友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

瀬戸内寂聴さんの恋

2020年03月31日 17時39分35秒 | Weblog

 市子は大杉がかばんの中からつかみ出した札束を見て全身の血がひいていった。 この 僅かな紙幣で、大杉とのすべてが絶ちきられるのだと思うと、もう考える力も尽きはてた気がした。 肉親も、友人も、社会も、職も、すべてを犠牲にして自分を賭けた恋の価が、この数枚の紙幣の価値しかなかったのか。 市子は、自分が石になったような感じしかのこらなかった。」(略)

「短刀を持った右手は鉄のように重かった。及び腰になり、市子は重い腕をひきあげ、刃を伸ばした。空洞になった體がたいそう軽かった。市子は葉が落ちるように全身で石の首の真上へ刃ごと、ゆっくり落ちていった。」( 瀬戸内晴美『美は乱調にあり』の最後のページ 

 「石の首」とは大杉栄の首である。神近市子が大杉の非を責めると、大杉は「今度こそ最後だ。(略)これでもうきみとは他人だ。明日はさっさと帰ってくれ」と言い放った。隣で眠る大杉は「冷たくて血の通っていなかった。呼びかけても、語りかけても答えのない石の首‥刺しても斬っても刃ごたえのない非情な首」だったのだ。四角関係の結末、清算の時である。

 こんな風に書いていた瀬戸内寂聴さんだったが、時代が違ったのか、全く違う道を歩いてきたようだ。1922年(大正11)生まれの瀬戸内さんは、東京女子大の在学中に大学の先生と見合いで結婚し、翌年に女の子を生んだ。ところが夫の教え子と恋仲になり、夫と3歳の娘を棄ててしまう。離婚が成立して小説を書き始めると作家と不倫し、三角関係になってしまう。

 井上光晴とは7年か8年続いたようだ。瀬戸内さんにとっては必要な男だったが、井上光晴の心が遠のいていくのを感じ、出家という形で終止符を打った。「男の心が移るのは、女が誘惑したと言うが、悪いのは男」と寂聴尼僧は説教していた。俗界を離れたのに、よく言うよ。俗界にいた時は世俗を超えていたのに。

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『あちらにいる鬼』を読んだ

2020年03月30日 17時43分34秒 | Weblog

 『評伝 西部邁』を買った時、井上荒野さんの『あちらにいる鬼』と高橋源一郎さんの『論語教室』の2冊を一緒に買って来た。論語は私たちの日常に根付いているが、高校の時の漢文でも習ったけど、名言・格言という程度しか知らなかったので、高橋さんがどうな風にとらえているのかと興味があった。

 最初に手にしたのは『評伝 西部邁』だったが、気分転換のつもりで読み始めた『あちらにいる鬼』に嵌ってしまった。井上光晴と瀬戸内寂聴それに井上の妻の3人の、心の物語と言った方がふさわしい小説だった。瀬戸内さんはテレビで観る尼僧姿しか知らず、小説も読んだことがなかった。

 初めて、大杉栄と伊藤野枝を扱った『美は乱調にあり』を読んで面白かった。大杉栄は興味深い人物だったし、平塚らいてうの女性解放についても知りたいと思って読んだが、瀬戸内さんを評価できる作家だと思った。けれど、井上光晴と男女の関係にあったとは知らなかった。

 私が大学生の頃、井上光晴、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高の名を、「図書新聞」だったか「読書人」だったか、大学の図書館にあった新聞で眼にした。これらの人の作品は読んだことがなくても、共産党知識人に代わる新左翼知識人と鮮明に覚えている。その井上光晴が瀬戸内さんとどうして結ばれたのか、『あちらにいる鬼』を読んで分かった。

 しかも、井上の妻と瀬戸内さんが「同志」になってしまう心の動きもよくわかった。「好きになったら、どういう環境かは関係ない」と瀬戸内さんは言い切り、妻は「夫は自分を必要としているから別れるつもりはない」とふたりの関係を認めている。凄まじい愛憎のようでありながら、そこには憎しみが無い。

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気になる映画と『評伝 西部邁』

2020年03月29日 17時23分20秒 | Weblog

 本来なら、今晩は私が担任だったクラスの集まりに出席するため、家を出ていたはずだ。コロナ騒ぎで中止となり、気が抜けてしまった。教師となって5年目、このクラスは1年と2年の担任だった。才能のある子が多かったが、私がこの子たちの能力にどれだけ関与できたのだろうか。自由にやらせる、そのために自分は盾になると決めていた。

 社会人になった彼らは私よりもたくましかった。教えられることも多かった。連絡の取れない子もいるようだ。何しているのかと心配になる。卒業して48年も過ぎた。私などより立派に活躍しているのに、何をいまさらと自分が恥ずかしくなる。今日は少し寒い。東京では雪が降っている。何だか憂鬱な気分だ。

 気になる映画が何本かある。『三島由紀夫vs東大全共闘』、『ドキュメンタリー・鈴木邦夫』など。高校生の時、父親の書棚にあった三島由紀夫の小説『美徳のよろめき』を読んだが、そんなに印象に残らなかった。テレビニュースで自衛隊員に決起を呼び掛ける姿は見たが、時代錯誤に思えた。鈴木邦夫は私より1つ上だが、大学入学は同じ年なので気になっていた。

 鈴木がどうして右翼になったのか、知りたいと思った。そういう点では西部邁も気になる人だった。自殺した西部を連載していた週刊誌を見て、単行本になったら買って読もうと思い、手に入れた。西部は60年安保闘争の時の東大の活動家だった。その後、東大で教鞭をとるようになって、次には保守の論客となった。

 人は何時までも変わらない、そんな訳はないと私も思うが、どのように考えが変わっていったのか興味があった。コロナ騒ぎで家に籠っているのだから、昔を思い出して読んでみよう。それで何?と問われても答えは出てこないが、晩年なんだからこんなものだろう。

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「また、みんなで飲みたいですね」

2020年03月28日 17時34分14秒 | Weblog

 仙台の次女がダンナと5歳の娘の3人で、「ゴルフの打ちっぱなしに行って来た」と写真を送って来た。それを見たカミさんは、「素直ないいフォームで打ってる」と孫娘を褒めた。ゴルフをしない私には理解できないと思ったのか、ボールを打つ時の姿勢を再現して解説してくれた。

 自分がしなくても、ゴルフ番組のテレビを見せられているから、それくらいは分かるが、逆らうと面倒になるので、「ウンウン」と頷いて見せた。最近はすれ違いが多いが、これも気付かないようにしている。私としては、5歳の孫娘にゴルフよりもクラシックバレエを習って欲しい。

 でも確かに、親が習ったことの無いものを子どもにやらせても結局は長続きしない。勉強だって、自分がしてこなかったのに子どもにやらせようとしても無理だろう。子ども自身が勉強することの意味とか必然が分かれば、自分からするようになる。

 自分のことは何とかなるが、他人のことになると思うようにはいかない。いや、自分のことだって、自分の意思ではどうすることも出来ないことがある。病気はその典型だろう。「友だちの選挙の応援に来ている」と電話してきた無党派市民派の議員が、昔、一緒に勉強会を行っていた仲間がガンになったと教えてくれた。

 どんなにバイタリティーがあって気持ちのいい奴でも、病気にはなる。大事な人物だからと言っても、避けていってはくれない。彼はまだ若いから、まだまだ生きていてもらいたい。私はもう終わったと思っているから、身代わりになってもいいのに、そういう訳にもいかないのか。「また、みんなで飲みたいですね」と言ってくれたから、そんな時が来て欲しいと思う。

 

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心温まる光景に出会えた

2020年03月27日 17時16分41秒 | Weblog

 雨の中、老女が自転車を押してヨロヨロと歩いていた。ガソリンスタンドに差し掛かった時、自転車の荷物でいっぱいの前カゴから何かが落ちた。拾おうとしたが片手に傘、片手に自転車のハンドルではかがむことも出来ない。その時、ガソリンスタンドから若い女性店員が駆け寄って来て、落ちた荷物を拾い上げて前カゴに入れた。

 老女は恐縮して前かがみになり、自転車が倒れそうになった。店員は慌てて自転車を抑え、片手を振って何か話しかけていた。美人ではないが笑顔が可愛かった。自分のことで精いっぱいの、何とも殺伐とした今日この頃、心温まる光景に出会えた。新型コロナウイルスの影響で、人と話すこともままならない世の中だが、まだ捨てたものじゃーない。

 看護師をしている長女が、「私たちの世代は必死に働いているのに、お年寄りはゴルフや遊びに出かけられて、いいわね」と皮肉を言う。病院感染でクラスターが起きないように神経を刷り減らしているようだ。日本で暮らす私たちが感染から守られているのは、患者のために医療機関で働いている皆さんのおかげ、感謝している。

 安倍昭惠夫人は、タレントらとレストランで食事をし、桜の下で記念写真と相変わらず華やかだ。そのことが国会で取り上げられたが、安倍首相は「プライベートなレストランの敷地内であって、禁止されている公園ではありません」と答えていた。夫人とはうまくいってないのかと、他人事なのに心配になったが、いや、政治への姿勢の問題だと思い直した。

 

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個人の権利を束縛することには反対だ

2020年03月26日 18時02分20秒 | Weblog

 新型コロナウイルスの爆発的な感染を警戒して、東京都は不要不急の外出を控えるようにと要請した。「罰則のあるもっと強い権限を与えるべきだ」という主張もあるが、私は反対だ。知事とか首相とか大統領に、個人の権利を束縛するような権限を与えるべきではない。

 「非常事態に生ぬるいことを言うな」と考える人の方が多いのかも知れないが、それでも私は私権を制限することには反対だ。アメリカに親戚がいる友だちが、「カルフォルニアは外出禁止でスーパーに品物がない。路上生活者が急激に増え、橋の下で暮らしている」と教えてくれた。

 29日に予定されていたクラス会は、「半年を目途に延期する」と幹事から連絡があった。仲間で毎年行ってきた「桜の宴」は、やっぱりやめることになった。「何を言われるか分からないから」と先輩が言う。またの機会にやればいい、人の目を気にしてまで行うことはない。

 人の思いと思いはすれ違う。朝の連続ドラマ『スカーレット』で、白血病になった息子を励まそうと父親が、息子の作品を称えて、「父親を超えたな」と言った。すると息子は父親に向かって、「よくそんなことが言えるな。息子に抜かれて悔しくないのか」と罵倒する場面があった。

 私の経験では、息子には父親を超えたい願望がある。父親を超えることは難しいが、たったひとつでもいい、どこかで「オヤジを超えた」と思えるものが欲しいのだ。それが父親への感謝だと私は思ってきた。残念ながら、私自身は父を超えられたのか、自信が無い。

 好きな人に「好き」と言ってもよいのだが、相手は好きではないかも知れないし、他に好きな人がいるかも知れない。けれど、好きと思うのは私の勝手な権利である。

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子どもは元気が一番

2020年03月25日 18時07分29秒 | Weblog

 寒の戻りで、今朝は寒かった。陽差しは強く暖かく思えたので、ルーフバルコニーへ出てみたが、風は無いのにとても冷たかった。マンションの桜は咲き始めた。今年、岩倉市は桜祭りを中止したので、私たちのグループだけが桜の下で宴会という訳にもいかないだろう。

 29日(日)は、私が高校の教員だった時に担任をしたクラス会が予定されているが、未だに何の連絡も無いから実行するつもりだろう。さて、何人集まるのだろう。昭和47年卒業だから、今年で66歳ということは私と10歳違いなのか。互いに高齢の部類だから困ったものだ。

 オリンピックが延期になった。来年の夏までに開催する予定らしい。当然の結論だろう。安倍首相もバッハ会長も任期は来年の9月(?)までというから、在任中に何としても華やかな舞台に立ちたいだろう。その時、新型コロナウイルスの猛威は収まっているのだろうか。

 予想もしなかったことが起きる。天気予報はかなり正確になったが、地震の予知はできないと学者が言っていた。経済の動きは、数字を研究している学者には見て取れるようだが、「資本主義は過渡期にある」ことは実感できても、この先はどう展開するのだろう。

 今日も小学校の運動場では、たくさんの子どもたちが元気に遊んでいた。マンションの知り合いと話していたら、「孫が来ない」と言う。ジジババのところに預けて、ジジババがコロナ感染しないようにという息子や娘の配慮のようだ。祖父母に預けるよりは、自分たちで何とかした方が気が休まるということらしい。

 先生たちもいろいろ気を遣っているようで、クラスを半分ずつ登校させたりしている。3月の初めは子どもの姿が見られなかったが、今はあちらこちらから子どもの声が聞こえてくる。やっぱり子どもは元気が一番だ。

 

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人口も税収も減少する時こそ街づくりの時

2020年03月24日 17時39分59秒 | Weblog

 毎日、毎日、新型コロナウイルスのことばかりでウンザリしている。こんな時でも首長選挙は行われていて、無投票だったり大差だったりで現職が当選している。投票率はみな低調である。当然の結果だろう。選挙の政策を聞いていると、どこも同じようなことを主張している。

 企業を誘致して雇用と税収を確保する。地域の活性化を目指し住みよい街づくりを行う。公共施設を統廃合し、保育園や児童館を民営化する。もっとビックリするような、人口も歳入も右肩上がりになるような政策を謳う人もいた。

 なぜ人口減少ではダメなのだろう。公共施設を統廃合して住民は喜ぶのだろうか。古くなった施設を建て直す必要があると言うけれど、施設よりも古い建物でも充分に機能している。有るものを無くす時代ではない気がするのは私だけなのだろうか。

 保育園や児童館の運営を民間に委託する自治体は増えてきた。図書館も民営のところもある。富を生むものは民営化してもよいが、住民サービスが目的のものは自治体が負うべきだ。民営化は自治体からの委託なので、委託料が毎年上がることは決してない。

 保育園や児童館で働く人の賃金を公務員並みにどう保証していくつもりのか。人口も税収も減少するであろうことを前提にした政策は、決して派手さはないけれど、現実を見つめて本来の街づくりを行う時ではないかと思う。

 アメリカのように、どんどん紙幣を印刷すればよいという政策もあるけれど、本当にそれでよいのなら各国が競ってそうすればいい。紙代なんて知れている。国にはそういう手があるが、自治体はそういう訳にはいかない。後ろ向きと思われてしまう政策を掲げる首長はいないのかな。

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みんなで幸せになることは難しいのなら

2020年03月23日 17時48分47秒 | Weblog

 結局、『テセウスの船』は私にはよく分からなかった。真犯人は分かった。自分の母親が芋煮に間違って毒キノコを入れてしまったために、大勢の人(?)を殺すことになり、家庭が崩壊したので、母親を捕らえた巡査を恨んでの犯行だった。毎回、いったい誰が犯人なのかと思わせる展開は見事だったが、それだけになぜか結末には納得が出来なかった。

 ストーリーが面白ければよいのかも知れないが、私はどうしても何が伝えたかったのかと考えてしまう。最終回で、冤罪だった父親が出所したのか、家族が揃ってお祝いをしていたから、家族愛がテーマだったのだろう。犯人も家庭を壊された恨みからの犯行なので、ここでも家族が重要な要素であろう。

 家族の誰かが罪を犯せば、たちまち家庭は崩壊してしまう。「犯人はあそこの家の人」とうわさされ、住み続けることが出来なくなってしまう。家族に障害者がいるだけでも、人は好奇な目で見てしまう。だから、「津久井やまゆり園」の被害者でありながら、名前を公表しにくい社会なのだ。新型コロナウイルスに罹っても、同情よりも好奇な目にさらされる。

 家族が仲良く暮らすのが一番の幸せなら、地域が国家が世界が仲良く暮らすことが一番幸せなのに、どうしていがみ合うのだろう。自分よりも幸せな家族を見ると、幸せな気持ちよりも妬ましく思ってしまうのだろう。みんなで幸せになることは難しいのなら、せめて嫉妬したり恨んだりしなければ、いいのにと思う。我が家のツツジは満開になったが、強風に耐えている。

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甘いものが好き

2020年03月22日 16時56分33秒 | Weblog

 私は甘いものが好きだ。和菓子でもいいが、洋菓子ならもっと嬉しい。ケーキとかアップルパイとか、とろりと甘いものが好みだ。だからなのか、厳しく見る習慣がついていない。中学校に入ると定期的にテストがある。今から思うとバカみたいだが、範囲の決まっている定期考査よりも範囲のない実力テストの方が成績がよかったので、実力で受ければいいんだと解釈していた。

 そんな具合だったので、地域の名門校といわれた高校に入学しても勉強に集中することがなかった。それよりも、私が思い描いていた高校生活とは全く違っていて、「普通科は大学の予備校でしかないのか」と、不満だった。高校といえば青春時代の真っ只中、人生とは何か、恋するとは何か、そんなことを考え話す場と思っていた。

 ところが、「これは大学入試に出ていた」とか、「文系に行くものは1つ覚えればいい」とか、大学入試に向けた授業が中心だった。「これでいいのか」と新聞社に投稿したし、学校の新聞にも湾曲に取り上げたりした。編集責任者だった私は校長室に呼び出され、他校へ送ることを禁止された。「言論の自由も許されないのか」。私たちは自分たちでお金を出し合って、自主新聞を発行し、門外で登校してくる生徒に配布した。

 「退学になったら」と心配する友だちもいたが、先のことは考えなかった。校則に「夏は霜降りの学生服」とあったが、そもそも木綿の霜降り学生服そのものが希少だった。生徒指導部との交渉で、鼠色のズボンを認めてもらった。「校則は何のためにあるのですか」と聞くと、「君たちのためだ」と言われる。「私たちのためなら、私たち自身で決めてもいいでしょう」と主張。「自分たちが決めたものでない規則を守らなければならないのは不条理です」と。

 高校時代が青春だったことは間違いない。勉強よりも新聞部と生徒会の活動に没頭していた。何しろ実力はあるはずと思い込んでいたので、先のことは考えていなかった。この歳になっても、大相撲の千秋楽を見ようと焦っている。

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