友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

真夜中の怪しい音に目が覚める

2020年05月31日 17時33分07秒 | Weblog

 夜中に、ピーともブーとも表せない音が鳴り続けた。台所の辺りのようだ。慌てて寝室を出る。けれど、電灯を点けるのをためらった。もし、ガス漏れでもしていて、電気を作動させたために爆発でもしたら、我が家だけでなく周りまで火の海になってしまう。

 冷静によく考えろと言い聞かせ、カーテンを開けて部屋の中を観察する。ガス台も冷蔵庫も異常はない。音の発生源は台所ではないと分かったので、とりあえず廊下の電灯を点けてみる。浴室と洗面所を覗くがこちらも異常はなさそうだ。もう一度、音に耳を澄ます。

 得体の知れない音は、廊下に取り付けられている緊急非常用のスピーカーからだ。スイッチを回してみても音は止まないが、ボリュームを絞ることは出来たので小さくして寝室に戻った。それから40分くらいした午前2時に、また、音が鳴ったが、今回は音量が小さかったので、ドアを閉めて眠りに就いた。

 朝、我が家のスピーカーだけが異常なのか、同じ回線の部屋でも音がしたのか、確かめるために隣近所に電話をしてみた。やはり音がしたというので、電気に精通している友だちに電話を入れ、事情を説明する。彼は、「音は聞いていない」と言うが、「管理事務所に行ってくる」と答えてくれた。

 マンションも建って40年以上も経つからいろいろと不具合が出てくる。入居当初の人たちは自主管理で理想郷を目指していたから、管理業者に任せることなく自ら修繕計画を立て、出来ることは何でもやって来た。古い割にはきれいなマンションと評価されているのもこうした先人たちのおかげだ。

 不具合を改善する合意と努力が求められるが、コロナ禍で会議も出来ないのが現状だ。それでもマンションを愛する気持ちが強い人たちが多いから、必ず前進していくだろう。音が発生した原因は分かり、対処できたというから、今晩はゆっくり眠れるだろう。

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西日を遮る幕を張った

2020年05月30日 17時34分01秒 | Weblog

 仙台の次女が、家族3人で滝を見に行った写真をラインで送ってきた。見に行っただけでなく水にも入ったようで、5歳の娘は冷たいのか顔をしかめている。手足が長くなって、小5の孫娘に近づいてきた。その写真を見た小5の孫娘からは艶めかしい足の写真が送られてきた。

 小5の孫娘は「有痛性外脛骨障害」が再発したという。土踏まずを持ち上げるアーチ型の物を「入れておくといいよ」と伝えたが、看護師である長女には「要らぬおせっかい」だったかも知れない。長女は思いもよらぬ行動をする子だったから私が守る役だったのに、大人になったら批判される側となってしまった。

 何時しか親は子に乗り越えられていくし、そうで無くてはならないだろう。女の子の気持ちまでは分からないが、少なくとも私は父親を超える存在になりたいと思った。果たしてそうなれたのかは定かではないが、確かなことは、60歳で亡くなった父親よりも16年も長生きしている。

 75歳で人生を終えたかったが、これはもう仕方ない。神のご意思に従う他ない。世の中には生きたくても生きられない人や、希望に燃えていたのに突然死に追いやれれる人もいる。コロナ禍で苦しんでいる人や、必要以上に恐れている人もいる。

 こんな世の中だからもっと社会に目を向けなければならないが、社会から遠く離れて巣ごもり生活である。新聞を見ても、テレビを見ても、発言している人たちは私よりも若い。昔、「年寄りがエラそうに」と思っていた。そんな批判を受ける年齢になっている。

 これからの社会のことはこれからの人々に任せ、私は花や緑に癒しを求める。西日を遮る幕を張った。

 

 

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デイゴの花が咲き始めた

2020年05月29日 18時40分03秒 | Weblog

 デイゴの花が咲き始めた。今年は1週間から10日ほど早い気がする。デイゴは南の植物だから寒さには弱い。冬は丸坊主で、枝も枯れてしまい、春に芽が出てくるのだろうかと毎年、心配になる。何しろ地上30メートルの寒風が吹き荒れるルーフバルコニーに置きっぱなしで、肥料も与えたことがない。

 それなのに、こうして新しく枝が伸び、花をつけてくれるから、見ている私は感動する。「デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」で始まる『島唄』が聞こえてくる。私は歌の意味を知らなかったが、沖縄戦を歌ったものだという。デイゴは田植え時期に花が咲くが、この年は空には米軍の戦闘機が飛び、海上の軍艦からは砲弾が打ち込まれた。

 のんびりとデイゴの花など愛でている余裕はなかっただろう。私は観光で沖縄へ行くのはとても不謹慎な気がして行けなかった。この歌の中にも、本土の人々に沖縄の悲劇を伝える歌詞があるはずだ。今もなお、沖縄の人々は米軍基地を抱え、不自由な暮らしを強いられているのに、本土の私たちはただ見ているだけだ。

 いや、沖縄の基地闘争でスクラムを組んでいる連中は、「本土から金をもらって来ている」とのウワサまである。人は本当に他人事には冷淡だ。もっと悪い奴は、言いふらすことで快感を得ている。女子プロレスラーの若い女性がSNSでの誹謗中傷に苦しみ亡くなった。高市総務大臣や三原じゅん子自民党座長は、「発信元が分かるようにする」方向らしい。

 アメリカのトランプ大統領もソーシャルメディアへの規制を行うと宣言している。政治が口を出せば、政権批判は誹謗中傷となり、言論の自由は成り立たなくなる。デイゴの悲しい思いを繰り返してはならない。

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在来種は尊く、外来種は悪者扱いするのだろう

2020年05月28日 18時18分14秒 | Weblog

 朝は気持ちよく晴れていた。いつものようにルーフバルコニーに出て、掃除をした後で水やりをする。鉢の置き場所を変えて、強くなった西日を遮る幕を張る。ひとりでやっていると左右の高さがうまく合わない。午後からは風が出てきたから、明日またやり直すことにする。

 知多半島は堰を作れるような川が無いのでため池が多い。ため池にはいつの間にかフナとかメダカとかが放されるようで、農業用に利用する前に、池の水が抜かれて掃除が行われる。子どもの頃、その様子を見に行ったことがある。

 最近、在来種に混じっていた外来種を駆除したという記事を見た。外来種は勢いが強く、在来種を駆逐するからだと書いてあった。でも、どうして外来種は駆除されなければならないのだろう。在来種は尊く、外来種は悪者扱いにされるのだろう。

 生き物はいつも弱いものを強いものが駆逐してきた。人間もまた同じだった。どこで生まれてどんな風に展開したのかよく知らないが、少なくとも人類が集団を形成した後は、民族大移動を繰り返してきたはずだ。

 食糧を求めて、あるいは食糧が豊かに得られる土地を求めて、必死に行動したはずだ。そこに先住民族がいれば戦い、自分たちの富を豊かにしてきた。日本人も南方系や北方系の縄文人がいたところへ、朝鮮半島からやって来た弥生人が勢力を伸ばして国家を作ったという。

 アメリカのように、ヨーロッパでは生きていけなかった清教徒が国家を樹立したのに、先住民族のインディアンを追い出し、アフリカからたくさんの黒人を連れて来て奴隷として働かせた。「神の前に人は皆平等」の清教徒はどこへ行ったのか。いつもいつも、人間ほど身勝手なものはいない。

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今日のネタは思い付きでした

2020年05月27日 17時47分41秒 | Weblog

 緊急事態宣言を解除するにあたって、記者会見した安倍首相の演説を聞き、メモしながら「この人は凄い人だなあー」と思った。メモを取るのは地域新聞を作っていた時からの癖で、正確ではないかも知れないが、逆に自分がどんな風に受け取ったのか、その時の印象がよく分かる。

 安倍首相の演説は、感染症で亡くなられた方への冥福と、感染された方への見舞いから始った。そして、「わずか1カ月半で収束させた」と言い、「日本モデルを示した」と言い切った。大阪の吉村知事や東京の小池知事ばかりが目立っていたから、大見栄を切った巻き返しである。

 そして当然だが、国民への気配りも忘れていない。「すべての国民の皆様のご協力、根気強く辛抱してくださった皆様に心から感謝申し上げます」と述べ、「医師、看護師、保健所の職員、全ての医療従事者に心から敬意を表します」と付け加える。

 今後の経済の立て直しに向け、「世界最大の2百兆円以上の対策によって、百年に1度の危機から日本経済を守り抜きます」と誓う。また、「コロナ時代の国際秩序を作り上げていくため、強いリーダーシップを発揮していきます」と、世界のリーダーを自負する。

 これだけ聞いていると、こんなに立派なリーダーはいないような気がしてくる。安倍首相はよくこんな言葉も使われる。「皆様のご意見を真摯に受け止め」「再びこのようなことが起きないように、心から反省し」「しっかりと精査し」「総合的に判断し」「誠意をもって実行して参ります」。

 言葉のひとつ一つは誠実だが、全く具体性が無い。どんなことでも、これらの言葉をつなげれば対処できる。だからか巷では、「どうしてなのだ?」と問われたら、「真摯に受け止め、総合的に判断した結果です」と答えることが流行っているという。今日のネタは思い付きでした。

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特別定額給付金の申請書を投函した

2020年05月26日 17時33分12秒 | Weblog

 特別定額給付金の申請書を投函してきた。コロナ禍で本当に困っている人がいるのに、我が家のような年金暮らしは、どこへも行かず家に籠っているからお金の支出も少ないはずだ。実はお金の出入りに私は全く無頓着だ。お金がない時も、さてどうしようとは思ったが、働けば何とかなるだろうくらいにしか思っていなかった。

 給付金が入ったらどうしようか。洗濯機が古くなったので、「やたらに音がうるさいから買い替えようか」とカミさんに提案すると、「隣の部屋にクーラーを入れましょう。もちろん、あなたのお金で」と断言される。隣は娘たちが出て行って以来、ズーと空き家のままになっている。昨年、友だちのお姉さんらがアメリカから来訪された時に使ってもらった。

 その時は冬だったので暖房器具は用意したが、夏休みに孫たちが泊まりたいと言い出したら、「クーラーが必要になる」と言う。「クーラーがあれば、仙台の次女一家に何時でも来てもらえるし、5歳の孫娘が来れば、小5の孫娘もきっと泊まりに来るわよ」と説得される。隣りは長女の物が置いてあるし、次女も使わなくなったからと物を送ってくるので、2部屋も倉庫代わりになっている。

 これらの物がキレイに片付いたら、私はアトリエとして使うつもりでいたが、そんなことより宿泊場所として提供する方が現実的なのは確かだ。給付金はクーラー代金に当てよう。世の中の人はどんな風に使うつもりなのだろう。新聞の集金をしている知り合いの女性に、給付金の話をしたら、「ウチはダメ。住所は主人のところだから」と言う。

 別居してひとり暮らしなので、「少しでもお金は欲しい。お前の分だと言って分けてくれるとは思えない」と嘆く。「もらえるお金なんだから、ちゃんと言わなくちゃー」と話すが、「もう、4年も何の連絡もない。そういう人なの」と肩を落とす。「だったら尚更、あなたの方から言わないと」と促すが、どうなることだろう。

 写真は、夏姿になった今朝のルーフバルコニー。

 

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規則とか規制など無くてもいい

2020年05月25日 18時33分34秒 | Weblog

 ラインを使って女3人が話しながら料理をしている。カミさんと結婚した孫娘と小5の孫娘だ。全く偶然にも3家とも今晩はカレーだそうだ。小5の孫娘は両親の分まで作っている。コロナ禍のおかげで料理が出来るようになったのかは分からないが、ひとりで何でもできるようになったのは長女夫婦の「しつけ」なのかも知れない。

 コロナ禍で世の中がギスギスしているように感じていたが、3家族がラインで料理をしながら会話しているのはどこか微笑ましい。世界は大いに進歩した。アフリカの貧しい国でも皆ケイタイを持っているようであるし、さらにスマホで会話しているから、ケイタイやパソコンで文字を打つより手軽なのかも知れない。

 誰でも情報が手に入る。誰でも情報を発信できる。こんなに自由で公平なことは無い。けれど、発信の匿名性は思わぬ事態も招いている。誹謗中傷で自殺者まで生んだ。情報発信のルールとか違反者には刑罰をとか、政治が動き出しそうだ。どうなるのか心配である。私は政治による規制には賛成しない。

 規則とか規制などしなくても、人間は自然に互いが納得するようになる。放っておいても、無秩序のようでも、いつか落ち着くところに落ち着くと私は思っている。人間の社会に完璧は無い。一夫一婦制を「美」としたのはキリスト教だが、男女の愛はそんな形に押し込まられない。矛盾を孕みながら、「うまくやる」のが人の生き方なのだろう。

 おや、次女とその娘も加わって、4家族での会話になっている。

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楽しみが減った

2020年05月24日 18時11分42秒 | Weblog

 風が強くなる前に、残りの鉢の土の入れ替えを終えた。今日は暑かった。暑さのせいなのか、何も浮かんでこない。頭をよぎるのは高校生の頃に観た洋画の中の女優の手足だ。長いしかも形が美しい。特に足は魅力的だった。

 大学に入って裸婦のデッサンがあった。初めて見る大人の女性の身体である。日本人だって洋画の女優と変わらない身体は曲線ばかりで柔らかい。けれど何か違う。デッサン室にはギリシア彫刻の模造品が置いてあるが、足だけの石膏像を見て、モデルの足と見比べるとやはり違う。

 ギリシア彫刻のような細長い足先の女性は日本人にはいないと思っていた。夏に、たまたま隣に座った女性の足を見たら、彫刻の足と変わらない形だった。日本人も昔のように正座する生活ではなくなってきたから、身体の形も幾分変わってきたのかも知れない。

 今日で4日間、かがみこんで下ばかり向いて、何時間も同じ姿勢でいると、腰が伸びなくなるのではと感じる時がある。途中で何度か背伸びをしてみる。胃を圧迫しているせいか、胃が痛い時もある。こんなことでいいのだろうかという精神的な落ち込みのせいなのかも知れない。

 パソコンの前に座って友だちのFacebookを見ると、美味しそな朝食の写真が載っている。文章を読むと、お気に入りの喫茶店に出かけたとある。みんなコロナ禍の自粛疲れになっているようだ。いつも頼まれて夏祭りに屋台を出している地区の代表から、「こんなご時世なので中止にさせていただきます」と連絡が入った。

 先輩に伝えると、「そうでしょうね。もし、やったとしたら袋叩きに遇いますよ。今は世間の常識に従う方がいい」と言う。夏祭りがなくなったということは、夏姿の美しい女性たちに逢えないということでもある。楽しみが減った。

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単純作業は妄想の世界へといざなう

2020年05月23日 18時02分01秒 | Weblog

 3日間もかがみこんで作業をしているとさすがに疲れる。しかしまだ、明日の午前中までかかりそうだ。昨日も愚痴ちゃったけど、こんなに丁寧に土をより分けて本当に意味があるのだろうか、そんな気が時々頭を過る。それを、せっかく始めたのに途中で放棄したら、今までやって来たことが無になってしまうぞと叱る気持ちが働く。

 毎年、毎回、そんな葛藤を味合うのにまた同じことをしている。作業が嫌いな訳ではない。ひとりで黙々と続けていても苦ではない。頭の中は何も考えていない。古い根を見つけてつまみ出す。使える赤玉土を選び出す。ミミズがいればまた土に返し、何かの幼虫がいれば始末する。ひたすら同じことの繰り返しなのに、合理的にやる方法を考えようともしない。

 単純作業は妄想の世界へ入り込むにはピッタリだ。どの小説だったか忘れたが、男が裸の女を眺めて、「キレイだね」と言った。すると女は「誰でも、目は2つ、鼻と口は1つ、おっぱいは2つでおへそは1つ。そうでしょう。そうでない女の人がいたの?」と笑って言う。なるほどうまいことを言うなと思った。

 それでも、心惹かれる女性とそうでもない女性がいるのはどうしてなのだろう。あばたもえくぼという言葉がある。好きになるということはそういう錯覚の世界に入り込むことなのだろう。好きになれば何もかもキレイに見えるのだ。それなのに、「誰でも一緒よ」と言われてしまうと味気ない気がするが、それがその後の展開の布石だったのか。

 女が「おっぱいが小さくてごめんなさい」と謝る場面もあった。大きいから好きになった訳では無いのだろうに、女の方が見栄えに拘っている。男と女の感じ方というか、愛し方の違いなのだろうか。あの物語の結末は思い出せないのに、ヘンなところを覚えているのは男だからか。

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ひとり作業は妄想の時間

2020年05月22日 18時00分57秒 | Weblog

 朝からルーフバルコニーで、ひたすらかがみこんで作業をする。午前中は日陰なので作業は順調に進む。午後は陽が射してくる。天幕を張って、その下で作業する。ところが3時過ぎくらいになると、突風で天幕が吹き飛ばされそうになるから、気が気でない。買って来たサルビア28本をカミさんに植えてもらった。

 残る鉢は7鉢となった。ひとりで黙々と作業をしていると空想の世界というか、妄想の世界に入り込んでいく。野坂昭如氏が歌っていた『黒の舟唄』が頭のどこかで響いている。「男と女の間には、深くて暗い川がある」のはどうしてなのだろう。何がふたりを隔てているのだろう。男は「今夜も舟を出す」が、女は受け入れてくれるのだろうか。

 高校生の時、友だちがよく『籠の鳥』を歌っていたから、私も覚えてしまった。「逢いたさ見たさに怖さも忘れ、暗い夜道をただひとり 逢いに来たのになぜ出て逢わぬ ボクの呼ぶ声忘れたか」。彼は恋する人のところへ、暗い夜道を訪ねて行ったのだろうか。私にはそんな勇気がなかった。告白することも無く、遠くから眺めていて充分満たされていた。

 「好きだと言わなくて、どうして相手に伝わるのか」と言われて初めて、そうかそういうものかと気付いたが、自分が好きならきっと相手に伝わっていると思っていた。「結婚するまで、手も握らなかった」と娘たちに話した時、「バッカみたい」と鼻で笑われた。男は深くて暗い川に船を出し、女に逢って何をするのか。夜道を逢いに出かけた男は何がしたかったのか。

 ふたりで意味のない話をとめどなく続け、「今日はとてもよかった」と満足して別れる。その時、せめて別れ際に手を握ることはないのだろうか。もっと大人になれば、抱き合ってキスすることは出来たのだろうか。鳥が飛んできて、「ピーィ、ピーィ」と鳴く。よかったね、籠の鳥でなくて。私は膝と腰が痛い。

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