友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

厚労省OB殺人事件

2008年11月19日 22時25分42秒 | Weblog
 寒くなった。今晩から明日の朝にかけて、さらに冷えると気象予報官は言う。気候が寒くなるのは仕方ない。秋から冬へと向かっているのだ。日本には四季があり、そのおかげで豊かな自然の移ろいを感じることができる。四季の無い南国に赴任した知人は、変化がなくて身体がボーとしてしまったと言っていた。暑かったり、寒かったりと大変だけれど、そこが日本のよいところだ。

 しかし、どういうことか、世間では寒々とした事件が多い。昔からそうだったのか、報道の発達がそうさせているのか、どうしてこんなに殺人事件が多いのかと思う。いやな世の中だなと思っていたら、今朝のニュースは厚労省のOBを狙った殺人事件だ。東京と埼玉で連続しているこの事件は、厚労省の年金担当者であったという共通項で、まるで年金問題への恨みが事件の底にあるといわんばかりの報道である。

 実際に誰かが、厚労省の年金担当者を殺したいほど憎んでいたなどということがあるのだろうか。しかも、担当者が誰でどこに住んでいることまで調べ、実行するなんていうことがあるのだろうか。犯人は担当者あるいはその家族までも殺して、それでどうしたかったのか。不思議なことばかりだ。殺せば年金問題が解決できるわけではないし、恨みが解消されるわけでもないだろう。いや、そもそも恨みの中身はいったい何なのだろう。

 この事件は、政局にどのような影響を与えることになるのだろうか。政府・与党に有利に働くのか。野党に有利に働くことは余り考えられない。むしろ、年金問題に批判的な報道がこうした悲劇につながるとか、殺人者は年金問題に批判的だったのだというような、マスコミの批判も殺人者の恨みもゴチャ混ぜにした陰気な雰囲気が生まれていく危険を感じてしまう。

 11月13日付けの産経新聞に、トヨタ自動車の奥田碩相談役の発言が載っていたそうだ。年金問題などで厚労省に対する批判的な報道が相次いでいることについて、「朝から晩まで厚労省を批判している。あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常だ。(こちらも)何か報復でもしてやろうか。たとえばスポンサーにならないとかね」と不満をあらわにしたというものだ。誰でも真正面からの批判にさらされれば気分が悪いのが当然だ。けれども、なぜ批判を受けているのか受け止める余裕が無ければ、憎しみだけが残ってしまう。

 奥田さんのような経営者や政府高官や自治体の首長はいるだろう。そして、実際にスポンサーを降りるぞと脅されたか、またはメディアの方が自らスポンサーを気にして自主規制してしまうことは、結構ある。大企業の汚点や問題点を取り上げるメディアは実際には無い。「朝日新聞は左よりだ」などと言う人がいるが、朝日新聞をきちんと読めば他紙と同じだ。メディアはスポンサーにはかなわない。それが資本主義社会のマスコミの弱点なのだ。

 そんな社会になれば、結局は自由の無い、恐怖と疑心が支配する社会となるだろう。そんな社会にしていいのか。景気が悪いとか不均衡とか不満ばかり言っていて、本当にいいのだろうかと危惧してしまう。
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