誉の死を許されなかったこのふたりの「使命」のぶつかり合いが映画の軸だ。名誉の死などと言うけれど、当時は徳川幕府に逆らった逆臣だったわけだからそんな英雄視されてはいないだろう。

 内藏助の子を身分を隠して16年間育てて来た役所、内藏助の命令を守り通した佐藤、このふたりが巡り合ってしまうところから急展開していく。佐藤は役所に討ち入りした者よりも討ち入りに参加しなかった者の方がはるかに辛い日々を送っていると話す。しかし、役所はとにかく内藏助の子を母の願いどおり商家に嫁がせることに全力を尽くす。そして嫁入りとなった日、どこからともなく赤穂の侍たちが次々にやってきて、「大石殿にはお世話になった。ぜひ、嫁入り行列に参加させて欲しい」と加わる。その日、役目を終えた役所は切腹してしまう。

 役所の一途に使命を守る姿には感動する。私が役所の立場であったならばやはりそうするだろうとさえ思う。生きる目的は子を守り育てることだから、目的がなくなった以上、生きていても仕方がないと考えるだろう。それにしても目的を果たして死んだ役所を、佐藤はなぜ朝まで一緒にいて手厚く葬ってやらなかったのか、それが最後の友情だろう。佐藤が死を選ばなかったように、いや多くの赤穂の侍たちが新しい生活を始めたように、役所も「ずっと好きでした」と言って床まで用意してくれた女と暮らしてもよかったはずだ。

 日本人の誇り?それはいったい何なのだろう。使命を忠実に守りきることだろうか。状況が今日とは全く違う封建時代だから、役所が隠し子を育てること、佐藤が討ち入りの話を伝えること、それは使命なのだから尽くすのは当然だろう。嫁入りを聞いて駆けつけてくる赤穂の侍たちは、討ち入りを美化するための演出なのだろうが、全く馬鹿げている。弱い人間のいいとこ取りではないかと腹が立つ。いや、この映画はこんな風に都合よく生きている人と、役所のようにかたくなにしか生きられない人とを対比しているのだろうか。
 
 誇り高く生きる道を進むのか、日々の暮らしの幸せを噛みしめて進むのか。理想に燃えて身を焦がしてしまうのか、少しの安らぎを幸せと思うのか、人は自分で決めていくことかも知れない。
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バラバラだけどどこかで理解し合っている

2011年07月25日 18時35分10秒 | Weblog
 雷が鳴り、時々どっと雨が降ったり、今日は荒れ模様だが、涼しくて気持ちがいい。気がかりなのは植木鉢にしがみついているアゲハチョウのサナギだ。サナギの姿を見つけて、5日目だがどうやって羽化する時を決めているのだろう。雨に打たれながらじっとしているが、生きているのだろうか。水はけの悪い植木鉢が2つあったので、雨が止んだ時に鉢をずらして水を抜いた。すると鉢の下にたくさんのミミズがいた。鉢をどかされて右往左往としている。これはいかんと箒でちりとりに掬い上げて鉢に移す。今日は気温が低いからいいけれど、晴天が続けばルーフバルコニーは灼熱の地獄になってしまう。

 人間は神から与えられた楽園を追われることをしてしまったけれど、鉢の中から出てきてしまったミミズはどんな罪を背負っているのだろうか。私が鉢の土の入れ替えの時に入れたミミズは、およそ5センチから8センチくらいのものが多かったけれど、鉢の下にいたミミズの中には1センチか2センチの小さなものが何匹かいたから、卵から孵化したものかも知れない。成長したミミズはどのくらいの大きさになるのか知らないが、先日、鉢の中で動いていたミミズは人の親指ほどで、まるで小さなヘビかと思った。

 自然界の動きも不可解なことがあるけれど、一番分っているはずの人間界の動きはもっと不可解な気がする。「なでしこジャパン」がワールドカップで優勝したのは素晴らしかったけれど、昨日の女子サッカーのリーグ戦では、これまで5百人程度の入場者だったのが1万8千人もあったそうだ。それはそれでいいと思う。野球が好きな人もいれば、サッカーの好きな人や相撲が好きな人がいるし、スポーツに全く関心のない人もいる。それもそれでいいと思う。それぞれは好みが違うが、だからと言って秩序を乱しているわけではない。

 夏休みに入るとPTAの腕章をつけたお母さんたちが「悪書を追放しよう」とパトロールすることがある。ご苦労様だけれど、悪書って何なのかと思う。お母さんが悪書と思えば自分の子どもに「これはダメよ」と言えばいい。「どうして?」と子どもに聞かれたなら、その理由も教えたらいい。それは各家庭の価値観であって、一律に押し付けるようなものではないような気がする。それに、なぜダメだというものが巷に溢れているのか。みんなで規制してしまえば「怖くない」とする考え方は好きになれない。

 「被災地や原発のことを考えたら、お酒を飲んでいる場合ではない」。「無駄な電気は使わない」。こんな発言をよく聞く。カミさんはせっせと家中の電灯を消して歩く。暗い部屋よりも明るい部屋が好きな私は以前はムッとしたけれど、今では「節電は国民の義務」とさえなっているから黙っている。でもさあ、生活スタイルについてまで他人からとやかく指図されるっていうのはヘンじゃーないの。子どもの出生率が低いから、「もっと子どもを産まないとますます高齢化社会になる」と言うのもおかしなことだ。「人のセックスに口を出すな」となぜ誰も言わないのだろう。

 みんなが同じ考え、同じ感覚っていう社会は怖い気がする。バラバラだけど、どこかで理解し合っている。それが人間の社会だと思う。
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10万人の凡人が生きられる社会を

2011年07月24日 19時33分32秒 | Weblog
 森と湖が美しい「平和な国」ノルウェーの首都オスロで爆発テロが、その郊外の島のキャンプ場で乱射殺人テロが起こった。島に警察官姿でやってきた犯人は「お前たちを守るために来た」と呼びかけ、メーンホールに若者たちを集めてマシンガンを乱射したという。新聞によれば、「撃つ時は何も気にかけていないようだった。全員が2回は撃たれるように、確かめているようだった」とある。極めて冷静に行動しているようだが、「乱射しながら『これが勝利だ』と叫んだ」と報じている新聞もあったから、人を殺すことに何のためらいもないことだけは確かなようだ。

 犯行の動機や組織的なテロなのか、まだハッキリしないようだけれど、警察は犯人を「右翼思想の持ち主。キリスト教原理主義者のノルウェー人」と説明している。また犯人は犯行の5日前に自らのブログに、思想家J・S・ミルの箴言を引用し「信念あるひとりの人間は、利益しか考えない10万人の凡人に値する」と主張しているそうだ。ああ、同じだなと思う。日本だけじゃなくて世界中で政治は行き詰っている。菅内閣の不甲斐無さを見せ付けられていると、「こんな連中は一掃した方がいい」と言う人もいるし、「皆殺しにしてしまえ」と言い出す人さえいる。

 政治に対する不信感が拍車をかけている。民主主義は時間がかかるし、時間をかけて実行していくものだと頭では分っても心からそれを認められない。強力なリーダーの出現を期待してしまう風潮は少しずつ大きな流れになっている。ヨーロッパでは低賃金の労働者を必要としている。しかし、そのために職を奪われる人もいる。だから移民排斥が各地で起こっている。これを後押しするようにヨーロッパ各国で右翼政党が支持を伸ばしてきている。移民を排斥しては経済活動が成り立たなくなるので、企業家はグローバル経済を支持している。貧困と富裕の格差は広がり、政治不信も広がっていく。

 人類はいつも食糧とエネルギーを求めてきた。民族大移動だって行ったし、新天地を求めて大量の人々が移動した。今、企業は生き残るために低賃金を求めて工場を移すという。労働者は就職先を求めて地方から都市へ、貧しい国から豊かな国へと移動する。これでは移民を排斥したとしてもそれは一時的なものに過ぎないだろう。すでに身近な家族の中にも海外で働く人がいる現代である。10万人の凡人が、分かり合える社会こそが進むべき道だ。確かに信念があることは大事なことだと思うけれど、それはオープンな社会の中でぶつかり合い、一致されていって始めて意味があると思う。

 10万人の人を殺して、ひとりの人が生きた方が価値があるというのであれば、これまで人間の流して来た残酷な歴史と同じだ。むしろ、流された血を新しい私たちの世界の礎とするならば、無駄のように思われても長い時間の論議を大切にする風潮を構築すべきだろう。地球上に一番多いのは凡人であろう。凡人が住みやすい社会こそが目指すべき社会となると私は思っている。
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義父の話はよく聞いた

2011年07月23日 21時04分00秒 | Weblog
 父の残したノートが5冊ある。日記の他は小説のような物語風のもの、子ども向けの童話それに詩である。小説のようなものは物語になっていないような気がしたし、詩も特別に感心するようなものではなかった。そんなことを友だちに話すと、彼女は「本にしてあげたらいい」と言う。それは私が全く考えてもいなかったことなので、覚醒された気持ちになった。本というと、近頃流行の「あなたの本を出版してみませんか」という類のことしか頭になかったけれど、私自身がパソコンで打って、50部ほど製本してもらえばいい。いつか、落ち着いたらその作業にとりかかろうかと思う。

 父は小説家になりたくて医者を目指したと姉から聞いたことがある。母はそんな父に魅力を感じて生活を支えたようだ。けれども、医大の試験は受からず、子どもが生まれ、学校の先生の道を歩いた。普通の生活とそうではない生活では生き方が違ってくる。普通に生活しながら、小説を書いた人もいるし、絵描きを続けた人もいる。家庭を持ち、子どもを持ち、それでいながら偉大な芸術作品を残した人はたくさんいる。そういう生活が出来なかったけれど、家庭生活は全く破滅的であったけれど、優れた芸術家となった人もいる。芸術家だけでなく、革命家とか政治家もそんな2つのタイプに分かれると思う。

 父は小学校の先生になっても夢を追った。けれども日常生活の中に幸せを見出すと小説を書く夢は次第に遠のいていったようだ。両方を器用にやり遂げるだけの情熱も力量もなかったのだ。それでも時々思い出したように、大学ノートに詩を書いたり、小説風の物語や童話を書いたりしている。父の日記を読むと若い女教師に恋していることもわかる。絶えずふつふつと湧き出してくる「書く」行為をなくしてしまうほど日常生活に埋没できず、だからと言って、妻や子どもや社会的な地位を捨て去るほどの強さはない。日記には「あなたに会いたい」と何度も出てくるけれど、どうなったのかは書いていない。

 父はきっと中途半端に終わった自分の人生を悔やんでいるだろう。父が死んだのは54歳で私が高校3年の時だったので、男同士のような話は一度もしたことがないけれど、生きていても自分の生涯について話してくれたとは思えない。私の印象では黙って聞く側にいる人だった。息子を持つ父親は、自分のことを息子に話して聴かせるのだろうか。一緒にお酒でも飲めればもうそれで充分な気がするし、あからさまに自分を語れば息子は困るものかも知れない。阿吽の呼吸で、オヤジのことを理解してくれるかも知れないが、嫌がる息子が多いのかな。

 父が亡くなった歳よりも私は13年も長く生きてしまった。父を乗り越えることが自分の目標だと思ってきたけれど、結局それは出来なかった。人生は意外に中途半端なものなのかも知れないと父に話すことは出来そうだ。義父は幼い頃からそれまでに至るまでをよく話してくれた。息子はいるけれど、息子には話しにくいものかも知れない。娘婿である私は義父のことをもっと知りたいと思ったから、話すだけ熱心に聴いた。私の父には何も出来なかったけれど、義父の話はよく聞くことができた。それだけでも私は幸せだと思っている。
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それが平凡な証拠

2011年07月22日 22時30分06秒 | Weblog
 友人に誘われて、演劇『ゴッホのためのレクイエム』を観て来た。パンフレットには「なぜ、ゴッホはひまわりを描いたのか‥、なぜゴッホは農民を描いたのか‥」とあった。ゴッホを扱った演劇では滝沢修さんの『炎の人』が有名だが、残念ながら私は観ていない。ゴッホというとやはりヒマワリの絵から炎の人のイメージが大きい。何しろ自分の耳を切り落としたり、ピストル自殺を図ったりと、かなり激しい人だったと思われる。日本人はゴッホが好きで、ゴッホ展はいつも超満員となるし、画集などの販売も印象派かゴッホから始まるようだ。

 ゴッホは印象派の画家なのかと聞かれたことがあるが、時代的には印象派の後期の世代に当たる。詳しく調べたことはないけれど、ゴッホは印象派の画家たちと親しく交わったことがないのではないだろうか。ゴッホは1853年生まれで、ゴーギャンよりも5つ年下である。この頃のヨーロッパを眺めると大きな変動の時代でもある。産業革命はまた社会主義運動にも拍車をかけていた。カール・マルクスが生まれたのは1818年で、亡くなったのはゴッホの死の7年前だ。そんな時代の牧師の子のゴッホ、貧しい炭鉱の町で伝道できなかった事情もわかる気がする。

 ゴッホはきっと優しすぎた。芸術家という意識がこの頃あったとは思えないけれど、少なくとも古典的な絵画が否定され、絵を描く者が自由に題材を選び、その表現方法も自由に行う、そういう絵を描いていいという風潮は生まれていたのだろう。ゴッホもそしてゴーギャンもただ絵が好きで絵描きの道を歩き出した。それでは食べていけなかったけれど、たまたま彼らを応援してくれる人がいて、自由気ままに絵を描いていた。ゴーギャンはゴッホが絵を描き始める前から、株の仲買人の仕事を放り出して絵を描き、1974年の第1回印象派展に出品している。

 ゴッホのような絵描き仲間ではゴーギャンは有名人だったのかも知れない。私の個人的な好みから言えば、ゴッホよりもゴーギャンの絵の方がはるかに洗練されていて魅力がある。ゴッホが好かれるのは彼の人としての純粋さだろう。洗濯女のクリスチーヌと同棲した時も、彼女のことが本当に哀れで救いたかったのだろう。そういう一途な純粋さは普通の人間にはかえって迷惑になる。アルルでの芸術村づくりも同じことで、ゴッホの理想主義が自らの破滅へと導くことになった。

 ゴッホが自分の耳を切り落としたのはゴーギャンとの共同生活を維持するためとか、無論そのためにゴーギャンはアルルを去っていくのだが、ゴッホは自分の行為が相手にどのような結果をもたらすかは考えない。素晴らしいことを行っていけば素晴らしい結果になるとしか考えない。おそらくゴッホは自分が考えていること以外には何も考えられない人だったのだろう。今日の演劇では、「耳を持ってきたらタダで寝てあげる」と言ったゴッホが好んだ子どもの娼婦、逆に子どもの娼婦の方がゴッホが好きだったのかわからないけれど、その子のところに切り取った耳が届けられた。そうだったのか、これはどう解釈すればいいのだろうかと思った。

 凄まじいゴッホの生き方は岡本太郎氏に似ているし、普通の生活が出来ないからこそこの世に残せるものを創り出せたとも言える。平凡でよかったと思えるし、平凡でなかったらなあとも思える。そう思うことが平凡な証拠なのだろう。
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地球最後の日

2011年07月21日 20時48分45秒 | Weblog
 台風一過の青空とはならず、どんよりと曇っている。今朝、草木の鉢を見て回った時、ミカンの木の鉢に留まっているサナギを見つけた。長さは3センチくらいだ。いつもサナギを見落としてしまうけれど、やっと会えた気がした。それから近くに、アリが群がっているアゲハチョウが1匹いた。まだピクピクと動いていたが片方の羽が伸びきれずに縮んでいる。うまく羽化し切れずに落ちたのかも知れない。可哀想にと思ってもう一度ミカンの木を眺めてみると、5ミリに満たない幼虫が3匹いる。サナギが無事に羽化するように、そして3匹の幼虫が無事にサナギになるようにと祈った。

 幼虫は葉の色と同じ緑となって身を隠すけれど、それでも鳥に見つけられて食べられてしまう。ミカンの木にカマキリがいたが、幼虫を食べることはないのだろうか。生物の世界は厳しいなと思う。保護色で身を包んでいても発見されてしまうし、サナギから羽化する場所が悪ければ、羽を伸ばしきれずに歪んでしまう。人は歯がなくなれば似たものを入れ、骨が折れてもそれに代わる材料でつなぐし、目が見えなくなればメガネやコンタクトを用いる。内臓器に支障があっても移植で取り替えることも出来る。皮膚の細胞からクローン人間も創り出せるらしい。医学の進歩は何でもありになってきた。

 今朝、友だちの家に行くと、「国会中継をラジオで聞いていた」と言う。その時は何も思わなかったけれど、家に帰ってひとりでいると音がないのは寂しいのでテレビを点けた。国会中継をやっていたが、なんだか情けなく思ってしばらく聞いて切ってしまった。自民党の議員が菅首相に原発を推進するのか中止するのかと質問していた。あやふやな首相の答弁に、議員はしっかりした言質を取ろうと、ベトナムやトルコへ原発を輸出するするのかと質した。菅首相は「充分に審議していく」と答弁する。「それは中止することか」と詰めるが答えはよくわからない。「不完全なものを輸出すべきではない」と自民党議員は食い下がる。いったいどっちが原発推進派でどっちが脱原発派なのかわからないような議論になっていく。

 原発地域ではないところで、放射能に汚染された牛肉が売られたことが問題になっている。放射能に汚染された稲わらをエサとして食べた肉牛が九州や愛知県でも売られていたという。宇宙から飛んでくる隕石が地球にぶつかり、地球最後の日がやってくるというSFものがあったけれど、意外にそうではないような気がする。人間が作り出したものが、2乗3乗と膨れ上がり、気がついた時にはもう手遅れだったというような事態になるのではないだろうか。たとえば原発の放射能汚染にしても、まだいいまだいいと思っているのに、食べ物は空気は海は放射能に汚染され、一気に噴出すような事態。旧約聖書の神様の怒りは自然災害ばかりだけれど、人間は自ら絶滅の種を蒔いているのではないだろうか。
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映画『アンダルシア』とテレビドラマ『下流の宴』を観て

2011年07月20日 21時43分49秒 | Weblog
 台風は遠のいて行ったようだ。夕方には青い空が広がり、太陽が照り付けてきた。また、暑い日が戻ってくる。台風の進路がまだどうなるのかという午前中、「何もやることがないのなら映画でも」ということになり、『アンダルシア―女神の復讐』を観て来た。フランス・スペインを舞台にしたスケールの大きな映画だったのに、どういうわけか時々眠ってしまった。推理ものであるし、活劇もあって、いったい犯人は誰なのか、黒幕は?と思いながら観ればよかったのかも知れないが、予備知識もなかった私には何も面白いところがなかった。

 中心人物となる黒木メイサの目的もわからないし、外務省職員の織田裕二の任務や国際警察の伊藤英明の役回りもよくわからなかった。ただ、スペインの景色は素晴らしかった。アンダルシアは行ったことがないけれど、丘の上に街が築かれている風景はよくスペインで見かけた。原作は小説なのだろうか、いや漫画ではないのかと思うような映画だった。漫画『ゴルゴ13』や映画『007』を彷彿とさせるけれど、何か物足りなさがあった。むしろ私には昨夜観たテレビドラマ『下流の宴』の方が興味深かった。

 『下流の宴』は昨夜が最終回だったが、思わぬ展開だった。しかしこれしかないと思われる結論であった。黒木瞳が演じる母親こそは日本の母の象徴かも知れない。プー太郎の息子をまともな人間にするために一生懸命で努力する。確かにそれは息子のため、息子の将来のためである。けれども母親としてのエゴが働いている。これを非難することも出来ないと思う。何しろ社会的な地位や高い収入がなければ幸せになれないと思っている人に、「そうばかりではないよ」といくら言っても無駄だろう。

 このドラマにはそうした人生の目的というか価値をどう捉えるかというテーマがあった。プー太郎には何も期待できないと悟った彼女は、長女が生んだ赤ん坊を育てながらまた上昇志向の夢をこの赤子に見ている。子どもに期待せずに自分自身が、「上流の人」になればいいのにと思ったけれど、彼女自身は一流企業の部長夫人の地位を得ている。幸せかどうかではなく、どこにいるかが彼女には大事なのだ。何億円というお金を動かすエリートサラリーマンの妻の座を射止めた長女が「シンデレラが靴を置いていったのは偶然ではないの。欲しいものを手に入れるためにはそういう努力が必要なの」と言う。

 『下流の宴』にはそういうセリフが随所に出て来て面白い。「負けることを勉強するのが人生だ」とか、「自分は頑張れても、人を頑張らせることは難しい」とか、「本気で人を愛したから変わることが出来た」とか、林真理子さんはいい小説を書くねぇと感心した。プー太郎の息子は「頑張る人とは一緒にいられない」と何もしない人生を選ぶ。私はそうした彼の生き方に共鳴するけれど、それで果たして彼は自立した生活が出来るのだろうかとちょっと不安になるが、結局は自分が納得できる人生を歩むことなのだろう。けれど、自分が納得できる人生などあるのだろうか。
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