法務局へ出かけた。法務局にお世話になることは滅多になかったのに、選挙の供託金の件で来て以来何度か来ることになった。先日来た時もそう思ったが、法務局に結構人が出入りしている。今日は駐車できないほどだった。登記の手続きを済ませ、証明書の発行を担っている2階へ行ってみて、ここが混雑の原因かと理解できた。かなりの人々がここで手続きを行い、発行を待っていた。不動産屋とか会社役員とかいった風情の人々に混じって、若い女性も何人かいる。何をしに来ているのだろう。
いろいろあって、結局お昼になってしまった。法務局の駐車場には入れなかったので、先輩の一人が通っているという近くの病院の駐車場に車を入れたから、その病院の食堂で昼食を食べようと言うことになった。「一度出て、車を停められるレストランへ行った方がいいのじゃないか」ともう一人の先輩が言うが、「いや、この辺りでは駐車場のあるレストランはないし、病院の駐車料金は30分でわずか100円ですから」と私は先輩に言ってしまった。「あのな、1円を侮るものは1銭に泣くというんだよ」と、たしなめられてしまった。
県の出先機関に、法人の登記ができた証明書を持って出かけた。ところが生憎、出先の会館は休館である。ここまで来てまた出直さなくてはならないのか、そう思ったが、いや待てよ、会館は休館でも出先機関は火曜日なのだからやっているのではないか、そんな気がしたので電話をかけてみた。すると相手が出て「どんな用事か」と聞いてきた。用件を告げると、非常口から入ってきていいというので、担当の窓口へ行く。
良かった。これで、手続きは全て完了したと安堵したはずだったのに、文字が1字違うので、法務局へ戻って直してもらわないと受け取れないと言う。どうして原本の記載が間違っているのだろう。法務局でもそういう間違いがあるんだ。法務局が間違えたのだから、訂正と再発行は向こうの責任でやってもらおう、などとそんなことを話して、強気で法務局に臨んだ。またしても駐車場は一杯なので、私は車に居残り、残るふたりの先輩に行ってもらった。
意気揚々と引き返してくるかと思ったら、意外に沈んだ声で、「どこにいます」と言う。車に戻ってきた二人に「どうでした?」と聞くと、「こちらが出した文書が間違っていた」と言う。「えっ、どこが?」と不安になる。提出書類の大半は私が作ったものだからだ。「確かに間違っていたことが、提出した文書を見せてもらってわかった。私が作ったものだから、私の責任だ」と、先輩の一人が気落ちして言う。あんなに何度もみたつもりであったが、県庁の職員のように、1文字1文字を追いながら調べなかった、その結果である。
「いい勉強になった。こういうことが大事だ」と言う。さすがに人生の先輩は言うことが違う。
いろいろあって、結局お昼になってしまった。法務局の駐車場には入れなかったので、先輩の一人が通っているという近くの病院の駐車場に車を入れたから、その病院の食堂で昼食を食べようと言うことになった。「一度出て、車を停められるレストランへ行った方がいいのじゃないか」ともう一人の先輩が言うが、「いや、この辺りでは駐車場のあるレストランはないし、病院の駐車料金は30分でわずか100円ですから」と私は先輩に言ってしまった。「あのな、1円を侮るものは1銭に泣くというんだよ」と、たしなめられてしまった。
県の出先機関に、法人の登記ができた証明書を持って出かけた。ところが生憎、出先の会館は休館である。ここまで来てまた出直さなくてはならないのか、そう思ったが、いや待てよ、会館は休館でも出先機関は火曜日なのだからやっているのではないか、そんな気がしたので電話をかけてみた。すると相手が出て「どんな用事か」と聞いてきた。用件を告げると、非常口から入ってきていいというので、担当の窓口へ行く。
良かった。これで、手続きは全て完了したと安堵したはずだったのに、文字が1字違うので、法務局へ戻って直してもらわないと受け取れないと言う。どうして原本の記載が間違っているのだろう。法務局でもそういう間違いがあるんだ。法務局が間違えたのだから、訂正と再発行は向こうの責任でやってもらおう、などとそんなことを話して、強気で法務局に臨んだ。またしても駐車場は一杯なので、私は車に居残り、残るふたりの先輩に行ってもらった。
意気揚々と引き返してくるかと思ったら、意外に沈んだ声で、「どこにいます」と言う。車に戻ってきた二人に「どうでした?」と聞くと、「こちらが出した文書が間違っていた」と言う。「えっ、どこが?」と不安になる。提出書類の大半は私が作ったものだからだ。「確かに間違っていたことが、提出した文書を見せてもらってわかった。私が作ったものだから、私の責任だ」と、先輩の一人が気落ちして言う。あんなに何度もみたつもりであったが、県庁の職員のように、1文字1文字を追いながら調べなかった、その結果である。
「いい勉強になった。こういうことが大事だ」と言う。さすがに人生の先輩は言うことが違う。