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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ほめて育てる

2008年11月16日 22時00分40秒 | Weblog
 人から教えられることがある。たとえば、何人かの社員が集まれば、そこでは必ず上司のことが話題になる。そんな時はまず上司のよい点よりも欠点をあげつらい、みんなで笑い飛ばす。こうしたことは会社の中だけに限らない。好きなサークルやグループだって、ひとりの人を話題にして、その欠点や失敗や不始末をあげて、みんなで笑ってしまうことがある。話題にして笑い飛ばすことで、ストレスを解消しているのだ。

 会社の仲間であれば、自分が上司の欠点を持ち出して話題にすれば当然相手も「ほんと、そうなんだからいやになっちゃうよね」と同調してくれるものだ。大方の人はその受けを狙って発言している。ところが、自分が上司の悪口を言い、相手も当然「そうそう」と同調してくれるものだと思っていたのに、「そうなんですよね。ほんとにそこがえらいというか立派ですよね」と全く自分が予期していなかった反応が返ってきた時だ。

 なんだ、この人は上司の味方だったのか、これからはこの人と話す時は気をつけなくてはならないと考える方が多いだろう。けれども中には、自分は人の欠点ばかりあげ、それを口にすることで仲間の同調を買っていたけれど、なぜこの人のように上司のよい点を見ようとしていなかったのかと自分を反省する人もいる。「私は当然『そうですよね』と言ってくれるものだと思っていたので、ビックリしてしまいました。でも、素直に評価する姿を見て、自分の小ささを感じたんです」。

 そんな話を聞いて、私もまた自分が情けないなと思ったことを思い出した。自分の思うようにならなかった時、自分の不幸を他人のせいにしていた。自分がどんな努力をしたのかは差し置いて、相手の理不尽さばかりに原因を求めようとしていた。きっと、そこに仲間がいたのなら欠点をあげつらい、「だからやってられないよ」とか言っていたに違いない。他人の悪口は言えても、その人のよい点を見つけようとしなければ、いつまでも不幸の淵から抜け出すことなどできないことに気がつかなかった。

 知り合いに「私って天才かも」と言う人がいる。明るく能天気で、決して人の悪口を言わない人だ。自分をほめることで自信を持とうとしているように思う。人は、悪口では育たない。人は、良さを認めてもらってこそやる気が出せる。「お前はなんて馬鹿なんだ」と言われれば、萎縮することはあっても、「さあーやるぞ」という気にはなれない。ましてや相手が上司であったり、雇い主であれば、そのよい点を見つけることができるなら、「この人のために頑張ろう」という気になる。

 自分に対しても、欠点ばかりあげるよりは、「私って天才かも」とほめた方がやる気になれる。ましてや他人から、能力や美点をほめられれば、人はその人の悪口など決して言わないし、むしろ自分を認めてくれた人にために何かをしてあげたいと思うものだ。

 心の美しい人は他人の心をも美しくする。
コメント (2)
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