友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日展と白士会展を観る

2020年01月31日 18時40分24秒 | Weblog

 とうとう1月も今日で終わる。カミさんが「何の予定も無いから、日展と白士会『碧展』を見に行こう」と言う。初めの予定では白士会を見てから日展へだったが、たまたま来た電車が地下鉄鶴舞線だったので、「日展からでいいでしょう」と言い出され、優柔不断な私は「ああ」と言ってしまった。

 日展は相変わらず混んでいた。10階では『コートールド美術館展』が開催されているから尚更である。10階のレストランで「ランチをしてから」という目論見は全く当てが外れた。仕方ないから、オアシスまで降りて、昼食をとる。それから再び8階に上がり、日展を観て回った。

 時間にゆとりのあるジジババだから出来る。そう、食事処も展覧会場も年寄りばかりだ。新型コロナウイルスのせいなのか、ほとんどがマスクをしている。日展の日本画部門には知り合いもいるし、以前は甥っ子が彫刻部門で作品を出していたから、よく観に行っていた。甥っ子はどうして出品を止めてしまったのだろう。

 今日も会場内では、出品している作家たちが作品の解説をしていた。彫刻部門では甥っ子よりも若い男性がヒマそうに作品の前で立っていた。日本画も洋画もそんなに変化はない気がしたが、彫刻部門は作品数が増えていたように思う。

 県美術館を出て、栄生のノリタケの森ギャラリーでの白士会『碧展』へ行った。名古屋駅から歩くが風が強くて吹き飛ばされそうだった。白士会はもともと日展の日本画から分かれたので、絵の傾向は似ている。カミさんが勤めていた時の後輩も出品していた(下)。最後にショップの中のカフェでコーヒーを飲んだが、ここはほとんどが女性客だった。

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「理解し合えないのが人間だ」

2020年01月30日 17時17分58秒 | Weblog

 NHKテレビの朝ドラ『スカーレット』を見ていて、主人公の喜美子と八郎の会話が成り立たなくなっていたので、「この夫婦は離婚した方がいい」と思っていたら、とうとう八郎が家を出て行ってしまった。八郎が会社を辞めて、陶芸家として自立して、喜美子も一緒に陶芸に打ち込むようになった時、なんとなく胸騒ぎがした。

 私の教え子に、同じ生業同士で結婚した子がいる。結婚当初は互いに切磋琢磨しているように見えたが、しばらくすると男が荒れるようになった。女の方がセンスがよかったのだ。このふたりは離婚することはなかったが、同じ仕事をしていると優劣がハッキリして、片方がいたたまれなくなるのだ。

 「夫婦で同じ趣味を持たない方がいい」と言う人もいる。喜美子と八郎のように、夫婦ノートを書き綴ってきた仲良しでも、考え方や価値観、気遣うところも違ってくる。八郎は若い女の弟子とは何でも話せたから、喜美子との違いがますます大きくなっていった。

 「夫婦は難しいね」と先輩に言うと、「歳を重ねるともっと難しくなる。だいたい、相手が理解してくれる、受け入れてくれると思うことが間違っている。人間は決して相手のことなど分からない。理解できないと思えば、ケンカにはならない。求め過ぎるから不満が貯まる。夫婦でも親子でも全く同じだ」と説教されてしまった。

 なるほど、人は理解し合えないものなのか。そう思えば腹も立たないし、不満も生まれない。ちょっと寂しい気がするが、だからこそ気遣いというか、思いやりが大切なのだろう。やっぱり長く生きている人は人生から学ぶものが違う。

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満開に近い白梅を見た

2020年01月29日 16時26分57秒 | Weblog

 天気もよくなったので、80代の先輩の家に行って来た。昨日、「渡したいものがある」と 電話があった。歴史好きの先輩はテレビ放映された番組を丹念に録画していて、いつもDVDにコピーして渡してくれる。我が家に何枚あるのか、一度確認しなくてはと思うほど多い。

 銀行員だったのに政治が好き(?)で、現役の頃からあちらこちらへ応援に出かけていたそうだ。名のある政治家と交流があり、選挙の時は頼まれて事務所に詰めていたこともあったと言う。話に出てくる政治家の名前くらいは私も知っているので、昔話をされても大体は理解できる。

 NHKの大河ドラマが明智光秀を取り上げていることもあり、「本能寺の変の真相に迫る」ものが各テレビ局で制作されている。歴史の大いなる謎なので、私も見ているが、「見たものがあれば捨ててくれればいい」と言い、歴史話になっていく。

 先輩が車に乗らなくなったので、喫茶店で会うのを止め、私が自宅に伺うことにした。清水寺の貫主の書やその出会いなど、話は尽きることが無い。1時間ほどお邪魔して帰宅したが、途中で満開に近い白梅を見た。どうみても今年の冬は異常だ。我が家のルーフバルコニーの鉢植えの椿の花も咲き始めた。

 外は寒風が吹き荒れ、明日からは寒さがぶり返すと予報されている。今晩は誕生日会のメンバーで居酒屋へ出かける。2月の上旬には友だち夫婦に誘われて、新潟の酒蔵巡りに参加するが、天候はどうなのかと心配している。

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小学校の部活動は必要なの?

2020年01月28日 17時26分06秒 | Weblog

 名古屋市は2020年度から、小学校での部活動を民間に委託するという。その方がいいと私も思うが、そもそも小学校で部活動は必要なのだろうか。私が小学生の時は、児童会と図書委員会はあったが、部活動は無かった。部活動は何時から始まったのだろう。

 中学校に入学したら、運動部も文化部もいくつかあった。部活動に熱心な先生はいたが、名前だけの先生も多かった。だから、部活動は自主的にやるものと思っていた。娘たちが小学生の時は既に部活動があり、大会も行われていた。

 市や郡の大会が組まれたので、部活動が必要以上に重要視され、先生たちは熱心にならざるを得なかった。近所の小学校ではサッカー部が人気なのか、かなり遅い時間まで運動場を駆け回っている。最近は聞こえてこないが、吹奏楽も毎日遅くまで練習していた。日曜日には少年スポーツクラブが、午前中はサッカー、午後は野球と分けて練習している。

 名古屋市はこうしたスポーツクラブやスポーツ教室を運営している会社などの民間に委託する方針のようだ。このため数億円の予算を組むという。これまでの部活動とは質が違うということだろうけれど、部活動に時間を取られてきた先生たちは無償だったことを思うと納得できない気がする。

 確かに専門的な知識もない先生が部活の指導に当たるよりもよいと思う。みんなが好きなことを好きな時に取り組める方がいい。学校があまりにも何もかも抱え込み過ぎている気がする。授業後はみんな自由に、好きなことをすればいい。

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誕生日祝いとバレンタインの贈り物

2020年01月27日 18時13分34秒 | Weblog

 昨日のブログで、大相撲千秋楽はどうなるのかと書いたが、まさかの展開だった。私は正代が勝った時点で、結びの一番では貴景勝が勝つから、徳勝龍と正代による優勝決定戦だろうと読んでいた。予想は大きく覆されたが、徳勝龍の優勝には感動させられた。

 貴景勝に勝った時、勝ち名乗りを受けながら徳勝龍は泣いていた。見ていた私も泣けてきた。インタビューの受け答えに、場内は笑ったり泣いたりだった。爽やかな気分にさせてもらった。今朝も『特ダネ』で、徳勝龍が結婚式の時に30分も号泣きしたと暴露され、スタジオも私も「そりゃ―そうだろう」と、思わず大笑いしてしまった。

 素直な性格の人の話は胸を打つ。イヤなニュースが多いなか、温かな気持ちにさせてくれる。カミさんが結婚した孫娘と1時間もラインで話していた。「ラインは無料だから」と言うけど、お金よりもよくそんなに話すことがあると感心する。

 カミさんは「あの子は話好きね」と言うが、娘たちと会話が続かないのを知っている孫娘だから、ババに気を遣っているのだろう。「あの子は優しい」と気付いて欲しい。長女の誕生日と次女のダンナの誕生日が近いことと、バレンタインのことも重なって、「ふたりにプレゼントを贈るから、付いてきて」とカミさんが言う。

 娘たちが好きだった洋菓子屋で詰め合わせを買い、家に帰ってカードに何やら書いて、「ヤマト運輸から送る」と言う。私が作った冊子『はがき絵』も一緒に入れてもらった。長女のところの小4の孫娘が、「読書感想の絵で賞状をもらった」と知らせてきた。どんな絵を描いたのか、楽しみだ。

 

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若い人の活躍に感動

2020年01月26日 16時39分29秒 | Weblog

 自分でもアホやと思うけれど、2時間半もテレビを見て、涙まで流してしまった。増田明美さんの事細かな解説のおかげか、松田瑞生さんに何としても優勝してもらいたいと思うようになっていた。沿道で瑞生さんのお母さんが必死で応援する様子に泣けた。

 トップでゴールした後、親子で抱き合い泣いていたが、テレビを見ている私も一緒に涙を流していた。一生懸命で頑張る姿は感動的だ。大相撲千秋楽の一番はどんなドラマになることだろうか。スウェーデンの17歳のグレタさんがテレビに映し出される度に、小4の孫娘と重なる。とても顔が似ている。

 若い人が頑張っている。いや、私たちも若い頃は頑張っていたはずなのに、すっかり忘れてしまったのか、若い人からは「老害」のように思われている。1960年や1970年、若者たちは正義を振りかざして権力と闘った。そして新しい時代を切り開いてきた。

 そんなことはないと思いたいが、いつの間にか、「今の若いものは」と批判するようになっている。若い時に追い求めた「社会」は実現できたのかと問えば、「NO」であるのに、居心地の良い地位に安住してしまっている。

 そういえば、私たちの若い頃も今の若い人と同じように、否定はしてもどうすべきかを考えてこなかったと思う。世代間の違いは当然あるが、若い人たちと共に考え、模索していくことで、時代を創り上げていくことはできないだろうかと思う。

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「結婚しなければいい」とヤジる国会議員

2020年01月25日 17時57分20秒 | Weblog

 野党議員が国会の演説で、結婚したら相手の姓にしなくてはならないからと悩んでいる人の話をしていた時、「それなら結婚しなければいい」と自民党議員からヤジが飛んだ。野党議員は選択的夫婦別姓が少子化対策になるというが、子つくりを国策にすることはいかがと私は思う。

 それにしても、ヤジの主はまたしても杉田水脈・衆議院議員のようだ。杉田議員はまだ52歳の若い女性議員だが、発言にはいつもビックリさせられる。「性的少数者は生産性がない」と切り捨てた有名人である。津久井やまゆり園で障害者を45人殺傷した犯人も、「障害者は生きている価値がない」と言っていた。

 杉田議員は「生産性のない者に税金をつかう必要はない」と主張する。幼稚園・保育所から大学までの無償化にも反対しているが、これは安倍政権の政策なのにと不思議に思う。どうも、保育所や学童保育は共産党が日本の弱体化させるための施設と考えているようだ。「働き方改革」や「女性が輝く社会」を目指す安倍政権の考えとは異なる気がする。

 杉田議員は「維新の会」で初当選したが、次の衆議院選挙では「次世代の党」から出馬して落選。そして次の衆議院選挙では自民党から出馬して当選した。安倍首相から「素晴らしい人」と評価され、評論家の櫻井よしこさんからも推された人である。

 だからなのか、「男女平等は悪」と言い切り、「自衛隊は国防軍とすべし」と主張、憲法改正に熱心な議員である。日本人の「あいまいさ」など全く持ち合わせていない女性議員だと私は思う。「国を変えたい」と言うところは、公選法違反の河井安里議員に共通している。

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「岸田劉生展」と「今日の書展」を観る

2020年01月24日 17時36分42秒 | Weblog

 小4の孫娘を今日も預かってもいいと思っていたが、孫娘の方から「今日はパパがいるからいい」と断られてしまった。「美術館巡りに連れて行ってあげる」と言ったのがいけなかったのかも知れない。それで、ジジババふたりのデートになってしまった。

 まず、名古屋市美術館での『岸田劉生展』へ。駐車場に入ろうとしたら満車だった。係の人が「向こうの駐車場も市のもので、空いているよ」と教えてくれたのに、せっかく先頭で待っているのだからと、「ここで待ちます」と答えてしまった。

 ところが一向に出てくる車がない。カミさんはイライラして、「教えてくれた駐車場へ行った方がいいのでは」と言い出すが、私は「いや、ここで待つ」と聞き入れない。カミさんはかなりイライラしていた。意外に気が短いことを知った。私は決めたことを変えるのが嫌なので、待つことに焦りはない。

 30分ほど待って、駐車場に入ることが出来た。美術館の喫茶店で昼食をゆっくりいただき、入館した。館内は人が多かった。ほとんど年寄りだが、市工芸の高校生が何人かいた。どうも授業の一環なのか、熱心にアンケート用紙のようなものに書き込んでいた。

 カミさんが「凄い写実ね」と言う。「写実だけなら、誰でも練習すれば描ける。作品になるか否かは別なの」と解説する。岸田劉生の名が売れて、自堕落な生活を送っていた頃の作品は全く凄みがない。「麗子像」で有名だが、私は展示された作品の中では「冬枯れの道路」が最秀作だと思う。

 市美術館を出て、次に県美術館での『今日の書展』を観た。文字の重みや美しさを自由に表した作品が並ぶ。「玄玄書作院」の重鎮、久保田関山さんの「去年・今年」、矢野きよ美さんの「終わりたくない」は、相変わらずの秀作だった。

 

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教えるのは難しい

2020年01月23日 17時54分08秒 | Weblog

 インフルエンザで学級閉鎖になった、小4の孫娘を迎えに行き預かっている。ジジババが傍にいる子はいいが、預けられる人がいない子はどうしているのだろう。こういう時の避難場所が自治体にはあるのだろうか。放課後子ども教室を機能させることは出来ないのだろうか。

 小4の孫娘の宿題の算数を見ていた元教師のカミさんが、「どうして出来ないの。悔しくないの」と叱っている。「出来ないんだから、もういいの」と孫娘は開き直っている。「どうしたの?」とカミさんに聞くと、「割り算が出来ないのよ」と言う。

 先日の放課後子ども教室を思い出した。やはり、算数の割り算をしていた子が、「もう分からん」と言って、答えを見ていた。やり直してみたが、どうしてもその答えにならない。「もうムダ」と放り出すので、「もう1回だけやってみたら」と促して、計算を見ていた。引き算が間違っているのだが、「うん、それで」とやらせていた。

 すると隣の子が「おじさんも分からんの?」と言う。「ああ、どこかで間違ったと思うんだけどね」と答えると、その子が計算して、「この引き算が違う」と指摘する。「もう分からん」と投げ出していた子はすっかり自信を無くしてしまった。

 「算数は何度も繰り返してやっていると、分かるようになるよ」と慰めるが、納得した様子はない。我が家の孫娘も「もう算数はやらない」と言い出していた。教えるのは本当に難しい。例えばスマホで答えを出せば、スマホの扱いさえ覚えればいい。

 計算だけなら計算器で出来るが、文章問題のように式を考えなくてはならない時は、自分の頭で問題を考えなくてはならない。それを教えるためには教える側が、忍耐とともに思いやりが必要だ。小4の孫娘は何時間もユーチューブを見続けている。

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冊子『はがき絵』は作ったが‥

2020年01月22日 17時05分28秒 | Weblog

 これまでの年賀ハガキや暑中見舞いを冊子にして100冊作った。私が残せるものはこの冊子しかないと勇んで作ってみたが、これをどうやって配ったらよいのかと思案している。見たいと思う人に差し上げればいいのだが、誰が「見たい」と言ってくれるのかが分からない。

 もし、「このブログを見て、欲しい方は連絡してください」とそう書いて、果たして何人が連絡してくれるのだろう。この『はがき絵』をもって、賀状を出すのことを終了するつもりなので、そのことも伝えておきたいのだが、どうしたらよいのだろう。

 友だちから「終活している」と聞いた時は、そろそろ自分も考えなくてはと思った。実際に整理しようと始めると、「死んだら、私の物は全て思い切って処分してくれればいい」と思い、そうなると特にやっておきたいことは無かった。

 残された家族がビックリしないように、もらったラブレターは焼却ゴミに出した。議員の時の収支報告書はもう無効だが、いつでも見せられるように残してある。誰からいくら寄付していただいたかも記録してある。けれど、私に関する一切のものは焼却して構わない。

 私が死んだ時の通知ハガキの文面は作っておく。送る人の名簿も整理しておくつもりだ。「葬儀はしなくていい。焼き場で骨は拾うな」と子どもたちには言ってある。当然、仏壇や墓も必要ない。これで終活は充分な気がするが、まだ忘れていることがあるのだろうか。

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