久しぶりにクリーニング店の主人と話した。ここの孫娘さんが、中学校の文化祭の合唱コンクールでピアノ伴奏を行なったが、見事な演奏だったと私が話したことから、話が長くなったのだ。コンクールは1年から3年までの全クラスが出演した。ここの孫娘さんのクラスは残念ながら優勝できなかったけれど、ピアノの演奏だけを比べれば、1番うまかったと思う。
私の孫娘も出演しピアノ伴奏をしているが、残念ながらここの1年生の孫娘さんの方が上ではないかと思う。そんな話をしていたら、主人は「中学1年のこの子は粘り強いが、上の子は高校受験を機にピアノをやめてしまった。娘も子育ての難しさがわかったんじゃーないかな」と言う。その娘さんは長女で、クリーニングの仕事は順調だったとはいえお金に余裕があったわけではないから、「長女にはついつい我慢をさせてしまった。だから長女は『一番下には甘いんだから』とよく言うけれど、確かに下には何でも好きにさせてきてしまった」と、子育てを振り返る。
その一番下の娘さんは音楽大学へ進み、声楽家になった。また、日本では珍しいリュート演奏者と結婚し、ふたりでコンサートも開催している。リュートはアラビアで生まれた古楽器で、琵琶やマンドリンの原型とも言われている。下の娘さん夫婦のおかげで、フランスに招待されたこと、その道中やルーブル美術館での演奏会のことなども話してくれたのだ。今は、観光船「飛鳥」でも演奏を行なっているそうで、「飛鳥に招待してくれないかなと思っているんですが、ホントにそんなことにでもなったら、何十万いや、母ちゃんも一緒だから百万円は超すだろうからどうしようなんて思っているんです」と楽しそうに話す。
人生は不思議だなと思う。おそらく主人も子育てしている時は、自分の子どもが声楽家になることも、リュート演奏家と結婚し、自分たち夫婦をフランスへ招待してくれることも、全く考えてはいなかっただろう。どんな子になるかわからないけれど、健やかに育ってくれればそれでいい、親ならきっと誰もがそんな程度の期待で子育てをしている。中には天才教育に全てをかけてきた親がいるのかもしれないが、私はそれは間違っていると思っている。
「人生はいろいろ」と以前にも書いたけれど、親だからといって子どもの人生を歩けるわけではない。子どもは子どもの人生があり、夫婦であっても同じことで、夫であっても妻であっても別の人生を歩いているのだ。子どもたちが大きくなり、一人前になっていくのを見ていると、私はどうしても「人生はいろいろ」と考えてしまう。
私の孫娘も出演しピアノ伴奏をしているが、残念ながらここの1年生の孫娘さんの方が上ではないかと思う。そんな話をしていたら、主人は「中学1年のこの子は粘り強いが、上の子は高校受験を機にピアノをやめてしまった。娘も子育ての難しさがわかったんじゃーないかな」と言う。その娘さんは長女で、クリーニングの仕事は順調だったとはいえお金に余裕があったわけではないから、「長女にはついつい我慢をさせてしまった。だから長女は『一番下には甘いんだから』とよく言うけれど、確かに下には何でも好きにさせてきてしまった」と、子育てを振り返る。
その一番下の娘さんは音楽大学へ進み、声楽家になった。また、日本では珍しいリュート演奏者と結婚し、ふたりでコンサートも開催している。リュートはアラビアで生まれた古楽器で、琵琶やマンドリンの原型とも言われている。下の娘さん夫婦のおかげで、フランスに招待されたこと、その道中やルーブル美術館での演奏会のことなども話してくれたのだ。今は、観光船「飛鳥」でも演奏を行なっているそうで、「飛鳥に招待してくれないかなと思っているんですが、ホントにそんなことにでもなったら、何十万いや、母ちゃんも一緒だから百万円は超すだろうからどうしようなんて思っているんです」と楽しそうに話す。
人生は不思議だなと思う。おそらく主人も子育てしている時は、自分の子どもが声楽家になることも、リュート演奏家と結婚し、自分たち夫婦をフランスへ招待してくれることも、全く考えてはいなかっただろう。どんな子になるかわからないけれど、健やかに育ってくれればそれでいい、親ならきっと誰もがそんな程度の期待で子育てをしている。中には天才教育に全てをかけてきた親がいるのかもしれないが、私はそれは間違っていると思っている。
「人生はいろいろ」と以前にも書いたけれど、親だからといって子どもの人生を歩けるわけではない。子どもは子どもの人生があり、夫婦であっても同じことで、夫であっても妻であっても別の人生を歩いているのだ。子どもたちが大きくなり、一人前になっていくのを見ていると、私はどうしても「人生はいろいろ」と考えてしまう。