友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あれはいったい何だったのだろう?

2010年07月30日 21時58分26秒 | Weblog
 あれはいったい何だったのだろうかと後になって思うことがある。人間だから思い込みもあれば思い違いもある。一生懸命であればあるほど、思いは強くなり、結果としてすれ違いも大きくなる。それに、いつも感じることだけれど、人に気持ちを伝えることは難しい。伝える手段は身振り手振りもあるけれど、正確に伝えようとすれば、どうしても言葉(文字)に頼らざるを得ない。ところが言葉も思い込みと思い違いでとんでもないことになる時がある。高校1年の孫娘が言うように、「何も言わないことが一番いい」のかもしれない。

 昨夜は10時過ぎに、そう、私がブログを書き込んでいて、眠くなってしまい、もうダメだと訳の分からない終わり方をしていたところに電話が鳴った。「これからお邪魔するけれど、いいですか」と言う。こんな遅い時間にもかかわらず、話がしたいというからにはよほど重大なことなのだろう。相手の気持ちを考えるのが普通の行為だと私は思うので、「いいですよ」と答えた。急いでブログをまとめ、実際は何もまとまってはいなかったけれど、午前零時になるまでには立ち上げられるようにと願って中断した。

 彼は焼酎を持ってやってきた。私はグラスを2個用意し、氷を入れてその焼酎を注いだ。「私ねぇ、頭に来ました。一度は寝たんですが、どうにも寝られんのです」と言う。相当酔っ払っているようで、目が据わっている。同じ話を何度もする。夏祭りの責任者となって4年、人には言えない苦労をたくさん抱えてきたのだろう。彼の怒る姿など見たことがない。いつも前向きで、どちらか言えば調子のいい人だが、そんな彼でも腹に据えかねないことがあるのだと思った。くどくどと同じ話の繰り返しであったけれど、具体的にはなぜそんなに腹が立つのか、よくわからなかった。つもり積もったものがあったのだろうという推測で考えるしかなかった。

 ウォーキング好きの夫婦が、そろそろウォーキンググッズを買い換えたいと思っていた。前からやってくる人の服装を見て、「あの人の型がいいわね」とカミさんが言う。「うん、でも、スッポリがいいな」とダンナ。「前開き?チャックがいいの?」とカミさん。「スッポリ入る方がいい」とダンナ。「頭から」「えっ?」「??」。カミさんはジャケットの新調を考えていたけれど、ダンナはシューズを考えていた。そんな小話が友だちの通信に載っていた。

 また、中学時代からの友だちは、物忘れが多くなったカミさんに向かって「ボケてきたんじゃないの?」とからかうそうだ。そこにはしっかりしておくれという願いが篭っているのだが、言われた方はいい気持ちはしないだろう。カミさんの方は「ボケが進んできたから、あんたのような亭主でも一緒にいるのよ」と思っている。そんな日常をブログに書いていた。

 彼が酔いつぶれた本当に原因は分からないけれど、私たち人間の世界ではボタンの掛け違いということはよくある。そうならないためには、相手が何を伝えようとしているのかを考えることなのだろう。けれど実際に大切なことは、起きてしまったことをどう修復するかにある。素直な気持ちになることが一番だと思うけれど、やっぱり難しいのかな。
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雨が降って来た

2010年07月29日 22時40分41秒 | Weblog
 久しぶりの雨。しかもかなり強い風も吹いている。街路樹のサルスベリが風に大きく揺れていた。サルスベリは夏の花だ。あの炎天下でも頭を下げることもなく、咲き誇っていた。サルスベリにはピンクのものの他に、白色や紅色のものがある。私はまだ見ていないけれど、紫紅色のものもあるようだ。花言葉は、雄弁・潔白・そしてあなたを信じるである。中国の南部が原産地のようだ。サルも登れないほどつるつるした木肌というけれど、猿は平気で登っていくらしい。日本では長い間咲き続けるので、百日紅と書くのだそうだ。

   夏の日が似合っているよ百日紅 ピンクの道はあなたへと続く

 確かにピンクの百日紅が続くこの道の先にあたなの家があるけれど、それではどうも情緒に欠ける気がする。

   夏の日がピンク色した街路樹に 降り注ぐ時百日紅立つ

 これも百日紅が夏の太陽を浴びて、なお立つことのできる詩といえないこともないけれど、ちょっと強引過ぎる。

   夏の日を受けて輝く百日紅 触ることなし申年の君

 申年のあなたは触ることもできないほどに、夏日を浴びて輝く百日紅は凛としている。これはまた勝手な解釈で普遍性がない。百日紅の歌はどうも不完全燃焼だ。

 不完全燃焼と言えば、テレビで放映されていた民主党の国会議員による総会だ。菅直人首相の参院選挙の総括は全く不完全だったし、両院議員による総括会議となった総会も何をやろうというのか先が見えなかった。菅さんはなぜ自分が消費税問題に触れたのか、率直に皆さんに言えばいいのにその点は触れずに、「申し訳ないことになった」と言うばかりだ。そうではないだろう。けれども、やはり指摘があったように、消費税問題は菅さんの一人歩きだとの批判を受けて当たり前だろう。だからこそ、なぜそのような発言を繰り返したのかキチンと説明すべきだ。仲間内の国会議員が納得できないようなことを党首が行なってはならないはずだ。

 ここまで来て。睡魔に襲われた。我慢できない、今日はもうおしまいとしよう。最後に、今晩の食卓を掲載。さんまをいつもなら大根おろしで食べるのだけれど、「今日はワイン」とカミさんが言うので、洋風にトマトでドレッシングを作ってみた。
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人生は必然の積み重ね

2010年07月28日 21時58分29秒 | Weblog
 夏祭りの準備のために買出しに出かけた。その道中はおしゃべりの会である。私よりも5つ年上の女性が「人生って結局は必然だったのよね」と哲学的なことをおっしゃる。イヤだとか、違う道があったはずだとか、いろいろと思ったけれど、「なるべくしてなった」のだから、「自分が生きてきたことは全て必然であった」というのである。なかなか含蓄に富んだ言葉なので、すぐに返事ができなかったけれど、彼女は「人生は必然の積み重ね」と決めているわけだから、今更私がどうこう言うことはなかった。

 彼女は末っ子で、幼い時に母親をなくしている。姉はふたりいたけれど離れていて、彼女が10代の頃には皆嫁いでしまっていたようだ。家には父親をはじめに男ばかりで、家事の一切を「押し付けられた」。こんな辛い青春はないとばかりに、学校帰りに映画館に寄って、家事をサボったことがあったそうだ。「早くこの家から出たい、ずっとそればかり考えていた」と言う。確か、彼女が高校生の時に定期券を落として男の子が拾ってくれた話を聞いたことがある。まだ、10代の男女がデイト出来る時代ではなかったから、「兄にひどく叱られた」と言っていた。

 ダンナになる人との出会い、そして結婚。初夜は怖くなって、女中部屋で寝かせてもらった話も聞いた。子どもがふたりできた。シンガポールへ旅行した時、カードで100万円も買い物をしてしまった話も聞いた。ダンナが亡くなって、塞ぎ込んでいた時に私たちと出会い、食事会をするようになった。一緒に韓国へも行ったし、イタリアへも行った。アメリカへは6家族で出かけた。「素晴らしい旅行だったわね」と言う。もうすっかりトラブルのことは頭から消えている。全ての時間が彼女の思うままに過ぎてきたのかもしれない。

 それでいいじゃないかと私は思う。私は、たとえば私自身がこの世に生まれたことは偶然なことだと思うけれど、自分の力では動かすことの出来ないほとんどの中にあって、自分で選択してきたことは多いのだから、人は誰もが偶然の中にあるけれど必然の中にもあるという2重の中に置かれている気がする。今日、こうあるのは誰のせいでもなく、神様のいたずらでもなく、私自身が選択してきた道だと思う。けれどもそれは、大きな偶然の中にある自分が選んだ道であることには変わりなく、運命と言ってもかまわない。

 カミさんがゴルフ教室で出会った夫婦のことを話していた。「男のような奥さんと女のようなご主人と言われるんだけれど、奥さんは凄く積極的な人で、ご主人はおとなしい人なの。ご主人は心臓の病気で手術して、それで元気になられたのだけれど、それが3年前なのよ。3年間でよくあんなにうまくなられるものね」。私はその方を知らないからなんとも言えない。しかし、私たちくらいの年齢になってふたりでゴルフ教室に通ってこられるのだから、仲がいいのではないか。生きているのだから価値があるのではないか。人生の最後をふたりで共通するものをと思われたのかもしれない。

 出会いは偶然なのだろうけれど、それを継続するならば必然と言っていいだろう。彼女が言うように「人生は必然の積み重ね」なのだろう。
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新しい時代の始まり

2010年07月27日 21時09分27秒 | Weblog
 朝日が差し込む少し前から、小鳥たちのさえずりがよく聞こえてくる。鳴き声から複数の種類だと思う。その鳥たちに替わって次にセミの声がけたたましく聞こえてくるようになる。これも鳴き声から数種類はいるだろう。クマゼミが東北地方まで、その生息地域を広げているそうだけれど、確かに私の子どもの頃、クマゼミは夏の終わりごろになって姿を見せるセミであった。この地方はアブラゼミが圧倒的に多いけれど、そのアブラゼミに負けないくらい喧しく鳴いている。一時的な気候の変化なのか、地球の温暖化によるものなのか、セミが関心の的になっている。

 カミさんは時々咳き込んでいる。「その咳は結核じゃあないのか。美人薄命というから医者に診てもらった方がいいよ」と何度も言うのだが、「66歳にもなればもう薄命とはいえない」と耳を貸さない。けれどもやはり、自分でも気になるところがあったのか、今朝になって耳鼻咽喉科へと出かけていった。若く優しくハンサムな先生は人気がある。「夏風邪が治りきっていないんだって」と嬉しそうに帰ってきた。年をとってくると医者の診断を恐れる人が多いが、くよくよと心配しているよりも診断を受けた方がいい。

 老化は仕方がないことだ。老化による機能障害も受け入れざるを得ない。そんなことよりも今日を、明日をどう過ごすかに全てを注いでいきたいと私は思う。だから、診断は受けても手術はしない。延命策は考えない。私はそう願っている。社民党の辻元清美衆議院議員が社民党を離党するという。私は福島瑞穂党首にも辻元さんにも会っているが、もちろんご本人はご存じないだろうけれど、仕方がないことだと思っている。社民党の命運を福島さんでは担ぎきれないだろう。辻元さんがどういう考えから離党するのかよく知らないが、1つの時代が終わった、つまり新しい時代になってきていると思う。

 私たちの時代は、戦争への否定が根本にあった。非戦国家へ日本を導きたいとの強い思いがあった。けれどもそれをどのように実現していくのか、有効な政策もそれを支える思想も作り出すことはできなかった。嫌そうではなく、有効な思想はゆっくりと育ってきているのかもしれないが、私たち自身が気付いていないのかもしれない。だから、私たちの時代は終わり、新しい時代が始まっているのだろう。民主党が自民党と双子の兄弟みたいなものだということもよくわかった。それでも遣いっぱなしの兄にくらべ、それを批判してきた弟への期待は大きかった。社民党が生き残るには何が必要なのだろう。よくわからないけれど、残念ながら福島さんではリーダーとして不足だということはハッキリしている。

 7月6日に1歳の誕生日を迎えた長女のところの下の孫娘は、ヨチヨチだけれど歩こうとするし、言葉もなんとなくわずかでもハッキリしてきた。高校1年の孫娘はそんな妹が可愛くて仕方がないようだ。孫娘やその下の孫娘が大きくなる頃には、日本の民主主義ももう少し形を変えているのかもしれない。幕末の人々のように国政を変える道もある。おそらく幕末の志士たちも明確なビジョンを持っていたわけではない。偶然が重なって、明治政府の誕生となったわけだけれど、今の私たちはもっと賢いはずだから、まず、ひとりひとりがどういう形の社会が望ましいのか、おそらく議論ができるようになるであろう。そう期待している。
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宵の明星と赤い月

2010年07月26日 21時57分28秒 | Weblog
 今日は満月なのか。西の空の低いところにあったのは宵の明星だったのか。午後9時になる現在では、宵の明星は西の空の少し上の方にある。これに対して満月は、今は東の空、45度ほどのところに見える。中学の時に、学校から帰る途中に東の空に真っ赤な満月を見たことがある。それからラジオ放送で、『赤い月』という題名(?)の放送劇を聞いたように記憶している。南太平洋での戦争を題材にしていたように思うけれど、インターネットで見ると亡くなったなかにし礼氏の『赤い月』しか出てこない。

 私が子どもの頃の記憶では、赤い月は不吉な前兆といわれていた。赤い月を見たからといってそれで何か不幸なことが起きたという記憶はない。地上近くにある月は、天井にあるよりも大きく見える。それは夕日が大きいのと同じ原理だろう。つまり比較するものがあると大きく見える。多分、赤く見えるのも夕日が赤いのと同じで、地上近くにあるために大気で光が屈折するためだと学んだ気がする。それにしても、赤い大きな月は無気味な気がした。

 自然、つまり人間の手によらない世界は不思議で、その大きさはやはり計り知れない。人間はこんなにも地球やあるいは宇宙のことを調べ尽くしてきたけれど、何一つとして人間の意志でコントロールすることは出来ない。いや、発芽を早めたり、四季も空調で調整できるようになったと反論があるかも知れないが、それは人間が原理を利用しているに過ぎない。原理そのものを創造することは出来ない。

 昔、空想科学小説や映画が流行した時、人間の社会もいつか恐竜の社会のように滅びるのだろう。そして何万年かあるいは何億年か後に、人間が誕生し、化石資源を発見するようになる。鉄は鉄道やビルがあったところに帯のように固まってあるし、人や動物がたくさんいた場所からはメタンガスが噴出してくる。逆に、今私たちが利用している鉱物や化石燃料も実はそんな大昔の私たちの姿だったのではないだろうかと思った。このように地球そのものは継続しているけれど、その地球に生まれる生物は全く違うものであったり、あるいは似たものであったり、そんな風に歴史は繰り返しているのかも知れない。

 今、人間は大きな曲がり角に来ている。それは人間が作り出し、大切に思ってきた価値観そのものが揺らいでいることからも明らかだろう。たとえば、人間は集団で生活することで生き延びてきた。この集団を維持するために、家族を造り、一夫一婦制を普遍的な原理としてきた。にもかかわらず、どうして人間の誕生から「汝姦淫するなかれ」と説いてきたのだろう。それは人間の心の中に、姦淫する感情が存在することの証であるし、もっと言えば、どうして人の心に善と悪とが存在するのだろう。そのコントロールがだんだんと上手にできるようになってきているのか、それとも人間の意志とはかけ離れたものになっているのか、判断を求められている。

 NHKテレビの『哺乳類の誕生』を見ていると、余りにも偶然が大きな要因だと思った。そうなのだろう。人間が誕生したことも、そして人間が今日に至ったことも、今私たちが生きていることも、根本的には偶然に過ぎないのだろう。
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夏祭りの思い出

2010年07月25日 22時09分50秒 | Weblog
 梅雨明けから、この1週間は本当に毎日暑い日が続いた。それでも、午後になると結構風が出てくるので、クーラーをつけて眠ることはない。我が家の朝は快適で、近頃ではルーフバルコニーにテーブルとイスを出して、ここで食事をしている。鉢植えではあるが、木々や草花に囲まれての食事は気持ちがいい。食事の後、コーヒーをたっぷりと入れて、新聞を読む。昨日も今日も、朝の風が冷たくて、思わず長袖のシャツを羽織った。ちょっと贅沢なくらいの朝の時間である。今朝は、カミさんがゴルフの練習でいないから、ひとりで朝食をすませた後、長々とコーヒータイムを楽しんだ。

 今日の午後は風が強く、窓を全開にしておいたら、飾り物のお皿がひっくり返ってしまった。「こんなに強い風が吹いているのに、何をやっているの」と、カミさんからお叱りを受けた。そんな強い風も陽が沈む頃には止んで、そよそよとした気持ちのよい風に変わった。この風が続いていてくれれば、気持ちよく眠れる。どこかで和太鼓の演奏が行なわれているようで、ドンドンと威勢のよい音が響いてくる。もう夏祭りが始まっている地区があるようだ。今日、夕方に訪ねて来た友人も「午前中は夏祭りの準備でした」と話していた。真夏、昼間は意外なほど静かだけれど、夕方とともに各地から歌声や太鼓の音が聞こえ、人々が動き出す。

 私は子どもの頃から「宵っ張り」の方で、夏だからといって昼寝をする習慣はなかったが、夏祭りは興味津々だった。幸いというか不幸にというか、住んでいた地域は盆踊りがあるくらいだったけれど、越境通学していた地域は江戸時代からの伝統のお祭りが夜通し行なわれていた。小学校6年の時は、子ども会に参加しなければならなかったので、家に一番近い町内の子ども会に編入させられた。6年生は町内の若衆の見習いのような存在で、若衆の中のボスのような人が私を可愛がってくれ、祭りの間中、面倒を見てくれた。徹夜をしたのもこの夜が初めてだった。朝方、疲れて道路のアスファルトの上で横になった。ひんやりとした感覚だったのか、いやまだ、ぬくもりが残っていたのか、今になってみると思い出せない。

 中学1年の時は、市内総出の盆踊りが行なわれるというので、密かに好きだった女の子の姿を求めて見に行った。けれども、人出が多すぎて、どこにいるのかさっぱり分からなかった。何千人もの人がいるのだから、見つけられるはずがなかったのに、自分ではすぐに見つけられるつもりでいたのだから、今から思えば笑ってしまうような話だ。女の人の浴衣姿は、よく考えれば手と足が見える程度なのに、なぜかドキドキして眺めていた。浴衣からはみ出した手先や下駄を穿いた足の白さを目で追っていた。

 日本の夏祭りは開放的で、この夜の出来事は何があっても咎められない。男も女もそんな夏の夜の冒険を楽しんでいたのだろう。だからこそ、女の子はひとりでは出かけてはいけないと言われていた。だからなのか、女の子は集団で男の子を辛かったりしていた。こういう開放的な夏祭りがなければ、男と女が出会う機会が昔は少なかったのだろう。夏祭りが出会いの場であった時代は遠い昔話になってしまった。
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さあ、夏祭りだ!

2010年07月24日 22時34分48秒 | Weblog
 暑い。今日もまた暑い一日となった。最後の仕上げをふたりでやることになった。最長老が「今日で終わるけれど、ひとりでも充分にできる」と言うので、「午前中なら空いているからお手伝いします」と仕事を買って出た。けれど車がない。長女のダンナが「使ってください」と車を提供してくれた。現場に行くと、昨日までの仕事は猛暑の中で大変な作業だったことがよくわかった。作業を始める。足りないものが何点かあることが分かった。それを買いに行く。いつもこんな調子だから、作業の能率が悪い。

 炎天下とはいえ、庭の樹木の中に立ち入っての作業だから、そんなに汗をかくことはないだろうと思ったけれど、それは思慮が足りなかった。何をしていてもポタポタと汗が流れ落ちてくる。買ってきた飲料水をできるだけこまめに飲むように努めた。配管工事を行い、昨日までにできなかった水槽の屋根を取り付け、周りの囲いを完成させた。午前中で、何とか全ての未完成部分を仕上げ、これでよいだろうというところまでこぎつけた。熱中症で倒れることもなく、ヤレヤレである。

 家に戻って、シャワーを浴び、作業で着ていた服や下着を洗濯機に入れて洗っておく。コンビニで買い求めたおにぎり2個を急いで食べ、午後2時からの会議に出席する。毎年行っているこの市の夏祭りに、今年も参加するに当たって何をどのくらい出すか、みんなで議論して決めていく。ただ、心配なのは私たちが年を追うたびに高齢になってきていることだ。総責任者も今年は70歳を越えた。最高年齢の人は80歳を超えている。「祭りを楽しむ」、これが私たちの最大のテーマではあるが、本当にテーマどおりに行くことができるか、心配である。今年から長女のダンナも参加してくれる。こういう若手がどんどん参加してくれればきっとうまくいくだろう。

 人のつながりは不思議だ。私が首長選挙で負けて、「そのエネルギーを夏祭りに活かして」と頼まれてはじめたことだけれど、すっかり「夏祭りの顔」のひとつになってしまった。それはひとえに、人のために働くことが好きな人が多いということに尽きるように思う。実際、イベントが好きで、計算することなく努力を惜しまない人たちだ。「屋台そのものに活気がある」ようで、だから顧客も多い。「毎年、楽しみにしている」とたずねてくれる市民もある。活気がいいのは、私たち年寄りが元気なのと、いつの間にか私たちの子どもや孫がやってきて、店を手伝ってくれるからでもある。

 祭りは参加するだけでは盛り上がらない。祭りを支え、参加者の気持ちを高めてくれる、縁の下の力持ちが必要だ。縁の下に徹することで、祭りそのものを「自分たちが支えている」、その自負がみんなにあるからやっていけるのだろう。それと共に、「良い仲間がいる」という意識がとても気持ちがよいのだと思う。身体が暑さでほてる。今晩は早く眠るとしよう。
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先輩たちの戦争体験

2010年07月23日 22時46分16秒 | Weblog
 朝日が差し込んでくると、鳥の鳴き声が聞こえてくる。鳴き方が違うので、鳥も2種類か3種類はいるようだ。NHKラジオの夏休みに子供向け番組を聴いていると、野鳥も天敵から子どもを守るために、人間の近くに巣を構えるようになった話をしていた。人間の身近にいることで、カラスなどからタマゴやヒナが襲われることがないのだそうだ。「私の子どもの頃は、パチンコで野鳥を狙ったりしたものですが、今の子どもたちはそんなことをする子は一人もいません」。そんな話をしていた。

 今日の大和塾の例会で、終戦を10代半ばで迎えた人たち3人が、戦争体験やその前の世代の人たち、つまり実際に戦地にいた人たちの話をしてくれた。私を含めて、塾生のほとんどは戦争を知らない。私たちが知っている戦争は小説や映画あるいは人の話でしかない。私も小学校4年生の時に、友だちの家に遊びに行って、その友だちから、彼のお父さんが持って帰ってきたという写真を見せてもらった。彼のお父さんは軍人で満州へ行って行った。お父さんの話では、「その馬賊を成敗した時の写真だ」そうだ。日本軍の人が中国人を日本刀で首を切り落としている。あるいはその首を縄でつないでつるしている。そんな写真がたくさんあった。

 友だちの話では、こういう写真は持って帰ることは出来なかったそうだ。けれども彼の父親は持ち帰ってきたのだから、どうやって持ち帰ったのか疑問であったけれど、写真は確かに中国の地で撮られたものであった。中国人の首が宙に浮いた瞬間の写真もあったから、相当な腕の人が撮ったと思われる。今、この時の写真を公にしたなら、雑誌社ならきっと飛びつくと思う。戦争で勝っている時は、負けた人々は虫けらと同じ扱いだなと思う。映画『シンドラーのリスト』を観たけれど、ここでのユダヤ人は人間扱いではない。持っているすべてを剥ぎ取られ、ガス室へと送られる。

 たまたま今日、義弟のところへ桃を届けに行ってきた時、義弟夫婦は6月にポーランドへ行って来たと言う。アウシュビッツのガス室やユダヤ人収容所の話を聞いたけれど、全くどうしてこんな風に淡々と人殺しができたのだろうかと思う。映画『シンドラーのリスト』でもそうだったけれど、ユダヤ人を扱う人々は自分たちがとんでもない過ちを犯しているのではないか、そういう意識は全くないようだった。人は立場で、やることはもちろん考え方も変わるというけれど、実際にその通りだなと思った。

 人は知らず知らずの内に、弁護や責任を回避しようとする。中国における日本人の振る舞いは写真でしか知らない。ユダヤ人に対するドイツ人の行為は映画でしか知らない。だからそんなものは本物ではないと言う人がいるかも知れないが、本物かどうかではなく、人を物のように平気で殺してしまうことに対して、許せるかどうかだと思う。「国のため」と言われると、どうして人は平気で同じ人を殺せるのだろう。そこが一番の問題点ではないだろうか。先輩たちも戦争体験を話し、その悲惨さを伝えるだけでいいのだろうか、戦争を無くすためには何をすればいいのだろうと言う。全くそのとおりだと思う。
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背高く胸張るひまわり

2010年07月22日 23時00分30秒 | Weblog
 今日もまた暑い。そんな夏空に向かって、ひまわりが凛としている。まるで前に進みなさいと励ましてくれているようだ。都会の中の一角に、ひまわりが咲いていた。背が高く、大空に向かって堂々と胸を張っているようにも見える。もう嫌だと後ろ向きになりそうな時に、ひまわりは暑さの中でもしっかりと立っている。その感動を短歌で表すとどうなるのだろう。

 背高く胸張るひまわり美しく教えてくれる前に進めと

 短歌は自分の気持ちを素直に表せばよいのだから、背の高いひまわりを見て、前に進みなさいと言ってくれていると、感じたことをそのままを歌にしてもいいはずだ。けれども、私の短歌の先生は、「美しいとか、悲しいとか、そういう言葉は使わずに作りなさい」と言う。それではこういう歌はどうだろう。

 ひまわりは空に向かいて胸を張り前に進めと教えてくれる

 だけど、どうもお説教調である。もう少し、凛としたひまわりにスポットを当ててみたらどうだろう。

 ひまわりは前に進めと言う如く背筋伸ばして大空にあり

 俳句を作っている私の友人の弁護士から、句集が贈られてきた。その扉で、「俳句はおもしろい。さほど俳句を作っていない人がさっと素晴らしい句を作ってしまうことがある。かと思えば何年作ってもたいした句ができない人もいる。〈俳句は〉誰でも作ろうと思えば簡単に作ることができる。そして、どんな名句よりも自分の句がいい句ではないかと思ってしまう。俳句はまさに独断的主観の世界だ。(略)そもそも俳句の善し悪しに絶対的な基準があるわけではない。」と述べていた。

 彼も私も本格的に俳句作りや短歌作りを学んだわけではないので、「独断的主観の世界」と言い切れるのだろう。私に言わせれば表現は、不特定多数の人々に向かって発せられるのに、きわめて主観的なものだと思う。発する自分がまずこれはいいと思うから、不特定多数に向かって発することができる。歌にしろ、音楽にしろ、文学にしろ、舞台にしろ、映画にしろ、絵画や彫刻にしろ、表現した時点で不特定多数の人々から評価を受ける運命にある。発信者は特定の人々を頭においているにしても、必ず不特定多数の人々を意識しているはずだ。

 表現は他者への自己の呼びかけである。このまま、主婦で終わってしまうことに恐怖とか未練とかを覚える人もいる。いや、こういう人は多いかもしれない。しかし実は、夫である男性も、主婦の父や母や祖父や祖母も、みんな同じだ。歴史上に名を残すことが生きた証拠であるというなら、そんな人は数少ない。それに名を残したからと言って、それが何なのだろう。ただの普通の主婦と、たとえばたくさんの人から支持されて当選した女性議員と、どこにどれほどの違いがあるというのだろう。

 もっと言えば、前向きに生きた人と後向きな人と、その評価を他人がしたところで何の意味があるのだろう。生きているのは本人である。本人が納得できるか否かが大事なことだと思う。
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教育の目的は?

2010年07月21日 22時45分23秒 | Weblog
 今日も暑い。まだ暑さが残る夕方、ひょっこりひょっこりと駅から友人が歩いてくる。彼は口笛を吹いているのか、歌でも歌っているのか、身体を左右に揺するように歩いてくる。初めて見た時は、酔っ払っているのかと思ったけれど、彼はいつもこんな風に、楽しそうに歩いている。傍から見ると、ニヤニヤした奇妙なくらい楽しそうな歩き方だ。彼は有名進学校の校長を務めた後、大学に招かれて教授になっている。

 誠実で、ユーモアもあり、面白い人だけれど、ひょっとしたらこの人はADHD(多動性症候群)かと思う時がある。高校の校長を務めた人だから、もちろん常識や思慮に富んでいる。にもかかわらず、彼のこうした自由な振る舞いを見る時、この人は今ならADHDと診断されてしまうのではないかと思ってしまう。今、学校では授業に集中できない子どもをたくさん抱えているそうだ。賢くて、試験をすれば良い成績が取れるけれど、どうも他の子どもたちと同じことができない。ちょっとしたことでなぜか激情的になってしまう。そういう子どもがたくさんいるのだ。

 でも待てよと私は思う。私たちの子どもの頃でもそういう子はいたような気がする。頭がいいのにみんなと同じことができないとか、すぐカッとなって騒ぎ出す、そんな子はいたのではないだろうか。たまたま、成績がよかったり、親が会社のエライ人であったり、社会的な評価が高かったりすると、学校は見ない振りをしていたのではないだろうか。社会もそんなことには関心もなかったし、子どもたちに特有な症候群の存在など気にもしていなかったと思う。

 ADHDだとかアスペルガー症候群などという言葉が一般的に使われだしたのは、最近のことではないだろうか。どういう経過で、このような言葉が生まれたのか私は知らないが、余りにもいろいろと分析しすぎるのではないかと思う。たとえば、昔もいろいろあったのだろうけれど、今では覚えきれないくらいの病名がある。病名が何だろうと、死ぬ時は死ぬものだと思うけれど、今日ではこんな病気があるのかと思うほどたくさんの病名がある。これと同じように、子どもたちについてもさらにいろいろと分析しようとしている。

 科学は分類することから始まるのかもしれないが、素人の私には「それでどうなの?」としか思えない。ADHDだとかアスペルガー症候群だとかに分類して、それでいったいどうするのだろう。私から見れば、金子みすずではないけれど、「みんなちがって、みんないい」。それが人間なのに、どうしてこうも「違っている」ことに目くじらを立てるのだろう。学校現場では、みんなと違う子どもがいればそれだけ手間がかかるから、一律にして効率を上げようとする。これに父母らも「うちの子だけはよく見て欲しい」と勝手なことを要求する。

 教育は個人を伸ばすことにある。一律に重点が置かれたのは、工場労働者が必要となってからだ。しかし、それでは限界があることに今、ぶつかっている。
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