友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大政奉還は絶妙な戦術だったのに

2017年09月30日 17時29分14秒 | Weblog

  今年は「大政奉還から150年」と中日新聞の日曜版が特集していた。大政奉還から150年、終戦からは72年、この150年の歴史の流れはびっくりするほど速い。「大政奉還」があって、徳川幕府は終わったと覚えていたが、じゃあなぜ、戊辰戦争が起きて薩長連合軍が江戸に向かって進軍したのだろう。そんなことは考えずにただ年代だけを覚えていた。

 考えてみれば、徳川幕府の力は低下していた。日本は領地をいただいて主に従う封建制にあっても、各地の藩もその下の町や村も、独裁というよりも合議を習慣としてきた。徳川幕府の体制も、将軍の下に何人かの老中がいて、幕府を維持してきた。ところが、老中の筆頭である井伊大老が出勤途中に暗殺されるほど、治安維持ができなくなっていた。

 将軍、徳川慶喜は幕府の力が限界にきていると判断したから、外様大名である土佐藩や芸州藩からの建白書を受け入れ、大政奉還を決意した。もともと将軍は天皇の配下の兵士の統領に過ぎないから、慶喜は政権を天皇に返上し、天皇を中心とする新政府に加わる腹づもりだっただろう。戦争をせずに、新時代を迎えるはずであったと思う。

 ところが朝廷は、天皇はまだ10代の若者だったから、生き残り貴族の中に頭の働く者がいて、薩摩藩と長州藩に「討幕の密勅」を下した。慶喜が二条城で、40藩の重臣を前に大政奉還を表明した翌日にである。貴族ではなく、薩摩藩か長州藩の誰かが仕組んだのかも知れない。来年のNHK大河ドラマ「西郷隆盛」で、その辺の新事実が出てくるかも知れない。

 「明治維新によって我が国は近代国家となった」と学校で教えられた気がするが、それはあくまでも結果に過ぎない。本当は徳川幕府と外様大名の権力争いだが、たまたま西洋の事情を知る者が、新しい国の手本を西洋諸国から拝借したのだろう。大政奉還とは違うが、民進党の前原代表の「希望の党から公認を」の戦術、「名を捨てて実を取る」つもりも、どんでん返しになりそうだ。

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新美南吉と金子光晴と私の父

2017年09月29日 18時35分16秒 | Weblog

  新美南吉さんと金子光晴さんは、私の父と同世代の人のように思っていた。父は小説家になりたかったが挫折して、小学校の教員で生涯を終えた。新美南吉さんは母の里に近い半田の生まれで、私が育った隣の街の女学校で教師をしながら詩や童話を書いていた。若くして亡くなったから、父よりも年上のように思っていたが、わずかだが年下だった。

 金子光晴さんの詩やエッセーから、勝手に父と同世代と思い込んだが、明治28年生まれだから祖父の歳に近い。愛知県の津島に生まれ、幼い時に金子家に養子に出された。名古屋にしばらく住み、親の転勤で東京に移った。金子家は裕福だったのか、光晴さんは早稲田大を中退し、東京芸大に入り、そこも中退して慶応大に入っている。

 やりたいことが多かったのか、やりたいことが見つからなかったのか、分からないが3つの大学に籍を置くことができる金銭的な余裕と環境にあったということだろう。10代の後半は、生きている意味や何をすべきか、いろいろ悩むことが多い。光晴さんの彷徨はここから始まったのかも知れない。私はクソ真面目な南吉さんの作品より、真っ正直な自分を吐露する光晴さんの作品に心惹かれる。

 光晴さんのエッセーに、江戸時代と明治維新を比較したものがある。「門閥も氏素姓もない平民の子が、大将や大臣を志し、一代の巨富にいどみかかっても、賞賛されこそすれ、咎め立てするものはいない。つまり、開明の御代は、四民平等、各人の能力しだいで、のぞむ運命を切りひらく自由を獲得した」「日清、日露の国をあげての危機に直面するにいたって、喜憂を一つにするよりほかになく、いつのまにか、みな熱心な天皇支持者に豹変してしまった」。

 そして光晴さんは、明治以降の国家が国民にもたらした困難や苦難から逃れる術は「忘却」という。昨日から始まった「国会の解散」「政党の再編成」など、光晴さんはどう見ているのだろう。「期待しないこと」とでも言うのだろうか。

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衆院本会議場で「バンザイ」の合唱

2017年09月28日 17時33分19秒 | Weblog

 「めったに見られないから見てきたら」と国会議員の秘書の時、先輩の秘書に言われて衆議院の本会議場に出かけた。これで失職だという時に、「バンザイ、バンザイ」ってどういう神経なのだろうと思った。今日もテレビであの光景を見たが、全く昔と変わっていなかった。それにしても、民進党の前原代表の「希望の党から公認を」とは何という[「まさか」の提案だろう。

 前原代表は「安倍政権を倒し、2大政党へ向かうため」と言うが、国民が求めているというか、私が求めているのは、政策の違いをはっきり示して欲しいということ。だから、民進党の解党は歓迎だ。憲法につて考えが違うのに、「当選する」ために一緒にいるのは政党ではない。まず、憲法について一致し、安全保障や生活保障などで一致した政策を打ち出して欲しい。

 昨日の夕方、長女から連絡があって、急遽7時までに孫娘を学童保育に迎えに行くことになった。7時までには何とか行けたが、一番最後だった。孫娘を連れて長女の勤める病院へ行く。「今日は遅くなりそうなので、ファミレスでこの子に何か食べさせてやって」と言う。その時は「ママは行かないの」と小声で言っていたが、車が動き出したら急に声を抑えて泣き出した。

 ママと一緒にいられないことがたまらなく寂しいのだろう。今は母親と同じ看護の道に進んだ上の孫娘も、長女が出勤していく姿を追ってよく泣いた。私の妹も、母が勉強のために名古屋へ出かける日は、駅の改札口まで泣きながらついて行った。女の子にとっては、母親の存在は何物にも代えられないのだろう。

 私が議員の時、延長保育を提案したら、現場の保母さんから「この子たちがかわいそうと思わないのですか」と言われたことがある。誰もが自分の価値を発揮できる社会にするためにはどうしたらよいのだろう。子どもたちが犠牲になるような働き方ではなく、誰もが満足できるような社会にするにはどうしたらよいのだろう。

 どういう社会、どういう制度、どういうシステム、一挙に実現できなくても、そこに向かって道筋を立てることは出来るはずだ。政党はそれを示してくれる存在でなければならない。

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新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』

2017年09月27日 22時03分25秒 | Weblog

 

 サボテンの花が咲いた。地元の新聞販売店が30年くらい前に、何かの記念で配布したものだ。5センチほどの小さなサボテンだったが、ずいぶん大きくなった。大きくなってきた時に写真の鉢に移し替えた。特に肥料を与えたり水やりをしたりと世話をした訳ではなく、屋外に放りっぱなしだった。すぐに花が咲いたが、この何年間か咲かなくなっていたのに、どういう訳か今年は蕾が5つも付いた。

 「苦あれば楽あり」とか、「親はなくても子は育つ」とか、昔の人はいいことを教えてくれる。30年もたいして世話をしていなくても、サボテンは美しい花を咲かせてくれた。あらゆることが神様の計画(お考え)と考えれば、苦しいことも乗り切れる。神様は耐えられない試練を与えることはない。次の計画(お考え)が何かあると思えば楽しくもなる。

 新美南吉の童話『でんでんむしのかなしみ』を思い出す。でんでんむしとはカタツムリのこと、陸に棲む巻貝だが、地方によっては呼び方もいろいろあるようだ。背中の殻のないものがナメクジだが、私は子どもの頃、カタツムリの殻を取ったらナメクジになるのだろうとまでは思ったが、何だか気持ちが悪くて実験は出来なかった。

 新美南吉の童話はそのカタツムリの殻の話だ。「あるひ そのでんでんむしは たいへんなことに きがつきました」。それは何かというと、「わたしの せなかのからのなかには かなしみがいっぱいつまっているのではないか」という不安だ。でんでんむしは友だちのでんでんむしの所にやって来て、「わたしはもう いきていられません」と言う。すると友だちは、「あなたばかりではありません。わたしのせなかにも かなしみはいっぱいです」と言う。

 でんでんむしは別の友だちにも話すが、「あなたばかりじゃ ありません。わたしのせなかもかなしみでいっぱいです」と言われる。どこへ行っても友だちはみな同じことを言うので、「とうとうでんでんむしは きがつきました。かなしみはだれでも もっているのだ。わたしだけではないのだ。そして、でんでんむしはもう、なげくのをやめました」。

 人は誰も、不幸なのは自分だけと思い込もうとする。みんな、同じと思えば少し楽になる。

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臨時国会での冒頭解散

2017年09月26日 18時01分05秒 | Weblog

 秋になりました。私は朝からクシャミと鼻水に悩まされているが、議員の皆さんはそんなこと以上に悩ましいことばかりだろう。自民党の二階幹事長の言うように、「当選できなければ何にもならない」し、多数派を形成できなければ「意味がない」のだろう。安倍首相の「28日の臨時国会での冒頭解散」で、衆議院選挙は確実になった。

 当選して何を実現するかよりも、まず当選が最優先となる。議会制度は本当に人々の意思を反映する民主主義の形なのだろうか。「議会で提案に拒否しておきながら、自分の政策にしてしまう」と私が愚痴った時、上野千鶴子さんは「政策が実現されるならいいではないか」と言った。確かにその通りだが、政策の前提や方法はよって立つ考え方で違ってくる。

 安倍首相は「生産性革命」とか、「人づくり革命」とかを言葉にする。「革命」は古い制度をひっくり返すことだから、「改革」や「革新」よりも強いイメージがある。今や保守も革新もない。ドイツの連邦議会選挙では、絶対に優勢だと言われていたメルケル首相率いる中道右派のキリスト教民主・社会同盟が第1党を守ったものの議席数は減らした。代わって難民受け入れに反対する右派政党「ドイツのための選択肢」が第3党に躍進した。

 中道左派の社会民主党・左派党・「緑の党」は議席を伸ばすことは出来なかった。私はドイツで「緑の党」が誕生した時、将来は政権を握るだろうと予想し、「緑の党」に関する資料を集めた。あれから20年経ても「緑の党」の支持は拡大していない。高校時代に「僕が首相になったら君が幹事長だ」と私に言った友だちは今も、「緑の党」で活躍しているが…。

 自民党は議席を減らすだろうが、政権は維持するだろう。「首相指名では公明党の山口代表を推す」と言う小池新党「希望の党」は、次の政権を狙う立場からしばらくは是々非々を繰り返すだろう。結局、選挙の結果はこれが国民の意思ということになる。私の意思とは全く違っていても。

 

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小2の孫娘の運動会

2017年09月25日 17時18分24秒 | Weblog

 小2の孫娘の運動会は天候に恵まれた。今年、介護士になった孫娘の時とは学校も違うけれど、応援に来ているたくさんの皆さんを楽しませるプログラムになっていた。運動場が狭いせいなのか、すべての演技が間近で見られたし、子どもたちの活躍の場がそれぞれに工夫されていた。

 小2の孫娘が出場したのは学年の出し物の「ソーラン節と綱引き」、それと学年別の「徒競走」だった。孫娘のいるクラスの場所へ行ったみたが、恥ずかしいのか嫌なのか、私たちの方に寄って来ることはなかった。写真を撮ろうとカメラを向けてもこちらを見ようともしない。

 「踊りは好き」と言うだけあって、「ソーラン節」は切れのいい踊りだったし、大きく口を開けてクラスで一番大きな声で歌っていたように見えた。昼食は4・5組の家族と一緒に体育館で食べた。前日に長女から「弁当を持って来て」とメールが届いたが、冷蔵庫の中にはおかずになるようなものが何もない。ちょうどそこへ、友だちがシシトウをたくさん届けてくれたので、シシトウと豚肉を煮て持って行った。

 その時も、孫娘は私たち家族の輪には入らず、友だちみんなと食べていた。2年生の徒競走は午後の部の最後から3つ目。その前の5・6年生による騎馬戦は、高齢者席で見ているジジババもかなり興奮し、「あの子は手が早い」とか、「男の子よりも女の子の方が根性がある」とか、声を上げていた。

 さて、いよいよわが孫娘の出番である。スタートはよかったと思うが、ズルズルと負けて3位だった。聞けば、「他の子はリレー選手」と言う。あの走り方では勝てないが、「練習の時からふざけてばかりで」と長女とダンナは不甲斐ない娘に腹を立てる。小さい時は速くても、身体の成長とともに変化も来る。自分でも悔しいと思うから、ふざけて泣きたい気持ちを抑えているのだろう。

 親の期待が大きすぎれば潰れてしまうこともあるし、親が期待しなければ「ワル」になって注目を得ようとする。子どもの可能性は無限にある。親は子を潰さないように上手に育てる義務がある。トットちゃんの先生は子どもの話をとにかく聞き、腹いっぱい話し終わってからが出番だったそうだ。

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ドラマ『僕たちがやりました』

2017年09月23日 17時30分10秒 | Weblog

  夕食の後は決まってやることもないので、何を見たいということもなく観たテレビドラマがあまりにも馬鹿々々しいものだったのに、最終回はどうなるのだろうと思って観てしまった。連続ドラマの途中から観たので、前のストーリーはよく分からないが、観終わってみれば単純なものだった。『僕たちがやりました』は高校生が主人公のドラマで、少年コミックが原作という。

 高校生が主人公なのに、あまりにも現実離れしているように感じたが、私が現実を知らないのかもと思うようになった。高校生でSEXするの?とか、キャバクラへ出入りするの?とか、ビックリしたがそういうこともあるのかも知れない。私たちの時とはあまりにも違いすぎる。主人公の友だちがヤバ高の不良に殴られ、復讐のためにヤバ高に爆弾を仕掛けるのもあまりに突拍子だ。

 いたずら程度の爆弾のはずが、なぜか大事故になって何人もの死傷者を出してしまう。主人公のボケ高の3人と、20歳になるのにいまだに高校へきて後輩の3人と遊んでいる先輩は、3人に金を渡して逃亡する計画を立てる。先輩も含めた4人の逃亡は結局うまくいかない。そこに真犯人が現れ、安堵するが、主人公は自分たちが真犯人だと名乗り上げようと言い出す。

 「そこそこでいい」が口癖だった主人公は、罪を隠しては生きられないと考えた。いつまでも「人を殺した」罪を背負って生きることは自分には無理だと悟った訳だ。刑務所に入り、10年後に社会に復帰して働きだすが、先輩を除いてあとの2人は大きく変わっていた。主人公が好きで、SEXした女子高生は、「私はいつまでも待っている」と言ってくれたのに、街で会ったら、結婚し妊娠した主婦になっていた。

 そんな最終回だったが、いったい何が面白かったのだろう。ドラマは何を伝えたかったのだろう。学校の運動場から少年野球を指導するコーチの鋭い声が聞こえてくる。明日は、小2の孫娘の運動会。ダンナの両親も応援に来るはず、久しぶりの再会である。「帰りはどこかでいっぱいやりましょう」ということになるので、明日のブログは休みます。

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安室奈美恵と清宮幸太郎と一発触発

2017年09月22日 17時18分03秒 | Weblog

  安室奈美恵さんの引退宣言に、テレビ『特ダネ』は大騒ぎだった。40歳とは思えない童顔で可愛いし、スタイルもよくて踊りも切れがある。歌もうまいのだろうけれど、私にはそのよさが分からないが、これだけ多くの人々に影響を与える何かを持っていることは確かだ。結婚と芸能活動の両立は、知らない私が思う以上に難しいのだろう。

 早稲田実業の清宮幸太郎君がプロに行く決意を表明した。こちらも私のような知らない者が言うことではないが、プロを選択したのは正しいと思う。プロと大学では、選手の身体作りに差ができる。強い気持ちがなければ誘惑に負けてしまう。U―18のチームで遠征し、みんながどんな気持ちで野球をやっているのかが分かったのかも知れない。

 こうなると、プロ野球の全球団が清宮君を1位指名することになりそうだが、全球団がそのように足並みを揃えればいいが、ズルイ球団は広陵の捕手、中村奨成君を指名するかも知れない。中村捕手はどこの球団も欲しいから。今年のドラフト会議は優秀な選手が多いだけに、どこがどんな手で来るか、見守りたい。

 でも、そんな平和な時が迎えられるだろうか。北朝鮮とアメリカは一発触発の事態になっている。北朝鮮は日本や韓国から何人も拉致した。それは許されないことだが、他国を攻めたり人々を虐殺したりした訳ではない。アメリカに攻め込まれないために水爆実験を行い、大陸間弾道弾を開発しているに過ぎない。

 そもそもアメリカが持っている核をなぜ北朝鮮が持つことは許されないのか。インドもパキスタンもイスラエルも核保有国なのに、なぜ北朝鮮が核保有国になることは認めないのだろう。世界は今、非核化へと向かっているのが前提であるなら、すべての国が非核化へと進むべきだろう。

 世界から戦争や紛争がなくなると、アメリカ経済を支えている軍需産業が成り立たなくなる。それでみんなが平和に暮らせるなら、アメリカの企業には申し訳ないが、受け入れの準備をしてもらう他ない。安室さんの歌にそんな平和を望むものがあった気がするが…。

 

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来年も咲いてくれ、ヒガンバナ

2017年09月21日 17時31分13秒 | Weblog

  天皇、皇后両陛下は20日、埼玉県日高市の高麗(こま)神社を参拝された。毎年行っている私的旅行で、同市にある500万本といわれるヒガンバナの群生地巾着田曼珠沙華公園も訪れた」と毎日新聞が報じていた。高麗といえば朝鮮半島の国、その子孫を祀った神社である。日本の皇室そのものが、というか、日本の国を形成した支配層は朝鮮半島からの渡来者と言われているのだから、当然、日本と朝鮮は深くつながっている。

 埼玉県にもヒガンバナの群生地があったと初めて知った。最近、テレビとか雑誌でヒガンバナの群生地の見ることがあるが、「死人花」とか言われて嫌われてきた花がやっと世間に受け入れられるようになった。群生で咲くヒガンバナはとても美しい。地獄というよりも天国の趣がある。場所は言えないが、写真のように川面との組み合わせは実に穏やかで美しい。花そのものも妖艶で心惹かれる。

 「彼岸」の頃に、必ず花を咲かせるのに、「律儀な愛」の姿が連想されないのもきっと、その妖艶さのためだろう。美しすぎる女性は敬遠されるが、妖艶な女性を男たちは放っておかないのに。明るくってお茶目で愛想のいい女性を「ヒマワリ」みたいと言うが、「ヒガンバナ」みたいとは誰も言わない。色気のある女性を「ヒガンバナのよう」と褒めても、「私は女郎ではありません」と怒り出すだろう。

 天皇、皇后両陛下は、安倍首相が国連に出かけていたから高麗神社を参拝できたのだろうか。両陛下は戦争のない世界をお望みなのに、「北朝鮮には会話ではなく圧力を」と安倍首相は国連で演説していた。「圧力」の行き着く先が「不慮の事故」であったら、もう取り返しはつかない。「事故」に留まらまらずに「戦争」へ転がってしまう。ヒガンバナは何事もなければ必ず来年も咲く。絶えさせてはならない。

 

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ボケとる

2017年09月20日 18時46分03秒 | Weblog

  姉の見舞いに行ってきた。姪っ子から「腰が痛くてベッドで横になっている」と聞いてはいたが、現実にその姿を見るとなんとも痛ましい。食事が細くなっているらしいが、目も口も元気だ。「歯が抜けたので入歯とも考えたけど、もし喉に詰るようなことがあったら大変だから止めた。歯のことは気にしてるから言ったらダメよ」と姪っ子は言う。

 ベッドの姉は私たちの訪問を喜んでいたが、毎日来ている自分の娘には、「あんたは誰?」と嫌味なことを言う。姉はもともと色白だが、カミさんが「お姉さん、肌の色、白いんですね」と褒めると、「ハーフだから」と言う。私が「えっ、聞こえなかったけど、ハーがない」と突っ込むと、ムッとした顔で睨みつけてきた。なんだ、分かってるじゃーないかと内心思った。

 姉は来年3月に米寿を迎えるが、施設から「数え 88歳―米寿の祝い」と書いた賞状が届けられていた。「凄いね。米寿なんだね」と冷やかすと、「凄くなんかない。米寿なんてなりたくない」と言う。このやり取りもはっきりしていて別に異常なところはない。姪っ子は3・4歳頃、連れて歩くと街行く人が「まあ―可愛い」と言ってくれたと妹が話す。

 すると姉は突然、壁のポスターの秋川雅史さんを指さして、「この人の方が可愛い」と言う。「へえー、姉さんは秋川さんのお嫁さんなりたいの?」と聞くと、「この人になりたいの」と言い返してきた。「男になるのは無理じゃーない」とみんなで笑ったが、話題を自分の方に変えたかったのか、本当に秋川さんが好きだということなのか、よく分からない。

 私は朝からクシャミと鼻水の連発で、絶不調になっている。姉を見送るまではなんとか元気でいなくてはならない。姪っ子に肩身の狭い思いをさせる訳にはいかない。おっと、こんな「老い」の話など書くと、先輩から「勝手に老人ぶるな」と叱られそうだ。朝、ルーフバルコニーで作業をしていた時は「色恋」の話を思いついたのに、昼になったらすっかり忘れてしまった。ボケとる。

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