友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自慢話、愚痴、説教

2019年02月28日 17時11分31秒 | Weblog

  朝から雨降りなので、外に出ることもなく、一日中家で過ごしている。今日はクシャミも鼻水もないから、やっぱり花粉症だったのだろう。私に花粉症の症状が出たのは30代だった。寝不足かなと思えるような日々が続いていたので、ゆっくり眠れば回復できた。「歳を取れば花粉症にはならない」と先輩たちは言うが、どういう訳か最近また復活してきた気がする。

 年寄りの3大特徴は、「自慢話、愚痴、説教」だという。説教する先輩は余り見かけないが、自慢話と愚痴はよく聞く。自分では単なる体験を話しているつもりなのだろうが、ついつい話が大きくなっていく。たったひとりにモテただけなのに、愛してくれた女性が10人もいたような話になってしまう。まあ、それで当人は悦に入っているのだから、「凄いねえ」と聞いておくのが思いやりであろう。

 優秀な女性を嫁にもらったのに、「賢いのに 整理整頓 出来ぬ妻」と愚痴る先輩もいる。自分のことをいかにも苦労しているように語るが、実際は彼の方がカミさんに世話をかけているのかも知れない。あちこちで脱いだ服や靴下を誰が始末してくれていると言うのだろうか。「気が付いた人がやればいいのよ」と指摘され、台所の洗い物が貯まらないように努めているそうだが、それもきっと老後の準備だろう。

 説教がないのは、する相手がいないからだ。私の家もそうだが、子どもたちが巣立ち、家を出てしまったので、夫婦ふたりだけの生活になっている。友だちの多くがそんな形なので、説教する相手がいない。たまに、子どもや孫と食事をする機会があっても、そんな場面で説教すれば、嫌われるだけで効果はない。いや、そもそも、説教などいかにも偉そうなことが言えるほどの器ではない。

 なんとか私は、年寄りの3大特徴からは逃れられていると思う。それでもそれは、自分だけの判断で、他所から見れば同じようなものかも知れない。雨は上がったから、病院に友だちを見舞うつもりでいたが、土曜日か日曜日に行くことにしよう。彼の愚痴を聞くのも、病気の回復に少しは役立つことになると思うから。

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風邪それとも花粉症?

2019年02月27日 18時14分22秒 | Weblog

  風邪を引いたのか、花粉症なのか、朝からクシャミと鼻水が止まらない。おまけに涙も出て、頭はボーとしている。『同年の集い』の写真をプリントして、仕分け作業をしたが、どうにも能率が悪い。鼻をかみ過ぎて、鼻の周りが真っ赤になっている。これはも―、眠るしかない。

 「エホバの証人」の女性がやって来て、「神の審判が近い」と言うので、「早く来た方がいい」と私が答えると、「神の存在を信じているのか」と問うので、「神はいる。だから、神の裁きは早く来て欲しい」と答えた。すると彼女は「神は」と語り出したので、「それはあなたが思い描いている神であって、神は人の認知で計れる存在ではないよ」と話す。

 「そこまで分かっていて、どうして次にいかないかなあー」と彼女は言う。「そこがね、あなたは自分の尺度で神を考えているからだよ」と私が言い、「上がって、神学論争でもする?」と言ったので、不機嫌な顔で帰って行った。信仰は神と私の関係であって、これが信仰だと定義できるものではないだろう。

 核兵器を開発し、地球温暖化をもたらし、人類史は最悪の事態へと向かっている。戦争の無い地域でも、子どもが虐殺されたり、些細なことから人を殺したり、とても人として教育を受けた人々の世界ではないようなことが起きている。物質的に豊かになれば、人々は愛し合って暮らしていける、そう信じたことは間違いだったのか。

 この悲惨な状態そのものが神の裁きなのかも知れないが、出来ることならいっきに審判を下して欲しい。「ノアの箱舟」のように心清き者だけが生き残ればいいが、それでもまた残忍な歴史が繰り返されたから、生き残りなど無い方がよいのかも知れない。クシャミと鼻水さえ止めてくれれば、今の私はそれで充分だが。

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芸大の卒業制作展を観る

2019年02月26日 17時22分09秒 | Weblog

  このところ暖かい日が続いていたのに、今日は風が強くてルーフバルコニーで作業が出来ない。先日、バラの土を入れ替えるため剪定した、卓上のバラの蕾が花開いた。今年は春の到来が早いと言われている。ルーフバルコニーの鉢植えのチューリップも芽を出してきている。ポカポカ陽気に誘われて、老人3人で市内の芸大の校舎で行われている卒業制作展を見て来た。

 県立美術館での卒展では見られない面白い企画だ。学生たちの教室内での作業場が、彼らはアトリエと呼んでいたが、そのまま展示会場になっている。県美なら展示できる数が限られるが、自分たちの大学の中での展示なので、かなりの自由さがある。大きな作品だけでなく、小さなものや、作品なの?と思うような、日頃の作業場を再現した展示もあった。

 この日は「市民ツアー」が企画され、一般市民が大学の先生や学生から作品の説明を受けられる。私が地域新聞を始めて5年目の1990年から、「大学公開講座」を開いてもらったが、市民が気兼ねなく大学内を闊歩出来るのは楽しいと思う。しかも学生たちと、作品の苦労や意図なども話し合うことが出来て、何故か若返った気分になる。

 私は首長選挙が終わったら、部屋に引き籠って油絵を描くつもりで準備してきた。ところがまだまだ社会とつながっていたかったのか、私を必要としてくれたのか、引き籠って絵が描かける環境にはならなかった。最近は目がよく見えないし、絵を描こうという意欲も無くなってしまった。せっかく買い貯めてあった画布だが、もう手放すべきだと思ったので、油絵科の作品の中で好みのものがあれば、その子にプレゼントしようと思い、見て回った。

 残念ながら好みの作品は無かったが、好みの女子大生が受付にいたので、その子に画布をあげることした。卒業しても研究生として大学に残ると言う。作家として大成する作品とは思えなかったが、人生はどこで転機がくるかは分からない。少しでも役に立つならそれでいい。私の卒業の頃を思い出した。人生はあっという間だ。

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沖縄の県民投票

2019年02月25日 18時03分51秒 | Weblog

 辺野古移設を巡る沖縄県の県民投票が、24日に行われた。結果は、移設反対が43万4273票、移設賛成が11万4933票、どちらでもないが5万2682票であった。移設反対を主張して知事に当選した玉城知事の得票を反対は3万7641票も上回った。結果ばかりが注目されいるが、私は投票率が気になった。52.48%とあった。

 誰でも戦争はイヤと言う。軍事基地は近くにない方がいいと言う。ましてや他国の高性能の軍事基地が傍にあるのはイヤと言う。けれど、移設に賛成の人が11万人もいる。米軍基地で働いている人や基地の恩恵を受けている人もいるから、反対ばかりではないと思うが、こんなにも多くの人が現実的な判断をしているのかとビックリした。

 どちらでもないと投票した人は、どういう考えなのだろう。〇か☓かと問われているのに、どちらでもないと答えるのはどうしてなのかと思う。子どもの頃から、自分の意思は示さない、そんな生き方をしてきたのだろうか。「あなた、明日、戦地に行ってもらえますか?」と言われても、「どちらでも」と答えてしまうのだろうか。

 いつも他人事のように、自分の意思を示さない人は確かにいる。それでもこの人たちは投票場には足を運んだ。それよりも、県民として意思表示ができるのに、投票しなかった47.52%の人々はなぜ棄権してしまったのだろう。投票しても、辺野古への移設は国の方針だから変わるはずがないと考えてのことだとしても意思を示すことは大事だった。

 国民は主権者で、国の在り方は国民一人ひとりの1票で決まる。そう教えられてきた。ところが、投票に行かない人が半数近くもいる。それでも、この人たちもまた、戦争はイヤと言うだろう。戦争はイヤと言うなら、どうすればこの世界から戦争を無くせるかと考えていくべきなのに、いつも発想が逆で、攻めてきたらどうするとばかり問題にしている。

 天皇陛下の在位30年式典でのお言葉に誠実さを感じた。1票の権利も認められていないのに。

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『60歳の集い』から14年

2019年02月24日 17時55分45秒 | Weblog

 社会福祉協議会の呼びかけで、『60歳の集い』が開かれたのは14年前だ。協議会の事務長はよく知る人で、参加を頼まれ断る理由はなかった。翌年に「第1回シクラメンの会」が開かれた。「シクラメン」などとロマンチックな名前をなぜ付けたのだろうと思ったが、何のことはない、『60歳の集い』の時、ステージに「シクラメンの鉢が並べられていたから」と言う。当時、流行していた布施明の歌の影響もあるかも知れない。

 初代の会長は次女の友だちのお父さんで、私もよく知る人だったので、結局、欠かさず参加してきた。ところがその人が亡くなり、幹事を選挙で選ぶことになり、第7回から会長を務めることになった。同年の者が集まる、そこに何か意義付けをする必要があると思っていたが、今はただ集まって、食べて飲んで歌って、3時間を楽しく過ごせればいい、幹事はそのお手伝いなのだと思えるようになった。

 昨夜も集合場所まで歩いてきた男性が、「息が切れる」と言うので、「どうしたの?}と聞くと、私と同じようにペースメーカーの移植手術を受けていることが分かった。「家を出るのも億劫だけど、年に1回のこの集まりだけはと思って」と言う。同じ心臓病でも私とは違うようで、「ちょっと無理すると心臓があぶく」と話す。「無理せずに。酒も控えめにした方がいい」と言うと、「酒はもともと飲めない」と答える。じゃー、何がよくて参加するのだろうかと思ったが、宴会中の彼を見ていると楽しそうだった。

 私と同じ第7回から幹事を引き受けている女性は、肺に欠陥があり酸素ボンベを持ち歩いて参加してくれている。私たちは8回も開催してきたので、「そろそろ交代してもいいよね。後釜を見つけておいて」と話すが、「いざとなると難しいわよ。喜寿の77歳か、長くても80歳まで続かないわよ」と言う。後、3回、あるいは6回まではやろうということなのか。私はこの人にという候補を見つけたが‥。

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3世代同居が復帰する?

2019年02月22日 17時16分36秒 | Weblog

 我が家に立派な胡蝶蘭が届いた。友だちの娘さん夫婦が居酒屋を改装オープンした。私が「花を贈ろうか」と聞くと、娘さんは「家電がいい」と言うので、「家電は何がいいの?」と問い直したが未だに返事がない。返事がないままに、オープン祝いに贈られた胡蝶蘭が逆に届いた。「もらっていいのかな?」と友だちに言うと、「店に入り切れないくらい、花でいっぱいだったからもらってきた」と言う。どんな店になったのか、落ち着いたら飲みに行こうと思う。

 娘さん夫婦とは、友だちの故郷である九州へ一緒に旅したことがある。私の子どもでもないのに、付き合いが長いからか、子どものような気になっている。マンションだから、「近所と付き合いがないのがいい」と入居された人もいるが、どういう訳か私の周りはまるで長屋である。「醤油が無くなったから、ちょっと貸して」と言える仲である。誕生日会や桜の宴や秋の行楽や、理由をつけては「飲み会」を行っている。

 今朝、4月のメモリアルコンサートのチラシを持って、教育長に会って来た。長居するつもりはなかったのに、どういう訳か教育長と話が合って、時間の経過を忘れてしまった。子どもたちを地域で面倒をみるシステムが進んでいるが、「ボランティア感覚の人と、多少でも報酬が欲しい人とある。その辺の整理が課題」という話から、「核家族化のしわ寄せが生まれてきている」現状を見る。「幸せが金に換算されているから、みんな働いて金を稼ぐ、周りへの思いやりが失われている」など。

 3世代が同居する家族構成なら、児童虐待も生まれなかっただろう。多くの家族が共に暮らすマンションのような共同生活がよいのかも知れない。互いの家族の子どもたちが自分の子どものように感じる愛おしさがあるから。核家族も資本主義社会から生まれたものだから、社会の形が変われば家族の形も変わっていくだろう。

 明日は、この市の「同年者の集い」を行うので、ブログは休みます。

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人生設計

2019年02月21日 18時18分07秒 | Weblog

  姉は痩せてきていた。歩くことが出来なくて、すっかり車イスの生活だが、身体を支え切れずに左に傾いていた。だから当然だが、腰や背中が痛むようで、姪っ子に「痛い、痛い」と訴えていた。認知は進んでいるはずだが、接していると前と変わらない気がしてくる。私を父と間違えるから、「お父さんが死んだ時よりも、20年も長生きしてしまった。家族の中では、姉さんが一番長生きだよ」と言うと、「そうかね」と納得できない顔をした。

 帰り際に姪っ子が、「食欲も無くなってきているから、あまり長くないかも知れない」と囁いた。よく世話をしてくれた。認知が始まって、いっそうわがままになった姉を、愚痴も言わずに面倒見てくれた。姪っ子の人脈で施設にも入れたし、月に1度だけれど私たちも見舞いに来られる。私が高1の時に母は亡くなった。そして妹が高3の時に材木屋は倒産し、一家離散となった。私も妹も姉には本当に世話になった。

 妹は「昔のことは何も覚えていない」と言う。妹にとっては、高校を卒業し姉と一緒に暮らした時からが、人生の始まりとなったのだろう。姪っ子は結婚して3人の男の子に恵まれた。3人はそれぞれの道に進んでいる。長男は凝り性で大手の会社で開発を担当し、仕事以外に興味はないようだ。次男は札幌に赴任し、恋人も出来たと聞いた。3男は演劇の世界で活躍している。姪っ子もそのダンナも、「子どもは自由に生きていけばいい」と言う。

 もちろんそれでいいと私も思う。けれど、何時かは結婚し、子どもをもうけ、家庭を持って欲しいと子どもたちに伝えることも親の役割だと思う。その時が来れば何とかなるかも知れないし、なんとかしていくだろう。親が健康で働けるうちはそれでいいが、長患いにでもなったら、会社を辞めなければならなくなる。先のことまで考えることは出来ないかも知れないが、でも、そろそろ人生設計に取り組んで欲しい年齢になっていると私は思う。

 

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わが街の文化会館

2019年02月20日 18時13分35秒 | Weblog

  文化会館の小ホールで昼に、30分ほどのコンサートが開かれた。ソプラノとバイオリンとピアノのコンサートだが、この街を音楽で豊かな気分にしようという催しである。私は4月に行うメモリアルコンサートのチラシを配布させてもらうため、早めに会場に出かけたが、開場前からもう何人かが列をなすほどの人気だった。

 この街は、楽器の演奏や合唱などの音楽グループの多さでは県下一ではないかと思う。名古屋市に住む私の友だちが、合唱がしたいと思っても参加できるグループが無いと嘆いていたが、この街の合唱グループは、大小合わせればかなりの数になる。以前は、オーケストラと吹奏楽とコーラスはあったが、今ではいろんな楽器のいろんなグループがある。

 文化会館を建設する時、建物を作ってもここを拠点に活動するものがなくてはと進言し、町民交響楽団を作る提案をした。私と会館の職員で、誰でも参加できる交響楽団作りに着手した。わが街には芸術大学がある。東に音楽学部、西に美術学部がある私大だ。学長に私のプランを話し、発起人となってくれる教授を推薦してもらった。この教授と在住のプロのバイオリン奏者と高校の音楽部の先生を加えて、発起人とした。

 1993年に西春フィルハーモニー・オーケストラとして発足し、北名古屋市が誕生して北名古屋シティ管弦楽団となり、「音楽の溢れる街」の先駆的な役割を担ってきた。音楽が好き、楽器が好きなら誰でも受け入れるという私の突拍子もない提案に、「いいですよ」と言ってくれた教授に頭が下がる。今日もその時、初心者ながらバイオリンを続けている女性に出会い、感謝されたが、続けてくれた彼女こそ称えられるべきだろう。

 会館のスケジュールを見ると、演奏会が続いている。市民の中に文化会館はすっかり定着したのだろうか。建物は使いやすくなっているだろうか。会館にくれば、何かやっている、そんな建物になっているだろうか。26年前のワクワクした気持ちが蘇ってきた。

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暗い一日だった

2019年02月19日 17時47分34秒 | Weblog

  朝から雨が降っている。今朝はカミさんの友人の葬儀が行われた。葬儀の日に雨降りは、みんなの涙のように感じてしまう。昨日の朝、救急車がマンションに来た。最近、救急車が来ることが多い。私と同年の男性が運ばれて行った。私の年齢からすれば、当然のことだが、訃報が多くなった。何か楽しいことはないのかと友だちのブログを見ていたら、「老いらくの恋」の顛末が書かれていた。

 彼は合唱で知り合った15歳年下の女性が好きになった。初めは食事や映画を見るくらいだったのに、ある時、女性から「オッパイ見たい?」と言われ、そういう関係になった。「まるで夢を見ているようだった」。彼が若々しく元気がよかったのは、老いらくの恋の賜物だった。名所巡りをしたり、若い人たちのようにデートを重ねていった。ところが10年も続いたのに、突然、連絡が取れなくなった。恋の終わりがやってきたのだ。

 始まりがあれば終わりもある。気落ちした彼は、「何の希望も無くなった」。仕方ない。人生いつもいい時ばかりじゃーない。10年間という充実した時があっただけでも幸せ者だ。羨ましいとさえ思う。永遠の命など欲しいと思わないが、愛する人がいて、愛された時があった。こんな素敵なことはない。人はいろいろ、人生もいろいろ、それでいいじゃーないか。自分が「何を求めるのか」でしかない。

 求めてばかりいると、「そのうちしっぺ返しを食らうぞ」と誰かに叱られそうだ。キリストは「求めよ、さらば与えられん」と説いたが、それは神に求めよということで、人に対しては「分け与えなさい」と説いている。求めるばかりでなく、自分のものを分けてあげる、そんな生き方を示唆している。人間は欲張りだから、求めることばかりが先に立ってしまう。やっぱり、難しいなと思う。

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はだか祭り

2019年02月18日 17時24分58秒 | Weblog

  天下の奇祭、国府宮のはだか祭りが昨日、行われた。風の無い穏やかな日だったから、参加する側も見学する人にもよかった。私は裸になって参加したことはないが、地域新聞を作っていた時は、地元の集団と一緒に国府宮神社まで歩いたことがある。その時も、寒い日ではあったが、風は無くて助かった。みぞれ交じりの時は、出発する写真だけを撮って止めてしまった。

 裸で寒中を練り歩くためには、確かに酒でも飲まなければ寒くて仕方ないだろう。飲み過ぎて途中で倒れてしまう人もいたし、割った1升瓶でケガをした人もいた。そんな姿を見ると、とても裸になって参加したいとは思わなかった。知り合いの中には、今はもう歳だから参加していないだろうが、10年以上参加し続けていた強者がいた。きっと、何か分からない魅力があるのだろう。

 裸男に抱かれると幸せになれるというので、子どもを連れて来て、抱っこしてもらうお母さんがいる。裸男は子どもを抱き、次に母親まで抱いていた。戦前は、裸男の行列を見に行ってはいけないと女の子たちは親から注意を受けた。祭りは無礼講なので、女の子が裸男に無理やり襲われることがあっても、見に行った子が悪いことになるからだ。裸男にはそういう楽しみがあったし、国道の大通りを横切る時は必要以上にぐるぐる回り、交通を遮断することに喜々としていた。学生時代の渦巻きデモを、警察の監視下で行えるのも楽しみだったかも知れない。

 日本は農業国だから、五穀豊穣を祈る「はだか祭り」は意外に各地にある。祭りは神社で行われる神事だが、無礼講という「非日常」であったことは、いかにも日本人らしい。そう思いながら世界各地の祭りを思い出すと、どこも大差ない気がする。祭りはどこでも、非日常であり、道徳や規則に反するものだ。それだけ人間は、縛り付けられた毎日を送っているのだ。「ハメをはずしたい」本音が祭りにはある。

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