友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

秋のバラ園はちょっと淋しい

2024年10月31日 17時23分53秒 | Weblog

 今朝、寒いと思ったら部屋の気温は20度だった。カミさんはヤンキース球場の始球式で、元巨人軍の松井秀喜さんが投げるというので、テレビに釘付けである。今日はヤンキースが勝って、勝率を2対3として、最後までもつれて7回戦で決着になるよ。野球は興行なんだから、売り上げを伸ばすためにはそうせざるを得ないさ。

 そうは言っても、カミさんは気になって仕方ないみたいで、車の画面を触りながら、「テレビは見えなくても、音は聞こえるはず」と必死に操作している。「運転中は無理だって」と言うが、絶対に納得しない。そうこうしていると、今日の目的地である岐阜可児ローズガーデンに着いてしまった。

 秋のバラは花が小さいと覚悟して来たけれど、春のような豪華に咲くバラはなかった。バラに代わって小菊が植えられていて、それがまた見事だった。その北の庭園で、若い女性がひとり、自撮りをしていた。白のノースリーブから白い腕を出し、黒のスカートをヒラヒラさせて撮影していた。

 「私が、映しましょうか」と声をかけようとカミさんを見ると、「ダメ」と睨みつけられた。園内を見て回ったが、高齢の夫婦連れが圧倒的に多かった。レストランで食事をしていると、男ばかり4人と男女2組の8人のグループがやって来た。ご近所同士のようで、庭に植える野菜の話をしていたが、ひとりが「大谷はどうなった?」と訊いた。

 するとすぐひとりがスマホを操作し、「7対6でドジャーズが逆転勝ちした」と伝える。「今晩のベイスターズとソフトバンクもそうなるといいが、それでは球団は困るから最後までもつれるかな」などと話していた。こんなところへ来ても、プロ野球が気になるところはカミさんと同じだ。

 混み合っていないようだったので、久しぶりにタワーへ上った。エレベータに乗れば行けるが、外に出た途端に足がすくんだ。高所恐怖症がますます強まったようだ。我慢して最先端まで行ったが、墜落するのではないかと気が気でない。今日はハロウィン、でも、そんな格好の人はひとりもいなかった。

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孫娘や曾孫が生きていく社会は?

2024年10月30日 18時05分45秒 | Weblog

 まるで漫談のような仏教講演会だった。それもそのはず、講師の上田紀行先生の従弟は落語家の小朝さんだという。東京の乃木坂の大きな屋敷が祖父の家で、父親と弟は土地を売り飛ばし、極道三昧な日々を送った。そして彼が2歳の時、父親は行方をくらました。

 そういう家庭の事情を説明し、母親とふたり暮らしを余儀なくされたが、何かにつけて母親から、「こうなったのはおまえの父親のせいだ」と責められた。その重圧に耐えきれなくなっていた時、母親はアメリカで脚本を書くからと出ていってしまったと話す。

 青春期の屈折した思いに苦しんでいた時、友だちに誘われてインドへと向かった。そこで、ダライ・ラマを知り、覚醒したと言う。生きていることは、楽しいこともあれば苦しいこともある。人は支えがあれば、自由になれると理解するようになったと語る。

 ダライ・ラマは、松は松であり竹は竹である、松に竹になれと言ってもなれないし、竹も松にはなれない。松は松として、竹は竹として、生きていけばいい。これが自由であり、それぞれがそれぞれの場所で、生きることが縁起なのだと説いたそうだ。

 そこはよく理解できなかったが、世界の高校生を数値化した表は面白かった。アメリカも中国も韓国も、自分には価値があると答えているのに、日本だけが無いと答えている。学校の成績を重視する日本は、テストの結果が悪ければ、頭が悪いと言われてしまう。

 個人が持っている「力」は、全く評価されないのが日本である。高度経済成長を生きてきた日本の70代以上の大人は、個性を認めず、成績に評価を置いてきた。それが、今の高校生たちを歪にしてしまっているようだ。

 日本の親は、テストで良い点を取って来ても、「やれば出来るんだから、もっと頑張りなさい」とか、「国語が出来ても、数学が出来ないとダメよ」とか言ってしまう。講演を聞きながら、孫娘や曾孫がこれから生きていく社会のことを考えた。

 玄関ホールに、上田先生の著作がたくさん置かれていた。これは買わずには帰れないと3冊買った。読むことに抵抗は無い。さて、今日の講演の内容はどこに書いているのか、楽しみになった。

 写真は徳円寺コーラスの仏教讃歌

 

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書店でたくさん売れますように

2024年10月29日 17時55分34秒 | Weblog

 大谷選手のドジャーズがヤンキースに3連勝した。大谷選手もジャッジ選手も、ホームランは打たなかったが存在感はある。でも、アメリカの野球は余り面白くない。小技が見られないからか、大味過ぎてそう感じてしまうのだろうか。

 ベイスターズとソフトバンクの試合を観ていても、それに近い感じを抱いた。そうか、日頃試合を見ていないから、選手をよく知らないからだと思った。身近に感じないと、応援する気にもなれないのだ。

 ひょっとすると、選挙も同じかも知れない。会ったことがある、話を聞いたことがある、握手したことがあれば、グンと近い存在になる。そんなことで投票するのだから、機会が無ければ、誰に投票したらよいか決められない。

 自民党の選挙は圧倒的に、個人のつながりが基礎になっていた。地元の顔見知りから、支援者が広がっていく。候補がどんな考え、どんな政策なのかは後回しだ。それが今度の総選挙で崩れてしまった。

 若い人は、候補が何をやるのかを聞いている。給料を上げる、子育てを助けてくれる、そうした実利を優先して判断しているようだ。自民党が議席を減らし、国民民主党が増やしたのも、若い人たちの投票が大きく働いた。

 首班指名をどうするのかと、マスコミは盛んに取り上げている。カギを握る国民民主党の玉木党首は引っ張りだこだ。石破内閣に加わるよりも、課題ごとに、政府とも野党とも組む方が得策のように思うがどうだろう。

 立憲民主党はあわよくば野田内閣を成立させたいのかも知れないが、まずは課題ごとに連立を組んで解決する道を進んで欲しい。党の存続や利益よりも、国民が求めている課題に向かわないと、諦めばかり与えることになる。

 地域新聞を作っていた頃、読売新聞の記者と友だちになった。今朝、彼から電話があって、「年内に本を出す」と言う。記者を辞め、地方議員になって、議会のあり方について苦労してきたはずだから、そんなエピソードを交えた議会論になるだろう。

 またいつか、話が出来る日を楽しみだ。本は2千円程らしいが、いろんなところで取り上げられて、書店でたくさん売れますようにと願う。

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競馬の予想と同じで意味が無い

2024年10月28日 17時23分28秒 | Weblog

 総選挙の結果は、マスコミ各社の予想通りだった。あれだけ自民党の金権腐敗が取り上げられていたのに、大きくは低落していない。それにもっと投票率が高ければ、自民党への批判として、野党が伸びてもよかったが、そうでもないようだ。

 投票率の低下の原因を、「ズーと、自民党に投票して来た人が、今回は投票しなかったのかな」とカミさんは分析していた。自民党支持者が投票場へ足を運ばなかったためとはなかかな鋭い視点だ。

 私は、「どこの政党に入れたらよいのか分からない」ことが原因のように思う。どの政党も同じようなことを主張している。「国民の手取りを増やす」「生活を豊かにする」「消費税を下げて給付金をふやす」など、そう言われても、どんな社会になるのか描けない。

 選挙区で当選できなかった人が、比例区で議員になれるという仕組みも不思議だ。10万票も得たのに落選し、5万票しかなくても当選する、不公平感は確かにある。比例は届かなかった国民の声を反映させるためだが、これでいいのだろうか。

 政党名だけの投票なら、政党の順位で議員が決まる。けれどそうなると、議員の顔が見えないから、議員を身近に感じられないかも知れない。議員は地域の代表というより、国政の専門家という位置づけになるのだろうか。

 今回の選挙で驚いたのは、名古屋市長の河村さんが「日本保守党」から立候補して当選したことだ。私は議員の時、一緒に議論したことがあったが、ビジョンよりも目立つことが好きな人の印象が強かった。

 それにしても、自民党よりも保守色の強い政党が出てきて、それが有権者に受ける社会になった。社会全体が保守化しているのだろう。「結婚はめんどくさい」「子どもはいらない」、私にはなんと夢が無いとしか思えない。

 総選挙の予想を載せていた週刊誌を買っていれば、当落予想の正解が見えたのにと、今更どうしようも無いことを悔やむ。そしてすぐ、それは競馬の予想と同じで意味の無いことだと気付く。

 相変わらず朝から鼻水が止まらない。昨日はそんなこと無かったのに。「緊張感の欠如よ」とカミさんに指摘される。そうなのかと、また落ち込む。

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投票の結果は?

2024年10月27日 17時10分29秒 | Weblog

 投票に行って来た。午後から行ったけれど、結構人は来ていた。初めに選挙区の候補者から選んで投票するが、これは名前が載っているから迷うことは無い。私は約束通りに投票し、義理を果たす。

 次に、比例区の政党を選ぶ用紙と最高裁判官の国民審査の用紙を渡された。書く場所は別々だが、投票箱は1つしかない。どこへ入れるのだろうと迷っていると、市の職員の人がやって来て、「一緒に入れてください」と言う。

 投票箱から出して、分別し、数えるのも大変だなと同情する。いつも思うのは、最高裁判官の国民審査を普通の一般国民が出来るのだろうか。どの裁判官が正しいか正しくないかなど、判断は出来るとは思えない。むしろ、司法に携わる人や司法を学ぶ人で、投票してもらった方がいい気がする。

 国会議員の選挙も義務だから投票しているが、本当にこれでいいのかは疑問だ。投票率が低いのも、投票の意義が見いだせないからかも知れないし、100%の投票率であっても、それで民意を反映しているといえるのだろうか。

 有権者は投票してしまえばそれで終わり、当選者は民意を託されたと開き直る。選挙管理委員会は「あなたの一票が日本を変える」と謳うが、そんな実感を持ったことは無い。たとえ政権交代が起きようと、政治との距離はいつも遠い。

 じゃあー、何か良い知恵はあるかと、見渡しても何も見えない。ただ、最近、話題になっているAIが、人に代わる存在になるかも知れないとは思う。AIなら人よりも賢く判断し、人々もAIに逆らえ無くなるのだろう。

 「絶対に戦争はダメ」とAIに教え込んでおけば、争いごとも無くなるだろう。私たちはAIに支配されているが、「これで良かった」と受け入れ、「これが目指す究極の社会」と安堵するのかも知れない。

 さて投票は、どんな結果となるのだろう。

 

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いつか、そんな機会は来るだろう

2024年10月26日 18時40分17秒 | Weblog

 今日は朝から長女と中3の娘が来て、ガラ系のケイタイにあるデーターを、手作業でスマホに移してくれた。面倒な作業を、むしろ楽しむようにやってくれたので、感謝以外に言葉がない。

 中3の孫娘は作業しながらも、母親である長女から「宿題は出来ているの?」とか、注意されている。「あなたが助っ人で連れて来たのに」と、言いたかったが、長女は母親としての権威と心配から発しているのだからと、口を閉じた。

 子どもに「勉強しなさい」と言っても、誰も勉強しないだろう。勉強の意義と目的が、自分の中で納得出来なければ無理だ。私は娘たちが子どもの頃、「勉強しなさい」と怒ったことは無いと思うが、もう忘れてしまった。

 私自身は親から「勉強しなさい」と言われたことは無かった。好きなようにさせてくれていた。高校1年で母を、3年の時には父を見送ったので、私は親の重さを感じることが無くなってしまった。

 中3の孫娘が、「文化祭が終わったら、本気で勉強する。しないと高校へ行けないから」と真面目な顔で言う。勉強の目的はハッキリしているが、切羽詰まっていないから、親の言葉がうるさく感じてしまうのだろう。

 「出来たよ」と、長女がスマホを渡してくれた。水曜日にデート出来なかったから、ちょっと遅くなったが、県美術館で開催されている「二科展」を観に行くことにする。会場の入り口で、高校教員の時に友だちになった堀尾一郎さんに会った。

 「元気?」という挨拶から、いろいろ話が広がった。「重鎮がいなくなって、今やトップ」と彼が笑う。美術の教員は何人もいたが、活躍出来ているのは彼くらいしかいない。彼をガラス絵に導いてくれたのが、北川民次さんと知った。

 美術館に入ったのが遅かった上に、いろいろ観て回ったから、帰りに喫茶店でコーヒーとデザートの余裕は無くなってしまった。また、いつか、そんな機会は来るだろうと諦めた。

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仏教講演会で会いましょう

2024年10月25日 17時24分18秒 | Weblog

 雲太寺の浅見顕宏先生から、仏教講演会の案内を頂いた。私のケイタイは、スマホへの切り替えのため機能しないので、現物を写真に撮ることが出来ないから文章で紹介する。講演会の講題は、『これからの仏教~生きる意味を求めて~』。

 講師は上田紀行先生で、先生は1958年生まれとあるから、私よりも14歳も若い。東京大学を卒業し、岡山大学で医学博士号を取得し、専攻は文化人類学。昨年度まで東京工業大学に在籍され、リベラルアーツ研究教育院の初代院長。今年4月より東海学園大学特命副学長・卓越教授に就任とある。

 浅見先生は案内のチラシとは別に、上田先生を紹介する文章を添えられていた。私はその中の、次の文章に心惹かれた。「先生は若いころ、心の危機に直面して生き方が定まらなかったし、宗教には関心がなく、仏教も形だけのもので嫌いこそすれ興味もなかったと言います。と言いながら『がんばれ仏教!』(NHKブックス)という本を書きました」。

 私は子どもの頃、毎月お参りに来る坊さんのお経を祖母と一緒に仏壇の前で聞いた。寺で坊さんの説教を聞き、襖に描かれた地獄絵も観た。しかし、何も心に響くものが無かった。坊さんは「仕事」をこなしているとしか見えなかった。

 ラジオで聞いたキリストの話から、小学校の図書室にあった『アンクル・トムの小屋』を読み、キリスト教に関心を持った。中学からルーテル教会に通い、クラスの子を教会に誘った。アメリカ人の牧師は私に、「牧師になりなさい」と言った。

 ベトナム戦争が始まり、私は牧師に「なぜ、神は戦争を止めないのか」と問うた。牧師は黙ったままだった。私はキリスト教に見切りをつけた。けれど、「生きていることの意味」が時々頭を過る。仏教講演会にぜひ参加したいと思った。

 仏教講演会は10月30日(水)午後2時より4時まで、名古屋芸大アートスクエア大ホール。駐車場有り。会場でお会いしましょう。

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運動会はキンモクセイの季節

2024年10月24日 19時22分19秒 | Weblog

 運動会の季節、小学校へ登校する坂道の、最後の曲がり角辺りに来ると、甘い匂いが漂ってきた。小学校の隣りにあった図書館の隅にあった、キンモクセイの匂いだ。花は小さいけれど匂いはきつい、けれどとってもよい匂いだ。

 我が家の庭にも植えられていて、キンモクセイの匂いがしてくると秋になったと感じた。この花木が忘れられず、庭の無いマンション生活になったのに、ルーフバルコニーがあったので、私はここでキンモクセイを育てていた。

 花木と言えば、バラも好きで、植木鉢がどんどん増えてしまった。これも小学校の登校途中にあった、医院の庭のバラ園に魅せられたからだ。我が家は柿やミカン、ブドウやイチジクなどはあったが、草花を育てることはなかった。

 庭に花をいっぱい咲かせる、それが夢だった。高校生の時の将来の夢は、新聞記者、映画監督、そして庭園をデザインする庭園師だった。庭園デザインが学べるのは千葉大学だったが、数学が必須と知って諦めた。

 その頃、日本の庭の枯山水は、なぜか貧乏くさく思っていた。ベルサイユ宮殿の庭園のように、いつも変わらない美の様式に憧れていた。大人になって、実際に日本の庭を見るようになって、四季の移り変わりを表現することの素晴らしさを知った。

 西洋人は変わらない絶対的なものを求めるが、東洋人は変化を諸行無常と受け入れてきた。歳を重ねたせいなのか、絶対なんて無い、そんな気がして来た。現在は過去の積み重ねであり、過去はやり直すことは出来ないが、明日はまだ何も決まっていない。

 石原裕次郎が歌っていた『明日は明日の風が吹く』は、何かやけっぱちな気分が漂っていたからか、同年代が歌う時はやり切れない淋しさに満ちていた。意地と度胸が男の人生の決め手などと、本当に信じて努力したのだろう。

 キンモクセイが終われば、次に目にするのはツバキだった。小学校の裏庭にもツバキが植えられていて、寒い冬に咲く花なのに華やかだった。冬の花、ツバキを植木鉢で育てたこともあった。

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総選挙の投票日まであと3日

2024年10月23日 18時22分35秒 | Weblog

 私はガラ系のケイタイと、長女から与えられているスマホを持っている。友だちとの電話やメールはもっぱらケイタイで、スマホは家族内のLINEのやり取りだけに使っている。このブログの写真はケイタイで撮っていたが、キレイに写せない。

 そのことを長女と話していたら、「スマホは拡大も出来るし映りもいいから、スマホで撮ったらいい」と操作の手順のメモまでくれた。それに、auから送られて来る請求書を見ていたカミさんから、「あなたのケイタイの使用料が高い」と指摘され、「スマホがあるんだから、スマホに替えなさい」とまで言われた。

 スマホは長女が「家族割だから」と、彼女の口座から落ちるようになっているので、私としては気が引けていた。しかし、「使いすぎよ」とまで言われると、ガラ系のケイタイを止めてスマホに統一しようと思うようになった。

 そのためauショップに出かけて行って、その旨を話したところ、「80歳以上の人は家族の同意が要る」と言われ、困ってしまった。そうした時の助け舟になるのが孫娘で、いろいろカミさんの相談に乗ってくれ、今朝、auショップに予約してくれた。

 そうしたことに詳しい長女のダンナも来てくれて、ショップの店員さんと話しをして、一端家に戻り、みんなで食事をして、何やら操作を開始した。カミさんは溜まっているポイントを損しないように使いたい、そんな要望を伝えていた。

 孫娘とダンナそしてカミさんの、やり取りを聞いていても私にはさっぱり分からない。私の願いはガラ系のケイタイに入っている、友だちの電話番号やアドレスをスマホに移してくれればいい。ポイントなどはどうでもいい。費用がかかるなら出してもいい。

 でも、5時間も作業していたが、移すことは出来なかった。何がネックなのか分からないが、こんなに時間がかかるのなら、ショップで金払ってやってもらえばいいのではと思った。でも、ダンナと孫娘が一生懸命でやってくれているのに、水を差すようなことは言えない。

 総選挙の投票日まで、あと3日となった。選挙区は頼まれている候補に入れるとして、比例はどうしよう。共産党かれいわ新撰組か、迷っている。

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真面目な顔をしてレジの若い女性に

2024年10月22日 18時28分21秒 | Weblog

 寒暖差アレルギーを抑えるためには、寒ければ羽織ればいいし、暑ければ脱げばいい。今朝、下着の夏物を止めて、ちょっと厚手か長めのものに替えたらいいのではと思いついた。こんな簡単なことに、なぜ気が付かなかったのだろう。

 答えはすぐに見つかった。仕舞い込んであるものを引っ張り出し、入れ替える作業が面倒なのだ。思いついた時にしないと、ズルズルと後回しになってしまう。そう思って作業を始めた。冬物でも薄手のものなら、すぐ使うことになるはずだ。

 午後、燃えるゴミを集積所まで持って行く。ゴミ出しに行くのなら近くのコンビニまで行って、新聞広告に載っていた週刊誌を買って来よう。そう思って出かけたが、既に売り切れなのか並んでいない。

 「家にばかりいないで出かけなさい」と言う、カミさんの言葉を思い出して、さらに先にあるコンビニまで歩いた。久しぶりに歩いたら、周りの景色が随分と違っていた。キョロキョロとまるで不審者のようだと、自分ながら笑えてきた。

 先にあるコンビニにも、目指す週刊誌は置いてなかった。男性客は裸の写真が載っている週刊誌を立ち読みし、女性客はお菓子のようなものを選んで籠に入れていた。私は諦めてコンビニを出て、昔はよく歩いた小道を相変わらずキョロキョロしながら帰った。

 地域には十所社という神社がある。年末には境内で火が炊かれ、新年を祝う行事も行われる。マンションの住民もここへお参りに来る。境内の掲示板を見て、初めて十所社のいわれを知った。そこにはヤマトタケルなど十柱の神を祭ったものとあった。

 さらに行くと、芙蓉が咲き誇っている家があった。見ると、同じ枝から白とピンクの花が咲いている。珍しい気がしたのに、スマホを持っていなくて写せない。新しい家がどんどん増えている。子どもたちの元気な声も聞こえてくる。

 私が欲しかった週刊誌は、マンションの隣りの大型スーパーの本屋では山積みになっていた。大人の男性が好む週刊誌なので、私は真面目な顔をしてレジの若い女性に、「お願いします」と週刊誌を差し出した。

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